2024年4月20日土曜日
燕の巣
であれば、あの巣に戻ってきたのだろうか? 近くの集合住宅の駐車場の天井脇に営巣された古巣を見に行ってみました。これは(よそのマンションなので委細は知りませんが)管理組合で大切にされて、床が糞尿で汚れるけれど、それは黙って掃除する、上の巣のあたりは汚れてもそのままに放置する、という方針のようです。
夜に、つがいの燕が狭い巣に身を寄せあっている様子を(失礼!)パチリと撮影しました。こんなに狭くて、このままでは卵を産んでもあふれ落ちたりしないだろうか、それまでに「増築」するのだろうか、と心配になるくらいです。
ところで、他の巣には燕はまだ戻ってきていないようです。慣用句で
One swallow does not make a summer.
Eine Schwalbe macht noch keinen Sommer.
とはよく言ったもので、英独ともに4月はまだまだ夏とは言えません。ところがフランス語・イタリア語の場合は
Une hirondelle ne fait pas le printemps.
Una rondine non fa primavera.
と言って、夏ではなく、春まだき、という感覚なんですね。
地中海に近接しているかどうかで、春か、夏か、といった季節感も違うということでしょうか。
2023年8月13日日曜日
OEDの新画面
特定の単語にヒットしたあとは、
Factsheet Meaning & use Etymology Pronunciation Frequency Compounds & derived words
とかいったぺージのどれを見ればよいのか。旧来の、ほとんど紙媒体の辞典のフォントを大きくしたままの画面では、何故いけないのでしょう。
一つの単語につき、語源の発音も、多様な意味・用法も用例も、頻度も、大きな画面(A4に印刷した場合、1ぺージに収まらず、10ぺージを越えることもザラ)に一覧できれば、必要に応じて、そちらにフォーカスすればよい。この一覧性こそ、知的な思考には必要不可欠です。
特定の目的で特定の結論を求める、効用本位の(utilitarian)- いわゆる字引としての - 利用でなく、ぼくは OEDを思考をうながし(thought-provoking)、インスピレーション豊か(inspiring)なデータベースとして何十年と利用してきました(昔は大判の辞書をコピー機のある部屋まで運んで、200%くらいに拡大プリントしたうえで、読み、書き込んだりしたものです)。
近年のなにか小賢しい利用を優先した「改悪」のような気がします。
いちおうの緊急対策として、
Meaning & use のウェブぺージを開いて、Show all quotations にチェックを入れて読んでゆく/Copy & paste して(色分けなど加えて)自分の.docとする
というのと、Etymologyのぺージを開く、というのを併用する(どちらも自分の.docとして、合体し保存)といった策を講じています。皆さんは、どうしていますか?
2022年4月22日金曜日
カー『歴史とは何か 新版』 予告の3
清水訳(岩波新書)では、扉のあと、「はしがき」が始まる前のぺージに
「八分通りは作りごとなのでございましょうに、
それがどうしてこうも退屈なのか、
私は不思議に思うことがよくございます。」
キャサリン・モーランド 歴史を語る
とあり、なにか有閑・教養マダムで、もしや高齢でお上品な淑女の発言のようにも聞こえます。何のことを言っているのか分かりにくいし、本文が始まる前のエピグラフとしておいた著者の意図・効果も不明で、それこそ「不思議に思って」(I often think it odd ...)いました。
若きジェイン・オースティンの生前は未刊の小説 Northanger Abbey 第14章とのことで、調べてみると、いろいろなことが判明します。なにより主人公 Catherine Morland は17歳の夢見る乙女。読書が大好き、世の中のいろいろなことに興味津々、でもその深みまではよく分かっていないティーンが、男女のこと(結婚)についても、文学についても次第に目を開かされる、という設定でした。バースで知り合った新しい知己とのあいだの会話で、どういった本を読むのか、好きなのかといった話題のなかでのキャサリンの発言です。ぼくはこう訳しました。
「不思議だなって思うことがよくあるのですが、
歴史の本ってほとんど作りごとでしょうに、
どうしてこんなにもつまらないのでしょう。」
原文は
I often think it odd that it should be so dull,
for a great deal of it must be invention.
この直前にキャサリンは、こうも言っていますので、2回目・3回目の it は history です。
I can read poetry and plays, and things of that sort, and do not dislike travels.
But history, real solemn history, I cannot be interested in. Can you?
キャサリンのナイーヴな発言は『歴史とは何か』の巻頭に、かなり挑発的なミッションを負って置かれていたのです。というわけで、巻末の訳者解説にはこうしたためました。pp.367-368.[ ]は今回の抜粋にあたっての補い。改行も増やします。
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‥‥じつは[1961年の初版以後、]英語の各版が新しくなるにつれて、巻頭におかれたキャサリン・モーランド嬢のエピグラフはカーの本文からどんどん(何10ぺージも)離れてしまっていた。これを本訳書では中扉の裏(2ぺージ)、第一講の直前に戻すことによって、元来のカーの意図(としたり顔)を生かす。
従来の『歴史とは何か』の論評ではあまり言及されないが、ジェイン・オースティンの最初の作品『ノーサンガ・アビ』(死後1818年刊)において、17歳で読書好きのヒロイン、キャサリン嬢は率直に、歴史物はほとんど作りごと(インヴェンション)なのに、どうしてこんなにつまらないのかと感想を洩らしていた。この文脈で history とは歴史物の作品であるが、英語では本書のテーマ、歴史および歴史学と区別はつかない(補註a)。
歴史/歴史学とは過去の事実への拝跪であるという岩礁[への座礁]も、歴史家の作りごとであるという渦潮[への沈没]も、第一講で明確に否定されるのであるが、カーは愛読したジェイン・オースティンからこのエピグラフを引いて、あらかじめ渦潮派の問いかけを呈示し、それにたいする反論を予告していたわけである。だからといって、カーのことを素朴な実証主義者(岩礁派)だといった虚像(カカシ)を仕立てあげて攻撃するポストモダニストには、[笑]をもって答えるのだろう。ちょうど『歴史とは何か』を執筆しているころのカーの肖像写真(332ぺージ)の表情が語るかのようである。 <以上>
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たとえば『危機の二十年』(岩波文庫)で使われている肖像写真は温厚きわまる老紳士ですが、それよりも元気で、いたずらの表情です。]
2022年1月30日日曜日
寒中お見舞い申しあげます
ぼくや家族が健康を害しているとかいうわけではありません。たしかに年相応の故障はありますが、そして Covid-19 (という名称にそのしつこさが表れています!) のニュースが毎日の憂鬱要因ですが、なんとかやっています。ただ12月31日の記事にもしたためましたとおり、『歴史とは何か 新版』の最終局面にあり、- 普段のぼくには珍しく - 選択と集中の体勢でいます。そのぶん失礼の段、みなさまには申し訳ありません。
そうこうしているうちに、本日『みすず』no.711 (1・2月合併号) が到来。恒例の「読書アンケート」です。これは百数十名による読書案内というだけでなく、執筆者の個性と現況がうかがえる企画で、毎年楽しみにしています、書き手としても読み手としても。むかしは丸山眞男や、二宮宏之の書いたものをフムフムと読んでいたのですが、最近は毎年、キャロル・グラック、徐京植、ノーマ・フィールドといったみなさんが力作を寄稿なさいます。執筆者の年齢も若返って、年長の方々よりは団塊の世代が多く、さらにずっと若い人々も増えました。
というわけで、今号は
・八木紀一郎『20世紀知的急進主義の軌跡 - 初期フランクフルト学派の社会科学者たち』(みすず書房, 2021)
・岸本美緒『明清史論集』計4巻(研文出版, 2012-21)
・立石博高『スペイン史10講』(岩波新書, 2021)
・バーリン『反啓蒙思想 他二篇』(岩波文庫, 2021)
そして
・Jonathan Haslam, Vices of Integrity: E. H. Carr 1892-1982 (Verso, 1999) に登場していただきました。
バーリンとハスラムはE・H・カーがらみです。バーリンの論文選は、これからも岩波文庫で続刊とのこと。ハスラムの伝記については邦訳があることは存じていますが、『誠実という悪徳』とかいう訳タイトルはありえない。むしろ「学者としての本分(integrity)ゆえの数々の欠点(vices)」といった意味でしょう。of は由来・理由です。
2021年6月13日日曜日
集団接種に参りました(その2)
【万一の副反応の可能性を考えると、同一日に接種を受けるのは望ましくない、という専門家の助言に従ったのですが、見ていると夫婦で同時に接種を受ける組も少なくなく、ぼくのような判断は少数派かと思われます。そもそもワクチン接種といってもTV報道ではすごく長い注射針を肩に射し込んで、それだけでも恐怖でしたが、やってみると蚊に刺されたよりも軽い刺激で、拍子抜けでした。6時間以上もたって夜に軽い倦怠感のような、ぼんやりした感覚がありましたが、これがワクチン接種のせいか、そもそも暑さのせいか、分かりませんでした。接種した左肩は、今日2日目に軽く痛くなりました。腫れや違和感はありません。】
こうしたワクチン接種がせめて1ヵ月早めの日程で進んでいれば良かったけれど、今のスケジュールでは(65歳以上の希望者のワクチン接種がようやく7月末に完了!? 64歳以下の接種はそれより先!)、そもそも東京オリンピック・パラリンピックの強行は、ほとんどカミカゼ特攻隊的な無理難題ですよ。
今となってみれば、パンデミックのなか東京オリパラをあくまで実行するのは、何のためでもない、①菅政権の延命と、②国際利権法人IOCの強欲のため以外に、どんな目的があるというのでしょうか。医師や免疫学者の進言をないがしろに、みずからの権力と利権に執着するという点で、菅とバッハは共通しています。
JOCや東京都とすれば、開催決定権はIOCに握られ、こちらから中止・延期を申し出れば、即契約違反で、天文学的な賠償金を請求される。それが怖いから、言い出せないのでしょう。
であれば、発想を変えて、逆にこちらから積極的に、人類平和と親善、世界の健康と公共性を根拠に、それを損なおうとするIOCのバッハ会長(Baron Von Ripper-off)を法的に訴える、また国際世論にアピールする、ということを、いま損得経費の仮想計算も含めて、少なくとも思考実験的にやっておく必要があります。
日本側の合理的判断、決意、そして英語の交渉力が問われています!
<『日経』https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE063CK0W1A500C2000000/
<Washington Post https://www.washingtonpost.com/sports/2021/05/05/japan-ioc-olympic-contract/
https://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/japan-olympics-pandemic-vaccines/2021/06/10/
2020年12月26日土曜日
奇蹟が起こったのか?
"事態は悪い方ばかりに向かい、この年末・年始のイギリスは、 Brexit+Covid → 大破局 を迎えるのかもしれません。(救いがありうるとしたら、EU側から差し伸べられるかもしれない友情の手のみ!) ヨーロッパで団結して事にあたらねばならない時に、「国家主権の亡者」の言いなりで余分な負荷を負ってしまった連合王国。Brexitを撤回しないかぎり、確実に三流国への道をたどるように見えます。"
世を悲観して、なにごとにも消極的で、憂鬱でした。
それがイギリス・ヨーロッパの24日の午後(日本の日付が変わるころ)には、あたかもクリスマスプレゼント(Surprise!)として計ったかのように、イギリス側・EU側ともに合意できる Deal が成立し、ジョンソン首相(UK)とフォンデァライエン大統領(EU)が笑顔で記者会見したのです。奇蹟としか言いようがない。【以下、情報は https://www.bbc.com/news/uk-politics の数々のウェブぺージより】 President of the European Commission ですからマスコミは「委員長」と訳していますが、日本語の「委員長」は中間管理職的で、かなり弱い。Von der Leyen の権限は文字どおりEUの首長 =「大統領」です。
カナダ型の自由貿易で合意したとジョンソン首相。フォンデァライエン大統領は It was a long and winding road. ‥‥ It is now time to turn the page and look to the future. とにこやかに公言しました。UK は信頼できるパートナだ、とも。
約定書は 1246ぺージ、付録や註が約800ぺージ! そのうち政府のサイトに公開されているのはその要旨のみ、ということでヌカ喜びはまだ早いのかもしれない。労働党のスターマ党首は、しかし、「最悪の No Deal よりはまし」という理由で、早々と議会の批准に反対しない、と意思表示しました。 逆にスコットランド首相のスタージョンは、そもそもブレクシットはスコットランドの意志に反するのだから反対。むしろ "It's time to chart our own future as an independent, European nation." とヨーロッパ国民としての(イングランドからの)独立、を唱えています。 BBCのデスクも大急ぎの速読をへて、ヨーロッパの Erasmus プロジェクトによる大学生の交換交流からの離脱は既定方針、と憂慮しています。
要するにジョンソン政権には、イギリス ⇔ ヨーロッパの貿易に free trade(無関税取引)の原則を堅持する、ということが譲れない原則で、それ以上に商品の検認、人の交流・雇用については自由でなくなる、つまりEU政府の/UK政府の時どきの干渉により、実質的な制限が加わる、ということらしい。主権と経済優先。移行期間を終えて2021年にヨーロッパ統合から抜けることには変わりない。
はたして主権に固執してきたジョンソン首相の勝利なのか? 否。むしろフォンデァライエンの友情のおかげで最悪の事態が避けられたに過ぎないのかも。想い起こすのは、今年1月末のEU議会におけるUK離脱を惜しむ Aulde lang syne の合唱、United in diversity の横幕(→ https://kondohistorian.blogspot.com/2020/02/blog-post.html)、のただなかでジョージ・エリオットの詩を朗読したのは彼女でした。
"Only in the agony of parting, do we look into the depths of love. We will always love you, and we will never be far."
今回の声明でも、ビートルズを引用して a long and winding road と語りだしました。彼女がイギリス(あるいは英語文化)に親しみと愛情を持ちつづけていることは明らかで、もし交渉相手のトップが彼女でなくマクロンだったら、こうは展開しなかったでしょう。
はたして最後の最後に、最悪の事態だけは避ける(山積みのイシューには、来年になってから取り組む)というのは、アメリカ合衆国におけるバイデン大統領選出と同じ構図です! 2016年からの4年間、いったい英米両国は、なにをしていたのか。無駄な言説とエネルギーの費消。
新型コロナウィルスの来襲、パンデミックの収まらない脅威によって「主権の亡者」たちも正気を取り戻した、ということであれば、これは「天からもたらされた賜物」かもしれません。そういえば、トランプも、ジョンソンも、マクロンも Covid に罹患しました。
Memento mori! 死を畏れよ! この世には「主権」より大事なことがある。あなどることなく、まじめに考えて行動せよ、と。
2020年7月19日日曜日
Go to トラブル
Travel も trouble も平板にカタカナで表記すると「トラブル」ですね。
違いは最初の母音が強い[æ]か、日本語のアに近い[ʌ]かということで、あきらかです。Apple や cat の[æ]か、cut や love の[ʌ]か、です。Cat と cut の区別は間違えようもないでしょう。
後半の弱い音節が「ブル」か「ベル」か、とかろうじて区別するというのは、非実践的な(日本の教室でしか通用しない)まやかしです。-vel と綴っても弱母音なので、「ベル」どころか「ブル」とさえ聞こえず、むしろ「ボー」と聞こえるかもしれない。「アンビリーバボー」と同様です。
英語はとにかく強勢のある音節で識別するので、この場合、最初の音節をきちんと発音しないかぎり、英米人に、というより英語の話者には伝わらないでしょう。
残念ながら、この基礎力は、中学・高校の英語の先生が英語の分かった人だったか、非力をカタカナ英語でごまかしながら授業してる人だったかによって、(あるいは、ラジオ「百万人の英語」で五十嵐先生の音声学を聴いていたかどうかによって)決まってしまうのかもしれません。
で、安倍内閣の(だれが言い出したのでしょう)「Go to トラベル」政策ですが、すでにトラブル続きです。
a)そもそも英語として、Go to travel ... という表現は自然でしょうか。むしろ、
Go out for a trip / go to the countryside / visit friends / come to town
といった言い回しのほうが普通でしょう。
b)憶測ですが、どこかの大臣室に出入りする役人か「有識者」で英語的センス無しの人の発案かもしれません。
Go という動詞はそもそもどこでもいいから(ここではないどこかへ)行ってしまう/姿を消すという意味合いで用いられます。
だからこそ、Gone with the wind で「風とともにレットは去ってしまった」わけだし、
ケンカ腰で Go! と言えば「失せろ」という意味、
曖昧な顔をして Where can I go? と聞けば「ハバカリはどちらですか」という意味です。
「Go to トラブル」内閣のゆくえやいかに? あきらかに some trouble(もしや troubles)へと向かっているのでしょう。
2019年9月24日火曜日
脅迫メール!
ビットコインで(50時間以内に)$730を払い込まないと、ぼくの見た恥ずかしいサイトや写真や etc. を知友全員にバラまくぞ、というのです。
でもこりゃ下手なコドモの脅迫だな、と判断して無視し、また皆さんに告知します。
理由の1:発信時刻がすでに問題。↓
Date:25 Sep 2019 05:29:16 +1100
これでハッカーの(中継地の)時刻が日本列島のぼくのアカウントとは異なる、太平洋のどこか(日本から時差2時間の所)、ということがバレちゃった!
理由の2:英語力に問題多し。
¶まず
Subject:Security Alert. Your accounts was hacked by criminal group.
・中1レヴェルですが、もし主語が accounts なら be動詞は were でしょう。
でも、この場合なぜ複数にしなくちゃならんのか、理由はないから、正しい主語は単数で Your account; そして時制を過去にすると「今と関係ない過去の出来事」になっちゃうから、正しい動詞は現在形で is とするか、あるいは現在完了で has been かどちらかでなくちゃなりません。
by criminal group もナチュラルでない。単数形なら a という冠詞が必要。無理にでも The Criminal EX とかいう固有名詞にしてもよかったね!
¶つづいて、本文の書き出しですが
As you may have noticed, I sent you an email from your account.
・ここでも時制が問題で、ワンセンテンスのなかでは時制を一致(照合)させなくちゃいけないわけで、I sent you という過去形はありえない。I send you か I'm sending you かどちらかでしょう。
¶そしてちょっと複雑になると、構文が混乱しちゃう。
This means that I have full access to your device. . . .[中略]
This means that I can see everything on your screen, turn on the camera and microphone, but you do not know about it.
・この turn on the camera and microphone が、どう that I can see に繋がっているのか、全然不明ですね。I can see you turn on . . . なら成りたつけど。
最後の , but you do not know about it の部分も、大学生以上ならもう少し気の利いた句にできたでしょう。
つまり「犯行グループ」の英語力は、非ネイティヴないし英語国なら高校中退レヴェルで(自分と同じ程度の)不良ユーザを相手に引っかけようと企んだ、と想像されます。払込金額が730ドル(7-8万円!)というのも、あながち無理ではない実行可能な額、というので設定したのでしょうか?
理由の3:脅迫されているぼくのアダルトサイト閲覧とかそれに類似した事実はなく、こちらに暴かれて困る事実はないので、ここは強気に出ます。【クリントン大統領のホワイトハウス・スキャンダルが話題になった Windows 開闢期[1990年代!]にその関係を数度にわたって閲覧したことはありますが‥‥】
ぼくと似たメールアカウント(とくに @nifty)をお持ちの方々、同じような脅迫メールが来たら、どうぞ慌てず騒がず、だまって無視し、削除してください。
なお
If I find that you have shared this message with someone else, the video will be immediately distributed.
というのが脅迫の最後のセンテンスです(ここでも英語として正しくは anyone else でしょう!)。今後どんなヴィデオが拡散するのか、笑って期待してください!
2019年9月13日金曜日
Contingency は「偶然」ではない
「取り扱い注意!」の行政文書のつづきです。
歴史家としては、ここで contingency というキーワードが使われていることにも注目します。これまで修正派(revisionist)がよく使う語として(必然史観の反対の)「偶然性」といった訳語とともに紹介されてきましたが、それでは不適訳です。偶然どころか、複数の要因が複合して生じる、情況しだいの非常事態。
良い辞書には contingency plan=非常事態の防災計画、
contingency reserves=危険準備金、
contingency theory=(経営学における)普遍一般理論でなく、経営環境に特化した情況適応理論*、 そして
contingency fee=成功報酬! つまり必然ではないが、努力の成果にかかる報酬、
といった説明があります。
(*いま「私の履歴書」を執筆しておられる野中郁次郎さんの博論も、この関係だったのですね。今日の『日経』)
修正主義を語る歴史家の皆さんも、再考してください。
2018年8月27日月曜日
<帝国>と世界史
(ちょっと日にちが空きましたが)『日経』郷原記者の「アジアから見た新しい世界史 -「帝国」支配の変遷に着目」の続きです。第1の論点について異論はありません。特別に新規の説ではなく、多くの読者に読まれる新聞の文化欄8段組記事ということに意味があります。
第2の論点、帝国となると、そう簡単ではありません。郷原記者は平川新『戦国日本と大航海時代』(中公新書)を引用しつつ、16~17世紀に「日本は西欧から帝国とみなされるようになった」「太閤秀吉や大御所家康は西欧人の書簡で「皇帝」、諸大名は「王」とされた」と紹介します。
それぞれ empire, emperor, king にあたる西洋語が使われていたのは事実ですが、そもそも中近世の empire を帝国、emperor を皇帝と訳して済むのか、という問題があります。近藤(編)の『ヨーロッパ史講義』(山川出版社、2015)pp.93-105 でも言っていることですが、emperor はローマの imperator 以来の軍の最高司令官のことで、近世日本では征夷大将軍や大君(ないし政治・軍事の最高支配者)を指します。京のミカドというのはありえない。
また empire はラテン語 imperium に由来する、最高司令官の指令のおよぶ範囲(版図)、あるいはその威光(主権)を指していました。だから吉村忠典も早くから指摘していたとおり、帝政以前の共和政ローマにも imperium (Roman empire の広大な版図)は存在したのです。『古代ローマ帝国の研究』(岩波書店、2003)および『古代ローマ帝国』(岩波新書、1997)。
たしかに近現代史では emperor は皇帝、 empire は帝国と訳すことになっていますが、その場合でも emperor は武威で権力を手にした人、というニュアンスは消えないので、神か教会のような超越的な存在による正当化が必要です。中国の皇帝が天命により「徳」の政治をおこなったように。
1868年以後の日本では将軍から大政を奉還されたミカド、戊辰の内戦に勝利した薩長の官軍にかつがれた天皇に Emperor という欧語をあてましたが、これはフランスの帝政をみて、また71年以降はドイツのカイザーをみて「かっこいい」と受けとめたからでしょう。ただし、武威で権力(統帥権)を手にしただけでは御一新のレジームを正当化するには不十分なので、神国の天子様という「祭天の古俗」に拠り所をもとめ、89年の憲法でも神聖不可侵としました。そうした神道の本質をザハリッヒに指摘した久米邦武を許さないほど、明治のレジームは危うく、合理的・分析的な学問をハリネズミのように恐れたのですね。
2017年10月5日木曜日
Kazuo Ishiguro
Thursday 5 October 2017 14.23 BST
The English author Kazuo Ishiguro has been named winner of the 2017 Nobel prize in literature, praised by the Swedish Academy for his “novels of great emotional force”, which it said had “uncovered the abyss beneath our illusory sense of connection with the world”.
日本国籍のあるなしということより、「英語で書く作家」ということでしょうか。
訳すのではなく、最初から英語で考え書く。たしかにそのほうが、ある真理、普遍的なこと、饒舌なレトリックで誤魔化せないことを表現できるような気がする。ぼくたちも日本語で討論していて煮詰まってしまったときに、「それじゃ、英語でどう言うか考えてみよう」というのは一つの賢明な手段ですね。
それから、イシグロは、ある種の知的な観点(方法、構成、洗練された文体 ‥‥ )をしっかり出してくれる。それが嬉しい。『イギリス史10講』では『日の名残り』に2カ所で論及しました。
With names including Margaret Atwood, Ngugi Wa Thiong’o and Haruki Murakami leading the odds at the bookmakers, Ishiguro was a surprise choice. But his blue-chip literary credentials return the award to more familiar territory after last year’s controversial selection of the singer-songwriter Bob Dylan. The author of novels including The Remains of the Day and Never Let Me Go, Ishiguro’s writing, said the Academy, is “marked by a carefully restrained mode of expression, independent of whatever events are taking place”.
2017年4月25日火曜日
愛国主義・民族主義・国民主義・国家主義 (または超訳)
日本のマスコミ関係者も進歩的な論者も、戦後ずうっと棚上げにしてきた言葉があります。Nation および nationalism, patriot および patriotism です。この二つは全然ちがう。
そのことがはっきり露呈したのが、今回のフランス大統領選挙で、第1ラウンドの結果をうけてマクロン候補がおこなった勝利演説の日本語訳です。その混乱・ゴマカシ。分かりやすいように、フランス語をBBCの英訳で引用するとこうです。
. . . I will become your president. I want to become the president of all the people of France - the president of the patriots in the face of the threat from the nationalists.
夜10時のNHK-BSでは、これをナショナリスト=民族主義者としたうえで、(パトリオットを愛国主義者と訳すと分からなくなってしまうので飛ばし)「わたしは民族主義者の脅威に対抗して、全国民の大統領になりたい」と超訳したのです。できの悪い学生が、一番大事なポイントを飛ばして訳す、あのやりかた!
英和辞典も、仏和辞典も、独和辞典も(あまり深く考えずに)編者が思いついた単語を列挙して了とする編集方針をとっているかぎり、役立たずです。 Nationalism は国家主義だったり、民族主義だったり、Scottish National Party は「スコットランド民族党」! いったい「スコットランド民族」というのは存在するんですか、と聞きたくなる。
Nation は歴史的につくられた政治用語です。生まれと信条をともにすると表象された「国民」nationを第1に考える運動が nationalism です。「ドイツ民族」とか「日本民族」とかが本質的に存在すると信じる人たちにとっては「民族」=「国民」なのでしょう。そうした場合はユダヤ人とか在日集団とかがジャマな夾雑物で、排除すべき存在となる。
これにたいして、patriot は愛国者でも憂国派でもなく、OEDの名言によれば、「敵に対抗して、自由と権利を支持し守る人」。初出は1577年、ハプスブルク朝に抵抗したオランダ独立派について用いたのが始めのようです。ぼくたちがよく知っているのは、アメリカ独立戦争でイギリス支配に抵抗した「自由の戦士」で、OEDは1773年のフランクリンを引用しています。
このところ機会あるごとに北原さんが言明なさるとおり、patria自体は、国家や土地と関係なく、(現存在しないかもしれない)理想郷のことだというのは、OEDの語源説明でギリシア語における patria がポリスの市民でなく、バルバロイについて用いられたというのと符合します。
ようするにマクロン候補は、右からの民族本質論・「他民族」排除の立場の人々に対抗して、「自由と権利を支持し守る人」「自由の戦士」の大統領になるというレトリックを用いて、左派および自由主義者、そして全人民に決選投票での支持を訴えたのです。NHKの超訳のような、ぼんやりした「全国民の大統領」というアピールだけでは弱い。むしろ左派(メランション、アモン)にも、中道にもネオリベラルにも訴求する、曖昧だが「良いことば」(歴史的な用例でも good patriot, true patriot, etc.として出てくる!)を政治的に借用し、横領したわけです。
2016年10月13日木曜日
『ハムレット』
ご無沙汰しました。学期の始まりと、「東奔西走」とまでは言わないが、いろいろなことが続き、blogに書き込む気になれない、という日夜でした。
昨12日夕には、立正大学の公開講座(品川区共催)で、没後400年 シェイクスピアを視る という企画の一環(第3回)として、
「インテリ王子ハムレット」と「学者王ジェイムズ」
という話をしました(品川区から録画チームが来て無事収録できたようですから、いずれインターネット公開されることになると思われます)。
ロンドンからデンマーク、この間いろいろと撮りためた写真も使いながら、 -当然ながら、ズント海峡、エルシノールのクロンボー城、地の神の像の写真も見ていただきました- 文学研究の作品論とは異なる観点から『ハムレット』を見直し、1600年前後のロンドンの観衆・聴衆・読者がどう受けとめただろうか、論じてみました。一般むけで楽しく、しかしやや論争的なお話としました。
『デンマーク王子ハムレットの悲劇の物語』(1599から上演、刊本は1603~23に数版でます)が、じつに「礫岩のようなヨーロッパ」を地でゆく悲劇的史劇であることを最近に「再発見」したぼくの、エキサイトしたお話でした。
『ハムレット』を翻訳で読んだのは高校生のとき、さらに高校の図書館で研究社の対訳叢書(市河三喜監修)を見つけて、対訳註釈の付いた版で英語を読むよろこびを知りました。
To be or not to be: that is the question. から始まる一種実存哲学的な雰囲気と、言葉、言葉、言葉‥‥の溢れる警句的、寓話的な近世の宇宙を(今おもえば)このとき垣間見たのですね。16・7歳の少年が同年配の乙女にたいしてもつ、不安定な感覚もあいまって Frailty, thy name is woman. とか;時代にたいするカッコをつけたスタンスとして The time is out of joint. とか暗唱して悦に入っていたものです。もっとも
There are more things in heaven and earth, Horatio, than are dreamt of in your philosophy. というのは気取っているが、しかし青い高校生にとっては心底は理解できないままの科白でした。
‥‥のちのち大学院教師となって、ほとんど常識のつもりで『ハムレット』の科白を(日本語で)言ってみても、まるで反応のない院生が過半だと知ったときほどの驚愕(宇宙を共有していない!?)は、ありませんでしたね。それ以後またしばらく経って、『イギリス史10講』でシェイクスピアを引用するときにも、ちょっとだけ考えこみましたよ。結論は、「妥協しない」。著者として現実的に貫きたいことは貫く、というわけで、『イギリス史10講』には、(巻末索引に 37, 111 ページが採られているだけでなく)シェイクスピアに限らず、高校生にも読める英語のセンテンスが重要な論理展開の場面で、いくつか訳なしで書き込まれているわけです。
ところで、そうした「引用文に満ち溢れた」『ハムレット』という作品ですが、なぜかデンマーク宮廷にイングランドだけじゃなく、ノルウェイだかの使節や軍人が出入りしている;ドイツ留学やフランス留学が前提されているのは国際性の現れとしていいかもしれないが、劇の結末は、ノルウェイ王子が登場して、これから立派な葬式を執り行なおう、と宣言して終わる。‥‥これは、いかにも取って付けたというか、変なエンディング、という印象でした。しかし、高校生には手に余る問題で、以来、思考停止していました。
ローレンス・オリヴィエ監督・主演の『ハムレット』が、ぼくの受容原型で、それ以外は余分な粉飾(!?)のような気さえしていました。
こうした50年前(!)から棚上げしていたぼくの疑問と思考停止は、礫岩のようなヨーロッパ、複合君主政という視点をとることによって、眼からウロコが落ちるように氷解するのです! to be continued.
2016年9月4日日曜日
PRC って?
すでに3週間前のことですが、北ウェールズ・(ス)ランディドノーの宿にあった小さなシャンプーをいただきました。ロンドンの安宿での浴室備え付けは兼用ボディシャンプーだったので、そちらを使用しました。
ウェールズなのに Falkirk Scotland の企業の製品なんだ、などと感心していたのだが、小さな文字のどこかに Chine とか見えたような気がして、改めてしっかり読むと(全体で高さ5センチあるかないか。じつに目を凝らさないと読めない)下から4行目右に Fabriqué en Chine とあるではないか!えっ? でも英語でそうとは記されてない。英仏2語表記だが、その左には Made in the PRC とあり。
PRC = People's Republic of China のことと判明するまで、眼をパチパチしました。オリンピックでも国連でも、こんな表記をしていますかね?
こういう微妙な使い分け(ダブルスタンダード)を国際戦略的に推進する国と、Cool Japan! なんて一人で悦に入っているナイーヴな国と、今日の states-system のなかで対等にやっていけるかな? グロティウス先生、そして大沼先生から学ぶべきことは多い、とあらためて思い入ります。
2015年10月5日月曜日
大学ランキングの意味
Times Higher Education による大学の国際ランキングで東大、京大がそれぞれ順位を大きく下げ(23 → 43)(59 → 88)、ほかに去年まで200位以内に入っていた大阪大、東北大、東工大をはじめとする日本の大学が沈没した、と記事になっています。代わってシンガポール大(26)、北京大(43)などが日本の両大学より上位か同位に付けている、と。
→ https://www.timeshighereducation.com/news/world-university-rankings-2015-2016-results-announced
べつにナショナリストとして言うわけではないけれど、第1に、どういった指標・計算根拠で算出された結果の一覧表なのか、ということを理解しないまま、煽るようなことを言ってみてもしかたないでしょう。米英をはじめとして、英語で教育している大学の順位を計算しているわけで、フランスの École Normale Supérieure が54位(東大より下)にあることにも現れているように、そもそもグローバル化=英語化という大前提で算出しています。
算出方法はこちら↓
https://www.timeshighereducation.com/news/ranking-methodology-2016
詰まらんランキングなのですが、しかし第2に、この偏位性のあるリストのなかでも去年まで東大は23位、京大は59位、そして両大学以外にもコンスタントに3大学が200番以内に入っていた。それが今年はそれぞれ大きく順位を下げた。何故か、という問題は残ります。THEの解釈は↓
“Research depends on the free movement of both ideas and people, and countries that adopt a more closed stance pay the price in the end. This is a prime cause of the substantial long-term declines in the global position of research in both Japan and Russia.”
これにフランスを加えて『ふさがれた道』(Stuart Hughes)と言いたいのかな。
スイス・ドイツ・オランダから北欧圏は健闘しています(アメリカの人的資源の出所です)。ちなみに行ったことのある大学で、レイデン大は67位、コペンハーゲン大は82位、ルンド大は90位。
ただし、日本の大学が一斉に順位を下げているのは、円安(ドル換算で相対的に低い評価になる)により、研究資金・予算・収入が下がったと見なされたことにもよるのではないでしょうか。逆に、中国の大学が一斉に順位を上げているのは、国策の「成果」はもちろん、半年くらい前までの強い元の反映でしょう。来年度はまた入れ替わる、ということが予想されます。
最後に THE の編集者は、日本の大学の「実力」について、次のような気休め(?)にもならないコメントをしています。グローバルにみたら数的に第3位の中位の実力、ちょっと製造業における実力と似ている!
But despite its diminishing performance, Japan still has strength in depth: it is third place in the world in terms of the number of institutions represented, with 41 appearing in the top 800.
それにしても、旧帝大と、旧制の大学(東工大や東京医歯大など医・工学系の大学)のほとんどが、慶応、順天堂、東京理科大まで顔を出していますが、早稲田が601~800のランクのビリから3番目に名を出し、一橋大は顔を見せないといったリストに、いったいどういう意味があるのか、ということですね。
見方をかえると、41/800 という数字には別の寓意があって、日本の「大学」と称するものの合計が約800ですから、そのうち医・理工系で通用する機関が約41という風にも読めるのかな?
2015年8月30日日曜日
安倍首相談話 と 賢人たち
8月14日の「首相談話」について、旧聞に属するかもしれませんが、一言申しますと、有識者会議の強い意見の成果でしょうか、ミニマムの合格点になったと思います。満点ではありません。
とりわけ政府の責任で発表された英語版にも注意したいと思います。ぼくはこれを北海道・礼文で読みました。
「‥‥痛切な反省と心からのお詫びの気持を表明してきました」という日本語が過去形だと問題にする筋もありましたが、英語では明白に、過去形でなく現在完了形です。
Japan has repeatedly expressed the feelings of deep remorse and heartfelt apology for its actions during the war.
念のため、現在完了形とは、過去のこと、終わったことでなく、present perfect (完璧なる現在)という時制です。高校英語では「現在完了の3つの用法」といったアホな教え方をしていますが、(経験・継続・完了のいずれであれ)あくまで現在を歴史的にみた表現。単純過去や単純現在とちがって、今を成り立たせているものの来し方を見通す時制でしょう。割り切っていえば、過去形でなく現在形であり、条件反射の時制でなく、今を歴史的に見渡す時制です。
The past is not dead; it's not even passed.
というフォークナとも共通する「歴史をみる眼」=「現在をみる眼」=「将来をみる眼」。これを、安倍首相の個人的な好悪をこえて公に発信せよと説得し、迫り、「うーん、しかたないか」と従わせた賢人たちに、敬意を表したいと思います。
2014年10月5日日曜日
67歳の同期会
40歳のときの会は覚えていますが(『朝日新聞』名古屋版にも書かせてもらいました)、そのあとはずっと会ってないのだろうか? 記憶が曖昧になりました。この中学から同じ高校へ50名以上が進学したので、そしてそのまま同じ大学へ20名ほどが進学したので、なんだかいろんなことが重なって記憶が厳密ではないのです(高校の同期会は60歳で参加して、たいへんなインパクトがありました)。
なにより不安だったのは、何人の顔がわかるだろうか、それよりいったいぼくが誰だと認識してもらえるだろうか、ということでした。
同期の一番の有名どころはオペラ歌手、秋葉京子でしょうか。東大理学部をへて広島市長をやった秋葉兄さんの妹さんです。集まったのは同期127名のうち41名で、大学教授も病院長も、昔の色男、今のつるっパゲ、今もきれいな専業主婦もいましたが、誰より15歳年長(すなわち82歳)の斉藤先生がお元気なのには圧倒されました。
案ずるより易く、幹事さんたちのお陰で、きわめてすんなりと受けとめていただき、高石公平には『大学院紀要』の抜刷りを渡しながら、中学1年の冬に英和辞典を見ながら「Pig, hog, swine . . .」と暗唱しながら大笑いしたことを覚えているか尋ねたら、しっかり覚えていた! 1年C組で「近ちゃんはアメリカの50州全部を暗唱したり、円周率を何十桁も覚えたり‥‥」という高石は、鉄棒の大車輪でみんなを感服させる「ケネディー」だったのだ。
たった一つの嫌な記憶は、他にも何人かが共有していたので救われた気持ですが、それ以外は、秋葉さんの先導で歌った校歌、戦後民主教育そのものでした。校長は飯田朝という憲法学者でした。
空には若葉 かがやきて
胸にはもゆる 自由の火
亥鼻台に まなびやの
歴史をほこる わが一中
個性と自重 つねにあれ
真理をもとめ もろともに
不断の努力 たゆみなく
文化の日本 うちたつる
その先がけの わが母校
平和と秩序 つねにあれ
中学生のころは、歴史の教師になるとは夢にも思わなかった。それにしてもわが『10講』を貫く、心柱のようなテーマは「個性と自重」のありかた、「平和と秩序」のありかたの議論だったなぁと、あらためて感じ入ったことでした。
2012年11月4日日曜日
at u-tokyo.ac.jp !?
一瞬 @u-tokyo.ac.jp (東大)から来たかのように見える。
IPアドレスも [133.11.‥‥]と本郷的。
わが警察庁だったら、ただちにこれを東大本郷発とみなすのだろうか。
だが、そもそも
1) 東大のサーヴァは必ず @ と u-tokyo.ac.jp の間に l.とか waka.とか部局名が入る。
2) 日本人宛に下手な英文でメールを出したりしない。
3) けっしてメール返信で E-MAIL ADDRESS: USERNAME: PASSWORD:
といった入力を求めたりしない。
4) ヘッダを見れば明白だが、bilkent.edu.tr(ってどこ?)を中継しているし、
5) 万が一にも返信すると Reply-To: hku_techie@msn.com へ繋がる。
といったわけで、少しでも東大に関係ある皆さん、返信しちゃダメですよ!
〈以下に引用しますが、個人情報的なポイントだけ‥‥に替えます。〉
Return-Path : acct.auth@u-tokyo.ac.jp ← 作為のアカウント
Received : from l.u-tokyo.ac.jp (bun-fw.l.u-tokyo.ac.jp [133.11.‥‥])
by lsw7.l.u-tokyo.ac.jp (Postfix) with ESMTP id 0360B6C2D3
for ‥‥ ; Sun, 4 Nov 2012 03:11:40 +0900 (JST)
Received : by ispinoz.bcc.bilkent.edu.tr (Postfix, from userid 12346)
id 6631633A2276; Sat, 3 Nov 2012 20:09:32 +0200 (EET) ← どこでしょう?
Received : from newmail.bilkent.edu.tr (unknown [192.168.10.218])
by ispinoz.bcc.bilkent.edu.tr (Postfix) with ESMTP id 4734233A2272;
Sat, 3 Nov 2012 20:09:32 +0200 (EET)
Received : from 210.187.178.44(SquirrelMail authenticated user gulsahd@bilkent.edu.tr)by newmail.bilkent.edu.tr with HTTP; Sat, 3 Nov 2012 20:09:32 +0200
Date : Sat, 3 Nov 2012 20:09:32 +0200
Subject : Notification: Re-validate your email
From : "u-tokyo.ac.jp E-mail Services"
Reply-To : hku_techie@msn.com ← 作為のアカウント
User-Agent : SquirrelMail/1.4.22
Dear u-tokyo.ac.jp User,
To increase your storage capacity and the functions, you are required to
reply to this mail and enter your Login ID and Password in the space
provided below due to the fact that we are about to carry out maintenance
and increment of storage capacity on our web-mail services/account within
the next 72 hours.
Failure to do this within 72hours will immediately render your email
account deactivated from our database. ← どうぞそうしてね!
FULL NAME:
E-MAIL ADDRESS:
USERNAME:
PASSWORD:
CONFIRM PASSWORD:
Your Account can also be verified via our Web-mail Link before the
information are sent.
Thank you for using u-tokyo.ac.jp Email Services.
Yours in Service,
© u-tokyo.ac.jp E-mail Services
2012年10月19日金曜日
Offshore !?
ぼくが不在中の自宅に「ロンドンの銀行、 HSBC とかいう所から電話がかかってきて早口でまくしたてるので困った。話し手の電話番号だけはなんとか聞き出したから、なんとかして」、との家族からの電話。
うーん、たしかにぼくの銀行口座は(むかし British Council に指定された Midland Bank)いまは合併後の HSBC にある。でも必要な通知はいつも郵便でくるのに、なぜ電話なんだ?緊急のことといえば AJC ? でも、ちょっと怪しい。
で、念のために、言われた電話番号を Google で検索。
すると、いくつかのblogでの言及とともに、HSBC Africa のページが上位にある。慎重にそのページにアクセスすると、
OFFSHORE: Welcome to offshore banking with HSBC Bank International . . . .
これはうそのページではなさそうだ。トップにロンドンの電話番号が記されていて、Get in touch . . . とある。あらゆる可能性がまだ否定できないが、結局、こっちがあまり英語のできない日本人だということをよく分かってない若手職員による、ごく普通の「営業トーク」だったのかもしれない。お疲れさま。
ちなみに offshore とは、大陸から海を隔てた「ブリテン諸島」とか「日本列島」とかいう意味じゃなくて、海外居住者向けの金融ビジネスで、税制・法制上の有利をはかるもの;日本でタックス・ヘイヴンと呼ばれるものと関係する場合も関係しない場合もふくむ概念のようだ。
英国の銀行口座を持ってるといっても、それは32年前の留学生として開いた口座を維持しておいたほうが細々としたことで便利だ、というだけで、残額も微々たるもの。有利な運用もなにも無縁なのだが。円とポンドで桁を間違えたんじゃないでしょうね。--とはいえ、ガラパゴス日本の平和で安全な日夜にぼんやりしているうちに、「上客」と見まがわれたか。気をつけましょう。
2011年11月3日木曜日
SOHBI の邦訳
→ http://kondo.board.coocan.jp/?m=listthread&t_id=579
先々週、院生とのやりとり(「きみ、なに言ってんの」!?)があったお陰で、確認できた点です。さもなければ、済みません、読んでいませんので‥‥
ちなみに申しますと、巻末に記されている編著者 Collinson 先生の経歴で「ケント大学(ケンブリッジ)」はひどい。編集サイドの常識の問題でもあります。
University of Kent at Canterbury はキャンタベリ市にあるケント大学(1960年代設立)、ケインブリッジ大学とは全然関係ないが、一時期はコリンソンや Theo Barker を擁して勢いのあった新設大学でした。ラテン語で Cantuaria.
ケインブリッジの Cantabrigia との間でとくに略号で記された場合には紛らわしかったりしますが、それにしても中近世において Cantab.と Cantuar.の区別は決定的に重要ですね。