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2024年12月10日火曜日

村棲みの世に遅るるも

 阿智村の住宅を巡見させていただいて、感慨深かったのですが、清内路の神社の脇、昔の「回り舞台」のあとが公民館になっていて、そこの2階にこんな和歌がいくつも詠まれて、掲げられていました。


養蚕を是としひたすらなりし世も 過ぎむとしつゝ残る桑株

村棲みの世に遅るるも承知にて 水声 鳥語 草莽の謡

2023年8月14日月曜日

近刊予告

近況ですが、『歴史学研究』No.1039(2023年9月)に 〈批判と反省〉『歴史とは何か 新版』(岩波書店, 2022)を訳出して (全7ぺージ)①  

『思想』No.1193(2023年9月)に 翻訳のスタイル (全4ぺージ)③  

が掲載されます。【後者は『思想』7月号「E・H・カーと『歴史とは何か』」特集号における上村論稿に触発されてしたためた小文で、そこで呈示された疑問や指摘に答えています。個人間の論争ではありません。一般的な意味を求めて、多くの第三者読者に向けて発した、論文/翻訳のスタイルについてのコメントです。ぼくもかつては清水幾太郎『論文の書き方』(岩波新書、1959)の愛読者で、卒業論文の執筆時に大いに参照しました。】
どちらも早ければ8月末には公刊とのことで、編集サイドの厚意とすみやかな作業のお陰です。ありがとうございます。
お読みになる順序としては、先にも少し書きましたとおり、
 『歴史学研究』9月号〈批判と反省〉①に最初の目を通していただき、
 その次に「思想の言葉:いま『歴史とは何か』を読み直す」『思想』7月号②を、
 そして、『思想』9月号の「翻訳のスタイル」③
という順で読んでいただくと、一番ナチュラルで良いかな、と思います。
②は、早くから岩波書店のウェブ「たねをまく」 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7306 にて公開されていますが、やはり順序として①が最初に読めるようにみずから努力すべきだったと、段取りの悪さを反省しています。

2021年2月10日水曜日

むずかしい → やさしい → 深くおもしろい → 愉快な瞬間

なぜか文藝春秋およびNHKで半藤一利の遺文が話題になっています。そのこと自体は良いことで、異論はありません。しかしその新刊本を紹介するところで

むずかしいことをやさしく、
 やさしいことをふかく、
 ふかいことをおもしろく、
 おもしろいことをまじめに、
 まじめなことをゆかいに、
 そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

という名文の引用源はいろいろある、というのは怪しからんのではありませんか? ましてや、ここで永六輔の2014年の本がしゃしゃり出てくるのはおかしい。

国会図書館の「レファレンス事例詳細」 https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000158633
にありますとおり、井上ひさし・劇団こまつ座ですよ!
こまつ座の『the座』14号(1989年9月)pp.16-17 で言及され、井上家の机の前にこの一文が吊されていたということです。 これだけ「やさしく」「ふかく」「ゆかいに」真理を言い当てている名文です。敬意をもって接したい。

とはいえ、少々の物書き経験者として申しますと、最初から「むずかしいことをやさしく」というのは、そもそも不可能に近い。
「むずかしいと見えること」をためつすがめつ、寝ても覚めても考え通すことによって、ある日アルキメデスのように、「分かった! エウレーカ!」とひらめく。
そうした寝ても覚めても、風呂に入っても、の日夜をへて、ある時、ようやく啓示のように、やさしく、深く、おもしろいことがやって来る愉快な瞬間に恵まれるんだな。

2020年8月2日日曜日

さみだれを集めて‥‥


先週のことですが、NHKニュースで河川工学の先生が
さみだれを集めて早し 最上川
と朗じて、このさみだれとは梅雨の長雨のことで、流域が広く、盆地と狭い急流のくりかえす最上川は増水して怖いくらいの勢いで流れているんですね‥‥と解説しているのを聞いて、忘れていた高校の古文の教材を想い出しました。

さみだれを集めて早し 最上川 (芭蕉、c.1689年)
さみだれや 大河を前に家二軒 (蕪村、c.1744年)

 明治になってこの二句を比べ論じた正岡子規の説のとおり、芭蕉の句には動と静のバランスを描いて落ち着いた絵が見える。しかし、蕪村の句は、増水した大河に飲み込まれそうな陋屋2軒に注目したことによって、危機的な迫力が生じる。蕪村に分がある、というのでした。
 しかしですよ、子規先生! 
第1に、そもそも蕪村は尊敬する芭蕉の歩いた道を数十年後にたどり歩き、芭蕉の句を想いながら自分の句を詠んだわけで、後から来た者としての優位性があって当然です。ないなら、凡庸ということ。
第2に、句人・詩人なら、完成した句だけでなく、
さみだれを集めて涼し 最上川
とするかどうか迷い再考した芭蕉の、そのプロセスにこそ興味関心をひかれるでしょう。蕪村はそうしたことも反芻しながらおくの細道を再訪し、自らを教育し直したわけです。
 さらに言えば、第3に正岡子規(1867-1902)もまた近代日本の文芸のありかを求めて先人芭蕉、蕪村、明治のマスコミ、漱石との交遊、‥‥を通じて自らの行く道を探し求めていたのでしょう。そのなかでの蕪村の再発見だとすると、高校古文での模範解答は、論じる主体なしの芭蕉・蕪村比較論にとどまって、高校生にとっては「はぁそうですか」程度の、リアリティに乏しいものでした。教える教員の力量ももろに出ちゃったかな。

 たとえれば、ハイドンの交響曲とベートーヴェンの交響曲を比べて、ベートーヴェンのほうがダイナミックに古典派を完成しているだけでなく、ロマン派の宇宙をすでに築きはじめていると言うのは、客観的かもしれないが、おこがましい。ハイドンが楽員たちと愉快に試みつつ完成した形式を踏襲しながら、前衛音楽家として実験を重ねるベートーヴェン。啓蒙の時代を完成したハイドンにたいして敬意は失うことなく、しかし十分な自負心をもって新しい時代を切り開いてゆく。(John Eliot Gardiner なら)révolutionnaire et romantique ですね。

 両者を論評しつつ自らの道を追求したシューマン(1810-56)が、上の子規にあたるのかな。優劣を評定するだけの進化論や、それぞれにそれぞれの価値を認めるといった相対主義ではつまらない。自らの営為と関係してはじめて比較研究(先行研究)は意味をもつ、と言いたい。

2019年8月31日土曜日

書いて考える/考えて書く

久方ぶりですね。
8月はひたすら内省と執筆の月でした。

去年の学生たちと読んだ Gordon Taylor, A Student's Writing Guide: How to plan & write successful essays (Cambridge U. P., 5th printing, 2014) ですが、気の利いた引用が多くて、読み進むのが楽しくなったものです。ときに再読しますが、ここには註の付け方とか巻末の参考文献表のスタイルをどうするか、といった退屈で、また大学や学会・出版社により少しづつ異なるルールには踏み込みません。そんなことは各々のルールに黙って従えばよいので、論文(原稿)が書けるかどうかで必死になってる人には副次的な問題です。
I have always preferred to reflect upon a problem before reading on it. Jean Piaget
関係文献を読むより、まずは何が問題なのか考えをめぐらす(瞑想する)ことが大事だというのですね。
さらには
How do I know what I think till I see what I say.  E. M. Forster
書いて文字になったものを見て、はじめて自分が考えていることがわかる!

よーく考えて、まずは書き付ける(引用はまずは記憶に頼ってよい)。どんな点で至らないのか、何をさらに調べなくてはいけないのか、目に見えるようにする。関係文献を探すのはそれからで良いし、何をどう読みなおすべきかもわかってくる。
とにかく頭の中にあることを文字にしないまま考えを進めたり、論文を書き進める/議論を展開するとかは(天才でもないかぎり)不可能だ、ということですね。
E. H. カーが『歴史とは何か』で言っていた(あまり引用されない)本質的なポイントは、
「素人の皆さんは‥‥歴史家は関係史料をしっかり読み込んで、ノートもファイルしたうえで、機が熟すと、おもむろに著書の最初から順に終わりまで書き下ろす、とでもお思いでしょうが、そうは問屋は下ろしてくれない。少なくともわたしの場合は、二三の決定的な史料(証言)と思われるものに出会ったら、むずむずしてきて(the itch becomes too strong)書き始めちゃう。それは最初か、どの部分か、どこでもいいんです。で、それからは読むのと書くのとが同時に進むんです。読み進むにつれて、書いた文は追加されたり削られたり、修文されたり棒引きされたり。書いた文章によって[史料・文献の]読みの方向が定まり、実を結びます。書き進むにつれて、わたしが探しているものが分かってくるし、わたしの所見の意味と関連性が理解できるようになるのです。‥‥」Taylor, p.6.
この引用があるだけでも、著者 Taylor先生の聡明さが想像できるというものです!

昔(まだ100%手書きの時代に)、ぼくの近辺に「メモやノートは必要ない、読んだことは頭に入っている。ひたすら原稿用紙に向かって書いて行けばいいのだ。めったに書き損じはない」とうそぶく男が2人いました。はたして天才だったのでしょうか? 1人は(すでに故人です)一生の間に論文(らしきもの)を2本だけ書きました。もう1人は(定年で退職しました)一生の間に書いたのはすべて学内紀要で、全国誌にはひとつもありません。もちろん欧文はゼロ。2人のどちらも今からみて研究史的に意義あるものは残していませんし、その名前さえ、近くにいた人以外は知らないのではないでしょうか。つまり書くこと、推敲することを疎んじて、書いて考える(自分の文章を導きに、批判し、考えを深め展開する)といったことをしない人は、学者研究者としては成長しないということかな。