2019年1月31日木曜日

パーマ『民主革命の時代』旧版・新版いずれも


〈承前〉 というわけで、新版(2014)に不都合や瑕疵はあるとはいえ、しかし、ヤル気のある学生たちに手に入りやすい形と値段で、この20世紀の古典が再版されたのは、悪いことではない。
 礫岩のような国家とか、躍動する国制史とか、言ってきた者にとっての価値は無限です。このパーマの書物には conglomerate state とか composite monarchy といった用語こそないけれど、なんと
「ウィーンのハプスブルク君主政とは、一種の巨大持ち株会社のようなもの(a kind of vast holding company)で、その下であまたの従属的な社団の構造が生命を維持していた」(旧版 I: 103; 2014版では p.78)
といった文が次から次に出てきます。いったいアンシァン・レジームの絶対主義とか社団的編成とか唱えていた論者は、これを見過ごしていたのでしょうか? それとも、そもそも NATO 史観のアメリカ人の本など相手にしない、という姿勢だったのでしょうか? こういった「方法的ナショナリズム」こそ、パーマが反対したものでした。「比較国制史の試み」(p.3)なのだけれど、各国史を束ねて終わりではなく、
 The book attempts to deal with Western Civilization as a whole, at a critical moment in its history(p.6)
と宣言します。さらに第2巻の序では
 I have tried to avoid a country-to-country treatment, and to set forth . . . on the wider stage of Western Civilization (2014版では p.376)
と念を入れています。
 ヨーロッパおよびアメリカの monarchy and republicanism, aristocracy and an emerging democracy が本書のテーマだと言うんですから、「主権概念の批判的再構築」のグループにも、「向こう岸のジャコバン」のグループにも、およそ歴史学的に政治社会と取り組もうという方々には例外なく必読文献(再読文献)ではないでしょうか。国制史は躍動するとか、well-ordered state とか、ホッブズ的秩序問題とか語っていた人、そして18世紀「啓蒙」に取り組んできた識者にむかっては、あらためて言うも愚か、かな。

2019年1月30日水曜日

R. R. パーマ『民主革命の時代』第2版(2014)


〈承前〉 というわけで、今回、書き込みの一杯ある手元の Princeton U.P., 1959-64 のぺーパーバック2巻本と対照しつつ、アーミテジのお弟子さんであるWくんの進言にすなおに従い、Princeton Classics edition, 2014 の1巻本を購入して再読することにしました。旧2巻本には40年以上も自分のカバーをかけて大事に扱ってはきましたが、汗とほこりと経年変化で、いささか脆くなっています。新1巻本はソフトカバーだけれど材質(acid-free paper)に工夫があり、丈夫で触感も悪くない。
 R. R. Palmer (1909-2002) ご本人は亡くなって久しいので、この第2版の出版全体について学識ある責任者はだれだったのでしょう。アーミテジは「前言」を執筆して彼の仕事を歴史のなかに位置づけていますし、また息子 Stanley Palmer もテキサス大学の歴史学教授だとのことですが、はたして、内実的な編集を supervise したのはだれか、ということは明確ではありません。扉のうら、(c) 2014 の奥付ぺージに This book includes the complete text of the work originally published in two volumes .... と記されていますが、じつは以下のような特徴ないし問題があります。

 まずは物理的な特徴から。
① 旧版は I(The Challenge) 9 + 534 pp.

     II(The Struggle) 9 + 584 pp.

 新版はこれを1巻に合体して 22 + 853 pp. に収めています。
  
単純に比較してぺージ数で 1,136ぺージ → 875ぺージ、つまり77%に減量。
本文・註ともに省略せず100%生かすために、その分、各ぺージの版面は圧縮されていて、
  旧版は1ぺージに40行、概算で約428 words,
  新版は1ぺージに45行、概算で約652 words.
旧版でも1ぺージにほぼA4・1枚分より詰めた感じの(充実した!)仕上がりだったのに、その1.5倍以上に詰まった版面で、字のポイントも小さい。
しかも旧版では各章の始まりは改丁して贅沢に1枚の紙の表裏をつかい、余白の美が読者をほっとさせてくれていたのに、新版はさすが章の始まりこそ「改頁」としていますが(改丁ではない)、余白はできるだけ詰めようという方針らしく、中高年の読者にはつらい仕上がりです。一巻本で900ぺージ未満に、という出版社側のコスト圧縮への強い意志のようなものを感じます。

 さらには、(旧版と対照しつつ)読み始めてから気付くことですが、
② 旧版にあった段落の区切りを無視して、2つの段落を合体して1つにするといったこと(これは暴挙!)が無断でおこなわれています。cf.新版の pp.14, 19, 26, etc.
古典的なテクストがたいへん長い場合、モダンな版では段落を分けるといったことがしばしば慣行としておこなわれているのは承知していますし、それは意味の無いことではないと思います。が、この Princeton Classics でおこなわれているのは、その逆です。

③ 旧版ではフランス語のアクサン、ドイツ語のウムラウトをはじめとする語の修飾が丁寧になされていたのに、新版ではこれらを、ときに(!)無視する、という中途半端な方針。しかも、OCRで読み込んだ結果でしょうか(?)、like a girl, ... like a child とすべきところが life a girl, ... life a child となっちゃって意味不明(p.42)といった瑕疵もあります。こうしたことは、いかに globalization=Americanization=digitization の時代とはいえ、立派な出版社ならやっちゃいけないことですよね。

④ 索引について。新版は2つの巻の合体により、索引も合体されて便利になったばかりでなく、じつは旧版になかったいくつかの項目 absolutism, British Parliament, などが独立して、使いやすさが改善したと思われます。
 ただし constituted bodies, corporatist school, intermediate bodies, patriot, patria (patrie), prescription (自然権の反対), virtue, well-ordered state といったパーマのキーワードは、残念ながら索引として立項されていない。また sovereign/sovereignty という項目はあるけれど、人民主権でない意味で使われた箇所については採用しない、といった瑕疵があります。
 旧版において原著者が立項しなかったのだから‥‥という言い訳はあるかもしれないし、索引は読者が自分で必要に応じて補えばよろしい、といった考え方もないではないけれど、20世紀の「古典」を今のアカデミズムのなかで生かすためには、やはり著者のキーワードについては立項したい。
 それから、新版の索引には信じがたい過ちも新たに生じています。たとえば、プロイセン王国のフリードリヒ2世(大王)は当然ながら立項されて、英語表記で Frederick the Great なのですが、これがなんと、Frederick William II [king of Prussia] と合体されてしまった。編集者さん(あるいはアルバイトの院生さん)、Frederick II [king of Prussia] という項目が必要なのですよ! 旧版の索引ではそこは間違いなく独立していましたから、一知半解の索引アルバイターがやっちゃったのかな?

2019年1月29日火曜日

R. R. パーマ『民主革命の時代』


 The Age of the Democratic Revolution, 1959-64年の2巻本(Princeton U. P.)で、アメリカ独立およびフランス革命をそれぞれの「祖国愛の史観」から一歩はなれて、1760~1800年くらいの「大西洋史」のダイナミックな動きのなかで捉えなおした「古典」ですが、皆さん、(その本があることは知っていますよ、といった具合に)言及するだけで、しっかり読んでないんじゃないかと思われます。
 かくいうぼくは、名古屋大学に赴任して2年目、1978年、- 隣の南山大学に青木くんが赴任してきたし、ちょうどフランス革命の天野さんが大学院に進学した、イギリス急進主義の松塚くん、アメリカ(Oberlin)留学から帰ってきた高木くんも院に在籍している - といった環境で、輪読にふさわしいテクストとして選定し、この2巻本を相手に奮闘しました。アメリカ史のさかんな名古屋という土地柄、院生たちの勉強と知恵にも支えられて、1980年夏にイギリスへ飛び立つ直前の鳥羽合宿まで続きました。アメリカの「自由の息子たち」や、ポーランド人コシチューシコについて基本的な知識をえたのも、パーマのこの本のお陰です。
 1970年代の日本では、パーマも大西洋革命もいささか不評で、理由を憶測してみますと、
1) 冷戦体制のなかで「右寄り」かリベラル(当時は「反共」という意味)の歴史家とみなされ、フランス革命の人類史におけるユニークな意義をパスして、18世紀末の国制史に議論をフォーカスしてゆく、「反動」ではないが主流でもない歴史家、相対主義者という位置づけだったのではないでしょうか。日本学界でも、ましてやフランス学界でも不人気だったようです。日本のフランス革命研究者では、柴田三千雄さんが注目していましたが、これはかなりレアで、今思えば勇気ある立場でした。
 ぼくはフランス革命では、その前に(75~76年) Richar Cobb, The Police and the People を読んで、おもしろい本だけれど、(ちょっと E. P. トムスンに似て)細部にこだわりすぎ;コッブの議論はこの10分の1くらいの量でも証明できそう、なんて思っていました。だからパーマの、経験的な叙述でありつつ「構造」を鮮明に打ち出す論理に、一種の爽快感を覚えました。成瀬先生の授業で「身分制議会史国際委員会」というのがあるのだと聞き知っていたし、それが新版のp.23の註1と2に挙がっているのをみると、それだけでも「えっ」という興味関心を励起されますよね。そういった感想を申しましたら、柴田先生もなにか曖昧な共感めいたことを言ってくれた覚えがあります(考えてみれば、早くも星雲状態ながら『近代世界と民衆運動』を構想されていた時期ですね)。遅塚さん、二宮さんの場合は、ほとんど反応ゼロでした!
 1989年に来日したリン・ハントとフランス革命関連で読んだ本という話題となり、まず Palmer, Age of Democratic Revolution と申しましたら、反応はネガティヴで、パーマでおもしろいのは Twelve Who Ruled だ、Age of Democratic Revolution は広い学識は示されているが、いささか退屈、ということでした。ジャコバン史家の面目躍如でした。
2) また、アメリカ史学界では「古いヨーロッパ」から自己を解放したはずの独立革命について、ヨーロッパ史と同一の動きと構造を指摘するパーマ教授は、やはりアメリカ史の世界史的なユニークさを捉えきれない学者という評価でしょうか。1960年代から以降の「新しい歴史学」になると、なおさら中途半端で退屈な仕事という受け止めかな。

 この二つの理由で、第2版の前言(2014)を書いているアーミテジの表現では「その後ほとんど40年ほど、古典であって、崇拝はされても読まれることのない本」に落とし込まれたと言います。1955年の 国際歴史学会議@ローマ におけるパーマとゴドショによる「大西洋革命」論の提唱と、それはNATO(北大西洋条約機構)擁護論だ、といった強い批判をよくは知らなかったぼくが、「ホッブズ的秩序問題」「躍動する国制史」といった問題を意識するよりはるか前に、なんとルースをはじめとする「社団的な社会編成」をキーワードとするコーポラティストを理論的な指針としたパーマ先生の主著に取り組んでいた。これは「偶然」というよりは、幸せな contingency (複数の契機からなる時代情況)の賜物、というしかありません。

2019年1月19日土曜日

1月19日

 昨1月18日にある出版社の会議に行ったら、玄関で社長に呼び止められて、しばし懇談。彼の誕生日はほかでもない1.19なのですが、1969年(彼が21歳のとき)のその日にどこでどうしていたか、語らず。
 ぼくの場合はというと、17日からすでに本郷は入構できず、18日は正門前がすでにこんな状態で、構内を見ることさえあたわず、本郷通りラーメン屋のテレビで攻防戦の中継をむなしく眺めました。
<写真は渡辺眸『東大全共闘 1968-1969』角川文庫、pp.154-5 より>

 そもそも18-19日に逮捕された数百人の学生のうち、安田講堂内で逮捕されたのは377名、うち東大生は(佐々淳行の言うような「20名」ではなく、和田英二が記すように)80名以上だったとはいえ、21%、多くない。少ないというべきでしょう。
 それには語るも口惜しい長い話が必要ですが、かりに「1月17日にロックアウト、18日に占拠学生排除開始」という筋書でなく、もし1週間前、9日に機動隊導入したのですが* そのときに学内に泊まり込んでいた学生を逮捕したなら、はるかに大きい数字になり、その過半数は東大生(および院生)ということになっていたでしょう。その東大生のなかにはぼくも、後々古代史や近現代史の代表的な研究者になる西洋史の3・4年生も少なくとも5名はいました。東大執行部ばかりでなく民青=共産党系の横暴を許さないという意志が強かった。【* この「9日夜に警察が構内の学生を全員逮捕していたなら」という想定は、そもそも大学当局が学生に退去を告知していたわけではなく、民青部隊と全共闘との暴力的衝突の「警備」のための機動隊出動にすぎなかったので、現実的ではありません。】
 翌10日に秩父宮ラグビー場の「全学集会」があり、日付の変わった深夜・未明には民青部隊による「封鎖解除」襲撃が続き、このあと、情況は急転直下、変わりました。
 13日に大学が「学外者の構内立入り禁止」を告示し【ということは、学外セクトが後から後から流入していました】、15日に「東大闘争勝利・全国総決起集会」が講堂前で開かれたときには、すでに佐藤内閣・共産党・東大当局・新左翼諸党派のおもわくが入り乱れて、奔流となっていました。個人や文スト実といったレヴェルで何を言おうが、どう行動しようが、左右することのできない勢いをもつ津波のような「政治」の力学を実感したときです。
 東大全共闘としてどういう議論をして意志一致したのか。ぼくたち rank and file に分かる説明はなかった。「玉砕」のようなパフォーマンスをマスコミ向けに演出して、「一点突破・全面展開」とでも考えたのだろうか。西洋史からも、ぼくの知る文スト実のメンバーからも、安田講堂ないし法文2号館(あるいは他の部署)に立て籠もるという選択をした者は一人もいなかった。それは臆病やズルではない。全共闘の方針に納得できなかったのです。ぼくの個人的に知る者でそういう選択をしたのは、法学部3年の和田英二だけでした。
→ more:いずれまた、整理して分析的にお話しできる日に。

2019年1月17日木曜日

Brexit  愚かな選択を撤回し、合理的な決断へ

 ブリテンという役者が退場/去るのだから、劇場用語として exit Hamlet (ハムレット退場)といった言い回しがあり、これを生かして exit Britain から名詞化して Brexit といっているのでしょう。発音は日本のメディアで言われるブレグジットのように濁るのでなく「ブレクシット」です。
 これについて、ぼくの意見ですが、すでに2016年から申していますとおり、政治ゲーム(権力抗争)に振り回された限りなく愚かな選択です。唯一の解決策は、EU離脱を撤回するという決断( → そしてEU内で必要な改革を推進する)しかないと思います。
→ http://kondohistorian.blogspot.com/2016/06/blog-post_51.html
→ http://kondohistorian.blogspot.com/2016/07/brexit.html
 ここまで2年半の経過をたどると、第1に、2015-6年のキャメロン首相の野心に駆られた賭け(referendum)が - 予測をこえるポピュリスト右翼の煽りによって - 凶と出た。第2に、さらに輪をかけて、それまでEU残留派だったはずのメイ内相が、これまた政治的な賭でEU離脱のリーダーシップをとる(文字どおり、火中の栗を拾う)という冒険に出た。保守党政治家のこの二つの野望によって、連合王国は従来なら考えられないほど愚かな、そして狭い道を突き進み、今に至ったわけです。
国家主権」なるものを至上と考える主義によって、英国の経済・文化を成り立たせていた金融からも高等教育からも人材と資源が流出してしまう。さらには国境・税関の問題が肥大化して、経済も社会も機能不全に陥り、なによりイギリス国民が二つの極に分断される。20世紀の歴史の教訓はすべてチャラにされて、まるでニワトリかマウスのように短期の条件反射によって国民の運命が左右される‥‥。これを衆愚政治(mobocracy)といわずして、なんと呼ぼう?
 放っておくわけにはゆかないというので、文字どおりの弥縫(びほう)策が提案されては消えてゆきます。こんなことで時間と人材とカネが浪費され、そればかりか、大事な友人も失ってゆきます。もっと意味あること/将来のために、建設的に、時間も人材もカネも用いるべきでしょう。
 It's never too late to mend.(過ちを改めるのに遅すぎることはない。)この諺は、つねに真理です。
ゆきがかりも面目もあることは承知の上で、それにしても頭を下げて短慮をわびる。
こんなにも大変なこととは考えが至らず、愚かな選択をしてしまいました。2016年以来のわたしの言動を撤回し、元どおりヨーロッパのなかでやってゆきたい。言いたいことはたくさんあるのですが、EUのメンバーとして是々非々でお願いしたい。」
これこそ、イギリスの有権者も政治家もマスコミも、採ることのできる唯一の合理的な選択です。

 → なお、そのための手続きとしてレファレンダム(国民投票)をもう一度やりなおす必要は、国制上、ありません。イギリスは議会主権(議会絶対主義)の国なのですから、議会が熟議のうえ残留すると決めればよいのです。(議会を代表して議長がEUにそう申し出てもよいし、責任政府の長にそう言わせてもよいでしょう。)

2019年1月4日金曜日

亥年のご挨拶

 新しい年をいかがお迎えでしょうか。
 亥年、年男です。昨年に大学勤めをおえて、年金生活者となりました。時間はたっぷりあるかと思いきや、あれこれと心が動かされ、考えていたよりずっと落ち着かない毎日です。「感極まる」ということが増えました。

 小冊『近世ヨーロッパ』を仕上げたうえで、年末には都市史学会で北九州・小倉に参りました。駅前から商店街、紫川、城の周り、松本清張記念館、そして西日本工業大学と連結した「リバーウォーク」という複合施設あたりしか歩いていませんが、それにしても活気があります。市内にたつ鴎外碑や、記念館の清張旧居などを見ながら、この二人、全然異質な才人だが、多作だという点では共通する、その生を想い、自らの微力を恥じました。

 また年の瀬にかけて「東大闘争50年」をうたう出版が続きました。ぼくが手にしてこの半年間に読んだ新刊書は、
小杉亮子『東大闘争の語り 社会運動の予示と戦略(新曜社、2018)
和田英二『東大闘争 50年目のメモランダム(ウェイツ、2018)
折原浩『東大闘争総括 戦後責任・ヴェーバー研究・現場実践』(未来社、2018)
ですが、既刊の
山本義隆『私の1960年代』(金曜日、2015)
渡辺眸『東大全共闘 1968-1969』(新潮社、2007 → 角川ソフィア文庫、2018)
も含めて、歴史と語りに想いを致しています。
 折原さんの『東大闘争総括』p.155 で、ぼくは大庭、舩橋、八木、八林といった人たち(50音順。当時、4年、3年、2年でした)とともに「実存主義社会派 ・・・ 勉強家にして論客」として名が挙がっています。フルネームは5名だけですが、じつはあと何名もいました。関連して所感を『みすず』1-2月号にちょっと書きました。なお渡辺眸さんの写真集については、和田に指摘されるまで気付かなかったけれど、カメラマンが近接して撮影した場面も想い出しました。

 68年は世界的な現象だったというので、イタリアの逸品ワインCinquanta(五十年)をいただきました。そこにイタリア語と併記されている英語の説明には
May . . . celebrate their hope, their bravery, their intelligence.
とあります。ただし、この their とはワインを作った人々のことのようです。
 希望、勇気、知性。あらまほしきことなり、ですね。