この4月に刊行予定で進んでいる
歴史学研究会編(中澤達哉責任編集)『「主権国家」再考』(岩波書店、2025)
ですが、ぼくは 序章「主権という概念の歴史性」を担当しています。
昨夏の終わりが原稿〆切、暮れから正月に初校、2月に再校の期間がありました。歴史学研究会大会の合同部会で4年間にわたり共通テーマとして議論されたことが前提で、各章ともすでに部分的には『歴史学研究』大会特集号に連載されている論考を「再考」し、整えたものです。ぼくの場合は「序章」なので、第989号に載ったコメントから大幅に加筆して、「歴史的で今日的な問題」としての主権を、19世紀の東アジア、近世のヨーロッパについて論点整理してみたつもりです。そのさいに
・H. Wheaton, Elements of International Law (1836/1857)とその漢訳『萬國公法』(1864)および和訳・海賊版(1865-)
・J.H.エリオット「複合君主政のヨーロッパ」内村俊太訳、古谷・近藤編『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)所収
が議論を展開するうえで、たいへん役に立ちました。
とはいえ、11月~2月のあいだに国際政治上の緊迫と変化は著しく、悠長なことばかりで済ませることはできない、と再考しました。 → つづく
2025年3月5日水曜日
2020年6月13日土曜日
Zoom の不都合な事実
これは「セキュリティ上の不具合」より深刻かもしれない問題です。
この2・3ヶ月で急速に普及した Zoom会議。ぼくも初体験は学会の委員会で、5月から立正大学院の演習で利用しはじめ、先日はN先生の最終講義の会に「出席」しました。
じっさいやってみると、これは非常事態をしのぐ手段というより、とても便利で、発言者の顔が間近なので、独自の効用があり、今後もさらに普及しそう。音声と図像の微妙なズレといった問題もないではないが、周辺機器を(100%無線でつなぐのでなく)できるだけ有線でつなぎ、発言しないときは音声をミュートにする、とかいった工夫でなんとかしのげそう。
セキュリティ上の技術的不具合は解決しつつあるようです。
というわけで明るい展望のもとに周辺機器と Wifi環境をととのえていたら、日本では今朝からアメリカの報道を引用する形で記事になっていますが、重大事件です。
6月4日の天安門虐殺事件(Tiananmen Square massacre)をめぐって Zoom を利用した集会・催しがアメリカ、香港で行われたのに対して、中国政府が Zoom社に圧力をかけ、これに Zoom社が屈して、進行中の4つの集会のうち3つを中断し、主催者のアカウントを停止/廃止した(we suspended or terminated the host accounts)のです。とんでもない事件です。今ではアカウントは回復された(reinstated)からというので、New York Times, Wall Street Journal などの報道は歯切れが悪い。 → https://www.nytimes.com/2020/06/11/technology/zoom-china-tiananmen-square.html
→ https://www.wsj.com/articles/zoom-catches-heat-for-shutting-down-china-focused-rights-groups-account-11591863002
当の Zoom社のブログ(米、6月11日)を見ると、こうです。 → https://blog.zoom.us/wordpress/2020/06/11/improving-our-policies-as-we-continue-to-enable-global-collaboration/
Recent articles in the media about adverse actions we took toward Lee Cheuk-yan, Wang Dan, and Zhou Fengsuo have some calling into question our commitment to being a platform for an open exchange of ideas and conversations.
20世紀史の身近な(卑近な?)事件で喩えてみると、4つの大学の学園祭で、ナチスか、スターリンか、「反米委員会」かをテーマにして討論集会/デモンストレーションを企画し実行していたら、当該政府・大使館から抗議がきた。 → あわてた3つの大学当局が催しを強制中止した。 → 企画・主催者そして参加していた学生たちは怒っているが、マスコミは静観中ということでしょうか。喩えの規模が小さいけれど、本質は似ています。ディジタルでグローバルなプラットフォームを利用して進行したことにより、一挙に国際事件になるわけです。
喩えを続けると、中止させられた3つの大学祭の催しは、当該国からの留学生が参加していたので、当該国の法律=政府に従順な Zoom社としては、彼らだけを排除したかったのだが技術的にその手段がなかったので催しそのものを中断した。当該国の留学生がいなかった1つの催しは、支障なく進行した(中国の外の法は守られている)、という言い草です。
Zoom社は、アメリカの企業です。広大な中国市場もにらみつつ、コロナ禍の好機に急成長しつつあるグローバル企業。ただし起業者は中国の大学を卒業してカリフォルニアに渡った Eric Yuan (袁征)。出自にこだわっては彼の志を貶めることになるので、これ以上は言いませんが、会社として、(a)中国市場への拡がりと、(b)それ以外の地域における世論(人権と民主主義)とが二律背反する情況を、どう克服するか。これは Zoom社にとってほとんど生命にかかわる問題となるでしょう。
さすがにそのことを認知しているからこそ、11日のブログでは次の3項について明記したのでしょう。
Key Facts (すでに5月から中国政府の告知があった;ユーザ情報を洩らしたりはしていない;(IPアドレスで)中国本土からの参加者が確認された Zoom会議についてのみ中断の措置をとった)
How We Fell Short (2つの間違いを認める)
Actions We're Taking (現時点での対策:中国本土の外に居るかぎりいかなる人についても中国政府の干渉には応じない;これから数日の間に地理的規制策を開発する;6月30日までにわが社の global policy を公にする)
そして中国政府の理不尽に無念の思いを秘めて、ブログの最初のセンテンスは、こうしたためられています。
We hope that one day, governments who build barriers to disconnect their people from the world and each other will recognize that they are acting against their own interests, as well as the rights of their citizens and all humanity.
Zoom社の誠意と無念の思いはいちおう認めるとして、現実的には甘いんじゃないか。
かつて1930年代にナチス=ドイツにたいして宥和策をとり、スターリン=ソ連と平和条約を結び、また戦後の合衆国における「反米活動」の炙り出しを困惑しつつ傍観していたことを厳しく反省する立場からは、現今の中国政府のありかた、それに宥和的な各国政府およびグローバル先端産業を、このまま許すわけにゆかないでしょう。
コロナ禍は、あたかも稲妻のように、平時には隠れていた(忘れがちな)大問題を照らしだし、もろもろの動機や関係をあばきだしています。先例を点検し、記憶を呼び覚まし、しっかり考察して、賢明に生きたい。cf.『民のモラル』〈ちくま学芸文庫〉pp.22-23.
この2・3ヶ月で急速に普及した Zoom会議。ぼくも初体験は学会の委員会で、5月から立正大学院の演習で利用しはじめ、先日はN先生の最終講義の会に「出席」しました。
じっさいやってみると、これは非常事態をしのぐ手段というより、とても便利で、発言者の顔が間近なので、独自の効用があり、今後もさらに普及しそう。音声と図像の微妙なズレといった問題もないではないが、周辺機器を(100%無線でつなぐのでなく)できるだけ有線でつなぎ、発言しないときは音声をミュートにする、とかいった工夫でなんとかしのげそう。
セキュリティ上の技術的不具合は解決しつつあるようです。
というわけで明るい展望のもとに周辺機器と Wifi環境をととのえていたら、日本では今朝からアメリカの報道を引用する形で記事になっていますが、重大事件です。
6月4日の天安門虐殺事件(Tiananmen Square massacre)をめぐって Zoom を利用した集会・催しがアメリカ、香港で行われたのに対して、中国政府が Zoom社に圧力をかけ、これに Zoom社が屈して、進行中の4つの集会のうち3つを中断し、主催者のアカウントを停止/廃止した(we suspended or terminated the host accounts)のです。とんでもない事件です。今ではアカウントは回復された(reinstated)からというので、New York Times, Wall Street Journal などの報道は歯切れが悪い。 → https://www.nytimes.com/2020/06/11/technology/zoom-china-tiananmen-square.html
→ https://www.wsj.com/articles/zoom-catches-heat-for-shutting-down-china-focused-rights-groups-account-11591863002
当の Zoom社のブログ(米、6月11日)を見ると、こうです。 → https://blog.zoom.us/wordpress/2020/06/11/improving-our-policies-as-we-continue-to-enable-global-collaboration/
Recent articles in the media about adverse actions we took toward Lee Cheuk-yan, Wang Dan, and Zhou Fengsuo have some calling into question our commitment to being a platform for an open exchange of ideas and conversations.
20世紀史の身近な(卑近な?)事件で喩えてみると、4つの大学の学園祭で、ナチスか、スターリンか、「反米委員会」かをテーマにして討論集会/デモンストレーションを企画し実行していたら、当該政府・大使館から抗議がきた。 → あわてた3つの大学当局が催しを強制中止した。 → 企画・主催者そして参加していた学生たちは怒っているが、マスコミは静観中ということでしょうか。喩えの規模が小さいけれど、本質は似ています。ディジタルでグローバルなプラットフォームを利用して進行したことにより、一挙に国際事件になるわけです。
喩えを続けると、中止させられた3つの大学祭の催しは、当該国からの留学生が参加していたので、当該国の法律=政府に従順な Zoom社としては、彼らだけを排除したかったのだが技術的にその手段がなかったので催しそのものを中断した。当該国の留学生がいなかった1つの催しは、支障なく進行した(中国の外の法は守られている)、という言い草です。
Zoom社は、アメリカの企業です。広大な中国市場もにらみつつ、コロナ禍の好機に急成長しつつあるグローバル企業。ただし起業者は中国の大学を卒業してカリフォルニアに渡った Eric Yuan (袁征)。出自にこだわっては彼の志を貶めることになるので、これ以上は言いませんが、会社として、(a)中国市場への拡がりと、(b)それ以外の地域における世論(人権と民主主義)とが二律背反する情況を、どう克服するか。これは Zoom社にとってほとんど生命にかかわる問題となるでしょう。
さすがにそのことを認知しているからこそ、11日のブログでは次の3項について明記したのでしょう。
Key Facts (すでに5月から中国政府の告知があった;ユーザ情報を洩らしたりはしていない;(IPアドレスで)中国本土からの参加者が確認された Zoom会議についてのみ中断の措置をとった)
How We Fell Short (2つの間違いを認める)
Actions We're Taking (現時点での対策:中国本土の外に居るかぎりいかなる人についても中国政府の干渉には応じない;これから数日の間に地理的規制策を開発する;6月30日までにわが社の global policy を公にする)
そして中国政府の理不尽に無念の思いを秘めて、ブログの最初のセンテンスは、こうしたためられています。
We hope that one day, governments who build barriers to disconnect their people from the world and each other will recognize that they are acting against their own interests, as well as the rights of their citizens and all humanity.
Zoom社の誠意と無念の思いはいちおう認めるとして、現実的には甘いんじゃないか。
かつて1930年代にナチス=ドイツにたいして宥和策をとり、スターリン=ソ連と平和条約を結び、また戦後の合衆国における「反米活動」の炙り出しを困惑しつつ傍観していたことを厳しく反省する立場からは、現今の中国政府のありかた、それに宥和的な各国政府およびグローバル先端産業を、このまま許すわけにゆかないでしょう。
コロナ禍は、あたかも稲妻のように、平時には隠れていた(忘れがちな)大問題を照らしだし、もろもろの動機や関係をあばきだしています。先例を点検し、記憶を呼び覚まし、しっかり考察して、賢明に生きたい。cf.『民のモラル』〈ちくま学芸文庫〉pp.22-23.
2020年1月2日木曜日
Ghosn's gone!
大晦日の年賀状作成作業が佳境に入っているときに飛び込んできたのが、Ghosn's gone! という速報。アクション映画かなにかで見たような、あるいはフランス革命の重要局面に似ていなくもない逃亡劇です。(日本の当局もマスコミも、年末年始で、この突発事件にすみやかに対応できないまま!)
この事件を考えるさいに2つのイシューがあり、混同することはできません。
1.日本の司法における人権無視。
これはぼくたちが学生のころからまったく変わっていません。日本(や東アジア、また他の中進国で)の刑事訴訟法では(疑わしきは無罪、とは大学の授業でのみ唱えられるお題目で)、逮捕時点から被告・容疑者は有罪を想定されていて、しかも実際の運用で、有罪と自白するまで、執拗な取り調べがつづき、釈放されず、外の人々との接触も制限される。【「証拠隠滅のおそれ」という口実で、じつは非日常の空間に長期間拘束された】本人がよほどの忍耐心と自尊心をもちあわせていないと、「楽になりたいばかりに」、真実とずいぶんズレても「自白」とされる検事の用意した調書(彼の構築したストーリ)の最後に署名捺印して釈放される、ということがどれだけ繰りかえされてきたことか。あいつぐ冤罪事件は、ほとんどこれでしょう。「冤罪」ほどでなくとも、正確には違うのだけれど、もぅ疲れた、もぅ終わりにしたい、というケースがどんなに多いか!
もと厚労事務次官・村木厚子さんのたたかいを、みなさん覚えているでしょう。
人権の国フランスで教育されたカルロス・ゴーンおよびその周囲の人々は、これを耐えがたい人権侵害と受けとめて、それには屈しなかった。たいする日本の司法官僚たちは、「法治国家日本」のメンツをかけても、現行刑事訴訟法にもとづく作法と手続を駆使して、「外圧」なにするものぞ、と挑んだのでしょう。
こうした日本の「近代的」文化にもとづく刑事訴訟法(とその実際)にたいする異議申し立てに、ぼくは賛成です。この点にかぎり、ゴーンおよびその弁護団を支持していました。
2.それと今回の逃亡劇とは、まったく別問題です。
あのソクラテスにとっても、悪法といえども法は法。手続上はそれにしたがい、有能な弁護士と全面的に協力して戦略戦術をたて、具体的に論駁し、たたかうべきだった。ましてやソクラテスの場合とは違って死罪ではなく、経済犯容疑で時間的猶予はあったのだから、何年かけてもたたかって人権のチャンピオンになることすら可能だった。【随伴的に、日本の刑事訴訟法の改正に向かう道が切り開かれるかもしれなかった!】
それなのに逃亡しては、しかも妻の進言か手引により、クリスマス音楽会を催して大きな楽器ケースに紛れて(?)家を出たうえ、パスポート偽造か偽名を使って日本を出国し、トルコ経由でベイルートへという茶番! (フランス・パスポートは2通目をもっていた!)Extradition treaty (これぞ今、香港でたたかわれている問題!) のないレバノンで、日産と日本の司法の非を鳴らしつつ、これから一生過ごすおつもりですか?
下手なアクション映画にありそうな筋立てですが、こうした偽装逃亡劇をやってしまうと、日本の世論も欧米の世論も急転直下、ゴーンの人格・品位を疑い、支持しなくなるでしょう。弁護チームもお手上げです。ご本人のベイルートからのメッセージは、このとおり ↓
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54000320R31C19A2I00000/?n_cid=DSREA001
「わたしは裁き・正義(la justice)から逃れたのではなく、不正・権利侵害(injustice)と政治的迫害から自由になったのだ」という主張ですが、これは通りません。たしかに Wall Street Journal だけは
It would have been better had he cleared his name in court, but then it isn’t clear that he could have received a fair trial.
と仮定法で擁護しています。clear のあとの that は if と読み替えたいところ(https://www.wsj.com/articles/the-carlos-ghosn-experience-11577826902?mod=cx_picks)。辣腕投資家・経営者の味方・WSJ らしい論法で、歴史的に考えない無知の表明です。
フランスで高等教育をうけたカルロス君のよく知るとおり、革命から2年、1791年6月、ルイ16世が王妃マリ=アントワネットとともに変装して逃亡し、国境近くで阻止されて、パリに召喚され、さんざ嘲られた事件を想い出してほしい。もしやカルロス君は理工系だから、このヴァレンヌ事件なんて知らない、とは言わせない。このときまで立憲君主制(イギリス型の近代)という落とし所が用意されていたフランス革命は、もう止める堰もなく、王なしの共和国、人民主権の革命独裁に突き進むしかなくなったのです。
この第2点により、ぼくも弁護団も、コングロマリットの普遍君主カルロス・ゴーンを、いささかも擁護できなくなってしまいます。http://kondohistorian.blogspot.com/2018/11/blog-post_23.html
コングロマリットとは『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)pp.14-16 でも喩えた、ヨーロッパの政治的なまとまり、国際複合企業の様態をさす専門用語です。これは礫岩とも「さざれ石」とも訳せますが、ここでは明治天皇の行幸した武蔵の大宮(現さいたま市)の氷川神社にある「さざれ石」を見ていただきます。 いかに経年変化により「‥‥いわおとなりて、苔のむすまで」にいたっても、本質的にこういった脆い結合体ですから、「一撃」があれば、容易にくだけ散ります。
2019年11月16日土曜日
「主権国家再考」の公開研究会
もはや今日のことになってしまいましたが、ご案内を転載します。
「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」公開研究会
『「主権国家再考」の再考』
主催:科研基盤研究(A)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」
共催:ヨーロッパ近世史研究会
秋麗の候、みなさまにおかれましては、ますますご清祥のことと拝察します。
科研基盤研究(A)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」は、『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)の刊行後に求められる議論として、複合的政治編成の知見を踏まえたヨーロッパ史解釈の再構築をすすめるべく、具体的に「主権」概念に焦点を絞りながら検討をすすめてまいりました。
それらの研究成果の一端は、2018年、2019年に歴史学研究会が主催した合同シンポジウム「主権国家再考」において披歴されました。
この度は2019年5月に開催されたシンポジウムの講演録がこの10月、『歴史学研究』増刊989号に刊行されたことを機会に、今回はヨーロッパ近世史研究を専門とするみなさまとあらためて検証すべく、以下のような公開研究会を開催します。みなさまの参加を心から歓迎します。
日時:2019年11月16日(土)14時-17時30分
場所:早稲田大学戸山キャンパス39号館5階第5会議室
https://www.waseda.jp/flas/cms/assets/uploads/2019/09/20181220_toyama_campus_map.pdf
次第:①主旨説明:古谷大輔(大阪大学)『礫岩のようなヨーロッパ』の先に - 主権概念の批判的再構築
②基調報告:佐々木真(駒沢大学)「主権国家再考」の議論について
③「主権国家再考」シンポジウム関係者からの応答
科研基盤(A)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」の研究分担者から、佐々木報告へのリプライを行います
休憩:15分程度
④フロアの皆さまとの討論と総括
「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」公開研究会
『「主権国家再考」の再考』
主催:科研基盤研究(A)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」
共催:ヨーロッパ近世史研究会
秋麗の候、みなさまにおかれましては、ますますご清祥のことと拝察します。
科研基盤研究(A)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」は、『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)の刊行後に求められる議論として、複合的政治編成の知見を踏まえたヨーロッパ史解釈の再構築をすすめるべく、具体的に「主権」概念に焦点を絞りながら検討をすすめてまいりました。
それらの研究成果の一端は、2018年、2019年に歴史学研究会が主催した合同シンポジウム「主権国家再考」において披歴されました。
この度は2019年5月に開催されたシンポジウムの講演録がこの10月、『歴史学研究』増刊989号に刊行されたことを機会に、今回はヨーロッパ近世史研究を専門とするみなさまとあらためて検証すべく、以下のような公開研究会を開催します。みなさまの参加を心から歓迎します。
日時:2019年11月16日(土)14時-17時30分
場所:早稲田大学戸山キャンパス39号館5階第5会議室
https://www.waseda.jp/flas/cms/assets/uploads/2019/09/20181220_toyama_campus_map.pdf
次第:①主旨説明:古谷大輔(大阪大学)『礫岩のようなヨーロッパ』の先に - 主権概念の批判的再構築
②基調報告:佐々木真(駒沢大学)「主権国家再考」の議論について
③「主権国家再考」シンポジウム関係者からの応答
科研基盤(A)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」の研究分担者から、佐々木報告へのリプライを行います
休憩:15分程度
④フロアの皆さまとの討論と総括
2019年2月13日水曜日
琉球王国
じつは4日間、沖縄に行き、明代の琉球王国から以降の交易ハブ、1609年の薩摩侵攻、1879年、明治政府による琉球処分、「国民統合」、そして沖縄戦、戦後国際政治に翻弄されたあげくの佐藤内閣による「本土復帰」という名の再沖縄処分、といった歴史に圧倒されて、まだ余韻にひたっています。きれいな首里城の夜景も撮りました。
沖縄は2度目です。1度目は沖縄戦と戦後政治といったことしか考えていなかった。今回は中世末からとくに近世の「礫岩のような政体」のありかたに心揺さぶられました。 琉球の中でも、グスク[城]のあいだの覇権争いのようなことも伺われて興味深かったです。写真は、もっとも保存状態のよい(つまり戦災の少なかった)中城[ナカグスク]の城址。
年来の友人夫妻が33年の在琉を経て、イギリスに帰国するから最後にというので、呼ばれて行ったのですが、彼らの案内による historic places 巡り、そして、英語の琉球史研究文献がどんどん出ているのが印象的でした。
ペリーが1853年6月6日に宮廷で dinner speech をしたこと、その前にすでにフランスの宣教師、イギリスの宣教師が来ていたことを記念する碑も見ました。
アジア太平洋戦争は愚劣な戦争で、しかも終わり方は最悪でしたが、平和祈念公園の海を望み、敵・味方(沖縄んちゅ、大和んちゅ)・朝鮮・台湾籍の人々の墓(記銘碑)が一緒に一面に広がっているのは、ほんの少し慰めになります。
沖縄は2度目です。1度目は沖縄戦と戦後政治といったことしか考えていなかった。今回は中世末からとくに近世の「礫岩のような政体」のありかたに心揺さぶられました。 琉球の中でも、グスク[城]のあいだの覇権争いのようなことも伺われて興味深かったです。写真は、もっとも保存状態のよい(つまり戦災の少なかった)中城[ナカグスク]の城址。
年来の友人夫妻が33年の在琉を経て、イギリスに帰国するから最後にというので、呼ばれて行ったのですが、彼らの案内による historic places 巡り、そして、英語の琉球史研究文献がどんどん出ているのが印象的でした。
ペリーが1853年6月6日に宮廷で dinner speech をしたこと、その前にすでにフランスの宣教師、イギリスの宣教師が来ていたことを記念する碑も見ました。
アジア太平洋戦争は愚劣な戦争で、しかも終わり方は最悪でしたが、平和祈念公園の海を望み、敵・味方(沖縄んちゅ、大和んちゅ)・朝鮮・台湾籍の人々の墓(記銘碑)が一緒に一面に広がっているのは、ほんの少し慰めになります。
2018年11月23日金曜日
コングロマリット(国際複合企業)のゆくえ
ゴーン・ショックと言ったらオヤジ・ギャグめいた響きもありますが、なんと NHK World では
Nissan's Ghosn is gone
といった見出しで報じています!
歴史における礫岩のような政体をテーマとしてきたぼくとして、今回の conglomerate「日産・ルノー・三菱自」の事案、そしてこれからの展開には大いに想像力を刺激されます。
オクスフォード大学の博物館に展示されている礫岩の標本を『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)のカバー表紙に用いましたが、これはポルトガルで採取された岩の断面でした。それで、「ポルトガルから独立したブラジルに生まれ、レバノンで育ったフランス人、カルロス・ゴーンが社長を務める国際複合企業「ルノー=日産」をみる場合にも、示唆的」なんて文をしたためています(p.16)。当時はまだ三菱自は加わっていませんでした。しかも、彼の学歴をみると、パリで Ecole Polytechnique (1974) についで Ecole des Mines de Paris (1978) を修了しているというのが、なんとも礫岩的でおもしろい。
報じられているところでは、
a.個人的な報酬や利権といった法律的な問題とならんで、b.ルノー・日産・三菱自の間の「アライアンス」(連携・関係)のありかたについて(こちらは法的には問題なし)、ルノーおよびフランス政府から現在よりも一体化した経営への転換が示唆されていたとのこと。概念図は、22日深夜の www.nikkei.com によります。
だとすると、今回の事案は、
a.ただ経営者(会長)としての私利私欲や背任の問題にとどまらず、むしろ b.現在の同君連合的なコングロマリット(礫岩アライアンス)を、ルノーないしフランス政府主導の中央集権(一君万民の単一国家)へと転変させる動きにたいして、日産側から造反した、ということなのではないでしょうか。
b.のほうが日産にとっては、いったい良い日産車をつくって売る、利益を上げるのはフランス国庫およびフランス国民の為なのか、という気持的に重要な問題なのだが、しかしこの論法はグローバルな取締役会でも日本の司法においても、見解の相違(好き嫌いの問題)として片付けられてしまう。より法律的に責任追及しやすい a.を前面にたてて司法にタレコミ、(ゴーン、ケリ以外の2人のフランス人を含む)取締役会に解任を提議して通した、ということでしょう。
あたかも豊かで勤勉なカタルーニャ人が、なんで高慢ちきで口ばっかりのカスティーリャ人と同じ国で一緒にやってゆかねばならんのだ、と異議を申し立てているのと同じ問題ですね。礫岩のようなアライアンスで微妙なバランスをとってきた礫岩君主ゴーンが monarch (ただひとりの君主)として会長職を務めていること自体は、ことがうまく機能しているかぎりだれも問題にしません。しかし、a.ゴーン会長は、日産という企業が製品や品質管理上の瑕疵でマスコミの矢面に立たされているときに我関せずで家族レジャーにいそしんでいた;さらには b.フランス政府ないしルノー側の意向を体現してアライアンス(連邦主義)ならぬ一体化(中央集権)に向かっているようだとすると、これにはクーデタでも司法取引でも可能な手段で抵抗するしかないのですね。
日産はスペインにおけるカタルーニャ、連合王国におけるスコットランド(をいま少し強くした存在)、
ルノーはカスティーリャ、あるいはイングランドのような存在とたとえれば良いでしょうか(三菱自は北アイルランド?)。今秋から、そのルノーがあたかも imperial な意思(支配欲)を内々に表明した or そうした動きを日産の幹部が感知したことで、一挙に事態が動き出した‥‥。不十分な情報ながら、そう推測しました。
2017年3月14日火曜日
『礫岩のようなヨーロッパ』と世界史
公 開 シ ン ポ ジ ウ ム(事前登録が要望されています!)
今、歴史的ヨーロッパを問うこと:『礫岩のようなヨーロッパ』と世界史
主催:科研基盤研究(B)
「歴史的ヨーロッパにおける複合政体のダイナミズムに関する国際比較研究」
日時:2017年3月29日(水)13時00分~17時40分
場所:東洋大学白山キャンパス6号館3階6317教室
https://www.toyo.ac.jp/site/access/access-hakusan.html
13:00~13:15 趣旨説明:古谷大輔(大阪大学准教授)
13:15~13:35 第1報告:森田安一(日本女子大名誉教授)
13:35~13:55 第2報告:岸本美緒(お茶の水女子大教授)
13:55~14:15 第3報告:神田千里(東洋大教授)
14:15~14:30 休憩
14:30~15:00 コメント:木村直樹(長崎大)、杉山清彦(東京大)、前田弘毅(首都大東京)
15:00~15:40 『礫岩のようなヨーロッパ』執筆者からの応答:近藤和彦(立正大)、小山哲(京都大)、
中澤達哉(東海大)、中本香(大阪大)、後藤はる美(東洋大)、内村俊太(上智大)、古谷大輔(大阪大)
15:40~16:00 休憩
16:00~17:40 全体討論
プログラム & 参加登録 http://conglomerate.labos.ac/ja/blog/entry-2687.html
18:00 懇親会 東洋大学内にて
今、歴史的ヨーロッパを問うこと:『礫岩のようなヨーロッパ』と世界史
主催:科研基盤研究(B)
「歴史的ヨーロッパにおける複合政体のダイナミズムに関する国際比較研究」
日時:2017年3月29日(水)13時00分~17時40分
場所:東洋大学白山キャンパス6号館3階6317教室
https://www.toyo.ac.jp/site/access/access-hakusan.html
13:00~13:15 趣旨説明:古谷大輔(大阪大学准教授)
13:15~13:35 第1報告:森田安一(日本女子大名誉教授)
13:35~13:55 第2報告:岸本美緒(お茶の水女子大教授)
13:55~14:15 第3報告:神田千里(東洋大教授)
14:15~14:30 休憩
14:30~15:00 コメント:木村直樹(長崎大)、杉山清彦(東京大)、前田弘毅(首都大東京)
15:00~15:40 『礫岩のようなヨーロッパ』執筆者からの応答:近藤和彦(立正大)、小山哲(京都大)、
中澤達哉(東海大)、中本香(大阪大)、後藤はる美(東洋大)、内村俊太(上智大)、古谷大輔(大阪大)
15:40~16:00 休憩
16:00~17:40 全体討論
プログラム & 参加登録 http://conglomerate.labos.ac/ja/blog/entry-2687.html
18:00 懇親会 東洋大学内にて
2017年1月30日月曜日
公開講座の動画
ご無沙汰しています。
1月は大学関係者にとって1年で一番忙しい月ではないでしょうか? こちらも卒業論文提出にとなう面談や応急措置、その卒論審査・口頭試問、修士論文(2本)の審査、博士論文(1本)の審査、その他の業務の間を縫って、原稿「文明を語る歴史学」を『七隈史学』に送り、原稿「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」を『立正大学・文学部論叢』に提出しました。この土日には京都大学で竹澤先生の「複合国家論の可能性」という思想史のシンポジウムがあり、濃密な「対話」に参加いたしました。
そんなこんなで、いつ登載されたのか知りませんでしたが、品川区のサイトに、10月12日の公開講義の動画が見られるようになっています。前後50分あまり×2 の講演とスクリーンの画像がたっぷり。ちょっと長いかもしれません。
http://www.shina-tv.jp/pickup/index.html?id=983
http://www.shina-tv.jp/pickupindex/index.html?cid=95
論文「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」は、この講演をもとに、EEBO からカール・シュミットから最近の出版まで含めて、まとめて勉強した成果でもあります。3月末~4月初に刊行予定です。
1月は大学関係者にとって1年で一番忙しい月ではないでしょうか? こちらも卒業論文提出にとなう面談や応急措置、その卒論審査・口頭試問、修士論文(2本)の審査、博士論文(1本)の審査、その他の業務の間を縫って、原稿「文明を語る歴史学」を『七隈史学』に送り、原稿「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」を『立正大学・文学部論叢』に提出しました。この土日には京都大学で竹澤先生の「複合国家論の可能性」という思想史のシンポジウムがあり、濃密な「対話」に参加いたしました。
そんなこんなで、いつ登載されたのか知りませんでしたが、品川区のサイトに、10月12日の公開講義の動画が見られるようになっています。前後50分あまり×2 の講演とスクリーンの画像がたっぷり。ちょっと長いかもしれません。
http://www.shina-tv.jp/pickup/index.html?id=983
http://www.shina-tv.jp/pickupindex/index.html?cid=95
論文「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」は、この講演をもとに、EEBO からカール・シュミットから最近の出版まで含めて、まとめて勉強した成果でもあります。3月末~4月初に刊行予定です。
2016年12月19日月曜日
中之島センター & ダイビル
(承前)
17日の会は、大阪・中之島における『礫岩のようなヨーロッパ』をめぐる、ヨーロッパ中近世史の方々による合評会でした。執筆者も6名が出席し、企画者・司会のリードのおかげで、効率的に集中的に討論することができました。
中世から近世への移行の契機(?)をめぐって考えに違いのある場合も含めて、基本的な共通理解は確認できました。せっかくいらした並み居る論客も、時間の制約のもとでは自由に発言なさったわけではなく、その点は残念でした。同じく中之島のダイビル3階でも討論は継続。
自宅に着いてみると岩波書店から『図書』1月号が到来していました。http://www.iwanami.co.jp/magazine/
「EUと別れる? イギリスのレファレンダムと憲政の伝統」pp.7-11
という拙文を寄稿しましたが、最後に『礫岩のようなヨーロッパ』におけるケーニヒスバーガの「議会絶対主義」という語にも注意を喚起したものです。
6月23日のレファレンダムの結果は(当初のショックから落ち着いてみると)ただ右翼のデマゴギーの産物というだけではとらえきれず、複合的ですが、イギリス人にとって金科玉条の議会主権にたいするEUの侵犯、というキャンペーン言説がかなり効果的だったから、という一面もあります。その点で、トランプ旋風のアメリカ合衆国とはすこし違う。
ちなみに、フォーテスキュの dominium politicum et regale はイギリスの場合、
「議会と王権(という2つの別の機構)による主権の分有」
と理解してよいでしょうか? 否です。
イギリス憲政の理解では politicum et regale は King in Parliament (議会のなかの王、王とともにある議会)として現象します。
近代には、行政は責任内閣制;司法も貴族院の司法議員 law lords が最高位(つまり最高裁は議会(貴族院)の中にあった)。要するに、日本・合衆国・フランスのような三権分立でなく、三権がすべて議会のなかにある、そうした議会主権=「議会絶対主義」。
【EUから、司法の立法府からの独立を申し渡されて、2009年に独立しました】。
つまり dominium politicum et regale は、 politicum et regale が形容詞であることにも現れているように、2つの実体・機構による主権(権力)の分有をさすとは限らず、むしろ、mixed constitution をはじめとする歴史的な統治構造の分析概念として(のみ)有用なのかも、と未整理ながら、考えこみました。
【なお直江真一氏による「政治権力と王権による支配」(『法政研究』67, pp.545, 547註3)というのは、完全に混乱した誤訳です。http://ci.nii.ac.jp/naid/110006261848】
ついでに16世紀末イギリスの作品『悲劇の形をとった史劇、デンマーク王子ハムレット』についても進展があります。いずれ、また後日に。
17日の会は、大阪・中之島における『礫岩のようなヨーロッパ』をめぐる、ヨーロッパ中近世史の方々による合評会でした。執筆者も6名が出席し、企画者・司会のリードのおかげで、効率的に集中的に討論することができました。
中世から近世への移行の契機(?)をめぐって考えに違いのある場合も含めて、基本的な共通理解は確認できました。せっかくいらした並み居る論客も、時間の制約のもとでは自由に発言なさったわけではなく、その点は残念でした。同じく中之島のダイビル3階でも討論は継続。
自宅に着いてみると岩波書店から『図書』1月号が到来していました。http://www.iwanami.co.jp/magazine/
「EUと別れる? イギリスのレファレンダムと憲政の伝統」pp.7-11
という拙文を寄稿しましたが、最後に『礫岩のようなヨーロッパ』におけるケーニヒスバーガの「議会絶対主義」という語にも注意を喚起したものです。
6月23日のレファレンダムの結果は(当初のショックから落ち着いてみると)ただ右翼のデマゴギーの産物というだけではとらえきれず、複合的ですが、イギリス人にとって金科玉条の議会主権にたいするEUの侵犯、というキャンペーン言説がかなり効果的だったから、という一面もあります。その点で、トランプ旋風のアメリカ合衆国とはすこし違う。
ちなみに、フォーテスキュの dominium politicum et regale はイギリスの場合、
「議会と王権(という2つの別の機構)による主権の分有」
と理解してよいでしょうか? 否です。
イギリス憲政の理解では politicum et regale は King in Parliament (議会のなかの王、王とともにある議会)として現象します。
近代には、行政は責任内閣制;司法も貴族院の司法議員 law lords が最高位(つまり最高裁は議会(貴族院)の中にあった)。要するに、日本・合衆国・フランスのような三権分立でなく、三権がすべて議会のなかにある、そうした議会主権=「議会絶対主義」。
【EUから、司法の立法府からの独立を申し渡されて、2009年に独立しました】。
つまり dominium politicum et regale は、 politicum et regale が形容詞であることにも現れているように、2つの実体・機構による主権(権力)の分有をさすとは限らず、むしろ、mixed constitution をはじめとする歴史的な統治構造の分析概念として(のみ)有用なのかも、と未整理ながら、考えこみました。
【なお直江真一氏による「政治権力と王権による支配」(『法政研究』67, pp.545, 547註3)というのは、完全に混乱した誤訳です。http://ci.nii.ac.jp/naid/110006261848】
ついでに16世紀末イギリスの作品『悲劇の形をとった史劇、デンマーク王子ハムレット』についても進展があります。いずれ、また後日に。
2016年10月14日金曜日
悲劇的な史劇 or 悲劇の形をとった史劇
【承前】 そもそも『ハムレット』の正規の題は The tragical history of Hamlet, Prince of Denmark です。高貴のプリンスは、ルターのヴィッテンベルク大学をちゃんと卒業したのか留年中なのか、むしろNIETなのか、よくわからない状態で実家のエルシノール城に戻ったのです。
あたかも実存哲学的な科白と筋を展開しつつ、1600年前後の〈諸国家システム〉における王位継承のあやうさと王殺し、母子の関係のアクチュアリティを埋め込むことによって、『ハムレット』は多義的で近世的な作品として呈示されています。おそらくシェイクスピアは相当の自負心をもって、ロンドンの観衆・聴衆・読者にむけて、ヨーロッパ事情と寓意に満ちた作品を見せつけました。それは「悲劇の物語(history)」でもあり、「悲劇の形をとった史劇(history)」でもあり、歴史的な悲劇でもある。
複合君主政のイギリスはステュアート家による代替わり(1603)の直前直後でした。しかもジェイムズの母は「淫乱のメアリ」! 父(夫)殺しに積極的に関与していました。 ロンドンの観衆は、複合君主政(しかも選挙王制)の「デンマーク・ノルウェイ王国」における王位継承の悲劇を人ごとでなく受けとめたでしょう。「淫乱の母」とその一人王子も含めてハムレット家は劇の終わるまでに全滅し、その宰相ポローニアス家も死に絶える。いったい王位はどうなるのか。
ハムレット王子が息絶える前の最後の言葉は、1) 学友ホレイショにむけて、見たこと my story をしっかり伝えてくれ、2) election があればノルウェイ王子フォーティンブラスが勝つだろう、he has my dying voice、と言って死ぬのです。父王フォーティンブラスと父王ハムレットのあいだの古き意趣がここで想起され、1524/36年~1660年のあいだ、選挙王制をとる「デンマーク・ノルウェイ」の複合君主政がここで機能し始めます。
劇末にてフォーティンブラスが盛大に葬式を執り行うのは、王位継承を受けての喜びの、公的行事なのでした。
そもそも父ハムレットが死んでその一人王子ハムレットが王位を継承しなかったのは、臣民の賛同が得られないから[人望がないから]、ということが含意されています。(まだ学生だから、ではありません。事実、メアリはほとんど生後まもなく1542年に、ジェイムズは1歳に満たずして1567年に王位を継承したのですから。)
12日夕の公開講演は、この間、ケインブリッジのワークショップから、福岡大学の七隈史学会も、映画論も含めて、スキッツォ的に拡散しがちなわが関心事が、近世的・礫岩的に連結した瞬間でした! いらしてくださった皆さん、ありがとう。 いらっしゃらなかった皆さん、いずれ録画配信、あるいは書き物で。
2016年10月13日木曜日
『ハムレット』
ご無沙汰しました。学期の始まりと、「東奔西走」とまでは言わないが、いろいろなことが続き、blogに書き込む気になれない、という日夜でした。
昨12日夕には、立正大学の公開講座(品川区共催)で、没後400年 シェイクスピアを視る という企画の一環(第3回)として、
「インテリ王子ハムレット」と「学者王ジェイムズ」
という話をしました(品川区から録画チームが来て無事収録できたようですから、いずれインターネット公開されることになると思われます)。
ロンドンからデンマーク、この間いろいろと撮りためた写真も使いながら、 -当然ながら、ズント海峡、エルシノールのクロンボー城、地の神の像の写真も見ていただきました- 文学研究の作品論とは異なる観点から『ハムレット』を見直し、1600年前後のロンドンの観衆・聴衆・読者がどう受けとめただろうか、論じてみました。一般むけで楽しく、しかしやや論争的なお話としました。
『デンマーク王子ハムレットの悲劇の物語』(1599から上演、刊本は1603~23に数版でます)が、じつに「礫岩のようなヨーロッパ」を地でゆく悲劇的史劇であることを最近に「再発見」したぼくの、エキサイトしたお話でした。
『ハムレット』を翻訳で読んだのは高校生のとき、さらに高校の図書館で研究社の対訳叢書(市河三喜監修)を見つけて、対訳註釈の付いた版で英語を読むよろこびを知りました。
To be or not to be: that is the question. から始まる一種実存哲学的な雰囲気と、言葉、言葉、言葉‥‥の溢れる警句的、寓話的な近世の宇宙を(今おもえば)このとき垣間見たのですね。16・7歳の少年が同年配の乙女にたいしてもつ、不安定な感覚もあいまって Frailty, thy name is woman. とか;時代にたいするカッコをつけたスタンスとして The time is out of joint. とか暗唱して悦に入っていたものです。もっとも
There are more things in heaven and earth, Horatio, than are dreamt of in your philosophy. というのは気取っているが、しかし青い高校生にとっては心底は理解できないままの科白でした。
‥‥のちのち大学院教師となって、ほとんど常識のつもりで『ハムレット』の科白を(日本語で)言ってみても、まるで反応のない院生が過半だと知ったときほどの驚愕(宇宙を共有していない!?)は、ありませんでしたね。それ以後またしばらく経って、『イギリス史10講』でシェイクスピアを引用するときにも、ちょっとだけ考えこみましたよ。結論は、「妥協しない」。著者として現実的に貫きたいことは貫く、というわけで、『イギリス史10講』には、(巻末索引に 37, 111 ページが採られているだけでなく)シェイクスピアに限らず、高校生にも読める英語のセンテンスが重要な論理展開の場面で、いくつか訳なしで書き込まれているわけです。
ところで、そうした「引用文に満ち溢れた」『ハムレット』という作品ですが、なぜかデンマーク宮廷にイングランドだけじゃなく、ノルウェイだかの使節や軍人が出入りしている;ドイツ留学やフランス留学が前提されているのは国際性の現れとしていいかもしれないが、劇の結末は、ノルウェイ王子が登場して、これから立派な葬式を執り行なおう、と宣言して終わる。‥‥これは、いかにも取って付けたというか、変なエンディング、という印象でした。しかし、高校生には手に余る問題で、以来、思考停止していました。
ローレンス・オリヴィエ監督・主演の『ハムレット』が、ぼくの受容原型で、それ以外は余分な粉飾(!?)のような気さえしていました。
こうした50年前(!)から棚上げしていたぼくの疑問と思考停止は、礫岩のようなヨーロッパ、複合君主政という視点をとることによって、眼からウロコが落ちるように氷解するのです! to be continued.
2016年8月23日火曜日
礫岩のようなイギリス
今日午後に、BLのカフェにて旧知の3氏に遭遇しました。
Cambridge Workshop について質問がつづき、「礫岩」とは互いに異質だということじゃない、「Kさんとぼくは性格も出身も違うが、友人である。なぜか?」
という問題だ、と言ったら、半分わかってくれた模様です。
ぼくは学生時代から反nationalist です。「違うから独立したい」というのは1919年の論理で、21世紀の将来は見通せない。「礫岩のような」議論は、後ろ向きでなく、前向きの志から来ています。
『イギリス史10講』について2014年初めの『朝日』の書評欄が、イングランド・スコットランド・ウェールズの違いにも目配りした概説‥‥ といったふざけた紹介をしていました。結局は受け手の問題で、「こと」を理解できていない人には、なんともコメントのしようがなくて誤魔化したのでしょう。
なおまた 北ウェールズ行に関連しても質問がありました。
ウェールズとイングランドの関係は、琉球や台湾やでなく、関西と関東の関係だ、と言ってみたら、これまた半分納得してくれました。
景観も、文化と自尊心、言語と信教も異なる。このことを認めなくちゃ話は始まらない。しかし独立したいとは考えていない‥‥。
サイダー(Seidr)を昨日お昼に飲みました。
2016年8月18日木曜日
A Conglomerate Europe
今日は第一日目、Chapel Court Room にて
Rethinking early modern European states
12名の intensive discussion というのもなかなか疲れるが、いいですね。
夏のケインブリッジにてコーヒーブレイクも外で。
夜は Brexit についても十分に話ができました。
今晩は晴れて満月。
韓国の金さん、李さんとも去年の大阪AJC以来1年ぶりに会いました。
明日も天気は良いようです。
Rethinking early modern European states
12名の intensive discussion というのもなかなか疲れるが、いいですね。
夏のケインブリッジにてコーヒーブレイクも外で。
夜は Brexit についても十分に話ができました。
今晩は晴れて満月。
韓国の金さん、李さんとも去年の大阪AJC以来1年ぶりに会いました。
明日も天気は良いようです。
2016年7月21日木曜日
『礫岩のようなヨーロッパ』 山川出版社
7月下旬とはいえ、今の大学では授業や校務が続きます。
そうしたなかに涼風がさわやかに吹きわたるように
古谷大輔・近藤和彦(編)『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)が公刊されました。本体価格 3,800円
写真と目次は → こちら
出版社は、刊行前からの評判におどろき、急ぎ増刷りしたとのこと。一般書店配本は週末の模様です。
じつは、残念ながらすでに誤植を発見!
p.129 下から3行目の見出し
礫岩のような近代国家の集塊性(誤) → 礫岩のような近世国家の集塊性(正)
p.131 上から13行目
三者は,信教国家化的な状況‥‥(誤) → 三者は,非信教国家化的な状況‥‥(正)
校正ゲラが行き交うなかで事故が起こってしまったようです。さっそく訂正スリップを挿入して対応します。
このことはさておき、全体はすばらしい出来上がりです!
内容の充実度にくらべて、案外に厚くない。横組でエレガントな仕上がり。
註と索引のポイントが小さいので、v + 223 pp. に内実がコンパクトにぎゅっと収まっている感じ。
あらためて仕上がりを手にして、この本の価値は3つあるなと思います。
第1に、第Ⅰ部として、1章(ケーニヒスバーガ)・2章(エリオット)・3章(グスタフソン)の翻訳章が本体の半分近くを占めて、なにより重要な3論文の良心的な邦訳(訳註もふくむ)を提供することに、この出版の意義があると明示しているかのごとくです。
第2に、第Ⅱ部として5人の日本人の研究論文が呼応するように続き、近世ヨーロッパ史の前線がよく見えます。
第3に、第Ⅰ部と第Ⅱ部をはさむように、序章と索引が、それぞれ本の始まりと終わりから各部分の有機的なつながりと構成を示し、担保しています。
ちなみに索引の最初には、こう記しました(p.210)。
「本書はまえがきにも記されたとおり数年にわたる共同研究の所産であり、表記と用語についても討論と調整を重ねてきたが、礫岩のような政体をあつかう彩りゆたかな議論にたいして形式的な統一を強いて無理が生じるのは避けたい。文脈により「同君連合」や「複合君主政」や「礫岩」が、そして「主権」と「絶対主義」が共存しているのには、それなりの理由がある。
索引は悉皆性よりも有用性を優先して作成した。そのさいの留意点は次のとおりである。[中略]複合君主は煩瑣になりすぎない範囲で明示した。また「王による支配/統治」「議会」「君主」「君主政」「国民国家」「従属的な合同」「神聖ローマ帝国」「政治共同体と王による支配/統治」「政治的」「対等な合同」「帝国」「ハプスブルク(家/朝)」「複合国家」「モナルキア」「礫岩」等々といった重要キーワードについては、その語義や用法を述べたページを斜体(イタリック)で示した。」
各部分のそれぞれの価値は言うまでもなく、それと同時に、論文集としての全体的なまとまりとダイナミクスは、自画自賛ながら、数年間におよぶ古谷科研の全員の協力の賜物であり、研究会などで叱咤激励し協力してくださった関係者の皆さまのおかげです。
なおまた3月に山川出版社を退社なさった山岸美智子さんの全面的な支援(介護?)によって、これだけエレガントな本になったという事実は特記しておきたいことです。
(校務の洪水のあいまに)取り急ぎ、感想を申し述べました。
そうしたなかに涼風がさわやかに吹きわたるように
古谷大輔・近藤和彦(編)『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)が公刊されました。本体価格 3,800円
写真と目次は → こちら
出版社は、刊行前からの評判におどろき、急ぎ増刷りしたとのこと。一般書店配本は週末の模様です。
じつは、残念ながらすでに誤植を発見!
p.129 下から3行目の見出し
礫岩のような近代国家の集塊性(誤) → 礫岩のような近世国家の集塊性(正)
p.131 上から13行目
三者は,信教国家化的な状況‥‥(誤) → 三者は,非信教国家化的な状況‥‥(正)
校正ゲラが行き交うなかで事故が起こってしまったようです。さっそく訂正スリップを挿入して対応します。
このことはさておき、全体はすばらしい出来上がりです!
内容の充実度にくらべて、案外に厚くない。横組でエレガントな仕上がり。
註と索引のポイントが小さいので、v + 223 pp. に内実がコンパクトにぎゅっと収まっている感じ。
あらためて仕上がりを手にして、この本の価値は3つあるなと思います。
第1に、第Ⅰ部として、1章(ケーニヒスバーガ)・2章(エリオット)・3章(グスタフソン)の翻訳章が本体の半分近くを占めて、なにより重要な3論文の良心的な邦訳(訳註もふくむ)を提供することに、この出版の意義があると明示しているかのごとくです。
第2に、第Ⅱ部として5人の日本人の研究論文が呼応するように続き、近世ヨーロッパ史の前線がよく見えます。
第3に、第Ⅰ部と第Ⅱ部をはさむように、序章と索引が、それぞれ本の始まりと終わりから各部分の有機的なつながりと構成を示し、担保しています。
ちなみに索引の最初には、こう記しました(p.210)。
「本書はまえがきにも記されたとおり数年にわたる共同研究の所産であり、表記と用語についても討論と調整を重ねてきたが、礫岩のような政体をあつかう彩りゆたかな議論にたいして形式的な統一を強いて無理が生じるのは避けたい。文脈により「同君連合」や「複合君主政」や「礫岩」が、そして「主権」と「絶対主義」が共存しているのには、それなりの理由がある。
索引は悉皆性よりも有用性を優先して作成した。そのさいの留意点は次のとおりである。[中略]複合君主は煩瑣になりすぎない範囲で明示した。また「王による支配/統治」「議会」「君主」「君主政」「国民国家」「従属的な合同」「神聖ローマ帝国」「政治共同体と王による支配/統治」「政治的」「対等な合同」「帝国」「ハプスブルク(家/朝)」「複合国家」「モナルキア」「礫岩」等々といった重要キーワードについては、その語義や用法を述べたページを斜体(イタリック)で示した。」
各部分のそれぞれの価値は言うまでもなく、それと同時に、論文集としての全体的なまとまりとダイナミクスは、自画自賛ながら、数年間におよぶ古谷科研の全員の協力の賜物であり、研究会などで叱咤激励し協力してくださった関係者の皆さまのおかげです。
なおまた3月に山川出版社を退社なさった山岸美智子さんの全面的な支援(介護?)によって、これだけエレガントな本になったという事実は特記しておきたいことです。
(校務の洪水のあいまに)取り急ぎ、感想を申し述べました。
2016年7月5日火曜日
Brexit と議会主権
その後の経過を見つめつつの考察です。マスコミに載る多くの論評よりは、おのずから歴史的で、すこし深みのある考察となります。
A. レファレンダムとはそもそも「特定問題についての有権者の意向伺い」なので、最終的な決定は、議会で首相が何をどう言うかにかかっています。6月23日のレファレンダムの無視ややり直しはありえないとしても、国民総懺悔で、「ご免なさい、軽率でした」とEUメンバーの全国民に謝って歩く行脚、というのは理論的にありうる。しかし、現実的にはほぼない。ふざけんな、ということになります。
B. EUからの離脱(Brexit)を唱えていた二人、ボリス・ジョンスン(保守党)とナイジェル・ファラージ(UK独立党)の二人ともに、レファレンダム前にとなえていた主張=政策を撤回して、リーダーであることを辞退しました。- これが意味するのは、次の3点でしょうか。
1) 二人ともに公党の指導者としては不適格で無責任なデマゴーグだった。
2) そうしたデマゴーグに煽られてEU離脱に投票した52%の有権者の危うさ。
3) そうしたデマゴーグの煽りを書き立てたマスコミの危うさ。
C. ただし、EU離脱に投票し、それに賛意を表明したマスコミ・政治家は全員デマゴーグか右翼かだったと捉えては、表面的すぎます。むしろ、残留派のキャメロン首相が情勢を見誤ったように、離脱派のインテリの一部もまた情勢分析を誤った。すなわち、イギリスの国制(国のしくみ)という観点から、「EU官僚の中央集権主義/高慢と偏見」なるものを牽制し、英国の議会主権を維持するために、究極は_僅差で_EU統合・残留することを望みつつ、その僅差が十分に「批判票」ないしは「牽制/交渉のためのプレッシャ」として政治的意味をもつことを期待した。ところが、意外に伸びて過半をこえてしまったというのもあったでしょう。
D. ここで想起するのは『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、7月刊)です。こんなことになるなら、3・4週間でも早く公刊されれば良かったですね。
その第2章で「複合君主政のヨーロッパ」を論じるエリオットは、章の最後に、現在の問題を「統一性と多様性を願うというヨーロッパ史に通底していた‥‥気持を両立させるための試み」とまとめ、17世紀の司教の言を引用しつつ、「神が創造した世界では、より完全な統合をめざしても不完全なものにならざるをえない」と結論しています(p.74)。
また第1章では、ケーニヒスバーガが「複合国家・代表議会・アメリカ革命」を論じつつ、ふつう議会主権というところを「絶対主義的な議会による統治」とまで言っています。近世の「ボダンの主権理論の勝利の行進」(p.45)のなかに、jura summi imperii としての議会主権が位置づけられているのです。そう、イギリス法では(アメリカや日本のような)三権分立ではなく、議会の絶対主義。王権も議会のなかにあってこそ機能します(Crown in Parliament)。だからこそ行政は議会に従属する議院内閣制だし、司法のトップは2009年まで議会(貴族院)に所属した。‥‥この事実と意味を日本のイギリス史や政治学は十分に認識し強調してきたでしょうか。
専制、君主の絶対主義にたいする防衛、また千年をこえるイギリス史の経験にもとづく知恵、として表象されてきた、何にもまさるべき議会の絶対主義。これを、ヨーロッパ議会ならぬヨーロッパ行政官が陵辱するのは許しがたいと考えたのだとすると、今回のレファレンダムは、歴史的な意味も見え方も違ってきます。
エリオット先生(1992)、ケーニヒスバーガ先生(1989)の慧眼に脱帽。【ページは、印刷所に入る前の責了版のものを示しています。】
A. レファレンダムとはそもそも「特定問題についての有権者の意向伺い」なので、最終的な決定は、議会で首相が何をどう言うかにかかっています。6月23日のレファレンダムの無視ややり直しはありえないとしても、国民総懺悔で、「ご免なさい、軽率でした」とEUメンバーの全国民に謝って歩く行脚、というのは理論的にありうる。しかし、現実的にはほぼない。ふざけんな、ということになります。
B. EUからの離脱(Brexit)を唱えていた二人、ボリス・ジョンスン(保守党)とナイジェル・ファラージ(UK独立党)の二人ともに、レファレンダム前にとなえていた主張=政策を撤回して、リーダーであることを辞退しました。- これが意味するのは、次の3点でしょうか。
1) 二人ともに公党の指導者としては不適格で無責任なデマゴーグだった。
2) そうしたデマゴーグに煽られてEU離脱に投票した52%の有権者の危うさ。
3) そうしたデマゴーグの煽りを書き立てたマスコミの危うさ。
C. ただし、EU離脱に投票し、それに賛意を表明したマスコミ・政治家は全員デマゴーグか右翼かだったと捉えては、表面的すぎます。むしろ、残留派のキャメロン首相が情勢を見誤ったように、離脱派のインテリの一部もまた情勢分析を誤った。すなわち、イギリスの国制(国のしくみ)という観点から、「EU官僚の中央集権主義/高慢と偏見」なるものを牽制し、英国の議会主権を維持するために、究極は_僅差で_EU統合・残留することを望みつつ、その僅差が十分に「批判票」ないしは「牽制/交渉のためのプレッシャ」として政治的意味をもつことを期待した。ところが、意外に伸びて過半をこえてしまったというのもあったでしょう。
D. ここで想起するのは『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、7月刊)です。こんなことになるなら、3・4週間でも早く公刊されれば良かったですね。
その第2章で「複合君主政のヨーロッパ」を論じるエリオットは、章の最後に、現在の問題を「統一性と多様性を願うというヨーロッパ史に通底していた‥‥気持を両立させるための試み」とまとめ、17世紀の司教の言を引用しつつ、「神が創造した世界では、より完全な統合をめざしても不完全なものにならざるをえない」と結論しています(p.74)。
また第1章では、ケーニヒスバーガが「複合国家・代表議会・アメリカ革命」を論じつつ、ふつう議会主権というところを「絶対主義的な議会による統治」とまで言っています。近世の「ボダンの主権理論の勝利の行進」(p.45)のなかに、jura summi imperii としての議会主権が位置づけられているのです。そう、イギリス法では(アメリカや日本のような)三権分立ではなく、議会の絶対主義。王権も議会のなかにあってこそ機能します(Crown in Parliament)。だからこそ行政は議会に従属する議院内閣制だし、司法のトップは2009年まで議会(貴族院)に所属した。‥‥この事実と意味を日本のイギリス史や政治学は十分に認識し強調してきたでしょうか。
専制、君主の絶対主義にたいする防衛、また千年をこえるイギリス史の経験にもとづく知恵、として表象されてきた、何にもまさるべき議会の絶対主義。これを、ヨーロッパ議会ならぬヨーロッパ行政官が陵辱するのは許しがたいと考えたのだとすると、今回のレファレンダムは、歴史的な意味も見え方も違ってきます。
エリオット先生(1992)、ケーニヒスバーガ先生(1989)の慧眼に脱帽。【ページは、印刷所に入る前の責了版のものを示しています。】
2016年6月28日火曜日
@nifty掲示板
「@niftyレンタル掲示板」という名の掲示板 blog ですが、1999年末にHPを開設した当初から利用して参りました。今では「イギリス史 Q&A」に特化したサイトとして、細々と維持しています。 → http://kondo.board.coocan.jp/bbs/
ところがこのたび、@nifty側の都合で、今秋10月にてこれを閉鎖するとの通告を受けました。
今こちらのサイト http://kondohistorian.blogspot.com/ が一方的発信を主目的としたブログである(メンバーおよび許可を受けた者のコメントが事後的に採用される)のと違って、あちらの coocan掲示板(bbs)は相互発信≒交流型で、それが2000年代半ばには楽しいフォーラムとして機能したと思います。最初のインストールからすでに16年、インタネット社会の定着局面における無料サーヴィス掲示板の使命は果たしたということでしょうか。
ぼく自身は広告の介在、そしてスパムの処理を煩わしいと思っていましたから、その歴史を懐かしみつつも、coocan掲示板の消滅はしかたないかな、という気分です。
閲覧の皆さま、ありがとうございました。
こちら kondohistorian.blogspot.com については、変わりなく、よろしく!
サイトへのアクセス数、特定投稿へのアクセス数などが分かるシステムになっていますが、最近では『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)のページへの閲覧が22日昼からほんの5日で700アクセスです! この書への、そしてヨーロッパ史への、礫岩EUへの、関心の広さを印象づけられました。出版社も、イギリスのEUレファレンダムが「幸か不幸か、絶妙のタイミングになってしまいました」との所感とともに精勤してくださっています。
ところがこのたび、@nifty側の都合で、今秋10月にてこれを閉鎖するとの通告を受けました。
今こちらのサイト http://kondohistorian.blogspot.com/ が一方的発信を主目的としたブログである(メンバーおよび許可を受けた者のコメントが事後的に採用される)のと違って、あちらの coocan掲示板(bbs)は相互発信≒交流型で、それが2000年代半ばには楽しいフォーラムとして機能したと思います。最初のインストールからすでに16年、インタネット社会の定着局面における無料サーヴィス掲示板の使命は果たしたということでしょうか。
ぼく自身は広告の介在、そしてスパムの処理を煩わしいと思っていましたから、その歴史を懐かしみつつも、coocan掲示板の消滅はしかたないかな、という気分です。
閲覧の皆さま、ありがとうございました。
こちら kondohistorian.blogspot.com については、変わりなく、よろしく!
サイトへのアクセス数、特定投稿へのアクセス数などが分かるシステムになっていますが、最近では『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)のページへの閲覧が22日昼からほんの5日で700アクセスです! この書への、そしてヨーロッパ史への、礫岩EUへの、関心の広さを印象づけられました。出版社も、イギリスのEUレファレンダムが「幸か不幸か、絶妙のタイミングになってしまいました」との所感とともに精勤してくださっています。
2016年6月24日金曜日
イギリス人民の愚かな選択
今日午後の「西洋史料講読」の授業中に、EUの地図を見せながら「EUレファレンダムはつばぜり合いで、結果は予断を許さない」などと言っていたら、学生がスマホを見ながら「いまBBCで、離脱派勝利と出ました」! そんなことがあってよいのか。
驚きと困惑と憤りに近いものが、込み上げてきました。イギリスの良識が敗北したのです。
つづく「大学院演習」ではすこし落ち着いて感想を述べたあと、早々に退室して、BBCおよび新聞から情報収集し、考察しました。
ところで、大前提として、日本のマスコミは Great Britain を「大英帝国」と訳すので、問題を混線させます。過去の帝国も現今の英連邦も関係ない。ただ海峡の向こうの「ブリタニア大島」をさす地理的な用語です。
むしろ問題は、過去・現在・将来のイギリスを考えるにあたって「ヨーロッパ=コネクション」を重視するのか、「大西洋コネクション」にすがるのか。歴史家がずうっと議論してきた論点、イギリス人自身のアイデンティティ、そして国家戦略にかかわるイシューが、ここではっきりと問われたわけです【『イギリス史10講』(岩波新書)p. 9】。そして保守党、労働党、自由民主党、スコットランド党などなど、コモンセンスを備えた政党のキャンペーンにもかかわらず、短期的な感情(条件反射)に訴え、短いセンテンスで煽る右翼のキャンペーンが優ってしまった。これは民主主義の危機です。
レファレンダム=人民投票とは、はたして大衆社会において賢明な政治手法なのか、という根本問題にも思いいたります。
現在えられる情報から、こう言えます。今回のレファレンダムは、当然ながら一つの要因だけで決まったのではなく、
1) たとえばスコットランドおよび北アイルランドでは有権者が残留(Remain)を選んだのは、それぞれの地方の、年来の権限委譲(devolution)を求める動きからして自然な選択です。その系として、連合王国(UK)がヨーロッパ連合から離脱するなら、わたしたちはイギリスでなくヨーロッパ連合を選ぶ、という声で、十分に合理的。
2) イングランドの地方(provinces)が離脱≒独立を選んだ、ロンドンは残留を選んだ。あるいは老人は離脱派で、若者は残留派だ‥‥といった日本のマスコミの解説は表面的です。
それよりも明らかなのは、Financial Times にもあった投票分析で、かなり「不都合な事実」です。すなわち、学士(大卒)以上の人口比率の低い選挙区では「離脱」を選び、学士以上の比率の高い選挙区では「残留」を選んだ。同じロンドン地域でも学歴による差は歴然。(スコットランドについては学歴は有意の差を示さず、全般に残留を支持。)
→ http://www.scoopnest.com/user/FT/746224372432527360
EU vote → https://t.co/dYKO9PjIxd
EUのメンバーであってこそ現在のイギリスは存立する;イギリス国内の雇用も、EU内の雇用もお互い様で、広域の経済・文化があってこその繁栄だ;ワインが無関税で輸入され、思い立ったらフランス・イタリアに自由に旅行できるのもEUのお陰だ;ブリュセル官僚によってイギリスが不当に主権を侵害されているというのは右翼のフレームアップに過ぎない(じじつ、イギリスからEUに議員も役人も送っている)‥‥といった事実を認識しているのは、多くは学卒の人々にすぎなかった。右翼デマゴーグのキャンペーンは、考えない男女大衆をベースに拡がった、ということでしょう。これは憂うべき分裂であり、こうした two nations の分裂を放置してきた政治は、痛いしっぺ返しを受けたということではないでしょうか。
【アメリカ合衆国におけるトランプ現象のことを考えると、さらに暗澹たる気持になります。】
3) キャメロン首相は、みずから保守党内の権力基盤を固めるために(とくに喫緊というわけではなかった)EUレファレンダムを2年前に計画し、これに楽勝することによって長期政権を固めようと図っていたのだが、最近数ヶ月の不思議な政治力学によって、あれよあれよという間に、思惑とは反対の方に流れてしまった。政治の舵取りを誤ったわけだから、甘さと無責任を認めて辞職するほかありません。
4) 政治力学(politics)の次元とは別に、歴史的な国制(constitution:国の仕組み)という観点から考えると、せっかく中世以来の知恵として確立してきた代表議会制による審議をすっとばして(議会主権を棚上げして)、人民に可否の決定を任せた、しかもたった一日の人民主権に丸投げした。これでは歴史学的に言うと「(人民という名の)王の政治」です。
中世には賢人会、近世以降には議会や社団など中間団体によって「王の独裁」は牽制されチェックされてきました。「政治共同体と王の政治 dominium politicum et regale」という原理原則を、アングロサクソン以来の政治文化=「古来の国制」として、イギリス人は後生大事にしてきたのではなかったのか? 歴史の知恵を放棄して人民投票に賭けたという愚行の手痛いバツを、これからイギリス人民は、キャメロンを初めとするエリートたちと一緒に、長く負い続けるでしょう。【 cf.『礫岩のようなヨーロッパ』:25日に追記】
5) これによってイギリス・連合王国の国際的信任はガタ落ちです。右翼に世論の多数派をもってゆかれ、良識よりも条件反射的なソントクを優先し、リベラリズムよりも直近の雇用や手当てに惹かれる国民、というのでは尊敬されません。つまらん小人の国として、リーダーシップも、経験知も期待されなくなるでしょう。
Great Britain はすでに great ではなくなった、ということでしょうか。
6) 国際的な影響ははなはだしく、日本経済も深刻な影響を受けます。それ以上に、ヨーロッパ内で反EUの動きが勢いを帯びて、第二次大戦後に築きあげてきた連帯と信頼のきづなが(エコならぬ)エゴによって台無しにされる。こちらのほうが憂慮すべき問題と思われます。
考えたくないけれども、【合衆国の共和党政治のゆくえとともに】21世紀の世界史について、最悪のシナリオが始まるのを否定できません。
驚きと困惑と憤りに近いものが、込み上げてきました。イギリスの良識が敗北したのです。
つづく「大学院演習」ではすこし落ち着いて感想を述べたあと、早々に退室して、BBCおよび新聞から情報収集し、考察しました。
ところで、大前提として、日本のマスコミは Great Britain を「大英帝国」と訳すので、問題を混線させます。過去の帝国も現今の英連邦も関係ない。ただ海峡の向こうの「ブリタニア大島」をさす地理的な用語です。
むしろ問題は、過去・現在・将来のイギリスを考えるにあたって「ヨーロッパ=コネクション」を重視するのか、「大西洋コネクション」にすがるのか。歴史家がずうっと議論してきた論点、イギリス人自身のアイデンティティ、そして国家戦略にかかわるイシューが、ここではっきりと問われたわけです【『イギリス史10講』(岩波新書)p. 9】。そして保守党、労働党、自由民主党、スコットランド党などなど、コモンセンスを備えた政党のキャンペーンにもかかわらず、短期的な感情(条件反射)に訴え、短いセンテンスで煽る右翼のキャンペーンが優ってしまった。これは民主主義の危機です。
レファレンダム=人民投票とは、はたして大衆社会において賢明な政治手法なのか、という根本問題にも思いいたります。
現在えられる情報から、こう言えます。今回のレファレンダムは、当然ながら一つの要因だけで決まったのではなく、
1) たとえばスコットランドおよび北アイルランドでは有権者が残留(Remain)を選んだのは、それぞれの地方の、年来の権限委譲(devolution)を求める動きからして自然な選択です。その系として、連合王国(UK)がヨーロッパ連合から離脱するなら、わたしたちはイギリスでなくヨーロッパ連合を選ぶ、という声で、十分に合理的。
2) イングランドの地方(provinces)が離脱≒独立を選んだ、ロンドンは残留を選んだ。あるいは老人は離脱派で、若者は残留派だ‥‥といった日本のマスコミの解説は表面的です。
それよりも明らかなのは、Financial Times にもあった投票分析で、かなり「不都合な事実」です。すなわち、学士(大卒)以上の人口比率の低い選挙区では「離脱」を選び、学士以上の比率の高い選挙区では「残留」を選んだ。同じロンドン地域でも学歴による差は歴然。(スコットランドについては学歴は有意の差を示さず、全般に残留を支持。)
→ http://www.scoopnest.com/user/FT/746224372432527360
EU vote → https://t.co/dYKO9PjIxd
EUのメンバーであってこそ現在のイギリスは存立する;イギリス国内の雇用も、EU内の雇用もお互い様で、広域の経済・文化があってこその繁栄だ;ワインが無関税で輸入され、思い立ったらフランス・イタリアに自由に旅行できるのもEUのお陰だ;ブリュセル官僚によってイギリスが不当に主権を侵害されているというのは右翼のフレームアップに過ぎない(じじつ、イギリスからEUに議員も役人も送っている)‥‥といった事実を認識しているのは、多くは学卒の人々にすぎなかった。右翼デマゴーグのキャンペーンは、考えない男女大衆をベースに拡がった、ということでしょう。これは憂うべき分裂であり、こうした two nations の分裂を放置してきた政治は、痛いしっぺ返しを受けたということではないでしょうか。
【アメリカ合衆国におけるトランプ現象のことを考えると、さらに暗澹たる気持になります。】
3) キャメロン首相は、みずから保守党内の権力基盤を固めるために(とくに喫緊というわけではなかった)EUレファレンダムを2年前に計画し、これに楽勝することによって長期政権を固めようと図っていたのだが、最近数ヶ月の不思議な政治力学によって、あれよあれよという間に、思惑とは反対の方に流れてしまった。政治の舵取りを誤ったわけだから、甘さと無責任を認めて辞職するほかありません。
4) 政治力学(politics)の次元とは別に、歴史的な国制(constitution:国の仕組み)という観点から考えると、せっかく中世以来の知恵として確立してきた代表議会制による審議をすっとばして(議会主権を棚上げして)、人民に可否の決定を任せた、しかもたった一日の人民主権に丸投げした。これでは歴史学的に言うと「(人民という名の)王の政治」です。
中世には賢人会、近世以降には議会や社団など中間団体によって「王の独裁」は牽制されチェックされてきました。「政治共同体と王の政治 dominium politicum et regale」という原理原則を、アングロサクソン以来の政治文化=「古来の国制」として、イギリス人は後生大事にしてきたのではなかったのか? 歴史の知恵を放棄して人民投票に賭けたという愚行の手痛いバツを、これからイギリス人民は、キャメロンを初めとするエリートたちと一緒に、長く負い続けるでしょう。【 cf.『礫岩のようなヨーロッパ』:25日に追記】
5) これによってイギリス・連合王国の国際的信任はガタ落ちです。右翼に世論の多数派をもってゆかれ、良識よりも条件反射的なソントクを優先し、リベラリズムよりも直近の雇用や手当てに惹かれる国民、というのでは尊敬されません。つまらん小人の国として、リーダーシップも、経験知も期待されなくなるでしょう。
Great Britain はすでに great ではなくなった、ということでしょうか。
6) 国際的な影響ははなはだしく、日本経済も深刻な影響を受けます。それ以上に、ヨーロッパ内で反EUの動きが勢いを帯びて、第二次大戦後に築きあげてきた連帯と信頼のきづなが(エコならぬ)エゴによって台無しにされる。こちらのほうが憂慮すべき問題と思われます。
考えたくないけれども、【合衆国の共和党政治のゆくえとともに】21世紀の世界史について、最悪のシナリオが始まるのを否定できません。
2016年6月22日水曜日
古谷・近藤 (編) 『礫岩のようなヨーロッパ』 (山川出版社)
お待たせしています。6年間の共同研究の成果(途中経過報告)ですが、ようやく索引の校正を終えて、責了です。
目次は、こうなっています(簡略表記)。
序章 礫岩のような近世ヨーロッパの秩序問題 近藤 和彦
第Ⅰ部 政治共同体と王の統治
1章 複合国家・代表議会・アメリカ革命 H. G. Koenigsberger(後藤はる美訳)
2章 複合君主政のヨーロッパ J. H. Elliott(内村俊太訳)
3章 礫岩のような国家 Harald Gustafsson(古谷大輔訳)
第Ⅱ部 礫岩のような近世国家
4章 ハプスブルク君主政の礫岩のような編成と集塊の理論 中澤達哉
5章 バルト海帝国の集塊と地域の変容 古谷大輔
6章 ヨーロッパのなかの礫岩 後藤はる美
7章 複合国家のメインテナンス 小山 哲
8章 スペイン継承戦争にみる複合君主政 中本 香
序章につづき、翻訳3本、論文5本の力作揃い。
吉岡・成瀬(編)『近代国家形成の諸問題』(木鐸社、1979)以来の研究史的なパラダイムの、今日的な刷新であり、また最近の岡本(編)『宗主権の世界史』(名古屋大学出版会、2014)や池田・草野(編)『国制史は躍動する』(刀水書房、2015)の向こうを張る出版です。これでお終いではなく、これからも続く共同研究です。
11ページ・2段組の索引を( → で示した参照項目も)しっかり利用して、ご精読ください。7月中旬に、山川出版社から本体定価3800円にて刊行予定です。
EU, in or out?
イギリスが EUメンバーに留まるか、離脱するか。
歴史家として、これは自明の問いだったので、あまり本気で意見を言ってきませんでしたが、連合王国内で、ここまで離脱派の勢いが高まり、そして残留派の国会議員を殺傷する事件まで生じると、危機感をもちます。
日本のマスコミは、経済的効果、ブリュッセル・エリートへの反感、といったことに関心を集中させていますが(それだけ考えが浅い)、それらに加えて、人びとのアイデンティティをめぐる感情の問題も大きい。「政治国民」political nation とは歴史的に(19世紀半ばくらいまで)地域エリート以上のことでしたが、現代では一般有権者大衆です。
ところで第1に、そもそも referendum を「国民投票」と訳してよいのでしょうか。特定問題についての選択肢を明示した上での直接投票のことを中学社会で「レファレンダム」とならい、高校世界史や公民では「人民投票」plebiscite とならうのではないでしょうか? 2014年のスコットランド独立を問うレファレンダムは「住民投票」と訳して、今回は国民投票と訳して、マスコミ関係者は良心の呵責といわないまでも、小さな疑問くらいは感じないのですか?
第2に、人はソントクだけで判断し、動くわけではありません。いまの日本列島でいえば沖縄の人たちが感じている「憤り」とスコットランド人が覚えた感情は似ているでしょう。
今回のレファレンダムにあたって離脱派は、生活上の疑問・不満をあおって「憤怒」にまで高めようとしている。その明日は、内向きで分裂したイギリス(連合王国)です。ものつくりやサーヴィスよりも金もうけに執心する人びと。人類史・文明の来し方行く末を考えることより、直接的で感性的な小宇宙での充実がまさっているようです。
連合王国の新聞の論調ですが、その全国5大紙はちょうど日本の全国5大紙と類似しています。
The Times ~ 読売新聞 Leave(保守本流), NATO堅持
The Guardian* ~ 朝日新聞 Remain=「投票に行く、残留する」
The Financial Times ~ 日本経済新聞 Remain=世界資本主義の立場
The Independent ~ 毎日新聞 唯一不明(?), 中立主義
The Daily Telegraph ~ 産経新聞 Leave(右翼)
* その日曜紙は The Observer で international, liberal and open Britainを主唱。
この点は、たとえば1997年の「ゼノフォビアよ、さよなら」から一貫します。 cf.『文明の表象 英国』pp.218-9.
なぜか今のアメリカ合衆国の反知性主義キャンペーンに似てきたとすると、憂慮すべきことです。主権回復といった奇麗事、経済社会の問題を移民に絞りあげて人心を煽るのは、右翼の常套手段です。イギリスの有権者は不幸なコックス議員の殺害事件を機会に、落ち着いて知性を働かせるべきでしょう。もしブリュッセル官僚に問題があるなら、ヨーロッパ議会選挙にしっかり取り組むべきです。EUにおいても、立法が行政より上に立っているのだから。
というわけで、ぼくは民主主義、知性主義、ヨーロッパ文明、複合社会、そして反民族主義の立場から、EU堅持のうえでの改革派です。
Splendid Isolation とはパクス=ブリタニカの時代の自由主義外交の結果でしかない。イギリス人は「礫岩のようなヨーロッパ」のなかの一員であり、隣人と仲良くしないわけにゆきません。
イギリス(連合王国)がEUから抜けるなら、当然のように他の国々も続いて抜けようとするでしょうし、また連合王国からはスコットランド、ウェールズ、北アイルランドの独立運動が勢いづくでしょう。地域ナショナリズムの時代が賢明な時代とは、ぼくには思えません。The wise vote is for remain. とガーディアン紙も述べています。
歴史家として、これは自明の問いだったので、あまり本気で意見を言ってきませんでしたが、連合王国内で、ここまで離脱派の勢いが高まり、そして残留派の国会議員を殺傷する事件まで生じると、危機感をもちます。
日本のマスコミは、経済的効果、ブリュッセル・エリートへの反感、といったことに関心を集中させていますが(それだけ考えが浅い)、それらに加えて、人びとのアイデンティティをめぐる感情の問題も大きい。「政治国民」political nation とは歴史的に(19世紀半ばくらいまで)地域エリート以上のことでしたが、現代では一般有権者大衆です。
ところで第1に、そもそも referendum を「国民投票」と訳してよいのでしょうか。特定問題についての選択肢を明示した上での直接投票のことを中学社会で「レファレンダム」とならい、高校世界史や公民では「人民投票」plebiscite とならうのではないでしょうか? 2014年のスコットランド独立を問うレファレンダムは「住民投票」と訳して、今回は国民投票と訳して、マスコミ関係者は良心の呵責といわないまでも、小さな疑問くらいは感じないのですか?
第2に、人はソントクだけで判断し、動くわけではありません。いまの日本列島でいえば沖縄の人たちが感じている「憤り」とスコットランド人が覚えた感情は似ているでしょう。
今回のレファレンダムにあたって離脱派は、生活上の疑問・不満をあおって「憤怒」にまで高めようとしている。その明日は、内向きで分裂したイギリス(連合王国)です。ものつくりやサーヴィスよりも金もうけに執心する人びと。人類史・文明の来し方行く末を考えることより、直接的で感性的な小宇宙での充実がまさっているようです。
連合王国の新聞の論調ですが、その全国5大紙はちょうど日本の全国5大紙と類似しています。
The Times ~ 読売新聞 Leave(保守本流), NATO堅持
The Guardian* ~ 朝日新聞 Remain=「投票に行く、残留する」
The Financial Times ~ 日本経済新聞 Remain=世界資本主義の立場
The Independent ~ 毎日新聞 唯一不明(?), 中立主義
The Daily Telegraph ~ 産経新聞 Leave(右翼)
* その日曜紙は The Observer で international, liberal and open Britainを主唱。
この点は、たとえば1997年の「ゼノフォビアよ、さよなら」から一貫します。 cf.『文明の表象 英国』pp.218-9.
なぜか今のアメリカ合衆国の反知性主義キャンペーンに似てきたとすると、憂慮すべきことです。主権回復といった奇麗事、経済社会の問題を移民に絞りあげて人心を煽るのは、右翼の常套手段です。イギリスの有権者は不幸なコックス議員の殺害事件を機会に、落ち着いて知性を働かせるべきでしょう。もしブリュッセル官僚に問題があるなら、ヨーロッパ議会選挙にしっかり取り組むべきです。EUにおいても、立法が行政より上に立っているのだから。
というわけで、ぼくは民主主義、知性主義、ヨーロッパ文明、複合社会、そして反民族主義の立場から、EU堅持のうえでの改革派です。
Splendid Isolation とはパクス=ブリタニカの時代の自由主義外交の結果でしかない。イギリス人は「礫岩のようなヨーロッパ」のなかの一員であり、隣人と仲良くしないわけにゆきません。
イギリス(連合王国)がEUから抜けるなら、当然のように他の国々も続いて抜けようとするでしょうし、また連合王国からはスコットランド、ウェールズ、北アイルランドの独立運動が勢いづくでしょう。地域ナショナリズムの時代が賢明な時代とは、ぼくには思えません。The wise vote is for remain. とガーディアン紙も述べています。
2016年5月17日火曜日
日産ゴーンと 礫岩のような複合企業
今朝の『日本経済新聞』電子版によると、
「日産、1000万台クラブへ。仏ルノーやロシアのアフトワズなどとアライアンス(提携)を駆使し、競争力を高めてきたゴーン氏。三菱自動車を事実上、傘下に組み入れ、提携戦略は新たな局面に入る。ゴーン流 連 邦 経 営 に死角はないのか。」
→ http://mx4.nikkei.com/?4_--_48696_--_962477_--_2
合同や吸収合併でなく、アライアンスとか連邦経営といった語がふだんから国際企業の経営について使われているのか。知りませんでしたが、しかし、今回の三菱自動車の不正事件から急転直下、ゴーン日産の積極的な出資と提携によって、コングロマリット (conglomerate: 国際複合企業)であることをさらに推進するという戦略は、さらに鮮明になりました。
6月に刊行される編著『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)はあくまでヨーロッパ近世史の共著です。
〈近世ヨーロッパの「国のかたち」が歴史学を動かす〉
というキャッチの論文集で、公共善と秩序を、絶対主義と帝国を問題にしますが、その序章「礫岩のような近世ヨーロッパの秩序問題」p.16では、Oxford University Museum におけるポルトガル出自の礫岩標本 =カラー写真をカバーに用います= を掲げたうえで、こう書きました。
図1の標本は「‥‥1580年前後のイベリア半島の礫岩状態を考える場合にも、あるいはポルトガルから独立したブラジルに生まれ、レバノンで育ったフランス人、カルロス・ゴーンが社長を務める国際複合企業「ルノー=日産」を見る場合にも示唆的」だと。
J. H. エリオットにならって、ぼくだけでなく本書の共著者はみんな、法的に対等な合同(連邦)と従属的な合同(併合)という2つの型、を区別して討論しています。もし連邦経営という語が、今日の経営学でふつうに用いられる語なのだとしたら、それにも言及すべきだったかな。
上の引用文を書いた12月には、三菱自動車がこんなことになって、それに乗じて日産がアグレッシヴに Unus non sufficit orbis という世界戦略を鮮明にするとは予想もしていなかったのですが。かくして礫岩、コングロマリット、国際複合企業は現代的なキーワードでもあります。山川出版社さん、初版部数について、定価について、(ゴーンに倣えとまでは申しませんが)いま少し積極的に出ても良いんじゃないでしょうか?
「日産、1000万台クラブへ。仏ルノーやロシアのアフトワズなどとアライアンス(提携)を駆使し、競争力を高めてきたゴーン氏。三菱自動車を事実上、傘下に組み入れ、提携戦略は新たな局面に入る。ゴーン流 連 邦 経 営 に死角はないのか。」
→ http://mx4.nikkei.com/?4_--_48696_--_962477_--_2
合同や吸収合併でなく、アライアンスとか連邦経営といった語がふだんから国際企業の経営について使われているのか。知りませんでしたが、しかし、今回の三菱自動車の不正事件から急転直下、ゴーン日産の積極的な出資と提携によって、コングロマリット (conglomerate: 国際複合企業)であることをさらに推進するという戦略は、さらに鮮明になりました。
6月に刊行される編著『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)はあくまでヨーロッパ近世史の共著です。
〈近世ヨーロッパの「国のかたち」が歴史学を動かす〉
というキャッチの論文集で、公共善と秩序を、絶対主義と帝国を問題にしますが、その序章「礫岩のような近世ヨーロッパの秩序問題」p.16では、Oxford University Museum におけるポルトガル出自の礫岩標本 =カラー写真をカバーに用います= を掲げたうえで、こう書きました。
図1の標本は「‥‥1580年前後のイベリア半島の礫岩状態を考える場合にも、あるいはポルトガルから独立したブラジルに生まれ、レバノンで育ったフランス人、カルロス・ゴーンが社長を務める国際複合企業「ルノー=日産」を見る場合にも示唆的」だと。
J. H. エリオットにならって、ぼくだけでなく本書の共著者はみんな、法的に対等な合同(連邦)と従属的な合同(併合)という2つの型、を区別して討論しています。もし連邦経営という語が、今日の経営学でふつうに用いられる語なのだとしたら、それにも言及すべきだったかな。
上の引用文を書いた12月には、三菱自動車がこんなことになって、それに乗じて日産がアグレッシヴに Unus non sufficit orbis という世界戦略を鮮明にするとは予想もしていなかったのですが。かくして礫岩、コングロマリット、国際複合企業は現代的なキーワードでもあります。山川出版社さん、初版部数について、定価について、(ゴーンに倣えとまでは申しませんが)いま少し積極的に出ても良いんじゃないでしょうか?
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