2015年8月30日日曜日

安倍首相談話 と 賢人たち

ご無沙汰しています。暑い夏でした。
8月14日の「首相談話」について、旧聞に属するかもしれませんが、一言申しますと、有識者会議の強い意見の成果でしょうか、ミニマムの合格点になったと思います。満点ではありません。
とりわけ政府の責任で発表された英語版にも注意したいと思います。ぼくはこれを北海道・礼文で読みました。
「‥‥痛切な反省と心からのお詫びの気持を表明してきました」という日本語が過去形だと問題にする筋もありましたが、英語では明白に、過去形でなく現在完了形です。
Japan has repeatedly expressed the feelings of deep remorse and heartfelt apology for its actions during the war.
念のため、現在完了形とは、過去のこと、終わったことでなく、present perfect (完璧なる現在)という時制です。高校英語では「現在完了の3つの用法」といったアホな教え方をしていますが、(経験・継続・完了のいずれであれ)あくまで現在を歴史的にみた表現。単純過去や単純現在とちがって、今を成り立たせているものの来し方を見通す時制でしょう。割り切っていえば、過去形でなく現在形であり、条件反射の時制でなく、今を歴史的に見渡す時制です。
The past is not dead; it's not even passed.
というフォークナとも共通する「歴史をみる眼」=「現在をみる眼」=「将来をみる眼」。これを、安倍首相の個人的な好悪をこえて公に発信せよと説得し、迫り、「うーん、しかたないか」と従わせた賢人たちに、敬意を表したいと思います。

2015年8月29日土曜日

永栄 潔

朝刊にて、永栄 潔 の名に遭遇。
『朝日新聞』を定年退職して大学非常勤講師や、高校同期会でも活躍している永栄。その著書『ブンヤ暮らし三十六年 回想の朝日新聞』で第14回新潮ドキュメント賞を受章と。おめでとう!
https://www.shinchosha.co.jp/prizes/documentsho/

千葉高校時代には陸上部でも生徒会でも活躍していた。女の子の心をときめかしてもいた。結局、結婚したのも同期の女子だ。ぼくたちが2年生の秋、翌年度から3年生を文系理系に分けて編成するという学校の告知にたいして、千葉高校の教養主義の終焉というので、ぼくたちはブツブツ言っていたのだが、全学集会で一人挙手して、教頭に質問があります、といった永栄は格好よかった。そのあと一人召喚されて、「はい」と言わされたらしい! ちょうどヴェトナム戦争、北爆の1964年だった。
今も体形を維持して格好いい68歳。どうぞお元気で!

2015年8月7日金曜日

首相の有識者会議

 毎日 暑いですね。
 例年、その暑い8月には20世紀史の史料や史実が公開されて目を覚まされますが、この夏は、8月14日録音の「大東亜戦争終結に関する詔書」(玉音放送)の原盤発表にかかわり「御文庫付属室」の写真、そしてなにより安倍首相諮問の有識者会議「21世紀構想懇談会」の報告書が各新聞に載りました。この16名の「有識者」の選定にどういう力が働いたか存じませんが、北岡伸一さんのイニシアティヴは明らかで、9割方は現実的で穏当な委嘱だったと思われます。林健太郎も中曽根康弘も「侵略戦争」と認めているアジア・太平洋戦争ですが、なかには冴えない先生も交じっていて「国際法上定義が定まっていないなどの理由で「侵略」という語を用いることに異議が表された」とのことです。これがだれなのか、簡単に同定できますね。
 じつは靖国神社について論及していないのも不満ですが、とはいえ、まずは現首相に「読む気」になってもらわなくてはならず、そこは一種のレトリックとして、必要不可欠、絶対に踏まえるべきことを明記し訴えた、という位置づけでしょうか。

 ぼくの側では、もっと卑小なレヴェルでの発言ですが、『週刊読書人』7月24日号に〈上半期の収穫〉をしたためています。今年の3点は、
T.ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房)、
J.ウァーモルド【どうしてワーモルドじゃないの?】『ブリテン諸島の歴史 17世紀 1603-1688』(慶応義塾大学出版会:Langford 監修の SOHBIの翻訳)、
そして
服部春彦『文化財の併合』(知泉書館)です。

2015年8月4日火曜日

Paul Langford 1945-2015

 ラングフォド先生の授業(講義)を、ぼくは1981年にケインブリッジの Faculty of History 棟で聴講しました。オクスフォードから一種の非常勤講師として1学期間だけいらしたのです。ぼくの2歳年上とはいえ、24歳から特別研究員(junior research fellow)として研究に専念し、 The Excise Crisis (OUP, 1975)をはじめとして、18世紀の諸イシューを焦点に、政治社会史をダイナミックにとらえようとする仕事を次々に発表する新しい星として、日本でも松浦高嶺さん、青木康さんをはじめ、知る人ぞ知る研究者でしたから、毎週欠かさず聞きました。あのとき36歳だったのですね。

 ぼくの先生 Boyd Hilton, そして John Morrill と同期で、同じオクスフォード歴史学の秀才3人組。Langford (18世紀)が、生涯、オクスフォードで教え、(HRB、一種、日本学術振興会の会長さんみたいな激務でロンドンにいた期間は別として)勤務したのにたいし、Morrill (17世紀)、Hilton (19世紀)の2人は、ともに以後ケインブリッジで生涯を過ごすことになった。オクスブリッジのどちらが上か、強いか、というのは(ほとんどセリーグとパリーグを比べるのに等しい)愚問に属するけれど、それぞれの歴史学部の顔となったわけです。
 その主著 Langford, Public Life & the Propertied Englishman (OUP, 1991) は Ford Lectures の大冊ですが、2つの意味で印象的でした。1) J. ハーバマスにただの一度も言及することなく18世紀イギリスの言論、公共性、ブルジョワ、商業生活を論じていること。2) 18世紀前半の宗派がもろに表面化する係争的政治文化から、後半への転換を論じるところで Kondo, The workhouse issue at Manchester (Nagoya University, 1987)が数度にわたり論及・引用されていること。

 1995年、ロンドン在住中でしたが、Joanna Innes の仲介でラングフォド先生の18世紀史セミナーで研究報告することができました。リンカン学寮の中庭に面した、明るい=ネオバロック風の部屋。事後に恒例の The Mitre で一杯飲んだあと、 Covered Market 近くのピザ屋で、上の2点について改めて尋ねてみました。2) については外交辞令的な(?)お褒めの言葉でしたが、1) についてはハーバマスなんて読んでないし、影響も受けていない、自分は経験主義史家だ、と繰りかえされました。

 まだ若いぼくとしては、こうした答えにはいささか不満が残る夜でした。しかし、この English elite のイメージとは異なる風貌の、オクスフォードを代表する知性と議論できて、なおぼくの側の地平の広まりと深まりが必要だと再認識したことでした。やはり南ウェールズの出身で、どこか John Habakkuk に似た雰囲気でしたね。
 しばらくご病気だったと聞いていましたが、訃報を聞き、いろいろなことが甦ってきました。ご冥福を祈ります。