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2024年2月2日金曜日

みすず『読書アンケート2023』

みすず書房から【WEBみすず】を定期的にいただいていますが、
https://magazine.msz.co.jp/backnumber/
【お知らせ】月刊雑誌『みすず』新年の号に恒例の特集として掲載してまいりました「読書アンケート」は、本年から書籍『読書アンケート2023』として2月16日に刊行予定です。全国の書店を通してご注文になれます。
ということです。例年のことになりましたが、ぼくも執筆しています。
1.M・ウェーバー『支配について』 I、II 野口雅弘訳(岩波文庫、2023-24)
2.嘉戸一将『法の近代 権力と暴力をわかつもの』(岩波新書、2023)
3. E. Posada-Carbo, J. Innes & M. Philp, Re-imagining Democracy in Latin America and the Caribbean, 1780-1870 (Oxford U P, 2023)
4.R・ダーントン『検閲官のお仕事』 上村敏郎ほか訳(みすず書房、2023)
5.大澤真幸『私の先生』(青土社、2023)
についてしたためました。
じつは原稿を送ってから、「そうだ、この本も逃してはいけない重要なお仕事だったのに」と気付きました。その本については、また別途、きちんと論じなくては。

2023年2月4日土曜日

『みすず』誌

 寒いといってもすでに立春。近隣の散歩道のユキヤナギは無数の小さなつぼみを付け、いくつか目立ちたがり屋の雪白の小花も咲いています。
 2日ほど前に『みすず』no.722 (1・2月合併号) が到着。恒例の「読書アンケート特集」です。これは百数十名の執筆者の読書嗜好とともにその個性、そして現況がうかがえる企画で、毎年楽しみにしています。今世紀に入ってからは書き手に加えていただいたので、年末年始の慌ただしい折とはいえ、何をどう書くか、何日か悩むのも楽しい。
 今号の場合は pp.98-99 に
・R. J. エヴァンズ『歴史学の擁護』〈ちくま学芸文庫, 2022〉
・David Caute, Isaac and Isaiah: The Covert Punishment of a Cold War Heretic (Yale U.P., 2013)
・G. ルフェーヴル『1789年 - フランス革命序論』(岩波文庫, 1998)
Oxford Dictionary of National Biography (Online, 2004- )
・S. トッド『蛇と梯子 - イギリスの社会的流動性神話』 (みすず書房, 2022)
の5つをめぐって、ちょっとしたためました。すべて E. H. カーおよび『歴史とは何か 新版』、そして『図書』の連載(『歴史とは何か』の人びと)に、なんらかの側面で関係することばかりです。

 同じ『みすず』では、川口喬一さんという英文学者が、『歴史とは何か』拙訳および T.イーグルトンにおける(笑)をめぐって鋭く指摘しておられます。『新版』の訳文および挿入の[笑]について、ここまで的確に受けとめ、評してくださった方は、他になかったような気がします。
「‥‥訳者がおそらく多く意を注いだのは、オックスブリッジでの講演者独特のポッシュ・アクセント(あえて言えば息づかい)の翻訳であったろうと思われる。‥‥当然のことながら(笑)のタイミングは難しい。笑いはしばしば講演者と聴衆との共犯関係、前提の共有によって成立するからだ。カーの立論もまた聴衆との知の共犯関係を前提にして展開されている。共感と逸脱のスリル。」pp.8-9.
 そして段をかえて、イーグルトンの講演をめぐって続きます。「‥‥アメリカではしばしば観客を爆笑(笑)させているのに、エディンバラでは、間を置いて待ってもイーグルトンの期待した(笑)が起こらず、講演者が「つまんねぇ客だ」と呟く場面も見える。‥‥この場合、文化の場における共犯関係がすれ違っているのだ。」p.9. 以上の引用文では( )もママ。
 川口さんは、1932年生まれとのこと。だとすると二宮、遅塚と同い年で、今、(誕生日前なら)90歳ということでしょうか? 上に引用したより前の段では、鹿島さんの『神田神保町書肆街考』をめぐって、川口さんが北海道から東京に進学してより、池袋・茗荷谷・本郷・神保町をむすぶ都電を愛用して通ったという神保町書肆街のこと、そして戦後の洋書事情が語られています。p.8. この都電は、ぼくが大学に入学したときにはまだありましたが、本郷に進学した68年には無くなっていました。
 ところで、この知的で愉快な月刊誌『みすず』が8月で休刊とのこと!? 驚きです。残念です。ただし、この「読書アンケート号は、なんらかの形で継続する予定です」とのこと。p.109. 恒例の楽しみです。どんな形でも継続してほしい!

2022年1月30日日曜日

寒中お見舞い申しあげます

 年が改まって、なかなかご挨拶が遅れました。

 ぼくや家族が健康を害しているとかいうわけではありません。たしかに年相応の故障はありますが、そして Covid-19 (という名称にそのしつこさが表れています!) のニュースが毎日の憂鬱要因ですが、なんとかやっています。ただ12月31日の記事にもしたためましたとおり『歴史とは何か 新版』の最終局面にあり、- 普段のぼくには珍しく - 選択と集中の体勢でいます。そのぶん失礼の段、みなさまには申し訳ありません。

 そうこうしているうちに、本日『みすず』no.711 (1・2月合併号) が到来。恒例の「読書アンケート」です。これは百数十名による読書案内というだけでなく、執筆者の個性と現況がうかがえる企画で、毎年楽しみにしています、書き手としても読み手としても。むかしは丸山眞男や、二宮宏之の書いたものをフムフムと読んでいたのですが、最近は毎年、キャロル・グラック、徐京植、ノーマ・フィールドといったみなさんが力作を寄稿なさいます。執筆者の年齢も若返って、年長の方々よりは団塊の世代が多く、さらにずっと若い人々も増えました。

 というわけで、今号は 
・八木紀一郎『20世紀知的急進主義の軌跡 - 初期フランクフルト学派の社会科学者たち』(みすず書房, 2021)


・岸本美緒『明清史論集』計4巻(研文出版, 2012-21)
・立石博高『スペイン史10講』(岩波新書, 2021)
・バーリン『反啓蒙思想 他二篇』(岩波文庫, 2021)
そして
・Jonathan Haslam, Vices of Integrity: E. H. Carr 1892-1982 (Verso, 1999) に登場していただきました。
バーリンとハスラムはE・H・カーがらみです。バーリンの論文選は、これからも岩波文庫で続刊とのこと。ハスラムの伝記については邦訳があることは存じていますが、『誠実という悪徳』とかいう訳タイトルはありえない。むしろ「学者としての本分(integrity)ゆえの数々の欠点(vices)」といった意味でしょう。of は由来・理由です。

2020年12月2日水曜日

『感情史の始まり』

Jan Plamper著・森田直子監訳『感情史の始まり』(みすず書房)を手にしています。いつもながらみすず書房の美しい造本。

メルケル・プーチン・大きな犬の関係性をしめす写真(p.48)、アメリカ心理学の教科書みたいな表情のならぶ写真(pp.213, 217)、‥‥「キス測定器」!? など文脈のわからないまま一しきり見渡したあと、訳者あとがき、用語解説を見てから、最初に戻り、卒読を始めました。

当初の期待はあまり大きくなかったこの本、読み進むにつれ、知的なおもしろさと ambitionの力強さに引き込まれました。博士論文がスターリン崇拝だったという Plamper(初めて聞く名です)が、序論ではアリストテレス以来の哲学を(再)吟味する必要を説き、第1章をリュシアン・フェーヴル(アナール学派)で始める意気込み、‥‥pp.400-2 の引用文のしばらく後には「歴史家はなぜ、文書館作業における自身の感情について、一種のフィールドワーク日誌をつけないのであろうか」と尋問して、読者に迫ります。

あとがきによると、本書は歴史学の史学史(来し方行く末)、19世紀以来の諸学問の歴史(これから)「としても読める」とのことですが、むしろ積極的に、それこそが著者の狙いだったのではないか、とさえ思えます。ドイツ生まれ、大学・大学院は合衆国、その後またドイツで、今はロンドン大学教授。 圧倒的な本です。ブツとしても432+144ぺージ+前付き、後付き。すなわち600ぺージの存在感、退屈しません。

→ 著者・共訳者たちの紹介はこちらに:https://www.msz.co.jp/book/detail/08953/

関連して思うのは、 a)アメリカの学界(東海岸、西海岸)の先行性と土壌の豊かさ。引用されている中世史の Rosenweinも、フランス革命の Huntも、アメリカ人で外国史をやって世界のその分野を領導するような存在になりました。ここに出てこない N. Z. Davisも! 逆にヨーロッパ人でヨーロッパ史をやっている研究者も、おもしろい研究をする人は必ずのように何年か何十年かアメリカで過ごす(Kocka, Frevert, Elliott, Koenigsberger, Brewer . . .)。日本生まれの研究者でもノーベル賞をとっている人の過半はアメリカ在外生活。ちょっとこれにはかなわない!という気になります。

とはいえ、b) pp. 314, 325あたりでも指摘されるように、アメリカ中西部・キリスト教原理主義のルサンチマン、反啓蒙性 -つまりトランプ以前のトランプ現象- は厳として存在しています。この本の初版は2012年、英訳は2015年とのことですから「東西両海岸の左派リベラルにとっての「通過飛行地帯」」(p.314)の深刻な問題性は、まだ示唆にとどまったのでしょうが、いまや恥ずかしげもなく世界に報道されています。7000万票も集める大問題です。

2020年2月3日月曜日

『みすず』 読書アンケート


 例年どおり、2月の始めに『みすず』の1・2月合併号(no.689)が到来。みすず書房から計134名の方々にたいして依頼した「2019年読書アンケート」の特集、読み始めると止まらなくなるのが欠点です!
 新刊本に限らず、また日本語の本に限らず、しかも長さは約*字とかいったゆるい制限で、読書によせて考えたことを自由に書いてよいことになっています。書き手として年末年始のちょうどよい節目でもあり、読み手としても、あぁ、あの人はまだ元気だとか、そうかこんな本があったのかとか。とても有意義なフォーラムだと思います。あきらかに1年前の『みすず』当該号を意識した発言もあったりして。
 原稿の到着した順に(あいうえおも、世代も専門もなく)そのまま組んでいる - でなければ暮から正月三が日の編集者が過労死してしまう!- のですが、加藤尚武さんに始まり、杉山光信さんが最後を締める構成のうち、ぼくはビリから11番目。
 ぼくの場合、論及したのは、
・歴史学研究会編『天皇はいかに受け継がれたか - 天皇の身体と皇位継承』績文堂、2019 
・尾高朝雄『国民主権と天皇制』講談社学術文庫、2019(初版は1947年)
・清水靖久『丸山真男と戦後民主主義』北海道大学出版会、2019
  → この本についてはすでに https://kondohistorian.blogspot.com/2020/01/blog-post_8.html でも述べました。
・山﨑耕一『フランス革命 - 共和国の誕生』刀水書房、2018
・Takashi Okamoto (ed.), A World History of Suzerainty: A Modern History of East and West Asia and Translated Concepts. Toyo Bunko, 2019

 それぞれ各々読まれるべき良書だと思いますが、一応、ぼくの側のストーリとしては、君主制ないし主権ないし国のかたちという問題; 
人としては丸山真男(を相対化する尾高朝雄、清水靖久、柴田三千雄、岡本隆司‥‥)で筋を通してみたつもりです。
 わずかながら、上村忠男、山口二郎、草光俊雄、苅部直、川本隆史、増田聡、喜安朗、市村弘正、キャロル・グラック、そして杉山光信といった方々の文章に(全面的にではないが一部分、強く)響くものを感じ、教えられる所がありました。
 なぜか説明なしのカタカナで暗号のように刻まれた言葉もありました。グラックさんの場合、記憶の palimpsest(前の字句を書き直した羊皮紙≒目の当たりにされた多重構造)のことですし(p.105);杉山さんの場合は jusqu'au-boutiste すなわち68年末・69年初の徹底抗戦派のことですね(p.110)。ぼくは、こんなことをしたためたことがあります。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2019/09/blog-post_22.html
 なおまた patria/patriotism の問題が少なからぬ方々の心をとらえていることも知れました。将基面貴巳『愛国の構造』(岩波書店)に触れる方々が少なくありません。ジャコバン主義、共和政治、共同体運動を考えるときに、避けて通れない問題ですね。

2019年2月3日日曜日

『みすず』読書アンケート


 2日(土)は大阪にて研究会。会として充実していたけれど、わが頭脳は前夜からの睡眠不足で、条件反射より以上の意味ある発言はなかなか困難。睡眠にはふだん気をつけていますが、前1日に到来したお二方からの信書とメールの内容に励起されて、即答しつつ、時間の経過を忘れてしまいました。
研究会にはお一人の重要メンバーがインフルエンザで欠席。今年は1919年、第一次大戦の終戦にともない「スペイン風邪」と恐れられたインフルエンザが猛威をふった年からちょうど百年。マクス・ヴェーバーも翌1920年、56歳で命を落としました。アラフィフ、アラ還の皆さんはとくにご自愛ください!

 本日落手した『みすず』678号には、例年どおり(140名の)「読書アンケート」が載っています。昨年から 1968-9年ないし東大闘争関連の出版がたくさんあったのに、それらへの言及はほとんどないのに驚きました。執筆者の世代ということなのでしょうか? いまさら言及の価値なしということ?
 ぼくが挙げたのは(pp.69-70)、
小杉亮子『東大闘争の語り』、
和田英二『東大闘争 50年目のメモランダム』、
折原浩『東大闘争総括』、[ここまで3冊はこのブログでも論及しました]
 そしてイギリスの友人イニスたちが編集した Re-Imagining Democracy in the Age of Revolutions: America, France, Britain, Ireland 1750-1850 (OUP, 2014);
Re-Imagining Democracy in the Mediterranean 1780-1860 (OUP, 2018)
という2巻本の共同研究です。
 5冊に限定されていますから、これ以外は割愛するほかありませんでした。むしろ
山﨑耕一『フランス革命 「共和国」の誕生』(刀水書房、2018)
三浦信孝・福井憲彦(編著)『フランス革命と明治維新』(白水社、2018)
E.メンドサ(立石博高訳)『カタルーニャでいま起きていること』(明石書店、2018)
といった良書を挙げるべきだったでしょうか。

 とりわけ、近年のフランス革命史で一冊だけ挙げるなら山﨑『フランス革命』です。長年の研究教育をふまえ、「正統」か「正当」かといったレベルも含めて、ことばの意味を反芻しながら書き進められる。同じ patriot が1789年の前後で「愛国派」と「革命派」に訳し分けられるといった苦しい方便も、正直に告白なさる。研究史の展開を十分に踏まえておられるのは言うまでもなく、たいへん好感のもてる執筆姿勢です。
 最近のぼくなら、これに R. R. Palmer, Twelve Who Ruled: The Year of Terror in the French Revolution (Princeton U. P., 1941; Princeton Classics paperback, 2017) を加えたい。同じ著者の The Age of the Democratic Revolution がダイナミックな国制史だとすると、こちらはダイナミックな革命家列伝。第一章の題はなんと Twelve terrorists to be: 将来のテロリスト12名! ロベスピエールたち公安委員会の採りえた「狭い道」を描いて、国制的前提/思想的な資産と、革命情況の進展、友情と決断を浮き彫りにする。ご免なさい、ぼくは遅塚『歴史の劇薬』より、ずっとパーマのほうに共感できます。
 『フランス革命と明治維新』は、タイトルからすると、あの高橋幸八郎的な問題意識なのか、と身構えさせるが、大丈夫、日仏会館の催しで P.セルナ三谷博渡辺浩といった論客が、それぞれ言いたいこと/言わねばならぬことをポジティヴに述べたスピーチが収録されています。
 『カタルーニャでいま起きていること』はきれいごとでは済まない、ナショナリズムの現状。立石学長さん、多忙ななかで良い仕事をなさいますね。

2018年2月6日火曜日

みすず〈2017年読書アンケート〉

みすず』1・2月号(no.667)が到来したのは、先週末のこと。
例年のことながら、見始めると止まりません。立ったまま、あれこれ前後をひっくり返しながら読み耽って、就寝時間はますます遅くなる。
 かくして、いつも期して待つ〈読書アンケート〉特集号ですが、その唯一の欠点は、索引がないので、あ、この本、だれかも言及していた! といってそれを探し当てるのが大変。探してアチコチしているうちに、また別の本が目に入って、そちらに気が移り‥‥、といったことで、際限がないのです。
 そんなこと! 編集者の立場にたてば、年末の〆切日を無視して、年始の@日にもなって一太郎でデータを送りつける先生方(!)に対応するのを優先するなら、索引どころか、執筆者順をあいうえお順やABC順に整えることさえ不可能です。去年はビリから29番、今年もビリから16番の近藤の言う台詞ではありませんでした!
 新顔として、ブレイディみかこさん、草光俊雄さんの新規参加に気付きました。逆に常連のうち、ノーマ・フィールドさん、喜安朗さんの名が今年は見えなかった。

 それで、ぼくが〈2017年読書アンケート〉として挙げた書目を列挙しますと:
1. Koenigsberger, Mosse & Bowler, Europe in the Sixteenth Century, 2nd ed., 1989
2. Friedeburg & Morrill (eds), Monarchy Transformed: Princes & their Elites in Early Modern Western Europe, 2017
3. 池田嘉郎『ロシア革命 - 破局の8か月』2017
石井規衛『文明としてのソ連 - 初期現代の終焉』1995
4. 鈴木博之『建築 未来への遺産』2017
5. 松浦晋也『母さん、ごめん。- 50代独身男の介護奮闘記』2017
内実については、『みすず』本誌をご覧ください。

旧アンケートについては ↓ など。
http://kondohistorian.blogspot.jp/p/201516-413

2017年5月9日火曜日

岩波文庫3冊


 月刊の『図書』5月号とともに「私の三冊」と題した「岩波文庫創刊90年記念」の『図書・臨時増刊2017』が届けられました。
 ぼくもアンケートに答えて、「青春の三冊」としようかどうか、迷ったあげく、近代日本人の西欧体験という観点から「私の三冊」を選んでみました。p.32.
しかし5月号の巻末「こぼればなし」によれば、ぼくが言及した3点のうち、福澤諭吉『福翁自伝』は一番多い6人が挙げ、九鬼周造『「いき」の構造』は5人が挙げていました。独自性がなくて(?)、ちょっと口惜しい。ただし3点目は夏目漱石『漱石日記』で、これを挙げた人はぼく一人らしい。こちらのほうが、むしろ意外。とはいえ、漱石の作品を数え上げると、十指にあまる。あらゆる意味で「国民的」作家です。

 アンケートに書いた228名があいうえお順に並んで、しかも巻末に書名索引があるので、おや、という発見が楽しい。『みすず』の読書アンケートと似て、どうしても60歳以上の方が過半数ですが、それでもぼくの知るかぎりでアラフォーの元気な人たちも何人も交じっています。
 それにしても、70歳を優にこえる有馬稲子さんとか、國原吉之助先生とか、見田宗介さんとか、まだまだお元気な様子で、なによりです。

2017年2月11日土曜日

『みすず』656号

今晩、寒天に満月が冴え渡っていることにお気づきでしょうか?

どの大学でも一番慌ただしい時候で、空に月のあることさえ忘れるくらいでしょう。ぼくのほうも、暮れから正月にアタフタしながら2つの論文原稿を出し、学年末のあいつぐ校務と学外公務を凌いできました。今日、大学院入試を終えました。
ひとの原稿や書類を読み、コメントしたり、評点を付けたりする仕事については、女学校か短大くらいまでしか想像できない老母には、何度説明しても分かってもらえません。授業や試験が終わったなら、「すこしは暇じゃろう」と、毎年同じように繰りかえす会話ですが、授業や試験が終わってからこそが大事な季節なのですよ!

そうした間隙を縫ってしたため送った短文の一つを、『みすず』656号(1・2月合併号)に載せてもらっています。例の「2016年読書アンケート」です。2016年がシェイクスピア没後400年でもあり、ぼくの場合は、昔とった杵柄で、年の後半にいくつも読みました。今年挙げた本は、以下のとおりです(ここではごく簡略表記します)。

1 高橋康也・河合祥一郎編注『ハムレット』大修館シェイクスピア双書
(関連して、むかしの研究社詳注シェイクスピア双書、そして河合祥一郎訳『ハムレット』にも)
2 W.J.Craig (ed.), The Complete Works of William Shakespeare
3 Thompson & Taylor (eds), Hamlet: The Arden Shakespeare Third Series
4 Taylor, et al. (eds), The New Oxford Shakespeare: The Complete Works - Modern Critical Edition
5 草光俊雄『歴史の工房』

内容は、そちらを見てね。というより、これは拙稿「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」の個人的書誌エピソードのようなものです。拙稿のほうは、インタネットの認証制限サイトもフルに活用させてもらって仕上げました。

「読書アンケート」の寄稿者の大半は60歳以上とみえますが、ほんの少しながら、若い寄稿者も増えているんですね。

2016年2月1日月曜日

『みすず』645号

 「読書アンケート特集」が、到着。
 いまや年中行事です。暮から正月の忙しい折に書くのも大変なのだが、しかし2月に入るとただちに皆さんの文章を読めるのが楽しく、有益。「面白くて、為になる」という昔の講談社みたいな企画です。まだの人は、ぜひ!
 ぼくのがビリに近いところ(pp.96-97)にあるのは、おそらく原稿の到着順、追い込みでページを制作しているからでしょう。そのぼくより後に、阪上孝さん、キャロル・グラックさん、斉藤修さん、野谷文昭さん、沼野充義さん、鎌田慧さん、といった面々が続いているということは、つまりぼくよりさらに遅かったの? 豪傑揃いです。
 いや、とにかく丸山眞男の父、幹治の「人柄」(p.11)とか、「京城学派」(p.13)、「偉大なる韓民族」の「精気」(p.49)とか、初めて知りました。そしてキャロル・グラック(pp.100-102)、いつもながら冴えている!
 今年のぼくは、
 ・パスカル『パンセ』
 ・ヴェーバー『宗教社会学論選』
 ・村上淳一『<法>の歴史』
 ・Kagan & Parker (ed.), Spain, Europe and the Atlantic World; Andrade & Reger (ed.), The Limits of Empire
 ・岡本隆司(編)『宗主権の世界史』
を挙げてコメントしました。
【なお昨年度の拙文は、右上の FEATURES: 『みすず』No.634 にアプロードしました。ご笑覧ください。】
 新刊でなくとも、2015年に読んで感銘を受けた本であれば古典でも、日本語に限定することなく、という編集部の方針が、執筆者には自由をあたえ、読者には多様な本の世界を広げて見せてくれて、うれしい。それから、原稿の到着順だからと想像されますが、最初の30名(?)ほどは、律儀でまた時間に余裕のあるらしい方々が多い。まだまだ元気ですよ、すくなくとも短文を書き、想い出をしたためる力は残っていますよ、という近況報告集のような役割も、この企画は担っているのかな。

2015年4月18日土曜日

ピケティの仕事

 The History Manifesto (2014)も明示的に The Communist Manifesto (1848)のパロディ、あるいは「虎の威を借りて」登場したマニフェストといった側面がありました。別にこう言ったから The History Manifesto の価値が貶められるとは思いません。若い人に『共産党宣言』って何だ?と喚起する波及効果もあるし‥‥
Thomas Piketty, Le Capital au XXIe siècle (2013; みすず書房 2014)もまた Das Kapital (1867)を21世紀的に横領した命名です。でも、これは非難や否定ではない。
 → http://www.msz.co.jp/book/detail/07876.html


 ピケティの『21世紀の資本論』が力強く目覚ましいのは何故か。けっして一部でいわれているような
・「格差」の深刻さ/不可避性を明らかにした、とか
・日本の将来のための有効な処方箋が示されている、とか
いったことではない。ピケティは社民党や共産党の広告塔ではありませんし、アベノミクスの批判者として登場したのでもありません。
12月~3月くらいの新聞雑誌・テレビにおけるすごいブームが、年度替わりとともに後退したかにも見えますが、これはマスコミの浮気心の証拠ではあれ、ピケティの仕事の限界でも何でもありません。

 むしろ、学問的に彼の方法と議論がすばらしいのは、
1) 短期でなく歴史的に長期の(3世紀にわたる)データを集積し分析することによって、クズネッツの短期分析の誤り(時代に拘束された楽観論)を明らかにし、それまで見えなかった長期変動と法則性を見えるようにしてくれたこと【この点で、マルクス『資本論』における議会刊行物を使った本源的蓄積[原蓄]の長い歴史よりもずっと計量的で説得的な議論を呈示している】;
2) 「国民経済の型」があるとしても、それは50年以上もすれば変わりうることを示し;
3) 1930年代~70年頃までに(万国共通とはいわないが)多くの国で特異な民主的移行期を経験したこと、を説得的に明らかにしているからでしょう。
ぼくなら、経済分析における(久々の)歴史的dimensionの復権、or 歴史学における経済分析の再登場、or もっと端的に歴史学のルネサンスといいたい。

 なお以上に加えて、4) 付随的に、ニューディール期からヴェトナム戦争期までの間に成長し、知的形成をおこなったインテリたち(民主的知識人)の存在被拘束性があばかれ;丸山真男、岡田与好、柴田三千雄、二宮宏之、遅塚忠躬、和田春樹から、ずっと下って、近藤にまでいたる、知と発言が相対化されているのではないでしょうか? 民主主義の歴史化。日本現代史の相対化。そういったすごい仕事だと受けとめました。

 学問は、その政策的な提言・有効性で評価するのでなく、その知的なインパクトで評価したい。

2014年2月4日火曜日

『みすず』 読書アンケート特集


月刊のみすず』1/2月号、到来。「読書アンケート特集」、例年のことですが、156人の物書きたちが新刊・旧刊の本について所感を述べる、自由な空間です。しかも(おそらくは)原稿の到来順に組んであるので、だれの稿がだれの後に、といったことは予想不可能。

宮地尚子さんという(ぼくの存じあげない)方は、書物として『みすず』「読書アンケート特集」そのものを挙げておられます。「‥‥書き手の個性が豊か。その時々の心情を吐露したものや、自己宣伝に近いもの、自分の好みというより自分の領域で読んでほしいものの紹介など、様々。‥‥隠れた精神的系譜も見えてきます」(p.24)とのこと。大新聞の書評欄とは全然ちがう知的な宇宙が広がり、ぼくの大事な勉強部屋です。というより、たとえればオクスブリッジにおける SCR かな。オクスフォードでは Senior Common Room, ケインブリッジでは Senior Combination Room と微妙な表記の違いは譲らないんだが、実質は同じ。
みすず書房の「ハウス・スタイル」への賛辞も、自然と受けとめられます(p.57)。
坪内祐三さんという方には、ルカーチ『歴史学の将来』(11月刊)にも言及していただきました。「フール・ジャパンに必要なのは、現代史(つまり政治)リテラシーだ」(p.110)といった発言もあって、いまだ捨てたものではないな、という気になります。

ところで、ぼくの挙げたものはというと、
ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房、1969)
ステュアート・ヒューズ『大変貌』(みすず書房、1978)
熊野純彦『日本哲学小史』中公新書、2009
熊野純彦『和辻哲郎』岩波新書、2009
です。
横文字のものを少なくとも1つという、例年、自分に課している方針を守ることができなかったことにも現れているとおり、熟慮する時間がなくて、すぐ手近のものを列挙。これでも中長期にわたって振り返ると、なんらかの意味が見えてくるんでしょう。恐ろしい。

2014年1月28日火曜日

歴史と歴史学の将来


 22日に書き付けましたブログの最後に、ルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房、2013)に触れました。これは John Lukacs, The Future of History (Yale U.P.) の翻訳で、ぼくは監修者というかかわりですが、巻末の「解説」を書いています。じつにおもしろい本です。アメリカの学問および大学のありかたにたいするリベラル知識人の警鐘ですが、ほとんど日本の現状/近い将来のことを語っているかと思わせるほどです。

 この本についてのウェブ書評があると知らされて、読みました。筆者の出口治明さんという方は存じませんでしたが、会社の取締役会長・CEOとのこそ。すごいインテリ・ビジネスマンですね。
http://blogs.bizmakoto.jp/deguchiharuaki/entry/17292.html
 1948年生まれで京都大学卒、ということは、ぼくとも本質的には似た学生生活を送ったのかな?

 かつて大塚久雄や丸山眞男がイロンなことを申し立てて、「遅れている」「ゆがんでいる」と難じていた日本社会も、じつはこの数十年間にはるかに成熟して、進歩的文化人のオクシデンタリズム的劣等複合は、とっくに「置いてけ堀」をくらっている; 戦後民主教育と高度経済成長の実は上がっている、ということでしょうか。
 むしろルカーチ的なヨーロッパ中心=教養主義による現状批判は、「遅れている日本」でなく「進んでいる日本」にたいする批判力をどれだけもっているかという風に、前向きに捉え直したいですね。

2014年1月22日水曜日

『民のモラル』 から 『10講』 への変身?


 いただく私信のうち、次のW先生のようなものも、じつはめずらしくありません【後半のセンテンスのことです】。
「‥‥洗練された叙述に、細部へのこだわりと大きな展望が結びつき、短い表現にも多くの省察がふまえられていて、ご苦心の跡をしのぶことができ‥‥」とかいうお誉めの言葉【有難うございます】に続いて、
「‥‥[近藤]御自身としては 『民のモラル』 あたりまでに比べて大変身のようにも思われ、そのことの意味はぼくたちへの大きな問いかけでしょう。9.11、3.11などのあと、歴史研究の方向を模索しようとするとき、御著の意義を反芻することができるかと思いました。」

 全体に暖かく厳しい励ましとして受けとめますが、ただし、『10講』(2013) は 『民のモラル』(1993)からみると「大変身」なのか?
本人としては歴史研究および執筆にあたっての姿勢は変わっていない/一貫しているつもりなのです。出版のテーマが民衆文化か通史か、ということ以外には、 <歴史のフロンティア> も岩波新書も基本は共通しています。岩波新書のほうが読者層が多様で、また「元学生」の方も少なくない、という傾向性は承知していますが、それが執筆スタイルを変化させたわけではありません。
α もちろんアカデミズムの面々が構える桟敷席も向こうに見えてはいますが、それより本を読む学生、勤め人や街のインテリが一杯の平戸間に顔をむけています【『民のモラル』も、リサーチと史料分析による本でしたが、註はありませんでした】。
β みなさんに「こんな事実があった」「こんな時代があった」「研究により、こんなことまで分かっている」「で、君はどう思う?」と 『民のモラル』でも対話をしかけたつもりだし、今回の『10講』 でもそうです。
 むしろ新しい問題としては、民衆文化の自律性まではよいとして、歴史のagency としての推進力/構想力を考えると、どうか? といった問いかけが、『民のモラル』では弱かった。ましてや歴史の contingency、「諸力の平行四辺形」(エンゲルス)といったアジェンダは表面に出ていなかった。だからこそ、次に『文明の表象 英国』(1998)といった異質な出版が必要でした。
執筆スタイルといえば、この20年間にすこし経験を重ねて、ほんのすこし表現力は増したかもしれません。「簡にして要」だけを追求するのでなく 「溜め」を取るとか、逆に、くどくど経過説明せずに(映画や演劇のように)舞台を回してしまい、後から事情が分かるようにするとか‥‥。

 別のある読者は、おわりまで通読してから、今度は所どころ拾い読みをして、意味を確かめたり、余韻に耽ったりして下さっているとか。有難いことです。 『歴史学の将来』 のルカーチ先生にも読んでいただけると嬉しいな。

2014年1月7日火曜日

謹賀新年

 新年をいかにお迎えでしょうか。
東京地方はおだやかで、すでに大学も平常の日々が始まっています。卒業論文・修士論文の提出をサポートすべく、ぼくも連日出勤しています。

 おかげさまで昨年末には
・『歴史学の将来』(監修: みすず書房、11月)
・『イギリス史10講』(単著: 岩波新書、12月)
の2冊の刊行まで漕ぎ着けることができました。年来の知友の叱咤激励、編集担当者の奮闘努力のおかげです。ありがとうございます。どちらもそれなりに好評のようで、うれしいことです。
 なお、とくに『イギリス史10講』については、双方向の討論のしやすい掲示板として
http://kondo.board.coocan.jp/
を用意してあります。どうぞご利用ください。

 じつは他にも長年の「負債」のように持ちこしている課題は少なくなく、「註釈:イギリス史10講」や日英歴史家会議(AJC)の出版、そして 『民のモラル』 (ちくま学芸文庫版) をはじめとして、順々に、ポジティヴに実現してゆきます。

 旧臘に上野で「ターナー展」、神保町で映画「ハンナ・アーレント」を続けて見たことも、とても知的に励まされるよい経験でした。時代のなかで創造的な知識人がどう生きるか。どちらも立正大学の西洋史の院生と一緒に見ることができて幸せでした。

2013年11月26日火曜日

ルカーチ 『 歴史学の将来 』


このところ多事多端で、必要最低限のやりとり以外は、あまりウェブの世界も眺めていなかったら、
今晩、偶然にこんなページができているのを発見。いつから登載されているのか、わかりませんが。
http://www.msz.co.jp/news/topics/07764.html

最新刊のジョン・ルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)について、カバー写真、編集者の思いと関連書誌情報が載っていて、有益です。
ぼく個人としては、
ちょうど2年前に編集者が本郷の部屋に現れて、「まずは読んでみてください」と、本と New York Review of Books を渡されて(しかたなく)読み始めたのです。それが良かった。
1) historia とは「語り」であるより前に「調べてえられた知」だと明言したうえで、
2) 返す刀で、一次史料に取り組んだからといって、その成果を「役人が書くように醜い文章で」発表して恥じない凡庸な専門家にたいして、それでよいのかと叱咤激励し、
3) さらには「言語論的転回」の波に溺れて、「韻律の最新理論」を紹介するだけで、ご自分の「叙事詩」を産み出そうともしないヤカラを批判する、
そうしたルカーチは、禿頭の老先生かもしれないが、親近感をおぼえます。

さすが、みすず書房。品のある美しい造本です。

2013年11月15日金曜日

D くん

拝復

 多色彩の初校ゲラ 306 pp. を戻したら、再校ゲラは 310 pp.になって帰って来ました。つまりどこかで行がはみ出してしまったのでしょう。もとの306ページに戻さないと、索引のページが無くなります!

 ところで、Dくんの御メールのとおり、たしかに『10講』で礫岩という用語を数度つかいますが、それにしてもこれは conglomerate のみを視点にした単純な本ではありません。たしかに(イギリス史については明示的に)絶対主義という語の使用に反対しています。関連して、アメリカ史における「巡礼の父祖」伝説や、独立宣言における absolute despotism/tyranny への攻撃は、ためにするゾンビへの攻撃と考えています。
とはいえ、これらは『10講』の多くのイシューのうちの1つに過ぎず、他にもおもしろい論点は親と子、男と女といったことも含めてたくさん展開しています。

 御メールはさらに、次のように続きます。

>「歴史的ヨーロッパにおける複合政体のダイナミズムに関する国際比較研究」は、人間集団の政治性獲得のモメントを重視し、中世から近代へ「政体」のダイナミックな変遷をおうものと理解しています。
> 例えば、‥‥あたりで、それぞれの時代における「帝国的編成」との比較でコメントを頂くのも一興です。

 うーん、「帝国的編成」となると、ますます「ある重要な一論点」でしかないな。
通時的には「ホッブズ的秩序問題」を心柱にして叙述し、
同時代的には、たとえば1770年代のアメリカ独立戦争をアイルランドのエリートたちが注視し、
19~20世紀転換期アイルランド自治の問題をスコットランド人もインド人も注視していた、といった論点は出していますが。

 研究者の顔を意識した「問いかけ」もあります。一言でいうと、そもそも『イギリス史10講』は、二宮史学、柴田史学との批判的対話の書なのです!(これまで小さく凝り固まっていた分野の諸姉諸兄には、奮起をお願いします。)

>‥‥composite state や composite monarchy といった議論がまずは
> イギリスの学界で展開された議論だったことに関心を払う必要もあるようです。

 そうかもしれません。が、重要な方法的議論は英語で、という傾向が歴史学でも1980年代から以降、定着したということかな。
もっとも「1930代~40代のイギリス・アメリカ(とソ連)が旧ドイツ・オーストリアの知的資産をむさぼり領有した」こと、
「英語が真に知的なグローバル言語になったのは、このときから」といったことが、事柄の前提にあるわけですが。
イギリス史10講』では、戦後レジーム成立過程における人・もの・情報の「大移動」も指摘してみました。
S・ヒューズ『大変貌』にも示唆されていますが、1685年以後の名誉革命レジーム成立過程における(対ルイ太陽王)人材移動も視野において言っています。

 これまでの歴史学のアポリアが少しづつ解決してゆくのを、ともに参加観察するのはよろこびです。個人的にも、積年の「糞詰まり状態」を解消して、快食快便といきたいところです。単著ではないけれど、お手伝いしたルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)や『岩波世界人名大辞典』などが公になるのは、爽やかです。収穫の秋です!

2013年10月31日木曜日

新刊予定3冊

いま出ている月刊『図書』の巻末に「12月刊行予定の本」として、ぼくの関与した本が2冊並んでいます。

1つ目は『イギリス史10講』(岩波新書)(ただし272頁というのは間違い、300頁を超えます)
2つ目は『岩波 世界人名大辞典』(こちらは項目選定と執筆)
この世界人名大辞典の関連で、『図書』コラムに後藤さんが執筆しておられます。

なおまた、3つ目で出版社は違いますが、
J. ルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)も巻末の「解説」を担当しました。
こちらは支障なく進めば、11月に刊行です。

1つ目は16年がかり、2つ目は数年がかり、3つ目は1年弱の仕事でした。

2013年2月4日月曜日

『みすず』読書アンケート


『みすず』1・2月合併号(no. 611)、恒例の読書アンケート特集が到着しました。
→ http://www.msz.co.jp/book/magazine/

 例年の特集号ですし、おおくは例年なじみの執筆陣(計158名とのこと)。それぞれさまざまですが、それにしても楽しみな企画です。新刊ばかりでなく旧刊についても、教えられることが多い。

 ちなみに、今回ぼくが言及したのは、

1. 松方冬子『オランダ風説書と近世日本』(東京大学出版会、2007)
  同(編著)『別段風説書が語る19世紀』(東京大学出版会、2012)

2. 石田千尋『日蘭貿易の史的研究』(吉川弘文館、2004)
  同 『日蘭貿易の構造と展開』(吉川弘文館、2009)

3. A. P. Wadsworth & Julia de Lacy Mann, The cotton trade and industrial Lancashire 1600-1780 (Manchester U.P., 1931)

4. John Lukacs, The future of history (Yale U.P., 2011)

です。 今やっている仕事の関連で手にした本、という偏りがあります。これしか読んでないというわけではありませんが‥‥

 去年の特集号については、こちらをご覧ください。↓
http://kondohistorian.blogspot.jp/2012/02/blog-post.html

2012年2月11日土曜日

『みすず』読書アンケート

もはや先週のことです。『みすず』1・2月合併号(no. 601)を手にしました。恒例の読書アンケートですが、それでも楽しい。

 執筆の順は、すなわち原稿到着順です。つまりぼくは、宮下志朗さん、鈴木博之さん、苅部直さん、三島憲一さんよりは遅く、斉藤修さん、Carol Gluck さん、沼野充義さん、成田龍一さんよりは早かった、ということ。

 これまでいささか分散的(遠心的)で、148名も執筆していながら同一の本がごくわずか、といった観・感がありましたが、今回(2011年)は歴史関係でも『二宮宏之著作集』、長谷川まゆ帆『さしのべる手』といった3人以上が言及する出版があって、なにか収斂する動きがあるのかとも感じさせます。一概にまとまれば良いということでもありませんから、どういう意味があるのか、しばらく経ってみないと分かりませんね。

 ちなみに、今回ぼくが言及したのは、
1. E・H・カー『歴史とは何か』(岩波新書、1962)と Evans の第3版。
2. C・P・スノー『二つの文化と科学革命』(みすず書房、2011)、「始まりの本」としての復刊を祝して。
3. 『二宮宏之著作集』(岩波書店、2011)
4. ODNB online (OUP)
です。
「イギリス経験主義」の強み、みたいなことで、筋をつけてみました。 

「アングロ・サクソン」への揶揄・偏見・差別的言辞については、やがてしっかり批判しなくてはと考えています。