(承前)
旅行者で、ぼく以外にもそう考えていた人は少なくないと思われます。
ゆったり朝食を摂り、電車を乗り継いで10時過ぎに新大阪駅についてみると - 構内の土産品など売店がキヨスク以外はすべて閉まっていること、改札口からすでに大勢の人が滞留していることを目撃して、これは「もしやヤバイかも」と考えが変わりました。
いつもの25番・26番の二つだけでなく27番も合わせて上りホームを三つ使っていること、職員を多数ホーム上に配置していること、電光掲示にあきらかに急造りの最新情報を伝える英語表記も出ていることなどからは JR東海が本気で取り組んでいるのが伝わりました。
で、災害時なので予約した夜ののぞみ指定席(全便不通)でなく、来た便の自由席のどれにも乗れることを確認してから、戦略的に考えました。
10:20発のぞみ、10:40発のぞみ、いずれの場合も待ち行列は各乗車口ごとに40m、50m以上。広く長いホームは一杯です。要するにだれでものぞみの自由席に乗りたいと考えるでしょうが、のぞみの自由席は1・2・3号車のみ。しかも指定席を臨時に自由席に開放するといった策はとらない。であれば、指定席車両に乗り込んで、立って2時間半揺られるという選択肢も含めて、これ以上、のぞみのために行列するのは愚か。
ひかりを狙おう。ひかりは3時間あまりかかるが、自由席は1・2・3・4・5号車で、すこし余裕があるし、東京までは行かない客も多いはず。
というわけで、10:20発のぞみ4号車のための行列の最後尾に付いて、その次に来る10:43発ひかりを狙いました。10:20発のぞみ、10:40発のぞみのいずれについても積み残しがあり、JR職員は指定席車両に乗車するよう勧誘する、という方針のようでした。こういう時に、機敏に動ける人とそうでない人との差は大きく、見ていても気の毒なほどです。
ぼくの場合は、狙い通り、10:20発のぞみの出たあと、43発ひかりのために残った短い行列の前のほう(10人目くらい?)に位置することができましたが、向かい側では、10:40発のぞみのための行列がさらに蛇行していました。しかも、なんとひかりは、ぼくの乗る10:43発が最終なので、その後はぼくのような戦略を採ることができなくなったわけです!
実際に来たひかり10:43発はそれなりに(一両100人中40人分くらい?)空席はあって、ドタバタせずに座れたのですが、京都から先は、車中のデッキに立つ人たちが溢れることとあいなりました。東京までのあいだに、浜松や静岡で後発ののぞみに抜かれながら、東京駅にはすこし遅れて13:50に到着しました。途中は校正刷りのコピーを見直したり、居眠りしたりできて、個人的には賢明な選択だったと思いますが、それにしても、新幹線はもうすこし後の時間まで、たとえば2時間ほど余分に、運行できなかったのでしょうか。
もちろんJR経営体として、万が一にも新幹線車両が暴風雨で立ち往生したうえ、最悪のケースとしては(むかし山陰線の鉄橋であった事故のように)暴風にあおられて新幹線車両が脱線転覆するといった大事故があったりしてはいけないと、そこは慎重に判断した、ということでしょうか。
東京駅も混雑していましたが、雨風はなく、嵐の前の静けさ? 今晩20時に山手線など首都圏の在来線も運行停止と予告されています。(大阪行きの前に、すでに自宅ベランダに置いていた植木や、洗濯物干しフレームや、ガラクタの類いは室内にしまって置きました。)
これまで読まれたように、ぼくはいろいろと楽観的で、良いほうにしか物事を考えない傾向があります。皆さま、どうぞ楽天家の近藤をよろしくご善導くださいませ!
2018年9月30日日曜日
台風24号 最接近
週末に台風24号最接近! 21号に続き、全国的に警戒状態。
というのは存じていましたが、まぁ、大丈夫、と構えていました。
ですから、土日の大阪・中之島センターでの研究会は土曜のみ、日曜は中止/延期、という主催者の方針を聞いて、ぼくとしては、慎重なのはよいが大事のとりすぎかな、という受け止め方でした。なにしろJR東海で予約した出張パックが「宿も列車の座席も指定で、変更不能」という設定なので、面倒だな、というのが正直なところ。
で、金曜午後のぼくの返信は【 28 Sep 2018 15:41 】
「拝復、心配してくださって、ありがとう。日曜なので、美術館、図書館巡りも良いかな、と考えています。いま、出版社にて再校の交渉に向かう車中です。秋晴れの素晴らしい午後です。」
といった呑気なものでした。
これには主催者も慌てたようで【 28 Sep 2018 15:49 】
「‥‥日曜日の昼間は暴風雨が懸念されます(美術館・図書館の閉館も含めて)。もし外出が厳しいということになれば、‥‥[これこれという代案も考えてくれて‥‥]明日はお気をつけていらしてください。」
さらには続伸で【 28 Sep 2018 18:31 】
「‥‥夕方の関西圏のニュース&天気予報を注視しています。JR西日本などは山陽新幹線を含め30日昼から1日にかけて運休の可能性を発表しました。(東海道新幹線はわかりませんが。)こちらのニュースによれば30日夕〜夜が大阪で最も暴風雨の強まる時間帯となり、鉄道・自動車を含め移動が困難になることが見込まれます。一案として「パックで予約されている分は30日朝の宿泊までとし、帰りの新幹線のチケットは事実上”捨てて”もらう」→「あらためて30日朝の新幹線の「新大阪→東京」の片道チケットを予約してもらう(片道分の旅費は主催校でなんとかできないか聞きます)」ことを提言します。」
とまで提案してくれました。
この段階では、西日本ではそうでしょうが、東海道新幹線は大丈夫。なにしろ九州に上陸して四国・中国と経由するうちに台風の威力は弱まるのだから、と公言さえしていました。この間の自然災害について、東京ないし南関東の被害は比較的少なく、徳川家康の江戸立地センスのすばらしさ、なんてことさえ東京の親しい仲では口にしていました!
実際、土曜に大阪について、雨ではあったけれど、とくに風がどうとかいうわけでもなく、午後の研究会は時間とともに討論も充実しました。「礫岩のような国家」をどう見るか、から「近世ヨーロッパ」をどう見るか、さらに今一度、「ウェストファリア体制を再考する」とかいう問題設定から一歩先へ進んで、
・主権概念の生成プロセスにおける類似用語の併存・重なり;
・主権者の家産領や、特権的な社団の編成を越えて「国家/主権国家っていったい何なんだ」という問題への回帰 -
という所まで確認できました。神聖ローマ帝国(Reich)および皇帝(Kaiser)、ドイツ王、ローマ王のなんとも絶妙な用語法も!
5月27日の早稲田における歴史学研究会大会、合同部会「主権国家 再考」およびその特別号での刊行(晩秋)が、おそらく西洋史研究および世界史研究にとってひとつの画期になりそうな予感も共有して、とても良かったのですが、それだけに2日目が先に延期というのが残念至極。
遠方から来て夜の会食後に大阪に泊まるのはぼく一人(他はみな今晩中に帰途へ)、と分かり、さんざ脅かされ、帰宿して、日曜午前は、新大阪発11:40 → 東京着14:13(のぞみ16号)が最終、という報道とJR新幹線サイトも確認しました。そのあと、書いたのは【 29 Sep 2018 23:14 】
「いろいろとありがとう。‥‥テレビおよびインターネット情報で、午前中の新大阪発上りは大丈夫ということで、早めに帰宅します。今日の研究会は、佳境に入って時間切れというのがもったいなかったね。」
という具合に呑気でした。朝食もゆったり摂って、宿は交通至便なところなので、JRを乗り継いで新大阪に11時前に着けば楽々‥‥と。
というのは存じていましたが、まぁ、大丈夫、と構えていました。
ですから、土日の大阪・中之島センターでの研究会は土曜のみ、日曜は中止/延期、という主催者の方針を聞いて、ぼくとしては、慎重なのはよいが大事のとりすぎかな、という受け止め方でした。なにしろJR東海で予約した出張パックが「宿も列車の座席も指定で、変更不能」という設定なので、面倒だな、というのが正直なところ。
で、金曜午後のぼくの返信は【 28 Sep 2018 15:41 】
「拝復、心配してくださって、ありがとう。日曜なので、美術館、図書館巡りも良いかな、と考えています。いま、出版社にて再校の交渉に向かう車中です。秋晴れの素晴らしい午後です。」
といった呑気なものでした。
これには主催者も慌てたようで【 28 Sep 2018 15:49 】
「‥‥日曜日の昼間は暴風雨が懸念されます(美術館・図書館の閉館も含めて)。もし外出が厳しいということになれば、‥‥[これこれという代案も考えてくれて‥‥]明日はお気をつけていらしてください。」
さらには続伸で【 28 Sep 2018 18:31 】
「‥‥夕方の関西圏のニュース&天気予報を注視しています。JR西日本などは山陽新幹線を含め30日昼から1日にかけて運休の可能性を発表しました。(東海道新幹線はわかりませんが。)こちらのニュースによれば30日夕〜夜が大阪で最も暴風雨の強まる時間帯となり、鉄道・自動車を含め移動が困難になることが見込まれます。一案として「パックで予約されている分は30日朝の宿泊までとし、帰りの新幹線のチケットは事実上”捨てて”もらう」→「あらためて30日朝の新幹線の「新大阪→東京」の片道チケットを予約してもらう(片道分の旅費は主催校でなんとかできないか聞きます)」ことを提言します。」
とまで提案してくれました。
この段階では、西日本ではそうでしょうが、東海道新幹線は大丈夫。なにしろ九州に上陸して四国・中国と経由するうちに台風の威力は弱まるのだから、と公言さえしていました。この間の自然災害について、東京ないし南関東の被害は比較的少なく、徳川家康の江戸立地センスのすばらしさ、なんてことさえ東京の親しい仲では口にしていました!
実際、土曜に大阪について、雨ではあったけれど、とくに風がどうとかいうわけでもなく、午後の研究会は時間とともに討論も充実しました。「礫岩のような国家」をどう見るか、から「近世ヨーロッパ」をどう見るか、さらに今一度、「ウェストファリア体制を再考する」とかいう問題設定から一歩先へ進んで、
・主権概念の生成プロセスにおける類似用語の併存・重なり;
・主権者の家産領や、特権的な社団の編成を越えて「国家/主権国家っていったい何なんだ」という問題への回帰 -
という所まで確認できました。神聖ローマ帝国(Reich)および皇帝(Kaiser)、ドイツ王、ローマ王のなんとも絶妙な用語法も!
5月27日の早稲田における歴史学研究会大会、合同部会「主権国家 再考」およびその特別号での刊行(晩秋)が、おそらく西洋史研究および世界史研究にとってひとつの画期になりそうな予感も共有して、とても良かったのですが、それだけに2日目が先に延期というのが残念至極。
遠方から来て夜の会食後に大阪に泊まるのはぼく一人(他はみな今晩中に帰途へ)、と分かり、さんざ脅かされ、帰宿して、日曜午前は、新大阪発11:40 → 東京着14:13(のぞみ16号)が最終、という報道とJR新幹線サイトも確認しました。そのあと、書いたのは【 29 Sep 2018 23:14 】
「いろいろとありがとう。‥‥テレビおよびインターネット情報で、午前中の新大阪発上りは大丈夫ということで、早めに帰宅します。今日の研究会は、佳境に入って時間切れというのがもったいなかったね。」
という具合に呑気でした。朝食もゆったり摂って、宿は交通至便なところなので、JRを乗り継いで新大阪に11時前に着けば楽々‥‥と。
2018年8月16日木曜日
「花へんろ」ぞなもし
猛暑と大雨ばかりでなく、驚くような事件も続きます。みなさんは、いかがお過ごしでしょう。
7月末からほとんど10日間ちかく、「ウイルス性喉カゼ」というのにやられ、年齢のせいかもしれませんが、猛暑も加わり、かなり苦しみました。「喉が痛いな」という感覚から始まり、翌日からセキ、痰が出始め、(ウイルス性で投薬は効かないということなので)栄養と十二分の安眠で自力治癒を目指しましたが、そう簡単には回復しませんでした。
その間、知的活動はあきらめ、BSの再放送をはじめ、いくつかの古いドラマや映画を見たりして過ごしました。とりわけ「花へんろ」と「新花へんろ」は愛媛県松山市の郊外「風早町」の「勧商場」とその近隣の人間模様を、関東大震災(1923)から敗戦(1945)、そして戦後のカオスにいたるまで定点観測した作品。そういえば、1985-88年、そして1997年に見たことを想い出しましたが、細部はずいぶん忘れています。早坂暁のライフワークでもあり、桃井かおりの「成長」を目撃する作品にもなりました。
「昭和とは どんな眺めぞ 花へんろ」という早坂暁の句が毎回、最初と最後に詠まれ、時代を描きつつ、高度経済成長以前の地方の商家と、それぞれの理由で四国遍路に出かける人々の悲哀が語られます。
じつは松山市中に生まれたとはいえ5歳までに四国を出たぼくにとって、お遍路さんはまったく馴染みのない存在ですし、また「‥‥ぞなもし」という言い回しも親類縁者の間で聞いたことがなく、大人になってからむしろ余所者感覚で認識することになります。
むしろ昭和の後半の松山の人々にとって、お遍路さんよりも瀬戸内、そして大阪とのつながりの方が大きかったと思われます。戦争を生き延びた父も叔父も、そして(尾道の)ぼくの母の父も人生の前半の重要局面で、大阪の学校や企業(日立製作所、大阪商船、東洋レーヨン)に関係していました。「新花へんろ」では東京のエノケンの偽物、大阪の「土ノケン」が登場して笑わせますね。
2018年6月18日月曜日
大阪の地震
今朝、起きぬけの大阪北部地震ですが、マグニチュード6.1。高槻、茨木、箕面あたりで震度6弱。ちょうど大阪大学のキャンパスおよび宿舎の広がる付近ですね。まだ正確なことを知らぬまま書くのははばかられますが、皆さん、どうぞ身の安全を第一にお考えください。
85歳の男性が自宅で倒れかかってきた書棚に挟まれて死亡というのも、痛ましいニュースです。寝室に「腰より高い物は置くな」とよく言いますが、住宅事情からむずかしい場合もあるでしょう。
【さきの東日本大震災で、ぼくはたまたま自宅にいて難を逃れたのですが、翌日、大学に行ってみたら、部屋のドアはすなおに開かず、全身の力で押して入ってみると、書棚の本や書類が床に散乱していました。固定書棚とは別に、高さ2mのスチール書棚も16基くらいならんでいましたが、据え付けかたを以前から -初歩的な物理学の知恵で- 工夫していたのが幸いしたか、倒れたものは一つもありませんでした。】
それにしても大都市の地震としては、被害は特別に甚大ではなく、耐震、耐火の対策がそれなりに効果があるのだと実感しました。不幸中の幸いです。
フォーラム〈地球学の世紀〉ですでに2011年より前に(!)地震学者が警告していました。21世紀日本にとって、次から次と大地震が起こるのは避けられない。だから、都市とインフラの耐震化・津波対策は、ほとんど運命的に重要だと。
→ このフォーラムの全もくじは、https://honto.jp/netstore/pd-worklist_0629016704.html
全会合の記録が、松井孝典監修『全・地球学 1996-2017』(ウェッジ、2018)というでかい本として出版されています。ぼくも2項ほど書いています。
2016年12月19日月曜日
中之島センター & ダイビル
(承前)
17日の会は、大阪・中之島における『礫岩のようなヨーロッパ』をめぐる、ヨーロッパ中近世史の方々による合評会でした。執筆者も6名が出席し、企画者・司会のリードのおかげで、効率的に集中的に討論することができました。
中世から近世への移行の契機(?)をめぐって考えに違いのある場合も含めて、基本的な共通理解は確認できました。せっかくいらした並み居る論客も、時間の制約のもとでは自由に発言なさったわけではなく、その点は残念でした。同じく中之島のダイビル3階でも討論は継続。
自宅に着いてみると岩波書店から『図書』1月号が到来していました。http://www.iwanami.co.jp/magazine/
「EUと別れる? イギリスのレファレンダムと憲政の伝統」pp.7-11
という拙文を寄稿しましたが、最後に『礫岩のようなヨーロッパ』におけるケーニヒスバーガの「議会絶対主義」という語にも注意を喚起したものです。
6月23日のレファレンダムの結果は(当初のショックから落ち着いてみると)ただ右翼のデマゴギーの産物というだけではとらえきれず、複合的ですが、イギリス人にとって金科玉条の議会主権にたいするEUの侵犯、というキャンペーン言説がかなり効果的だったから、という一面もあります。その点で、トランプ旋風のアメリカ合衆国とはすこし違う。
ちなみに、フォーテスキュの dominium politicum et regale はイギリスの場合、
「議会と王権(という2つの別の機構)による主権の分有」
と理解してよいでしょうか? 否です。
イギリス憲政の理解では politicum et regale は King in Parliament (議会のなかの王、王とともにある議会)として現象します。
近代には、行政は責任内閣制;司法も貴族院の司法議員 law lords が最高位(つまり最高裁は議会(貴族院)の中にあった)。要するに、日本・合衆国・フランスのような三権分立でなく、三権がすべて議会のなかにある、そうした議会主権=「議会絶対主義」。
【EUから、司法の立法府からの独立を申し渡されて、2009年に独立しました】。
つまり dominium politicum et regale は、 politicum et regale が形容詞であることにも現れているように、2つの実体・機構による主権(権力)の分有をさすとは限らず、むしろ、mixed constitution をはじめとする歴史的な統治構造の分析概念として(のみ)有用なのかも、と未整理ながら、考えこみました。
【なお直江真一氏による「政治権力と王権による支配」(『法政研究』67, pp.545, 547註3)というのは、完全に混乱した誤訳です。http://ci.nii.ac.jp/naid/110006261848】
ついでに16世紀末イギリスの作品『悲劇の形をとった史劇、デンマーク王子ハムレット』についても進展があります。いずれ、また後日に。
17日の会は、大阪・中之島における『礫岩のようなヨーロッパ』をめぐる、ヨーロッパ中近世史の方々による合評会でした。執筆者も6名が出席し、企画者・司会のリードのおかげで、効率的に集中的に討論することができました。
中世から近世への移行の契機(?)をめぐって考えに違いのある場合も含めて、基本的な共通理解は確認できました。せっかくいらした並み居る論客も、時間の制約のもとでは自由に発言なさったわけではなく、その点は残念でした。同じく中之島のダイビル3階でも討論は継続。
自宅に着いてみると岩波書店から『図書』1月号が到来していました。http://www.iwanami.co.jp/magazine/
「EUと別れる? イギリスのレファレンダムと憲政の伝統」pp.7-11
という拙文を寄稿しましたが、最後に『礫岩のようなヨーロッパ』におけるケーニヒスバーガの「議会絶対主義」という語にも注意を喚起したものです。
6月23日のレファレンダムの結果は(当初のショックから落ち着いてみると)ただ右翼のデマゴギーの産物というだけではとらえきれず、複合的ですが、イギリス人にとって金科玉条の議会主権にたいするEUの侵犯、というキャンペーン言説がかなり効果的だったから、という一面もあります。その点で、トランプ旋風のアメリカ合衆国とはすこし違う。
ちなみに、フォーテスキュの dominium politicum et regale はイギリスの場合、
「議会と王権(という2つの別の機構)による主権の分有」
と理解してよいでしょうか? 否です。
イギリス憲政の理解では politicum et regale は King in Parliament (議会のなかの王、王とともにある議会)として現象します。
近代には、行政は責任内閣制;司法も貴族院の司法議員 law lords が最高位(つまり最高裁は議会(貴族院)の中にあった)。要するに、日本・合衆国・フランスのような三権分立でなく、三権がすべて議会のなかにある、そうした議会主権=「議会絶対主義」。
【EUから、司法の立法府からの独立を申し渡されて、2009年に独立しました】。
つまり dominium politicum et regale は、 politicum et regale が形容詞であることにも現れているように、2つの実体・機構による主権(権力)の分有をさすとは限らず、むしろ、mixed constitution をはじめとする歴史的な統治構造の分析概念として(のみ)有用なのかも、と未整理ながら、考えこみました。
【なお直江真一氏による「政治権力と王権による支配」(『法政研究』67, pp.545, 547註3)というのは、完全に混乱した誤訳です。http://ci.nii.ac.jp/naid/110006261848】
ついでに16世紀末イギリスの作品『悲劇の形をとった史劇、デンマーク王子ハムレット』についても進展があります。いずれ、また後日に。
2016年12月18日日曜日
大阪歴史博物館
今月10-11日には大阪歴史博物館で都市史学会大会、17日には大阪大学中之島センターで関西中世史研究会と古谷科研の合同研究会。2つの週末に連続して(帯状疱疹の痣をさらしつつ)歴史的な大阪の空気を呼吸しました。
大阪はぼくの両親(松山と尾道)が1945年2月4日に結婚して住んだ所です。その3月に大阪大空襲で焼け出されて松山に戻りましたが、戦後1953年にふたたび大阪に出て働きました(戦後に住んだのは阪急沿線・桂の住宅で、こどものぼくには大阪市はよくわからない広大な都会でした)。
このたびの都市史学会大会は、大阪城と難波宮跡にはさまれた歴史博物館で、なぜかNHKと礫岩のようにくっついた建物にて。
古代から近代までの大坂・大阪史の問題の豊かさを具体的に示していただき、また合間に博物館の展示を拝見しました。閉会後の夕刻には難波宮のあとを歩いてみました。
古代からの歴史の長さという点でも、水運による瀬戸内海・東アジアとの接続という点でも、大坂は(江戸より)はるかロンドンに近い存在かなと考えました。
もし1868年に東京でなく大阪に遷都していたとしたら、ロンドンとの類似性はさらに増した、というより複雑になったかな。
午後のブルッゲ・ベルゲン・ヴェネチア・カイロ・アムステルダム・長崎における商人集団と多文化のありかたをめぐるシンポジウムでも、いろいろと示唆をいただき、なお考えを深めてゆきたいと思いました。
みなさま、ありがとうございます。
2015年9月15日火曜日
おもろい大阪
ぼくの父母は結婚してすぐに大阪・住吉区に住み、1945年3月の大阪大空襲に遭難してたいへんな思いをしました。松山に戻ったあと、1954年からは父が大阪梅田に通勤するにあたって、阪急・桂駅の近くに新居を構えた、といったことがありますから、ぼくは東京・関東しか知らない人びととは違う感覚をもっています。
それにしても、このところ大阪に行く機会がふえて、阪大・中之島センターに行くには環状線・福島駅から歩ける;中之島・川の手がおもしろいし、東洋陶磁美術館はすばらしい;そこから鉾流橋を渡って裁判所の裏手にまわると、古美術店やフランス料理店などの連なる一瞬、ここはどこだったかと迷うような街路が出現して、楽しいですね。
でも駅のエスカレータで、うっかり左手に立つ自分が目立つのを認識すると、こうした写真をおもろいと考えるのと相通じるものがありそう。
中之島の市役所で、こんなコーナーを見つけました。カワいいね。ぼくが東京で住んでいる深川から日本橋にかけても川の手です。近世までの大都市は、水運の便がなければ成り立たないとは、このブログでも先に書き付けましたかね。
堂島に米市場ができ、商売人の市民社会が形成される1730年は、なぜか時代的にロンドンで a polite and commercial people が語られるのと同時代です。
でも、こういう「面白い」大阪土産の命名はよそではしないと思うんですが。
それにしても、このところ大阪に行く機会がふえて、阪大・中之島センターに行くには環状線・福島駅から歩ける;中之島・川の手がおもしろいし、東洋陶磁美術館はすばらしい;そこから鉾流橋を渡って裁判所の裏手にまわると、古美術店やフランス料理店などの連なる一瞬、ここはどこだったかと迷うような街路が出現して、楽しいですね。
でも駅のエスカレータで、うっかり左手に立つ自分が目立つのを認識すると、こうした写真をおもろいと考えるのと相通じるものがありそう。
中之島の市役所で、こんなコーナーを見つけました。カワいいね。ぼくが東京で住んでいる深川から日本橋にかけても川の手です。近世までの大都市は、水運の便がなければ成り立たないとは、このブログでも先に書き付けましたかね。
堂島に米市場ができ、商売人の市民社会が形成される1730年は、なぜか時代的にロンドンで a polite and commercial people が語られるのと同時代です。
でも、こういう「面白い」大阪土産の命名はよそではしないと思うんですが。
2015年7月25日土曜日
日英歴史家会議(AJC)プロシーディングズ
旧聞に属す、とお考えかもしれません。2012年9月にケインブリッジ大学トリニティホール学寮にて開催された第7回日英歴史家会議(AJC)ですが、その編集プロシーディングズは未刊行でした。諸般の事情が複合して、会議の後すみやかに刊行することかなわぬまま経過しておりましたが、この間の友人たちの奮闘努力により、ようやく公刊にいたりましたので、お知らせします。xii + 322 pp.の美麗な本です。
表紙写真は開催時のトリニティホールで、会議場は手前にみえる看板の矢印のとおり直行して歩いたなお先にありました。The hidden gem という渾名をもつこの学寮において、History in British History を共通テーマにかかげた有意義で楽しい会議が3泊4日にわたり実現したのは、なにより11名のAJC委員(x ページにお名前が列挙されています)とロンドン大学歴史学研究所(IHR)、そしてトリニティホール学寮長ドーントン教授の協力の賜物です。
じつは各セッションのコメント、また若手のペーパーについて収録できなかったものが少なくないことは残念至極です。もし時宜を逸したとのそしりがあれば、甘んじて受けます。巻末には Appendix として AJC の第1回(1994)~第7回(2012)のプログラムを収めました。これは後の刊行物ではなく実施時のプログラムによるもので、史料的な価値がないではないと思われます。
たしかに完璧とは言いがたい刊行物ですが、Preface の最後にお名前を刻印した方々の助力があってこそ日の目を見ることになりました。叱咤激励をいただいた皆さまに感謝いたします。
なお 今年8月10~11日には大阪大学中之島センターにて第8回日英歴史家会議(AJC)が開催されます。
→ http://ajchistorians.wix.com/ajc2015
この本は、会場でも頒布される予定です。 近藤和彦
2013年3月26日火曜日
京都・大阪にて
23(土)は京都大学で、24(日)は千里中央で、それぞれたいへん充実した会合がつづきました。東京よりちょっと寒いと思いましたが、高揚しました。
・京都(土)は近世史研究会。二宮宏之さんの仕事をどう継承し発展させるか、ということで、余所者ながら押しかけて発言してしまいました。中世や近現代、それからあまり関係ないかに見える方々もたくさんいらして、二宮さんの影響力というか啓発力をあらためて再認識しました。
小山さん、佐々木さんの進行の妙もあり、具体的な論点もそうですが、皆さんの誠意と相互の信頼関係が伝わって、すばらしい unforgettable な会合となりました。
二次会、三次会も含めて、* * さんを緊張させ、興奮させたのも、レアな機会でした!!
Ringo, the Beatles という店には初めて行きました。
・千里中央(日)は古谷科研で、ぼくは「礫岩政体(conglomerate polity) と普遍君主(universal monarch)」という問題提起。
じつは科研プロジェクトの3年めの小括でもあり、5月12日の西洋史学会大会小シンポジウムのための準備会でもありますが、ぼく個人としては勤務先の必要もあって、荒削りの覚書をすでに『立正史学』113号(2013年5月刊)に書きました。
土曜の討論と連続する部分を集団的に反芻しつつ、さらにわれわれ的に先を見すえて、近世的秩序について議論できて、たいへん効果的でした。教会(君主の司祭性)や概念史の重要性、同時代的競合、世界史的広がり‥‥、The world is not enough.
皆さまには、請うご期待、としか今は言えませんが、まもなく/やがてホームページを開設するとのことで、パブリックな討論もできるかと思います。
念のために申しますが、ときにドラスティックな批判・飛躍とみえるときもあるかもしれない学問も、継承的にしか発展しない。マンタリテやソシアビリテや社団的編成や etc. の時代は終わって、いまや礫岩政体論の時代だ、といった(新商品の)販拡キャンペーンではけっしてありません。
ヨーロッパ近世史の資産を継承しつつ、フランス中心主義を相対化し、もうすこし広いパースペクティヴ、もうすこし(focusを深く)長い時間軸で〈秩序問題〉を再考したいのです。そうすることによって二宮さんの知的洗練もあたらしい意味をもつでしょう。
三間堂という店も悪くなかった!
2011年10月19日水曜日
『アニメで読む世界史』
なんだこの変な本、と思って開いたら、案外でした。編者藤川さんの「あとがき」の大阪弁ムードとは全然ちがって、しっかり真面目に書かれています。しかも、おもしろい!
大学教師風の不満を述べるなら、唯一、たとえば「ド・ラ・ラメー」とか「ウイーダ」とかいっても、(章末註でもいいですが)原綴りを示してほしい。でないと、ODNB も Oxford companion to English literature も引けません!
de la Ramée (1839-1908), ペンネーム Ouida ですね。
彼女のイギリス人旅行者的な眼の軽薄さも、第2章「フランダースの犬」の隠れたテーマなのかな?『フランダースの犬』が1872年刊、翌73年にはヴェルヌの『80日間世界一周』が刊行されることを考えると、やはりこちらはリサーチという点でも、歴史感覚および想像力という点でも劣る。
「ネロはルーベンスになれるか」、そしてベルギーの現代的問題についてもしっかり論及してあり、これは学生の必読文献でしょう。「同僚との会話のネタができる」どころか、もっと知的な本ですよ。
時代を19世紀から20世紀前半に絞ったのは、聡明な編集方針と思われます。
阪大西洋史の実力と、山川出版社のセンスが合わさってこそ、実現した出版。
【山川出版社、2011年9月刊、1500円】
大学教師風の不満を述べるなら、唯一、たとえば「ド・ラ・ラメー」とか「ウイーダ」とかいっても、(章末註でもいいですが)原綴りを示してほしい。でないと、ODNB も Oxford companion to English literature も引けません!
de la Ramée (1839-1908), ペンネーム Ouida ですね。
彼女のイギリス人旅行者的な眼の軽薄さも、第2章「フランダースの犬」の隠れたテーマなのかな?『フランダースの犬』が1872年刊、翌73年にはヴェルヌの『80日間世界一周』が刊行されることを考えると、やはりこちらはリサーチという点でも、歴史感覚および想像力という点でも劣る。
「ネロはルーベンスになれるか」、そしてベルギーの現代的問題についてもしっかり論及してあり、これは学生の必読文献でしょう。「同僚との会話のネタができる」どころか、もっと知的な本ですよ。
時代を19世紀から20世紀前半に絞ったのは、聡明な編集方針と思われます。
阪大西洋史の実力と、山川出版社のセンスが合わさってこそ、実現した出版。
【山川出版社、2011年9月刊、1500円】
2011年1月7日金曜日
大阪城のシンボリズム
大阪城、立派です。近世大坂 と 近代大阪の重層的 symbolism.
夏の陣、冬の陣のあと、徳川幕府によって再構築された、近世西国統治の要衝であることの象徴性は、この石垣に現れます。すなわちユーラシアの東西にわたった軍事革命はこれで終止符、というシンボルです(∴1665年の落雷で天守閣が焼失したけれど、それは本質的な問題にはならなかった)。征服王朝の Norman castles(たとえば Tower of London)よりも宏大、威圧的。石材は、瀬戸内と近畿全域から運ばれた御影石(花崗岩)ということです。
今の天守閣は、関東大震災後1930~31年、東洋一の商都の市民的象徴として、醵金によりコンクリートで構築されたというのもおもしろい。はるか南方、鯱の尾の先に望まれる通天閣がチャチに見える!
要するに、大阪の繁栄は、近世までは(博多を西端とする)瀬戸内海域の中核として、近代においては(上海を中核とする)東シナ海域の東端として、ありえたのだということですね。杉原さん、阿部さんあたりが、もう論じているかな。 (12月27日の続きですが、)関東生まれ、関東育ちの大阪知らずがまわりに多いので、ひとこと。
cf. 『近代大阪経済史』(大阪大学出版会)
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