2010年6月30日水曜日

松浦高嶺先生


 松浦高嶺先生が6月13日に亡くなりました。
 静かにしていたいというご遺族の要望があったようです。多くの方々に敬愛された先生を、ぼくも静かに想起したいと思います。(C)立教大学西洋史研究室

 ぼく自身の場合、大学院で修士論文を完成したあとの夏に、旧『イギリス史研究入門』(山川出版社、1973)が刊行されて、これの「18世紀」、すなわち松浦先生の執筆章を熱心に読んだこと;またある友人宅を訪れるときに持参したのですが、9月末の雨の日、慣れない千代田線で濡れたホームに落として、その汚れが今でも残っていること、など、刻みこまれた記憶があります。
 個人的に、原稿依頼という経験は、松浦先生から『イギリス史研究』(第22号、1975)に自由に書いてくださいという電話をいただいたのが初めて。大学の非常勤講師も、助手のとき松浦さんから、1976年度の立教大学文学部の演習を依頼されたときが初めて。
 よく語られる『近代イギリス史の再検討』(1972)については、元の史学会大会じたいは面白かったけれど、出版じたいはとくに印象的というわけではなかった。むしろ出版としてのインパクトは『近代史における政治と思想』(山川出版社、1977)のご論文「「名誉革命体制」とフランス革命」のほうがよほど強烈でしたよ。
 Civil society の訳語として「民間公共社会」を採用されたのも鮮明で、ぼくもこれを継承しています。ほかのエピソードについては、こちらをご覧ください。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~kondo/MatsuuraT.htm

 お父様、松浦嘉一(旧制東京高校教授・東大教養学部教授)については、『英国を視る』(講談社学術文庫)のあとがきに書かれたことに加えて、いくつか個人的なエピソードを伺ったことがあります。いずれ話せるときが来るかもしれません。

2010年6月26日土曜日

ごあいさつ


 ただいま一時帰国しています。
 私事および出版関係のこと、および放送大学のこと、近未来の計画、等々にも対処するためです。
 そうしたなかで、本日26日(土)は金澤周作さんの『チャリティとイギリス近代』の書評会。楽しみにしていました。
 3時に本郷の219教室にて。伊東剛史さんのコメント。皆さまもお誘いあわせてどうぞ。

2010年6月16日水曜日

Blackbird singing in the dead of night . . . .

 悠長にマンチェスタのことを書き続けようとしていたら、東京のさる事務方からお叱りのメール。15日午後(JST)までに提出すべき書式があったろう‥‥と。
そのとおり、でもファイルがHDに入ってるから大丈夫、とタカをくくっていたのが間違いのもと。

 想定していたぴったりのdocファイルはHD内になく、関連PDFのほうはいざ開けようとしたらしっかりパスワードがかかっているではないか。しかもそのパスワードはぼくが設定したものではないので、想像力ではこじ開けられない! もう東京は宵の口で当局に尋ねることはできない‥‥。
 火事場の念力で二つの対応策を考えつき(じつは直ちに思いついたのではないので、時差がある)、それぞれ頼りがいのある筋に緊急メールで依頼。答えが返ってくるまでには時間が必要なので、可能な部分について学寮の頼りがいのないプリンタで印刷。これがしかし、テキストも一太郎も印刷してくれないもので、まずはワードかPDFに変えてからUSBメディアをもってPC室に行く。3台のプリンタ(hp)もそれぞれ個性があって、美麗にはゆかない。読んで添削できればよし、と割り切って使うしかなし。
 途中を省略して、どこかの学寮の May Ball の喧噪と花火をやり過ごし、ひたすら作業を進行しているうちに聞こえてきたのが クロウタドリの美声。
http://www.youtube.com/watch?v=CM--r-BTmEo ← こちらは未明の2羽の歌の応酬
http://www.youtube.com/watch?v=997RTKzc39c&feature=fvw  ← こちらは昼間の歌う姿
(雀みたいなチュンチュンも聞こえますが、遠近で競って歌うやりとりを聞いてください。どちらもぼくのではなく public domain の作品です。)

 時計をみると3.38.(日本時間11:38、まだ午前中だ!) 英国はまだ夜明けどころか‥‥とはいえ、窓外の空をみると白み始めているのでした。
 Cambridge Pocket Diary 2009-2010 には毎週(日)の日の出・日没時刻が記してありますが、6月13日は Sun rises 4.38, sets 9.21 とある。つまり日の出ちょうど60分前に鳴き始めたわけです。しかも昼間の歌声よりずっと精力的で、テンポが速く、テクニックのかぎりを尽くしてるかのよう。起き抜けにテリトリをしっかり確定しておかねばならないのでしょう。
 ビートルズの Blackbird singing in the dead of night . . . . は「詩的許容」というか、ありえないことを歌っておもしろがってる歌、などと勝手に思っていましたが、ほんとに眠れない夜の未明に啼き始めて、あぁもう夜明けも近い、と思わせるのですね。
 というわけで、日本時間の正午前に、濃密な内容の4ページのPDFを作成して送付することができました。関係者の方々、そして Clare Hall のクロウタドリくん、ありがとうございます。
【ところで、日本では時刻を12:00と表記し、イギリスでは12.00と表記する慣行です。どこから違ってきたんでしょう?】

 未明・早朝から美麗になき、夕方は名ごり惜しげに andante cantabile で啼きくらす毎日。昼間はどうしてるのかというと、写真のように木もれ日の芝のなかで餌をあさり、あるいは葉桜のなかでサクランボを食ったり、ひたすら栄養補給しているのでした。あの小さな身体で、すばらしいテノールの声量で歌いつづけるには、当然、たいへんなカロリーが必要なのでしょう。
 Blackbird はヨーロッパ全域からインド・オーストラリアに生息し、極東にはいないとのこと。残念です。この小鳥がいると、人は穏やかになります。

2010年6月14日月曜日

John Rylands University Library of Manchester



1980年代にここで仕事をしていたころは独立の民間法人(charity)でしたが、今では上のような名前のマンチェスタ大学総合図書館の稀覯本(& 文書)部。
 John Rylands の生涯については「ジョン・ラィランヅと〈プロテスタントの倫理と資本主義の精神〉」『思想』714号(1983)に書きました。彼の莫大な遺産は「ジェントルマン資本主義論」への反証となる、19世紀マンチェスタ実業資本の力強さを語るものです。未亡人の意志で聖書研究の殿堂が構想され、歴史的な繁華街 Deansgate に Victorian Gothic の大聖堂のような図書館=文書館ができました。開館はちょうど1900年とのことですが、読書デスクに各々電灯というのは、当時最新鋭の設備とのこと。30年ちかく前に来たときは80年余り前の(漱石と同時代の)水洗トイレ、というので感激したものです。そのころと入口は変わって、正面から入れなくなりました。

 John Rylands 本人は質実剛健で、この建築が彼の趣味にあったかどうかは分かりません。すでに設計段階から、彼は故人でした。本人についても未亡人についても、ODNB の執筆者は Farnie さんです。
 なお、マンチェスタの重要で個性的な3つの図書館については、武居良明『産業革命と小経営の終焉』(未来社、1971)に記事がありました。武居先生はまだお元気なのでしょうか?

2010年6月13日日曜日

Manchester: John Rylands Library



 マンチェスタに行って参りました。
 改装なったジョン・ライランヅ図書館(Deansgate)にて「長い18世紀史」セミナー。
Robert Poole, Bill Speck, そして Frank O'Gorman 先生はもとより、Dan Szechi, Tony Claydon もいました。エディンバラから Emma という女性が来て、Harry Dickinson 先生に習った、というのは良いとしても、Hisashi をよく知ってると!! おや。*
Peter Nockles は高教会史の専門家ですが、ふたりとも忘れていて、話しているうちに1995年に大学美術館でランチをともにしながら話をしたことを思い出した。The Church & politics in disaffected Manchester (HR, 2007) も送ってないのでした。済みません。
 ライランヅ図書館の外で写真を、ということになりました。若いのは早々と帰っちゃったし、カメラを構えているのは Tony Claydon. したがって残念ながら彼は写っていません。


 このあとパブへ。そして Mediterranean をうたう食所へ。談論風発、食い過ぎ、飲み過ぎでした。
【* よき友人 Craig Horner が欠席。PhD を取り、妻子もあり、
The Diary of Edmund Harrold, Wigmaker of Manchester 1712-15 (2008)
が長年かけて良い本になったというのに、常勤の職はないのです。翌土曜に彼のパート勤務する People's History Museum に訪ねてゆきましたが、この日は勤務日ではなく残念。現代史の社会史ミュージアムと受けとめました。】

2010年6月7日月曜日

John & Bron



 5日(土)には John & Bron のお宅にお呼ばれ。
 恥ずかしながら今ごろになって Understanding popular violence in the English Revolution (CUP, 1999) を読んで、これはすばらしい本だ、と認識しています。EPT を意識しつつ、越えている。人類学やフランス史を意識しているのもよい。史料論≒研究史をきちんと議論したうえで、いわゆるモラル・エコノミ(生存権=救済権的な立場による歴史的規範の回復)から、right to police (主権者としての意志)への革命的な転換をしっかり議論。Moral economy というタームは、この352ページの本で一箇所のみ使用。ぼくが不満をもっていたidentity politics, 受益者の世界観にとどまることなく、全体への意志をもつ運動へ。
 これがしかし、「イギリス革命」のあと、どのように継承されるのか(18世紀にはモラル・エコノミに先祖返りするのか?)、ロックや 18th-century Commonwealthmen へとイデオロギー的に継承されてアメリカ革命・フランス革命まで冬眠状態なのか。こうした問題は残ります。【Caroline Robbins の議論として、松浦高嶺さんが1973年にすでに萌芽的にしたためていた点に帰ります。あるいは John Brewer, Harry Dickinson の仕事がこれに答えようとしている、と捉えなおせばいいかな。自己慢心に陥らないためにこそ、historiography は大切です。今みてみたら、ODNB は簡明にロビンズ女史の仕事を評価していますね。】

 John & Bron のお二人は、この7月に結婚40年を祝うとのこと。こちとらは1972年の結婚ですから、彼らに2年負けています!
 庭に咲きほこる Tudor roses をその場で花束にして、いいからもって行けと、お土産にしてくださいました。

2010年6月5日土曜日

『伝統都市』


 
 日本のことですが ↓
 企画・編集会議からいったい何年たったのでしょう(この間に首相に就いたのは何人?)。
 編集研究会は楽しく有意義でしたし、まじめに執筆しましたが、それにしても公刊に漕ぎつけるまで年月がかかりすぎました。吉田さん・伊藤さんの「伝統都市」なる概念?の有効性についての疑問は、第4巻「聖俗の結合」(副題は圧殺!)の2ページ目におとなしく述べておきました。一言でいえば、あらゆる都市は伝統をもつし、もし「非伝統都市」という概念が存在しないなら、ただ「都市」と呼んで定義したほうが知的に廉直で、好ましい。

 そういった問題はあるにしても、都市史の諸局面の万華鏡みたいな4巻本が公にされること自体は慶賀すべきことです。皆さん、目次も含めて、東京大学出版会のサイト、あるいは「都市史研究会ニューズレター」64号をご覧ください。

醜いあひるの子たち



 「可愛い、かわい」と啼くカラスは、なぜか「7つの子がある」ことになっていますが、
こちらの醜いあひるちゃんも7つ子です。

「お母さんがもぐって見せるから、ほらよく見てまねするんだよ」と、髪ふり乱し、せっかくの美しく長い首を突っこんでるお母さんですが、子どもたちはあんまり真剣じゃなさそう。このショットではなんとか雛7羽が画面に収まっていますが、すぐ右側にいるお父さんと一緒のショットでは、どうしても子どもがバラバラです。
 親心、子知らず。
 そもそも両親のように真っ白じゃなくてグレイだから醜いだなんて、人間が言ってるだけで、本人たちは自分が可愛いことになんの疑いももってないのでしょう。ほぼ上方から見下ろしている人間数名にも、まったく警戒していません。
 写真に光が不足している(したがって色鮮やかでない)のは夕刻だからです。光線のよい状態の時には、出歩いてるわけではないので‥‥

2010年6月3日木曜日

MoMW (The Making of the Modern World)



 東大の図書館から ↓ のような朗報あり。
【小言コーベイみたいなことを言うと、定冠詞 the を2箇所に付けるのが正しい表記です】
 写真の copyright は Gale-Cengage.
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平成22年度大型コレクションとして選定された
「The Making of Modern World (MOMW) データベース」
(ゴールドスミス・クレス文庫所蔵社会科学系学術図書データベース)
について、正式サービスを開始しましたので、お知らせします。
学習・研究にご活用いただきますよう、よろしくお願いいたします。

◆The Making of Modern World (MOMW) とは
・15世紀半ばから1850年までの経済史・経営史・社会思想史を
 中心とする社会科学関係の書籍61,000点、および同年代に創刊された
 定期刊行物466点を収録し、フルテキスト検索が可能なデータベースです。
・収録資料はロンドン大学ゴールドスミス文庫(Goldsmiths' Library of  
 Economic Literature, University of London)とハーバード大学
 経営大学院クレス文庫(Kress Library of Business and Economics,
 Harvard Business School)の蔵書を原本としており、総ページ数は
 1200万ページにおよびます。

◆アクセスの手順
・http://infotrac.galegroup.com/itweb/unitokyo?db=MOME
 からアクセスしてください。
・学外利用のための「SSL-VPNサービス」については、
 動作確認中で、現在対応できていません。
・同時アクセス制限はありません。

◆お問い合せ先
 総合図書館資料契約係
 zasshi@lib.u-tokyo.ac.jp (@は半角に置き換えてください)
------------------------------------------------------------ (unquote)


 いささか遅まきですが、それにしても、とにかく all's well that ends well.

 MoMW は(最広義の古典経済学 & moral philosophy の成立にかかわる刊行物なら)英語文献に限らないので、キーワード検索するとラテン語はもちろん、フランス語、イタリア語、スペイン語、とヨーロッパ言語世界の同時代的交渉の証をみるようで、そうした点からもすばらしい電子アーカイヴだと思います。内田義彦さんがこれをみたら、感激して落涙したにちがいない。
 NII の共同購入コンソーシアムに東大も加わるという方式のようですが、(他大学からも参加しやすい)一番よい方法でしょう。この件につき、じつは5月に一時、ダメになった、というメールをもらって、驚いたりしました。

 前にも書きましたとおり、ケインブリッジの大学図書館(CUL)は普通は全開架で、また稀覯本・手稿も、電子アーカイヴも含めてすばらしい研究図書館ですが、なんと MoMW のみ持っていません! 社会経済文化史の若手 Craig が嘆いていました。
 EEBO と ECCO があれば足りる、ということではないんです。それぞれ時代の全刊行物の15%程度をカバーしているに過ぎないんですから。結局、「このコレクションを点検すればそれで十分」といったものはまだ存在しません。ケインブリッジ、オクスフォード、BL、マンチェスタと稀覯本を探して歩く旅は終わりません。

2010年6月2日水曜日

兎、うさぎ、何みてはねる

 5月末~6月初めというのに、寒い日がつづきます。5月22~24日あたりに初夏らしい日射しで、こちらが長袖でいるのが恥ずかしくなるような気分でいましたから、その後、ふたたび cloudy with showers, and breezy で16度~18度、といった日がつづくとこたえます。
 そもそもこちらの見通しが甘く、毛のセーターを持ってこなかった。コートも薄いパーカーで、とにかく夏向きの衣装を重ね着することによって凌ぐ、という方針。それがあまりつづくと、頭が痛くなったり、お腹にこたえたり。これではあんまりなので、ついに5月31日に M&S にて春物?のセーターを買いました。品揃いが悪くて、とくに気に入るほどではなかったけれど、濃紺で19.50ポンド。【これだって、ヨーカ堂だったらもうすこし別のデザインがあって、季節はずれだから20~30%引き、もしや半値でさらにキャッシュバックが加わるかもしれない‥‥】
 とはいえ、さすが雨の日も、たいてい夕刻は雨が上がって(dry!)、明るい西空に向かって行くと‥‥

Clare Hall から西は、30年前は畑しかなかったような気がしますが、今では住宅と畑をぬって数理科学部(駒場の数理科学研究科をもっと格好よくして Newton Institute とか名づけてる)。さらに西に行くと Cavendish Laboratory のナノ研究所とか「物作り学部」! とか、まるで発展途上の大学のよう。
 左右の畑や野原で、また研究所の敷地内で、なにやらアチコチに動くもの。リスではなし、ネズミでもなし。どうみても兎です。囲いのなかで養殖? でも、飛び越えたり、あるいはネットの下にトンネルを掘って逃げることは十分できる。

 この疑問は先日のモリル先生に尋ねて、しっかり答えをいただきました。
「彼らは wild rabbits で夕刻になると一杯出てくる。私たちが子どものころ兎媒介の病気が流行り、薬殺したことがある。農村地帯のどこでも兎の屍が重なって、見るに堪えなかった。その後、ふたたび野生の兎が増えて、ケインブリッジの西でも東でもいたるところにいる。今でも私たちの世代は、昔の屍のことが忘れられなくて、兎は食べたくない。」
 というわけで、繁殖力の象徴のような wild rabbits ですが、取る人もあまりなく、囲い地でも解放地でも一杯いるわけでした(30年前には気づかなかった)。

 で、写真を撮ろうにも、どこかでしっかり三脚を構えて30分も待機すればよいものが撮れるのでしょうが、そこまで暇ではない。目の前に何十羽もいても、動きが敏速でそれぞれ別方向に動くし、「二兎を追うもの、一兎をもえず」。
 結局、高画質である程度の広がりの絵を撮って、あとでトリミングをしつつ、結果的に望遠でズームしたような効果をねらうことになります。この絵のなかに草に紛れるように10羽の兎が見えるはずです。光も焦点も不足して、ぼんやりしますが、そこはご容赦。【写真をクリックすると拡大します】

 正しい日本語では兎は「匹」ではなく「羽」で数えるんですよね。こういう約束事が多すぎる言語ではないか。外国人だったら、そう思うでしょう。

2010年6月1日火曜日

Did you know?



 イギリスの司法の末端は、ヴェーバのいう名望家支配の典型=治安判事がしきる四季法廷でになわれ、重罪事犯になると、中央から巡回してくる高裁判事のもとで行われる Assizes が一種、州共同体の祭事のように機能した、と自分でも書いていました(『民のモラル』;『伝統都市』第4巻)。高裁はあっても最高裁はない、or 貴族院の law lords が決裁する、という理解です。
 貴族院は立法府でありながら司法の最高機関でもあり、(アメリカの議会と違って)国家元首が出席するか、欠席の場合も玉杖が Crown in parliament を代表具現する。

 日本やアメリカの、三権分立を厳しく設定した憲法になじんでいると、イギリスの司法と立法の「癒着」は際だちます。法曹のなかでも barrister は弁護士だったり判事だったり、そもそもみんな Inns of court のメンバー。いったいこれでよいのか! と感じていました。
 わが友人の妻は去年まで barrister だったのですが、今年から判事殿です。日本では弁護士と裁判官の人事交流は稀ではないでしょうか。それに日本の判事(判事補)さんは、3年ごとに任地を転勤して(地域インタレストに左右されない裁判をおこなうためだそうです)、たいへんな生活を送っておられますが、イギリスではローカルな勤務が認められ、自宅家族の居住地からあまり遠くない裁判所に通勤する例が多いようです。

 そうした現状に「革新」の大ナタがふられることになったのは、EU人権裁判所からの意向でした。2005年の国制改革法により、2009年10月に貴族院から The Supreme Court of the UK が独立して、12人の判事が構成する司法の最高機関=最高裁が確立したのです。
 ようやく形式的にも三権分立となったわけです。しかも最高裁の場所はウェストミンスタ、議会と修道院の対面、かつての Middlesex Guildhall、すなわち財務省のはす向かい。司法・立法・行政、そして教会が Parliament Square を囲むことになりました。
 ご存じでした? ぼくはほんの数日前に知りました。(あいかわらずスコットランドは刑事裁判の最上級審だけは自国内に堅持するようですね!)