2023年1月29日日曜日
年末年始のこと:2
27日の帰途、すでに日没直後でした。運河にかかる橋は軽く太鼓橋になっていて、視線の先、南西の空には明るい三日月! 穏やかな気持で、あぁこのところ月を見上げるということもなかった、そもそも新月前後だったから‥‥、と想いがたゆたう時に、
いきなり後方からドヤしてきたのが、自転車に乗った中年男でした。「橋の真ん中でうろうろすんじゃない」。そしてぼくの顔を見て、さらに絡んできた!
そもそもぼくは(一休さんではないので、橋の真ん中ではなく)橋のアーチの頂点だが右端の、歩道の中ほどを歩いたり止まったりしていたわけだから、自転車の男のほうが遠慮しながら走行すべきなのですよ! でもこの類のアラフォーと口論しても何もいいことはないので、どう遣り過ごすかを第一に考えて対処し、結局、どつくのをやめた彼が次の信号で左折するところまで、しっかり目視しました(以後、再会しないように)。
このアラフォー君も、きっとなにか彼なりの問題と課題をかかえて、心に余裕がなかったのでしょう。夕焼け空や「冬の大三角」などを見上げて想いをただよわせると、すこし気分も変わるでしょうにね。
2023年1月28日土曜日
年末年始のこと:1
月刊『図書』の連載「『歴史とは何か』の人びと」* はアタフタしながらも、なんとか続けています。毎回、たっぷり勉強して(積ん読だけだった本もすみやかに読破して)新しい発見もあり、「楽しくて為になる」連載です。
* 9月:トリニティ学寮のE・H・カー → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074
10月:謎のアクトン。11月:ホウィグ史家トレヴェリアン。12月:アイデンティティを渇望したネイミア。1月:トインビーと国際問題研究所。2月:R・H・トーニと社会経済史。3月:フランス革命史とルフェーヴル。‥‥
ところが、旧臘19日に2月号(トーニと社会経済史)の原稿を仕上げ、ホッとしたとたんに、翌20日未明に事故発生。
トイレにゆこうとした妻が体の向きを変えようとして、尻もちをつきうめきました。段差も障害物もないのですが、布団がはみ出ていたかもしれません。痛がっていましたが、すごい転倒というわけでもなく(事が深刻とは想像もしなかった)、明るくなるまで待ってもらい、タクシーで、なじみのカイロプラティークに行きました。しかし、これは外科に診てもらわねばならないということで、救急車に頼りました。
【救急車はあまり待たずに来て車内に収容されましたが、時節柄、空いている病院を探し当てて車が動き始めるまで、3人の隊員が電話をしまくって、82分もかかりました! 病院まで、別に渋滞していたわけではないが、28分。計110分。医療逼迫の現実を身をもって認識しました。】結局、かなり遠い、初めての病院に到着。検査の結果、股関節の大腿骨頸部骨折でした。
70歳以上の(ときには還暦以後の)女性によくある大怪我ということで、そういえば、6月に△さん、前年に◇先生と、先例を指折り数えることができます! 「段差のない所で、何につまずいたということでなく、ふわっと転んだ。強い打撲というわけでもないのに骨折した」といった話を他人事として聞いたばかりでした。
医師には、骨折部分に金属ボルトを入れる手術が必要、術後のリハビリを含めて3週間の入院、と告げられました。
ただちに入院手続をとって、想い出したのは、2010年にケインブリッジで知り合ったX夫人からうかがった話です。- 彼女は交通事故で入院し、手術は成功しても半身不随になると予告されたので、それなら、と入院中に医師・看護師が見ていない時にできるだけ四肢を動かし(最初はベッド内で、後には起き出して)、この自発的運動によって、みごとに今のとおり完全恢復した、とおっしゃるのでした。このエピソードを想い出して、二人で話題にしました。
2020年5月4日月曜日
石川憲法学
(承前)さて、その『朝日新聞デジタル』のインタヴューで石川健治さんは、客観的緊急事態(ぼくの言葉で言い換えると constitutional emergency)と主観的緊急事態(dictatorial emergency)を対比して論じています。ただし彼は、ローマの dictator については何故か(朝日の編集が介入した?)触れていません。共和制ローマ、革命フランスから登場する「独裁」あるいは「ジャコバン主義」は、ただの歴史的なエピソードではなく、自由民主主義の非常事態における緊急避難的な措置の正当性/不当性という問題です。憲法学者も、歴史学者も真剣に考えなくてはならぬ、主権と民主主義、非常事態[革命的な情況]と執行権力、危機と学問といったイシューではないでしょうか。
【日本語では非常事態と緊急事態が区別されているようにも聞こえますが、英語ではどちらも (state of) emergency で、通常ではない=extraordinary な情況です。私権やふだんの生活習慣が制限されてもしかたない「非常な」事態です。ローマ共和制でも respublica の存亡の危機には dictator (独裁官/執権) を「6ヶ月に限って」任命しました。「危機」はありうる。コロナ禍の後始末もできないうちに大地震・大津波が襲来することだってありうる。そうしたときに、強力なリーダーシップを発揮できる民主的制度を構築することは重要だと思います。】
石川さんの書くものは
「八月革命・70年後」『「国家と法」の主要問題』(日本評論社、2018)をみても、また
尾高朝雄『国民主権と天皇制』(講談社学術文庫、2019)の巻末解説(長い評注)をみても、
知的迫力があって、ドキドキします。仮に「‥‥の証拠が出てきてくれると「丸山眞男創作説」を打破できて大いに面白かったのだが、残念ながら‥‥」といったサスペンスも込められた文章を書く人です。東大法学部の憲法学の教授なのに!
それが浮ついた文にならない一つの根拠として、東大駒場の尾高朝雄文庫;国立ソウル大学校中央図書館古文献資料室(!);立教大学宮沢俊義文庫;早稲田大学のシュッツ・アルヒーフ;京都大学のハチェック文庫といった学者の蔵書・アルヒーフの踏査研究(evidence!)がある。20世紀の前半、戦間期に蓄積された知的資産をきちんと受け継ぐという「学問の王道」の観点からも、石川さんの言動はしっかり注目しておきたい。
先の『朝日新聞』のインタヴューの場合は(記者の自粛のため?/理解をこえたため?)ちょっと知的迫力が足りないのは残念ですが。
おかげで、勉強することは次から次へ現れて、「自粛疲れ」なぞするヒマがありません!
2020年5月3日日曜日
朝日新聞デジタル
コロナ禍のなかで『朝日新聞デジタル』が良いことをしています。従来は内容の充実した記事に限って、最初のパラグラフだけ見せて、あとは「有料会員限定記事」として閉じていました。緊急事態宣言(4月7日)後は
「‥‥掲載している記事を原則[すべて]無料で公開する緊急対応を行いました。報道機関として、より多くの方々にいち早く正確な情報をお届けするために実施したものです。[その後、事態の長期化を見すえて]4月17日(金)16時より、新型コロナウイルス関連の情報をまとめた「新型コロナウイルス特集」ページを公開し、暮らしや健康を守るために必要な記事を無料で公開する対応に変更いたします。これに伴い、新型コロナウイルス関連以外の有料会員限定記事の無料会員への公開は終了いたします。」
というわけで、コロナウイルス関連記事に限って開放し、読み放題、ダウンロード放題です。
そのなかには、たとえば石川健治さんのインタヴュー記事「「緊急」の魔力、法を破ってきた歴史 憲法学者の警鐘」のようなものもありました。4月17日付。
https://digital.asahi.com/articles/ASN4K3CQ3N4BUPQJ00C.html?_requesturl=articles%2FASN4K3CQ3N4BUPQJ00C.html&pn=15
降って湧いたような全般的危機が、国民性(政治文化)をあぶり出す、というのは、わたしたちが日々、参加観察している現象です。でももっと重要なのは、全般的危機をどう克服するか/できるか、が国民のその後の運命を決める、ということです。さらにいえば、医学・衛生学・薬学・工学ばかりでなく、人文社会系の学問も、こうした全般的危機に用立てることのできる知見・学識があるはずで - 速水融さんの『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』(藤原書店、2006)はその顕著な例でした -、この機会に自分は「専門バカ」ではない、という証をたてたいですね。(つづく)
カイロプラクティク
この緑かおる時候(im wunderschönen Monat Mai . . .)に、人の心を消極的にさせるパンデミックです。対策は social distancing だ、などと言われては、鬱やアル中気味になる方もいるでしょう。
ぼくはといえば、4月前半から左肩・左腕が上がらず、おかしいなと思っていたのですが、もろもろで落ち着かない日夜に、そのまま過ごしていました。複数の原稿や公務に対応すべく、督促を受けながら泡を食っていたのです。
パソコンでは右手だけでも不自由ながら入力できますので!
それが4月13日にはゴマカシがきかなくなって、左肩・左腕・左手の先まで鋭く痛み、衣服の着脱もできなくなりました。「左手を軽く添える」という動作ができなくなると、紙に文字を書くこともできません。
2015年11月の頸椎症性 神経根症のときとほとんど同じ(左右が違うだけ)。
→ http://kondohistorian.blogspot.com/2015/11/blog-post_24.html
あのときの麻布十番の針灸はとても良かったのですが、今はなく、しかたなく地域の整形外科に行って、後悔しました。レントゲンを撮ったあとは、「頸椎板ヘルニア」の理学療法とかいうことで、よく分からない電気的な刺激をうけ、首を牽引したり、痛いのに両腕を20回上下するとか、‥‥しかも周りに何人も同じような患者が同じようなことをしている!
隣の薬局経由で、帰途、歩きつづけるのさえ困難を感じつつ、もう行きたくないと思いました。
万事に意欲を失ってしまいそうなまま、痛み止めの効果で仮眠したあと、必死でウェブ検索しました。キーワードは、頸椎板、神経根症、鍼灸など。
ヒットしたうち、港カイロプラクティク(http://holistic.blue/)の説明が簡単明瞭で、院長の動画は無骨なくらい。好感をもちましたが、やや遠い。電車を乗り換えていく元気はないので、キーワードをカイロプラクティクに替えて検索すると、近隣にいくつもあるではないですか。そのうち歩いて行ける所に、深夜にインターネット予約して、明朝、返事があり、そのまま行って施術してもらいました。初回は1時間あまり時間をかけて話を聞きながら、全身に「手のわざ」(chiro-practic)を施してもらい、効果を実感しました。その後、4回施術。
お蔭さまで、今は正常心を取り戻しております。
2020年4月19日日曜日
対数グラフの不吉な動き
前から言っていますように、大きく動く数値について、少しでも長期の傾向、瞬間的な方向(あたかも放物線に現れるような変化のヴェクトル)を見通しながら比較するには、なんといっても対数グラフです。
日本の新聞でもテレビでもグラフとして示されるのはナイーヴな(小学生向け)グラフで、右端がぐっと急上昇して、「みんなで破局に向かう」みたいな印象主義です。
そうしたなかで『日経』はこれまで米ジョンズホプキンズ大学の成果を紹介するときだけ、対数グラフをそのまま見せていました。そんなに難しいことではなく、高校2年の数学、および遅塚忠躬先生の経済史の授業を受けた人なら馴染みがあるはず。
ほぼ日々更新されていますが、みなさんもどうぞ。
4月18日(日本時間)時点のチャートから一つだけ引用します。感染者数についてはテストの少ない日本の数値は少なめに現れているかもしれませんので、ここでは広汎なテストがあってもなくても fact として現れる感染死者数のグラフを見ます。「累計死者数の増加ペース」という対数グラフで、一般に新聞テレビで見なれたものとちがう印象を与えるのではないでしょうか。
死者数が全国で10名をこえてから何日たつと、どのように増加しているか。示されているのは主要国だけで、右側のめもりが 10, 100, 1000, 10000と上がっているように、各グラフ線の傾きと増加のペースが一致します。薄く「2日で倍増」「3日で倍増」「1週間で倍増」と補助線が添えられています。紫のスペインや緑のイタリア、青いアメリカのような死者が万をこえて動くスケールと、下方の死者が何百のレベルで動く日本や韓国のスケールとは絶対数で比べれば、それこそ桁違いです。
でも、対数グラフは桁が違っても増減の動向(倍々ゲームの動き)を比較できるのが利点。スペインやイタリアのように死者が万をこえている国でも、じつは最近その伸びが鈍化していること;中国および韓国は増加ペースが水平に近づいて、それぞれ押さえ込みの効果を上げつつあることがクリアにわかります。
警戒すべきはアメリカ合衆国と日本です。アメリカの青い線は最近「3日で倍増」の補助線から離れて死者増が鈍化しているかもしれないが、しかしスペイン、イタリアとは違って、水平に向かうのではなく、上方へ首をもたげています。つまりトランプ大統領のハッタリとは異なる動きを示しています。
日本のオレンジ線はまだ「1週間で倍増」の補助線より下にあります。でも、空色の韓国とは違って、その線は水平に向かうのではなく上方へ首をもたげ、まもなく韓国の死者数を抜くことはほとんど明らかです。
この対数グラフの出典は → https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-chart-list/ 他にもたくさん図示されています。
2020年4月16日木曜日
危機を教訓とする
危機(歴史的な岐路)は、それを生き延び、教訓をえることによって、意味が生じる、と前回に書きました。14世紀のペスト(黒死病)も、17世紀の全般的危機も、1929年の世界恐慌も、そうだったと思われます。
14世紀のペストは → 疫病者の船を一定期間隔離・遮断(Quarantine「40日」)する制度を;
17世紀の危機は → 南欧とオスマン帝国の衰弱;蘭・仏・英の競合とやがて財政軍事国家の覇権を;
1929年の恐慌は → ケインズ経済学、ニューディール、そしてソ連の覇権を;招来しました。
これらに比して1918-20年のインフルエンザは、十分には教訓化されなかったようです。
【そもそも、ぼくたちの習った学校世界史には出てこなかった! 例の『論点・西洋史学』ではいかに、と見直すと、さすが安村さんが「コロンブス交換」の項目でクロスビ、ダイヤモンド、マクニールの仕事に触れながら論じていますが、それ以外は弱いかな?】ヴェーバーが犠牲になったのは1918-19年のFlu第一波でなく、いったんは収束したかと思われた1920年、Flu第二波なのでした。気をつけましょう。
トッドが「‥‥歴史的に、誤ちが想像されるときには必ず誤ちを犯してきました。私は、人類の真の力は、誤ちを犯さない判断力よりも、誤っても生き延びる生命力なのだと考えています。」と言っていたのをもう一度想い起こしましょう。
→ http://kondohistorian.blogspot.com/2019/12/e.html
とにかく生き延びる生命力。これなくして教訓も意味も、なにもない。
2020年4月13日月曜日
道傳アナ
NHKの女子アナウンサのなかで一番知的で魅力的なかた。88年入社でまもなく(地方局周りをすることなく)夜のスポーツニュースキャスターを担当するという超エリートコース。たしかコロンビア大学院かどこかで国際政治学の修士号(1年ではなく2年の)をもっておられる。ある時点からBSに移って、落ち着いて、分析的なニュースを伝えたいと言っておられた(と新聞で読んだ)。
11日に ETV特集でブレマー、ハラリ、アタリの三人と今月上旬にインタヴューをしたものが編集のうえ放送されました。ぼくは録画で今日ようやく見たのですが、現在進行中のパンデミックについて疫学的に意味ある発言は別の番組に任せて、それぞれ国際政治、人類史、国際経済の専門家として見通せる、この危機の意味を道傳さんが上手に引き出していました。【放送前の予告では「緊急対談」とのことだったので、インタネット中継で4局をつなぎ、ありきたりの主張が繰りかえされる薄味の番組かと懸念しましたが、そんなことはない、三者が別の日に、道傳さんも十分に準備してやったインタヴューなので、内容がありました。】
ブレマーが賢明にほぼ予想できることを言って、ハラリが(イスラエル政府を批判しつつ)データ監視と民主主義の共存を、アタリが Think and live positive! と基本姿勢を訴えたのが良かった。NHK のサイトをよく探すと、16日(木)0:00(つまり深夜未明)にETVで再放送するようです。一見の価値あり。
→ https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2020-04-15&ch=31&eid=12588&f=20
危機は、これまでの人類史でそうだったように、それをたくましく生き延び、教訓をえることによって、意味が生じる。
2020年3月26日木曜日
対数めもり
大きな変化の意味を考える、長期の傾向を比較する、さらに今後を予測するには、中学校や新聞で見なれた普通のグラフではなく、(半)対数めもりのグラフを使わなくちゃダメ、とは遅塚忠躬先生が口を酸っぱくしながら強調なさっていたことです。今回のようなパンデミックではまさしくそのとおりです。
感染者が何千人に達した、日に何十人増えた、といった実数は、疫学的にあまり意味はない。むしろ一定期間に感染者が何倍に増えたか、死者が何倍になったかという相対的な動向が問題なので、そのためにこそぼくたちは高2で対数を習ったのですよね。
さすが Johns Hopkins University の公開しているグラフはこのとおり、イタリア・スペイン・フランス・合衆国の増加傾向(勢い)の比較と警告に有効です。
『イギリス史10講』pp.150-151で、人口動態や小麦価格のグラフを見ていただいたときも対数めもりだからこそ見える傾向を議論しました。もしそうでなければ、グラフの右端で断崖のような(蛇が鎌首をもたげているような)棒線が林立して、すごい急上昇してますね、といった印象主義より以上のことは語れない。変動を分析するには、対数めもりでないと幻惑(眩惑)されるのです。
環境問題・気候変動についても。じつはこのようなグラフの右端の hook(最近年の気温/炭酸ガスの急上昇)をどう解釈するかという問題があるようです。対数めもりで冷静に議論すべき論点です。
2020年3月22日日曜日
テレワークって
変な造語です。Work at home とか remote work とかなら、アリだと思いますが。
Covid-19 は、驚くべき急展開ですね。ダイアモンドプリンセス号が2月3日夜に横浜港に停泊した時点では、これほど世界中に急速に広まる pandemic の兆しとは予想されなかったし、なにより「不安だからといってむやみに病院に行き、検査を要求するのは無意味というより有害だ」という疫学専門家の意見が、まだ責任逃れのように聞こえたものです。
個々人の不安・恐怖の観点で考えるか、感染症の流行に社会的に対処する実践的な観点との違いがよく分かりました。前にも言及した、東北大学・押谷 仁教授が一般向けのインタヴューに答えた、よくわかる解説があります。
→ https://news.yahoo.co.jp/feature/1582
英国政府の公衆向け簡便版は、こちらです↓
https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/874281/COVID-19_easy_read.pdf
要するに、換気の悪い屋内に密集し、ハグしたりキスしたり、カンガクの議論をしたあげく、二次会は立食でおいしいものを飲み食いして、口角アワを飛ばして談論風発、といったことをしない、という理解でよいのでしょうか。じつは今月20日~22日の二泊三日で合宿研究会の予定でしたが、3週間前に慌てて(しかしメール討議の合理的な結論として)延期となりました。JSPS側も理性的に研究費の繰り越しを認めてくれたようです。そのときは、6月なら大丈夫、という見込みだったのですが、本当のパンデミックになってしまって、それさえ危ういのかもしれません。
この年度替わりに在外研究から帰国する人、逆に4月から出かけるべく(何年も前から)楽しみに予定していた人、本当に災難ですね。2010年4月にはアイスランドの火山噴火で、北極圏経由で英国に向かう飛行機がキャンセルされ、孤独な疎外感を味わいました。 → http://kondohistorian.blogspot.com/2010/04/heathrow.html
→ http://kondohistorian.blogspot.com/2010/04/still-stranded.html
そのときとは違って、今回はグローバルな事案なので、個々人の難儀というより、文明的な問題を共有する、といった情況でしょうか。
イギリスの大学では、オクスフォードの友人からのメールによると、こうです。
They are all learning how to do online teaching. One of my friends has his first online classes, five hours of teaching, today. Things have been very frantic for them. [They/them とは大学の教員たち]
でも、退職したご本人には、
It is unusually quiet, because everything is closed or cancelled. Still, there is plenty I can do, and spring is coming, so it will become more pleasant to be out in the garden(!)
ぼくの場合は花粉症もあるし、庭いじりするほどの土はないので、春を楽しむという気分ではありません。ただ、共同住宅の中庭のソメイヨシノがほぼ満開で、夜は、こんなぐあい。
ちょっと、ほっとします。
2020年3月2日月曜日
「東アジアとイタリア」から来る人
新型コロナ感染症をどう制御するか/できるか、という観点から、よくわかる説明をしてくれているのが、大阪大学の専門家お二人で、もしまだなら是非、お読みください。自分が感染するかどうかより、もっと大きな目で警戒すべきことがある。ということはパンデミックにさえならなければ、身の回りに1人や2人の患者が出てもパニクる必要はない、冷静に構えるべし、ということでもありますね。
→ https://gooday.nikkei.co.jp/atcl/report/14/091100031/022600659/
当方もいろいろ情報を集めたり、研究会予定について考えたりしているうちに、ケインブリッジのクレアホール学寮から、こんなメールが到来しました。
The rapid spread of coronavirus into Europe as well as East Asia raises questions about policy on offering apartments and guestrooms to Visiting Fellows or Life Members who come from infected areas. We will for the time being, not offer accommodation to Visiting Fellows or Life Members who come from high risk areas (as defined by Public Health England, Categories 1 and 2[1]).
(つまりぼくたち日本から来訪するメンバーは中韓伊からの方たちと同じで、学寮宿泊を当面は謝絶いたします、という通知です。)
(ちょっと微妙なこの方針について若干の正当性(理屈)は必要と考えるんでしょう。このように言います。↓)
In part this is to protect the college from a possible source of infection, but equally it is to protect the visitor from the problems which they would face in the event that they had to be quarantined within college.
We have therefore instituted a practice of asking those who wish to book guestrooms whether they are travelling from an infected area, and if they are, to refuse the booking with apologies.
で、その英国政府の定めたカテゴリー1と2なるぺージを見ますと、↓こんな具合。
https://www.gov.uk/government/publications/covid-19-specified-countries-and-areas/covid-19-specified-countries-and-areas-with-implications-for-returning-travellers-or-visitors-arriving-in-the-uk
2020年2月22日土曜日
水際作戦からパンデミックへ
いま中国、日本だけでなく、韓国、その他においても「市中感染」の段階に進んでしまった新型コロナウィルス(WHO の正式名称は COVID-19)ですが、これについてぼくは疫学もその歴史も知りませんから、特別なことは指摘できない。また不安やパニックを煽ったりしたくありません【当面、12日から個人的には花粉症で苦しみ始めました!】。ただ二つほどのことは言えます。
¶1.NHKテレビにもしばしば登場される賀来 満夫 教授(東北医科薬科大)がすでに2月前半には指摘なさっていたとおり、政府も医療チームもできること分かっていることはやっている、ただしこれは SARS や MERS と違って「はじめに劇症が出ない感染症だから、やっかいだ」ということです。つまり COVID-19のキャリアでありながら(とくに若くて元気な人は)ほとんど軽症で、肺炎の症状は出ない。だから普通の生活を送りながらウィルスを拡散しているかもしれない。糖尿病や循環器に疾患をもつ人、そして高齢者が罹患すると重症化してニュースになるが、その周囲にもっと多くの(軽症の)感染者がウィルスを拡げてゆく可能性を警戒すべきだ、とおっしゃっていました。事態はそのとおりに展開しています。【3月6日加筆:同じく東北大学の押谷 仁 教授が、大学のぺージでよく分かるように説明してくださっています。 → https://www.med.tohoku.ac.jp/feature/pages/topics_217.html】
WHO はもう少し早めに、この病気の世界的な拡がりの脅威を警告すべきでした。そうすることによって、各国政府に早めで真剣な取組をうながすことになったでしょう。
¶2.もう一つの問題は、横浜港に停泊している Diamond Princess 号の国際法的な位置と船長の指揮権です。(日本政府は、船内の感染者数を日本国内の症例とは別にカウントしています!)
・外国籍の船が、感染症とともに、3700人もの多国籍・多言語の人々を乗せて寄港してしまった場合(しかも、入国手続は全員未履行)に、どうすべきかというノウハウはなかった。だから日本政府は毅然たる/明快な方針を立てなかったということでしょうか。官僚主義的で、どこか真剣さが足りないような気がしました。
・それにしても、船のなかのとりわけ緊急の問題は、船長(とそのスタッフ)に権限・リーダーシップがあるはずですが、今回の事態からはそれがさっぱり見えてこない。乗客にたいするコミュニケーション、乗員従業員にたいする指示・指導‥‥大きな問題を残しました。
グロティウスから大沼保昭、金澤周作にいたる賢者も即答できない、歴史的で急を要する事態が発生したわけです。そうした認識が1月の時点では(だれにも?)不足していた。
「水際作戦」とか quarantine (昔は40日!今は14日)といった、近世・近代的な対策では、スペイン風邪(WWI 直後のインフルエンザ pandemic)以後の現代的感染症 - しかも、はじめは劇症でなくソフトに始まる新型感染症 - には対処できない。これに英語発信の立ち後れという「日本的」問題も加わって(Ghosn 事案の場合と同じ)、この2020年は疫病史だけでなく、世界史に刻みこまれる年になりそうです。
‥‥これによって、付随的に、2020年真夏のオリンピック強行という愚行が、なんとか延期・修正されるかな?
2018年11月24日土曜日
大久保の街路樹は まだ青々
23日(金)午後、大久保(北新宿3丁目)の柏木教会、大庭健さんの告別式に参りました。
キリスト教(プロテスタント)の式と、告別の辞のアカデミックな弁論が、微妙な関係だなと思うのは、ぼくが無信仰(「祭天の古俗」派)だから? おぼろげな記憶ですが、まだ駒場時代のある夕刻のこと、ウェーバー『古代ユダヤ教』を読み合わせていた会で、霊や信仰をめぐって「不条理なるがゆえにわれ信ず」という立場をもちだした(年長の)あるキリスト者にたいして、大庭さんは慎重に言葉を選びながら「ぼくたちは啓蒙より後の合理主義的信仰だから‥‥」と語ったのが想い起こされます。 最期の日には、聖書の一節を読み、賛美歌を歌って、夜静かに死を迎えられたということです。
おそらくは60代半ばの遺影がすばらしくて(ぼくの知っている大庭さんです)、悲しさより嬉しさが募りました。
ご本を26冊も出版なさったと今日うかがいましたが、最後の書は執筆8割ほどで筆を折るしかなかったとのこと。無念だったでしょう。
階下の懇親会では『私はどうして私なのか』『善と悪』を担当したという岩波書店の編集者とお話ししました。遅筆のぼくとしてはなおさらに、お約束の『映画と現代イギリス』も含めて、せめてあと4冊を書き終わらないまま時間切れ、アウト、というのは、耐えがたい。きっと見苦しい臨終となってしまうでしょう。
若者とエスニシティの溢れる大久保駅界隈ですが、柏木教会の中は静か、脇の街路樹は11月下旬というのに青々していて、生命力をうかがわせます。初冬のおだやかな午後、そのまま帰路に就く気持になれず、百人町の住宅地からグローブ座、高層マンション群、西戸山公園から高田馬場まで、ゆったりと歩いてみました。
2018年10月23日火曜日
大庭 健さん、1946-2018
そもそもの始めは、1967年、駒場2年生の春から折原先生のウェーバーゼミでした。1年生の「社会学」(数百人の大教室が一杯になる講義)でマルクス、ウェーバー、デュルケームの手ほどきを受けたあと、2年の4月には秀才たちの多い折原ゼミに編入してもらって(授業科目としてはなんという題だったのか)、とにかくウェーバー『経済と社会』のなかの「宗教社会学」を英訳で読みつつ、あらゆることを討論する集いでした。68年、3年生の夏まで、ぼくの毎週の生活の頂点でした。大庭さんは1学年上ですが留年中で、ウェーバーの読み方から、詳細な報告レジュメの切り方(ガリ版です!)、討論の仕方にいたるまで、手本として教えられました。関連して、当然ながら『宗教社会学論集』も読む必要がありましたし、なにを隠そう、「大塚久雄という Weber学者は、昔は西洋経済史なんてことを研究していたらしい」といった知識もここで得たのです。
今のぼくは西洋史の研究者ということになっていますが、英語やドイツ語の読みかた、学問の基礎・本質のようなものは、この駒場における折原ゼミと大庭さんによって学び鍛えられたのです。1968年夏にはウェーバーの『古代ユダヤ教』を野尻湖や駒場の杉山好先生の部屋で一緒に読んだりしました。内田芳明というドイツ語に問題のある方のみすず書房訳が出ましたが、これの不適訳、理解不足などを指摘して喜ぶ、といった倒錯した喜びも覚えました。トレルチの内田訳『ルネサンスと宗教改革』(岩波文庫)はすでに出ていたかな。こちらのプロテスタント史観は60年代の日本の進歩主義的学問には適合していたかもしれません。ウェーバーがそれよりはスケールの大きな問題意識をもった人だということくらい、すぐに分かりました。
大庭さんはいろいろ考えたうえで本郷の倫理学に進学なさいましたが、西洋史の大学院で成瀬先生がハーバマスを読むと聞くと、これに出席して、しかし「西洋史のゼミって静かだね」という言葉とともに出てこなくなった! その後も広く人倫・社会哲学にかかわる積極的な発言を続けておられました。最後に直接にお話したのは、2007年、図書館長としてのご多忙中、専修大学で「人文学の現在」といった企画を考えておられ、お手伝いをしました。その折には連絡メールのやりとりのなかで、「相変わらずのスモーカーなので、たいした風邪でもないのですが、長引きます」といった発言があり、気になりました。その後も毎年、写真入りのお年賀状を頂いていましたが、今年はその写真がなく「リタイア生活は病院ではじまりました」という一句に心配しておりました。
たくさんの本を出版して、倫理学会会長もつとめ、ぼくが存じ上げているだけでも「大庭兄」に私淑しているという方はいろいろな方面で何人もいらっしゃいます。やり残したお仕事、心残りもあったでしょう。しかし、知的な影響力という点では実り豊かな人生だったのではないでしょうか。別の分野に進みましたが、ぼくもそうした「弟分」の一人なのです。
11月23日に葬儀告別式とのことで、これに馳せ参じます。
2018年5月13日日曜日
承前:古稀の認識
昨日、中学の同期会で心に刻み込まれた第2の点は、70歳の元生徒たちの生活に根づく認識です。
親の介護といった件はあまりに多くの人の共通経験で、とくにどうということもないほど。
それが配偶者のこととなったとたんに、とくに男子ですが、生活と世界観の大きな転変に至ることもある。‥‥ それでも前を向いてポジティヴに生きるヤツが何人もいたのだと遅まきながら知って、これは想定外のたいへんな収穫でした。
ひとは一人で生きているわけではない/一人だけで生きようとしてはならない、だれの支援でもありがたい(すなおに受けとめよう)、といった真理に心いたるのも、老境に入ってこそです。
千葉駅で別れ際にいただいた、ちょっとした一言で目頭が熱くなったりしました。
2017年4月30日日曜日
わすれな草 Vergiss mein nicht
昨日の NHK アサイチで紹介された「わすれな草 Vergiss mein nicht」(ドイツ映画、2012年)へ。渋谷・円山町のユーロスペースにて。
インターネット情報からも、静かに進行するドキュメンタリー映画ということは想像され、そのとおりでした。しかし、個人的には身につまされて、涙また涙。予想外ですが、なんと映画で主演した当事者 Malte Sieveking(監督 David の父)が会場の挨拶に現れました。68-9年の「新左翼」とその後のこと、大学教員としての定年退職、男と女、親と子・孫といったシチュエーション。トークの場面ではぼくは発言できず、終了後の廊下で彼の両手をとって、感動の度合いを伝えました。
そうしたカタルシスの直後に、喧噪の渋谷(ボードレールの「雑踏で湯浴みする‥‥」)を歩くのは気恥ずかしい。
今日の妻は理性的で、明るい渋谷の街頭で、「展開が予想できて意外なドラマがない。若者は惹きつけられないかも」と申します。そう、中高年向けの静かな感動映画かな。ぼくのすぐ前の席の男性も感極まっていました。ドイツと、そしてスイスの美しい景色もすばらしい。
2016年12月5日月曜日
帯状疱疹とゴルバチョフ
史学会大会の前の木・金あたりから頭皮(→ 顔の皮膚)の神経痛があり、その痛みが眼孔の奥にも及んだので、11月12日(土)に普段からお世話になっている眼科に行ってみたところ、帯状疱疹(herpes)が出るかもしれない、と予告されました。それまで、帯状疱疹とは想像もしていなかったので、「道」がみえて、なぜか一安心。
13日(日)から額に疱疹が出始めました。痛みも増します。しかし、これがだんだん増えて眼に近づいたので、不安になり、火曜朝に順天堂病院に予約なしながら(皮膚科は急患を受け付けるというので)、これから行きたいと電話したら、なんと即日緊急入院という危ないケースもあり、と受け付けてくれた!
「万一の場合」にはこれがないと困る、という林・柴田両先生以来の教訓で「歯ブラシ」と、それから(さすがPCはなしで)原稿と材料を持って、順天堂病院に参りました(家族は所要で出かけているので、ぼく一人で)。電車のなかでも気付いた人はそっと距離を保つ、見るも無惨な形相です。
ところが、皮膚科では血液検査と診察で、典型的な「三叉神経の帯状疱疹」ということで(こわい Ramsay Hunt症候群ではない)、適切な措置をしていただき、なんだか拍子抜けで、そのまま帰宅して、言われたとおりの経過をたどっています。18~20日くらいが峠だったでしょうか。
早めに治療(抗ウイルス錠+鎮痛錠+胃保護+軟膏)を開始したことが良かった、と言われています。顔や頭髪も積極的に洗って清潔にするように、とのことで心理的に楽になりました。孫と接触しても大丈夫、とも。
見苦しいので、額に大きなガーゼを当てて授業をしたこともあります。電車内は帽子を被ることにしています。ゴルバチョフの額もどきの瘡蓋がいったんとれて、今は赤褐色のケロイド状でまだらな傷跡です。11月26日の書評会でも、12月3日の研究会でも、顔を合わせた方々を驚かせました。この次は火曜に同じ病院内の皮膚科とペインクリニックに行って、経過を見ます。頭髪が伸びてしまって、鬱陶しいのですが、散髪に行くのはその後ですね。
【ゴルバチョフ大統領(左)といっても、今の学生たちは知らない!これにもビックリ。】
2016年8月28日日曜日
成瀬 治 先生(1928-2016)
日曜未明のメールで第一報を知りましたが、別のソースから確認をとるのにすこし時間がかかりました。
「Landständische Verfassung考(上・中)」(『北海道大学文学部紀要』)、『岩波講座 世界歴史』14巻、17巻(1969-70)、そして吉岡・成瀬(編)『近代国家形成の諸問題』(木鐸社、1979)などなどで研究史を画した成瀬先生、翻訳もたくさんありますが、闘病中のところ、26日に亡くなったとのことです。88歳。
7月末に『礫岩のようなヨーロッパ』をお送りしたら、奥様からお変わりなく過ごしておられるというお葉書をいただきましたし、2週間前のケインブリッジでは、成瀬 → 二宮 → われわれ、といった(ねじれた?)系譜をヨーロッパの学者たちと議論していましたから、. . . 残念、としか言葉がありません。
ぼくにとっては(先生にとっても!)本郷西洋史最初の演習は Rosenberg, Bureaucracy, aristocracy and autocracy: the Prussian experience 1660–1815; 続いて講義はフランス・アンシァンレジームにおける impôt (アンポ税制)史で -「アンポ、反対。闘争、貫徹。」の時代だったので - 法文一号館の教室に冷たい空気が流れていたような気がしました。大学院に入ったら演習は Habermas, Strukturwandel で、こういった点にも、時代の表面に流されることなく、見るべき所をしっかり見ている方だったことが現れています。ただし、68-70年の東大内の政治力学に翻弄された面もあったでしょうか。すこし才能をもてあまし気味のところも。
学問的な評価という点では、『礫岩のようなヨーロッパ』序章(pp.3-24)をご覧ください。
ご冥福をお祈りしております。
2016年4月5日火曜日
安丸良夫さん(1934-2016)
一昨年の喜安朗さんをかこむ『転成する歴史家たちの軌跡』(せりか書房)をめぐる研究会@東洋大でも、呼吸器の手術にもかかわらず積極的に発言なさり、後に続く者を激励する風がありました。今回は交通事故に遭われ、治療の甲斐なく、とのことです。喪失感はこの上ありません。
安丸さんとのお付き合いは長く、東大の助手のとき(1975)、西洋史の学生たちと読書会を続けていましたが、出たばかりの『日本の近代化と民衆思想』(青木書店、1974)を読んで感銘して、もしや著者に来てもらってお話を聞けるだろうか、となりました。面識も何もないのに、ぼくが一橋大学御中 安丸良夫先生あてで伺いの手紙を書いてみたら、簡単に快諾のご返事が来て、うれしかった。
本郷の西洋史の奥の(今では談話室と呼んでいる)部屋でインタヴュー的な討論の会が実現しました(お礼は無しでした!)。その折の学部生は小林・皆川・石橋・西浜といった連中で、その後みんな高校教師になりました。その読書会は続いて、なんと Richard Cobb, The Police and the People に読み進んだのです!
77年には岩波書店で開かれた「社会史の会」でご一緒しました。そこでぼくが調子こいて、すべて独創的な歴史家の血液型はBであるか、Bの因子が入っている。それが証拠に柴田三千雄、阿部謹也、二宮宏之、石井進、安丸良夫、‥‥がB型で(近藤も末席を汚していて)、ほかに ダレソレ がAB型だ、などと述べて、A型の遅塚忠躬さんから戯れが過ぎると叱られました【その後、遅塚さんは Annales 誌の血液型論文のコピーを送ってくださり、しっかり研究史をふまえて議論するよう、ご注意をいただきました!】。
その前後に早稲田の文学部で開かれた歴研の部会(?)は日本史主体でしたが、なぜかぼくも呼ばれて「安丸の西洋史版」みたいな扱いを受けているのが嬉しかった(まだ20代の最後で、名古屋まで通勤しました)。
『民のモラル』(1993)が出た直後に外語大で催された合評会みたいな尋問の会みたいな所にも、安丸さんは山之内さんや二宮さんとご一緒に出席なさっていました。だものですから、『イギリス史10講』(2013)をお贈りした後、日をおかずにいただいたお手紙を読んで、嬉しいと同時にすこし考えこみました。
「‥‥高度に洗練された知的な叙述に、細部へのこだわりと大きな展望が結びついて、すっかり感心してしまいました。短い表現にも多くの省察がふまえられていて、御苦心のあとを偲ぶことができたように思います。
‥‥近藤さん御自身としては『民のモラル』あたりまでに比べて大変身のようにも思われ、そのことの意味はぼくたちへの大きな問いかけなのでしょう。9.11、3.11などのあとで、歴史研究の新しい方向を模索しようとするとき、玉著の意義を反芻することができるかと思いました。‥‥」
こういった感想はぼくの学生時代を知らない方々には少なくないのかもしれません。駒場における学問の最初はマルクスとヴェーバー(世良晃志郎訳)でしたから、本郷に進学して、堀米先生や成瀬先生の国制史・国家構造史はすんなりと頭に入りました。民衆史はむしろその後、柴田先生の影響で、ジャコバン権力と相対するサンキュロットという位置づけで加わった新展開です。70年代には世界的な研究史展開と同期して、そちら(民衆の生活・文化・運動)のほうが exciting で面白くなりました。安丸さんのお仕事のうち、百姓の世界、出口なおの宇宙についても具体的にぼくの視界を広げていただき、感謝していますが、むしろその後の『近代天皇像の形成』や〈日本近代思想大系〉などのほうが「これからの方向」を示しているような気がしてインパクトがありました。
まだまだこれからこちらの書き物をご覧に入れて、お話もできると期していましたのに、残念ですし、無念です。
ご冥福を祈ります。
2015年11月26日木曜日
近代フランス農村世界の政治文化
工藤光一さんの遺著『近代フランス農村世界の政治文化:噂・蜂起・祝祭』(岩波書店)が出版されました。秋の実りの収穫がつづくと言いたいところですが、こちらは悲しい、最後の収穫です。彼が亡くなったのは今年の1月10日でした。 → http://kondohistorian.blogspot.jp/2015/02/blog-post.html
闘病生活がつづくなかで、校務や『二宮宏之著作集』の編集なども大変だったでしょう。努力と心配りの人でした。公刊のために推敲を重ね準備されていた原稿が、夫人の機転と友人たちの迅速な協力で世に出て、読めるようになったのは不幸中の幸いでした。
第Ⅰ部 噂と政治的想像界 【方法論と王制復古期】
第Ⅱ部 蜂起と農村民衆の「政治」【1851年に絞った考察】
第Ⅲ部 祝祭と「国民化」 【第二帝制と共和制期】
の三部構成で7つの章にわたって、19世紀フランスの地方社会における政治文化を解析します。開巻してプロローグの最初(p.1)に近藤の「政治文化」が引用されているのには驚きますが、本書のタイトル、キーワードでもあり、また政治を問い直すことが本書のテーマなのだから、順当かもしれない。本文および巻末注の議論は理論的・分析的に展開し、230+巻末31ページの充実した、気魄を感じさせる書物です。
解説を小田中さん、あとがきを高澤さん・林田さんが執筆して、出版にいたる事情を明らかにしておられます。亡くなった方の仕事への論及は、どうしても悲しい。
岩波書店の〈世界歴史選書〉ですが、なんと既刊の森本芳樹、佐藤次高、木村和男、工藤光一、すでに4名の方々が早々と逝去されました。
2012年3月にぼくが東大を定年退職した折には、工藤さんも元気な姿で参加してくれ、愉快にやりとりしました。その折の雰囲気を伝えるスナップ写真があります(左端)。
いよいよ本格的な冬に近づきます。どうか、健やかにお過ごしください。