ラベル 内田義彦 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 内田義彦 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年9月1日木曜日

池袋のジュンク堂

昨日、外出のついでに池袋のジュンク堂に行ってみました。その1階入口には「現在と過去の対話のために」と題する、例の特製ブックガイドにもとづく展示があり、
4階にはジュンク堂開店25周年特別企画として「人文学入門の手引」による展示があり、
それぞれ、なかなかの壮観です。
『歴史とは何か 新版』にともなう岩波書店の「特製ブックガイド」23点について、前にこのブログで触れました。 →https://kondohistorian.blogspot.com/2022/08/blog-post.html
人文学入門の手引」は、7月にジュンク堂からの委嘱があり「歴史学」というジャンルについて5点を推薦ということで、こんな原稿を用意したのでした。

 ----------------------------------------
 人文書5冊(歴史学)
1.『翻訳語成立事情』  柳父 章 (岩波新書、1982)
 高校3年生や大学1年生が最初に読むべき本。言葉は歴史的に生まれ、使われてきた。「自由」も「社会」も「個人」も「愛」も「彼・彼女」も幕末・明治の東西交流から生まれた。
2.『社会認識の歩み』  内田義彦 (岩波新書、1971)
 社会を歴史的に考えるキミのために。マキアヴェリは運の女神は前からつかまえるしかないと主体性をうながし、ホッブズは国家を論じる前に人の感情に立ち入って考える。
3.『歴史学入門 新版』  福井憲彦 (岩波書店、2019) 
 歴史学をはじめとする学問は20世紀に大きく転換した。今どのような景色になっているか、本書はバランスよく指南してくれる。このあと何を読むと良いか、文献案内もたっぷり。
4.『全体を見る眼と歴史家たち』  二宮宏之 (平凡社ライブラリー、1995)
 フランスで生まれ展開したアナール学派。パリで彼らと一緒に史料調査し、議論した二宮による自分ごととしての歴史学。この語りにあなたの心が動かないなら、歴史学はあきらめよう。
5.『歴史とは何か 新版』  E・H・カー 近藤和彦訳(岩波書店、2022)
 名著の新訳・註釈付き。「歴史とは現在と過去の対話」、そして「すべての歴史は現代史」といった有名なせりふの意味を知りたければ、これを読むしかない。歴史学入門の仕上げ。
 ----------------------------------------

ところが、内田さんも二宮さんも版元品切ということで、しばらく悩んだあげく、エイヤッと ↓ 写真のように差し替えてみたわけです。
 

ぼくの差替え部分はさておき、日本近現代史、イギリス史、ドイツ史、フランス史など、それぞれなるほどと思わせる選書です。しばらく見て歩いたあと、同じ4階に清水幾太郎関連の本が何冊かあり購入しました。計1万円をこえたので、4Fカフェで一杯分のサービス券がもらえて、一服しました。

2019年11月12日火曜日

平田清明著作 解題と目録


 史学会大会から帰宅したら、『平田清明著作 解題と目録』『フランス古典経済学研究』(ともに日本経済評論社)が揃いで待ってくれていました。
どちらも「平田清明記念出版委員会」の尽力でできあがったということですが、知的イニシアティヴは名古屋の平田ゼミの秀才:八木紀一郎、山田鋭夫にあることは明らかです。
 『フランス古典経済学研究』は平田39歳の(未刊行)博士論文。http://www.nikkeihyo.co.jp/books/view/2537
 『平田清明著作 解題と目録』は、刊行著書のくわしい解題と、略年表、著作目録。http://www.nikkeihyo.co.jp/books/view/2538

 こうした形で出版されことになった事情も「まえがき」にしたためられています。
 「門下生のあいだでしばしば浮上した平田清明著作集の構想の実現が、現在の出版事情から困難であったからである。‥‥しかし、図書館の連携システムや文献データベース、古書を含む書籍の流通システムが整備されている現在では、一旦公刊された文献であれば、労を厭いさえしなければ、それを入手ないし閲読することがほとんどの場合可能である。‥‥そう考えると、いま必要なのは、著作自体を再刊することではなく、それへのガイドかもしれない。‥‥それに詳細な著作目録が加わればガイドとしては完璧であろう。‥‥
 そのように考えて、著作集の代わりに著作解題集・著作目録を作成することになった」と。
 まことに、現時点では合理的な判断・方針です。1922年生まれ、1995年に急死された平田さんの『経済科学の創造』『市民社会と社会主義』『経済学と歴史認識』から始まって、すべての単著の概要・書誌・反響・書評が充実しています。また「略年表」とは別に、なんと143ぺージにもわたる「著作目録」があります。見開きで「備考」が詳しい! 「追悼論稿一覧」も2ぺージにおよびます!
 とにかく、ぼくが大学に入学した1966年から『思想』には毎年、数本(!)平田清明の論文が載り、『世界』に載った文章も含めて『市民社会と社会主義』が刊行されたのは1969年10月。東大闘争の収拾局面、ベトナム戦争の泥沼、プラハの春の暗転。こうしたなかで平田『市民社会と社会主義』が出て、ぼくたちが熱烈に読み、話題にしはじめて3ヶ月もしないうちに、日本共産党は大々的に平田攻撃を開始して『前衛』『経済』を湧かせ、労農派も平田の反マルクス主義性をあげつらう、という具合で、鈍感なぼくにも、誰が学ぶに値し、どの雑誌や陣営がクズなのか、よーく見通せることになった。
 そうしたなかで、わが八木紀一郎は驚くべき行動をとりました。東大社会学・福武直先生のもとで「戦前における社会科学の成立:歴史意識と社会的実体」というすばらしい卒業論文(1971年4月提出)を執筆中の八木が、東大でなく名古屋大学の経済学大学院を受けて(当然ながら文句なしに*)合格して、卒業したら名古屋だよ、と。すごい行動力だと思った。
 *じつは受け容れ側の名古屋大学経済学研究科の先生方は、筆記試験も卒業論文も抜群の東大生がどうして名古屋を受験するのか、なにか秘密があるのか、戦々恐々だった、と後年、藤瀬浩司さんから聞きました。平田先生のもとで学びたい、というだけの理由だったのです! ただし、その平田先生は73年に在外研究、78年に京都大学に移籍します。八木もドイツに留学します。

 ぼくも西洋史の大学院に入ったばかりのころ、八木の紹介で、本郷通りのルオー【いまの正門前の小さな店ではなく、菊坂に近い現在のタンギーにあった、奥の深い喫茶店】で平田先生と面談し、わが卒業論文(マンチェスタにおける民衆運動:1756~58年)の要点をお話ししただけでなく、1972年3月には滋賀県大津の三井寺で催された名古屋大学・京都大学合同の経済原論合宿の末席を汚して、経済学批判要綱ヘーゲル法哲学批判などを読み合わせたりしたものです。そこには奈良女の学生もいました。
 マルクス主義者というより、内田義彦に通じる、経済学と人間社会を(言葉にこだわりつつ)根底的に考えなおす人、としてぼくは平田清明に惹きつけられたのでした。

 68-9年からこの『平田清明著作 解題と目録』の刊行にいたるまで、現実に与えられた諸条件のなかで「筋を通す」という生きかたを貫いておられる、「畏友」八木紀一郎に敬意を表します。

2019年10月22日火曜日

芋づる式!?


 拙著『イギリス史10講』は今月初めに第12刷を出していただきました。
2013年12月に初版1刷でしたので、6年間にこれだけ増刷というのは有り難いことです。じつはそのたびに、気付いた範囲で、また該当ぺージ内での添削にとどめますが、ちょこちょこと改良・修文をしています。ですから、扉裏の年表に初版にはなかった「2017  EUからの離脱交渉始まる」といった記述がある、といったちょっとした改変があります。

 そういった著者の提案による加筆とはまた別に、今回あたらしく付いた帯に
つながる ひろがる、(芋づる式!)岩波新書
とあって、裏側にはなんと、
  金澤 周作『チャリティとイギリス近代』(京都大学学術出版会)
  小川 道大『帝国後のインド』(名古屋大学出版会)
  木畑 洋一『帝国航路を往く』(岩波書店)
  清水 知子『文化と暴力』(月曜社)
という4冊が挙がっています。
帯の折り返しに「芋づる式!読書MAPhttps://iwanami.co.jp/news/n31558.html
とあり、こちらをみると、さらに『図説 英国ティーカップの歴史』(河出書房新社)
も加わり、よくわからないネットワークが絡み合ったMAPが現出します。
https://twitter.com/maktan0308/status/1184790143850336256

岩波新書が岩波の他の本だけでなく、他社の出版物とつながっているのが良いですね。知らなかった本もたくさん。しかも大きなMAPの右下には、
  丸山真男『日本の思想』、内田義彦『社会認識の歩み』、安丸良夫『神々の明治維新』
といった本もあって、こうした名著と
「つながる ひろがる」岩波新書フェア
だそうで、ちょっと面はゆい。

2011年12月16日金曜日

岩波新書

今年度は立正大学の2年生演習で、内田義彦『社会認識の歩み』と、柳父章『翻訳語成立事情』を読んでいます。ついでに東大の3・4年生の演習では、カー『歴史とは何か』とその Evans/third edition (2001) を読んでいます。
ずいぶん前の岩波新書ですが、学生の買ってきた版をみると、
  『社会認識の歩み』が初版いらい40年間で51刷;
  『翻訳語成立事情』が 29年間で34刷;
  『歴史とは何か』が 49年間で79刷!

それぞれすごいロング・セラーですね。
今となっては、いささか問題点なきにしもあらずとはいえ、出版されたときのインパクトを考えれば(imagine the past)すばらしい本だったことは明らかです。新しい古典というに値する新書。

 ただし、内田義彦にして、「断片を読む」、結節点、結節点‥‥、そして「個体発生は系統発生を繰りかえす」、と大事なことを印象的、効果的に言いながら、でも、あれっと思うほど、権威主義的で定向進化的な話の枠組が見え透きます。これは今のわれわれからすると驚くほど。
大塚のような近代主義者でなく、むしろ近代そのものを問題意識化していた内田にしてこうなのだ、と昭和の知識人たちの存在被拘束性に、思いいたります。

 柳父章の新書は、具体的なのがおもしろい。
部分的に同じような議論もしながら、これを『文明の表象 英国』(1998)で引用しなかったのはなぜか? その理由は今となっては定かでありません。80年代に名古屋で読んでいたのに(前谷くんと一緒に、加藤周一的なフレームで)、そして「近代」とか「舶来の言葉」とか、いくらでも使える部分があるのに、why not?
単純に、そのとき忘れていたんでしょう。『近代の超克』論について、また漱石が「今代」という当て字を使っている点の指摘などでも、ぼくのほうに利がある部分もあります。

 こうした昭和の学者たちに比べて、オクスブリッジのソシアビリテに寄りかかりすぎとはいえ(イギリスの知識人にはこれ以外の frame of reference はなかった)、E. H. カーは毫も古くなっていない。70年代の内田よりも新しい。どうしてでしょう。
 19世紀的近代とはちがう「現代」を考えるにあたって、ソ連の歴史はパスできない。それはカーの強みですが、しかし彼はアジアのことをじつは分かっていない。Yet,「‥‥それでも地球は動く」と進歩主義的な楽観で締めくくっています。He remembers the future.
 究極的には「底が浅くない」経験主義の強み、といえるでしょうか。考え書くのは自分一人なのだが、しかし、それは孤立した個人の営みではない、という文化。

【なお岩波新書については、しばらく前にこんなことをしたためました。
→ http://岩波新書・加藤周一