2014年1月28日火曜日

歴史と歴史学の将来


 22日に書き付けましたブログの最後に、ルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房、2013)に触れました。これは John Lukacs, The Future of History (Yale U.P.) の翻訳で、ぼくは監修者というかかわりですが、巻末の「解説」を書いています。じつにおもしろい本です。アメリカの学問および大学のありかたにたいするリベラル知識人の警鐘ですが、ほとんど日本の現状/近い将来のことを語っているかと思わせるほどです。

 この本についてのウェブ書評があると知らされて、読みました。筆者の出口治明さんという方は存じませんでしたが、会社の取締役会長・CEOとのこそ。すごいインテリ・ビジネスマンですね。
http://blogs.bizmakoto.jp/deguchiharuaki/entry/17292.html
 1948年生まれで京都大学卒、ということは、ぼくとも本質的には似た学生生活を送ったのかな?

 かつて大塚久雄や丸山眞男がイロンなことを申し立てて、「遅れている」「ゆがんでいる」と難じていた日本社会も、じつはこの数十年間にはるかに成熟して、進歩的文化人のオクシデンタリズム的劣等複合は、とっくに「置いてけ堀」をくらっている; 戦後民主教育と高度経済成長の実は上がっている、ということでしょうか。
 むしろルカーチ的なヨーロッパ中心=教養主義による現状批判は、「遅れている日本」でなく「進んでいる日本」にたいする批判力をどれだけもっているかという風に、前向きに捉え直したいですね。

2014年1月22日水曜日

『民のモラル』 から 『10講』 への変身?


 いただく私信のうち、次のW先生のようなものも、じつはめずらしくありません【後半のセンテンスのことです】。
「‥‥洗練された叙述に、細部へのこだわりと大きな展望が結びつき、短い表現にも多くの省察がふまえられていて、ご苦心の跡をしのぶことができ‥‥」とかいうお誉めの言葉【有難うございます】に続いて、
「‥‥[近藤]御自身としては 『民のモラル』 あたりまでに比べて大変身のようにも思われ、そのことの意味はぼくたちへの大きな問いかけでしょう。9.11、3.11などのあと、歴史研究の方向を模索しようとするとき、御著の意義を反芻することができるかと思いました。」

 全体に暖かく厳しい励ましとして受けとめますが、ただし、『10講』(2013) は 『民のモラル』(1993)からみると「大変身」なのか?
本人としては歴史研究および執筆にあたっての姿勢は変わっていない/一貫しているつもりなのです。出版のテーマが民衆文化か通史か、ということ以外には、 <歴史のフロンティア> も岩波新書も基本は共通しています。岩波新書のほうが読者層が多様で、また「元学生」の方も少なくない、という傾向性は承知していますが、それが執筆スタイルを変化させたわけではありません。
α もちろんアカデミズムの面々が構える桟敷席も向こうに見えてはいますが、それより本を読む学生、勤め人や街のインテリが一杯の平戸間に顔をむけています【『民のモラル』も、リサーチと史料分析による本でしたが、註はありませんでした】。
β みなさんに「こんな事実があった」「こんな時代があった」「研究により、こんなことまで分かっている」「で、君はどう思う?」と 『民のモラル』でも対話をしかけたつもりだし、今回の『10講』 でもそうです。
 むしろ新しい問題としては、民衆文化の自律性まではよいとして、歴史のagency としての推進力/構想力を考えると、どうか? といった問いかけが、『民のモラル』では弱かった。ましてや歴史の contingency、「諸力の平行四辺形」(エンゲルス)といったアジェンダは表面に出ていなかった。だからこそ、次に『文明の表象 英国』(1998)といった異質な出版が必要でした。
執筆スタイルといえば、この20年間にすこし経験を重ねて、ほんのすこし表現力は増したかもしれません。「簡にして要」だけを追求するのでなく 「溜め」を取るとか、逆に、くどくど経過説明せずに(映画や演劇のように)舞台を回してしまい、後から事情が分かるようにするとか‥‥。

 別のある読者は、おわりまで通読してから、今度は所どころ拾い読みをして、意味を確かめたり、余韻に耽ったりして下さっているとか。有難いことです。 『歴史学の将来』 のルカーチ先生にも読んでいただけると嬉しいな。

2014年1月15日水曜日

『イギリス史10講』 と 映画

 さいわい、良き読者をえて、ご挨拶以上に心のこもった/実質的なお言葉もいただいています。ありがとうございます。
そのなかで、映画についての感想やコメントもいただいていますので、ひとこと。

『イギリス史10講』では(最初の構想から意識して)本筋に関連するかぎりで、できるだけ映画や演劇・文学作品に言及しようと思いました。ただし、これは「一般受けするために」ということではなく、むしろ 『タイタニック』も『インドへの道』も『日の名残り』も『英国王のスピーチ』も、これなしでは話が進まないというべきか、エッセンスのような役割を負っています。図版が飾りでなく本文と同じく重要だ、というのと似ています。
それじゃ、逆に、『ベケット』はないの? シェイクスピアなら『マクベス』でしょう! といったご質問もあり、お答えは苦しい。つまり、この300ページの本が2倍の600ページになってよいなら、作品だけじゃなくて、もっと興味深いエピソードや人物はたくさんあるわけだし、いくらでもさらに充実させることができたでしょう。とにかく岩波新書1冊で、というのは絶対の条件でしたから、その枠内でどういった工夫ができるか、悩ましい問題でした。
その補いになったかどうか、縦組の本文に (p.*) という形で参照ページを挿入したのは、短く、しかし目立つ、効果的なやり方だったな、と思っています。 
増刷が出るときには(p.*)の表示をすこし増やしましょう!
【→7刷ではさらに各講の扉ページ写真にも該当ページを明示しました。】

2014年1月7日火曜日

謹賀新年

 新年をいかにお迎えでしょうか。
東京地方はおだやかで、すでに大学も平常の日々が始まっています。卒業論文・修士論文の提出をサポートすべく、ぼくも連日出勤しています。

 おかげさまで昨年末には
・『歴史学の将来』(監修: みすず書房、11月)
・『イギリス史10講』(単著: 岩波新書、12月)
の2冊の刊行まで漕ぎ着けることができました。年来の知友の叱咤激励、編集担当者の奮闘努力のおかげです。ありがとうございます。どちらもそれなりに好評のようで、うれしいことです。
 なお、とくに『イギリス史10講』については、双方向の討論のしやすい掲示板として
http://kondo.board.coocan.jp/
を用意してあります。どうぞご利用ください。

 じつは他にも長年の「負債」のように持ちこしている課題は少なくなく、「註釈:イギリス史10講」や日英歴史家会議(AJC)の出版、そして 『民のモラル』 (ちくま学芸文庫版) をはじめとして、順々に、ポジティヴに実現してゆきます。

 旧臘に上野で「ターナー展」、神保町で映画「ハンナ・アーレント」を続けて見たことも、とても知的に励まされるよい経験でした。時代のなかで創造的な知識人がどう生きるか。どちらも立正大学の西洋史の院生と一緒に見ることができて幸せでした。