2023年10月21日土曜日
巨人の足跡‥‥想像力はふくらむ
いずれしっかり具体化しますが、印象の強烈度からしても、ベルファストから北上して北端の海岸にある Giant's Causeway (巨人の土手道/踏み固めた道)こそ、圧倒的で、写真で見ていたのとは迫力が違い、それこそ百聞は一見にしかず、でした。
地質学的には、何百万年(何千万年?)前の火山/マグマ活動の結果が今、柱状節理(columnar jointing)として残っている所です。北大西洋の海嶺から東へと地殻が変動するうちに、吹き出したマグマが地表で冷却し、また雨水の浸食を受けて、6角形の柱のようにヒビが入り、それが壮大な絶壁の風景としてアイルランドの北端に連なっているわけです。
NHKの「ぶらタモリ」では紀伊半島南端の大火山跡の柱状節理を訪ねたことがありました。予算さえつけば、タモリさんも本当はここに来てみたいでしょうね。スケールが違います。
先史のアイルランド人(Scots)は、ほんの30kmほどの海峡を渡ってブリテン島の北端に移住したので、今はそちらがスコットランドと呼ばれています。古代人の想像力の世界では、この6角形の節理の連なりこそ、アイルランド島からブリテン島に渡った巨人の通路=足跡、というわけです。
Amphitheatre(半円形の劇場・盆地)という渾名の付いている湾の入口まで歩いて、向こうを見上げると、断崖絶壁の上に豆粒より小さく、上半身裸の男が(あまりのスケールに怖いので!)座り込んで、北の海を眺望しているのが見えました。同じ写真の上右の細部を拡大してご覧に入れます。
『イギリス史10講』p.31 このあたりは中世前半のキリスト教の重要地点でもあり、ヴァイキングの常用航路帯(sea-lane)でもあり、17世紀には逆にスコットランドからプロテスタントのアルスタ移民が渡った海峡です。ウィリアム3世の足跡も。フランス軍の上陸作戦も。またロマン主義の時代には、メンデルスゾーンの「スコットランド旅行」もかくや、と想像力をかき立てられます。18世紀の亜麻産業からグラスゴー、マンチェスタの産業革命へ、そして20世紀にはベルファストの造船・タイタニック‥‥ぼくが若かったら(40歳以前だったら!)この地域/海域に焦点を合わせて壮大な歴史を書けたかも‥‥
2020年11月15日日曜日
天皇像の歴史
「特集 天皇像の歴史を考える」 pp.76-84 で、ぼくはコメンテータにすぎませんが、「王の二つのボディ」論、また両大戦間の学問を継承しつつ、 A. 君主制の正当性根拠 B. 日本の君主の欧語訳について の2論点に絞って議論を整理してみました。
じつは中高生のころから、大学に入ってもなおさら、いったい「日本国」って君主国なの?共和国なの?何なの? という謎に眩惑されましたが、だれもまともに答えてくれませんでした。いったい自分たちの生きる政治社会の編成原理は何なのか、中高でならういくつかの「国制」で定義することを避けたあげく、あたかも「人民共和国」の上に「封建遺制」の天皇が推戴されているかのようなイメージ。「日本国」という語で、タブー/思考停止が隠蔽されています!
この問題に歴史研究者として、ようやく答えることができるようになりました。E. カントーロヴィツや R. R. パーマや尾高朝雄『国民主権と天皇制』(講談社学術文庫)およびその巻末解説(石川健治)を再読し反芻することによって、ようやく確信に近づいた気がします。
拙稿の pp.77, 83n で繰りかえしますとおり、イギリス(連合王国)、カナダ連邦、オーストラリア連邦とならんで、日本国は立憲君主制の、議会制民主主義国です。君主制と民主主義は矛盾せず結合しています。ケルゼン先生にいたっては、アメリカ合衆国もまた大統領という選挙君主を推戴する monarchy で立憲君主国となります。君主(王公、皇帝、教皇、大統領)の継承・相続のちがい - a.血統(世襲・種姓)か、b.選挙(群臣のえらみ、推挙)か - は本質的な差異ではなく、相補的であり、実態は a, b 両極の間のスペクトラムのどこかに位置する。継承と承認のルール、儀礼が歴史的に造作され、伝統として受け継がれてきましたが、ときの必要と紛糾により、変容します。
『史学雑誌』の註(pp.83-84)にあげた諸文献からも、いくつもの研究会合からも、示唆を受けてきました。途中で思案しながらも、 「主権なる概念の歴史性について」『歴史学研究』No.989 (2019) および 「ジャコバン研究史から見えてくるもの」『ジャコバンと王のいる共和政』(共著・近刊) に書いたことが、自分でも促進的な効果があったと思います。研究会合やメールで助言をくださったり、迷走に付き合ってくださった皆さん、ありがとう!
2019年11月8日金曜日
明日のシンポジウム
史学会大会・公開シンポジウム http://www.shigakukai.or.jp/annual_meeting/schedule/
日時: 11月9日(土)13:00~17:00
会場: 文京区本郷 東京大学・法文2号館 1番大教室
公開シンポジウム 〈天皇像の歴史を考える〉
<司会・趣旨説明>
家永 遵嗣(学習院大学)・ 村 和明(東京大学)
<報 告>
佐藤 雄基(立教大学)「鎌倉時代の天皇像と院政・武家」
清水 光明(東京大学)「尊王思想と出版統制・編纂事業」
遠藤 慶太(皇学館大学)「歴史叙述のなかの「継体」」
<コメント>
近藤 和彦
<討 論>
日本史の古代・中世・近世の3研究にたいして、西洋史で政治社会・国制・主権などをテーマに勉強している立場から、問いかけと若干の提言をいたします。君主制および天子・天皇・皇帝・Emperor という語についても。
翌10日(日)午後には日本史部会で〈近代天皇制と皇室制度を考える〉というシンポジウムがあります。これと呼応して、おもしろい議論が出てくるといいですね。
2019年10月15日火曜日
都市史学会大会@青山学院大学
日時 2019年12月14日(土)、15日(日)
会場 青山学院大学青山キャンパス14号館12階(もより:渋谷・表参道)
https://www.aoyama.ac.jp/outline/campus/aoyama.html
◆12月14日(土)
13:00~15:00 研究発表会 司会 小島見和
15:15~16:15 総会(会員のみ)
16:30~18:00 公開基調講演 桜井万里子「ポリスとは何か」
紹介・司会 樺山紘一
18:30~21:00 懇親会 アイビーホール・フィリア 参加費6000円 学生5000円
◆12月15日(日)
「歴史のなかの現代都市」
http://suth.jp/event/convention2019/
10:00~10:15 趣旨説明 伊藤毅(建築史)
10:15~11:00 北村優季(日本古代史)
11:10~11:55 河原温(西洋中世史)
12:00~13:00 昼食
13:00~13:45 桜井英治(日本中世史)
13:55~14:40 中野隆生(西洋近現代史)
14:40~15:00 休憩
15:00~15:45 妹尾達彦(東洋史)
15:45~16:00 池田嘉郎(近現代ロシア史)
16:00~16:15 北河大次郎(土木史)
16:30~17:30 討論
2019年4月18日木曜日
寺院? 大聖堂!
パリのノートルダムの大火災は驚くばかりで、痛ましい事件です。
ただし、CNNによれば、精緻な計測とディジタル記録が残っているとのことで、再建の望みはそれなりにあるわけですね。
→ https://www.cnn.co.jp/world/35135896.html
日本の報道では、あいかわらず「ノートルダム寺院」という呼び方で、いかに仏蘭西(!)とはいえ、仏の教えの痕跡はどこにもないでしょう。法隆寺や本願寺ではないのだから、そしてカテドラルには「大聖堂」または「司教座聖堂/大司教座聖堂」という定訳があるのだから、こちらを使ってください!
ロンドンの場合ですと、Cathedral Church of St Paul's が「セントポール寺院」、Collegiate Church of St Peter at Westminster が「ウェストミンスタ寺院」と呼び習わされているのも、イージーというか、混濁的ですね。
2017年9月14日木曜日
南西アイルランド
それにしても8月のアイルランド紀行で、もう一つ書いておかねばならないのは、南西地方の海港の豊かさでした。
海路でフランスやスペインと往来するのは案外近い。Kinsale の海の料理がおいしいのは、あきらかにその影響でしょう。旧デズモンド家の城は今ではワイン博物館になっていました。コーク市の評判の大聖堂ばかりでなく、コーヴ(Cobh)でも、ヨール(Youghal)でも、立派な教会堂が迎えてくれました。
18世紀コークがバターの生産と輸出で栄えたとか、Wolfe Tone が手引きしたフランス軍の上陸(の失敗)とか、そういえばどこかで読んだなぁという史実も、その舞台に立って改めてモニュメントとともに見ると、甦ります。
R. R. Palmer, The Age of the Democratic Revolution, II (Princeton, 1964) pp.271-2 における1796年、バントリ湾の上陸策の不首尾について昔(1979-80年、名古屋でした!)に読んだときには、リアリティのない逸話でした。今回、寒冷前線と虹に迎えられてバントリ湾に降りたち、細身のウルフ・トーン像に挨拶し、また丘を登ってホワイト(Viscount Bantry)の邸宅の庭から旧式の大砲とともに湾を遠望して、
「強者どもが夢のあと」
という思いを強くしました。パーマによると、トーンはパリで孤独で、バブーフの陰謀については知らされないまま執政政府に全幅の信頼をおいていたのでした。p.250.
内陸部と海港との違いは、他でもそうだが、アイルランドの場合にとくに甚だしいということでしょうか? 近世・近代以前にも、トリスタン・イズーの伝説の時代から、このビスケー湾(ブルターニュ)、イギリス海峡(コーンウォル)、聖ジョージ海峡(ウェールズ、アイルランド)の繋がりはきわめて重要でした。中世前半のキリスト教伝来も、ジャコバイトの移動路としても、そしてカトリック避難民が醸造酒・蒸溜酒のノウハウとともに大陸へ逃れる(wild geese ならぬ wine geese の)経路としても、この南西の海の道が決定的でした。キンセールのワイン博物館が雄弁に語っているとおりです。
2017年8月22日火曜日
風のアイルランド
アイルランド探訪のなかでも、いくつか重要な側面があり、まずは ancient Ireland とされてきたもの(invented traditionかもしれない)の最たるスポットを訪ねました。順不同です。
¶「タラの丘」は太古の王(high kings)の居所だったと伝えられる丘。古墳から遠からぬ所に、シャムロックを手にもつ聖パトリックの立像も据えられ、シンボリズムは十分ですが、近代史ではオコネルの1843年「百万人集会」の場にもなりました。
『風と共に去りぬ』でもタラはアメリカ南部の Irish American の心の支えで、この映画のライトモチーフになっています。最後の場面ではスカーレットの Tomorrow is another day が「明日は明日の風が吹く」と訳されて、名訳か迷訳か、ひとしきり議論されましたが、現場に立ってみて、そうか、この強風のことなのだ、と妙に納得しました。緑、緑、緑のただなか、たえまなく吹きつける風に、全身で耐えている4人の写真です。
¶ カシェルの岩山はマンスタ王の居城だったのが、1101年に教会領となり、修道院文化の繁栄の中心でした。1647年にクロムウェル軍の包囲攻撃で廃虚となり、1749年には屋根が除去されて、荒廃が進んだようです。大聖堂わきの十字架を撮りましたが、ここでも身の危険を感じるほどの強風。
誰かさんのようにこの廃虚で「運命の人とのめぐりあい」はなかったけれど、しかし、アイルランド史、ブリテン諸島史、ヨーロッパ史のことを再考しました。
Gone with the Wind も、The Wind that shakes the barley も、the wind をキーワードとしていたのでした。これが分かってなければ、アイルランド史は(アメリカ史も!)理解できないということか。
2016年12月19日月曜日
中之島センター & ダイビル
17日の会は、大阪・中之島における『礫岩のようなヨーロッパ』をめぐる、ヨーロッパ中近世史の方々による合評会でした。執筆者も6名が出席し、企画者・司会のリードのおかげで、効率的に集中的に討論することができました。
中世から近世への移行の契機(?)をめぐって考えに違いのある場合も含めて、基本的な共通理解は確認できました。せっかくいらした並み居る論客も、時間の制約のもとでは自由に発言なさったわけではなく、その点は残念でした。同じく中之島のダイビル3階でも討論は継続。
自宅に着いてみると岩波書店から『図書』1月号が到来していました。http://www.iwanami.co.jp/magazine/
「EUと別れる? イギリスのレファレンダムと憲政の伝統」pp.7-11
という拙文を寄稿しましたが、最後に『礫岩のようなヨーロッパ』におけるケーニヒスバーガの「議会絶対主義」という語にも注意を喚起したものです。
6月23日のレファレンダムの結果は(当初のショックから落ち着いてみると)ただ右翼のデマゴギーの産物というだけではとらえきれず、複合的ですが、イギリス人にとって金科玉条の議会主権にたいするEUの侵犯、というキャンペーン言説がかなり効果的だったから、という一面もあります。その点で、トランプ旋風のアメリカ合衆国とはすこし違う。
ちなみに、フォーテスキュの dominium politicum et regale はイギリスの場合、
「議会と王権(という2つの別の機構)による主権の分有」
と理解してよいでしょうか? 否です。
イギリス憲政の理解では politicum et regale は King in Parliament (議会のなかの王、王とともにある議会)として現象します。
近代には、行政は責任内閣制;司法も貴族院の司法議員 law lords が最高位(つまり最高裁は議会(貴族院)の中にあった)。要するに、日本・合衆国・フランスのような三権分立でなく、三権がすべて議会のなかにある、そうした議会主権=「議会絶対主義」。
【EUから、司法の立法府からの独立を申し渡されて、2009年に独立しました】。
つまり dominium politicum et regale は、 politicum et regale が形容詞であることにも現れているように、2つの実体・機構による主権(権力)の分有をさすとは限らず、むしろ、mixed constitution をはじめとする歴史的な統治構造の分析概念として(のみ)有用なのかも、と未整理ながら、考えこみました。
【なお直江真一氏による「政治権力と王権による支配」(『法政研究』67, pp.545, 547註3)というのは、完全に混乱した誤訳です。http://ci.nii.ac.jp/naid/110006261848】
ついでに16世紀末イギリスの作品『悲劇の形をとった史劇、デンマーク王子ハムレット』についても進展があります。いずれ、また後日に。
2016年8月21日日曜日
コンウィ城:カムリの怨念
1280年代、90年代、エドワード長脛王の征服戦争の拠点であったばかりでなく、
いまやUNESCO世界遺産にまで指定されて、けさ乗ったタクシー運転手などは
その圧倒的な迫力を自慢しつつ、クソッと3度くらい繰り返す、そういった複合感情の凝縮した歴史遺産です。
(カムリの怨念のこもった?)強風に命の危険も感じつつ、城=要塞を歩いて回りました。
エドワードの「ゆうれい」も目撃。cf.『イギリス史10講』pp. 41, 54-56, 59.
下の男は気付いていないのかもしれません。
最後は、コンウィの蜂に襲われて、あ痛!退散とあいなりました!
2015年11月14日土曜日
国制史は躍動するか?
池田嘉郎・草野佳矢子(編)『国制史は躍動する:ヨーロッパとロシアの対話』(刀水書房, 2015)
という本が待っていました。
編者をふくむ9名の共著ですが、池田さんが
序 論 「国制史の魅力-ヨーロッパとロシア」
第1章「ソヴィエト・ロシアの国制史家 石井規衛」
第7章「ロシア革命における共和制の探求」
そして「あとがき」、つまり計4箇所も執筆している。
独壇場とはいわないが、池田的博学とリーダーシップあってこその論文集です。
ブルンナー、成瀬治、鳥山成人、渓内譲、和田春樹といった研究史の大きな流れのなかに、国制史家=石井規衛の仕事が位置づけられて、読者は目を覚まされる。
しかも中近世史では、渋谷聡、根本聡、中堀博司、そして
ロシア史では田中良英、青島陽子、巽由樹子、草野佳矢子、松戸清裕といった皆さんの章がある!
いまこちらで準備している共著『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社, 2016)は、けっして『国制史は躍動する』に負けない論文集ですが、それにしても、ぼくの担当する第1章にかぎって、研究史的になにか対応が必要かと思い、急ぎ読みました。
『国制史は躍動する』について各論より前に、ただちに思いつく研究史的な瑕疵は、ブルンナーや国際歴史学会議にも関連して、
1.世良晃志郎と堀米庸三の間であった「法制史」「一般史」論争に言及がないこと。でも、これはごくマイナーな瑕疵。
2.「国家と社会の区分が可能となる以前のヨーロッパにおける文明の内部構造の総体」「国家と社会の対置が成立しない秩序の総体」(pp.6, 13) を問うことには大賛成で、「友軍」といった感覚をもちます。しかし、それを狭く「国制史」に収斂させてよいのか。
むしろ、これはヴェーバーもパーソンズもハーバマスも問うていた根本問題ではないのか。ブルンナーが第二次大戦後に「社会=構造史」といった用語を使った理由は、なにもナチス的な臭いの残る Verfassungsgeschichte を回避するだけでなく、彼自身の成長を反映した、ある広さ・構造性を意識していたのではないのか、といった疑問をもちます。
ぼく自身は、これを「ホッブズ的秩序問題」、そして18世紀啓蒙の政治社会(political society)という概念から学び、解決しているつもりです(たとえば『イギリス史10講』p.133)。今後とも丸山眞男的な国家と社会の区分とはちがう地点、また市民社会欠如論ではない発想で、議論を進めたいと考えています。【→ 次の発言】
3.「ある社会の歴史的個性を総体として捉えるという国制史の視角には、‥‥同時にまた類型をも提示するという、二面性がある」(p.19)という文は、それだけ読むと悪くはないかもしれないが、しかし比較社会経済史の人々なら笑い出してしまうでしょう。大塚久雄・高橋幸八郎・遅塚忠躬といった先生たちは、まさしく
「ある社会の歴史的個性(specificum: なぜかラテン語)を総体として捉える社会経済史は、また同時に類型(Typen: なぜかドイツ語・複数)を提示することによって、比較を可能にする」
と考え、営々とそのような学問を構築していたからです。せっかく序論 pp.3-4 で「社会全体の仕組みを捉えん」とする志において社会経済史と共通すると示唆していたのだから、ここも注意深く書いてほしかった。
それにしても、本書が共著出版として立派なものであることに異論はありません。
岡本隆司(編)『宗主権の世界史:東西アジアの近代と翻訳概念』(名古屋大学出版会, 2014)と併読すると、なおさら価値が高まるでしょう。
不意をつかれて慌てましたが、一晩たって、共著『礫岩のようなヨーロッパ』はこのままでも問題ない、しっかり公刊することが大事、と思えてきました!
妄言多謝。
2015年9月4日金曜日
鶴島博和 『バイユーの綴織を読む』
待望の『バイユーの綴織を読む - 中世のイングランドと環海峡世界』(山川出版社)
を手にしました。
綴織(つづれおり)の写真はすべてカラーで、関係史料をていねいに訳出しつつ対照するという編集。
ぼくの『イギリス史10講』pp.35-40あたりで書いたことに比べれば、当然ながら、はるかに叙述の細部にも、研究史的にいろいろな配慮が行きとどいていて、すばらしい。モチーフは、ただ「ギヨーム公がハロルド簒奪王を追討することの正当性」だけでなく、むしろ「ハロルド王の悲劇」をうたいあげた物語なのかもしれない。鶴島さんは、ハロルドの死についても、制作過程についても、よくわかる説明を加えています。
詳細な索引もついて、332+ページで 4600円という信じられない定価! 山川出版社としても「売れる」という確信を得たわけですね。
著者が「出版企画をもちこんだのは、30年近く前のこと」という豪傑ぶりですが、「日本語で書こう」(p.331)と方向転換するまでが大変なんだな。ぼくも肩をたたかれたような気がします。
謝辞には「神経的多動性症候群」と書き付けておられますが、
こういった作品を産んだのなら、それも悪くはないじゃないですか!
若手のうちでも、成川くん、内川くんが少しはお手伝いできたとしたら嬉しいかぎりです。
2015年4月19日日曜日
『ヨーロッパ史講義』(山川出版社、2015)
こういうタイトルで「あたかも12名のオムニバス授業の渾身の一コマの記録」のような本を作りましょう、と呼びかけたのが 2012年5月でした。共著者の皆さん、公私ともに多事多端の折から、力作の原稿が出そろうまで難儀をしましたが(校正もなかなかたいへんでした)、最初の企てどおり12名の力作ぞろいの共著としてちょうど3年目に刊行されます。いま見ている巻末・奥付のゲラ刷りに 5月20日発行と記されています。
最初の「序」では「‥‥全体をとおして、時代によって変化する人と人の結びつきやアイデンティティ、政治や世界観をめぐって、ヨーロッパにかかわる世界の歴史のポイントを考える連続講義として」企画、執筆された、としたためられ、12の章は次のとおりです(すべてに副題が添えられていますが、ここでは省きます)。
1.佐藤 昇 「建国神話と歴史」
2.千葉敏之 「寓意の思考」
3.加藤 玄 「国王と諸侯」
4.小山 哲 「近世ヨーロッパの複合国家」
5.近藤和彦 「ぜめし帝王・あんじ・源家康」
6.後藤はる美「考えられぬことが起きたとき」
7.天野知恵子「女性からみるフランス革命」
8.伊東剛史 「帝国・科学・アソシエーション」
9.勝田俊輔 「大西洋を渡ったヨーロッパ人」
10.西山暁義 「アルザス・ロレーヌ人とは誰か」
11.平野千果子「もうひとつのグローバル化を考える」
12.池田嘉郎 「20世紀のヨーロッパ」
計247ページ、「入門書の顔をした小論文集」のような大学テキストです。図版や参考文献表もしっかり備わっています。 山川出版社から本体価格は2300円と聞いています。カバーのデザインは決まっていますが、その校正刷りはまだ見ていないので、色の具合などどぎつくないか、ドキドキして待っています。 → 追記:出来上がりは、シャープで端整な装丁となりました。物理的にあまり重くないというのも良かった!
ぜひ大学(および大学院)の授業でもご活用ください。請うご期待。
2014年9月11日木曜日
Lund にて
一見は歩くにしかず。
ルンドに来るには、ストックホルム経由でなく、コペンハーゲン経由なのでした。
(歴史を知らずして現実を理解することはむずかしい‥‥)
しかも、ケインブリッジやハーヴァードに負けないくらいの良いの雰囲気の大学町。
デンマーク大司教座がここに置かれていたということは、中世のこの地域の中心だということですね。
Conglomerate state を論じるのにこれほど適切な場がほかにあるでしょうか?
昨日はコペンハーゲン大学の Lind 先生の案内で最高の17世紀コペンハーゲンを歩き、また夜の討論は
内村鑑三の『デンマルク国の話』の脱神話化、invention of tradition、内村 → 矢内原 → 大塚 の系譜の歴史性
にまで及びました。
それにしても、4月のイングランドみたいな驟雨がつづきました。
ルンドについては、Gustav王のお友だちには既知の ↓ に写真がありますので、どうぞ。
https://www.facebook.com/daisuke.furuya/posts/10204152309586635
2013年8月10日土曜日
A Passage to India
今日は風はあっても、それが熱風で、ちょっと『インドへの道』を想わせる。
『イギリス史10講』では、良い映画は積極的につかう(言及してイメージを豊かにしてもらう)、しかし見てダメだった映画は言及しない、とい方針です。たとえば『冬のライオン』は先日のNHKテレビでも再放送していましたが、アンジュ朝、ヘンリ2世、エレナ妃、リチャード獅子心王、ジョン欠地王、そしてあのフィリップ2世について何ページも費やすより、この名画を見てもらうほうがはるかに良い(ロワール川、中世の城、なんたる野蛮な生活‥‥ リヤ王のような親子の葛藤!)。アントニ・ホプキンズの実質的なデヴュー作品ですが、彼にはまた9講、1930年代の『日の名残り』、宥和主義で再登場してもらいます。
9講といえば、もちろんE・M・フォースタ(20世紀ケインブリッジの富裕知識人の代表!)と彼の『インドへの道』には、大いに重要な役割を演じてもらいますが、そのDVDがどこかに雲隠れしていたのです。原作にあったアンビヴァレンスがアイヴォリ映画では、安直に=誤解の余地なく表現されてしまっているという、どこかのコメントに遭遇し、もう一度見直さなくては‥‥と考えていたのですが、見つからなくて。
オフィスと自宅との2日にわたる家捜しをへて、インド的暑さのなかでようやく姿を現しました。
2012年9月1日土曜日
AJC at Trinity Hall, Cambridge
1994年から始まった日英歴史家会議(AJC)ですが、3年ごとに英日交替で開催され、今年は7回目を数えます。9月11日~14日に、美しいケインブリッジのなかでも gem とあだ名のついている Trinity Hall 学寮で催されます。
くれぐれも、「トリニティ・コレッジ」ではありませんので、ご注意を。
トリニティ・コレッジはヘンリ八世、すなわち近世の産物。
トリニティ・ホールは1350年、中世(黒死病直後)の創立です。
プログラムはこちらに更新版がのっています。
→ http://www.history.ac.uk/events/event/4290
青色の行をクリックしてください。
プログラムに名のない方々も、学寮内に宿泊し参加してディナーもともにすることができます(有料)。学寮の予約受付も、上記のページからおこなってください。予約〆切は9月4日と記されています。 また
http://www.trinhall.cam.ac.uk/conferences にも関連ページがあります。
なお、学寮外に宿泊して「通勤」することも OK です。
こんな具合のディナーとなるでしょうか。
→ http://kondo.board.coocan.jp/?m=image&image=583_0.jpg
それでは美しいケインブリッジでお会いしましょう。日本に比べると寒いかもしれませんね。
2011年5月25日水曜日
魚住昌良 先生
このブログは訃報欄ではありません。しかし、ふつうの西窓記事をしたためる間もなく過ごしていると、とくに最近、大事な方々が亡くなって、しかも何故か大新聞がその事実を報じないという奇妙な現象=症候群がつづきますので、それでは、と事実だけ記しています。
→ http://www.icu.ac.jp/news/20110519-479.html
魚住先生については、80年代の名古屋大学のころから中世史の方々の間で話題になっていました。立教の鵜川馨先生がイギリスから積極的に歴史家を招聘なさっていましたが、最初の Paul Slack のときでしょうか、Joan Thirsk でしょうか、Spufford夫妻だったでしょうか、分からなくなってしまいましたが、そのセミナーの帰路、紀恵先生が間に入って魚住先生から「折いったお話を」ということで、池袋西口の喫茶店に寄り、ICUの非常勤講師を慫慂されました。ありがたいお申し出で、即決し、それ以来、ICUとの関係が生じたわけです。
その後、ICU出身の(元)学生たちとの縁がつづきますが、すべてこのときの魚住先生のお話から始まるわけです。
合掌。
2011年2月17日木曜日
大聖堂 The pillars of the earth
ちょっとだけ問題なきにしもあらずですが、しかし西洋史の人が見逃すのはもったいない。今晩 尋ねたら、院生はだれも見てない!?
『イギリス史研究入門』で言いますと、その年表1135年前後から(p.381~2)、そして系図(p.391)、ヘンリ1世の姫マティルダをMaudと補って、マティルダとスティーヴンのあいだの骨肉の争い、この時期の尖頭アーチ(ゴシック様式)の急速な普及をになった職人集団、そして叙任権闘争といった時代性のもとに、歴史ドラマを楽しんでください。 cf. http://kondo.board.coocan.jp/
2010年11月20日土曜日
KJC@熊本
隔年の会合ですでに3度ご一緒し、もはや haiku を交わす旧友という関係になりました。
【一斉写真を撮れなかったので、2次会の -見通しの悪い- スナップですが】
Thomas Spence の土地構想を論じた『史学雑誌』研究ノート(松塚俊三)を発見して勇気が出たという趙先生の学生時代。青山・越智(編)『イギリス史研究入門』を持って勉強していた1980年前後の韓国の院生たちは、いま初老の大学教授。わたしたちは日本語で仕事していても、ガラパゴスではなかった‥‥!
いま新しい『イギリス史研究入門』を手にする日韓の院生たちは30年後にどうしているでしょう? 後景に見える方々にも注目。
Robert Bartlett って熊本で初めて意識しましたが、良い先生ですね。ずっと前にロンドンの AJC(2000年)でコメンテータをつとめられた Clanchy 先生も、2003年にいらした Harry Dickinson 先生もそうですが、理想的な「先生」。こういった師に学べるひとは幸せです。
2010年9月26日日曜日
先行研究は?
昨日 Wiley-Blackwell からの Online 登載通知で知ったのですが、最新のEconomic History Review Online に、例のブローデル & スプーナによる中世末から18世紀半ばまでの全ヨーロッパの穀物価格グラフ【初出は1967年。たとえば『岩波講座 世界歴史』16巻、pp.21-26】をめぐる議論と修正が、載りました。紙媒体の EconHR そのものは未だですが、これを定期購読している図書館からなら閲覧・ダウンロードできるはずです。

(c) Economic History Society 2010
『岩波講座 世界歴史』16巻を書くに先だって(1997~99年初ころでした)、二宮宏之さんに最近の研究について質問したのですが、ブローデルのような大きな議論はね ‥‥ と消極的な反応。それにしても1967年から30年経ってもそのまま放っとかれているのか、それとも日本の学界が鈍感なのか、と不思議な気持でした。
今回の Victoria Bateman 論文によると、関連する個別研究がなかったわけではなさそう。
そこで、わが懐かしの「馬の肩から鼻先までを横からみたグラフ」が、Bateman 女史によって前は14世紀、後は1782年まで引き延ばされ、また近世についても、こんなふうに変形されてゆきます。‥‥
でも、落ち着いて読んでみると、これは本質的な修正なのか。ポーランドなどバルト沿岸を考慮にいれないで近世ヨーロッパ経済の収斂を語ってよいのでしょうか。これでは論点先取りで、バルトなしのヨーロッパは最初から統合的市場をもっていた、(馬の身体の上方のシルエットだけをみると、ほとんどアザラシかイルカのように見える)となる。
卒読ですが、もしや、この論文にはかなり重大な視野の限定があって、これでは結局、研究をブローデル & スプーナ、ウォーラステインよりも前に引き戻す、ただの「業績」論文なのか(?) レフェリーは何のためにいるのでしょう。
悪貨が良貨を駆逐する、というグレシャムの法則は学問の世界では流通してほしくない。
2010年9月7日火曜日
Praha にて
8月末から中欧に旅行して、9日間、なかなか効率的に、お勉強しました。
カレル橋からプラハ城・大聖堂を望む夜景です。
こういった光景のただなかに身を置いて、高揚しないわけにいきませんね。
琢の書き物を読めば読むほど、invention of tradition といったことを考えざるをえません。19世紀のプラハ城・大聖堂、ヴァーツラフ広場を見おろす国民博物館、1989年11月17日、カレル大学の建物の壁の銘文、等々。The unbearable lightness of being も。
カナレットのウェストミンスタ橋および Lord Mayor's Day にしっかりめぐり逢ったのも、嬉しい付録でした。