今日も - 太平洋側では - 暑かったですね。お変わりありませんか?
そうしたなか、前々から予定されていた用件で京葉線「海浜幕張」まで参りました。昔「放送大学」の番組制作で何度か訪れた駅ですが、そちらとは反対の、南口(海の側)に出て、幕張メッセや千葉ロッテのスタジアムの方角、しかし直近の超高層ビルへ。その25階でのお話と手続はトントン拍子で運び、11時半にはすべて終了して、解散とあいなりました。
支障なくことが運んだのは良いのですが、ちょっと拍子抜けで、商業地区、そして広い帯状の海浜公園を抜けて、美浜区打瀬の、これぞ「幕張ベイタウン」という街区を歩いてみることにしました。
ぼくが京成電車で中学、高校に通っていたころは、このあたりは遠浅の海岸で、アサリ取りと海水浴(と海苔養殖)しかなかった! 60年代、70年代に埋め立てが進んで、成田空港ができてからは(途中にあたるこの辺には)高速道路と京葉線が計画され、80年代には幕張はその要、「副都心」とする構想が唱えられるようになりました。京葉線の沿線の北半分(市川、船橋)はおもに工業・倉庫・物流の拠点となり、南半分(千葉市内)は住宅地が広がり、「海浜幕張」は両者の要というか狭間というか、商業・情報・教育の拠点となってゆくプロセスはぼくの知らぬまに過ぎ、いつのまにか、バブル期が終わってみたら、そうなっていたんだ、という認識です。
1996年正月に日本に帰ってきてから - そのころは両親と一緒に住むことも展望して - しばらく広い範囲で(多摩や国立まで含めて)住宅/住宅地を捜したのですが、新聞広告にくりかえし出ていた幕張ベイタウンの集合住宅は魅力的で、その写真や図面は今でも記憶に残っています。
多摩ニュータウンは傾斜地が前提の街造りでしたが、幕張は平坦な埋立地で、商業地や放送大学、アジア経済研究所と近接しながらの地割りも計画的に行なわれて、街の真ん中および海側の緑地も十分に設けられています。
最高気温35度にもなる真昼だったので、ベイタウンの目抜き通り(美浜プロムナード)も歩行者が少ない。しかし街路樹もたっぷり、目抜きの1階は(雪国の雁木通りみたいに)回廊のようになっているので、雨ばかりか日射しも避けられる構造です。小さな商いやブティクも並んで、悪くない街並みだなと思いました。駅の近くの超高層は別にして、たいていの集合住宅は6階ないしは5階までとして統一感があり、間隔を十分にとった(上から見ると)ロの字型、コの字型の住宅。なんだか西ドイツかオランダの都市住宅みたい、と連想しました(高度成長期の日本の団地住宅とは大違いです)。
そういえば、わが高校の同窓生たちの現住所で、美浜区打瀬とか磯辺といったのが少なくない‥‥。京葉線快速を利用して、東京駅近辺まで通勤するには便利ですね。ここはまた定期借地権での分譲という手法も活用された、革新的な住宅地でした。
2023年6月3日土曜日
〈リフォーム〉ほどではないけれど
今日の午後は、長い大雨の後、久方の快晴。気持いいですね。
いくら間遠とはいえ、このところブログ登載が月一どころか、5月は無、となってしまいました。ただただ日夜のこと & 原稿〆切に追われて(!)というわけではなく、それなりの進展はあります。
じつは現在の集合住宅に入居して、この春でちょうど20年。同居人の構成も変化したうえ、いろいろなモノが貯まり堆積して、自宅がまるで考古学遺跡のようになってしまいそう、と心配してくれた娘の提言で(準備のメールとZoom会議をへて)、4月から夏まで数次に分けて、部屋の使いかたを多少とも転換中です。
×まずは大きく重すぎて邪魔、処分さえ困難だった「大電動椅子」と古いソファ
×多数のプラ=ケースに収納されていた古着、過去の遺物
これらを整理/破棄処分しました。そして、これからの生活のために前を向いて、
・誰の物、家族のコモンズ・常用といったゾーンを明確化し、
・開かずのスペースになってしまっていた北側ベランダへの出入りができるように、
・各部屋の用途を再考し、老後の介護のためにも寝室と「納戸」とを交換しました。
こうしたことを実現するためには、じつは本人たちだけの手には余り、複数の屈強の男性が必要でした。娘がそうした「ゴミ屋さん」(!)という名の業者を捜しあて、日時を決めて動いてくれたので、なんとかなったのでした。久方ぶりに床のフローリングがしっかり見えるのは、感動的です!
(とはいえ、ぼくの書斎、図書・ファイルにかかわることについては、さすがの娘も関与を諦め/謝絶し、お父さんが自分で考えてやって、と引導を渡されました!)
5月の連休の後、3人で収納ラック一式を組み立てて、新しく 納戸スペース を構築して、すっきりしました。
なおさらに「大仕事」なのは、台所スペース です。(先週に訪問した千葉高校時代の友人の邸宅では、全体がすばらしいのですが、とりわけ外光もたっぷり入る広いキッチンには感激しました!)いまや言葉で納得してもなかなか動き出せない我々老夫婦にとって、子世代に背中を押してもらって、業者との相談会に向かい、ようやく実現に向かいます。
いくら間遠とはいえ、このところブログ登載が月一どころか、5月は無、となってしまいました。ただただ日夜のこと & 原稿〆切に追われて(!)というわけではなく、それなりの進展はあります。
じつは現在の集合住宅に入居して、この春でちょうど20年。同居人の構成も変化したうえ、いろいろなモノが貯まり堆積して、自宅がまるで考古学遺跡のようになってしまいそう、と心配してくれた娘の提言で(準備のメールとZoom会議をへて)、4月から夏まで数次に分けて、部屋の使いかたを多少とも転換中です。
×まずは大きく重すぎて邪魔、処分さえ困難だった「大電動椅子」と古いソファ
×多数のプラ=ケースに収納されていた古着、過去の遺物
これらを整理/破棄処分しました。そして、これからの生活のために前を向いて、
・誰の物、家族のコモンズ・常用といったゾーンを明確化し、
・開かずのスペースになってしまっていた北側ベランダへの出入りができるように、
・各部屋の用途を再考し、老後の介護のためにも寝室と「納戸」とを交換しました。
こうしたことを実現するためには、じつは本人たちだけの手には余り、複数の屈強の男性が必要でした。娘がそうした「ゴミ屋さん」(!)という名の業者を捜しあて、日時を決めて動いてくれたので、なんとかなったのでした。久方ぶりに床のフローリングがしっかり見えるのは、感動的です!
(とはいえ、ぼくの書斎、図書・ファイルにかかわることについては、さすがの娘も関与を諦め/謝絶し、お父さんが自分で考えてやって、と引導を渡されました!)
5月の連休の後、3人で収納ラック一式を組み立てて、新しく 納戸スペース を構築して、すっきりしました。
なおさらに「大仕事」なのは、台所スペース です。(先週に訪問した千葉高校時代の友人の邸宅では、全体がすばらしいのですが、とりわけ外光もたっぷり入る広いキッチンには感激しました!)いまや言葉で納得してもなかなか動き出せない我々老夫婦にとって、子世代に背中を押してもらって、業者との相談会に向かい、ようやく実現に向かいます。
2020年5月19日火曜日
薔薇の名前?
みなさん、お変わりありませんか?
近ごろのぼくは基本的に、非常勤の大学院授業(週2コマ)をオンラインであれこれ試すこと以外は、書いちゃ読み、読み直しちゃ発見し、書き直しちゃ歩き‥‥といった繰り返しの毎日・毎夜です。E.H.カーのタイプの仕事かな。...Reading and writing go on simultaneously. The writing is added to, subtracted from, reshaped, cancelled, as I go on reading. The reading is guided and directed and made fruitful by writing: the more I write, the more I know what I am looking for....
いわゆるリモート・ワーク。インターネットの恩恵なしにはありえない「生活様式」です。今日午前には「ECCOから見えるディジタル史料の宇宙」という拙稿をようやく仕上げて送りました。小論ですが、註は28個付いています。
散歩は毎日、買い物も3日に一度くらいは出かけています。散歩はあまり人気のない近辺を選び(3密ではないので)マスクなし、買い物は閉鎖空間に入るのでマスクを着けて。
歩いている途中に気づいたのですが、いまバラが満開。この薔薇の名前を知らないのは悲しいけれど、美しいものを美しい、と感じ入るときを忘れているわけではないのは、救いかな。
近ごろのぼくは基本的に、非常勤の大学院授業(週2コマ)をオンラインであれこれ試すこと以外は、書いちゃ読み、読み直しちゃ発見し、書き直しちゃ歩き‥‥といった繰り返しの毎日・毎夜です。E.H.カーのタイプの仕事かな。...Reading and writing go on simultaneously. The writing is added to, subtracted from, reshaped, cancelled, as I go on reading. The reading is guided and directed and made fruitful by writing: the more I write, the more I know what I am looking for....
いわゆるリモート・ワーク。インターネットの恩恵なしにはありえない「生活様式」です。今日午前には「ECCOから見えるディジタル史料の宇宙」という拙稿をようやく仕上げて送りました。小論ですが、註は28個付いています。
散歩は毎日、買い物も3日に一度くらいは出かけています。散歩はあまり人気のない近辺を選び(3密ではないので)マスクなし、買い物は閉鎖空間に入るのでマスクを着けて。
歩いている途中に気づいたのですが、いまバラが満開。この薔薇の名前を知らないのは悲しいけれど、美しいものを美しい、と感じ入るときを忘れているわけではないのは、救いかな。
2020年3月10日火曜日
確定申告の期限
毎年、この時期は(春の休業期の原稿執筆に加えて)年度末の諸事と確定申告とが重なり、(去年はブダペシュト行きの直前でもあり)ドタバタすると同時に、なにごとも早めに取りかかればこうならない‥‥、といった反省しきりなのです。今年もあいかわらず、可能なかぎり先延ばしにしていた確定申告。
15日期限、といっても日曜日。どうなるんだ? もはや猶予なし、とすがる思いで、ウェブのお知恵拝借と検索していたら、なんと国税庁(NTA)から、こんなお知らせがあったのですね!
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/shinkoku/kansensho/kigenencho.htm
「今般、政府の方針を踏まえ、新型コロナウイルス感染症の拡大防止の観点から、申告所得税(及び復興特別所得税)、贈与税及び個人事業者の消費税(及び地方消費税)の申告期限・納付期限について、令和2年4月16日(木)まで延長することといたしました。」
なんたる朗報!
民間のサイトには、「確定申告会場で相談される方に高齢者が多いために配慮がされたと思います」とか、したためられています!
https://manetatsu.com/2020/03/241946/ (マネーの達人)
https://www.sumoviva.jp/feature/feature_458.html (スモールビズ)
業界で「働く高齢者」とか「ライターさん」とかいう範疇に、ぼくは入っているのでしょうか。でも、単純に期限延長でぬか喜びしてはいけない。来年度の etc, etc.にも影響するのだから、ここは早め早めに、とどのサイトも助言してくださっています。ありがとうございます。
2019年5月15日水曜日
わが家にも詐欺師の魔手が
本日、朝日生命大手町ビルの「一般社団法人全国銀行協会」から封書が家人あてに届きました。
[重要]という赤字の印、「宛名をご確認の上開封してください」という注意書き、そして正確な住所・宛名。「元号の改元による銀行法改正のお知らせ」に始まる丁寧な文章‥‥。これは真正の通知文なのかとおもわせる雰囲気。
ただし、持って回った文体で、一読しても何を言ってるのかよく分からない。「全国銀行協会加盟銀行にて口座開設をされているお客様」あてなのに、家人あてに来て、ぼくあてには来ないのはなぜ?。
そもそも「改元に伴い、セキュリティ強化の観点から新システムへの変更を行っております」というあたりから、マユツバ。「当銀行協会にて口座開設時の登録情報のご確認、キャッシュカードの暗証番号変更手続きをおこなって頂く様[ママ]お願い申し上げます。」というので、これは詐欺だと分かった。漢字変換も乱れて、本当の「全国銀行協会」にしては品格がない。
「尚2019年5月17日までに登録情報のご確認、暗証番号の変更手続きがお済みでないお客様に関しましては‥‥お口座のご利用を停止させて頂く場合がございます。」
今日は何日だと思ってるの? こうやって急がせて、子や信頼できる人に相談する暇を与えない、というテクニックなのでしょう。
ご丁寧にも
「当銀行協会加盟銀行におきましては、お客様にお電話口で暗証番号等をお聞きすることや、キャッシュカードを郵送にてお送りいただくような[ママ]ことは決して御座いません。」とそれらしく朱書してあります。ということは、三菱やみずほや三井ではそんなことはしないが、フェイクの「全国銀行協会」ではIDを聞き出したり、郵送を依頼したり、受け子を遣わすことがございますよ、という意味ですね!
とにかく慌てた消費者が 03-572*-920* という番号に電話してくれば、トンデ火に入る夏の虫、あとはノラリクラリと個人情報を引き出すのでしょう。
念のため検索してみると、この電話番号についての問い合わせが今日15日から突然に急増しています。
すでに真正の一般社団法人全国銀行協会(↓)には、注意喚起の記事が出ています。
https://www.zenginkyo.or.jp/topic/detail/nid/3564/
また本当の全国銀行協会の相談室の電話番号は、上のものとは全然違います。
みなさま、そしてみなさまの親御さんには、どうぞご留意のほどを。
詐欺師も生活がかかっているので(!)あの手この手でアプローチしてきますね。
そもそもわが家の住人・住所が正確に掌握されているということからして、許しがたい。
[重要]という赤字の印、「宛名をご確認の上開封してください」という注意書き、そして正確な住所・宛名。「元号の改元による銀行法改正のお知らせ」に始まる丁寧な文章‥‥。これは真正の通知文なのかとおもわせる雰囲気。
ただし、持って回った文体で、一読しても何を言ってるのかよく分からない。「全国銀行協会加盟銀行にて口座開設をされているお客様」あてなのに、家人あてに来て、ぼくあてには来ないのはなぜ?。
そもそも「改元に伴い、セキュリティ強化の観点から新システムへの変更を行っております」というあたりから、マユツバ。「当銀行協会にて口座開設時の登録情報のご確認、キャッシュカードの暗証番号変更手続きをおこなって頂く様[ママ]お願い申し上げます。」というので、これは詐欺だと分かった。漢字変換も乱れて、本当の「全国銀行協会」にしては品格がない。
「尚2019年5月17日までに登録情報のご確認、暗証番号の変更手続きがお済みでないお客様に関しましては‥‥お口座のご利用を停止させて頂く場合がございます。」
今日は何日だと思ってるの? こうやって急がせて、子や信頼できる人に相談する暇を与えない、というテクニックなのでしょう。
ご丁寧にも
「当銀行協会加盟銀行におきましては、お客様にお電話口で暗証番号等をお聞きすることや、キャッシュカードを郵送にてお送りいただくような[ママ]ことは決して御座いません。」とそれらしく朱書してあります。ということは、三菱やみずほや三井ではそんなことはしないが、フェイクの「全国銀行協会」ではIDを聞き出したり、郵送を依頼したり、受け子を遣わすことがございますよ、という意味ですね!
とにかく慌てた消費者が 03-572*-920* という番号に電話してくれば、トンデ火に入る夏の虫、あとはノラリクラリと個人情報を引き出すのでしょう。
念のため検索してみると、この電話番号についての問い合わせが今日15日から突然に急増しています。
すでに真正の一般社団法人全国銀行協会(↓)には、注意喚起の記事が出ています。
https://www.zenginkyo.or.jp/topic/detail/nid/3564/
また本当の全国銀行協会の相談室の電話番号は、上のものとは全然違います。
みなさま、そしてみなさまの親御さんには、どうぞご留意のほどを。
詐欺師も生活がかかっているので(!)あの手この手でアプローチしてきますね。
そもそもわが家の住人・住所が正確に掌握されているということからして、許しがたい。
2018年5月13日日曜日
承前:古稀の認識
昨日、中学の同期会で心に刻み込まれた第2の点は、70歳の元生徒たちの生活に根づく認識です。
親の介護といった件はあまりに多くの人の共通経験で、とくにどうということもないほど。
それが配偶者のこととなったとたんに、とくに男子ですが、生活と世界観の大きな転変に至ることもある。‥‥ それでも前を向いてポジティヴに生きるヤツが何人もいたのだと遅まきながら知って、これは想定外のたいへんな収穫でした。
ひとは一人で生きているわけではない/一人だけで生きようとしてはならない、だれの支援でもありがたい(すなおに受けとめよう)、といった真理に心いたるのも、老境に入ってこそです。
千葉駅で別れ際にいただいた、ちょっとした一言で目頭が熱くなったりしました。
2016年3月28日月曜日
大学の先生
老いたる母の質問によれば、「大学の授業も入試も終わって、春休みなら十分に時間があるじゃろうに」。いえ、じつは大学の先生は今ごろ一番忙しくしているのです。
年度末の会議や決算や送別会は当然としても、じつは大学の中だけで仕事しているわけではないので、学外の仕事にかかわる会議や決算や催しもあります。さらに何ヶ月も前から他大学の先生方との研究会や(海外から招いた)特別な研究者を囲むセミナーが設定されていて、しかもその間を縫って、期限オーバーの原稿を執筆したり、校正刷りを真っ赤にしたり、ひとの原稿を読んで意見を言ったりします。直近の仕事ばかりでなく中長期の計画や着想を練るといったことに頭脳が向かっていると、‥‥お墓参りも親孝行も滞りがちです。
済みません、母上!
かく言うぼくたちも、学生のころ、自分の先生が(授業以外の場面で)どんな毎日・毎週を営んでいたのか、さっぱり知らなかった。別世界でした。
もしや今日の議員たち、役人たちにとっても、大学の先生の知的生活は、未知との遭遇なのかな。 議員も役人も、大卒とはいえ、在学中はせいぜいゼミやコンパで先生と言葉を交わしただけだったりして。
大学の先生って、高校の先生より休みが多くて、わがまま;要するに贅沢な怠け者;だから Faculty Development などで絞りあげる必要がある、とでも議員も役人も思いこんでいるんでしょうか。絞れば、たしかに、優秀な先生方はすみやかに授業も論文も報告書もこなしますが、しかし長期的には疲弊して、役人(あるいは独立行政法人)むけの報告書しか書けなくなりますよ。「すみやかに報告する」だけでなく、「調べて、考えて、書く」ことこそ学問の大前提です。
日本の学問を枯渇させるには、大学の先生を忙しくさせる(考える時間を無くさせる)のが一番! 文系も理系もおなじです。
年度末の会議や決算や送別会は当然としても、じつは大学の中だけで仕事しているわけではないので、学外の仕事にかかわる会議や決算や催しもあります。さらに何ヶ月も前から他大学の先生方との研究会や(海外から招いた)特別な研究者を囲むセミナーが設定されていて、しかもその間を縫って、期限オーバーの原稿を執筆したり、校正刷りを真っ赤にしたり、ひとの原稿を読んで意見を言ったりします。直近の仕事ばかりでなく中長期の計画や着想を練るといったことに頭脳が向かっていると、‥‥お墓参りも親孝行も滞りがちです。
済みません、母上!
かく言うぼくたちも、学生のころ、自分の先生が(授業以外の場面で)どんな毎日・毎週を営んでいたのか、さっぱり知らなかった。別世界でした。
もしや今日の議員たち、役人たちにとっても、大学の先生の知的生活は、未知との遭遇なのかな。 議員も役人も、大卒とはいえ、在学中はせいぜいゼミやコンパで先生と言葉を交わしただけだったりして。
大学の先生って、高校の先生より休みが多くて、わがまま;要するに贅沢な怠け者;だから Faculty Development などで絞りあげる必要がある、とでも議員も役人も思いこんでいるんでしょうか。絞れば、たしかに、優秀な先生方はすみやかに授業も論文も報告書もこなしますが、しかし長期的には疲弊して、役人(あるいは独立行政法人)むけの報告書しか書けなくなりますよ。「すみやかに報告する」だけでなく、「調べて、考えて、書く」ことこそ学問の大前提です。
日本の学問を枯渇させるには、大学の先生を忙しくさせる(考える時間を無くさせる)のが一番! 文系も理系もおなじです。
2015年2月13日金曜日
ワインな英国人
12日に読売新聞オンラインの記者さんから下記のような連絡が参りました。
題名「酒都を歩く(ぶりてん数寄)」「ワインな英国人」からもご想像のつくとおり、帰宅途上にスマートフォンで読むようなライトな記事(3ページもの)です。
≪先ほど、インタビュー記事をアップいたしました。
URLは以下の通りです。
http://www.yomiuri.co.jp/otona/special/sakababanashi/20150130-OYT8T50208.html
また、連載記事の紹介を在日英国大使館が運営している Taste of Britain でも
紹介させていただいています。
https://www.facebook.com/oishii.igirisu
ヨミウリオンラインにアップ後、使用している写真の一部を使い、こちらのフェイスブックでも紹介をする予定です。≫
2012年9月17日月曜日
オクスブリッジの学寮
日本に戻りました。
11時間の飛行のあと、今回は羽田着陸で、夜明け前の 4:40。手続き、荷物を受け取り、日の出たばかりの湾岸をモノレールから眺めながら帰宅しましたが、6:35着。公共交通機関で2時間かからず。これは快適ですね。おまけにすべてが空いている。
ただし、雨の後の早朝なのに暑くて、閉口。晴れても風の寒いイギリスのまま、ジャケットを着ているぼくが愚鈍にみえた。
とにかく、困難はなかったわけではないけれど、第7回日英歴史家会議(AJC)は、とりわけ将来のことを考えると、明るい希望のもてる国際研究集会となりました(写真の左下、矢印のあたりを拡大してみてね)。
それから副産物ですが、ケインブリッジの学寮(の学生の部屋)に合宿して Porter's Lodge や Master's Lodge、そして「ホール」でのディナーを皆さんで経験してもらったのは、なによりのことでした。Master Daunton の計らいあればこそ、でした。とにかく 『イギリス史研究入門』 pp.10, 12 などには控えめに記しましたが、オクスブリッジは他とははっきり違うのです。
「‥‥ともに素晴らしい人員と環境、‥‥」p.12 と書いた原稿を、共著者にはあらかじめ読んでもらいました。その一人が「どういうことですか?」と、あきらかに不審・不満を表されたのですが【私の留学した大学だって素晴らしい人員と環境がある‥‥】、これを口や文章で説明するには1年かかると考えて、やめました。観光旅行で行ってみてもよく分からないが、生活してみれば、ただちに分かる。
今回のディナーの「末席をけがした」院生が、いみじくも言いましたが(protocol を知っている人たちの所作を参加観察する)「鳥肌の立つような経験」。
じつに 『イギリスはおいしい』とは、『オクスブリッジはおいしい』という謂いでした。
11時間の飛行のあと、今回は羽田着陸で、夜明け前の 4:40。手続き、荷物を受け取り、日の出たばかりの湾岸をモノレールから眺めながら帰宅しましたが、6:35着。公共交通機関で2時間かからず。これは快適ですね。おまけにすべてが空いている。
ただし、雨の後の早朝なのに暑くて、閉口。晴れても風の寒いイギリスのまま、ジャケットを着ているぼくが愚鈍にみえた。
とにかく、困難はなかったわけではないけれど、第7回日英歴史家会議(AJC)は、とりわけ将来のことを考えると、明るい希望のもてる国際研究集会となりました(写真の左下、矢印のあたりを拡大してみてね)。
それから副産物ですが、ケインブリッジの学寮(の学生の部屋)に合宿して Porter's Lodge や Master's Lodge、そして「ホール」でのディナーを皆さんで経験してもらったのは、なによりのことでした。Master Daunton の計らいあればこそ、でした。とにかく 『イギリス史研究入門』 pp.10, 12 などには控えめに記しましたが、オクスブリッジは他とははっきり違うのです。
「‥‥ともに素晴らしい人員と環境、‥‥」p.12 と書いた原稿を、共著者にはあらかじめ読んでもらいました。その一人が「どういうことですか?」と、あきらかに不審・不満を表されたのですが【私の留学した大学だって素晴らしい人員と環境がある‥‥】、これを口や文章で説明するには1年かかると考えて、やめました。観光旅行で行ってみてもよく分からないが、生活してみれば、ただちに分かる。
今回のディナーの「末席をけがした」院生が、いみじくも言いましたが(protocol を知っている人たちの所作を参加観察する)「鳥肌の立つような経験」。
じつに 『イギリスはおいしい』とは、『オクスブリッジはおいしい』という謂いでした。
2011年10月22日土曜日
2011年3月16日水曜日
2010年8月23日月曜日
Friends
2010年8月10日火曜日
その1:Essex 探訪
寒い8月に絶望しそうになっていたら、日曜はようやく日が差して、世界が明るくなりました。今日(月)は快晴。みんなが楽しげ。
その日曜は、エセクス州探訪の日。4つあるJames のお宅のうち、ご自慢の Fingringhoe邸に訪ねるのは何度目かですが、妻を連れて行くのは初めてなので、前から楽しみにしていました。ガタゴト列車を Ely と Ipswich で計2度乗り換えて、コルチェスタ駅に12.01に到着。すぐにご長男、乗馬の雄姿を見に riding school に直行しました。
Fingringhoe 村の邸宅は十二分に広く、いかにも4歳と3歳の男の子が育つにふさわしい家。なにしろ向こうの川原敷きまで届こうかという敷地に Mummyの納屋、Wの畑、Rの小屋、と作って【Daddy のは無し - 書斎とキチンがあって、そもそも全体を仕切る責任は彼にあるわけだから】、生意気ざかりの4歳児に言わせれば、'natural' をキーワードに子育て中。
ついでに1月15日の本郷の研究会にいらした皆さんにはご覧に入れた、今は昔の写真も並べて、経年変化を見てもらいましょうか。
その日曜は、エセクス州探訪の日。4つあるJames のお宅のうち、ご自慢の Fingringhoe邸に訪ねるのは何度目かですが、妻を連れて行くのは初めてなので、前から楽しみにしていました。ガタゴト列車を Ely と Ipswich で計2度乗り換えて、コルチェスタ駅に12.01に到着。すぐにご長男、乗馬の雄姿を見に riding school に直行しました。
Fingringhoe 村の邸宅は十二分に広く、いかにも4歳と3歳の男の子が育つにふさわしい家。なにしろ向こうの川原敷きまで届こうかという敷地に Mummyの納屋、Wの畑、Rの小屋、と作って【Daddy のは無し - 書斎とキチンがあって、そもそも全体を仕切る責任は彼にあるわけだから】、生意気ざかりの4歳児に言わせれば、'natural' をキーワードに子育て中。
ついでに1月15日の本郷の研究会にいらした皆さんにはご覧に入れた、今は昔の写真も並べて、経年変化を見てもらいましょうか。

2010年8月6日金曜日
いまはもう秋‥‥
1日の記事で「‥‥ケインブリッジは21度といった感じ(かわいそうに、Scotland では19度?)」などと書いた呪いか、今日はケインブリッジもたったの18度。これでは、着るものがない‥‥。
学寮のランチ時の雑談では、部屋ではオーバーを着てるとか、暖房を入れてるとか、いう人(東アジア人および老人)もいるかと思うと、断然半袖の人も少なくない(西洋人限定)。なんなんだ?
暑さは7月の1・2週間ばかりで、もうケインブリッジの夏は終わりなのか? 今週は毎日 scattered rain & a bit of sunshine、確実に秋の気配。 そういえば日本では「立秋」ですね。

写真は、勉強家および WiFi 利用者のよく知る、ロンドンのある昼食所。
学寮のランチ時の雑談では、部屋ではオーバーを着てるとか、暖房を入れてるとか、いう人(東アジア人および老人)もいるかと思うと、断然半袖の人も少なくない(西洋人限定)。なんなんだ?
暑さは7月の1・2週間ばかりで、もうケインブリッジの夏は終わりなのか? 今週は毎日 scattered rain & a bit of sunshine、確実に秋の気配。 そういえば日本では「立秋」ですね。
写真は、勉強家および WiFi 利用者のよく知る、ロンドンのある昼食所。
2010年8月2日月曜日
country house
盛夏の日本の皆さまには申し訳ありませんが、このところ England は最高気温せいぜい23度。ロンドンが23度だと、ケインブリッジは21度といった感じ(かわいそうに、Scotland では19度未満?)。
今日は曇天ながら Julian の Sunday lunch に招かれて、ケインブリッジの南西、Cockayne 村の17世紀の農家へ。
同時に むかしUCLでお会いして以来の Kathleen Burk 夫妻が招かれていて、15年ぶりにお話ししました。美味しい料理の後に庭でコーヒー。

夕刻には雨がぱらつく天気でしたが、カンスタブルに負けない絵になったかな。
「300年以上前の壁も柱も傾いている家の修繕に、どれだけ手間がかかるか」、「この広い庭の手入れがたいへんでね‥‥」とかいった会話は、たいていの日本の大学教授には縁がない。手間をかけるのが楽しいんだ‥‥。イースタ休みも、夏休みも家・庭いじり(+勉強)のためにある、とは恐れ入ります。
カリフォーニアをよく知るキャスリンによれば、
Sunday lunch is an English institution which Americans don't have. And I like it.
もう一つ、日本では許されない、ワインをそれなりに飲んだ後の運転。これがないと Sunday lunch ばかりか、こうした country house を購入して(擬似ジェントルマンのように)ときおり行き来する優雅な生活自体が、成り立ちません。‥‥そのための濃いコーヒー。
今日は曇天ながら Julian の Sunday lunch に招かれて、ケインブリッジの南西、Cockayne 村の17世紀の農家へ。
同時に むかしUCLでお会いして以来の Kathleen Burk 夫妻が招かれていて、15年ぶりにお話ししました。美味しい料理の後に庭でコーヒー。
夕刻には雨がぱらつく天気でしたが、カンスタブルに負けない絵になったかな。
「300年以上前の壁も柱も傾いている家の修繕に、どれだけ手間がかかるか」、「この広い庭の手入れがたいへんでね‥‥」とかいった会話は、たいていの日本の大学教授には縁がない。手間をかけるのが楽しいんだ‥‥。イースタ休みも、夏休みも家・庭いじり(+勉強)のためにある、とは恐れ入ります。
カリフォーニアをよく知るキャスリンによれば、
Sunday lunch is an English institution which Americans don't have. And I like it.
もう一つ、日本では許されない、ワインをそれなりに飲んだ後の運転。これがないと Sunday lunch ばかりか、こうした country house を購入して(擬似ジェントルマンのように)ときおり行き来する優雅な生活自体が、成り立ちません。‥‥そのための濃いコーヒー。
2010年7月24日土曜日
King's College, Cambridge
ご質問もありましたので、ご存じの方には余分かもしれませんが、説明いたします。

1. キングズ学寮とケム川と Backsの牧草地との位置関係は、この写真のとおりです。時間帯は違いますが、川にぐっと接近して撮ってみました。
21日の記事およびトップの写真では、望遠の効果で、遠近が圧縮されて縦の距離感が失われ、
また川は当然ながら低い位置にあるので、存在しないかのようにも見えます。
地図で確かめると、King's Chapelの西面から撮影地点までちょうど300m ありました。
(この写真の右手の建物は King's ではなく Clare (17世紀の古典様式)です。よく間違われます。King's の芝生が、めずらしく暑さで枯れています。)
2. キングズ学寮の東側、表通り King's Parade はというと、7・8月の昼間はこんな具合。
別の世界がキングズをはさんで併存しているようです。
1. キングズ学寮とケム川と Backsの牧草地との位置関係は、この写真のとおりです。時間帯は違いますが、川にぐっと接近して撮ってみました。
21日の記事およびトップの写真では、望遠の効果で、遠近が圧縮されて縦の距離感が失われ、
また川は当然ながら低い位置にあるので、存在しないかのようにも見えます。
地図で確かめると、King's Chapelの西面から撮影地点までちょうど300m ありました。
(この写真の右手の建物は King's ではなく Clare (17世紀の古典様式)です。よく間違われます。King's の芝生が、めずらしく暑さで枯れています。)
2. キングズ学寮の東側、表通り King's Parade はというと、7・8月の昼間はこんな具合。
別の世界がキングズをはさんで併存しているようです。
2010年6月16日水曜日
Blackbird singing in the dead of night . . . .
悠長にマンチェスタのことを書き続けようとしていたら、東京のさる事務方からお叱りのメール。15日午後(JST)までに提出すべき書式があったろう‥‥と。
そのとおり、でもファイルがHDに入ってるから大丈夫、とタカをくくっていたのが間違いのもと。

想定していたぴったりのdocファイルはHD内になく、関連PDFのほうはいざ開けようとしたらしっかりパスワードがかかっているではないか。しかもそのパスワードはぼくが設定したものではないので、想像力ではこじ開けられない! もう東京は宵の口で当局に尋ねることはできない‥‥。
火事場の念力で二つの対応策を考えつき(じつは直ちに思いついたのではないので、時差がある)、それぞれ頼りがいのある筋に緊急メールで依頼。答えが返ってくるまでには時間が必要なので、可能な部分について学寮の頼りがいのないプリンタで印刷。これがしかし、テキストも一太郎も印刷してくれないもので、まずはワードかPDFに変えてからUSBメディアをもってPC室に行く。3台のプリンタ(hp)もそれぞれ個性があって、美麗にはゆかない。読んで添削できればよし、と割り切って使うしかなし。
途中を省略して、どこかの学寮の May Ball の喧噪と花火をやり過ごし、ひたすら作業を進行しているうちに聞こえてきたのが クロウタドリの美声。
http://www.youtube.com/watch?v=CM--r-BTmEo ← こちらは未明の2羽の歌の応酬
http://www.youtube.com/watch?v=997RTKzc39c&feature=fvw ← こちらは昼間の歌う姿
(雀みたいなチュンチュンも聞こえますが、遠近で競って歌うやりとりを聞いてください。どちらもぼくのではなく public domain の作品です。)
時計をみると3.38.(日本時間11:38、まだ午前中だ!) 英国はまだ夜明けどころか‥‥とはいえ、窓外の空をみると白み始めているのでした。
Cambridge Pocket Diary 2009-2010 には毎週(日)の日の出・日没時刻が記してありますが、6月13日は Sun rises 4.38, sets 9.21 とある。つまり日の出ちょうど60分前に鳴き始めたわけです。しかも昼間の歌声よりずっと精力的で、テンポが速く、テクニックのかぎりを尽くしてるかのよう。起き抜けにテリトリをしっかり確定しておかねばならないのでしょう。
ビートルズの Blackbird singing in the dead of night . . . . は「詩的許容」というか、ありえないことを歌っておもしろがってる歌、などと勝手に思っていましたが、ほんとに眠れない夜の未明に啼き始めて、あぁもう夜明けも近い、と思わせるのですね。
というわけで、日本時間の正午前に、濃密な内容の4ページのPDFを作成して送付することができました。関係者の方々、そして Clare Hall のクロウタドリくん、ありがとうございます。
【ところで、日本では時刻を12:00と表記し、イギリスでは12.00と表記する慣行です。どこから違ってきたんでしょう?】

未明・早朝から美麗になき、夕方は名ごり惜しげに andante cantabile で啼きくらす毎日。昼間はどうしてるのかというと、写真のように木もれ日の芝のなかで餌をあさり、あるいは葉桜のなかでサクランボを食ったり、ひたすら栄養補給しているのでした。あの小さな身体で、すばらしいテノールの声量で歌いつづけるには、当然、たいへんなカロリーが必要なのでしょう。
Blackbird はヨーロッパ全域からインド・オーストラリアに生息し、極東にはいないとのこと。残念です。この小鳥がいると、人は穏やかになります。
そのとおり、でもファイルがHDに入ってるから大丈夫、とタカをくくっていたのが間違いのもと。
想定していたぴったりのdocファイルはHD内になく、関連PDFのほうはいざ開けようとしたらしっかりパスワードがかかっているではないか。しかもそのパスワードはぼくが設定したものではないので、想像力ではこじ開けられない! もう東京は宵の口で当局に尋ねることはできない‥‥。
火事場の念力で二つの対応策を考えつき(じつは直ちに思いついたのではないので、時差がある)、それぞれ頼りがいのある筋に緊急メールで依頼。答えが返ってくるまでには時間が必要なので、可能な部分について学寮の頼りがいのないプリンタで印刷。これがしかし、テキストも一太郎も印刷してくれないもので、まずはワードかPDFに変えてからUSBメディアをもってPC室に行く。3台のプリンタ(hp)もそれぞれ個性があって、美麗にはゆかない。読んで添削できればよし、と割り切って使うしかなし。
途中を省略して、どこかの学寮の May Ball の喧噪と花火をやり過ごし、ひたすら作業を進行しているうちに聞こえてきたのが クロウタドリの美声。
http://www.youtube.com/watch?v=CM--r-BTmEo ← こちらは未明の2羽の歌の応酬
http://www.youtube.com/watch?v=997RTKzc39c&feature=fvw ← こちらは昼間の歌う姿
(雀みたいなチュンチュンも聞こえますが、遠近で競って歌うやりとりを聞いてください。どちらもぼくのではなく public domain の作品です。)
時計をみると3.38.(日本時間11:38、まだ午前中だ!) 英国はまだ夜明けどころか‥‥とはいえ、窓外の空をみると白み始めているのでした。
Cambridge Pocket Diary 2009-2010 には毎週(日)の日の出・日没時刻が記してありますが、6月13日は Sun rises 4.38, sets 9.21 とある。つまり日の出ちょうど60分前に鳴き始めたわけです。しかも昼間の歌声よりずっと精力的で、テンポが速く、テクニックのかぎりを尽くしてるかのよう。起き抜けにテリトリをしっかり確定しておかねばならないのでしょう。
ビートルズの Blackbird singing in the dead of night . . . . は「詩的許容」というか、ありえないことを歌っておもしろがってる歌、などと勝手に思っていましたが、ほんとに眠れない夜の未明に啼き始めて、あぁもう夜明けも近い、と思わせるのですね。
というわけで、日本時間の正午前に、濃密な内容の4ページのPDFを作成して送付することができました。関係者の方々、そして Clare Hall のクロウタドリくん、ありがとうございます。
【ところで、日本では時刻を12:00と表記し、イギリスでは12.00と表記する慣行です。どこから違ってきたんでしょう?】
未明・早朝から美麗になき、夕方は名ごり惜しげに andante cantabile で啼きくらす毎日。昼間はどうしてるのかというと、写真のように木もれ日の芝のなかで餌をあさり、あるいは葉桜のなかでサクランボを食ったり、ひたすら栄養補給しているのでした。あの小さな身体で、すばらしいテノールの声量で歌いつづけるには、当然、たいへんなカロリーが必要なのでしょう。
Blackbird はヨーロッパ全域からインド・オーストラリアに生息し、極東にはいないとのこと。残念です。この小鳥がいると、人は穏やかになります。
2010年5月24日月曜日
Grantchester
今日(日)は Whitsunday. 28度という予報のとおり、五月晴れ、日本の5月下旬に負けない暑い日となりました。

自転車で Newnham Croft から川沿いの牧草地に入り、南へ。つまりケム川の川上です。30年前には一家4人で同じコースを自転車で行きましたが、川沿いのたよりない小径は、枯れ草や枯れ枝やトゲのたぐいで一杯で、ついにぼくの自転車のタイヤがパンクし、惨めな気持でとぼとぼ押して帰りました。 今回は西側にきれいに自転車道が舗装されて快適な行程。というより、かなりの人出。そしてみなさん、かなり大胆な露出的装束。今から2カ月ほどが、midsummer なのですから。
↑ 写真は、牛と人々のあそぶ牧草地よりケム川を望みます。カヌーがかろうじて見えるでしょうか。【クリックすると拡大します。】

グランチェスタ村の The Orchard は、20世紀の初め、Bloomsbury group ならぬ(ほとんど人的に重なりますが)Grantchester group の文人の憩う場でした。草光さんの「マイナーポエッツ」(短調の詩人たち)から、J.M. ケインズ、ヴァージニア・ウルフ、E.M. フォースタ‥‥。
あの気むずかしげなヴィトゲンシュタイン先生とラッセル先生が一緒に裸で川遊びをしたとか‥‥。映画「モーリス」の世界。
短い夏を楽しむイギリス人は平気で陽光のもと昼食を摂りますが、ぼくたちは暑さも紫外線もかなわないので、室内で食べました。こんなぐあい。↓
自転車で Newnham Croft から川沿いの牧草地に入り、南へ。つまりケム川の川上です。30年前には一家4人で同じコースを自転車で行きましたが、川沿いのたよりない小径は、枯れ草や枯れ枝やトゲのたぐいで一杯で、ついにぼくの自転車のタイヤがパンクし、惨めな気持でとぼとぼ押して帰りました。 今回は西側にきれいに自転車道が舗装されて快適な行程。というより、かなりの人出。そしてみなさん、かなり大胆な露出的装束。今から2カ月ほどが、midsummer なのですから。
↑ 写真は、牛と人々のあそぶ牧草地よりケム川を望みます。カヌーがかろうじて見えるでしょうか。【クリックすると拡大します。】
グランチェスタ村の The Orchard は、20世紀の初め、Bloomsbury group ならぬ(ほとんど人的に重なりますが)Grantchester group の文人の憩う場でした。草光さんの「マイナーポエッツ」(短調の詩人たち)から、J.M. ケインズ、ヴァージニア・ウルフ、E.M. フォースタ‥‥。
あの気むずかしげなヴィトゲンシュタイン先生とラッセル先生が一緒に裸で川遊びをしたとか‥‥。映画「モーリス」の世界。
短い夏を楽しむイギリス人は平気で陽光のもと昼食を摂りますが、ぼくたちは暑さも紫外線もかなわないので、室内で食べました。こんなぐあい。↓
2010年5月2日日曜日
May Day in Cambridge
VS901 の翼の先端からかすかに観察できるのは、微量ながら volcanic ash cloud の一部か?
八重桜は University Library の脇道沿いで満開です。
ようやくケインブリッジはクレアホール学寮に到着しました。
英国時間で5月1日(土)午後。
悪戦苦闘のうえ、ようやくインターネット接続に成功。最初の書き込みです。
昨30日(金)は飛行機で12時間、ヒースロウ空港の入国審査ではあいかわらず小1時間かかり、ヒースロウから曇天で寒い郊外を眺めつつケインブリッジまでコーチ787で3時間(こちらは想定外に長かった)。夜9時にケインブリッジ市に着いて、2人ともへとへと。学寮内のApartment 19 に案内されて、ゆっくり荷を解くまでもなく、風呂に入ってバタンキューで寝ました。
今朝は6時に起床。きわめて簡単な朝食。学寮受付は Porter's lodge といいますが、そのおじさんに最低限の案内をしてもらいましたが、土曜なので IT officer はいない。
(しかも、わが pigeonhole には学寮長 President から夫婦あてに、21日7:15pm、新フェロー歓迎リセプションとその後のディナーの招待状が入っていた!! なんとも、週が開けてからご挨拶に参らねば。)
したがって、まずは市内に買い物に出て食糧やバス情報など仕入れることを優先。Market Hill, Marks & Spencer, Sainsbury と Tourist Information などで生活情報を。昼食は11時半に市内で。
ケインブリッジは基本的に変わらない印象だけれど、八重桜の並木が増えたとか、ど真ん中の Lion Yard に接続して大アーケード街が出現したとか、確実に変わっている側面もあります。
帰宅してお茶を飲んでから、一人で頼りないメモをもとに(IPアドレスから始まって何度もやりなおし、ほとんど絶望的になりながらも)LAN接続に奮闘したというわけです。
爽快なケインブリッジの5月。満開の花々と鳥のさえずりが気持いい。大移動はたいへんでしたが、今はもう元気です。皆さまもお元気で。
そうそう、Market Hill (すなわち市庁舎前) では総選挙に向けて UK Independent Party, Cambridge Socialists などが運動していました。
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