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2020年11月4日水曜日

American democracy? 

みなさんと同じく、テレビの米大統領選挙の開票速報にクギ付け、ときにインターネットで米紙の速報を見たりしています。

それにしても、4年前に続いてまたもや世論調査はまちがって、民主党支持率を多めに、トランプ支持率を低めに見積もってしまいました。開票してみると、かつての激戦州では、今回トランプが予想以上に伸び、バイデンが勝つ場合も差は僅差です。これが悪意のデータ操作でないことを祈りますが、根本的に方法的な問題がありませんか?

世論調査を指揮している専門家が、そして実際の対質者が(自分たちはバカじゃない、エゴイストじゃないという立場から)、こんなにも非合理な共和党・トランプ支持者をバカか、エゴイストかと見て/見えてしまう‥‥といった具合に、観察者の観点が対象に反映して、調査の結果を左右していないでしょうか。 薬の治験や、社会調査における中立性の保証(ダミー薬も投与する、or「Youの意見・投票について尋ねるのでなく your friend の意見・投票について尋ねる」)といった手法は厳守されているのでしょうか?

これまでゴア候補もヒラリ・クリントン候補も微妙な負けかたをしたけれど、最終的には潔く敗北を公に認めて政治ゲームを終わらせました。 あることないこと出まかせに言って4割のコア支持者を固め、「私は敗北を認めない」と公言する現職大統領(!)は、スポーツマンシップにももとる! こんな政治手法で権力を維持しようという「ジャイアン」を歓喜して支持する4割の有権者。こんなことがまかり通るなんて、まるで16世紀内戦中のフランスや現代アフリカの部族国家みたい。

 

この4割のコア支持者に訴えあおりながら権力政治を操作してゆく手法が、これからほかの国々でも定着してゆくのだとすると、恐ろしいことです。 テレビの視聴率4割だったら、モンスター番組でしょう。でもこれは大国の政治です。4割の硬い支持を根拠に(浮動・無関心が2割)面罵し、分断をあおりつつワンマンが強権的に「指導」してゆくのだとすると、これはナチスとどこが違うんですか?

ぼくはコア支持者よりもっと広く、なんらか公共性普遍理念に訴えるスピーチを聞きたい。  すべては、投票に行かない有権者の責任でもあります。  愚かな民には愚かな政府がふさわしい。

2020年11月1日日曜日

まともな発言

 この間の日本学術会議問題に現れた政治文化、マスコミや有権者のより深い問題、反知性主義について、こんな文章もあります。

 たとえば『日経ビジネス』における小田嶋隆さんの「ア ピース オブ 警句」 https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00090/

は辛口で、ジャーナリストおよび国民を(臆病な)チキンないし小学生程度とこきおろします。チキンではなかった NHKクロースアップ現代の国谷裕子キャスターがなぜ降板させられたか、という問題にも説きおよびます。小田嶋氏の結論は、次のとおり:

≪ そして、[チキンたちは]学者から学問の自由を奪い、研究者を萎縮させ、10億円ばかりの税金を節約することで、何かを達成した気持ちにさせられるわけだ。で、われわれはいったい何を達成するのだろうか。たぶん、役人から安定を奪った時と同じ結果になる。  安定した生活を営む役人をこの国から追放することで、われわれは、めぐりめぐって自分たちの生活の安定を追放する仕儀に立ち至っている。おそらく、自由に研究する学者を駆逐することを通じて、われわれは、自分たち自身の自由をドブに捨てることになるだろう。  昔の人は、こういう事態を説明するために、素敵な言葉を用意しておいてくれている。 「人を呪わば穴二つ」というのがそれだ。  他人の自由を憎む者は、いずれ自分の自由を憎むことになる。≫

 なおまた学者知識人の発言としては、三島憲一さんが『論座』で↓

https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020102100003.html https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020091400003.html https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020102200007.html

まともな議論をしています。とりわけ「人事だからこそ、その理由を言わねばならない」と説き、ムッソリーニやヒトラーのいない「日本型のファシズムを考え」ようとしているのは、異議なし。

 ときを同じくして恒木・左近(編)『歴史学の縁取り方』(東京大学出版会)が公刊されました。恒木氏、そして最後の章の小野塚氏が冴えている。きわめて刺激的でおもしろい本。これについては、また後日に。

2020年10月29日木曜日

記者会見

 学術会議会員の不任命とその後の菅総理大臣および加藤官房長官の説明にならない言い逃れ、といった事態から、じつは学術会議がどうこう、というよりもずっと深刻な情況が明らかになって来つつあると思われます。権力者の意思は黙って貫き、異論は無視して -「人のうわさも75日」だから - やがて、くどくどと同じ対質をくりかえす連中は孤立し、結局は内閣官房の思いどおりに世の中は動き定まる‥‥。その内閣官房の意思は、どのようにして(どんな理由いつだれが言い出して、可能な別の選択肢は不採用として)決まったのか、については「最終的な決済」以外はゴミなので破棄して記録は残さない‥‥。

 このような、法治国家や市民社会にあるまじき、権威主義的な集権国家がいつのまにか登場し、通用し、こうしたことに「おかしい」とか「気持が悪い」とか言うひとはたしかに一定数いるが、それが国民の、あるいはマスコミの大多数にはならない、という情況。これが不気味です。いつこうなったのでしょう?

 古川さんと鈴木さんの始めた change.org の署名活動が、14万人以上の署名を短時間で集めたこと、そして10月13日にこれを内閣府に提出したことはNHKなどで報じられました。 → https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201013/k10012661631000.html

 さらに26日には日本記者クラブで記者会見が行われ、古川さん、鈴木さん、瀬畑さんの発言、質疑の様子が Youtube で(計1時間17分)見られます。組織的でも党派的でもない、3人の誠実さと真意が現れた、よい記者会見だったと思います。まだなら、どうぞ → https://www.youtube.com/watch?reload=9&v=5W71tY9IqBY&feature=youtu.be

 古川さんのキーワードは不公正(アンフェア)、鈴木さんの場合はわたし個人の考え、瀬畑さんの場合は、政府も自信をもって理由を公けにしてください、でした。

2020年10月22日木曜日

〆切は今日22日(木)

菅政権の反知性主義的で、強権的というより陰険な政治のやり方への抗議の署名キャンペーンが続きます。「西洋史研究者の会」の呼びかけたものは今晩で〆切です。 → https://seiyoushi-kenkyusha-kai.org/

賛同署名者は西洋史研究者に限定していません。あくまで個人的に賛同してくださった方々です。そのご氏名(匿名希望者は除く)は、こちら → https://seiyoushi-kenkyusha-kai.org/index.php/home/sandousha/

携帯の自由競争、前例打破‥‥といった受けの良い政策提言で支持率を維持しつつも、都合の悪い文書記録は残さない/廃棄するという、近代法治国家としてはありえない官房の(断固たる!)方針に支えられた知性攻撃ですから、恐ろしい。

「総合的・俯瞰的」という管理者的で上から目線の言い逃れだけで、なにも理由を説明しない、「木で鼻をくくった」応答に終始するのではいくらなんでもまずいだろう、という発言が自民党議員のなかにもチラホラ出ています。その名は記憶しておきたい。 → 岸田文雄(前政調会長)、稲田朋美(元防衛相)、村上誠一郎(元行革担当相)! こうした議員までもが「説明責任を果たしていない/乱暴ではないか」と言明する事態なのです。

なお、10月2日のぼくの発言もご覧ください。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2020/10/blog-post_37.html 

2020年10月14日水曜日

日本史の14万人余り署名

今夕のNHKニュースで14万人余りの署名をもって内閣府へ提出しに行った鈴木淳さん古川隆久さんの勇姿を拝見しました。日本史の近現代史ゼミの元院生の皆さんが見せた結束力。すばらしい。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201013/k10012661631000.html

それから一歩遅れて始まった「西洋史研究者の会」ですが、 → https://seiyoushi-kenkyusha-kai.org/index.php/shomei/

「今回の任命拒否の6人に宇野重規さんの名前が。えっ誤爆じゃないの‥‥」 という声もあります。ぼくもそう思いました。 宇野さんはそもそも自由な人で、その立場を貫いて安倍政権のいくつかの施策に反対を表明していたにすぎない。菅義偉およびその取り巻きたちは、「諫言」(かんげん)という言葉を知らず、「甘言」のパンケーキに囲まれていたい人々なのか。 これでは、自由民主主義の政治家としての未来はありません。

もともとテレビでアップされた菅の「眼」には(安倍晋三にはない?)暗さ・悲しさのようなものを感じていました。おぼっちゃま安倍晋三くんより、実力と運で這い上がってきた菅義偉くんのほうが狭量(非寛容)で、陰険(危険)なのかもしれません。 それが就任時のご祝儀高支持率を背景にして、菅イカロスのように、冷たく結論だけ表明して、「分かるでしょ」「よく考えなさい」という路線を押し出してきたようです。これはモンテスキュのいう専制政治、- 法も徳も名誉もなく - 君公の勝手な都合と「恐怖」によって統治するデスポティスムです(『法の精神』岩波文庫、上、pp. 51, 82-3)。

9日の「3社グループインタヴュー」における「105人のリストは見ていない」という発言は、学者を小馬鹿にしたものでした。万が一にも(見てもだれとは分からないから)「テキトーに5・6人削っといて‥‥」ということだったとしたら、不勉強すぎます。秘書官などに選別をまかせた、即 総理大臣以外の判断結果をみて「99名任用」がなされたということなら、違法性はさらに増しますよ。法学部卒業者なら、そこは分かるでしょ。

このところ、日本も合衆国も連合王国も中国も(!)それぞれの現れ方には政治文化のちがいがありますが、それにしてもそれぞれ大変な時代(great transformation!)に居合わせたものですね。 こちとらも、老いぼれてはいられません!

2018年11月5日月曜日

真剣度

 こんなメールや電話が、年に一度くらい(?)の割で到来します。

 「突然ご連絡、大変申し訳ございません。
テレビ**の○○という番組を担当しております△△と申します。
私どもが放送する○○という番組の中に、□□を紹介させていただくコーナーがあります。本日は、‥‥ の雑学についていくつか取り上げるにあたり、いろいろ調べておりましたところ、イギリスを中心に、‥‥という記事を見かけました。
つきましては、この記事内容について詳しいことを近世イギリス史を専攻されている先生に直接お話を伺えればと思っております。
まだ、企画の段階で、‥‥大変恐縮ですが、よろしくお願いいたします。」

 どこでどう間違えたか、インターネット検索でぼくの名が引っかかったので、慇懃無礼な挨拶文をしたためて、立正大学のアドレスあてに出してみたわけでしょうね。
「いろいろ調べて、‥‥という記事を見かけました」
といっても、その記事がどこのどういう記事か特定することのないままでは、この人がどの程度の「リサーチ」をしたうえで問い合わせてきたのか、「検索サーチ」で一発ヒットしただけか、要するに「真剣度」が伝わってきません。そのうえ、こちらは「トリビア」に関心がありません。「お相手できません」とご返事する以前的な、そのまま無視、という対応しかできません。ついでにテレビ局って、こんなにも無意味なことを取材、放映して利益を上げてるの! とビックリします。

 こういったことがあると想い出すのは、世間もバブリーで、出版界も学生たちも、いささか浮いていた1990年前後のことです。東大のある女子学生が進学したばかりで「‥‥本で読んだんですけど」と問いかけてきたので、「なんていう本? 著者は?」と聞くと、彼女は答えられなかったのです。かわいくて知的な家庭の出身で幸せそうな様子、大学院を志望していたようですが、読んだ「本」を特定できないのでは話になりません。ぼくとの会話はそれで途切れました。
 2年後、その子は語学ができたので大学院に合格したけれど、数ヶ月もしないうちに授業に出てこなくなっちゃった。指導教授が(ぼくではありません!)張り切って関連文献の実物を見せながら指導していた場面に、たまたま居合わせたことがありました。
 複数の情報を特定しながら、そのズレにこだわり、相互の違いから、事実の割れ目にテコを差し込んで、新しい発見に迫る。その出発点は「疑問」「違和感」です。そこに問うに足る問題がある、と直観するからこそ、力業(ちからわざ)を続けることができる。

 むかしこのことを、黒田寛一は「否定的直観」と呼びました。ノーベル賞の本庶佑さんは「教科書を疑うことから始まる」とおっしゃっています。そうした直観、疑問を特定し(分析し)、考察を継続する(リサーチする)ためには、それだけの情熱が必要です。テレビのディレクターに、そしてただかっこいい職業として大学教員を志望していた女の子に(男の子も同様に)、それだけの「真剣度」はなかったな。張り切っていた指導教授はひどくガッカリして、端で見ていても気の毒なくらいでした。

2018年8月18日土曜日

堪え/がたきを堪え 忍びがたきを忍び


 「平成最後の夏(上)」のつづきです。『日経』の同じぺージに「終戦の詔書」の原本の写真があります。記者は詔書の日付が8月14日だということの確認のつもりで添えたのかもしれませんが、この写真はそれ以上に雄弁で、「玉音放送」を朗読した昭和天皇の「間」の悪さというか、演説の下手さかげんの根拠のようなことがようやく見えてきました。

 大きな字で清書してあるのはよいけれど、(昔の正しい国語らしく)句読点がまったくないばかりか、なにより行の切れ目と意味の切れ目が一致しない。
【以下、写真のとおり詔書を転写するにあたって、行の切れ目に/を補います。それから文の終わりに、原文にはないが「。」を補います。カナに濁点もありません。こんな原稿を手にして、なめらかに、リズミカルに朗読せよ、というのが無理というもの。】

【前略】  ‥‥爾臣民ノ衷情モ朕 善/
ク之ヲ知ル。然レトモ 朕ハ時運ノ趨ク所 堪へ/
難キヲ堪へ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ為ニ/
太平ヲ開カムト欲ス。/
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ 忠良ナル爾 臣/
民ノ赤誠ニ信倚シ 常ニ爾臣民ト共ニ在リ。/  【後略】

(わたしたちの感覚では)まるで清書した役人が意地悪だったのかとさえ憶測されるほど、パンクチュエーションもブレスも無視した原稿です。
 玉音放送のあの有名な「然レトモ 朕ハ時運ノおもむク所 堪へ[ここに1秒弱の空白]
がたキヲ堪へ 忍ヒがたキヲ忍ヒ‥‥[このあたりは順調に朗読]」
の読み上げで、音楽的にも文学的にもナンセンスな「間」が入ったのは、ご本人のせいではなく、じつは大書された原稿の行末から次の行頭へと縦に眼が移動する(Gに反する動きゆえの)物理的な「間」なのでした!
 詔書はマス目の原稿用紙ではないのだから、気の利く臣下だったら、(句読点の代わりに)数ミリの空白や文字の大小を上手に巧みにまじえて、行末で重要語のハラキリ、クビキリが生じないように清書できたでしょうに。【今日の NHKのアナウンサー原稿も大きな縦書きですが、句読点は明示し、なるべくハラキリ、クビキリの生じないように工夫しているでしょう。】
 陛下、まことにご苦労なさったのですね!

それにしても「爾(なんじ)臣民」のくりかえしが多い。上の6行だけで3回も!
 ポツダム3国(連合軍)の意向ににじり寄りつつ、「‥‥國體(こくたい)ヲ護持シ得テ 忠良ナル爾 臣民ノ赤誠ニ信倚シ」、天皇制を維持してよいというかすかな保証をなんらかの筋からえて嬉しい。なんじ人民も蜂起や軍事クーデタを企てることなく、「赤誠」の志を示してくれるなら、共にやってゆこうと祈念していたわけですね。

2018年8月16日木曜日

「花へんろ」ぞなもし


 猛暑と大雨ばかりでなく、驚くような事件も続きます。みなさんは、いかがお過ごしでしょう。
 7月末からほとんど10日間ちかく、「ウイルス性喉カゼ」というのにやられ、年齢のせいかもしれませんが、猛暑も加わり、かなり苦しみました。「喉が痛いな」という感覚から始まり、翌日からセキ、痰が出始め、(ウイルス性で投薬は効かないということなので)栄養と十二分の安眠で自力治癒を目指しましたが、そう簡単には回復しませんでした。

 その間、知的活動はあきらめ、BSの再放送をはじめ、いくつかの古いドラマや映画を見たりして過ごしました。とりわけ「花へんろ」と「新花へんろ」は愛媛県松山市の郊外「風早町」の「勧商場」とその近隣の人間模様を、関東大震災(1923)から敗戦(1945)、そして戦後のカオスにいたるまで定点観測した作品。そういえば、1985-88年、そして1997年に見たことを想い出しましたが、細部はずいぶん忘れています。早坂暁のライフワークでもあり、桃井かおりの「成長」を目撃する作品にもなりました。
 「昭和とは どんな眺めぞ 花へんろ」という早坂暁の句が毎回、最初と最後に詠まれ、時代を描きつつ、高度経済成長以前の地方の商家と、それぞれの理由で四国遍路に出かける人々の悲哀が語られます。

 じつは松山市中に生まれたとはいえ5歳までに四国を出たぼくにとって、お遍路さんはまったく馴染みのない存在ですし、また「‥‥ぞなもし」という言い回しも親類縁者の間で聞いたことがなく、大人になってからむしろ余所者感覚で認識することになります。
むしろ昭和の後半の松山の人々にとって、お遍路さんよりも瀬戸内、そして大阪とのつながりの方が大きかったと思われます。戦争を生き延びた父も叔父も、そして(尾道の)ぼくの母の父も人生の前半の重要局面で、大阪の学校や企業(日立製作所、大阪商船、東洋レーヨン)に関係していました。「新花へんろ」では東京のエノケンの偽物、大阪の「土ノケン」が登場して笑わせますね。

2015年4月8日水曜日

作為の過ぎる ダウントン・アビ

 毎日曜夜の Downton Abbey について、前にも言及しました(2014年12月8日)。
http://kondohistorian.blogspot.com/2014/12/downton-abbey.html

 第一次世界大戦をはさむ変動の時代のヨークシャ貴族の館をセンチメンタルに描く period melodrama ということで、これまで見てきましたが、回を重ねるごとに、ちょっと盛りだくさん過ぎて、興がそがれます。登場人物が(制作側の理由で)都合よく死にすぎだし、また彼・彼女の気持は(視聴者の気を持たせるために?)フワフワと揺れすぎ。
 作者 Julian Fellowes は、時代考証もたっぷり、何十組の男女の交錯をしっかり描いたと自信をもっているらしいが、男女関係も、投資の破綻と相続信託の形成、所領経営も次から次に転回させているうちに coherence がなおざりになってしまう。
 この日曜には三女 Sybil が娘を産むとともに死にましたが、やがて長女 Mary の出産後に Matthew も事故死するそうです。二女 Edith はさらに男運のなさに翻弄されるらしい。悪役従者 Thomas の度重なる非行にもかかわらず、彼にたいしてグランサム伯夫妻が甘いのはよく分からない設定だし-いくら good, old days とはいえ-、せっかく出獄する Bates と Ana を襲うさらなる不幸の連続も、やりすぎです。

 結論として、かなり通俗的な視聴率ねらいのメロドラマで、「‥‥アイルランド、カトリック、ロイドジョージ内閣といった同時代史をまったく知らないシロートにも、衣装や有職故実が楽しめる」というねらいの21世紀的な「作り物」かな。Yorkshire accentをあまり強調すると、アメリカの視聴者にさえ英語が分からなくなってしまう、ということか、ローカルな労働者以外は、かなり標準語アクセントです。
そもそも NHKの放映でさえ、複数のエピソードが細切れに同時進行して楽しめないが、もともとイギリスのITVで放映されたときには、さらにコマーシャルが話の進行を分断していたわけだから、インテリには耐えがたい連ドラだったかもしれない。

2014年12月8日月曜日

Downton Abbey

 NHK地上波、日曜夜にいよいよ第二部が再開しました。
「日の名残り」的な、upstairs における貴族の世界と、downstairs における家僕の世界との交錯が、1912年のタイタニック後、いまは大戦中のヨークシャ州を舞台に描かれています。そこに加えて3姉妹の Jane Austen 風の「婚活」と、他の何組かの男女の組み合わせがよりあわされた作り話!

 20世紀初めの貴族と upper middle class との融合や、ロイド=ジョージ内閣のことが、時代のイシューとしてたいへん重要なはずですが、限嗣相続(継承的不動産処分)と貴族的 patronage の問題以外はほとんど出てこないまま。ステレオタイプな保守貴族(と家僕たち)versus 進取の気象でことに臨む中産階級、といった図式をうちだして、21世紀の大衆(直接には英・米の)の好奇心と視聴率をねらう歴史ドラマ。--と厳しい評価もありえます。「わざと」盛りだくさんでドラマチックにした展開も気になるけれど、学生・初学者には、時代の印象的前提として勧められる歴史ドラマですね。ただし、学生にはこの the Great War のさなかにイギリスは志願兵制度から徴兵制度に移行・転換したのだ、ということは分かっただろうか?

 個人的には、昨夜 Lancashire Fusiliers という古めかしい名の歩兵連隊が言及されて、マンチェスタ史としていささか懐かしい気がしました。

2013年3月2日土曜日

三宅ディレクター


NHK-BSの予告を見ていたら、昔の名前ばかりか、笑顔も出てきたので驚きました。
【こちらは、むかし1999年9月、オクスフォードからウェルズ大聖堂、グラストンベリに行った小旅行のときのスナップ。14年くらいでは人は変わらないということかな。】

東大西洋史からオクスフォード大学へ、そしてロンドンで活躍とは聞いていましたが。
学生のころ、第2志望として映画関係で仕事ができれば、ということを聞いていましたから、その道に進んでいるわけですね。

母上のご実家は福島県とは承知していましたが、311に海通りでご親戚がたいへんな被害とは‥‥
[BS1]   <以下引用 (c) NHK>
2013年3月8日(金) 午後11:00~午前0:40(100分)
 福島第一原発事故のニュースを海の向こうで知ったロンドン在住のディレクターの三宅響子が、福島県浪江町の親類たちの軌跡を1年半にわたって追った。国際共同制作
  
【後日加筆】 見たあとの感想ですが、三宅さん自身の(進行形の)認識の歩みと、邦子おばさん一家とのこれまでの歴史と現在が交錯するドキュメンタリ作品でした。
Fact とはそれ自身の歴史をもつ;語られたこと、語られかたに左右されるし;そもそも近世英語では feat (なされたこと、事績)である、という ジョン・ルーカス(ルカーチ)を想い起こしながら見ました。

2011年10月12日水曜日

Taylor & Trevor-Roper

 今夕のメトロでの会食、いろいろありましたが、最後の話題は
A J P Taylor (1906 - 90) と Hugh Trevor-Roper (1914 - 2003)のことになりました。
どちらも 神童、若くして後生畏るべしとされた秀才たちが、20世紀半ば以降のオクスフォード大学において、その才能をメディアや配偶者のために、活用したのかムダにしたのか、といったことです。そのことを ODNB がいかに上手に(学問的な裏づけのある、読んでおもしろい文として)書いているか、というのも副次的だが重要なポイントでした。

A J P Taylor については、こちら↓
http://www.oxforddnb.com/view/article/39823【マンチェスタ大学時代の経験、そしてネイミアの隠然たる影響もきちんと指摘してある。マンチェスタを辞して、オクスフォードの唯野フェロー。なぜこうした風貌の男が女性にもてたのか、ということも明記。】

Hugh Trevor-Roper については、こちら↓
http://www.oxforddnb.com/view/article/88756?docPos=1【オクスフォードの欽定講座教授、ケインブリッジのピータハウス学寮長、受爵。そしてヒトラー日記の(カネまみれの)スキャンダルで際だちますが、しかしアルツの奥さんをしっかり看取ったというので、最後にほっとする。とはいえ、彼自身の最晩年は孤独で不安に満ちたものだったようです。】

 ちなみに、第二次世界大戦起源論については〈修正主義者〉とされた AJPT ですが、ブリテン諸島史をとなえる修正主義青年ジョン・ポーコックから 1974-5年にイングランド中心主義と批判されて、「なにが悪い」と居直った。このことじたい、修正主義の〈無窮性〉みたいなものを示していて、おもしろいとぼくは思いますが、さすがこの論点までは ODNB は指摘していませんね。
 それから19世紀末のケインブリッジのホウィグ史家、同年生まれの二人というのは、Seeley (1895没)と Acton (1902没) のことでした。前者は福音伝道主義、後者はローマカトリック。どちらもリベラル進歩主義。当然ながら、カーの『歴史とは何か』の俎上にのぼせられています。