2024年5月1日水曜日
衆院補選 東京15区
マスコミは「立民3勝、自民3敗」とか言っていますが、「敵失」で勝っただけですので、驕らないでほしい。個人的には、むしろ選挙運動中に目撃した現象につき、たいへん憂慮していました。最終的な投票結果をみて、ほんのすこし安堵というか、まだ最悪の情況ではないかな、という暫定的な気持です。
ぼくが目撃したのは商業施設前での立ち会い演説における「根本りょうすけ」の妨害行為です。何百メートルも先から聞こえる大音響で、特定候補にからみ、執拗に妨害するのです。
たまたま地下鉄駅前で支持者を前に演説していた日本保守党(百田尚樹が代表、全員が富岡八幡宮のたすきを掛ける)の選挙カーにほとんどぶつかる勢いで、「保守党は戦争国家アメリカとイスラエルを支持している」と、この点に限れば的確に衝いて(!)、「論破した、どうだ、なにか言えるか」といった調子で、支持者たちには「そのじじい、ばばあ、言ってみろ」と罵倒する。
立憲民主党の宣伝カーは、近づく前に回避して他の方向へ向かったので、「おい立民、逃げるのか」と追って挑発する。ちょっとラップのリズムをまねたような調子で悪罵と威嚇(の大音響)を連ねて、聴衆・観衆を挑発する。ぼくは目撃していませんが、「都民ファースト」の乙武洋匡や「維新」への個人攻撃もすごいものがあったようです。
→ NHK → 読売新聞 → 毎日新聞
ようするに、ひとが選挙宣伝活動を続けられないように妨害し、かつ聴衆を威嚇しているだけなのですが、しかし、右を攻撃し、左にまとわりつき、小池都政を罵倒し、どういう政治的メッセージなのか、よくわかりません。無為無力の老人党をたたき、共民の連立を攻撃するというのは、よくある年金世代に反発する若者へのアピールなのでしょうか? 反米反中の国粋主義というトーンは他の候補にもうかがえるのですが、「論破」して対話の余地をあたえない、その攻撃性、威嚇性という点では他に類のないほどきわだちます。
公職選挙法における妨害行為 ⇔ 言論の自由、という争点で、裁判所の判決が言論の自由を優先してきたことが、警察の取締を抑制させている、との報道もありました。この点は、もっと分析的に正確に伝えてほしい。
トランプの政治姿勢にも似た、一種の民衆的・反知性的ファッショの要素がどれだけ許され、大衆的に受け入れられるのか? 開票結果がどうなるか、注目してフォローしました。東京15区では → NHK
酒井なつみ(立民)=49,476票が一位当選。
その下に2万票前後で4人が団子にならび、最下位に
根本りょうすけ(つばさ)=1,110票。
総計141,076票のうち、「つばさ」を名乗る泡沫威嚇グループは1%に満たなかった。とはいえ、千票以上も支持する者がいた。これは不健全な、見逃せない現象です。ナチスも合法的に、マッチョで威嚇的な運動によって勢力を伸ばしたのでした。
2021年1月23日土曜日
罰金と過料のちがい?
いま22日の閣議決定をへて国会に上程されようとしている「特別措置法改正案」のなかの用語ですが、時短要請について知事が命令したことに違反した場合に「50万円以下の過料」; 「感染症法改正案」の場合は、感染者の入院拒否や病院からの逃亡にたいして「懲役1年以下または100万円以下の罰金」; という規定があります。
現在のあくまで個人主義的な自発性にもとづく自粛、行政側からすれば「協力のお願い」では効果がうすい、というので、現政権はおそるおそる罰則規定を加えるわけです。それにしても「過料」と「罰金」はどうちがうんだ? それに「過料」って「科料」のまちがいでは? というので辞書を引き、ウェブで調べてみました。
「罰金」は刑法に定められているとおり、犯罪の処罰のうち死刑、懲役、禁固などの下位にある制裁の一つ。1万円以上。裁判所の判決できまるわけで、有罪になればもちろん「前科」として記録にのこる。その後の人生で、原則、公務員にはなれない。
「科料」も刑法で定められた刑罰だけれど「軽微な犯罪に科する財産刑」で1万円未満。「とがりょう」とも読むらしい。
「過料」は刑法上の刑罰ではないとのこと。「江戸時代から過失の償いに出させた金銭」に由来するもので、現行法でも軽い禁止に違反した場合にしはらう「秩序罰」、「あやまちりょう」とも読むらしい。
つまり、感染者が病院への入院を拒んだり、勝手に逃亡したりした場合は刑事罰として罰金/懲役を科される。休業や営業短縮などの命令に反した場合は、秩序罰として過料(罰金より軽い、あやまちりょう)にとどめる‥‥という差をつけるのですね。
ところでぼくは今のようなパンデミックの情況下には、強制力をともなう非常措置をとることに反対ではありません。ただし、せいぜい秩序罰だし、期限を明示し、始まりも終了も国会で決める、という条件で。
歴史的にローマの共和政でも、フランス革命の革命政府でも非常事態には dictator(独裁者)の執政が有期で(6ヵ月/1ヵ月)定められました。元老院や国民公会など議会が承認し決定することが条件です。カエサルが元老院で殺されたのは、有期のはずの独裁者なのに、彼の場合は「終身の独裁者」となったからでした。<小池和子『カエサル』(岩波新書、2020)
ロベスピエールたち山岳派の革命独裁(dictature)の場合は個人独裁ではありませんが、やはり(はじめは)期限をいちいち更新していました。なんといっても「徳と恐怖」の革命政府(非憲法体制)ですから、いささか疑問や異論を唱えただけで「反革命」と認定されればギロチン(断頭台)に上るわけです。1794年の3月からは、あのダントンさえ逮捕、処刑され、いつまで続くかわからぬ大恐怖のさなか、疑心暗鬼になった革命家たちが7月にクーデタを企て、ロベスピエールやサンジュストを国民公会で逮捕し革命独裁を終わらせました。
いずれの場合も、元老院や国民公会が舞台になったこと、議会主権が肝要です。
ところで、平和な日本ではギロチンでも暗殺でもなく、せいぜい「100万円以下の罰金」か「過料」でことは済みそうですが、それにしても 「罰金は、罪状や金額に関わらず、原則として現金一括払いで、納付した罰金は確定申告の控除対象とはなりません。」とのことです。 ご注意を! <https://www.keijihiroba.com/punishment/labor-seekers.html
2020年2月2日日曜日
つらい別れのときに エリオット
"Only in the agony of parting, do we look into the depths of love.
We will always love you, and we will never be far."
「つらい別れのときに、ようやくわたしたちは愛の深さ[複数形! あれこれの強烈な想い出!]を見つめる。
これからもずっとあなたを愛しています。遠い所に行ってしまうわけではないので。」
しかもこれに加えて、United in diversity といった青いバナー(横幕)が掲げられては、もぅ感涙するしかないじゃありませんか。
こうした優しい配慮と友情にたいして、感謝を知らないウツケ者ファラージ(Brexit党)は、
「1534年に我々はローマ教会から抜けて自由になった[首長法のこと]。いま我々はローマ条約[1957年の条約によるEEC結成]から自由になるのだ」
などと公言して悦に入っている。ローマカトリック信徒への差別、みずから国家主権の亡者であることを包み隠さぬポピュリストです。
【ちなみにポピュリスト・ポピュリズムをマスコミは大衆迎合主義(者)と訳していますが、これは不十分です。大衆に迎合するようなこと[フェイクも含む]を言って扇情的に政治権力を執ろう[維持しよう]とする政治手法ですし、そういう政治家です。「デマゴーグ」と昔は呼んでいました。ファラージもジョンソンも、トランプもヒトラーも。大衆受けを狙うだけなら、そう悪いことじゃない。芸能人は(かつてのトランプも)それが商売です。しかし、デマゴーグの扇情的=分断的=反知性的手法でポリティックスをやられては、地獄か煉獄です。ナチス政権は、12年間続きましたね。】
2019年9月27日金曜日
主権は議会にあり、それを制限する内閣の決定は違法にして無効
この判決文は、全文24ぺージのPDFとして容易にダウンロードできます。
← https://www.supremecourt.uk/cases/uksc-2019-0192.html Judgment(PDF)
こう書くと「またデハのカミが」と揶揄されそうですが、それにしても最高裁判決が、このように知的で明晰だというのは、羨ましいかぎり。大学院の授業で教材として熟読したいくらいです。
判決文の出だしに、1段落使って、重要なことだが、そもそも問題になっているのは Brexit の内実ではなく、ジョンスン首相が8月末に女王にたいして議会を prorogue するよう助言(進言)して10月14日までそのように定めたことが、法にかなっているかどうかである。このようなイシューは空前絶後であり、再発はありそうもない、one off (1回きり)である、と確認しています(p.3)。
以下の論理がすばらしい。
そもそも議会の会期の定義から始まります。Prorogation とは「会期延長」や「停会」ではなく、議会の活動停止であって、その間は議場での討議だけでなく、委員会で証言をとることもできないし、内閣に対して書面で質問することもできない。政府は法的権限内で権力行使できる(p.3)。
Prorogation を決めるのは議会の権限でなく、君主(王権)の特権である。が、議会主権ということに随伴して、prorogue する権限は法によって制限される。というわけで、挙がっている先行法は 1362年法(エドワード3世)、1640年法、1664年法、1688年法(権利の章典)、スコットランド1689年法(権利の要求)、1694年法‥‥(p.17)
【法の年度の数え方が、われわれ歴史家と違って、法律実務家の慣行に従い、議会会期の始まった時点の西暦年で記されています。歴史的に[われわれの世界では]、権利の章典は1689年、権利の要求は1690年なのに‥‥】
それにしても最高裁の判事さんたちも The 17th century was a period of turmoil over the relationship between the Stuart kings and Parliament, which culminated in civil war. という認識を共有しているのは嬉しいですね。The later 18th century was another troubled period in our political history . . . .(p.12) といった判決文を読み進むのは、心地よい。イギリス史をやってて良かった!と思える瞬間です。
判決文の後半では、議会主権(Parliamentary sovereignty)という語が、何度繰りかえされているでしょう。きわめつけは、ブラウン-ウィルキンスン卿の判例からの引用で、 the constitutional history of this country is the history of the prerogative powers of the Crown being made subject to the overriding powers of the democratically elected legislature as the sovereign body (p.16). というのです。いささかホウィグ史観的だけれど、とにかく行政権力による議会主権の制限は違法であり、無効であり、ただちに取り消されなければならない、という力強い結論に導かれます。
ここでは「議会絶対主義」という語こそ用いられないけれど、現在の民主主義の本当の問題は、まさしく
議会主権 ⇔ ポピュリズム
議会制民主主義 ⇔ 人民投票型衆愚政治
というところにあるのではないか、と考えさせる、知的な判決。
英国の最高裁が全員一致で、迅速に、こうした明快な判決を出したこと、そしてそれを誰にも読みやすい形で(全文とサマリーと)公表したことは、すばらしい。『イギリス史10講』の最後(p.302)を久方ぶりに読みなおすことができます。日本の司法もこうあってほしい。
2019年9月5日木曜日
迷走する英国に将来はあるのか
8月末に書きましたとおり、ひたすら引き籠もりの夏ですが、イギリス議会のことは危機感とともに見ています。ジョンスン首相の議会 suspension (延期・一時権限停止)案というのは17世紀のチャールズ1世以来の暴挙、すわ革命か、といった策です。
9月3日の官邸前記者会見で訴えたのは、1. Police, 2. Hospital, 3. Schoolへの予算配分だけ、これであとは‘no IFs, no BUTs’の Brexit へ突入するというのですから、無手勝流もいいところです。内政というより保守党支持者を繋ぎ止めるための政策だけで、あとはどうしようというのでしょうか。これが英国首相の演説とはにわかに信じられません。
現地4日(水)の庶民院では
1) 野党提案の「No-deal Brexit を阻止する法案」可決。
2) これに対抗して首相から解散・総選挙提案、これは圧倒的に否決。
与党保守党から党議違反の21議員が造反し、除名。
ソースは https://www.bbc.com/news/uk-politics-49580180
https://www.bbc.com/news/uk-politics-49584907
では、これで野党筆頭の労働党が優位に立ったかというと、残念ながら党首ジェレミ・コービンはただの旧左翼です。1980・90年代にサッチャ・メイジャ政権が長く続いた根拠にはときの労働党の無為無策がありました。今回も - 2010年以来の長期保守党連立政権です - 似ていると思います。ブレア・ブラウンの新労働党政権(1997-2010)が去ってから、労働党は New Labour でなく Old Labour に戻っちゃったのですね。
たしかに2016年以来のキャメロン・メイ・ジョンスンのリーダーシップには愚かで党利党略に走ったところがありました。でも、その愚策のままに許したのは野党第一党の労働党です。
英国(美しくひいでた国)と表記されて、明治以来の日本人の多くから一目置かれてきたイギリス、連合王国。
歴史と金融と高等教育で生きながらえてきた老大国は、2016年のレファレンダムから以降の混乱を抜け出さないかぎり、人材もカネも流出して、尊敬も注目もされない、ただ歴史をほこるだけの老国になってしまうでしょう。
歴史的な老国といっても、イタリアの場合は、風光明媚で、北から南まで魅力が尽きない、男女とも魅力的、なんといっても(どこへ行っても)食べたり飲んだりに楽しみがある。
イギリスは、太陽が不足して、なにしろ食べたり飲んだりに楽しみがない!
2019年4月5日金曜日
ブダペシュトの市場にて
社会史的におもしろいのは、この中央市場です。タイル張りで1897年竣工。なかは2階建て。その活況が楽しい。それから隣接の Corvinus University (経済大学)はかつてポランニ先生がイギリスへ移る前にいた所と知ると、親しみが沸いてくる。すぐ脇が「自由橋」です。
ところで撮ってきた写真を眺めていて、ランチを摂った中央市場のテーブルに、白いビニールの掛けものがありました。
なんとこれを拡大してみると(真ん中やや上の部分)、こんなことが記してある。
サッチャ首相、ブッシュ大統領、ダイアナ妃は、さもありなんという方々だが、Emperor of Japan って今上陛下のこと?
美智子皇后もこの活気ある空間に立たれたのか! グーラシュを召し上がったのだろうか? そこで検索してみると、宮内庁のサイトに「平成14年7月16日(火)」ハンガリー大統領主催の晩餐会@国会議事堂(!)で述べられた「お言葉」が載っています。つまり2002年。そこでは、
1770年に来日し,長崎のオランダ商館に滞在したイェルキ・アンドラーシュから、
翌年,ハンガリー生まれの冒険家であったベニョフスキー・モーリツの来航に言及したうえで、
「オーストリア・ハンガリー帝国が成立した1867年は,私の曾祖父明治天皇がその父孝明天皇を継いだ年であり,二百年以上続いた徳川将軍を長とする幕府が廃された年でもあります。我が国が,諸外国との交流を深め,国の独立を守り,近代化を進めるための非常な努力を始めた時でありました。オーストリア・ハンガリー帝国と我が国との間に国交が開かれたのは,その翌々年になります。‥‥」そして
「ハンガリー語と日本語が共にウラル・アルタイ語族に属しているということから,20世紀初頭,語学研究のため,ハンガリーに滞在した白鳥庫吉のような東洋史学者‥‥」といったことまでディナースピーチは及んだのでした。引用は、http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h14e-easterneurope.html#HUNGARY より。わが不明を恥じます。
ブダペシュト議会
その後はもっぱら休養と必要最低限の外出にとどめて、なんとかなっています。
想い起こすに、中欧の経験はやはり強烈です。
19世紀ブダペシュトの繁栄は建築史的にもおもしろい証を残していて、それは19世紀前半までのダブリンの繁栄と比較できるくらい。人口的にはブダペシュトのほうがずっと大きく、アイルランド島よりも広いハンガリー王国の人口も大きい。なんといってもドナウ流域圏の「女王」です。19世紀にアイルランドがブリテンと連合王国(UK)をなしていたのと似て、ハンガリーはオーストリアとアウスグライヒ(二重帝国)をなして、従属的とはいえ、どんどん成長しました。
隣接する大国の普遍言語(英語、ドイツ語)が浸透しつつもゲール語、マジャール語に集約される豊かな民俗文化が強烈に残っているという共通性も指摘できます。
この場合、アイルランドとハンガリーの違いは、地理的に内陸か臨海かといった相違点に加えて、1) アイルランドの人口流出が人口減少にいたったのにたいし、ハンガリーは人口減少にはいたらなかった。2) アイルランドは歴史的な議会を失い、ハンガリーは歴史的な議会を維持した。3) ハンガリー(ブダペシュト)におけるユダヤ人口の大きさ。といった差異は決定的かもしれない。
Annabel Barber, Blue Guide Budapest (3rd ed., 2018) によると、
18世紀までハンガリー議会は開催地を固定せず、時に応じて召集されていたが、19世紀に入るとプレスブルク(ブラティスラヴァ)からペシュトに召集されるようになり、1880年に上下両院を一つ屋根のもとに収容できる立派な建物、「他のすべての建物を下に見、ハンガリー国民の力を表現し、ハンガリー人の全体を代表具現するような象徴的建造物をドナウ川岸に」たてる計画が始まり、1902年に竣工した。両翼の端から端まで265m、真ん中のドームの高さ96m.大きさと威容だけでなく、ドナウ川に面したゴシック・リヴァイヴァル様式の美しさは、テムズ河畔のウェストミンスタ議会(1852竣工)にも比すべきものです。
ところで、両議事堂はそれぞれ大きな川に面していますが、ブダペシュトでこれは西に面し、ウェストミンスタでは東に面し、そのため千数百キロを隔てつつも、両議事堂は対面している、という関係です!