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2024年3月10日日曜日

バーミンガムの誇るもの

(そもそも最初に家族で訪問したのは82年でしたが)去年9月に来たときも再認識せざるをえなかったのは、バーミンガムって起伏の多い/多すぎる街だ、ということです。それが運河網とあいまって、丘の上の非国教徒の街(「丘の上のデモクラシ」!)、を形成する地理的根拠になったのでしょう。
そのバーミンガム市の誇るのが、市長にして19世紀自由党の大物チェインバレン(日本で誤ってチェンバレインなどと表記されていますが)、グラッドストンの盟友、ビアトリスの恋人でした。
バーミンガム市の Victoria Squareに次ぐ広場には彼の記念碑が雄々しく建っています。
大学の初代名誉総長(Chancellor)でもあったので、大学駅に大きな写真と碑文があっても当然ですね。ビアトリスは結婚前だけでなく結婚してベアトリス・ウェブとなってからも、彼のことを想うと、胸を焦がしてしまった。そのことを正直に日記に告白しています。今でも知的女性にとって、魅力的な中年男性でしょうか? 彼の息子オースティンがロカルノ条約でノーベル平和賞、もう一人の息子ネヴィルが宥和政策の首相となりました。
さらにバーミンガムは現代都市としての diversityを表明したいのでしょう。黒人やインド人、ムスリムばかりでなく中国人も定着していることの一つの証に、China town(唐人街)があります。

→ 帰国しました。写真をアプロードできる環境になり、遅まきながら、バーミンガム関連で2葉、ご覧に入れます。

2024年1月31日水曜日

『イギリス史10講』ハングル版

『イギリス史10講』(岩波新書)の初版は2013年12月20日に出ましたので、まる10年を越えたところです。さいわい今も増刷を重ねて、去年春には第16刷が刊行されています。第2刷から以後、ごく微少ながら訂正・改良を重ねてきました。
2021年に中国語版が中国工人出版社から刊行され、そのことについては、こちらにもしたためました。
今年の2月中旬にハングル版が出るとのことで、そのカバーデザインが呈示されています。ご覧のとおり、出版社はAKコミュニケーションズ、書名タイトルは『イギリス史講義』とのことです。
  ブリテン諸島のうち海峡諸島やオークニ、シェトランドは消えて、若きエリザベス2世のイメージの中抜きでユニオンジャックが現れる、というのはいささかproblematicではあります。とはいえ、訳書を出してくださるということ自体に深謝しております。
そもそもは初版、第1講の終わり(p.16)に、
「イギリス史はけっしてブリテン諸島だけで完結することなく、広い世界との関係において展開する。‥‥海の向こうからくる力強く新しい要素と、これを迎える諸島人の抵抗と受容、そして文化変容。これこそ先史時代から現代まで、何度となくくりかえすパターンであった。こうしたことをくりかえすうちに、やがてイギリス人が外の世界へ進出し、他を支配し従属させようとする。その摩擦と収穫をはじめとして、さまざまの経験を重ねつつ、競合し共存し、それぞれに学びあい、新しい秩序が形成される。」
と記しましたとおり、そうしたことを具体的にるる述べた本です。
他に例のみられる、王と妃のゴシップを書き連ねたものとも、議会制民主主義の手本となる「国史」の道筋をかたったものとも違います。とくに「現代史」の知的な群像については、『「歴史とは何か」の人びと』であらためて表現してみようと目論んでいます。

2023年9月20日水曜日

往路と帰路

フライトは、来たときと同じ北極海経路を逆にたどるのかと思いきや、ヒースロウを出て、一路東へ。しかもFlight Mapなるものには、その後北上してモスクワ方面に向かうかの表示です。これは危ない!
Mapを見つめていましたら、イスタンブル、アンカラあたりの上空に達し、これは大丈夫かも、というので、睡魔に身を任せることにしました。数時間後に目覚めてみると、なんと飛行機は北京・天津・大連あたりを飛んでいます。
結局は、西ヨーロッパからイスタンブル経由で、東へ東へと向かうというのは「一帯一路」というイメージでしょうか。イギリスでも中国人のプレゼンスは色濃かった!
最後は、房総半島からぐるっと回って、東京の北から山手線に沿って、新宿・渋谷・大崎の真上を飛んで羽田に着陸しました。
蒸し暑い! でも想像したほどひどくはない。
というわけで、また日本時間の生活に復帰しました。

2021年11月10日水曜日

海域史・華人史研究からみたFO 17 と『英国史10講』

§ 今日(10日)午後に、Gale(Cengage)の催したウェビナーで、村上衛さんのお話を視聴しました。
 https://www.gale.com/jp/webinar
イギリス外務省文書 FO 17, Foreign Office: General Correspondence から19世紀半ば=とくにアヘン戦争後=の海域史をみると、どんなことが浮き彫りにされるのか、この史料にどういった利点があるのか、たいへん具体的でよくわかるお話でした。
「中国史」の相対化はもちろん、海賊史、海難史、またイギリス帝国史も相対視されて、気持よいくらい。ウェビナーなので、該当する史料の例示もテキパキと行われて、白黒の紙媒体で行われていた20世紀の研究報告から、はるか別の環境へとやって来たのだなぁと感心。
海域における海賊行為とその取り締まりを実質的に(無料で)下請けしていたイギリス海軍のはたらき、その事実を清政府は看過したか黙認したか、といった微妙なことさえ考えさせられました。

§ そこで連想したのが、わが『イギリス史10講』の中国語版です。『英国史10講』というタイトル。今年の7月に、何睦さんの訳で中国工人出版社から出たということです(著者献本がつい先日到来したばかりです)。

残念ながらぼくは現代中国語は読めず、乏しい漢文的知識で辿るしかないのですが、各講の最初の年表も含めて忠実に訳してくださっているようです。巻頭の年表を見ても、
  2017年  脱離欧盟(EU)談判開始
という10刷(2018)の修正加筆が反映されています。 サッチャ、ブレア、チャーチル、ケインズなど固有名詞がどう表記されるのかも新鮮な印象。写真もすべてキャプション付きで掲載されて、全体的に良心的な翻訳かなと思います。

唯一、アヘン戦争に関係して1840年4月8日、議会におけるグラッドストンの反対演説をそのまま引用した箇所:
「たしかに中国人は愚かな大言壮語と高慢の癖があり、しかも、それは度をこしています。しかし、正義は中国人側にあるのです。異教徒で半文明的な野蛮人たる中国人側に正義があり、他方のわが啓蒙され文明的なクリスチャン側は、正義にも信仰にももとる目的を遂行しようとしているのであります。‥‥」【岩波 p.211;工人出版社 p.251】
この引用文はそっくり削除されて、地の文だけで「舶麦頓的 "非正義且不道徳的戦争"」へと叙述が続いています!(このブログでは現代中国の略字体は日本語活字で代用)
ぼくはグラッドストンの論法(上から目線)が独特で重要だと考えたからこそ、これを議会議事録(ハンサード)から引用したのですが、たしかに中国人読者にとっては不愉快な記述ですね。そうした配慮で削除されたのでしょうか?

しかしながら、同じ中国に関する記述でも、20世紀に入って:
「イギリスの中国権益は上海に集積していた。‥‥[このあと中略することなく逐語的に訳したうえ]イギリスは「条約を遵守させることが非常に困難」な中国よりは、日本に宥和政策をとることによって権益を保持しようとした。法の支配、私有財産、自由貿易といった基本について大きく隔たる中国側にイギリスが接近するのは、1931-32年(満州事変、上海事変)以後である。」【岩波 p.266;工人出版社 p.314】
といった中国人の読者にとって愉快ではないだろう段落も、「正如后藤春美所言‥‥」と忠実に訳してくれているようです。ただし最後の満州事変、上海事変は「九一八事変、八一三事変」と表現されていますが、これは中国の読者のためには自然な言い換えでしょう。
というわけで、上のグラッドストン演説の件については不明なところが残りますが、翻訳の話が浮上してから、順調に翻訳出版が実現したことには感謝しています。
これまで『イギリス史10講』をはじめとして、書いたり発言したりするときに近隣諸国にたいして特別の遠慮をすることも、自制することもなかったのですが、このような中国語訳をみて、あらためて自分の文章を客観視できました。Sachlich であることの合理性にも思い至りました。

2020年7月2日木曜日

香港、加油!


中国共産党がここまで厚顔・破廉恥なのは、ウイグル(新疆)やティベット(西蔵)にたいする姿勢でわかっていたことですが、それにしても香港にたいする「國家安全法」(National Security Act)の効果はてきめんです。抗議どころか、コメントや疑問の声さえ封じてしまいそう。しかも香港人でなく、外国籍の者にまで適用が及ぶ、ということは、香港人が海外でおこなった発言・行動についても適用されるかもしれない。恐怖の弾圧法です。
罪刑を具体的に規定しないまま施行するのは、いかようにでも解釈し裁量できるような恐怖を導入するためですね。モンテスキュは『法の精神』で言いました。
「共和国においては徳(vertu)が必要であり、君主国においては名誉(honneur)が必要であるように、専制政体の国においては恐怖(crainte)が必要である。徳はここではまったく必要なく、名誉はここでは危険なものとなろう。」岩波文庫(上)p.82
この「恐怖」を後にロベスピエールは terreur (テロル)と言い換えたのでした。なんと今度の「國家安全法」では、恐怖の習近平政権に対する抗議を表明するデモンストレーションは「テロル」と規定されているのです!! なんという言語的暴力! なんという破廉恥!

コロナ後と香港(https://kondohistorian.blogspot.com/2020/06/blog-post.html)では、1982年にマンチェスタで出会った、快活な香港の正義漢たちの現在を心配しています。
Zoomの不都合な事実(https://kondohistorian.blogspot.com/2020/06/zoom.html)では、中国共産党にたいして弱腰の成長企業・諸国を憂いています。 
【そもそも1997年施行の「一國二制度」というレトリックのまやかしに乗ってしまった時のイギリス政府[サッチャ・メイジャ政権]の甘さが悔やまれます。じつは香港・中国利権に目がくらんで、半ばこうなると承知しながら、言語論的まやかしに乗ったのかもしれない、とさえ疑われます。】

香港、加油! 香港、挺住!

2020年6月15日月曜日

コロナ後 と 香港

すでに識者によって予言されているとおり、Covid-19(のパンデミック)のもたらす変化は、過去からの断絶ではなく、すでに始まっていた変化の顕著な促進でしょう。よくは見えなかった兆候が、この危機によって誰にも明らかな時代の転換として現れます。危機、すなわち生死を分けるような分岐点、転換点です。

イギリスを代表する、もしやヨーロッパ一の金融企業(銀行)HSBC が驚くべき発言をしました。BBCの報道によると
HSBC "respects and supports all laws that stabilise Hong Kong's social order," it said in a post on social media in China.
「香港の治安を安定させるあらゆる法律を尊重し支持する」と。
現今の金融資本主義を代表する企業が、中国政府の治安優先、というより習近平の独裁体制=権威的全体主義体制を尊重し支持する、と。これは天地もひっくり返るほどのことですよ。
ちなみに BBC は同じ記事のなかで、日本のノムラ(investment bank Nomura)が香港への関与を再点検する(修正する)と報じて、対照しています。
資本主義は、あるいは18世紀のヒュームやスミス、そしてブラックストンに言わせれば「商業社会」は、自由と所有権(と法の支配)によって成り立つ「文明社会」でした。以後、この自由と所有権と文明の間の比重にはニュアンスはあれど、これを旗印にする自由主義者と、これを否定する(競争と搾取の元凶と考える)社会主義者は、19世紀の前半から対立してきました。
20世紀前半には、ケインズのように、政府の政策によって野放図な資本主義をコントロールしようとする経済学者、そして福祉国家(大きな政府)を唱える「新自由主義者」(ネオリベラルではありません!)が現れ、1970年代まで西側先進国の民主主義を支える政策体系でした。しかし、民主と福祉は、ナチスや、ソ連や中国の共産党独裁とは相容れないと考えられていた。政治家は、イギリス労働党も日本社会党も「政治的判断」によって海外の共産党独裁を許容することはあったけれど。
上の BBC は含蓄をこめてこう言います。
The bank's full name is the Hongkong and Shanghai Banking Corporation and it has its origins in the former British colony.

じつはぼくが1980年にイギリスに渡って直ちに British Council から四半期ごとに給費を振り込む銀行口座は Midland Bank と指定されました(バーミンガム起源の歴史的な銀行です)。これがしかし、80年代半ばに HSBC に吸収されて、以後ぼくの小切手や Bank Card は HSBCのものとなりました。

後年、上海に行ってそこでバンドの威容を誇る建物群のうちでもHSBCが一番であること[そこまでは事前に写真で承知していました]、それが革命後、共産党政権により接収されて上海共産党本部になったことは、感銘深い、共産党側の論理としては理解可能な事実です。
ところで、香港の気のいい若者たちとマンチェスタで交流したのは1990年前後のことでした。Oxford Road をずっと南に下った所の YMCAに泊まっていて、留学生たちと仲良くなったのです。若者たちといっても30歳前後(?)で Manchester Polytechnic(その後 Manchester Metropolitan Universityへと改組改称)に研修で来ていた様子。
中国名とは別に Bob とか John とか自称していました。戦後の日本で「フランク永井」「ジェームズ三木」と言っていたのと似てるなと受けとめました。ぼくがイギリスのしかもマンチェスタの歴史を研究しているというのを珍しがると同時に、香港での現実問題は「汚職」(corruption)だということで、香港政庁の汚職特別委員会ではたらく、明るい正義漢が印象的でした。
まだeメールなどの普及する前だったので、その後、連絡は取れなくなってしまったのが残念です。彼らもすでに60代でしょう。イギリスの植民地支配から自由になったのはいいけれど、中華人民共和国のきびしい統制下に、今どのような日夜を送っているのだろう。たとえ汚職が蔓延していても、自由で、冗談の言える社会のほうが、よほどマシです。
革命独裁政権が、政敵を腐敗している(corrupt)として追放する/粛清するのは、フランス革命中からの常でしたね。

2020年6月13日土曜日

Zoom の不都合な事実

 これは「セキュリティ上の不具合」より深刻かもしれない問題です。

 この2・3ヶ月で急速に普及した Zoom会議。ぼくも初体験は学会の委員会で、5月から立正大学院の演習で利用しはじめ、先日はN先生の最終講義の会に「出席」しました。
じっさいやってみると、これは非常事態をしのぐ手段というより、とても便利で、発言者の顔が間近なので、独自の効用があり、今後もさらに普及しそう。音声と図像の微妙なズレといった問題もないではないが、周辺機器を(100%無線でつなぐのでなく)できるだけ有線でつなぎ、発言しないときは音声をミュートにする、とかいった工夫でなんとかしのげそう。
 セキュリティ上の技術的不具合は解決しつつあるようです。
 というわけで明るい展望のもとに周辺機器と Wifi環境をととのえていたら、日本では今朝からアメリカの報道を引用する形で記事になっていますが、重大事件です。
 6月4日の天安門虐殺事件(Tiananmen Square massacre)をめぐって Zoom を利用した集会・催しがアメリカ、香港で行われたのに対して、中国政府が Zoom社に圧力をかけ、これに Zoom社が屈して、進行中の4つの集会のうち3つを中断し、主催者のアカウントを停止/廃止した(we suspended or terminated the host accounts)のです。とんでもない事件です。今ではアカウントは回復された(reinstated)からというので、New York Times, Wall Street Journal などの報道は歯切れが悪い。 → https://www.nytimes.com/2020/06/11/technology/zoom-china-tiananmen-square.html
https://www.wsj.com/articles/zoom-catches-heat-for-shutting-down-china-focused-rights-groups-account-11591863002
 当の Zoom社のブログ(米、6月11日)を見ると、こうです。 → https://blog.zoom.us/wordpress/2020/06/11/improving-our-policies-as-we-continue-to-enable-global-collaboration/
Recent articles in the media about adverse actions we took toward Lee Cheuk-yan, Wang Dan, and Zhou Fengsuo have some calling into question our commitment to being a platform for an open exchange of ideas and conversations.

 20世紀史の身近な(卑近な?)事件で喩えてみると、4つの大学の学園祭で、ナチスか、スターリンか、「反米委員会」かをテーマにして討論集会/デモンストレーションを企画し実行していたら、当該政府・大使館から抗議がきた。 → あわてた3つの大学当局が催しを強制中止した。 → 企画・主催者そして参加していた学生たちは怒っているが、マスコミは静観中ということでしょうか。喩えの規模が小さいけれど、本質は似ています。ディジタルでグローバルなプラットフォームを利用して進行したことにより、一挙に国際事件になるわけです。
 喩えを続けると、中止させられた3つの大学祭の催しは、当該国からの留学生が参加していたので、当該国の法律=政府に従順な Zoom社としては、彼らだけを排除したかったのだが技術的にその手段がなかったので催しそのものを中断した。当該国の留学生がいなかった1つの催しは、支障なく進行した(中国の外の法は守られている)、という言い草です。

 Zoom社は、アメリカの企業です。広大な中国市場もにらみつつ、コロナ禍の好機に急成長しつつあるグローバル企業。ただし起業者は中国の大学を卒業してカリフォルニアに渡った Eric Yuan (袁征)。出自にこだわっては彼の志を貶めることになるので、これ以上は言いませんが、会社として、(a)中国市場への拡がりと、(b)それ以外の地域における世論(人権と民主主義)とが二律背反する情況を、どう克服するか。これは Zoom社にとってほとんど生命にかかわる問題となるでしょう。
 さすがにそのことを認知しているからこそ、11日のブログでは次の3項について明記したのでしょう。
Key Facts (すでに5月から中国政府の告知があった;ユーザ情報を洩らしたりはしていない;(IPアドレスで)中国本土からの参加者が確認された Zoom会議についてのみ中断の措置をとった)
How We Fell Short (2つの間違いを認める)
Actions We're Taking (現時点での対策:中国本土の外に居るかぎりいかなる人についても中国政府の干渉には応じない;これから数日の間に地理的規制策を開発する;6月30日までにわが社の global policy を公にする)

 そして中国政府の理不尽に無念の思いを秘めて、ブログの最初のセンテンスは、こうしたためられています。
We hope that one day, governments who build barriers to disconnect their people from the world and each other will recognize that they are acting against their own interests, as well as the rights of their citizens and all humanity.

 Zoom社の誠意と無念の思いはいちおう認めるとして、現実的には甘いんじゃないか。
かつて1930年代にナチス=ドイツにたいして宥和策をとり、スターリン=ソ連と平和条約を結び、また戦後の合衆国における「反米活動」の炙り出しを困惑しつつ傍観していたことを厳しく反省する立場からは、現今の中国政府のありかた、それに宥和的な各国政府およびグローバル先端産業を、このまま許すわけにゆかないでしょう。

 コロナ禍は、あたかも稲妻のように、平時には隠れていた(忘れがちな)大問題を照らしだし、もろもろの動機や関係をあばきだしています。先例を点検し、記憶を呼び覚まし、しっかり考察して、賢明に生きたい。cf.『民のモラル』〈ちくま学芸文庫〉pp.22-23.

2020年2月22日土曜日

水際作戦からパンデミックへ


いま中国、日本だけでなく、韓国、その他においても「市中感染」の段階に進んでしまった新型コロナウィルス(WHO の正式名称は COVID-19)ですが、これについてぼくは疫学もその歴史も知りませんから、特別なことは指摘できない。また不安やパニックを煽ったりしたくありません【当面、12日から個人的には花粉症で苦しみ始めました!】。ただ二つほどのことは言えます。

¶1.NHKテレビにもしばしば登場される賀来 満夫 教授(東北医科薬科大)がすでに2月前半には指摘なさっていたとおり、政府も医療チームもできること分かっていることはやっている、ただしこれは SARS や MERS と違って「はじめに劇症が出ない感染症だから、やっかいだ」ということです。つまり COVID-19のキャリアでありながら(とくに若くて元気な人は)ほとんど軽症で、肺炎の症状は出ない。だから普通の生活を送りながらウィルスを拡散しているかもしれない。糖尿病や循環器に疾患をもつ人、そして高齢者が罹患すると重症化してニュースになるが、その周囲にもっと多くの(軽症の)感染者がウィルスを拡げてゆく可能性を警戒すべきだ、とおっしゃっていました。事態はそのとおりに展開しています。【3月6日加筆:同じく東北大学の押谷 仁 教授が、大学のぺージでよく分かるように説明してくださっています。 → https://www.med.tohoku.ac.jp/feature/pages/topics_217.html
WHO はもう少し早めに、この病気の世界的な拡がりの脅威を警告すべきでした。そうすることによって、各国政府に早めで真剣な取組をうながすことになったでしょう。

¶2.もう一つの問題は、横浜港に停泊している Diamond Princess 号の国際法的な位置と船長の指揮権です。(日本政府は、船内の感染者数を日本国内の症例とは別にカウントしています!)
・外国籍の船が、感染症とともに、3700人もの多国籍・多言語の人々を乗せて寄港してしまった場合(しかも、入国手続は全員未履行)に、どうすべきかというノウハウはなかった。だから日本政府は毅然たる/明快な方針を立てなかったということでしょうか。官僚主義的で、どこか真剣さが足りないような気がしました。
・それにしても、船のなかのとりわけ緊急の問題は、船長(とそのスタッフ)に権限・リーダーシップがあるはずですが、今回の事態からはそれがさっぱり見えてこない。乗客にたいするコミュニケーション、乗員従業員にたいする指示・指導‥‥大きな問題を残しました。
グロティウスから大沼保昭、金澤周作にいたる賢者も即答できない、歴史的で急を要する事態が発生したわけです。そうした認識が1月の時点では(だれにも?)不足していた。
「水際作戦」とか quarantine (昔は40日!今は14日)といった、近世・近代的な対策では、スペイン風邪(WWI 直後のインフルエンザ pandemic)以後の現代的感染症 - しかも、はじめは劇症でなくソフトに始まる新型感染症 - には対処できない。これに英語発信の立ち後れという「日本的」問題も加わって(Ghosn 事案の場合と同じ)、この2020年は疫病史だけでなく、世界史に刻みこまれる年になりそうです。

‥‥これによって、付随的に、2020年真夏のオリンピック強行という愚行が、なんとか延期・修正されるかな?

2019年5月25日土曜日

歴研

5月26日(日)は歴史学研究会大会の合同部会@立教大学。9:30から17:30まで、全日シンポジウムです。
去年の合同部会からの続きですが、「主権国家」再考 Part 2 という設営で、
皆川 卓 さん「近世イタリア諸国の主権を脱構築する:神聖ローマ皇帝とジェノヴァ共和国」
岡本隆司さん「近代東アジアの主権を再検討する:藩属と中国」
という2つの報告があります。これにコメンテータとして、大河原知樹さんと近藤が加わります。
フェアバンクによる華夷秩序・朝貢条約システム・主権国家体制
という定式は、アヘン戦争前後の清 ⇔ 列強関係を説明するには「分かりやすい」が、この定式化にはいろんな問題が内包されています。オリエンタリズムの歴史学版でもあるけれど、なにより - 西洋史の観点から言うと -「条約システム」や「主権国家体制」が(政治学や国際関係論の授業のように)議論の大前提になっている点が問題の始まりだろうと思われます。
西洋列強の覇権、国際法もまた歴史的な産物で、それこそ中世末から、とくに16世紀からのヨーロッパ内の事情、対外交渉によりゆっくり形成されます。ウェストファリア条約(1648)でバッチリ確立するわけではない(しかし17世紀はたしかな変化の世紀ではある)。16世紀~18世紀の戦争と交渉のノウハウ、啓蒙と産業革命を手にした西洋列強は、1790年代には、かつての豊かなアジアへの野蛮な遅参者ではなく、自信満々の近代人としてアジアの秩序に挑戦します。「その先頭にはイギリス人が立っていた」のです。『近世ヨーロッパ』(山川出版社、2018)pp.6, 14, 86, 88. この事実の歴史性を忘れてはならない。
なおまた、このときアヘン戦争前の清朝は、東アジア朝貢秩序の最盛期にあった、というのがフェアバンクの早い時点からの問題意識でもあったらしく、このへんは専門家に尋ねたいところです。

24日、メイ首相の辞任表明とか、いろいろ事態は動いていますね。26日、トランプ大統領の大相撲桟敷席観戦は、無理しすぎと思います。これらについては、また。

2016年9月4日日曜日

PRC って?


 すでに3週間前のことですが、北ウェールズ・(ス)ランディドノーの宿にあった小さなシャンプーをいただきました。ロンドンの安宿での浴室備え付けは兼用ボディシャンプーだったので、そちらを使用しました。
 ウェールズなのに Falkirk Scotland の企業の製品なんだ、などと感心していたのだが、小さな文字のどこかに Chine とか見えたような気がして、改めてしっかり読むと(全体で高さ5センチあるかないか。じつに目を凝らさないと読めない)下から4行目右に Fabriqué en Chine とあるではないか!えっ? でも英語でそうとは記されてない。英仏2語表記だが、その左には Made in the PRC とあり。
 PRC = People's Republic of China のことと判明するまで、眼をパチパチしました。オリンピックでも国連でも、こんな表記をしていますかね?
 こういう微妙な使い分け(ダブルスタンダード)を国際戦略的に推進する国と、Cool Japan! なんて一人で悦に入っているナイーヴな国と、今日の states-system のなかで対等にやっていけるかな? グロティウス先生、そして大沼先生から学ぶべきことは多い、とあらためて思い入ります。

2013年9月30日月曜日

『上海』

 皆さま、
 まったくもってご無沙汰です。
 この夏はたいへんな暑さもありましたが、諸々が重なって多事多難でした。しかもこの9月後半は中国(上海、天津、北京)、現在はアメリカ(Cambridge=Harvard)と、東奔西走中です。

 中国は、科研による租界調査の旅行でした。中国はすごいインパクト。世界史観が変わりそうなくらい。まだ整理がつきませんが、考えたことの一端を。
 7泊8日の充実した旅行を終わり、26日(木)夜に北京から羽田に着きましたが、モノレール内でメンバーの一人が(遠慮がちに?)寄ってきて、横光利一『上海』の岩波文庫本の解説文を示してくれました。
「上海はリヴァプールにならって作られた。」
 ぼくの反応は「えっ」という二重の驚きでした。第1に、「今回の旅行を着想したアイデアが、いとも簡単にオリジナリティを否定されてしまった‥‥」というもの。
だれでも思い付くことなのか。ただし、この解説者は根拠を示さないままです。
 第2には、「ぼくも文庫本を持っていたのに、この箇所に気付かないままだった。ぼくの目はフシ穴だったのか‥‥。」
 さて、金曜は勤務先の授業3コマを消化。土曜は重要な校務。その夜、ようやくに徒歩7分のオフィスに行って(ハーヴァード関連の物を回収するついでに)ぼくの『上海』文庫本を手にしました。
 意識していなかったが、ぼくの『上海』は講談社文芸文庫なのでした。装丁の雰囲気は似ている。∴上述の解説文を認識していなかったからといって、必ずしもぼくの眼力か知力の衰えの証というわけではなかった!
 講談社文庫では、横光の息子が父の想い出を、解説を菅野昭正がしたため、最後に「作家案内」と「著書目録」が収められている。岩波文庫より充実しているかも。
 菅野の解説(1991年ないしそれ以前に執筆)はさすがで、死ぬ前の芥川が横光に「上海を見て来い」と言ったこと、横光の文に
「芥川龍之介氏は支那へ行くと[ひとは]政治家になると言っている。これには僕も同感である」
というのがあると記しています。横光は39年に上海を再訪して
「ここほど近代という性質の現れている所は、世界には一つもない」
とまで記したということです。
 ここから先は菅野の表現ですが、「西洋と東洋の対立と角逐が、もっとも尖鋭にあらわれる問題の場所」、「現代の歴史の大きな波頭に拠点を定めて‥‥魔術的な力を秘めた都市を相手どる小説」。
 こうしたイマジネーションの最近の例は、高樹のぶ子の日経連載小説『甘苦上海』でしたね。高樹は、横光の本歌取りを意識していたのでしょうか。

 横光も高樹も、非マルクス主義/右寄り/ノンポリということで、ぼくたちの育った進歩的歴史学界では、歯牙にもかけない処遇でした。
 上海・天津の会食の場でも断片的に口にしましたし、12月刊の『イギリス史10講』を読んでいただけば明らかなとおり、今さらながら歴史学の転換(の収穫!)を意識しています。
 ぼくの先生や先輩たちの大前提にあったマルクス主義講座派は、コミンテルン32年テーゼ、『日本資本主義分析』34年刊に現れたとおり、あまりにもダイレクトな欧米日中心史観≒対義和団出兵国史観でした。それが再生産されていました! あるいはせいぜいそれから一国革命論を人道主義的に希釈化したもの(越智、松浦、今井‥‥、検定教科書)でした。この両方を越えてゆかなければ、イギリス史も歴史学も日本国憲法も展望はないと考えています。
 経験主義≒実証主義( → 業績主義)だけでなにかが解決するというのは甘い。