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2026年5月26日火曜日

 デモクラシーを歴史的に問いなおす

 5月17日の学会小シンポジウムに向けて準備はドタバタしましたし、当日も(ぼくは)あたふたと時間超過でお話しし、討論の部でも司会の期待どおりとはゆかず、済みませんでした。↓のような表紙に始まるPPTにより、ベイシックなお話をしました。
そのうちの後半、OEDのデータによる republic / republicanism, democracy / democratic の使用頻度の増減グラフはそれなりの意味があって、ひとを考えさせるものがあったのではないでしょうか。フロアでは久しぶりに元気なお顔を拝見できた方々もありました。
 このシンポを核に、他の報告も一緒に英語/日本語の本として出版できるよう、すでに動き出しています。西洋史学会大会シンポをもとにした論集は少なくありませんが、ぼくがかかわったもので既刊のものには
『長い18世紀のイギリス その政治社会』近藤(編)(山川出版社、2002)
『礫岩のようなヨーロッパ』古谷・近藤(編)(山川出版社、2016)
『王のいる共和政 ジャコバン再考』中澤(編)(岩波書店、2022)がありました。
『「主権国家」再考 近代を読み替える』中澤(責任編集)(岩波書店、2025)の場合は、歴史学研究会大会の合同部会シリーズにもとづくものでした。
 それぞれの準備のための討論に加えていただき/もろもろの勉強をすることができました。ありがとうございました。

2026年5月4日月曜日

新聞の書評

 5月2日(土)の朝日新聞に『「歴史とは何か」の人びと』の書評が載りました。 → 本ブログ右肩のぺージ(Features)をご覧ください。 → さらに更新しています。
 評者は旧知の友で、書きにくそうな様子ですが、朝日新聞が読書欄で正規の書評としてぼくの著書・訳書を採りあげるのは、初めてのことです。(1990年の『歴史家たち Visions of History』、1993年末の『民のモラル』以来、朝日に限って、拙著は冷たい処遇を受けてきました!)
 それはそうと、今回の朝日の見開きぺージの右側に吉田裕さんの『流転する伝統』評で「本書の最大の成果は、エリック・ホブズボウムの「創られた伝統」概念を発展させたことだ」という指摘があり<ぼくならむしろ「伝統の捏造」と言いたい。cf.『人びと』pp.230, 235.>、左のぺージには『同性愛について』、植原亮さんの評が載っています。同性・異性の性愛については『人びと』全体を貫く一つのテーマですし、見開きの右・中・左のスペースを合わせて、有意の符合だなと受けとめています。

2026年3月25日水曜日

『近代日本の歴史学とフランス』

 高澤紀恵・平野千果子(編)、山川出版社で今月刊です。副題に「日仏交流150年の軌跡から」とあるとおり、歴史ある日仏会館で2024年12月に催されたシンポジウムにもとづく、報告・討論集。
 ぼくも巻末に「反省的所感 西洋史研究におけるフランス学」というのを寄稿しています。ご覧になれば一目瞭然のとおり、この一文と『「歴史とは何か」の人びと 20世紀知識人群像』(岩波書店、2026)の該当部分とは、相互参照の関係にあり、照合しています。最後の校正をしている段階で、両方のゲラ刷りを見ながら調整したところもあります。また中澤(編)『王のいる共和政 ジャコバン再考』(岩波書店、2022)の序章「研究史から見えてくるもの」でも論じた点については、それと同一の典拠註となりそうな箇所は省略しています。
 つまり今回の「反省的所感」は計12ぺージで短いけれど、書き飛ばしたのではなく、このかんの問題意識を凝縮してしたためました。

2026年3月1日日曜日

『「歴史とは何か」の人びと 20世紀知識人群像』読者との交信 IV

OTさん
 ‥‥まず全体として本書は、『歴史とは何か』の副読本にとどまることなく、また内容的にも E.H.カーをめぐる人々の単なるエピソード集に収まることなく、20世紀の史学史・ヨーロッパ思想史になっている、と感じました。
 最も印象に残ったのは、いかに20世紀のイギリスがヨーロッパからの頭脳の流入により受益していたか、という点です。ネイミアやエルトン、ホブズボームといった歴史家に加え、バーリンやポパーといった20世紀思想史の最重要級もその列に連なります。こうしてみると、20世紀のイギリスは長期衰退過程にあっても、最強の国際言語たる英語と教育/研究機関、リベラルな政治体制により、すばらしい人材を誘引していたことが改めてわかりました。同じ衰退国でも、21世紀の日本では逆立ちしても真似できそうもないのが、悲しいところです。
 <中略>
 また、カーのある種の欠落を明らかにする7章、8章も、非常に効果的だと思います。『パースト&プレズント』の面々との没交渉、フランス革命史研究への言及の欠如は、カーの知的傾向を理解するうえで重要でしょう。また女性たちおよび周辺人物とのコミュニケーション不全(15章)も、著作のみからはうかがえない彼の人格的凹凸をよく示しており、彼を把握するための助けになろうと思われます。
 誰もが知る思想史上の大物ももちろんですが、個人的にはアクトンあたりに深い解説が加えられているのがありがたいです。主だった単著も邦訳もないアクトンの場合、特別な関心がない限り彼の著作を読むことも調べることもまずないと思われるので、彼の業績や歴史的評価に関する記述が読めるのは、貴重だと思います。
 マンチェスタ大学史学科に関する記述(特にp. 219-220)も心が躍りました。わけても「オクスフォード・マンチェスタ・ケインブリッジ・ロンドンの4点からなる四角形」なる表現は、非常に誇らしい思いを抱かせるものでした。
 以下には(些末ですが)気になった点を。
 「付記10 LSEの変貌」の最終センテンス(p.180)、「そこにはかつてのように前近代の歴史を研究する教員はいない」という表現について。この文章は二重にとれまして、「LSEにはもう前近代経済史の専門家はいない」とも、「かつてのように」が「研究する」にかかるとすると「LSEの前近代経済史家の姿勢がかつてとは変わってしまった」とも解釈できます。いずれにせよ、「LSEにおける前近代経済史研究にかつての勢いはない」、あるいは、「前近代経済史研究から熱気が失われた」くらいの意味の文章だと拝察します。
 しかし例えば、Oliver Volckart、イギリス史のPatrick Wallisなどは近世経済史において手堅い研究をしていると思います。アジア史でも、Tirthankar Royなどの仕事はどうでしょうか。
 別にLSEを擁護する義理はないのですが、LSE:Department of Economic Historyの教員一覧を眺めるに、前近代についても専門誌でよく見る名前がそろっていて、依然として経済史研究の最前線だな、というのが私の印象です。これ以上充実した経済史のスタッフを揃えている機関は、そうはない。確かに往年のPatrick O'Brienのような大物が見当たらない、といわれればその通りです。また「黄金時代」のような熱気が感じられないとするなら(それも否定できません)、個々人の資質というより「付記」にも指摘されるとおり、もっと大きな知的潮流の変化に原因があるのでしょう。

OTさんに近藤より返信
 ほとんど書評のようなコメント=メールをいただきました。内実のあるコメントを下さって、うれしい。たいへん心強く受けとめて、筆が軽く流れてしまった箇所など反省しています。
¶ マンチェスタについては、最初の留学で Boyd Hilton と V.A.C. Gatrell の指導を受けつつリサーチを開始したのですが、Manchester Central Library で Douglas Farnie先生(1926-2008)に会えてからは、ローカルな事情についてのお知恵を伝授していただくばかりでなく、史学史的な話もお好きなので、イギリスでも日本でも、会ってお話するのが楽しくなりました(拙著では p.281)。1987年9月に京都にいらしたときの写真をご覧にいれます(ぼくもまだ40歳になったばかり!)。
¶ 今日のLSEにおける歴史的学問の現状については、すみません、印象主義的な記述で凌いでしまいました。「付記10」p.180 の記述は、12行目「飛ぶ鳥を落とす勢いがある。」で終わりとし、以下は削除します。ここはむしろ、LSEは経済学自体の変貌、そしてヨーロッパ(西欧)中心史観からグローバルな視野への移行といった大きな変化を、オクスブリッジよりもはっきり代表具現している、と言うべきだったかもしれません。

2026年2月18日水曜日

『「歴史とは何か」の人びと 20世紀知識人群像』の読者より III

 あいつぐ私信から、シャープな指摘、そして思考の糧をいただいています。有難いことです。その一部をご紹介します。
HMさん
 ‥‥『図書』連載が始まったときから、毎号拝読しておりましたが、それを数段もヴァージョンアップされた、とても内容の充実した御本ですね。カー/『歴史とは何か』を取り巻く歴史家・学者の研究・著作からプライベートまで、それぞれの個性が伝わってきました。20世紀イギリスの知識人のコミュニティを、立体的というのでしょうか、「ポリフォニー」的に感じ取ることができました。
 錚々たる歴史家・学者ばかりでそれぞれの研究の意義をおさえるだけでも至難ですのに、各章のタイトルに掲げられた人物はもとより、現在の歴史家についてのエピソードも織り交ぜられ(キャナダインとコリーの結婚公告まで!)、大変面白かったです。また「付記」では歴史学の見方、日本の歴史学の先駆性・独創性にも言及されていて、イギリスを越えた同時代的な様子を知ることができたのも、有益でした。ご自身のリサーチによる『歴史とは何か』のアメリカ版刊行に関する書状の発見は、とてもスリリングでした。
 拝読していつも感じるのですが、文体に無駄がないと申しますか、よく研かれていると感じます。加えて、アイリーン・パウワの箇所で「元気(パウワ)にあふれるアイリーン」「‥‥社会政策の「発電所(パウワ・ステーション)」と韻を踏まれるなど、読み手を楽しませてくれます。‥‥

NSさん
 ‥‥イギリスの歴史家論というと、ジョン・ケニヨン『近代イギリスの歴史家たち』を思い起こしますが、ケニヨンが情報豊富で勉強になりはするものの、記述がやや平板なのと比べると、ご著作のほうは人物の複合的背後が浮かび上がると同時に、筆致が活き活きしており、とても面白く、勉強になりました。
 折に触れて示される鋭い洞察もとてもためになりました(アクトンがなぜ大著をまとめられなかったか、歴史家に構想力が必要なこと、しかし近年、資料の撮影が容易になり、資料フェティシズムには注意すべきこと‥‥)。
 アダム・スミスがオクスフォード時代に読書に打ち込んだことにも言及されておりますが、近年の研究を踏まえても言えることで重要だと思います。かつてはスミスはオクスフォードであまり学びがなかったとされていましたが、フィリップスンらにより、スミスはオクスフォードで、グラスゴー大学にはない書籍に触れたことがわかってきました。
 思想をどう歴史に組み入れるか、歴史的実態の中の思想をとくに意識するようになり、その点模索中です。とくに日本の思想史は、テキスト解釈に集中し、歴史的実態との関連を軽視する傾向にあります(内田義彦なども歴史を重視しましたが、それは講座派的な理解だったと思います)。イギリスの歴史解釈の層の深さを感じておりましたが、それはじつは20世紀に発展したものでした。‥‥
SOさん
 ‥‥歴史をやっている者にとってこの本が意義深いのは、一方で第15章で「わたしは孤独で、そして深く不幸です」というよく引用される言葉の本当の意味を教えてくれるというようなことだけでなく、『歴史とは何か』に登場する人たちが、20世紀史のなかに位置づけられ描写されていることだと思います。これは近藤さんにしかできない仕事だと思います。歴史学界の端っこにいる私にとって、興味深いだけでなく勉強にもなったところです。たとえば『P&P』誌の変身の舞台裏について、などなど。
 個人的になるほどと思ったのはR・H・トーニのところでした。彼の人となりが魅力的なのは大昔に『ハエとハエとり壺』を読んで以来ですが、ながいこと彼が熱心なアングリカン[国教徒]だったことがしっくりきませんでした。ウェーバーの読み過ぎだったのかもしれません。[人口・家族史の]ケンブリッジ・グループの創立者たちがノンコンフォーミスト[非国教徒]だったことにも影響されていたかもしれません。‥‥
 それが今回R・H・トーニの親友三人組の話を読んで、だいぶわかってきたように思います。その一人テンプルがアングリカンでキリスト教社会主義者、最後は大主教になったことを知り、あの時代のアングリカン改革派は国教会を内側から動かし、三人組のもう一人ベヴァリッジが構想した福祉国家への道を推し進めることになったのだと理解しました。有意義で楽しい読書でした。

KYさん
 ‥‥こうしてまとまって読ませていただくと、『図書』で拝読した時以上に、イギリスの歴史家たちへの近藤さんのまなざしがよく分る気がします。近藤さんが最も愛着を覚えているのはネイミアだろうという印象で読み終わりましたが、違っているでしょうか。
 『図書』にはなかった「付記」も、日本関係の話題などを盛り込まれる形で、それぞれ短いながら読み応えがありました。カーの新訳同様、多くの方に読まれる本だと思います。

KYさんに近藤より返信
 ‥‥ぼくが一番愛着を覚えるのがネイミアなのかどうか、よく分かりません。ある時期にそうだったのかもしれませんが‥‥。カーその人については、ぼくとは違うタイプの人だが、理解はできる、という所まで辿り着きました!(かつて E.P.トムスンに距離感を覚えて以来、)あまり特定の一人に執着することはないかもしれません。むしろ拙著の執筆のために勉強した結果、従来は嫌いだった/理解の外だった、トレヴァ=ローパとか K.ポパーとかについて、少しは理解が増した気がします。
 個人的に申しますと、1970年代に、フランス革命、18世紀英仏の民衆運動といったことで R.コッブ、G.リュデ、R.B.ローズ、M.ベロフなども読んでいたのですが、今回はこの人たちと E.P.トムスンばかりかネイミア(そしてベロフの場合はカー)との関係/摩擦まで浮かびあがってきて、目の覚める思いです。
 フランス革命修正論とベティ・ベーレンス、そのカーへのつながりについて、なおまた I.バーリンが1955年にアリーンと婚約発表したあと(結婚前のハネムーンとして)夏の南フランスから車でたっぷり大旅行を敢行し、ローマの国際歴史学会議に向かったことについても(p.165)、柴田三千雄先生がお元気なら、ぜひ伝えたかったことでした。
【まだぼくが学部の5年生のころ、本郷の喫茶店で柴田先生から、世紀転換期ウィーンにおけるウェーバーの周辺の知識人世界をやるのも面白いんじゃないか、と誘惑されたことを、今ごろになって想い出しました。まだカール・ショースキの安井訳『世紀末のウィーン 政治と文化』(岩波、1983)が出るよりはるか前のことでしたが、ぼくが駒場で折原ゼミに精勤していたのをご存知だったので、柴田さんと西川正雄さんのあいだの懇談から、こうした発言が派生したのかもしれません。】
 全体を通じてですが、巻末の「人物対照年表」の18名(→ 右上の Features に特別ぺージを設けました)について列伝みたいなものを試みたことにより、相互の意外なほどの関係が見えてきたのは収穫でした。当初に考えていたよりずっとテマヒマかかりましたが、調査探究の実が上がり、historiaという営みを生涯の仕事としてきたがゆえの喜び(これを西川さんなら醍醐味!というのでしょうか)を感じています。

2026年2月15日日曜日

『「歴史とは何か」の人びと』(岩波書店)について II

 拙著の読者からのご感想の第Ⅱ弾です。お寄せくださった皆さま、ありがとうございます。たいへん嬉しく、また励みになり、著者冥利に尽きるとはこのことです。個人的固有情報は除き、エッセンスのみご紹介いたします。
AMさん
‥‥岩波の『図書』に連載されていたエッセイは、部分的に読んでいたのですが、内容に引き込まれて、先週末に一気に読み終えました。「人物対照年表」を見ながら、錯綜した人間関係とOxbridge, LSEとの関係を改めて見直すことができました。
 描かれる人物像とともに、付記の部分にも引き付けられました。付記12の、英米の出版事情の相違と、ご自身のオリジナルな史料的「発見」の部分は、さりげなく書いてありますが、本書における重要な独自性にもなっていると感じました。

KHさん
 ‥‥すぐにご本を拝読いたしました。複雑な面白さなので、読んでいると止まらなくなって2晩で読了。二、三の感想を記して御礼にかえたいと思います。
 登場する歴史家たちの大半について、学生時代以来さまざまの読書で学んできました。このご本の I部では文句なしに、第6章 経済史家にして教育者、トーニ。
II部では、第7章 フランス革命史-ルフェーヴルとコッブ、第9章 バーリンとドイチャ、カーの二人の友人 の両章がすばらしい。私はバーリンは大嫌いでしたが、今回その理由が分かったと思います。ルフェーヴルの本は何冊か持っていますが、やはり筋金入りの歴史家であることを納得。
III部は、とてもきつい。戦後育ちの私は、第15章 E・H・カーと女性たち を読むのが辛かった。時代的被拘束性は分かっていますが、それにしても何というカーなのだ、と。この本はこれから何度も読み直すと思います。
 率直な不満があります。第8章 『パースト&プレズント』の歴史家たち の記述にはやはり不十分さを感じました。私は、学生時代からホブズボームの仕事が好きでしたので、E・H・カーとホブズボームはいったいどのような関係であったのかを知りたい。その探索の可能性は果たしてないのでしょうか。‥‥

YNさん
 ‥‥引き込まれるように一読させていただきました。素晴らしいご著書で、感嘆しております。
 E.H.カーを軸に、20世紀を歩んだイギリスの歴史研究者を、その研究や大学人としての歩みだけでなく、全人格とともに描写し尽くす。これは並大抵なお仕事ではないと、門外漢ながら感じ入っております。英国におけるオックスブリッジの位置、また学寮を基礎とする大学の社会や機能、そこを主な舞台として繰り広げられてきた20世紀英国の歴史学の状況が、きわめて鮮明な像として描かれ、とてもよく理解できました。
 いくつも印象的な部分がありました。
 *ネイミアのいう、歴史家の仕事は画家に似ている、医者の診断に似ている。。。
 *(歴史家の)頭のなかで響いていた音を聞き分ける
 *ハスラム「カー評伝」における、私生活を含め「全人格をあつかう」という手法
 *こうした視点で叙述された「知と愛とセクシュアリティー」の各章
 また、ぜひ再読させていただくつもりです。

KSさん
 ‥‥興奮をもって読了しました。
 激動の20世紀のイギリス主要大学で、伝統の血/知と外国からの新しい血/知が混ざり合い、濃密な人間関係の中で、互いの仕事を意識しつつ、強烈な自負をもつ、総じて「奇矯な」人びとが、教え学び、時代の荒波を生きて、同時代的課題に向き合い、友情や嫉妬や恋心や虚栄心や失望に翻弄されながら歴史を書いていたさまが、息遣いを再現するかのように描かれていて、ほんとうに、ほんとうにおもしろかった。
 たしかに人生を生き切ったような綺羅星のごとき人たちの頭を「いっぱい」にしていたことを踏まえてはじめて、その人の仕事の真の評価ができるのだなと思います。
 本書は、まことに「ポリフォニック」な作品だと思います。カーを出発点にして、数珠つなぎのように人間関係を探査していくうちに、当初計画にはきっとなかったような意外な事実が次々に浮上したのだろうと推察いたします(研究計画に偶然性を組み込んでいる、ということではないでしょうか)。登場人物が勝手に語り出すような、勝手に自己主張し始めるような、そんなところが随所にある気がいたします。著者自身が登場人物のお一人でもあり、そのことが独特の臨場感を与えています。 個人的に、昔お世話になった人に出逢った感もありました。「地上の星」的な存在にも随所で言及しておられるのも素晴らしいです。
 本書は一書として自律したポリフォニックな書物ですが、また『イギリス史10講』と『歴史とは何か 新版』とトライアングルを成していて、互いのサブテクストになっているのだな、との印象を抱きました。このようなコンステレーション - 近藤史学の星座 - を観られるのは幸せです。

2026年2月6日金曜日

読者の反応

 1月末の拙著『『歴史とは何か』の人びと  E.H.カーと20世紀知識人群像』(岩波書店)の刊行は、個人的には人生の一大事(!)なのですが、いま真冬の解散・総選挙という国民的大イヴェントのほうに人びとの関心が向いています。これじたいは健全なことなのですが、著者としてはほんの少しさびしい。ところが、政治文化の大きな転変、「大変貌」も予測されて、気がかりで、正気にかえります。8日(日)に投票所に行けない人は、不在者投票をしましょう!

 拙著については、ふだんからお世話になっている方々から反応を頂いています。ありがとうございます。個人を特定する固有情報は除いて、順にエッセンスのみ紹介させてください。
NMさん
  ‥‥じつは二日ほどで、ほとんど拝読いたしました(後さき 行きつ戻りつもありましたが)。なんて沢山のものをお読みになって、桁外れのひとの頭のなかと人生とイギリス人のありようを活写なさったのかと、感じ入りました。‥‥本当にものを読むのがお好きなんですね。
ACさん
 ‥‥先生が長年、多彩な歴史家の皆さんとの交流を大切にされ、楽しんでこられたご様子を、まのあたりにしてきました。ですので、舞台を20世紀イギリス歴史学界にして、「知識人群像」というこのご本をお書きになられたことにつきましては、なるほどなと感じております。
   少し驚きましたのは、ホモソーシャルで知的な側面ばかりでなく、取り上げられた方々のこだわりや失策や性愛にいたるまで、しっかり描かれていることです。女性たちの矜持や生き方も語られていて、実に興味深いです。全体に人物像がとても生き生きしており、立体的だと感じました。なんだかワクワクしてきて、読み進めていくのが楽しみです!! 個人的にはリチャード・コッブの『革命軍』を見つけ、なつかしくて涙が出そうになりました(笑)
ITさん
 ‥‥カーを取り巻く群像をポリフォニックに描くという離れ業へのご挑戦、流石としか言いようがありません。その「雰囲気」は芬々と本書全体から醸し出されています(人間工学的に優しい書籍の大きさ・重さも含めて)。 ケインブリッジの地図を眺め、ずいぶん昔に案内していただいたカレッジ群やケム川辺の風景、雑踏などが頭のなかに重奏的に甦ってきています。
 全体は I~IIIの3部構成になっていて、Iの内部的オーソドックスな知的関係、IIの外部からの知的刺激、IIIのジェンダー的様相の3楽章は、それぞれ異なる旋律とハーモニーが奏でられるであろうことが早くも予感されてワクワクします。そして『図書』の連載原稿には、大幅に手が加えられ、‥‥各章に付記が周到に配されていることにも、読者への心遣いが感じられます。そしてポリフォニーのさらなる増幅がはかられているようでもあります。
HMさん
 ‥‥大変興味深いです。ケインブリッジの芝生のかぐわしい匂いがよみがえります。 同じ頃私はパリに留学していました。まだブローデルもフーコーも健在だったのに、視野の狭さと博論作成の難しさのゆえに、彼らの講義に出席することはありませんでした。今になってとても残念に思っています。 [‥‥] が日記を残しており、それを読むと歴史学者とその学問がその人の生きた時代の思潮の影響を、半ば無意識のうちに強く受けていることに気付きます。
HYさん
 『図書』で欠かさず拝読していましたが、あらためて拝見すると、アングロフォンの知識人を中心とするカーの生きた時代の知的コミュニケーション空間が甦ってくるようです。その時代の思想空間を全体として反映するポリフォニーでなくとも、今日までなお歴史家に課題を提示する通奏音が聞こえる気がします。また何より生身の人間としての歴史家たちの交わりの物語が楽しめるのが喜ばしい。 こういう世界が、そしてこのようなスタイルの伝記的叙述を誘発するような歴史家(たち)は今後なお存在するのだろうかと思ってしまいます。

 なお、新著の刊行にともない、じつに何年ぶりかですが、右上のぺージ = FEATURES も対応して、少しづつ更新してゆきます。よろしく。

2026年1月7日水曜日

試し読み

 あまり心構えもできないうちに年が改まり、年賀状はようやく本日6日に投函しました!

 ありがたいことに、いつのまにか拙著『「歴史とは何か」の人びと - E.H.カーと20世紀知識人群像』については、早々と詳細な刊行情報が出ました(1月23日刊)。旧臘にくりかえしたドタバタの<成果>ですね。
→ https://www.iwanami.co.jp/book/b10154380.html
しかも、巻頭部分は「立ち読み」もできます。はしがき(v-ix)、目次、凡例、第Ⅰ部のイントロ(p.2)、第1章の前半 pp.3-10まで。 → 「試し読み」をクリック!
 ここで 図1-1 ケインブリッジ 学寮と大学(p.5)もきれいに読めます。

2026年1月3日土曜日

腰帯

 正しい名はどういうのか、知りませんが、とにかく本のカバーの下方を覆うように巻いて、その本の内容をアピールする、キャッチーな文言の記された帯/紙片です。著者でなく、その著書に長らく関与した編集担当者が苦労して制作します。
  ↑ クリックすると拡大します ↑
 今回の『「歴史とは何か」の人びと - E.H.カーと20世紀知識人群像』の場合は、長い帯の右側(仕上がりでは本の裏側)に並んだ21名だけでなく、ウェブ夫妻やハイエクやマンハイム、そしてグラッドストン首相、チャーチル首相、サッチャ首相も登場します。カーの3人の妻や子どもたちが本のなかでどのような役をになうのか。そして高橋幸八郎や柴田三千雄を - 二宮宏之も西川正雄も! - 近藤がどう論じるのか。現役の歴史家たちにも顔を出していただきます。印象的な写真もありますよ。
 「読んで楽しい」本にはなっているかな? ちなみに It is a delight to read とは、リン・ハントが History: Why it matters? (2018), p.124 でカーの What is History? を評した、短いけれど本質的な言でした。拙著の場合は、図版が多いので、見て楽しい本にもなっているかと期待しています。

2025年12月11日木曜日

新刊予告

雑誌『図書』12月号の一番最後のぺージにも予告が出ました。
『「歴史とは何か」の人びと』、四六判、1月23日刊と予告されています。
本文と巻末(横組)の史料文献一覧も確定し、カバーおよび帯のデザインも決まりましたが、ただ今、索引につき最終的な、ホントに最後の奮闘中です。よく考えた索引がなければよい本は完成しない、という立場は柴田先生と共有しています。

2025年12月3日水曜日

すずらん通りの東京堂

ただいま新著『「歴史とは何か」の人びと - E・H・カーと20世紀知識人群像』のポリフォニー的列伝の最終局面。ほとんど昼夜反転しそうな日が/夜が続きます。
神田一ツ橋の岩波書店で今夕の仕事は済んだことにして、白山通りを渡り、ホッとした気持で歩くのは神田神保町の「すずらん通り」。
いろんな飲食の店、和菓子店、バーなどに間を彩られながら、専門古書店がならび、その先にこの通りにしては大きめのビルとして「東京堂」があります。
ここはぼくの学生時代(1960年代といえば、60年ほども前!)に三省堂の裏に、あの事典類を出してる「東京堂出版」ってこんなところに本社があるんだ、と認識したころ、本屋さんとしては冴えない部類だな(失礼!)という印象でした。
ところが、今や三省堂がなくなり、岩波信山社もなくなりました。近隣の環境変化と、おそらくは社の方針の転換も加わって、この近辺の新刊本屋としてレアなばかりでなく、じつは1階から3階まで、品ぞろいも悪くない、訪れて楽しい書店です。とくに3階は『思想』や『現代思想』のバックナンバー、全集の売れ残りなどを見て時間を潰す/啓発されるのには好ましい空間です。まだなじみのない方がたは、ぜひ!
今晩は、1階の目立つ書棚に『悪党たちのソ連帝国』『悪党たちの中華帝国』『悪党たちの大英帝国』が並んでいました。真面目な本かどうかを即断するには、註が付いているかどうかだ、という説もあることは承知していますが、しっかり構えてプロデュースした本かどうかは、むしろ索引のありなしで即断できると、思っています。(いまぼくはそれで奮闘中です!)

2025年11月1日土曜日

はしがき

ご無沙汰は続き、ついに11月になってしまいましたが、理由は9月27日に書いたのと同じで、まだ拙著の校正ゲラと取組中です。経過のご報告として「はしがき」から一部を引用いたします。
 <Quote:>
 先にわたしはカーの『歴史とは何か 新版』(岩波書店、二〇二二)を訳出したが、その翻訳中に興味関心をひかれ、もっと知りたくなったのは、著者カーの頭はいったい何で一杯だったのか、彼が思いうかべてもの言わんとした相手はどういう人物なのか、ということであった。『歴史とは何か』でカーが俎上(そじょう)にのぼせた人びとは、二〇世紀を代表するような知識人たちだった。重要でありながら、なぜか正面から切り結ぶことなく、パスした人もある。そうした人びとの思想と人柄について、生活環境(ミリュー)に注目しながら、「列伝」のようなものを描いてみたいと考えた。カーは『歴史とは何か』の第二講で「良い伝記とは結局、悪い歴史である、などと言ってみたい気にもなります」(『何か』p. 72)と読者を笑わせてから、悪い歴史どころか、すばらしい歴史の例として友人ドイチャによる伝記の著作をあげていた。
 じつはイギリスは一九世紀に歴史学の最先進国ではなく、史料の保存・編纂についても研究教育についても、ドイツやフランスが先を行っていた。アクトンやアンウィンのようなドイツ留学経験者、そしてフランスで学んだ若手により、イギリスの学問は革新された。さらに二〇世紀前半、とくに一九三〇年代には中欧・東欧出身のユダヤ系の優秀な/独特の人材が ー 自発的に、あるいはナチスに追われて ー イギリスに渡来し、知的世界の「大変貌」をもたらす。そうした人びとのたくましい生涯も見ることにしよう。英語が商業言語より以上の知的なグローバル言語となるのは、これ以後である。
 本書はこうした人びとの生活環境として大学事情にも説きおよぶが、多くの大学は二〇世紀半ばまで男女別学である。また二〇世紀イギリスの知識人群像のうち一定の割合の人びとにとって、親子の愛情の薄さ、同性愛もふくむセクシュアリティは現実的な問題であった。いくつかのケースと並べて見ると、カーのかかえた個人的な問題は相対化されてくる。パートナーとの関係、老いと病いについても考えよう。
 <Unquote.>
少なからぬ方々にはそれぞれのお約束を守れず、失礼を重ねています。申し訳ありません!

2025年9月27日土曜日

近況ご報告

 まったくご無沙汰しています。ときに「‥‥ホームページのブログの更新が4月以降止まっていることを心配しています」とかいう優しい問合せをいただいて、恐縮しています。
 なんとか無事に日々を暮らしていますが、ブログの更新がないのは、① 言いたいことがないのではなく、むしろ逆で、日本の政治社会よりもなによりも、トランプの3権分立なきがごとき独裁政治について憤懣やるかたない毎日です。これほど傍若無人の男にディクタトルぶりを発揮されては、モンテスキューもジェファソンも天を仰ぐでしょう。しかし、ぼくがブログをしたためるとしても、せいぜい新聞の社説に毛を3本加えた程度の(サザエさんの父=磯野波平くらいの)コメントしかできないでしょう。虚しい。
 ブログ更新のないもう一つの理由はもうすこしポジティヴで、② 拙著
『「歴史とは何か」の人びと - E・H・カーと20世紀知識人群像』(岩波書店)
がいよいよ最終局面で、そちらに集中するしかないという事情もありました。(過去形で書いているということは、今は一段落ついたということです!)
 これは『図書』の15回連載をもとにしたもので、それで骨組はできているとはいえ、調べれば調べるほど発見があり、「止められない止まらない」状態でした。最初は岩波新書にしようという話だったのに、註も図版も豊富な四六判で行こう、となり、この2年間に現地調査・取材した成果も生かしたく - といっても完璧な学術書というより、むしろ「こんなにおもしろいこと/すごいことがある。皆さんに伝えたい」としたためた試論(essay)であり、皆さんの思考と探究をうながす「いざないの書」という性格を打ち出しています。
 『図書』連載時より分量はだいぶ増えて、内容も充実したかと思います。 ← https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074
「15章+エピローグ」編成ですが、全体を3部に分け、
 Ⅰ.歴史学とオクスブリッジ
 Ⅱ.変貌するイギリスの知的世界
 Ⅲ.知と愛とセクシュアリティ
としてみました。各章の「付記」も含めて、書き込んでいます。
 やがて校正ゲラにて目次などご覧に入れられるかと思います。

2025年4月17日木曜日

主権・IR・カー

『「主権国家」再考』(岩波書店)は本日、16日発売とのことですが、先にも書きました詳細な目次だけでなく、立ち読みコーナーもあって、ぼくの「序論」についてはちょうど半分、pp.1-10 がウェブで読めるようになっています。
→ https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0616940.pdf (目次のあとです)
そうした出版のオンライン開示は便利だなぁと見ているうちに、さらに今月刊のE・H・カー『平和の条件』(岩波文庫)も、訳者による解説(部分)が読めることを発見。
→ https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/8771
ちょうど『「主権国家」再考』がらみで、中澤論文からドイツの Andreas Osiander による
'Rereading early twentieth-century IR theory: Idealism revisited', International Studies Quarterly 42 (1998) へと導かれ、この論文でE・H・カーの国際関係学(IR)批判が試みられていることを認知したばかりでした。
この間のいろんなことが繋がってきて、嬉しいかぎりです。

2025年4月10日木曜日

Shohei's 'might-have-been'

 『「主権国家」再考』が岩波書店のウェブぺージに載りました。中澤達哉責任編集/歴史学研究会編、岩波書店、4730円。16日刊行とのこと。詳細な目次も、こちらに → https://www.iwanami.co.jp/book/b10132793.html
先にも(3月6日)書きました「‥‥今、トランプ第二期政権は歴史も国際法もなきがごとく、独特の「主権」を主張して世界を驚愕させている。」というぼくのセンテンスは、今となっては、ちょっと弱すぎる表現でした。
 そうした折、なんと大谷翔平(とドジャーズ選手たち)がホワイトハウスに招かれてトランプ大統領と談笑する光景が報道されました。何を話したのか、あまり愉快でない報道写真でした。ここでもし Shohei Ohtani が 
「ぼくは高校しか出てないし、野球のことばかり考えてきましたが、でも高校の公民では貿易収支(balance of trade)と経常収支(balance of current account)の区別は習いました。トランプさんはどうして今さら「貿易収支」みたいな物の取引の赤字なんかにこだわって、国際的なマネーや目に見えない富のやりとりは見ないんですか? 大統領はたしか大学を出て、すごいビジネスで成功なさっているんですよね」
とか、たとえ通訳を通してでも言えたなら、Shohei's Show-time! として、万国で人気が沸騰したに違いないのに。たられば(might-have-been)史観ですが。

2023年10月31日火曜日

『図書』11月号休載 → 最終回は「E・H・カーと女性たち」

 岩波書店の『図書』に連載しています「『歴史とは何か』の人びと」ですが、申し訳ありません、11月号(899)はお休みとさせていただきます。
 第1回(2022年9月号)<https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074>にも記しましたとおり、三面六臂どころか、90歳まで執筆を続けたE・H・カー(1892-1982)ですが、その謎をすこしでも解き明かすために、20世紀のエリート群像の生きざまのなかで人物カーを脱特権化=相対化してみるという目論見でした。見開き6ぺージ(約6000字弱)の essay(試論)とはいえ、毎回、読むべきもの/確認すべきことが多くて、大変でした。肖像写真の選定にも苦労しました。しかし、それに見合う新しい発見/気付きもあり、充実した連載でした。
 元来は12回連載ということで始まりましたが、途中で15回に延伸できるかとの打診があり、やや充実させることができました。とはいえ、9月のアイルランド・イングランド旅行は(その準備段階も含めて)強烈で、連載原稿を仕上げることはできず、11月号は休載。12月号で第15回=最終回「E・H・カーと女性たち」をご覧に入れるということにさせてください。写真も含めて、それなりに印象的な最終回(有終の美!)とさせていただきます。(すでに最終回のゲラ校正も戻して、執筆者としての仕事は済んでいます。)
 ご愛読の方々、そして感想や声援を寄せて下さったみなさん、ありがとうございました。

2023年8月14日月曜日

近刊予告

近況ですが、『歴史学研究』No.1039(2023年9月)に 〈批判と反省〉『歴史とは何か 新版』(岩波書店, 2022)を訳出して (全7ぺージ)①  

『思想』No.1193(2023年9月)に 翻訳のスタイル (全4ぺージ)③  

が掲載されます。【後者は『思想』7月号「E・H・カーと『歴史とは何か』」特集号における上村論稿に触発されてしたためた小文で、そこで呈示された疑問や指摘に答えています。個人間の論争ではありません。一般的な意味を求めて、多くの第三者読者に向けて発した、論文/翻訳のスタイルについてのコメントです。ぼくもかつては清水幾太郎『論文の書き方』(岩波新書、1959)の愛読者で、卒業論文の執筆時に大いに参照しました。】
どちらも早ければ8月末には公刊とのことで、編集サイドの厚意とすみやかな作業のお陰です。ありがとうございます。
お読みになる順序としては、先にも少し書きましたとおり、
 『歴史学研究』9月号〈批判と反省〉①に最初の目を通していただき、
 その次に「思想の言葉:いま『歴史とは何か』を読み直す」『思想』7月号②を、
 そして、『思想』9月号の「翻訳のスタイル」③
という順で読んでいただくと、一番ナチュラルで良いかな、と思います。
②は、早くから岩波書店のウェブ「たねをまく」 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7306 にて公開されていますが、やはり順序として①が最初に読めるようにみずから努力すべきだったと、段取りの悪さを反省しています。

2023年7月25日火曜日

『思想』・『歴史学研究』・『図書』

「梅雨明け10日」はメッチャ暑い、とは気象予報士の言。そのとおり連日の猛暑ですが、皆さま、どうぞ慎重に、お健やかに。(蝉しぐれのなかで書いています。)

先にも書きましたとおり『思想』7月号は「カーと『歴史とは何か』」をめぐる充実した特集号でしたが、8月号はなんと <特集 見田宗介/真木悠介> なのですね!
見田さんは駒場のまぶしいほどの先生でしたし、その後も社会学の学生たちを実存レヴェルで揺さぶっていた先生です。60年代には父親=見田石介がだれしも知るマルクス主義の学者で、父といかに距離を保つか、どこに自分のアイデンティティがあるか、を考え続けていたのでしょう。8月号、未見ですが、楽しみにしています。 http://kondohistorian.blogspot.com/2022/04/19372022.html でも私見をしたためました。

そうこうするうちに昨朝『歴史学研究』のための初校を終えました。9月号(No. 1039)で、
〈批判と反省〉『歴史とは何か 新版』(岩波書店, 2022)を訳出して
というタイトルです。じつは昨年8月に書き始めてすでに9月には8割方できあがっていました。どう締めるかで迷っているうちに、『図書』の連載で月々の〆切に(心理的に)追われるようになって、しばらく冬眠・春眠していた原稿です。 4月から中学の同期会とか、高校の同期生のやっている「千葉県生涯大学校」の講演とかに出かけて、旧友たちと懇談して気持も整いました。無理なく「締める」ことができたと思います。
というわけで、本当の順番は、この『歴史学研究』9月号が先で、『思想』7月号は後なのです。「思想の言葉」をご覧になって、ちょっと飛躍があると受けとめた方々には、申し訳ありません。9月に『歴史学研究』をご覧になっていただくと、無理なく接続するかと愚考します。いずれにしても、『歴史学研究』編集長とスタッフにはたいへんご心配をかけました。

なお『図書』の連載はまだまだ続きます。
第11回(7月号)ウェジウッド「女史」。 これは自分では良く書けたのかどうか分からないところが残ります。
第12回(8月号)はマクミラン社の兄弟。 こちらは自画自賛ながら、調べて書いた成果が実感できます。カーの出版についても、マクミラン社およびマクミラン首相についても、「そうだったのか!」と納得していただけるのではないでしょうか。連載のうちでも会心の回の一つです。この2回連続して、セクシュアリティが通奏低音になります。
熱心に読んでくださる読者、とくに現役の方々からいただく反応はなによりのご褒美です。ありがとうございます。

2023年6月30日金曜日

カルガモ母子と『思想』7月号

 うっとうしい天気ですが、爽快な光景です。集合住宅のアトリウム池に数日前から大柄のカルガモが一羽すわりこんでいて、大丈夫だろうかと心配していたら、今日はなんと小さな雛7羽を従えて、池を泳いでいます。抱卵して動きがほとんどなかったのでした。
ご覧のとおり浅い池なので、お母さんの脚は床に着いて、ほとんど歩いています。
 先日到来した『思想』第1191号(7月号)は、特集として出色の号かもしれません。
 カーその人、著書『歴史とは何か』とその日本における/中国における受容、20世紀史におけるカーの所説の意味(の転換)、そして清水幾太郎訳(1962)と近藤の新版(2022)をめぐって、等々、なかなかの壮観です。各論考から大いに学べます。
 なおまた、「思想の言葉」についてはウェブの「たねをまく」に公開していただいて、早々と感想を寄せてくれる方もあり、有難いことです(縦組の文章を横組に開示しているので、漢数字がやや煩わしいですが)。 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7306 
ただし、最後の数行前に、脱落があります。
  二〇世紀を生きた自由主義者社会主義的かもしれないが「一皮むけば七五%はリベラル」の知識人の告白でもあった。
    ↓ 
  二〇世紀を生きた自由主義者--社会主義的かもしれないが「一皮むけば七五%はリベラル」の知識人--の告白でもあった。
とダーシを2箇所補ってください。たった今、再見しましたら、直っています。担当者の方、有難うございました!

 ただし同じ号のなかで唯一、「カー『歴史とは何か』と〈言語論的転回〉以後の歴史学--近藤和彦の新訳をめぐって--」に限って、大きな違和感があります。清水旧訳を名訳とするかどうかは、拙文でも述べた「年長の先生方」の懇談(p.2)を想起して「あの年長の先生方のお仲間」を相手にしているのか、と認識を改めました。その旺盛なお仕事を何十年も前から読み、学んで、遠くから尊敬し羨望してきた方の文章なので、かなり困惑しています。
 「もう一工夫欲しかった」「誤訳ではないか」「疑問点」「‥‥するべきではなかったか」と指摘されている箇所は、ほとんど誤解と無理解によるものと思われます。いずれザハリッヒに学問的にコメントしたいと考えています。ただ今、身辺が多事多端ですので。

2023年6月4日日曜日

『図書』という月刊誌

こちらに「『歴史とは何か』の人びと」という連載を続けています。5月20・21日、名古屋の学会大会では、久しぶりに対面で懇談できたのも良かったのですが、何人もの方々から「読んでいますよ」と言っていただき、励まされました。
6月号(第10回)では「A・J・P・テイラとトレヴァ=ローパ」という、ちょっと問題的な20世紀の歴史家二人について立ち入っています。それは、第1にE・H・カーが『歴史とは何か』で彼らの言を効果的に引用しているからですが、また第2に20世紀のオクスフォードの学者たちの小宇宙を - スノッブのようにあがめ憧れるのでなく - 具体的にイメージングしておくことも必要、と考えたからでした。次(7月号)の「ウェジウッド「女史」」へとつながります。
同じ6月号には、桜井英治さん、大石和欣さん、池田嘉郎さんといった面々も書いていらして、前からの「日本書物史ノート」「東京美術学校物語 西洋と日本の出会いと葛藤」といった連載とあいまって、なかなかの読み物です。
さらには、今号から「西洋社会を学ぶ意味」というタイトルで、前田健太郎さんの「政治学を読み、日本を知る」という連載も始まったのに気付きました。これからが期待されます。しかも、この記事はウェブで読めるのですね。 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7252
そういえば、ぼくの連載「『歴史とは何か』の人びと」の第1回目(昨年9月号)も、ウェブに公開されているのでした。 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074
便利です。 岩波書店の英断だと思います。