2010年9月29日水曜日

モラル・エコノミー?


 こちらでのリサーチの進行中、労働党の党首選が数ヶ月にわたって5人の候補の間でたたかわれました。昨日、かつての左派理論家 Ralph Miliband の息子たちミリバンド兄弟のうち最有力候補 David (兄) を Ed (弟) が1%の僅差でやぶった、ということで話題になっています。次の首相候補ですから、どういう考えか、知りたいところですが、兄弟ともに moral economy をキーワードにしている!
 彼らのいう moral economy は、鳩山兄弟の友愛ほどヤワではないが、それにしても甘く素人っぽいところがある。こんな具合です(写真も発言も public domain より)。

Ed & David Miliband - setting out ideas to hand more powers to communities, tackle social inequalities and build a more "moral economy".

David Miliband - attacked some behavior in the financial sector. “I stand for a moral economy. People should not be playing games with other people’s money in the welfare state, but nor should they do so with our pensions on the trading floor of the City.”

Ed Miliband - "I am for a moral economy in which there is responsibility from top to bottom".

わがペーパーの出だし(問題の所在)で、純アカデミックな意味づけだけでなく現今の政治言説にも論及できるので、その点はおもしろくなってきましたが、昨夕討論したボイド・ヒルトン先生も、EPT未亡人ドラシもまた、現代政治における有効性には懐疑的です。

2010年9月27日月曜日

British history 1600-2000


 右肩 欄外にある Features に登載したのは、新刊の
  British history 1600-2000: expansion in perspective,
  edited by Kazuhiko Kondo & Miles Taylor (London: IHR, 2010)
  xiii+279 pp.
  ISBN 9781 905165 605
です。

編集出版書誌にかかわる部分について、ページからどなたにもダウンロード可能としました。
ご利用ください。

2010年9月26日日曜日

先行研究は?

 どういった分野でも、本当に意味ある研究は「息が長い」というか、20年、30年のスパンでは簡単にひっくりかえらなかったりする。
 昨日 Wiley-Blackwell からの Online 登載通知で知ったのですが、最新のEconomic History Review Online に、例のブローデル & スプーナによる中世末から18世紀半ばまでの全ヨーロッパの穀物価格グラフ【初出は1967年。たとえば『岩波講座 世界歴史』16巻、pp.21-26】をめぐる議論と修正が、載りました。紙媒体の EconHR そのものは未だですが、これを定期購読している図書館からなら閲覧・ダウンロードできるはずです。


 (c) Economic History Society 2010
 『岩波講座 世界歴史』16巻を書くに先だって(1997~99年初ころでした)、二宮宏之さんに最近の研究について質問したのですが、ブローデルのような大きな議論はね ‥‥ と消極的な反応。それにしても1967年から30年経ってもそのまま放っとかれているのか、それとも日本の学界が鈍感なのか、と不思議な気持でした。
 今回の Victoria Bateman 論文によると、関連する個別研究がなかったわけではなさそう。
 そこで、わが懐かしの「馬の肩から鼻先までを横からみたグラフ」が、Bateman 女史によって前は14世紀、後は1782年まで引き延ばされ、また近世についても、こんなふうに変形されてゆきます。‥‥

 でも、落ち着いて読んでみると、これは本質的な修正なのか。ポーランドなどバルト沿岸を考慮にいれないで近世ヨーロッパ経済の収斂を語ってよいのでしょうか。これでは論点先取りで、バルトなしのヨーロッパは最初から統合的市場をもっていた、(馬の身体の上方のシルエットだけをみると、ほとんどアザラシかイルカのように見える)となる。
 卒読ですが、もしや、この論文にはかなり重大な視野の限定があって、これでは結局、研究をブローデル & スプーナ、ウォーラステインよりも前に引き戻す、ただの「業績」論文なのか(?) レフェリーは何のためにいるのでしょう。
 悪貨が良貨を駆逐する、というグレシャムの法則は学問の世界では流通してほしくない。

2010年9月25日土曜日

実学としての歴史学

 モリル先生に誘われて The 1641 Deposition Online というプロジェクトの打ち上げ研究会に交ぜてもらいました(11時~16時、17時までドリンク。その後ディナー)。


正式のインタフェイスはまだですが、すでに試行版がトリニティ大学図書館のサイトに載っています。今も、今後も無料。http://www.tcd.ie/history/1641/ すばらしい。見てみてください。

 アイルランド史で「研究のもっとも盛んな時代」すなわちおもしろいのは、近刊の『イギリス史研究入門』p.306 によると18世紀らしいですが、もしや史料的には、この1641年問題こそ外国にいる日本人にも互角に取り組める、取り組みがいのあるテーマなのか、と思いました。アイデンティティ、言語、記憶、記録、すべてにかかわる暴力、司法といった観点から、やるべきこと、やれることが山ほどありそう。

 革命のきっかけになった「アイルランド大叛乱=大虐殺」の証言録取書を全部テクストとしておこして、全文検索できるようにし、しかも元のマニュスクリプトも画像として対照しつつ見られる。これはすばらしく教育的。
 しかし教育的というのは、もっと広い公衆教育という意味も込められています。アイルランド・ブリテン間の喉に突き刺さった骨である、370年前の atrocity を
  The Irish cannot forget it;
  The English cannot remember it.
だったら原史料(公文書)をウェブに公開してだれにもアクセスできるようにし、大いに議論してもらおうじゃないか。こういう姿勢で、日韓・日中・日米のあいだの「歴史問題」を議論する公衆に委ねるということは可能なのでしょうか。
 これまでのイングランド(Cambridge)・スコットランド(Aberdeen)・アイルランド(Trinity)の3国研究者と、IBMのIT技術者と、オーバードクターの協力と雇用を兼ねた、何重もの trinity 企画。
修正主義者にしてよき教師モリル先生の手にかかると、このアカデミックな企画が、来年10月に完成して、正式ローンチをアイルランド共和国大統領と、北アイルランドのユニオニストの同席のもとに敢行し、しかも多様なブリテン、多様なアイルランドへの堅実な一歩としようというわけです。

 松浦高嶺先生、こうなると「修正主義は木をみて森をみない」という批判は、引っ込めないわけに行きませんね。テキは一枚も二枚も上でした。民族主義史観やピューリタン(純情)史観の克服をめざすのが修正主義なので、日本のナイーヴな「修正主義」とは本質的に違います。
Knowledge is mightier than ignorance. モリル先生の言うとおりですね。
ヨーロッパ的コンテクスト、17世紀の全般的な危機(と暴力の象徴主義)といったことも話題になりました。
(それから今晩、 Russell と Morrill との間には友情の亀裂があって、ラッセルが亡くなるまで本当の修復はできなかったと聞きました。)ぼくはぼくで、1980年、最初の留学時に Mark Goldie に勧められながら、revisionist seminar に出ることを忌避したという事実を告解して、赦しを請いました。

 ダブリン側の中心にいる Jane Ohlmeyer (上の写真で両 John にはさまれた美女)は、高神さんと同期とか? カレン先生ともお友だち。

2010年9月23日木曜日

Salzburg-Wien-Praha

この9月には(も)いろんなことが続いたので、Catholic Europe の大旅行が大過去のことになってしまいそうですが、そうしないために--


 【写真をクリックしてくださいな 】ザルツブルク(イギリス人にいわせればサルツバーグ)では「フニクラ」(!)で城に上ったらそれまで雨模様の空が晴れて、はるかにアルプスの氷河が望めました。モーツァルトの場合は、これをみて旅心を誘われたでしょう。氷河も向こうにはイタリア。「この街を出よう、大司教のもとから離れよう」と決めたときにも、やはりこの風景を見つめていたのか‥‥それは知りません。

 ウィーンは大都会なので、もっとゆっくりしないと見尽くせないな、と思いながら、それにしても美術史博物館はハプスブルク家の威信をかけた、圧倒的な知と美の殿堂。

ここで画学生(?) が模写しているのは、ブリューゲルの「謝肉祭と大斎節との争い」(『民のモラル』pp.230-1)でした。ぼくも絵心があるなら、1週間くらいかけて模写したいくらい不思議な迫力にみちた、構成的な絵です。
 木曜夜は9時まで開館ということで、館内のすばらしいホールでディナーをいただきました。

 プラハ城では 1618年、窓外放擲事件の現場をみて満足し、城の敷地内に、別料金で入る Lobkowicz Palace についてはパスしようかな、と思いながら下のカフェに入ってビールを飲みました。そこで思いがけず一つのビラを目にすることがなかったら、Lobkowicz に入ってカナレットの「ロンドン市長就任式の水上パレード(テムズから望む聖ポール)」に遭遇することはなかったでしょう。これは『江戸とロンドン』p.230の原画です。


これを contingency というのか、天の配剤(oeconomy)というのか。思ってたより、ずっと大きな絵。

 そもそもジェイムズ6世=1世の姫エリザベスは、ファルツ選帝侯フリードリヒに嫁するんだから、ブリテン内戦(イギリス革命)・ヨーロッパ大戦(30年戦争)の観点からも、この辺はきちんと観察しておかねばならないことでした。反省。

2010年9月16日木曜日

sent to Coventry?

 繁忙中、ウォーリク大学の Modern Records Centre に行ってリサーチをして参りました。雨がちの2日間、屋内でしっかり仕事をして、夕刻外に出ると、雲が晴れて快晴。
ウォーリク大学に行くのはじつは生まれてはじめて。一言でいうと名古屋大学を美しくしたようなキャンパスですね。


 それと正反対の印象が、コヴェントリ市。戦災の象徴のような大聖堂は、イングランドにおける広島の原爆ドームにあたり、しっかり詣でましたが、戦後の都市造りという点では、車の走行の激しいリングウェイで旧市街を円く包囲してしまったのには、大失敗、という印象を避けられません。

 夜、「人っ子ひとり居ない」とは言わないが、見えるのは20歳±のガキだけ。Middle class は家庭から出ないのでしょうか。食文化も無きがごとし。残念でした。

 大聖堂のネイヴに据えられた掲示板の文章が泣かせます。

 隣どうしとはいえ、むかし Newdigate mss を読むために通ったウォーリク市(Warwickshire CRO)とは全然ちがいます。

2010年9月12日日曜日

Anglo-Japanese History Colloquium, 10 Sep. 2010



 この間いろいろ書くべきことが続いていますが、時間がありません。

 すべて飛ばして、10日(金)に歴史学研究所(IHR)で開かれた colloquium ですが、国際交流基金からも来ていただきました。ありがとうございます。
英国史4本、日本現代史4本のコローキアム、どうなるかと心配しましたが、Harry, Ian, Joanna, Pene, Robert, Vivian, 島津さんにも来てくださって、活発でした。

 しかもその夕には、Miles Taylor によって待ちかねた出版物(右の写真)が launch されました。
  British history 1600-2000: expansion in perspective,
  edited by Kazuhiko Kondo & Miles Taylor (London: IHR, 2010)
  xiii+279 pp.
  ISBN 9781 905165 605
  高さ23cm, 幅15cm の出版物です。
  全報告、コメント、junior paperも所収。
  [イメージとして Historical Research の版型と色調を思わせる造りです。HRより濃紫色がつよく厚いのですが。]
ただし、まだ見本をみて触らせてくれただけで、配布まではされません。
もちろんAJC関係者(委員・報告者・コメンテータ)には送られますが、10月までお待ちください。

 マイルズには、また11月に九州の日韓で、ということでお別れしました。

2010年9月7日火曜日

Praha にて


8月末から中欧に旅行して、9日間、なかなか効率的に、お勉強しました。
カレル橋からプラハ城・大聖堂を望む夜景です。



こういった光景のただなかに身を置いて、高揚しないわけにいきませんね。
琢の書き物を読めば読むほど、invention of tradition といったことを考えざるをえません。19世紀のプラハ城・大聖堂、ヴァーツラフ広場を見おろす国民博物館、1989年11月17日、カレル大学の建物の壁の銘文、等々。The unbearable lightness of being も。
カナレットのウェストミンスタ橋および Lord Mayor's Day にしっかりめぐり逢ったのも、嬉しい付録でした。