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2021年4月16日金曜日

立正大学のR

 水曜には大崎の立正大学まで授業に行って参りました。教室で授業をするのはじつに2020年1月から15ヵ月ぶり! 大学事務に顔を出すのは、20年3月の年度末処理以来でした。 学生もそれなりに居ますが、しかし Covid前に比べると、やはり空いています。
 峰原坂の正門から入ると変化に気付きませんが、6号館食堂・図書館の脇から山手通りの通用口へ下ると、2019年以来の大工事がすべて完了して、きれいになっています! 11号館と新13号館を合体させて一つの建物であるかのように見せているのですね。

 左隣は大崎警察署。あいにくの天気でしたが、違和感のない連続性が示されています。
大学のロゴもいつのまにか「緑のR」から「青のRデザイン」に替わりました(校舎の左壁、そして1階の中ほど)!

2020年6月13日土曜日

Zoom の不都合な事実

 これは「セキュリティ上の不具合」より深刻かもしれない問題です。

 この2・3ヶ月で急速に普及した Zoom会議。ぼくも初体験は学会の委員会で、5月から立正大学院の演習で利用しはじめ、先日はN先生の最終講義の会に「出席」しました。
じっさいやってみると、これは非常事態をしのぐ手段というより、とても便利で、発言者の顔が間近なので、独自の効用があり、今後もさらに普及しそう。音声と図像の微妙なズレといった問題もないではないが、周辺機器を(100%無線でつなぐのでなく)できるだけ有線でつなぎ、発言しないときは音声をミュートにする、とかいった工夫でなんとかしのげそう。
 セキュリティ上の技術的不具合は解決しつつあるようです。
 というわけで明るい展望のもとに周辺機器と Wifi環境をととのえていたら、日本では今朝からアメリカの報道を引用する形で記事になっていますが、重大事件です。
 6月4日の天安門虐殺事件(Tiananmen Square massacre)をめぐって Zoom を利用した集会・催しがアメリカ、香港で行われたのに対して、中国政府が Zoom社に圧力をかけ、これに Zoom社が屈して、進行中の4つの集会のうち3つを中断し、主催者のアカウントを停止/廃止した(we suspended or terminated the host accounts)のです。とんでもない事件です。今ではアカウントは回復された(reinstated)からというので、New York Times, Wall Street Journal などの報道は歯切れが悪い。 → https://www.nytimes.com/2020/06/11/technology/zoom-china-tiananmen-square.html
https://www.wsj.com/articles/zoom-catches-heat-for-shutting-down-china-focused-rights-groups-account-11591863002
 当の Zoom社のブログ(米、6月11日)を見ると、こうです。 → https://blog.zoom.us/wordpress/2020/06/11/improving-our-policies-as-we-continue-to-enable-global-collaboration/
Recent articles in the media about adverse actions we took toward Lee Cheuk-yan, Wang Dan, and Zhou Fengsuo have some calling into question our commitment to being a platform for an open exchange of ideas and conversations.

 20世紀史の身近な(卑近な?)事件で喩えてみると、4つの大学の学園祭で、ナチスか、スターリンか、「反米委員会」かをテーマにして討論集会/デモンストレーションを企画し実行していたら、当該政府・大使館から抗議がきた。 → あわてた3つの大学当局が催しを強制中止した。 → 企画・主催者そして参加していた学生たちは怒っているが、マスコミは静観中ということでしょうか。喩えの規模が小さいけれど、本質は似ています。ディジタルでグローバルなプラットフォームを利用して進行したことにより、一挙に国際事件になるわけです。
 喩えを続けると、中止させられた3つの大学祭の催しは、当該国からの留学生が参加していたので、当該国の法律=政府に従順な Zoom社としては、彼らだけを排除したかったのだが技術的にその手段がなかったので催しそのものを中断した。当該国の留学生がいなかった1つの催しは、支障なく進行した(中国の外の法は守られている)、という言い草です。

 Zoom社は、アメリカの企業です。広大な中国市場もにらみつつ、コロナ禍の好機に急成長しつつあるグローバル企業。ただし起業者は中国の大学を卒業してカリフォルニアに渡った Eric Yuan (袁征)。出自にこだわっては彼の志を貶めることになるので、これ以上は言いませんが、会社として、(a)中国市場への拡がりと、(b)それ以外の地域における世論(人権と民主主義)とが二律背反する情況を、どう克服するか。これは Zoom社にとってほとんど生命にかかわる問題となるでしょう。
 さすがにそのことを認知しているからこそ、11日のブログでは次の3項について明記したのでしょう。
Key Facts (すでに5月から中国政府の告知があった;ユーザ情報を洩らしたりはしていない;(IPアドレスで)中国本土からの参加者が確認された Zoom会議についてのみ中断の措置をとった)
How We Fell Short (2つの間違いを認める)
Actions We're Taking (現時点での対策:中国本土の外に居るかぎりいかなる人についても中国政府の干渉には応じない;これから数日の間に地理的規制策を開発する;6月30日までにわが社の global policy を公にする)

 そして中国政府の理不尽に無念の思いを秘めて、ブログの最初のセンテンスは、こうしたためられています。
We hope that one day, governments who build barriers to disconnect their people from the world and each other will recognize that they are acting against their own interests, as well as the rights of their citizens and all humanity.

 Zoom社の誠意と無念の思いはいちおう認めるとして、現実的には甘いんじゃないか。
かつて1930年代にナチス=ドイツにたいして宥和策をとり、スターリン=ソ連と平和条約を結び、また戦後の合衆国における「反米活動」の炙り出しを困惑しつつ傍観していたことを厳しく反省する立場からは、現今の中国政府のありかた、それに宥和的な各国政府およびグローバル先端産業を、このまま許すわけにゆかないでしょう。

 コロナ禍は、あたかも稲妻のように、平時には隠れていた(忘れがちな)大問題を照らしだし、もろもろの動機や関係をあばきだしています。先例を点検し、記憶を呼び覚まし、しっかり考察して、賢明に生きたい。cf.『民のモラル』〈ちくま学芸文庫〉pp.22-23.

2020年3月22日日曜日

テレワークって


変な造語です。Work at home とか remote work とかなら、アリだと思いますが。

Covid-19 は、驚くべき急展開ですね。ダイアモンドプリンセス号が2月3日夜に横浜港に停泊した時点では、これほど世界中に急速に広まる pandemic の兆しとは予想されなかったし、なにより「不安だからといってむやみに病院に行き、検査を要求するのは無意味というより有害だ」という疫学専門家の意見が、まだ責任逃れのように聞こえたものです。
個々人の不安・恐怖の観点で考えるか、感染症の流行に社会的に対処する実践的な観点との違いがよく分かりました。前にも言及した、東北大学・押谷 仁教授が一般向けのインタヴューに答えた、よくわかる解説があります。
https://news.yahoo.co.jp/feature/1582
英国政府の公衆向け簡便版は、こちらです↓
https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/874281/COVID-19_easy_read.pdf

要するに、換気の悪い屋内に密集し、ハグしたりキスしたり、カンガクの議論をしたあげく、二次会は立食でおいしいものを飲み食いして、口角アワを飛ばして談論風発、といったことをしない、という理解でよいのでしょうか。じつは今月20日~22日の二泊三日で合宿研究会の予定でしたが、3週間前に慌てて(しかしメール討議の合理的な結論として)延期となりました。JSPS側も理性的に研究費の繰り越しを認めてくれたようです。そのときは、6月なら大丈夫、という見込みだったのですが、本当のパンデミックになってしまって、それさえ危ういのかもしれません。
この年度替わりに在外研究から帰国する人、逆に4月から出かけるべく(何年も前から)楽しみに予定していた人、本当に災難ですね。2010年4月にはアイスランドの火山噴火で、北極圏経由で英国に向かう飛行機がキャンセルされ、孤独な疎外感を味わいました。 →  http://kondohistorian.blogspot.com/2010/04/heathrow.html
http://kondohistorian.blogspot.com/2010/04/still-stranded.html
そのときとは違って、今回はグローバルな事案なので、個々人の難儀というより、文明的な問題を共有する、といった情況でしょうか。

イギリスの大学では、オクスフォードの友人からのメールによると、こうです。
They are all learning how to do online teaching. One of my friends has his first online classes, five hours of teaching, today. Things have been very frantic for them. [They/them とは大学の教員たち]
でも、退職したご本人には、
It is unusually quiet, because everything is closed or cancelled. Still, there is plenty I can do, and spring is coming, so it will become more pleasant to be out in the garden(!)

ぼくの場合は花粉症もあるし、庭いじりするほどの土はないので、春を楽しむという気分ではありません。ただ、共同住宅の中庭のソメイヨシノがほぼ満開で、夜は、こんなぐあい。
ちょっと、ほっとします。

2018年2月26日月曜日

教師 冥利

 寒い夕に3年生ゼミの惜別会がイタリアン食堂で催されました。
両手に余る贈り物をいただいてしまいましたが、なによりも「先生のもとで卒業論文を書きたかった!」という言、そして ← こんな肖像イラストには驚き、嬉しく、感極まりました。みなさん、ありがとう!

2016年6月24日金曜日

イギリス人民の愚かな選択

 今日午後の「西洋史料講読」の授業中に、EUの地図を見せながら「EUレファレンダムはつばぜり合いで、結果は予断を許さない」などと言っていたら、学生がスマホを見ながら「いまBBCで、離脱派勝利と出ました」! そんなことがあってよいのか。
驚きと困惑と憤りに近いものが、込み上げてきました。イギリスの良識が敗北したのです。
つづく「大学院演習」ではすこし落ち着いて感想を述べたあと、早々に退室して、BBCおよび新聞から情報収集し、考察しました。
ところで、大前提として、日本のマスコミは Great Britain を「大英帝国」と訳すので、問題を混線させます。過去の帝国も現今の英連邦も関係ない。ただ海峡の向こうの「ブリタニア大島」をさす地理的な用語です。
むしろ問題は、過去・現在・将来のイギリスを考えるにあたって「ヨーロッパ=コネクション」を重視するのか、「大西洋コネクション」にすがるのか。歴史家がずうっと議論してきた論点、イギリス人自身のアイデンティティ、そして国家戦略にかかわるイシューが、ここではっきりと問われたわけです【『イギリス史10講』(岩波新書)p. 9】。そして保守党、労働党、自由民主党、スコットランド党などなど、コモンセンスを備えた政党のキャンペーンにもかかわらず、短期的な感情(条件反射)に訴え、短いセンテンスで煽る右翼のキャンペーンが優ってしまった。これは民主主義の危機です。
レファレンダム=人民投票とは、はたして大衆社会において賢明な政治手法なのか、という根本問題にも思いいたります。

現在えられる情報から、こう言えます。今回のレファレンダムは、当然ながら一つの要因だけで決まったのではなく、
1) たとえばスコットランドおよび北アイルランドでは有権者が残留(Remain)を選んだのは、それぞれの地方の、年来の権限委譲(devolution)を求める動きからして自然な選択です。その系として、連合王国(UK)がヨーロッパ連合から離脱するなら、わたしたちはイギリスでなくヨーロッパ連合を選ぶ、という声で、十分に合理的。

2) イングランドの地方(provinces)が離脱≒独立を選んだ、ロンドンは残留を選んだ。あるいは老人は離脱派で、若者は残留派だ‥‥といった日本のマスコミの解説は表面的です。
それよりも明らかなのは、Financial Times にもあった投票分析で、かなり「不都合な事実」です。すなわち、学士(大卒)以上の人口比率の低い選挙区では「離脱」を選び、学士以上の比率の高い選挙区では「残留」を選んだ。同じロンドン地域でも学歴による差は歴然。(スコットランドについては学歴は有意の差を示さず、全般に残留を支持。)
http://www.scoopnest.com/user/FT/746224372432527360
EU vote → https://t.co/dYKO9PjIxd
EUのメンバーであってこそ現在のイギリスは存立する;イギリス国内の雇用も、EU内の雇用もお互い様で、広域の経済・文化があってこその繁栄だ;ワインが無関税で輸入され、思い立ったらフランス・イタリアに自由に旅行できるのもEUのお陰だ;ブリュセル官僚によってイギリスが不当に主権を侵害されているというのは右翼のフレームアップに過ぎない(じじつ、イギリスからEUに議員も役人も送っている)‥‥といった事実を認識しているのは、多くは学卒の人々にすぎなかった。右翼デマゴーグのキャンペーンは、考えない男女大衆をベースに拡がった、ということでしょう。これは憂うべき分裂であり、こうした two nations の分裂を放置してきた政治は、痛いしっぺ返しを受けたということではないでしょうか。
【アメリカ合衆国におけるトランプ現象のことを考えると、さらに暗澹たる気持になります。】

3) キャメロン首相は、みずから保守党内の権力基盤を固めるために(とくに喫緊というわけではなかった)EUレファレンダムを2年前に計画し、これに楽勝することによって長期政権を固めようと図っていたのだが、最近数ヶ月の不思議な政治力学によって、あれよあれよという間に、思惑とは反対の方に流れてしまった。政治の舵取りを誤ったわけだから、甘さと無責任を認めて辞職するほかありません。

4) 政治力学(politics)の次元とは別に、歴史的な国制(constitution:国の仕組み)という観点から考えると、せっかく中世以来の知恵として確立してきた代表議会制による審議をすっとばして(議会主権を棚上げして)、人民に可否の決定を任せた、しかもたった一日の人民主権に丸投げした。これでは歴史学的に言うと「(人民という名の)王の政治」です。
中世には賢人会、近世以降には議会や社団など中間団体によって「王の独裁」は牽制されチェックされてきました。「政治共同体と王の政治 dominium politicum et regale」という原理原則を、アングロサクソン以来の政治文化=「古来の国制」として、イギリス人は後生大事にしてきたのではなかったのか? 歴史の知恵を放棄して人民投票に賭けたという愚行の手痛いバツを、これからイギリス人民は、キャメロンを初めとするエリートたちと一緒に、長く負い続けるでしょう。【 cf.『礫岩のようなヨーロッパ』:25日に追記】

5) これによってイギリス・連合王国の国際的信任はガタ落ちです。右翼に世論の多数派をもってゆかれ、良識よりも条件反射的なソントクを優先し、リベラリズムよりも直近の雇用や手当てに惹かれる国民、というのでは尊敬されません。つまらん小人の国として、リーダーシップも、経験知も期待されなくなるでしょう。
Great Britain はすでに great ではなくなった、ということでしょうか。

6) 国際的な影響ははなはだしく、日本経済も深刻な影響を受けます。それ以上に、ヨーロッパ内で反EUの動きが勢いを帯びて、第二次大戦後に築きあげてきた連帯と信頼のきづなが(エコならぬ)エゴによって台無しにされる。こちらのほうが憂慮すべき問題と思われます。
考えたくないけれども、【合衆国の共和党政治のゆくえとともに】21世紀の世界史について、最悪のシナリオが始まるのを否定できません。

2016年3月28日月曜日

大学の先生

 老いたる母の質問によれば、「大学の授業も入試も終わって、春休みなら十分に時間があるじゃろうに」。いえ、じつは大学の先生は今ごろ一番忙しくしているのです。
 年度末の会議や決算や送別会は当然としても、じつは大学の中だけで仕事しているわけではないので、学外の仕事にかかわる会議や決算や催しもあります。さらに何ヶ月も前から他大学の先生方との研究会や(海外から招いた)特別な研究者を囲むセミナーが設定されていて、しかもその間を縫って、期限オーバーの原稿を執筆したり、校正刷りを真っ赤にしたり、ひとの原稿を読んで意見を言ったりします。直近の仕事ばかりでなく中長期の計画や着想を練るといったことに頭脳が向かっていると、‥‥お墓参りも親孝行も滞りがちです。
 済みません、母上!

 かく言うぼくたちも、学生のころ、自分の先生が(授業以外の場面で)どんな毎日・毎週を営んでいたのか、さっぱり知らなかった。別世界でした。
 もしや今日の議員たち、役人たちにとっても、大学の先生の知的生活は、未知との遭遇なのかな。 議員も役人も、大卒とはいえ、在学中はせいぜいゼミやコンパで先生と言葉を交わしただけだったりして。
 大学の先生って、高校の先生より休みが多くて、わがまま;要するに贅沢な怠け者;だから Faculty Development などで絞りあげる必要がある、とでも議員も役人も思いこんでいるんでしょうか。絞れば、たしかに、優秀な先生方はすみやかに授業も論文も報告書もこなしますが、しかし長期的には疲弊して、役人(あるいは独立行政法人)むけの報告書しか書けなくなりますよ。「すみやかに報告する」だけでなく、「調べて、考えて、書く」ことこそ学問の大前提です。
 日本の学問を枯渇させるには、大学の先生を忙しくさせる(考える時間を無くさせる)のが一番! 文系も理系もおなじです。

2015年12月27日日曜日

卒業論文 指導

 この季節、12月の半ばを過ぎると東大ではさすがに学内校務はなくなって、論文審査と(もしあるなら)学外の公務を片づけ、期日を超過した原稿の執筆に入るといったパターンでした。「卒業論文指導」みたいなことは、在任中にやったことなかったような気がする‥‥。そもそも教師にとって学部生の指導は一番の業務ではなく、卒業論文のためにはTAがサブゼミを開いているのだから、こちらが余計な口出し手出しをする必要はなかった。また学生の立場からすると、むしろ積年の自分の読書と先輩の助言によって獲得したリサーチ力と執筆力を示す(自分は「アホやない」ことを証す)、というのが卒業論文であったし、今でもそうあり続けるのではないでしょうか。
 ところが、どうも私立大学の文学部では事情がちがうようで、教師がなにからなにまで教えこんで、手とり足とり指導するのが普通のようです。毎年度、たとえば
  段落は大事だよ、何故かわかるかな? 最初は1字下げるんだ。小学校の国語で習ったね。句読点もよく考えてつけよう。もし行末に来たら欄外にはみ出す約束、「ぶら下げ」ってんだ。よく見てご覧、ひとの論文は、章ごとに新しいページの頭から始まっているね。‥‥
  読んだ文献を使いながら議論に筋道をたてる。根拠を示すために、それぞれの箇所に註が必要だね。 1), 2), 3) って番号を上付に振ってゆくんだよ。好みで括弧なしでも (1), (2), (3) でもいい。脚註でも章末註でもいいよ。‥‥
  最後に参考文献表が必要不可欠。重要文献で、じつは読めなかったというものも挙げていい。ただし * とか # とか印をつけて区別するんだよ。
といったことを「卒論演習」の教室で言うだけでなく、個人面談でも(この子にこれで何度目だと思いながら)一人一人くりかえし「教える」というのは、じつに新鮮な経験です。そもそも『卒業論文作成の手引き』という5月に配布したパンフレット(計21ページ)に99%は書いてあることなのに! 大事なことは何度でも言う、根気が肝要、Teaching is learning という格言を再帰法的に実践しています。
 昨年の4年生ゼミは13名で個人面談を12月26日(金)までやっていましたが、今年は21名、最後は28日(月)です! もしや1月4日にも追加面談‥‥。
 この暮は、連夜の学外公務をようやく終了して、25日に4年生全員に宛てて送信した一斉メールで、次のように述べました。長文の一部で、ちょっと推敲してあります。

Quote: ------------------------------------------------------------

II. よい卒業論文のポイントを確認します。

§ なにより次の3点が大事です。
 a. Question (問い、何を知りたいのか)を明記し、個人的動機も述べる。標準的な研究文献にもコメントがほしい。
 b. 文献を読み調べてわかったこと、目を開かれたことを論じ、典拠を註に明示する。論文なのだから、高校の教科書に書いてあるようなことはクドクド述べない。議論の筋道を意識する。複数の研究者や専門論文、その間の違い・ズレを註に記すだけでなく、その差異の意味を本文で論じていれば、つまり、分析的な文章になっていれば、すばらしい。
 c. Question にたいする答え(Answer)を述べる。

どこでどう述べるかは、人により違っていてよいし、力の見せどころだが、理想的には、
 a. → はじめに(序)でクリアに述べる。長くなくてよい。
 b. → 本論(1章、2章、3章)でダイナミックに展開する。これはどうしても長くなる。
 c. → おわりに(結)で述べる。短くてよい。

§ 原稿はプリントアウトして読み直し、筋の通った明快な日本語になっているかどうか確認し、みずから添削し改善する。
 最初から最後まで、根拠・典拠をしめす註をつける(註は多いほどよい;ウェブページなら URL を示す)。註のない文章は、卒業論文とは認められません。
 註と参考文献とは、別物です。それぞれ必要。
 巻末に参考文献リストをかかげますが、みずから読んでない文献には * ▼ † などの印を付して区別します。
 図版や表は、分かりやすい位置にあれば、本文中でも巻頭・巻末でも問題ありません。写真やコピーも可。学校内の教育・学術目的の使用ですから、著作権・複製権などは問題になりませんが、どこから取ってきたか(出典)は明示。
 念のため、出典をあきらかにした引用と、出典を隠した盗用=剽窃(ひょうせつ)とは全然ちがうものです。前者は学問、研究の本質。後者は窃盗であり、犯罪です。

 ------------------------------------------------------------ Unquote.(加筆、推敲)

2015年4月19日日曜日

『ヨーロッパ史講義』(山川出版社、2015)


こういうタイトルで「あたかも12名のオムニバス授業の渾身の一コマの記録」のような本を作りましょう、と呼びかけたのが 2012年5月でした。共著者の皆さん、公私ともに多事多端の折から、力作の原稿が出そろうまで難儀をしましたが(校正もなかなかたいへんでした)、最初の企てどおり12名の力作ぞろいの共著としてちょうど3年目に刊行されます。いま見ている巻末・奥付のゲラ刷りに 5月20日発行と記されています。
最初の「序」では「‥‥全体をとおして、時代によって変化する人と人の結びつきやアイデンティティ、政治や世界観をめぐって、ヨーロッパにかかわる世界の歴史のポイントを考える連続講義として」企画、執筆された、としたためられ、12の章は次のとおりです(すべてに副題が添えられていますが、ここでは省きます)。
 1.佐藤 昇 「建国神話と歴史」
 2.千葉敏之 「寓意の思考」
 3.加藤 玄 「国王と諸侯」
 4.小山 哲 「近世ヨーロッパの複合国家」
 5.近藤和彦 「ぜめし帝王・あんじ・源家康」
 6.後藤はる美「考えられぬことが起きたとき」
 7.天野知恵子「女性からみるフランス革命」
 8.伊東剛史 「帝国・科学・アソシエーション」
 9.勝田俊輔 「大西洋を渡ったヨーロッパ人」
 10.西山暁義 「アルザス・ロレーヌ人とは誰か」
 11.平野千果子「もうひとつのグローバル化を考える」
 12.池田嘉郎 「20世紀のヨーロッパ」

計247ページ、「入門書の顔をした小論文集」のような大学テキストです。図版や参考文献表もしっかり備わっています。 山川出版社から本体価格は2300円と聞いています。カバーのデザインは決まっていますが、その校正刷りはまだ見ていないので、色の具合などどぎつくないか、ドキドキして待っています。 → 追記:出来上がりは、シャープで端整な装丁となりました。物理的にあまり重くないというのも良かった!
ぜひ大学(および大学院)の授業でもご活用ください。請うご期待。

2013年1月29日火曜日

教師冥利



昨日、34人の卒業論文の口頭試問をやって、【2・3年生の個別面談はまだ2月ですし、なにしろ今月末には修論、来週は博論の審査がありますが、】 学部生相手の行事は、峠をこえました。専任教員としては初年度ですが、昨年度に非常勤で演習をやりましたから、この春の卒業生は2年間もったことになります。

 (手間のかかる!)学生たちと2年間つきあい、卒論指導でさんざやりとりした結果ですから、それなりの情も移ってきて、全員が無事に卒論(正本も副本も)を提出して、また口頭試問もそれなりにこなしたのを見ると、いささかの感懐があります。 → 卒業式後の写真

 そうした折も折、次のようなメールが到来。
 「約2年間、演習ではお世話になりました。はじめは卒論を書くことに全く自信の無かった私が、卒論を無事書き上げることができたのも、先生のご指導のおかげです。ありがとうございました。
 その他にも授業や、教育実習での指導を受けて、とても強い刺激を受けました。先生の指導のおかげで、歴史学の奥深さを知り、沢山の勉強が必要とわかりました。
 先生を見て、森羅万象に興味を持ち、常に疑問を投げかけながら勉強していくことが大切なのだと思いました。もちろんそれは歴史に限らないことですが。
 これから働きながら、一生懸命勉強して、高校世界史の先生になりたいと思ってます。先生のゼミで本当に良かったと思っています。[後略]」
 こういうのをもらうと、‥‥ウルウルではないが、教師冥利に尽きる、という句を想い起こします。

 ところで、ぼくたちはぼくたちの先生にこうした感謝の念をしっかり伝えていただろうか? 先生の死後に遺稿を公刊するだけでは、償いとして乏しい。‥‥

 『イギリス史10講』
 (共著)『「社会運動史」 1972~1985 - 記憶として 歴史として -』
などをはじめとして、これからたっぷり「恩返し」をします。

2012年12月8日土曜日

夕闇の地震


>授業後、地震があったようです。
>11F にいらして、大事ありませんでしたでしょうか。

という問い合わせをいただきました。ありがとう。いやはや高層の研究棟は大変に揺れて、書棚にしっかり置いてなかった雑誌は何冊も落下しました。

揺れはきわめて長くつづき、卒論面談中でしたが、ドアを開けて、廊下をはさんで向かいの部屋で演習中の Nゼミと一緒に 恐怖を共有しました。ただし、「311の揺れはこんなもんじゃなかった」という発言と、急遽、だれかがワンセグで見聞きしたNHKニュースで「宮城で震度5弱」、「東海道新幹線は運転見合わせ」(在来線は通常どおり)というので、安心した次第です。

と、呑気なことを記していますが、宮城など震源近くの方々は夕闇の中でおちおちできなかったでしょう。お見舞い申しあげます。

2012年5月15日火曜日

教室変更

2012-05-17 木曜日 立正大学の2時限 西洋史料講読 ですが、 433 から → 9B15 へ変更します。
433では黒板消しが安定せず落下するということもありますが、 なんといっても、この部屋ではスライドを見てもらうのに手間がかかりすぎるという問題です。
山手線の胴体広告(英国政府観光庁)から始まった史料講読ですが、 スライド写真なしには授業が進みませんので、 やや広すぎる部屋ですが、今週から以後、通年でこちらに移動します。

https://portal.ris.ac.jp/ActiveCampus/index_after.html にも掲示されているとおり相違ありません。

2012年4月9日月曜日

山手線・車体広告

「英国政府観光庁」による山手線の車体広告と駅の壁面広告、気付きましたか?
 いつもながら即応性に欠けるところがあって、カメラを抱えて出かけたころには、有楽町駅の壁面広告は剥がされてステンレスがむき出しになっていました。
あきらめてプラットフォームに出たら、なんとその電車が来ました! ボディ外面だけなので、乗車すると見ることも写真を撮ることもできない。大崎駅に着いて、大急ぎでシャッタを切りましたが、せいぜい 2 shots くらい。次の電車を待ちましたが(反対方向の電車も見ましたが)いざ構えていると当該電車は来ない。
 じつは「ジェイアール東日本企画」というウェブページに解説があるのを、今夜、探しあてました。2月19日~3月31日、2編成のみだったんですね。
http://www.jeki.co.jp/transit/train/body/number.html 
つまり、もう3月末に終わっているはずのところ、きのうは間違えて1編成が走っていたということなのでしょうか。それとも「うどんこの定理」のための施し?

 なんでこんなことにこだわるかというと、中学校で鉄道少年だったから、ではなく、この4月からの「史料講読」の授業で使いたいからなのです。史料といっても図像も景観も含むので、「英国政府観光庁」の表象は、じつに良いイントロになるのです。