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2025年4月10日木曜日

Shohei's 'might-have-been'

 『「主権国家」再考』が岩波書店のウェブぺージに載りました。中澤達哉責任編集/歴史学研究会編、岩波書店、4730円。16日刊行とのこと。詳細な目次も、こちらに → https://www.iwanami.co.jp/book/b10132793.html
先にも(3月6日)書きました「‥‥今、トランプ第二期政権は歴史も国際法もなきがごとく、独特の「主権」を主張して世界を驚愕させている。」というぼくのセンテンスは、今となっては、ちょっと弱すぎる表現でした。
 そうした折、なんと大谷翔平(とドジャーズ選手たち)がホワイトハウスに招かれてトランプ大統領と談笑する光景が報道されました。何を話したのか、あまり愉快でない報道写真でした。ここでもし Shohei Ohtani が 
「ぼくは高校しか出てないし、野球のことばかり考えてきましたが、でも高校の公民では貿易収支(balance of trade)と経常収支(balance of current account)の区別は習いました。トランプさんはどうして今さら「貿易収支」みたいな物の取引の赤字なんかにこだわって、国際的なマネーや目に見えない富のやりとりは見ないんですか? 大統領はたしか大学を出て、すごいビジネスで成功なさっているんですよね」
とか、たとえ通訳を通してでも言えたなら、Shohei's Show-time! として、万国で人気が沸騰したに違いないのに。たられば(might-have-been)史観ですが。

2025年4月9日水曜日

相互関税? 報復関税! 

 April Fool の4月1日を避けて2日(水)に発表されたトランプ大統領の Reciprocal Tariff ですが、驚きですね。『朝日』だけでなく『日経』もはっきりと批判・反対の立場を表明。
なんの合理性もなく、ただの18・19世紀的な貿易収支にこだわる「重商主義」、自国(の大衆有権者の歓心)第一の発想、と見えます。こうした近視眼的な行為によって、国際的な信義も友情も失うことを何とも思わないというのが、「大国」の大統領およびその取り巻きの頭脳だとすると、驚くべきことです。(そもそもドナルド・トランプという男の人生で、友情や信義は意味をもつのでしょうか? ディールとカネだけの人生というのは、さびしい。)
ホワイトハウスは相互関税(と日本のメディアは訳していますが、reciprocal tariff とはこの場合、報復関税でしょう)の計算根拠として、こんな数式を公表したようです。
しかし、万国に対して一律の数式を適用しているわけではありません。
LSEのThomas Sampson によれば "The formula is reverse engineered to rationalise charging tariffs on countries with which the US has a trade deficit. There is no economic rationale for doing this and it will cost the global economy dearly." ということです。つまり結論が先で、それに合わせるべく計算式を経済学の理に反して invention したわけです。
さらにオーストラリアのオールバニーズ首相は、単純明快に的確に This is not the act of a friend. と反応しました(ともにBBC情報です https://www.bbc.com/news/articles/c93gq72n7y1o)。

2025年3月6日木曜日

主権国家サイコー(II)

 <承前> わが序章「主権という概念の歴史性」の書き出しについては、何度も書き改めて(合衆国の大統領選挙が進行中で、カマラ・ハリス優勢かもという報道に甘い期待を抱いたりしていました)、結局、現状分析の項目記事ではないと割り切って、第2段落で、短かくこうしたためて了としました。
 「今日、主権は争点としてきわだつ。ロシア連邦(プーチン大統領)、イスラエル国(ネタニヤフ首相)、そして中華人民共和国(習国家主席)のそれぞれ隣接地域にたいする侵攻と住民への暴虐については言葉を失うが、こうした事態を批判すると、当該政権から強い糾弾が返ってくる。その地のいわゆる「犯罪者」「叛乱分子」「テロリスト」を容認すること自体が、国家主権の侵害にあたるという「強者の論理」である。さらに今、トランプ第二期政権は歴史も国際法もなきがごとく、独特の「主権」を主張して世界を驚愕させている。
 2月17日に再校を戻す時点では、時間切れでもあり、おとなしくこれで済ませたのですが、その後の事態は、驚愕どころか、わたしたちの歴史観・世界観・ものの考えかたの根本的な更新を迫っているかもしれない。トランプ政権は経済学も、国際信頼関係もなきがごとく、Make America Great Again のスローガンのみ。MAGA、すなわち短期的(せいぜい4年の)スパンでしかことを考えないマネーゲーム人と有権者大衆との損得勘定の合算で、突っ走っています。
 損得勘定といっても、19世紀的(あるいは重商主義的?)な農工業偏重・貿易黒字主義で、自分/わが国さえよければ他はどうにでもなれ!という短慮だけです。たとえ自国のGDP≒国民経済ファースト、と考えたとしても、複合的な産業連関があるので、じつは関税障壁で国境を守れば OK というのはアホの知恵です。21世紀の大統領がそう本気で考えているとしたら、ブレインたちの怠慢でしょう。
 これにプラスして、民主党=バイデン政権を責める論法と、薬物規制がうまく行かないのを他国のせいにする議論が加わります。昨日の施政方針演説は、なんだか少年のケンカみたいで - 文字どおりのジャイアン - 、聞いていられない。大統領閣下=最高司令官がこのレベルで「論破」を続けると、全国民的に emotionalな対立があおられ、空気(political climate)が悪くなります。いずれ凶事が誘発されるのではないか、心配です。
 リベラル・デモクラシーが機能するには、有権者の大多数が知的で、落ち着いて、判断するということが大前提でした。合衆国でも、兵庫県でも、大前提が違ってきているのではないでしょうか。

2025年2月1日土曜日

2期目のトランプ

 1月20日に就任式を終えたトランプ大統領、議会の承認なしで執行できる大統領令(executive order)でどんなことを指令するか、メディアは戦々恐々で見つめていただろうと思います。ただ、いろんな極端なことを言っても、それは deal の始まりで、(ブレインが熟慮したうえでの)ほどほどの所に落とし所があるのではないか、と。 DEI (Diversity, Equity, Inclusion)原則の否定についても、民主党政権とは違う、という意思表示でしかないかも、と甘い観測もありました。
AIP(American Institute of Physics)は科学の研究教育にかかわる補助金の支出停止について憂慮を表明していましたが、裁判所が「支出停止」は違法だと決定したようです。https://ww2.aip.org/fyi/trump-spending-freezes-sow-confusion-among-researchers
   ところが、ワシントンDCの航空機衝突事故について、31日(JST)のトランプは型どおりの弔意を表したあとに、事故は管制官の採用方針における DEI のせいだと述べます。
. . . the hiring guidance for the FAA's diversity and inclusion programme included preference for those with disabilities involving "hearing, vision, missing extremities, partial paralysis, complete paralysis, epilepsy, severe intellectual disability, psychiatric disability and dwarfism".
https://www.bbc.com/news/articles/cpvmdm1m7m9o
これはまるでガキの喧嘩の論法(おまえのカーさんデベソ)で、大国の大統領としての品位も徳も感じられない。こんな男を大統領へとかつぎ上げ、投票した有権者たちの人格も疑われます。
記者会見で、このトランプの放言について根拠を問いただした記者にたいしては、
Asked by a reporter how he could blame diversity programmes for the crash when the investigation had only just begun, the president responded: "Because I have common sense."(やはり BBC.com)
ということで、これは18世紀スコットランド人たちが common sense について口角泡を飛ばして議論していたことへの侮辱か、挑戦か。両方でしょう。そもそもトランプもその支持者も反知性主義 anti-intellectualism です。

 モンテスキューは言っていました。「共和国においてはが必要であり、君主国においては名誉が必要であるように、専制政体の国においては恐怖が必要である。」『法の精神』岩波文庫(上) p.82.
同じく一君をいただく政体ではあっても「君主政においては、君公がもろもろの知識の光をもち、大臣たちが公務に堪能で練達である。専制国家においてはそうではない。」p.86.
 アメリカ合衆国はいまや共和国でも君主国でもなく、(4年間の)専制政体(despotism)の国に転じたかに見えます。

2024年12月25日水曜日

『講義 ドラマールを読む』

 クリスマス直前に、二宮宏之さんの遺著『講義 ドラマールを読む』(刀水書房、2024年12月)が到来! 知る人ぞ知る、ながらく話題になっていた、二宮さんの東大文学部における1984年度の講義全23回分が、そして講義中に配布された資料も一緒に、二宮素子さんのたゆまぬ努力、刀水書房=中村さんの全面サポートにより、ついに本になったのですね。
 B5の横組2段で iv+466ぺージ! 一般書店には置かず、刀水書房のサイトから直接注文する方式です。
http://www.tousuishobou.com/tankoubon/4-88708-487-2.html
https://tousui-online.stores.jp/
 ずしりと重い、存在感のある大著です。横組2段ですから、見開きで4段となり、視野の中心に左右にひろく拡がりますが、案外に目に優しく、読みやすい。 録音が忠実に起こされているので、数々の歴史家や研究史についてのコメント、また(完成本であれば割愛されたかもしれない)言い直しや言い淀みまで再現され、二宮さんのお話をそのまま聴いているような気持になります。そして配布資料に加えられた手書きの文字! 彼の口吻と、お顔や姿勢まで再生されるかと想われるようなご本ですが、なにより17-18世紀フランスをめぐる学識の厚み、熱い意気込みが読む人に伝わります。17-18世紀の書物を探す苦労、辞書を読む楽しさとともに、「ポリース」(← ギリシアのpoliteia、ローマの res publica、ドイツのPolizei)から始まってアンシァン・レジーム[あるいは近世ヨーロッパ]のキーワードが時代の用法としてよみがえる。
 (ちょうど同じ頃に名古屋大学文学部でも集中講義をなさいましたが、こちらは「フランス王権の象徴機能」でした。計4日、12コマの集中では『ドラマール』をやるのは困難ですね。)
 これは生前の二宮宏之さんがくりかえし口になさっていた、(最後の著作となさりたかった)すばらしい名講義で、多くの人を感動させる本ではないでしょうか。さぞやご本人はこれをご自分の手で、最後までしっかり推敲したうえで公けになさりたかったでしょう。
 何人もの協力でようやく世に出た由です。関係なさった皆々さんに感謝いたします。

2024年11月16日土曜日

アメリカの、民主主義の、これから

5日(日本時間6日)の合衆国選挙の結果。なんとトランプの復活だけでなく、上院も下院も共和党が勝利! いったいマスコミの「大接戦」という予報は何だったんだ、というほどの最悪の結果です。これから4年間のトランプ専制が始まります。言葉を失います。
  (斜線がかかっている州で、2020年:民主から、2024年:共和へと振れました。)
合衆国の東北端と西海岸のリベラル州において民主党やジャーナリストの主導したPC(politically correct)なidentity / diversity politics は、全米的には通用せず、かえって庶民からは高学歴エリートの空理空論として反発された、ということでしょうか。完敗です。かつての大統領選挙でも民主党リベラル候補のアル・ゴア、ヒラリ・クリントンは続けて保守的なおじさん路線のブッシュやトランプに敗北しました。今回は輪をかけてリベラルで理想主義的な黒人女性エリートのカマラ・ハリスが完敗。これをアメリカ民主主義はどう総括するのでしょうか。
一昔前、ビル・クリントンやバラク・オバマの再選が続いたころには、「アメリカ共和党がWASPの党であるかぎり将来はない、多民族・多文化にどう対応するのか、根本的な転換が必要だ」といった論調が垣間見えました。ところが、今回の選挙ではむしろ反対に、白人でもプロテスタントでもない黒人やヒスパニックの労働者も含めて、トランプ的な即効に期待する人びとが多かったのです。リベラルな黒人女性エリートが理性的に正論=寛容を説くのを嫌う、愚かな男たちも(出身のいかんにかかわらず)少なくなかったでしょう。
たちが悪いのは、トランプ政権を支えるのは、けっして貧しい庶民の代表でも味方でもなく、大衆を操作して、自由放任(やりたい放題)をねらう金もうけ主義の大卒エリートたちだという事実です。ヴェーバーが『プロテスタントの倫理と資本主義の精神』の最後で憂いた「精神なき専門家、心なき享楽人‥‥」の天国が到来します‥‥。
これが合衆国だけのローカルな政治であれば、放っとけばよい。しかし、現代の国際政治のなかで(経済社会も含めて)、エリートが大衆の排外主義と攻撃性をあおると、とんでもない展開が待っている、というのは20世紀の歴史が何度も、どこでも明らかにしていることです。共和党のなかの相対的に賢明な人びとのバランス力に期待するしかないのでしょうか。
さらには、アメリカ合衆国だけではありません。他の「民主主義国」についても同じような危うさが感じられます。

2024年11月4日月曜日

アメリカの民主主義

いよいよ5日(日本時間では6日に投開票)に迫ったアメリカ合衆国大統領選挙です。民主党・共和党、それぞれ盤石の支持基盤が40%以上(47%以上?)あって、浮動票や若年層を把握しようと最後の追い込みです。
とはいえ全国的な支持率調査は、それだけでは misleading 過ちをもたらします。United States の連邦主義は明白に大統領選挙人団(electoral college)の制度に生きています。どんなにカリフォーニア州やニューヨーク州で Kamala Harrisが圧倒的に勝っても選挙人の上限は決まっていて、「激戦州」で僅差の敗北が重なれば、結局は彼女は負け、Donald Trumpの勝利となります。これは変な制度ではなく、建国のとき以来の連邦国家ゆえの原理原則です。
現実的な問題は、それよりも、たとえばトランプは嫌い、でもハリス=民主党はイスラエルに甘い、環境=温暖化問題にも甘い、だからハリスを支持するわけにゆかない‥‥といった若者がいて、批判の意思表示として 棄権する、あるいは無効票を投じるといった傾向です。
3億人を越える大国で100%の理想的な政治はそう簡単には実現しません。選択肢が2つならベターなほう/悪くないほうを選ぶしかない。世の中が安定して、おだやかに成長している時代であれば、棄権・無効票によって異議を申したてるのも意味ある行為です。しかし今はたいへん緊迫した情況で、こうした折には「最悪」を避けることを第一に考えるべきでしょう。
トランプは歴史的に A.ヒトラーJ.マッカーシ上院議員に肩をならべる存在です。敵を作り、これを攻撃し、あおることによって自らの権力を維持する。荒廃の時代を世界史に刻みのこす。こんなヤツに権力を執らせてはならない。
あの連中(Them)われわれ(Us)の対立を際だたせ、口をきわめてThemを攻撃し、敵の陰謀をとなえ、Usの正しさ、愛国心、力強さをうたいあげる。迷い・ブレ・まちがいを許さない。ロベスピエールとの違いは、経済的自由放任(やりたい放題)の立場で、また反教養主義である点でしょうか。徳のかわりに男らしさを強調していますね。
今は、政治的に賢明な決断をする秋です。世界が、文明が、この選挙に注目し凝視しています。アメリカ合衆国の民主主義が試されています。

2024年10月31日木曜日

総選挙と大人の政治

なかなか慌ただしかった10月。27日(日)の総選挙の結果と今後については多方面で論評されていますが、
  おごる自民党が大敗して191議席(← 247)、
  自民ににじり寄る公明党もまさかの大敗で24議席(← 32)、
  与党 計215 ⇔ 野党 計235 でした(定数465)。
野党を愚弄し、有権者をなめきった安倍晋三政権から菅義偉政権(連続して麻生太郎が大御所然と内閣に鎮座していた)の罪状 - つまり旧統一教会、キックバック脱税、なにより不透明な官房専決 - がようやく公になって、岸田政権はなぁなぁで凌いできましたが、解散・総選挙の決断ができずに自壊。弱体=石破政権はただちに総選挙に打って出たまではよかったが、泰然たる読書人よろしく、火急の大問題に対応し処理する実行力に欠け、腰の定まらぬままアタフタ、右往左往してしまった。
野党間で立候補調整の余裕のないまま=不十分な準備のまま臨んだ総選挙なのに、与党がこれだけ大敗するとは、よほどのことです。有権者をなめるんじゃない、ということです。
今後の連立政権・閣外協力のための協議、権謀術数については、みにくい「野合」だの「数の論理」だのと冷笑するのでなく、政治とはそういうことです。交渉し妥協する大人のゲームとして、日本政治の成長を見守りたいと思います。
純粋主義(puritanism)、ブレない政治が良いとしてきた価値観は、あまりにも幼い。GHQのマッカーサに「12歳の国民」と評されたころの世界観です。そろそろ卒業したい。
とはいえ、同時に、ひそかに参政党、日本保守党といった純右翼政党が得票を伸ばしている事実は警戒しています。総選挙では自民党の(男権・靖国)別働隊のように動きました。いずれ彼らは自民党に吸収されるのか、逆に自民党が男権=靖国セクトを細胞分裂させて、自身は現代の保守主義政党に脱皮するのか。注目したい。後者は、ほとんどありえないですね!
彼らは国連の女性差別撤廃委員会(UN-CEDAW)の勧告に、本質的・感性的に反発し凝り固まるグループです。CEDAWについて正確には → https://www.ohchr.org/en/topic/gender-equality-and-womens-rights  その 29 October: Press Release というぺージです。

2024年7月27日土曜日

暑い7月:中学生から知りたい パレスチナのこと

〈承前〉  暑い7月:『中学生から知りたい パレスチナのこと』の続きです。昨日書いたことだけですと、パレスチナのことを正しく知りましょう、というので終わってしまいそうですが、むしろこの本の強みは、アラブ・パレスチナ問題の専門家=岡さんと対話しつつ、ポーランド・ウクライナの小山さん、ドイツそして食の藤原さんが積極的に議論している点にあると思います。
 中東欧のことに少しでも触れるとユダヤ人問題に正面から向きあわないわけにゆかない、と承知していますが、2つの地図、①旧ロシア帝国と旧オーストリア・ハンガリー帝国の境 - バルト海と黒海にはさまれた幅広い帯の地域 - に広がるユダヤ人強制集住地域(Pale of Settlement, p.113)と、②東欧の流血地帯(Bloodland, p.116)との重なりを見せつけられると、厳しい。 ここには地図②のみコピーして載せます。
 著者3人の座談会で話されているとおり(pp.191-198)、ただの「民族の悲哀」ではなく、なぜかこのあたりには「突出した暴力を行使するシステム」が存在し、それを許容してしまう情況があった。【ちなみに the Pale とは原義の「柵の中」→「アイルランドにおけるイングランド人の支配地域」という用法はよく知られていますが、「ロシア帝国におけるユダヤ人強制集住地域」として固有名詞的に使用されていたとは!】
 シオニズムについても、イスラエルに違和感をもつユダヤ人たちについても、中途半端な認識しかないぼくにとって、この本のあらゆるぺージが目の覚める発言に溢れています。
 本体1800円。「中学生から」後期高齢者までに向けた本です。3著者とミシマ社の速やかな協力による、すばらしい本です。ぼくもL・B・ネイミア(ルートヴィク・ベルンシュタイン)をはじめとする中東欧人の生涯と20世紀シオニズムとの、単純でない関わりを知るにつれ、しっかり理解したいと思っていたテーマでした。
 なお書名の前半『中学生から知りたい』については、前回ちょっと違和感を洩らしました。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2022/06/blog-post_11.html  今回、あとがき(p.209)に小山さんが「中学生から」とは「‥‥日本語の本を読むための基礎的な教育を受けたことのあるすべての人」という意味だろうと「定義」しておられ、そういうことなら、違和感なし、とここに訂正します。

§ ところで、こうした問題は、『歴史学の縁取り方』(東大出版会、2020)でも - とくに小野塚さんあたりが - 明示的に問うておられました。また2022年、京大の西洋史読書会シンポジウム(Zoom)でも、重要なテーマになりました。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2022/11/ 共通して、学者研究者にとって(その卵にとっても)根本的な問題が、より緊急性を帯びたイシューについて議論され、実行された出版の好例と受けとめました。
 なお本のカバーデザインについても一言。明るい緑色のバックに、地球儀とともにパレスチナのオレンジが示されて、本文中の藤原さんの言(p.173の前後)に対応しています。むかし学校で習った「肥沃な三日月地帯」がイスラエルによる水資源の独占により、パレスチナでは柑橘栽培が抑制され、外国からの輸入・援助によらねば日常の食糧が確保できない現状 → 強制された飢餓状態、に思いを馳せることを読者に促しているのでしょうか。
 近年はスーパーでも普通に目にするようになったイスラエル産の柑橘、果物、ワイン‥‥。手を伸ばすのにいささか躊躇します。

2024年7月26日金曜日

暑い7月

 今月に入ってから、いろんなことがありました。
 イギリス総選挙と労働党の組閣;フランス国民議会選挙と政権の「オランピク休戦」!;合衆国ではトランプ狙撃に続き、これではトランプ圧勝に向かうかと見られた情況が、22日、バイデンの大統領選辞退、ハリス支持にともない、事態は急転直下 → 民主党の団結へと転じて「最悪」は防げるかもという希望が生じました。‥‥
 そうしたなか、2冊の本が到来して、背筋をのばされる思いです。
 順番に、まずは『中学生から知りたい パレスチナのこと』(ミシマ社、2024年7月)です。
 2022年6月に『中学生から知りたい ウクライナのこと』で、時宜をえた出版を実現した、小山哲・藤原辰史のお二人とミシマ社のトリオについては、このブログでも触れました。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2022/06/blog-post_11.html
これはすばらしい内容と迅速な公刊で、大歓迎でしたが、じつは特別に驚いたわけではなかった。100%の好感とともに、このお二人なら、こういうこともなさるかな、と自然に受けとめました。
 今回の『パレスチナのこと』については、まずは驚き、さらにこれこそ歴史的な学問をやっている人びとの責任のとり方だ、と姿勢を正しました。
 イスラエルの蛮行、ガザの惨状につき、日夜、憤りとともに心を痛める(さらに歴史的背景を自分なりに探る‥‥)までは - このブログを見る人なら - だれもがやっているかもしれませんが、「事態は複雑だ、解決はむずかしい」より先に一歩進めて、歴史と地理を考える/調べる、さらに二歩目の、自分がやってること/自分の世界史観の見直し・再展開につなげる、というまでは(手がかりがないと)なかなか難儀です。
 イスラエル国を批判することが「反ユダヤ主義」に直結するのではないかと懸念し、そもそもホロコーストと「英仏の帝国主義」に翻弄された被害者としてイスラエル人を免罪する/サポートするという傾向が、わたしたち生半可の知識をもつ者には少なくなかった。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2024/01/blog-post.html
https://kondohistorian.blogspot.com/2024/01/blog-post_29.html
https://kondohistorian.blogspot.com/2024/01/blog-post_30.html
 そうした生半可の常識(学校教育で教えられ/カバーされてきた事実認識)をひっくり返す本です。現代アラブ・パレスチナの専門家=岡真理さんによって、「2000年前にユダヤ人(ユダヤ教徒)が追放されて世界に離散した」というのはフィクション(p.24);かつての南アフリカ共和国のようなアパルトヘイト国家=イスラエル国は -「ホロコースト」の犠牲者であるがゆえに - 何があっても - 免責される;「敬虔なユダヤ教徒はシオニズムを批判し、これに反対してきました」(p.49)といったぐあいに指摘され、目の覚める思いです。  〈つづく〉

2024年6月1日土曜日

アメリカのデモクラシに まだ希望が‥‥

(私ごとで時間をとられている間に、日も月も替わってしまいました。)トランプの恥ずかしい違法行為の数々について、ニューヨークの12名の陪審員が「34件すべて Guilty」と評決したというニュース。わずかながら希望がつなげたような気がします。
「口止め料裁判」と日本で言っているのは、英語で hush-money trial/case なのですね。
とはいえ、「これぞニューヨークの司法が腐敗して魔女裁判をやっていることの証」といった暴言が通り、マスコミもそのまま報道する、といった現実。「底が深い」としか言いようがありません。合衆国の有権者のみなさん、賢明であってください!
混合政体(mixed constitution)の要素を排して実現した大衆民主主義の危うさを見ているような気がします。そもそも共和党の「保守派」≒「良識派」の声はなかなか聞こえてきません!
  Washington Post紙のロゴのすぐ下には Democracy dies in darkness. と謳っています。

2024年5月1日水曜日

衆院補選 東京15区

4月28日(日)の衆院補選について、話題の「東京15区」です。
マスコミは「立民3勝、自民3敗」とか言っていますが、「敵失」で勝っただけですので、驕らないでほしい。個人的には、むしろ選挙運動中に目撃した現象につき、たいへん憂慮していました。最終的な投票結果をみて、ほんのすこし安堵というか、まだ最悪の情況ではないかな、という暫定的な気持です。
ぼくが目撃したのは商業施設前での立ち会い演説における「根本りょうすけ」の妨害行為です。何百メートルも先から聞こえる大音響で、特定候補にからみ、執拗に妨害するのです。
たまたま地下鉄駅前で支持者を前に演説していた日本保守党(百田尚樹が代表、全員が富岡八幡宮のたすきを掛ける)の選挙カーにほとんどぶつかる勢いで、「保守党は戦争国家アメリカとイスラエルを支持している」と、この点に限れば的確に衝いて(!)、「論破した、どうだ、なにか言えるか」といった調子で、支持者たちには「そのじじい、ばばあ、言ってみろ」と罵倒する。
立憲民主党の宣伝カーは、近づく前に回避して他の方向へ向かったので、「おい立民、逃げるのか」と追って挑発する。ちょっとラップのリズムをまねたような調子で悪罵と威嚇(の大音響)を連ねて、聴衆・観衆を挑発する。ぼくは目撃していませんが、「都民ファースト」の乙武洋匡や「維新」への個人攻撃もすごいものがあったようです。
→ NHK  → 読売新聞  → 毎日新聞 
ようするに、ひとが選挙宣伝活動を続けられないように妨害し、かつ聴衆を威嚇しているだけなのですが、しかし、右を攻撃し、左にまとわりつき、小池都政を罵倒し、どういう政治的メッセージなのか、よくわかりません。無為無力の老人党をたたき、共民の連立を攻撃するというのは、よくある年金世代に反発する若者へのアピールなのでしょうか? 反米反中の国粋主義というトーンは他の候補にもうかがえるのですが、「論破」して対話の余地をあたえない、その攻撃性、威嚇性という点では他に類のないほどきわだちます。
公職選挙法における妨害行為 ⇔ 言論の自由、という争点で、裁判所の判決が言論の自由を優先してきたことが、警察の取締を抑制させている、との報道もありました。この点は、もっと分析的に正確に伝えてほしい。
トランプの政治姿勢にも似た、一種の民衆的・反知性的ファッショの要素がどれだけ許され、大衆的に受け入れられるのか? 開票結果がどうなるか、注目してフォローしました。東京15区では  → NHK
 酒井なつみ(立民)=49,476票が一位当選。
 その下に2万票前後で4人が団子にならび、最下位に
 根本りょうすけ(つばさ)=1,110票。
総計141,076票のうち、「つばさ」を名乗る泡沫威嚇グループは1%に満たなかった。とはいえ、千票以上も支持する者がいた。これは不健全な、見逃せない現象です。ナチスも合法的に、マッチョで威嚇的な運動によって勢力を伸ばしたのでした。

2024年4月10日水曜日

現代のシャリヴァリ

3月の土曜にウェスミンスタの国会議事堂・貴族院脇を歩いていたら、にぎやかな音声が響く‥‥と思ううちに、Millbank通りの南から数百人のデモ行進がやってきました。
先頭の横断幕には
 LGBT+ against Racism
続いて
 No to Islamphobia
 Refugees Welcome Here
 Smash the Far Right
 Freedom for Palestine   などとあり、
 Socialist Workers Party や UNISON などの組織名も見える。
土曜の午後に議会の周辺で「極右」に反対するデモンストレーションということでしょう。
メガフォンにあわせてシュプレヒコールもあるけれど、圧倒的なのはなにかの金属用品とドラム(鉦太鼓)をたたいての大音響。これになんらかの笑劇パフォーマンスが加われば、シャリヴァリそのものだなと思いました。
各グループのゆるい連携による行動かと思われます。警官隊も同行していますが、交通整理とトラブル防止のためでしょう、威圧的な風はなし。

2022年12月2日金曜日

毎日新聞 夕刊〈特集ワイド〉

世間はFIFAワールドカップで沸き立っています。他方で、宮台さんの襲撃事件で厳粛な気持にさせられています。
個人的には、先月に毎日新聞社であった取材をもとに、今日の夕刊に〈特集ワイド〉の記事が載っています。オンラインと紙媒体の記事の異同は、まだ確認していません。引用されている発言はぼくのものですが、それをもとにあくまで福田記者が構成した文章です。
 予想していたよりもぼくの顔写真が大きいのと、タイトル「この国はどこへ これだけは言いたい 歴史を顧みる姿勢大事 E・H・カー新訳 近藤和彦さん 75歳」には、ビックリしました。老人が世の中から消えてゆく前に「これだけは言っておかねば‥‥」と遺言しているかのような雰囲気? 
でも(家人に、ぼくの顔ってこんなもんだ、と言われて)もう一度落ち着いて読み直すと、まぁたしかにカー先生や『歴史とは何か 新版』のことばかりでなく、こんな話もしたな、ということを、有能な記者さんが上手に誘導して上手にまとめてくれているのかもしれない。
https://mainichi.jp/articles/20221202/dde/012/040/005000c
皆さんが読むと、どう受けとめられるのでしょうか。

2022年9月8日木曜日

ラス ではなく ト

今回の党員投票で、英国保守党(の党員基盤)が、米共和党のそれに似た内向き・後向き集団であることがあまりにも明らかになりました。保守党議員投票による1位の Sunak(もと蔵相)が、エリート臭を嫌われて、党員投票では敗北しました。政策的になにか不合理なことがあったわけではありません。
逆に大学時代の労働党 → 自由民主党から保守党へと鞍替えし、EU堅持派から離脱派へと転換した(ようするに時流に乗るポピュリスト)flaky Liz(ハスっぱリズ)のトラスは、議員投票では2位止まりだったのに、一般党員の支持を集めました。理屈や合理性を問わない、したがって政策的有効性もわからない即効性のスローガンで勝利する、ジョンスン前首相と同じ手法です。
Liz Truss の発音ですがラスでなく、信頼の trust から t の足りないまま s を重ねた Truss ですからトスです。Trustworthy ではなく、Truss unworthy です。
ちなみにトラスのことを日本のマスコミは「サッチャ元首相を尊敬し「鉄の女2.0」とも呼ばれる」などと一知半解のことを言っています。これは2重の意味で失礼な話です。第1に Iron Lady は「鉄の女」ではなく「鉄の淑女」です。ゴルバチョフが名付けたと言われますが、「女」と見下しているのでなく「レイディ」と一定の敬意を表していました。
第2にサッチャは父も夫も保守党員で、父にも夫にも愛され、メソディスト(カトリック嫌い)で、ハイエク、フリードマンを勉強した筋金入りの Conservative & Unionist でした。トラスははるかに浮気で、上に書いたように党を左から右へ渡ったポピュリストであるばかりでなく、夫婦関係についてもサッチャ夫妻とは大違いです。
 いずれにしても Brexit の撤回、ヨーロッパ統合への(ベネルックス主導でない)イニシアティヴの回復がないと、連合王国(UK)の将来は暗い。北アイルランドの通商問題は全然解決していません。スコットランドの分離独立も行程表に上ってくるでしょう。しかも、たとえ次の総選挙で労働党政権になったとしてもEUへの復帰に舵を切れるかどうか。<左のグラフは『日経』より引用>

このままでは、われわれが知っている(幕末明治以来の)「英国」は、あと10年くらいのうちに解体してしまう運命でしょうか。イングランド人は、小さく「寄り添い、互いに平明な日常英語で語りあいつつ、「外の諸国や諸大陸はおかしな言動をするものだから、わが文明の恵みからも運からも孤立してしまったのだ」とかつぶやいているのです。」カー『歴史とは何か 新版』p.255  - これが61年前の連続講演の終わりに近い一句だとは、にわかに信じがたいほど、今に当てはまります。

2022年8月1日月曜日

特製ブックガイド

 第七波だ、梅雨の戻りだ、戦争犯罪だ、体温以上の気温だ、などと言っているうちに月が替わって、8月=葉月です。
 ぼくの本には、ウクライナのもなければ、プーチンのも出てこない - そうした点で、まだの人にはまず、小山・藤原『中学生から知りたい ウクライナのこと』<http://kondohistorian.blogspot.com/2022/06/blog-post_11.html>などを手にして欲しいです。それにしても、パンデミックや戦争も含めて、長期的に人類史や現代文明の問題として考えるときには、ぼくの本も少しは役立つかな、と思います。
 『歴史とは何か 新版』の販促グッズとして、A4表裏を四折りにした「特製ブックガイド」なるものが、7月から大きな本屋さんや大学生協書籍部に置いてあるかもしれません。赤白市松のデザインで、小さいけれど目立つ「粗品」です。

その裏に、訳者厳選ブックガイドなるものを自由に書かせてもらいました。最初は20点というはずでしたが、版元品切れのものが少なくないので、補っているうちに計23点になりました。
 各100字までという制限があります。ただ「良い本」です、夏休みに「考える糧」となりますよ、といった推薦文ではつまらないので、具体的にその魅力やポイントにぐっと迫りました。プランパー『感情史の始まり』といった本について、「‥‥ドイツのメルケル首相が犬嫌いと知ったロシアのプーチン大統領が、会見場に巨大な犬をリード紐なしで放つ意味も論じる」といった具合に。 写真は上半分です。下半分は現物をご覧ください。

2022年7月15日金曜日

7月14日に思ったこと

 35度をこえる暑い日が続いたかと思うと、豪雨が全国的に展開。Covid-19 も第7波入り、というだけでも大変ですが、参院選最終盤の7月8日(金)にあった凶行とその報道、その後の参院選の結果(弔い合戦?)には、暗然とします。
直ちにいろいろと考えましたが、身辺のことに紛れ、ブログ登載はかないませんでした。ここに遅まきながら、すこし書いてみます。
 7月8日昼に奈良であった安倍元首相襲撃/暗殺について、直後の報道や政党の発言の多くは、a.「民主主義への挑戦だ」「暴力による言論封殺は許せない」といったものでした。まもなく b.「特定の宗教団体へのうらみ」という捜査陣からのリーク情報が加わりました。
 後者(b)のリークについては、まず正規の記者会見報道でなくリークであることがけしからんと思いましたが、やがて海外メディアでのみこれが Moonies (文鮮明から始まった世界統一神霊教会)のことだと報じられたのには、怒りに近いものを感じました。日本のマスコミ業界の自主規制はここまで極まっているのです。こういった自主規制≒事なかれ報道に甘んじているマスコミでは、いざという時に信用されませんよ。
 そもそも世界統一神霊教会のことを、今どう名を変えているとしても、「特定の宗教団体」と呼ぶべきなのか、ただの「カルト」ではないか、という付随的な疑問もありますが、こちらは(今日のところは)問題にしません。
 ◇
 むしろ大問題なのは、(a)今回の事件は「民主主義への挑戦」や「暴力による言論封殺」のたぐいなのか、ということです。Oh, No! それ以前の、より深刻な問題ではないでしょうか。
 41歳の容疑者は、民主主義や議会制民主主義に不満をもらしたことはあったのか。あるいは自分の凶行が、国政の基本(国のかたち)にある「効果」をもたらすことを期待して -政治的テロリズムとして- 手製銃の引き金を引いたのか。否でしょう。
 彼はもっと別のレベルの、しかし本人にとっては深刻な不幸(母のこと、失意の人生、誰かの不用意な発言, etc.)について繰りかえし悩み、その不幸の原因を「これ」と思い詰めて、「これ」を解決する/消すためにどうするか執拗に考えた。それが母を奪ったカルトの代表を襲うこと、それが実行不可能となると、第2目標として安倍晋三元首相を襲うことだった。‥‥
 そこには論理の飛躍があり、分析も検証もないままの思いつきで、それを直線的に実行するための情報とノウハウを集積したのでしかありません。しかし、そもそも複合的な事態を調査探究したり、友人や同輩と対話し討論しながら、考えを具体化してゆくという訓練も経験も、彼は -学校でも自衛隊でも- していないのではないでしょうか。そもそも「話し相手」「グチ友だち」といえるほどの人は居なかったのかもしれない。
 TVなどで中学高校の同級生や、職場の同僚が「あんなにおとなしい人が‥‥」「いつも人に合わせる人で、暴力をふるうなんて想像もできない」とコメントするのを聞かされると、そもそも取材する側の無知と想像力の浅さに唖然とします。おとなしすぎる人こそ危険なのです。自分の意見を言ったことのない人こそ(いざとなれば)凶暴になるのです。
 こうしたことは民主主義や議会制よりはるか以前の、人間の社会性、あるいは文明/市民性の大前提ではないでしょうか。
 学校教育で、また社会で、こうした事態や証言の分析、人前での報告、ディベートやディスカッション、そして紙の上での文章化‥‥要するに以前から問われていた公民教育/文明的経験を欠いたまま、やれ「民主主義を守る」だの「言論の自由」だの言ってみても、ただのお題目にすぎないのではないでしょうか。  ◇
 じつは9日(土)午後8:00-8:45のNHKスペシャル「安倍元首相 銃撃事件の衝撃」と題する番組の後半で、御厨(みくりや)さんがコメントしていました。【まだ土曜まで NHK plus での視聴は可能です。】
「‥‥災害、疫病、戦争と続いて、人心が惑った。この国もテロを呼びこむのか。みんなが何でも言える社会になった。これはいい。しかし(イエス or ノーの)二値論理の対立になっちゃっている。これはまずい。自分の要求(思い)が通らない時にどうするか。内容のある議論を尽くして、これなら許せるという妥協点を見つける。このマリアージュが大事です。」
「妥協できる合意」を見つけて実行しよう、という立場です。
 ◇
 1789年7月14日から、フランス革命は時々刻々と展開しますが、1792年、93年と緊迫した情勢で、いわゆるジャコバン派(山岳派)が勢いをもち、93~94年のいわゆる「革命独裁」を国民公会が支持することになります。
 この苛烈な革命独裁は、味方と敵、パトリオットと反革命、徳と悪徳、純粋と腐敗といったシャープな対置、二項対立を是とし、異論をとなえる者、迷い、曖昧なままでいる者を許さず、さらには「まちがえる権利」も許さなかった。『王のいる共和政 ジャコバン再考』(岩波書店、2022)p.14.
 これをかつての「ジャコバン史学」は、歴史の必然とするか、あるいはせいぜい「歴史の劇薬」として是認していた。ロベスピエールやサンジュストの93~94年のメンタリティを、純粋で高貴と受けとめるか、悲劇的に狂っていると受けとめるか。革命史にかかわる人は、全員、この問題に正気で取り組むべきでしょう。
 御厨さんの立場は、必然や劇薬ではない。イギリスの首相ピットも、89年に始まったフランス革命には賛同し(バークとはちがいます)、92年の急転には唖然とし、93年1月のルイ14世処刑には意を決して、2月に対仏大同盟を結成します。はっきりと識別しておきたい。巻末の「関連年表」も活用してください。

2021年9月26日日曜日

政治の世界、学問の世界

なんとも間が空きました。 身の回りで気にかかることが続いたからですが、それだけでなく、ある原稿が完成に近づいて、そちらに集中したかったから、という理由もありました( → これについては後日)。

そうしたなかで、コロナ禍第5派、8月末には菅義偉首相の延命工作とその不首尾が目立ってきたと思いきや、なんと9月3日には総裁選不出馬宣言、それに続いて、にわかに自民党内の力学が動めき出したのです。
史上最低の菅内閣(ダンマリを決め込んでただ進行、よくも1年もちました!)が消えるのは良いことだけれど、そのあとどうなるのか?(届け出順でなく、立候補宣言順でみると)
岸田文雄の「ソフト資本主義」、反二階・非安倍
河野太郎の「実行力」(?)、発言力
高市早苗の筋金入り(!)右翼・秩序派男権路線
野田聖子のフェミニズム・弱者路線
といった「線」はわかりますが、
結局、当選の見込みのない(4位確定の)野田聖子のみフランクな発言をしていて、好感をもてないではない。他の3候補は、ニュアンスの差こそあれ、菅政権の批判はしない、安倍政権の汚点を追及しない、自民のコアである靖国・遺族会に配慮する、といったことで特徴が消えて、その分、内容的には高市(安倍の手飼い)が実力以上に浮上しています。 ぼく個人としては、内向きなだけの(つまり内政しか念頭にない)政治家、そして有能な同志が一緒にやりたいと申し出てくれないような人は、首相をつとめる資格はないと思っています。

マスコミはといえば、学術会議問題、歴史認識, etc.については質問しない、という暗黙の合意があるのでしょうか。政策・方針について独自に立ち入り追求することなく、国会議員・自民党員・世論の動勢を追うばかりです。ようするに勝ち馬はだれか、岸田・高市が連合する可能性はあるのか、といった分析(算術)のみ。
なおまた、野党側は蚊帳の外、話題の外で、せっかくの敵の弱将=スガが沈没してからは、どう攻めてよいか分からないままなのです。

学問の世界では、違いやズレにこだわり、そこに注目することから新しい展望を切り開いてゆくことが良しとされます。少数派であること、むしろ唯一であることは、弱点ではなく、むしろ希望のしるしです。
政治の世界では、なにより数と勢いが決定的。昨日までの敵をも巻き込みつつ、合従連衡、多数派を形成すること(plus 大衆へのイメージ戦略)に日夜、身を削っているようです。もしやそれ自体が目的になり、喜びになっているのでしょうか。

2021年2月11日木曜日

長老支配  gerontocracy!

東大駒場に入学して、おもしろいと思った授業がいくつもあったうち、京極純一先生の「政治学」はまた特段でした。定員700か800くらいの大教室で、最前列の2・3列は席取りが激しく、真ん中あたりでも、早めに行かないと席がなくなる。立ち見の学生もいるし、後方には双眼鏡をもって板書を写すヤツさえいる、といった授業。法学部進学者には必修だったからだけでなく、とにかく面白かったのです。
 「ふかいことをおもしろく、
  おもしろいことをまじめに、
  まじめなことをゆかいに」
井上ひさしより前から、こういう講義を心がけておられたのか。

あの三木清か藤田嗣治みたいな眼鏡をかけて、老先生のような雰囲気だったけれど - 1924年生まれということは、まだあのころ御年42歳だったのか!-、「わたしは保守主義だ」とのたまいながら、飄々と政治現象を分析なさる。のちに『日本の政治』(東京大学出版会)になる前の原型だったのかもしれません。

その京極先生の講義で、大学1年になったばかりのぼくは、Gerontocracy と板書された英語をみて、知らないだけでなく、意味を想像することさえできない英単語がある、という衝撃を受けたのでした!

Geronto- とは老人、年寄りという意味。-cracy とは権力、支配をいう(ギリシア語から来ている)。政界の長老の意向で国政がうごくとか、会社でも先代の社長が方針を決める場合がそうですね。「伝統主義」と同じことになる場合もあるが、なにより年季の入った者がそれゆえに力をもって、他の人は異論を言えない場合が、この老人支配です。年齢自体より、年季ゆえの権力関係‥‥。 とかいった説明を受けて、もぅ忘れられない。講義の上手な方でした。

今回のオリパラ組織委・森喜郎会長の「不注意」放言と、それを厳しく批判できない自民党。なにより「なにがいけないんだ」と言い出しそうな二階幹事長。これこそ gerontocracy の見本です。
十代で男女共学を経験していない世代は、じつはぼくの母親たちも含めて男尊女卑だった/あるいはそうした価値観に順応しないと生き苦しかった。森、二階ばかりでなく、彼らに直言できない橋本聖子オリパラ担当大臣も、自由に発言できないなら、降板する好機ではないかな。
現在のオリンピックの理念は、美しいナニカではなく、IOCバッハ会長の姿勢に現れているように、あくまで国際スポーツ興行の金もうけ主義だと思います。だからこそ、協賛企業の意向(スポンサーから降りるかどうか)を気かけているわけ。ここはガラパゴス・差別文化をニヤニヤと/苦笑いでやり過ごすのでなく、好機ととらえて、スッキリしましょう。

じつは靖国合祀問題も同じですね。

2021年1月23日土曜日

罰金と過料のちがい?

ご存知でしたか? 「過料」と「科料」と「罰金」のちがい!

いま22日の閣議決定をへて国会に上程されようとしている「特別措置法改正案」のなかの用語ですが、時短要請について知事が命令したことに違反した場合に「50万円以下の過料」; 「感染症法改正案」の場合は、感染者の入院拒否や病院からの逃亡にたいして「懲役1年以下または100万円以下の罰金」; という規定があります。

現在のあくまで個人主義的な自発性にもとづく自粛、行政側からすれば「協力のお願い」では効果がうすい、というので、現政権はおそるおそる罰則規定を加えるわけです。それにしても「過料」と「罰金」はどうちがうんだ? それに「過料」って「科料」のまちがいでは? というので辞書を引き、ウェブで調べてみました。

罰金」は刑法に定められているとおり、犯罪の処罰のうち死刑、懲役、禁固などの下位にある制裁の一つ。1万円以上。裁判所の判決できまるわけで、有罪になればもちろん「前科」として記録にのこる。その後の人生で、原則、公務員にはなれない。

科料」も刑法で定められた刑罰だけれど「軽微な犯罪に科する財産刑」で1万円未満。「とがりょう」とも読むらしい。

過料」は刑法上の刑罰ではないとのこと。「江戸時代から過失の償いに出させた金銭」に由来するもので、現行法でも軽い禁止に違反した場合にしはらう「秩序罰」、「あやまちりょう」とも読むらしい。

つまり、感染者が病院への入院を拒んだり、勝手に逃亡したりした場合は刑事罰として罰金/懲役を科される。休業や営業短縮などの命令に反した場合は、秩序罰として過料(罰金より軽い、あやまちりょう)にとどめる‥‥という差をつけるのですね。

ところでぼくは今のようなパンデミックの情況下には、強制力をともなう非常措置をとることに反対ではありません。ただし、せいぜい秩序罰だし、期限を明示し、始まりも終了も国会で決める、という条件で。

歴史的にローマの共和政でも、フランス革命の革命政府でも非常事態には dictator(独裁者)の執政が有期で(6ヵ月/1ヵ月)定められました。元老院や国民公会など議会が承認し決定することが条件です。カエサルが元老院で殺されたのは、有期のはずの独裁者なのに、彼の場合は「終身の独裁者」となったからでした。<小池和子『カエサル』(岩波新書、2020)

ロベスピエールたち山岳派の革命独裁(dictature)の場合は個人独裁ではありませんが、やはり(はじめは)期限をいちいち更新していました。なんといっても「徳と恐怖」の革命政府(非憲法体制)ですから、いささか疑問や異論を唱えただけで「反革命」と認定されればギロチン(断頭台)に上るわけです。1794年の3月からは、あのダントンさえ逮捕、処刑され、いつまで続くかわからぬ大恐怖のさなか、疑心暗鬼になった革命家たちが7月にクーデタを企て、ロベスピエールやサンジュストを国民公会で逮捕し革命独裁を終わらせました。

いずれの場合も、元老院や国民公会が舞台になったこと、議会主権が肝要です。

ところで、平和な日本ではギロチンでも暗殺でもなく、せいぜい「100万円以下の罰金」か「過料」でことは済みそうですが、それにしても  「罰金は、罪状や金額に関わらず、原則として現金一括払いで、納付した罰金は確定申告の控除対象とはなりません。」とのことです。 ご注意を! <https://www.keijihiroba.com/punishment/labor-seekers.html