2016年12月31日土曜日

シェイクスピアの歴史意識

 10月に立正大学でやりました公開講演の要録がパンフレットになりました。表紙を写真でご覧に入れますが、しゃれたデザインです。立正大学、品川区のどちらからこんなアイデアが湧いてきたのでしょう?
 ぼくは例のとおり、悲劇のような史劇として「長い16世紀」のなかに『ハムレット』を読み解きます。
いろいろ読み直してみると、なんとヤン・コット『シェイクスピアはわれらの同時代人』(最初は1961)や、カール・シュミット『ハムレットあるいはヘクバ』(1956)といった先学の直観の後塵を拝した議論に過ぎないのかもしれません。彼らがポーランド人、ドイツ人といった具合に英語国民でないうえに、政治的・精神的な緊張のただなかで発言していたという事実は、重要でしょう。20世紀英・米そして日のインテリがぬるま湯のなかで、『ハムレット』はノンセンス劇だ、実存的危機がテーマだなどとのたまって収まっていたのが、可笑しくなる。

2016年から2017年へ

世界史の潮流を変えそうな勢いの、今年おこった2つの事件を挙げるとすると、第1にアメリカ合衆国におけるトランプの当選、第2にヨーロッパ連合(EU)とイギリス(連合王国)の関係でしょうか。マスコミでいろいろと言われていますが、アイデンティティと秩序をめぐって、ぼくが『図書』1月号に書いた程のことを指摘している記事はあまり多くない。
重大事故の原因は、つねに一つではなく複数。革命は(ピューリタン革命もフランス革命もロシア革命も)つねにいくつもの要素の複合した情況(contingency)の産物です。
右か左か、白人中間層の不満、反エリート・反既得権益・反知性主義の「箱」を開けてしまったネットメディア(SNS)の存在も、たしかに問題でしょう。しかし、現状および将来に不安を抱く中間層(とそれに取り入るポピュリズム)だけで過半数を占めたわけではない。それとは性格のちがう要素も一緒に複合しています。
権力闘争という要素もあったでしょう。それらに加えて、イギリスでは立憲主義(議会主権)という問題、アメリカでは既得権益でうまくやってきた共和党成金たち(Trump家もその例)のさらなる利権欲もあったでしょう。フランス革命が民衆の反乱よりも、まずはアリストクラート(特権貴族)の反動から始まったことを忘れてはなりません。フランス革命の研究史から学ぶことは多い。

2016年12月19日月曜日

中之島センター & ダイビル

(承前)
17日の会は、大阪・中之島における『礫岩のようなヨーロッパ』をめぐる、ヨーロッパ中近世史の方々による合評会でした。執筆者も6名が出席し、企画者・司会のリードのおかげで、効率的に集中的に討論することができました。
中世から近世への移行の契機(?)をめぐって考えに違いのある場合も含めて、基本的な共通理解は確認できました。せっかくいらした並み居る論客も、時間の制約のもとでは自由に発言なさったわけではなく、その点は残念でした。同じく中之島のダイビル3階でも討論は継続。

自宅に着いてみると岩波書店から『図書』1月号が到来していました。http://www.iwanami.co.jp/magazine/
「EUと別れる? イギリスのレファレンダムと憲政の伝統」pp.7-11
という拙文を寄稿しましたが、最後に『礫岩のようなヨーロッパ』におけるケーニヒスバーガの「議会絶対主義」という語にも注意を喚起したものです。
6月23日のレファレンダムの結果は(当初のショックから落ち着いてみると)ただ右翼のデマゴギーの産物というだけではとらえきれず、複合的ですが、イギリス人にとって金科玉条の議会主権にたいするEUの侵犯、というキャンペーン言説がかなり効果的だったから、という一面もあります。その点で、トランプ旋風のアメリカ合衆国とはすこし違う。

ちなみに、フォーテスキュの dominium politicum et regale はイギリスの場合、
「議会と王権(という2つの別の機構)による主権の分有」
と理解してよいでしょうか? 否です。
イギリス憲政の理解では politicum et regale は King in Parliament (議会のなかの王、王とともにある議会)として現象します。
近代には、行政は責任内閣制;司法も貴族院の司法議員 law lords が最高位(つまり最高裁は議会(貴族院)の中にあった)。要するに、日本・合衆国・フランスのような三権分立でなく、三権がすべて議会のなかにある、そうした議会主権=「議会絶対主義」。
【EUから、司法の立法府からの独立を申し渡されて、2009年に独立しました】。

つまり dominium politicum et regale は、 politicum et regale が形容詞であることにも現れているように、2つの実体・機構による主権(権力)の分有をさすとは限らず、むしろ、mixed constitution をはじめとする歴史的な統治構造の分析概念として(のみ)有用なのかも、と未整理ながら、考えこみました。
【なお直江真一氏による「政治権力と王権による支配」(『法政研究』67, pp.545, 547註3)というのは、完全に混乱した誤訳です。http://ci.nii.ac.jp/naid/110006261848

ついでに16世紀末イギリスの作品『悲劇の形をとった史劇、デンマーク王子ハムレット』についても進展があります。いずれ、また後日に。

2016年12月18日日曜日

大阪歴史博物館


今月10-11日には大阪歴史博物館で都市史学会大会、17日には大阪大学中之島センターで関西中世史研究会と古谷科研の合同研究会。2つの週末に連続して(帯状疱疹の痣をさらしつつ)歴史的な大阪の空気を呼吸しました。

大阪はぼくの両親(松山と尾道)が1945年2月4日に結婚して住んだ所です。その3月に大阪大空襲で焼け出されて松山に戻りましたが、戦後1953年にふたたび大阪に出て働きました(戦後に住んだのは阪急沿線・桂の住宅で、こどものぼくには大阪市はよくわからない広大な都会でした)。
このたびの都市史学会大会は、大阪城と難波宮跡にはさまれた歴史博物館で、なぜかNHKと礫岩のようにくっついた建物にて。
古代から近代までの大坂・大阪史の問題の豊かさを具体的に示していただき、また合間に博物館の展示を拝見しました。閉会後の夕刻には難波宮のあとを歩いてみました。
古代からの歴史の長さという点でも、水運による瀬戸内海・東アジアとの接続という点でも、大坂は(江戸より)はるかロンドンに近い存在かなと考えました。
もし1868年に東京でなく大阪に遷都していたとしたら、ロンドンとの類似性はさらに増した、というより複雑になったかな。
午後のブルッゲ・ベルゲン・ヴェネチア・カイロ・アムステルダム・長崎における商人集団と多文化のありかたをめぐるシンポジウムでも、いろいろと示唆をいただき、なお考えを深めてゆきたいと思いました。
みなさま、ありがとうございます。

2016年12月5日月曜日

帯状疱疹とゴルバチョフ


 史学会大会の前の木・金あたりから頭皮(→ 顔の皮膚)の神経痛があり、その痛みが眼孔の奥にも及んだので、11月12日(土)に普段からお世話になっている眼科に行ってみたところ、帯状疱疹(herpes)が出るかもしれない、と予告されました。それまで、帯状疱疹とは想像もしていなかったので、「道」がみえて、なぜか一安心。
 13日(日)から額に疱疹が出始めました。痛みも増します。しかし、これがだんだん増えて眼に近づいたので、不安になり、火曜朝に順天堂病院に予約なしながら(皮膚科は急患を受け付けるというので)、これから行きたいと電話したら、なんと即日緊急入院という危ないケースもあり、と受け付けてくれた!
「万一の場合」にはこれがないと困る、という林・柴田両先生以来の教訓で「歯ブラシ」と、それから(さすがPCはなしで)原稿と材料を持って、順天堂病院に参りました(家族は所要で出かけているので、ぼく一人で)。電車のなかでも気付いた人はそっと距離を保つ、見るも無惨な形相です。
 ところが、皮膚科では血液検査と診察で、典型的な「三叉神経の帯状疱疹」ということで(こわい Ramsay Hunt症候群ではない)、適切な措置をしていただき、なんだか拍子抜けで、そのまま帰宅して、言われたとおりの経過をたどっています。18~20日くらいが峠だったでしょうか。
早めに治療(抗ウイルス錠+鎮痛錠+胃保護+軟膏)を開始したことが良かった、と言われています。顔や頭髪も積極的に洗って清潔にするように、とのことで心理的に楽になりました。孫と接触しても大丈夫、とも。
 見苦しいので、額に大きなガーゼを当てて授業をしたこともあります。電車内は帽子を被ることにしています。ゴルバチョフの額もどきの瘡蓋がいったんとれて、今は赤褐色のケロイド状でまだらな傷跡です。11月26日の書評会でも、12月3日の研究会でも、顔を合わせた方々を驚かせました。この次は火曜に同じ病院内の皮膚科とペインクリニックに行って、経過を見ます。頭髪が伸びてしまって、鬱陶しいのですが、散髪に行くのはその後ですね。
【ゴルバチョフ大統領(左)といっても、今の学生たちは知らない!これにもビックリ。】

2016年11月26日土曜日

「いき」の哲学


 承前。『「いき」の構造』は今のように岩波文庫にはいるより前、ぼくが学生のときに、岩波書店が旧版のままの再刊を出して、その「いき」な装幀が話題になったので、薄い本なのに、と思いながら(!)初めて読みました。
パリと京都のエスプリ(?)を知る東京人・九鬼周造による英語圏の history of ideas のような才覚が際だちました。極端(ヤボ、下品)を排した、意気・粋・生きかたの解釈学として、全面的に感服します。だがしかし、悲しいかな、両大戦間の知識人として、議論を「民族的特殊性」へと絞りあげ、「いきの核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たのである。」(岩波文庫版、p.107)としてしまう。そうしないと収まらない、時代のなにか強迫的な磁場のようなものがあったのでしょうか。

 にもかかわらず、次のようなコメントがあるかぎり、この本は読まれ続けるべきです。その「序」の第2段落に
「生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。」
とあります。この「哲学」とは、狭義の哲学でもあるけれど、あのハムレットがホレイショに向かって言う
「天と地のあいだには、君の philosophy では思いもつかないことがあるのだよ」
の philosophy であり、また現在の欧米の大学における Ph D(Doctor of Philosophy)というタームに存続している、人文的な学問、学知、のことですね。ですから
「生きた学問は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。」
「生きた歴史学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。」
と、無理なく言い換えることができる。

 岩波書店の岩波文庫アンケートで、九鬼周造のドイツ・フランスにおける「経験を論理的に言表すること」に触れようとして、1冊につきたった90字の文字制限では、言いたいことを分かるように表現するのはむずかしかった。 背景としては、EU問題、ピューリタン史観への批判(中庸の再評価)も『史劇ハムレット』論も含まれていました。

 この2週間の帯状疱疹の苦しみから快復して、さて次の仕事は、立正大学の公開講座「インテリ王子ハムレットと学者王ジェイムズ」の録音起こしの校正に続いて、学問的な註を補い、これを論文『史劇ハムレット』論として仕上げることです。歴史学による文学批評の批判ですよ!

世界史の奔流


「アダム・スミス以来の普遍性と世界資本主義のチャンピオンだった英米両国があいまって、世界史の潮流を変えそうな大事件」が続きました。これについて黙っていられなくて、『図書』が機会を与えてくださったので、
EUと別れる? イギリスのレファレンダムと憲政の伝統
という文章を寄稿しました(来1月号)。https://www.iwanami.co.jp/tosho/
問題を全面的に分析して論じる余力はないので、1) イギリス史の「アイデンティティと秩序」を長期にわたって叙述した者として、また 2)「戦争と宗派対立の続いた近世ヨーロッパにおける諸国家システム、‥‥複合的な国のかたち」を討論している者として、したためたメモに過ぎません。ケーニヒスバーガやフォーテスキュの名も出しましたが。
時代の奔流、危機感のなかで、新しい思考は生まれる、ということでしょうか。

その直前直後に読んだのは(『ハムレット』関連に加えて)
・Emanuel Todd 『問題は英国ではない、EUなのだ』(文春文庫, 2016) ← 7月3日の記事を含む
・Dani Rodrik, The Globalization Paradox: Democracy and the Future of the World Economy (Norton, 2012)
・Frank Trentmann 『フリートレイド・ネイション:イギリス自由貿易の興亡と消費文化』(NTT出版, 2016) ← 7月付の「日本語版への序文」を含む
・秋田茂ほか『「世界史」の世界史』(ミネルヴァ書房, 2016)
・九鬼周造『「いき」の構造』(岩波文庫, 1979) ← 初版は1931年
でした。

2016年11月10日木曜日

ケンカを知っているトランプ


 ふだんの業務に加えて、「新しい入試制度」で大学のプレゼンスをどう高めるかとか、「UKとEU」といった文章、あるいは手を抜けない「推薦書」 etc.で寸秒を争うような毎日なのに、アメリカ大統領選挙は、沈黙を許さぬ結果です。NHK-BSでの藤原帰一先生の表情も硬かったけれど、トランプはハッタリだけだろう、といった甘い態度でいると、たいへんな世の中、万人の万人にたいする戦いの世になるのかもしれませんぞ。

 『朝日新聞』が「権力への怒り」といったタイトルで解説しようとしているのは、不用意で誤解をまねく。嫌悪感さえ覚えます。
 トランプを駆り立てているのは「権力への渇望」「力への妄信」であって、怒りではない。むしろ人民(とくに poor white)の不定形の不安と不満を「外来のもの」に向けてあおる衆愚政治です。ユダヤ人への差別的な言説、ナチス的な要素に対してきわめて敏感なアメリカのメディアは、イスラムやラテン系に対するヘイトスピーチについては野放図でした。日本車や日米安保への無知な発言を放っておくというのも、3・40年ほど昔の大衆レヴェルです。なにか「問題を分析し理解して取り組む」といった姿勢じたいを軽蔑しているようなところがある。
 ケンカの仕方を知っているトランプの最後の切り札(trump)は、州権的な大統領選挙のシステムを熟知したうえで、激戦州、決定的な州 - Florida, Ohio, Pennsylvania - にキャンペーンを傾注して、選挙人団(electoral college: すなわち選挙社団! という近世的編成ですね。)を獲得することでした。これがみごと効を奏したわけで、戦略的な勝利です。いくらマサチューセッツ州やカリフォーニア州でたくさん票を得ても、選挙人の数が定数より割り増しされるわけではないのだから。

 トランプはバカではない。計算高く、権力欲は強烈。プーチンでも金正恩でも交渉次第で握手するでしょう。こうしたクレヴァーな「ジャイアン」にたいして、安倍政権は賢明に対処できるでしょうか。たくましく、現代の「万人の万人にたいする戦い」を乗り切る人材と裁量をもっているかな?
 近世の states system (諸国家システム)が今日的に再現し、グロティウスの「戦争と平和の法」が書かれる前夜のような弱肉強食の情況です。こういったときに「信仰によってのみ義とされる」とか、悪魔(Antichrist)を呪うとかいう立場に、未来はありません。ひたすら「公共善」をとなえる politique派(アンリ4世!)、あるいは中道(via media)のエリザベス女王を憧憬します!

2016年11月9日水曜日

札つきトランプ

驚きました。みなさんもそうでしょう。

Trump triumphs, and Clinton is let down.

6月23日のイギリスと同様に、アメリカのような先進的な大衆社会で、このような衆愚政治がおこなわれている。共和党がこんな男を大統領候補にして、好き勝手にやらせるしかなかったこと(会社社長ならOKでしょう);民主党がこれだけ嫌われ、政治センスの欠けた女に任せるしかなかったこと(優等学生とか弁護士とかならOKだとしても)。
アメリカの政党政治、そして民主主義に暗雲が差しています。むしろ世界的な暗雲です。

人民 対 エリート、といった構図をマスコミが大きく書き立てて人気を博するなんて、健全なわけがない。Two nations(『イギリス史10講』pp.212-3).19世紀のディズレーリ以来の政治の課題、解決すべき問題です。Politics そして政治社会が復権すべき時です(『礫岩のようなヨーロッパ』p.10)。

同時に、こうした接戦の場合のマスコミの報道および世論調査について、6月のイギリス、11月のアメリカと、これだけハズレが続くと、信頼されなくなるのではないか。はたしてこれまでの投票行動の予測手法が妥当なのか。大衆社会、SNS社会に対応できないのかもしれない。

2016年10月18日火曜日

「豊洲問題」


今マスコミと小池知事が、あげて土壌、地下水、空気を問題にしています。でも、ここで問題にしたいのは市場建設の是非よりも「豊洲」という地名そのものです。
あなたは江東区豊洲に来たことがありますか? 一度も歩いたことのない人には想像もできないくらい広い地域です。1988年から隣接する越中島の住民として、よく知っていました。夜中に遠く、ドックの船舶の汽笛が聞こえたものです。
http://www.toyosu.org/  豊洲2・3丁目まちづくり協議会
豊洲1丁目~5丁目」は一つの島をなし、戦間期からおおむね石川島播磨工業の造船・メインテナンスの大工場と関連の中小企業、そして住宅、飲食店が拡がっていました。国鉄の貨物線も走っていました。いま地図で計ってみると、全部で約1400m×800mの広さ。石川島播磨工業は1980年代に、まず創業の地・中央区佃から撤退し、そこは今、超高層住宅が林立しています。やがてさらに江東区豊洲2・3丁目の主工場敷地も再開発することが決まり、最初の超高層・NTTデータの豊洲センタービルが竣工したのは1992年でした。そして IHI と改名した本社ビル(豊洲3丁目)、芝浦工業大学、いくつものタワーマンション、商業施設、オフィス、「アーバンドックららぽーと」(豊洲2丁目)が開業したのが、2006年。湾岸を代表する、職住近接の街として楽しい空間ができました。子どもをもつ親(と祖父母)にとってキッザリアは一度は行くメッカでしょう。

これとは水路をはさんで、直角に接する「豊洲6丁目」というこれまた広大な、約1800m×600mほどの埋め立て地があって、東京ガスおよび東京電力の工場が占めていました。ほとんど住宅はなかったみたい。やがて、こちらの用地が収用され、それぞれガステナーニおよびTEPCOのミュージアム施設以外は空き地がひろがり、そこに「ゆりかもめ」が走り、湾岸の高速道路へのアプローチ公道が何本か伸びる、付随して流通業の大配送センターが建つ、という状態が長く続いていました。ここに新市場が移転・建設されることになったのです。http://www.tokyogas-toyosu.co.jp/project/toyosu22/  とよす22

繰りかえしになりますが、「豊洲1丁目~5丁目」と「豊洲6丁目」とは別で、(2丁目・5丁目の境にある)「ゆりかもめ」豊洲駅から二つ目の駅が「新市場前」です。「豊洲1丁目~5丁目」の住民・勤め人は、ジョギングか犬の散歩でもなければ、行ったことはないんじゃないでしょうか。おなじ豊洲という地番で一緒くたにするのは、迷惑な話で、たとえれば築地全部(1200m×800m)を銀座9丁目と呼んで、銀座(約1100m×700m)と築地を区別することなく一緒にするのより、もっと乱暴な企てです。

2016年10月14日金曜日

悲劇的な史劇 or 悲劇の形をとった史劇


【承前】 そもそも『ハムレット』の正規の題は The tragical history of Hamlet, Prince of Denmark です。高貴のプリンスは、ルターのヴィッテンベルク大学をちゃんと卒業したのか留年中なのか、むしろNIETなのか、よくわからない状態で実家のエルシノール城に戻ったのです。
あたかも実存哲学的な科白と筋を展開しつつ、1600年前後の〈諸国家システム〉における王位継承のあやうさと王殺し、母子の関係のアクチュアリティを埋め込むことによって、『ハムレット』は多義的で近世的な作品として呈示されています。おそらくシェイクスピアは相当の自負心をもって、ロンドンの観衆・聴衆・読者にむけて、ヨーロッパ事情と寓意に満ちた作品を見せつけました。それは「悲劇の物語(history)」でもあり、「悲劇の形をとった史劇(history)」でもあり、歴史的な悲劇でもある。

複合君主政のイギリスはステュアート家による代替わり(1603)の直前直後でした。しかもジェイムズの母は「淫乱のメアリ」! 父(夫)殺しに積極的に関与していました。 ロンドンの観衆は、複合君主政(しかも選挙王制)の「デンマーク・ノルウェイ王国」における王位継承の悲劇を人ごとでなく受けとめたでしょう。「淫乱の母」とその一人王子も含めてハムレット家は劇の終わるまでに全滅し、その宰相ポローニアス家も死に絶える。いったい王位はどうなるのか。
ハムレット王子が息絶える前の最後の言葉は、1) 学友ホレイショにむけて、見たこと my story をしっかり伝えてくれ、2) election があればノルウェイ王子フォーティンブラスが勝つだろう、he has my dying voice、と言って死ぬのです。父王フォーティンブラスと父王ハムレットのあいだの古き意趣がここで想起され、1524/36年~1660年のあいだ、選挙王制をとる「デンマーク・ノルウェイ」の複合君主政がここで機能し始めます。
劇末にてフォーティンブラスが盛大に葬式を執り行うのは、王位継承を受けての喜びの、公的行事なのでした。

そもそも父ハムレットが死んでその一人王子ハムレットが王位を継承しなかったのは、臣民の賛同が得られないから[人望がないから]、ということが含意されています。(まだ学生だから、ではありません。事実、メアリはほとんど生後まもなく1542年に、ジェイムズは1歳に満たずして1567年に王位を継承したのですから。)

12日夕の公開講演は、この間、ケインブリッジのワークショップから、福岡大学の七隈史学会も、映画論も含めて、スキッツォ的に拡散しがちなわが関心事が、近世的・礫岩的に連結した瞬間でした! いらしてくださった皆さん、ありがとう。 いらっしゃらなかった皆さん、いずれ録画配信、あるいは書き物で。

2016年10月13日木曜日

『ハムレット』


ご無沙汰しました。学期の始まりと、「東奔西走」とまでは言わないが、いろいろなことが続き、blogに書き込む気になれない、という日夜でした。

昨12日夕には、立正大学の公開講座(品川区共催)で、没後400年 シェイクスピアを視る という企画の一環(第3回)として、
「インテリ王子ハムレット」と「学者王ジェイムズ」
という話をしました(品川区から録画チームが来て無事収録できたようですから、いずれインターネット公開されることになると思われます)。

ロンドンからデンマーク、この間いろいろと撮りためた写真も使いながら、 -当然ながら、ズント海峡、エルシノールのクロンボー城、地の神の像の写真も見ていただきました- 文学研究の作品論とは異なる観点から『ハムレット』を見直し、1600年前後のロンドンの観衆・聴衆・読者がどう受けとめただろうか、論じてみました。一般むけで楽しく、しかしやや論争的なお話としました。
『デンマーク王子ハムレットの悲劇の物語』(1599から上演、刊本は1603~23に数版でます)が、じつに「礫岩のようなヨーロッパ」を地でゆく悲劇的史劇であることを最近に「再発見」したぼくの、エキサイトしたお話でした。
『ハムレット』を翻訳で読んだのは高校生のとき、さらに高校の図書館で研究社の対訳叢書(市河三喜監修)を見つけて、対訳註釈の付いた版で英語を読むよろこびを知りました。
To be or not to be: that is the question. から始まる一種実存哲学的な雰囲気と、言葉、言葉、言葉‥‥の溢れる警句的、寓話的な近世の宇宙を(今おもえば)このとき垣間見たのですね。16・7歳の少年が同年配の乙女にたいしてもつ、不安定な感覚もあいまって Frailty, thy name is woman. とか;時代にたいするカッコをつけたスタンスとして The time is out of joint. とか暗唱して悦に入っていたものです。もっとも
There are more things in heaven and earth, Horatio, than are dreamt of in your philosophy. というのは気取っているが、しかし青い高校生にとっては心底は理解できないままの科白でした。
‥‥のちのち大学院教師となって、ほとんど常識のつもりで『ハムレット』の科白を(日本語で)言ってみても、まるで反応のない院生が過半だと知ったときほどの驚愕(宇宙を共有していない!?)は、ありませんでしたね。それ以後またしばらく経って、『イギリス史10講』でシェイクスピアを引用するときにも、ちょっとだけ考えこみましたよ。結論は、「妥協しない」。著者として現実的に貫きたいことは貫く、というわけで、『イギリス史10講』には、(巻末索引に 37, 111 ページが採られているだけでなく)シェイクスピアに限らず、高校生にも読める英語のセンテンスが重要な論理展開の場面で、いくつか訳なしで書き込まれているわけです。

ところで、そうした「引用文に満ち溢れた」『ハムレット』という作品ですが、なぜかデンマーク宮廷にイングランドだけじゃなく、ノルウェイだかの使節や軍人が出入りしている;ドイツ留学やフランス留学が前提されているのは国際性の現れとしていいかもしれないが、劇の結末は、ノルウェイ王子が登場して、これから立派な葬式を執り行なおう、と宣言して終わる。‥‥これは、いかにも取って付けたというか、変なエンディング、という印象でした。しかし、高校生には手に余る問題で、以来、思考停止していました。

ローレンス・オリヴィエ監督・主演の『ハムレット』が、ぼくの受容原型で、それ以外は余分な粉飾(!?)のような気さえしていました。
こうした50年前(!)から棚上げしていたぼくの疑問と思考停止は、礫岩のようなヨーロッパ、複合君主政という視点をとることによって、眼からウロコが落ちるように氷解するのです! to be continued.

2016年9月20日火曜日

七隈(ななくま)史学会大会


 ちょっと大きく構えすぎのタイトルかも知れませんが、ポスターのような講演をすることになりました。
絵として、よく知られている16世紀後半の Europeana Regina のうち、女王の表情が優しく、また後の「国民国家」への行方がまだあまり(太い文字で)明示されていない1570年ころのヴァージョンを選びました。本当は『ヨーロッパ史講義』(1588年?)でも、こちらを使いたかったくらいです。

 日本人の世界認識および歴史認識を振りかえると、幕末・明治には福澤諭吉のような啓蒙的な文明論が、日清・日露以降にはドイツ歴史学派経済学/国家学が、そして戦間期、コミンテルンを後ろ盾とするマルクス主義史学が決定的な枠組を提供しました。人類史の普遍的な歩みのなかに自分たちの歩みも位置づけられるというパースペクティヴの発見。モダンであることもマルクス主義も、若者に、知的な世界の拡がりを感得させ,喜びをもたらしました。
 わたし自身、大塚久雄、高橋幸八郎の愛弟子たちに育てられ、「戦後の学問」の後半局面のなかで呼吸し、そこから全体を把握し構成する志を学び、留学と世界史の転換のなかで脱皮してきました。知のグローバルな展開も目撃してきました。いま文明史を見すえた歴史学を探るにあたって、「近世」の捉えなおしが決定的と思われます。

2016年9月14日水曜日

ヒトゴロシにもイロイロある


シェイクスピアの生まれはエリザベス1世の治政、1564年。ジェイムズ王への代替わり時には39歳で、創作力の頂点。亡くなるのは徳川家康と同じ1616年。ということは「真田丸」の同時代人でもあり、おもしろい話はたくさんあります。
立正大学文学部の公開講座ですが、ご案内申しあげます。
http://letters.ris.ac.jp/aboutus/koukaikouza/idkqs4000000293w.html
詳しくは↓
http://letters.ris.ac.jp/aboutus/koukaikouza/idkqs4000000293w-att/28kokaikoza.pdf
申し込み期日は厳密に考える必要があるのかどうか? むしろ数百人の湛山講堂が満杯であふれるといった事態を避けるためでしょう。

2016年9月9日金曜日

Commentarii


 以前から不思議だったのは、このブログの閲覧者のうち MS Office のインストールや使用法、認証のトラブルにかかわる発言にアクセスする方が非常に多いことでした。なにかソフト(今ではアプリ、ですか?) Office の不正利用のためのノウハウ・ページと誤解してアクセスなさっているのか、それにしても(合衆国、中国、ロシアも含めて)閲覧者数が多すぎるな、と。
 ほんの数日前に、忽然と気付いたのですが、ぼくのブログの名が「オフィスにて」となっていて、どんなスレッドであれ、これは省略されない。検索エンジンでもその結果は、たとえば 「オフィスにて 成瀬治先生」といった表示になるわけです。これは不覚でした。

 (じつはオフィスに行かずに書いているケースも増えていますから)この際、トップの名称を変えてみます。全体の表題を「無」にするという選択は blogger にて許されないようですから、スポーツの「実況中継」ほどにリアルタイムではありませんが、研究教育だの、思考の道具だのにともなう時宜的な commentaries だということで、カエサル的な!?(あるいはぼくたちの学生時代の『判例コンメンタリー』的な!?)名称でちょっとやってみましょう。これにより、アクセス数は健全化するでしょう。

2016年9月4日日曜日

PRC って?


 すでに3週間前のことですが、北ウェールズ・(ス)ランディドノーの宿にあった小さなシャンプーをいただきました。ロンドンの安宿での浴室備え付けは兼用ボディシャンプーだったので、そちらを使用しました。
 ウェールズなのに Falkirk Scotland の企業の製品なんだ、などと感心していたのだが、小さな文字のどこかに Chine とか見えたような気がして、改めてしっかり読むと(全体で高さ5センチあるかないか。じつに目を凝らさないと読めない)下から4行目右に Fabriqué en Chine とあるではないか!えっ? でも英語でそうとは記されてない。英仏2語表記だが、その左には Made in the PRC とあり。
 PRC = People's Republic of China のことと判明するまで、眼をパチパチしました。オリンピックでも国連でも、こんな表記をしていますかね?
 こういう微妙な使い分け(ダブルスタンダード)を国際戦略的に推進する国と、Cool Japan! なんて一人で悦に入っているナイーヴな国と、今日の states-system のなかで対等にやっていけるかな? グロティウス先生、そして大沼先生から学ぶべきことは多い、とあらためて思い入ります。

2016年8月28日日曜日

成瀬 治 先生(1928-2016)


 日曜未明のメールで第一報を知りましたが、別のソースから確認をとるのにすこし時間がかかりました。
「Landständische Verfassung考(上・中)」(『北海道大学文学部紀要』)、『岩波講座 世界歴史』14巻、17巻(1969-70)、そして吉岡・成瀬(編)『近代国家形成の諸問題』(木鐸社、1979)などなどで研究史を画した成瀬先生、翻訳もたくさんありますが、闘病中のところ、26日に亡くなったとのことです。88歳。
7月末に『礫岩のようなヨーロッパ』をお送りしたら、奥様からお変わりなく過ごしておられるというお葉書をいただきましたし、2週間前のケインブリッジでは、成瀬 → 二宮 → われわれ、といった(ねじれた?)系譜をヨーロッパの学者たちと議論していましたから、. . . 残念、としか言葉がありません。
ぼくにとっては(先生にとっても!)本郷西洋史最初の演習は Rosenberg, Bureaucracy, aristocracy and autocracy: the Prussian experience 1660–1815; 続いて講義はフランス・アンシァンレジームにおける impôt (アンポ税制)史で -「アンポ、反対。闘争、貫徹。」の時代だったので - 法文一号館の教室に冷たい空気が流れていたような気がしました。大学院に入ったら演習は Habermas, Strukturwandel で、こういった点にも、時代の表面に流されることなく、見るべき所をしっかり見ている方だったことが現れています。ただし、68-70年の東大内の政治力学に翻弄された面もあったでしょうか。すこし才能をもてあまし気味のところも。
 学問的な評価という点では、『礫岩のようなヨーロッパ』序章(pp.3-24)をご覧ください。
 ご冥福をお祈りしております。

2016年8月24日水曜日

先行作品 と 自分の道

National Gallery にて Painters' Paintings という特別展をやっていますね。
http://www.nationalgallery.org.uk/whats-on/exhibitions/painters-paintings

要するに、ヴァンダイク以来、リュシアン・フロイトにいたる画家が、先行画家の作品をどのように意識しながら創作し、自分を模索したか、ということがテーマで、ほんのすこしでも「蔵書」をもちつつ仕事をするわれわれ学者・研究者・物書きにとって、他人事ではない展示。考えさせる企画です。
歴史は科学か騙(かた)りか、といった抽象的な問題の建てかたにはぼくは反対です。文句なしの学問であり、アートです。じつは先週のケインブリッジでもワークショップが終わってから、日本人6名の間で、先行研究と自分の仕事との「継承と差別化」、言い換えると「先生」を尊重しつつしかし独自の道を歩む、という点で盛り上がりました。驕慢になるというのとは違いますよ。「絶対主義」 → 「市民革命」 → 「民族独立」といったコミンテルン史観粉砕!ということでも。
研究史とか intellectual history とか特殊化することなく、自分の問題として考えるべき論点だと思いました。

2016年8月23日火曜日

礫岩のようなイギリス


今日午後に、BLのカフェにて旧知の3氏に遭遇しました。
Cambridge Workshop について質問がつづき、「礫岩」とは互いに異質だということじゃない、「Kさんとぼくは性格も出身も違うが、友人である。なぜか?」
という問題だ、と言ったら、半分わかってくれた模様です。
ぼくは学生時代から反nationalist です。「違うから独立したい」というのは1919年の論理で、21世紀の将来は見通せない。「礫岩のような」議論は、後ろ向きでなく、前向きの志から来ています。
『イギリス史10講』について2014年初めの『朝日』の書評欄が、イングランド・スコットランド・ウェールズの違いにも目配りした概説‥‥ といったふざけた紹介をしていました。結局は受け手の問題で、「こと」を理解できていない人には、なんともコメントのしようがなくて誤魔化したのでしょう。

なおまた 北ウェールズ行に関連しても質問がありました。
ウェールズとイングランドの関係は、琉球や台湾やでなく、関西と関東の関係だ、と言ってみたら、これまた半分納得してくれました。
景観も、文化と自尊心、言語と信教も異なる。このことを認めなくちゃ話は始まらない。しかし独立したいとは考えていない‥‥。
サイダー(Seidr)を昨日お昼に飲みました。

2016年8月21日日曜日

コンウィ城:カムリの怨念

現ウェールズはバイリンガルですが、今日は北ウェールズ・ランディドノー経由でコンウィ城に参りました。
1280年代、90年代、エドワード長脛王の征服戦争の拠点であったばかりでなく、
いまやUNESCO世界遺産にまで指定されて、けさ乗ったタクシー運転手などは
その圧倒的な迫力を自慢しつつ、クソッと3度くらい繰り返す、そういった複合感情の凝縮した歴史遺産です。
(カムリの怨念のこもった?)強風に命の危険も感じつつ、城=要塞を歩いて回りました。
エドワードの「ゆうれい」も目撃。cf.『イギリス史10講』pp. 41, 54-56, 59.
下の男は気付いていないのかもしれません。

最後は、コンウィの蜂に襲われて、あ痛!退散とあいなりました!

2016年8月18日木曜日

A Conglomerate Europe

今日は第一日目、Chapel Court Room にて
Rethinking early modern European states
12名の intensive discussion というのもなかなか疲れるが、いいですね。
夏のケインブリッジにてコーヒーブレイクも外で。
夜は Brexit についても十分に話ができました。
今晩は晴れて満月。
韓国の金さん、李さんとも去年の大阪AJC以来1年ぶりに会いました。
明日も天気は良いようです。

2016年8月16日火曜日

何年ぶりのケインブリッジ

暑い日本からロンドン経由でケインブリッジへ。
昨夕、こんな風景の中に身を投じました。
晴れて暑いとはいえ、室内で半袖でいるのは寒い。
夏をこうした環境で過ごせるかどうかは、長い間には決定的な差異となるのかも。
左にスーパーのセインズベリ、右に(ジョギング中の男の脇にみえる板戸を押して入ると)Sidney Sussex College. 16世紀創立、クロムウェルの学寮、表の雑踏とは別の世界です。ここで A Conglomerate Europe: Rethinking the early modern European states を明日から催します。

2016年8月8日月曜日

天皇陛下の2つのボディ

 今日午後には今上天皇のお言葉が放送されました。ぼくも3:00から見て聴きました。
 象徴天皇の誠意があきらかな、よく練られたお話で、政治理論的・歴史的には、近現代の君主の「2つのボディ」が明白に現れていました。第1の心と体をもつご当人の気持、そして第2に「国政にたいする権能をもたない」象徴としての法人格。その2つの間のずれが糊塗できないところまできたということでしょう。

 行政およびマスコミの討論はこれからでしょうが、もしカントロヴィツの「2つのボディ」論を理解しないまま近現代天皇について発言するとしたら、それは愚かなナンセンスです。行政もマスコミも賢明になりましょう。歴史学も人文学も、物理学や生物学とおなじく、実学の極みです。その成果を軽んじると、ニワトリや魚群の行動と区別のつかない、条件反射になってしまいます。

イチロー 3000th career hit


 このところ(7月の終わりから)イチローと一緒に調子が出ないような気分でいましたが、ようやく、このとおり文句なしの3塁打で 3000th career hit を決めてくれました。オリンピックのどの金メダルよりも価値ある記録かもしれない。
しかも日本の新聞(電子版)によると、
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 試合後、イチローは「3千を打って思い出したのは、このきっかけをつくってくれた(元オリックスで2005年に死去した)仰木彬監督のこと」と語った。記録達成直後のベンチに座ったイチローが涙を流す姿を中継映像がとらえていた。
「達成した瞬間にチームメートやファンが喜んでくれた。僕が何かをすることで他人が喜んでくれることがなにより大事だと再認識した」。
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 そうなんです。42歳の生き方そのものが、人びとをどれだけ前向きに、幸せにしてくれることか。

2016年8月5日金曜日

校正おそるべし

 『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)につき、ただちに何人もの方々が感想や印象を書き送ってくださっているところです。有り難うございます。8月17~18日には、ケインブリッジにて、ちょっとしたワークショップを催し、ヨーロッパ・英国側の方々と討論してみます。

 本の仕上がりについて厳しい目を注いでくださる読者には感謝しつつ、「校正おそるべし」との感を深くしています。
同時に、日本エディタースクールの代表、吉田公彦さんのことを想い起こしました。
 1970年代に『社会運動史』という同人誌を編集刊行していましたが、
その4号までの仕上がりをみて(フランス現代史家吉田八重子さんの夫君として)座視していられないという御気持になったのでしょう。
吉田さんは、ぼくと相良匡俊さんを含む数人のシロート院生・助手をある日曜に呼んで、エディタースクール(市ヶ谷のお堀を望む古い建物にありました)の2階の教室で、校正、版面制作について、みっちり教えてくださいました。
要は『校正必携』(日本エディタースクール出版部)の考え方、心構えの基本でした。

・植字工(オペレータ)は著者の秘書ではないのだから、こちらの癖も専門も知らない。だれにも分かる明快な指示をしなくてはいけない。
・たくさん訂正、指示を出してもよい。ただし、訂正や、(打ち消し線、)は正確にドコからドコまでか、( )や ’、’を含むのか含まないのか、欧字の場合はTなのかtなのか、曖昧さを残してはいけない。
・誤解の余地が少しでもあるなら、赤字とは別に、余白に黒鉛筆で(このようにと)しあがり例を記す。横文字・アクサン・ルビの場合は必須。
・校正記号は、『校正必携』の規則に従う。

【・版面の作り方、透明な定規でタテヨコ0.1mmまで計測する、といったことまで教えていただいたので、後々、出版社のプロの方々とは、話が通じやすかった! そのころまともな出版社の編集者は、日本エディタースクールの夜間講座などに通って修了証を取得していました。】

 この半日トレーニング(速習コース)のお陰で、以後ぼくの校正は(3色くらいを使用したうえ)鉛筆の指示も加えて、明快なので、シロート眼には「多様性」「複合性」がめだつかもしれませんが、どの出版社・担当者からも、不評だったことはありません。
 いまやオペレータがコンピュータ制作する時代には、大昔の話かもしれません。

2016年7月21日木曜日

『礫岩のようなヨーロッパ』 山川出版社

 7月下旬とはいえ、今の大学では授業や校務が続きます。
そうしたなかに涼風がさわやかに吹きわたるように
古谷大輔・近藤和彦(編)『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)が公刊されました。本体価格 3,800円
 写真と目次は → こちら

出版社は、刊行前からの評判におどろき、急ぎ増刷りしたとのこと。一般書店配本は週末の模様です。

 じつは、残念ながらすでに誤植を発見!
p.129 下から3行目の見出し
  礫岩のような近代国家の集塊性(誤) → 礫岩のような近世国家の集塊性(正)
p.131 上から13行目
  三者は,信教国家化的な状況‥‥(誤) → 三者は,非信教国家化的な状況‥‥(正)

 校正ゲラが行き交うなかで事故が起こってしまったようです。さっそく訂正スリップを挿入して対応します。

 このことはさておき、全体はすばらしい出来上がりです!
内容の充実度にくらべて、案外に厚くない。横組でエレガントな仕上がり。
註と索引のポイントが小さいので、v + 223 pp. に内実がコンパクトにぎゅっと収まっている感じ。

 あらためて仕上がりを手にして、この本の価値は3つあるなと思います。
第1に、第Ⅰ部として、1章(ケーニヒスバーガ)・2章(エリオット)・3章(グスタフソン)の翻訳章が本体の半分近くを占めて、なにより重要な3論文の良心的な邦訳(訳註もふくむ)を提供することに、この出版の意義があると明示しているかのごとくです。
第2に、第Ⅱ部として5人の日本人の研究論文が呼応するように続き、近世ヨーロッパ史の前線がよく見えます。
第3に、第Ⅰ部と第Ⅱ部をはさむように、序章索引が、それぞれ本の始まりと終わりから各部分の有機的なつながりと構成を示し、担保しています。
ちなみに索引の最初には、こう記しました(p.210)。

 「本書はまえがきにも記されたとおり数年にわたる共同研究の所産であり、表記と用語についても討論と調整を重ねてきたが、礫岩のような政体をあつかう彩りゆたかな議論にたいして形式的な統一を強いて無理が生じるのは避けたい。文脈により「同君連合」や「複合君主政」や「礫岩」が、そして「主権」と「絶対主義」が共存しているのには、それなりの理由がある。
 索引は悉皆性よりも有用性を優先して作成した。そのさいの留意点は次のとおりである。[中略]複合君主は煩瑣になりすぎない範囲で明示した。また「王による支配/統治」「議会」「君主」「君主政」「国民国家」「従属的な合同」「神聖ローマ帝国」「政治共同体と王による支配/統治」「政治的」「対等な合同」「帝国」「ハプスブルク(家/朝)」「複合国家」「モナルキア」「礫岩」等々といった重要キーワードについては、その語義や用法を述べたページを斜体(イタリック)で示した。」

 各部分のそれぞれの価値は言うまでもなく、それと同時に、論文集としての全体的なまとまりとダイナミクスは、自画自賛ながら、数年間におよぶ古谷科研の全員の協力の賜物であり、研究会などで叱咤激励し協力してくださった関係者の皆さまのおかげです。
なおまた3月に山川出版社を退社なさった山岸美智子さんの全面的な支援(介護?)によって、これだけエレガントな本になったという事実は特記しておきたいことです。

(校務の洪水のあいまに)取り急ぎ、感想を申し述べました。

2016年7月12日火曜日

立正大学のPR

 昨夕、山手線の電車に乗り込んで、自然とドアの上方に目がゆき、びっくり。わが目を疑いました。立正大学の広告があるではないですか!

これまで地下鉄でもJRでも、新聞でも、他大学の(かならずしもよいとは限らない)広告を見るたびに、なぜわが立正大学はこういったPRに消極的なのだろう、と不思議に思っていました。東急・池上線の電車には車内広告があるらしいですが、あまりにもローカル。ぼく自身はまだ見たことがありません。

立正大学は今から30年ほど(?)前に経営的な失敗に遭遇してからは、アツモノに懲りて、「石橋をたたいて渡らない」経営方針で来ました。今では毎年発表される私学の財政収支の番付で、ベストテンどころかベスト3くらいにいつも着けているほどの黒字なのに、それを有効に使わないでいたのです。「カネの使い方を知らないコガネ持ち」。1968年まで学長をつとめた石橋湛山(1884-1973)に顔向けできない大学経営陣でした。
なにしろ日本で一番古いかもしれない高等教育機関(日蓮宗・飯高檀林、1580年)で、しかも立地は抜群。JR「大崎」駅には、山手線だけでなく、湘南新宿ラインが走り、隣の「品川」乗り換えで、東海道新幹線および総武線快速、上野東京ラインにも便利、ということで、神奈川県、埼玉県、千葉県からのアクセスは抜群によいのです。静岡県、茨城県、群馬県から毎日通学している学生も少なくありません! 山手線沿線の私学というだけなら、いくつもありますが、立正ほどにアクセスのよい大学は他にあるでしょうか? これに都営浅草線の「五反田」、池上線の「大崎広小路」も加えてみると、徒歩数分の駅が3つあって、これは他もうらやむ「資源」です。
さらに去年から、付属中高の移転にともない、品川キャンパスが広く、きれいになりました。山手通りも歩道がたいへん広く歩きやすくなっています(自転車道が独立)。
これらが生かされることなく「知る人ぞ知る」で経過していたのです。

今年4月から新学長・齊藤昇さん(英米文学)に替わって、なにか変わるかな、と思っていたら、
1) だれもが知る看板教授をゲット:吉川洋さんを経済学部に、冨山太佳夫さんを文学部に迎えました。従来から心理学、社会学、有職故実で活躍なさっている方々は、いつもどおり、テレビ画面にご登場です。
2) 研究支援課を改組して「研究支援・地域連携課」とし、品川区とのコラボが増えました。ぼくの場合も、去年のある市民講座は条件が合わず辞退しましたが、今年秋のシェイクスピア公開講座には講師をつとめます。「<学者王ジェイムズ>と<インテリ王子ハムレット>」は10月12日(水)です。よろしく!
3) こうしたことの一環として、山手線の電車広告があったわけですね。内向きからの脱皮です。
とはいえ次の戦術がほしい! 中長期的には、なにより若手教員を大切に育てることかな。

ところで、立正大学と創価学会(創価大学)、そして立正佼成会とは、無関係です。非公式の交流さえないようです。ときに誤解もありますので、念のため。

2016年7月5日火曜日

Brexit と議会主権

 その後の経過を見つめつつの考察です。マスコミに載る多くの論評よりは、おのずから歴史的で、すこし深みのある考察となります。

A. レファレンダムとはそもそも「特定問題についての有権者の意向伺い」なので、最終的な決定は、議会で首相が何をどう言うかにかかっています。6月23日のレファレンダムの無視ややり直しはありえないとしても、国民総懺悔で、「ご免なさい、軽率でした」とEUメンバーの全国民に謝って歩く行脚、というのは理論的にありうる。しかし、現実的にはほぼない。ふざけんな、ということになります。

B. EUからの離脱(Brexit)を唱えていた二人、ボリス・ジョンスン(保守党)とナイジェル・ファラージ(UK独立党)の二人ともに、レファレンダム前にとなえていた主張=政策を撤回して、リーダーであることを辞退しました。- これが意味するのは、次の3点でしょうか。
 1) 二人ともに公党の指導者としては不適格で無責任なデマゴーグだった。
 2) そうしたデマゴーグに煽られてEU離脱に投票した52%の有権者の危うさ。
 3) そうしたデマゴーグの煽りを書き立てたマスコミの危うさ。

C. ただし、EU離脱に投票し、それに賛意を表明したマスコミ・政治家は全員デマゴーグか右翼かだったと捉えては、表面的すぎます。むしろ、残留派のキャメロン首相が情勢を見誤ったように、離脱派のインテリの一部もまた情勢分析を誤った。すなわち、イギリスの国制(国のしくみ)という観点から、「EU官僚の中央集権主義/高慢と偏見」なるものを牽制し、英国の議会主権を維持するために、究極は_僅差で_EU統合・残留することを望みつつ、その僅差が十分に「批判票」ないしは「牽制/交渉のためのプレッシャ」として政治的意味をもつことを期待した。ところが、意外に伸びて過半をこえてしまったというのもあったでしょう。

D. ここで想起するのは『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、7月刊)です。こんなことになるなら、3・4週間でも早く公刊されれば良かったですね。
 その第2章で「複合君主政のヨーロッパ」を論じるエリオットは、章の最後に、現在の問題を「統一性と多様性を願うというヨーロッパ史に通底していた‥‥気持を両立させるための試み」とまとめ、17世紀の司教の言を引用しつつ、「神が創造した世界では、より完全な統合をめざしても不完全なものにならざるをえない」と結論しています(p.74)。
 また第1章では、ケーニヒスバーガが「複合国家・代表議会・アメリカ革命」を論じつつ、ふつう議会主権というところを「絶対主義的な議会による統治」とまで言っています。近世の「ボダンの主権理論の勝利の行進」(p.45)のなかに、jura summi imperii としての議会主権が位置づけられているのです。そう、イギリス法では(アメリカや日本のような)三権分立ではなく、議会の絶対主義。王権も議会のなかにあってこそ機能します(Crown in Parliament)。だからこそ行政は議会に従属する議院内閣制だし、司法のトップは2009年まで議会(貴族院)に所属した。‥‥この事実と意味を日本のイギリス史や政治学は十分に認識し強調してきたでしょうか。
 専制、君主の絶対主義にたいする防衛、また千年をこえるイギリス史の経験にもとづく知恵、として表象されてきた、何にもまさるべき議会の絶対主義。これを、ヨーロッパ議会ならぬヨーロッパ行政官が陵辱するのは許しがたいと考えたのだとすると、今回のレファレンダムは、歴史的な意味も見え方も違ってきます。
 エリオット先生(1992)、ケーニヒスバーガ先生(1989)の慧眼に脱帽。【ページは、印刷所に入る前の責了版のものを示しています。】

2016年6月28日火曜日

@nifty掲示板

「@niftyレンタル掲示板」という名の掲示板 blog ですが、1999年末にHPを開設した当初から利用して参りました。今では「イギリス史 Q&A」に特化したサイトとして、細々と維持しています。 → http://kondo.board.coocan.jp/bbs/
ところがこのたび、@nifty側の都合で、今秋10月にてこれを閉鎖するとの通告を受けました。
 今こちらのサイト http://kondohistorian.blogspot.com/ が一方的発信を主目的としたブログである(メンバーおよび許可を受けた者のコメントが事後的に採用される)のと違って、あちらの coocan掲示板(bbs)は相互発信≒交流型で、それが2000年代半ばには楽しいフォーラムとして機能したと思います。最初のインストールからすでに16年、インタネット社会の定着局面における無料サーヴィス掲示板の使命は果たしたということでしょうか。
 ぼく自身は広告の介在、そしてスパムの処理を煩わしいと思っていましたから、その歴史を懐かしみつつも、coocan掲示板の消滅はしかたないかな、という気分です。
 閲覧の皆さま、ありがとうございました。

 こちら kondohistorian.blogspot.com については、変わりなく、よろしく!
 サイトへのアクセス数、特定投稿へのアクセス数などが分かるシステムになっていますが、最近では『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)のページへの閲覧が22日昼からほんの5日で700アクセスです! この書への、そしてヨーロッパ史への、礫岩EUへの、関心の広さを印象づけられました。出版社も、イギリスのEUレファレンダムが「幸か不幸か、絶妙のタイミングになってしまいました」との所感とともに精勤してくださっています。

2016年6月24日金曜日

イギリス人民の愚かな選択

 今日午後の「西洋史料講読」の授業中に、EUの地図を見せながら「EUレファレンダムはつばぜり合いで、結果は予断を許さない」などと言っていたら、学生がスマホを見ながら「いまBBCで、離脱派勝利と出ました」! そんなことがあってよいのか。
驚きと困惑と憤りに近いものが、込み上げてきました。イギリスの良識が敗北したのです。
つづく「大学院演習」ではすこし落ち着いて感想を述べたあと、早々に退室して、BBCおよび新聞から情報収集し、考察しました。
ところで、大前提として、日本のマスコミは Great Britain を「大英帝国」と訳すので、問題を混線させます。過去の帝国も現今の英連邦も関係ない。ただ海峡の向こうの「ブリタニア大島」をさす地理的な用語です。
むしろ問題は、過去・現在・将来のイギリスを考えるにあたって「ヨーロッパ=コネクション」を重視するのか、「大西洋コネクション」にすがるのか。歴史家がずうっと議論してきた論点、イギリス人自身のアイデンティティ、そして国家戦略にかかわるイシューが、ここではっきりと問われたわけです【『イギリス史10講』(岩波新書)p. 9】。そして保守党、労働党、自由民主党、スコットランド党などなど、コモンセンスを備えた政党のキャンペーンにもかかわらず、短期的な感情(条件反射)に訴え、短いセンテンスで煽る右翼のキャンペーンが優ってしまった。これは民主主義の危機です。
レファレンダム=人民投票とは、はたして大衆社会において賢明な政治手法なのか、という根本問題にも思いいたります。

現在えられる情報から、こう言えます。今回のレファレンダムは、当然ながら一つの要因だけで決まったのではなく、
1) たとえばスコットランドおよび北アイルランドでは有権者が残留(Remain)を選んだのは、それぞれの地方の、年来の権限委譲(devolution)を求める動きからして自然な選択です。その系として、連合王国(UK)がヨーロッパ連合から離脱するなら、わたしたちはイギリスでなくヨーロッパ連合を選ぶ、という声で、十分に合理的。

2) イングランドの地方(provinces)が離脱≒独立を選んだ、ロンドンは残留を選んだ。あるいは老人は離脱派で、若者は残留派だ‥‥といった日本のマスコミの解説は表面的です。
それよりも明らかなのは、Financial Times にもあった投票分析で、かなり「不都合な事実」です。すなわち、学士(大卒)以上の人口比率の低い選挙区では「離脱」を選び、学士以上の比率の高い選挙区では「残留」を選んだ。同じロンドン地域でも学歴による差は歴然。(スコットランドについては学歴は有意の差を示さず、全般に残留を支持。)
http://www.scoopnest.com/user/FT/746224372432527360
EU vote → https://t.co/dYKO9PjIxd
EUのメンバーであってこそ現在のイギリスは存立する;イギリス国内の雇用も、EU内の雇用もお互い様で、広域の経済・文化があってこその繁栄だ;ワインが無関税で輸入され、思い立ったらフランス・イタリアに自由に旅行できるのもEUのお陰だ;ブリュセル官僚によってイギリスが不当に主権を侵害されているというのは右翼のフレームアップに過ぎない(じじつ、イギリスからEUに議員も役人も送っている)‥‥といった事実を認識しているのは、多くは学卒の人々にすぎなかった。右翼デマゴーグのキャンペーンは、考えない男女大衆をベースに拡がった、ということでしょう。これは憂うべき分裂であり、こうした two nations の分裂を放置してきた政治は、痛いしっぺ返しを受けたということではないでしょうか。
【アメリカ合衆国におけるトランプ現象のことを考えると、さらに暗澹たる気持になります。】

3) キャメロン首相は、みずから保守党内の権力基盤を固めるために(とくに喫緊というわけではなかった)EUレファレンダムを2年前に計画し、これに楽勝することによって長期政権を固めようと図っていたのだが、最近数ヶ月の不思議な政治力学によって、あれよあれよという間に、思惑とは反対の方に流れてしまった。政治の舵取りを誤ったわけだから、甘さと無責任を認めて辞職するほかありません。

4) 政治力学(politics)の次元とは別に、歴史的な国制(constitution:国の仕組み)という観点から考えると、せっかく中世以来の知恵として確立してきた代表議会制による審議をすっとばして(議会主権を棚上げして)、人民に可否の決定を任せた、しかもたった一日の人民主権に丸投げした。これでは歴史学的に言うと「(人民という名の)王の政治」です。
中世には賢人会、近世以降には議会や社団など中間団体によって「王の独裁」は牽制されチェックされてきました。「政治共同体と王の政治 dominium politicum et regale」という原理原則を、アングロサクソン以来の政治文化=「古来の国制」として、イギリス人は後生大事にしてきたのではなかったのか? 歴史の知恵を放棄して人民投票に賭けたという愚行の手痛いバツを、これからイギリス人民は、キャメロンを初めとするエリートたちと一緒に、長く負い続けるでしょう。【 cf.『礫岩のようなヨーロッパ』:25日に追記】

5) これによってイギリス・連合王国の国際的信任はガタ落ちです。右翼に世論の多数派をもってゆかれ、良識よりも条件反射的なソントクを優先し、リベラリズムよりも直近の雇用や手当てに惹かれる国民、というのでは尊敬されません。つまらん小人の国として、リーダーシップも、経験知も期待されなくなるでしょう。
Great Britain はすでに great ではなくなった、ということでしょうか。

6) 国際的な影響ははなはだしく、日本経済も深刻な影響を受けます。それ以上に、ヨーロッパ内で反EUの動きが勢いを帯びて、第二次大戦後に築きあげてきた連帯と信頼のきづなが(エコならぬ)エゴによって台無しにされる。こちらのほうが憂慮すべき問題と思われます。
考えたくないけれども、【合衆国の共和党政治のゆくえとともに】21世紀の世界史について、最悪のシナリオが始まるのを否定できません。

EU レファレンダム

いま木曜から金曜に替わったところですが、EU レファレンダムを、固唾をのんで注目しています。
(8月のロンドン宿泊の予約=ポンド払い=は、昨晩に済ませてしまいました!)
投票時間は現地、木曜の22時まで。ユーラシアの東と西で、日本より8時間遅れですから、まだまだ投票中。したがってテレビも新聞も中立的な事実しか報道していません。
先にも書いたとおりで、ぼくの立場は Remain です。
Leave という愚かな選択をしてしまった場合、キャメロン首相が辞任して「あらためて再投票」という策もあり? それって、前提条件が変わらないかぎり、「一事不再議」という原則に反するのでは?

2016年6月22日水曜日

古谷・近藤 (編) 『礫岩のようなヨーロッパ』 (山川出版社)


お待たせしています。6年間の共同研究の成果(途中経過報告)ですが、ようやく索引の校正を終えて、責了です。
目次は、こうなっています(簡略表記)。

序章 礫岩のような近世ヨーロッパの秩序問題        近藤 和彦

第Ⅰ部 政治共同体と王の統治
1章 複合国家・代表議会・アメリカ革命 H. G. Koenigsberger(後藤はる美訳)
2章 複合君主政のヨーロッパ      J. H. Elliott(内村俊太訳)
3章 礫岩のような国家        Harald Gustafsson(古谷大輔訳)

第Ⅱ部 礫岩のような近世国家
4章 ハプスブルク君主政の礫岩のような編成と集塊の理論 中澤達哉
5章 バルト海帝国の集塊と地域の変容           古谷大輔
6章 ヨーロッパのなかの礫岩              後藤はる美
7章 複合国家のメインテナンス             小山 哲
8章 スペイン継承戦争にみる複合君主政         中本 香

序章につづき、翻訳3本、論文5本の力作揃い。
吉岡・成瀬(編)『近代国家形成の諸問題』(木鐸社、1979)以来の研究史的なパラダイムの、今日的な刷新であり、また最近の岡本(編)『宗主権の世界史』(名古屋大学出版会、2014)や池田・草野(編)『国制史は躍動する』(刀水書房、2015)の向こうを張る出版です。これでお終いではなく、これからも続く共同研究です。
11ページ・2段組の索引を( → で示した参照項目も)しっかり利用して、ご精読ください。7月中旬に、山川出版社から本体定価3800円にて刊行予定です。

Trump 現象

憂慮しています。
悩める共和党の「切り札」「ラッパ」としてのトランプ。結局は、合衆国における無責任なマスコミの視聴率争いの(意図せざる)結果です。かのヒトラーも、合法的な選挙に勝利して政権を執りました。ただしヒトラー首相は核弾頭の発射ボタンをまだ持っていなかった。ナチス期よりもはるかに危険な今の時代に、こういった人格破綻者が「民主的な手順」をふんで≒ケンカのルールを遵守して、米大統領=軍最高司令官(imperator)になるなんて、これは人類文明史(がつづくなら、それ)に残る大事件です。

虚栄心がまさり、攻撃的で目立ちたがり屋というくらいなら、他国の権力者としての前例もあり、現職の例もあります。しかし彼らは政治を知っている練達の権力者で、しかも一人っきりではない。専門家チームを組んでいます。
ところがトランプは、有能な専門職能チームをもっているのか。イスラームにも女性にも国際政治にも、無知で不用意な発言を、インパクトのある短いセンテンスで繰りかえし、それを無知な大衆有権者が喜び、カタルシスを覚えるという構造。

アメリカという大衆社会における知的中間層の失権、たとえばジェフ・ブッシュ程度の常識的保守政治家さえ大統領選に生き残れない政治文化とは!
すでに19世紀からトクヴィルが憂慮していた貴族なき=中間団体なきアメリカ合衆国は、カネとハッタリに左右される阿呆の国なのか? 驚くばかりです。合衆国内に優秀な頭脳は何百万もいて、数的に日本より多いことは明らかなのだが‥‥、その社会構造/政治社会の秩序の問題ですね。
ぼくは、相対的な選択として Hillary Clinton 支持です。

EU, in or out?

イギリスが EUメンバーに留まるか、離脱するか。
歴史家として、これは自明の問いだったので、あまり本気で意見を言ってきませんでしたが、連合王国内で、ここまで離脱派の勢いが高まり、そして残留派の国会議員を殺傷する事件まで生じると、危機感をもちます。

日本のマスコミは、経済的効果、ブリュッセル・エリートへの反感、といったことに関心を集中させていますが(それだけ考えが浅い)、それらに加えて、人びとのアイデンティティをめぐる感情の問題も大きい。「政治国民」political nation とは歴史的に(19世紀半ばくらいまで)地域エリート以上のことでしたが、現代では一般有権者大衆です。

ところで第1に、そもそも referendum を「国民投票」と訳してよいのでしょうか。特定問題についての選択肢を明示した上での直接投票のことを中学社会で「レファレンダム」とならい、高校世界史や公民では「人民投票」plebiscite とならうのではないでしょうか? 2014年のスコットランド独立を問うレファレンダムは「住民投票」と訳して、今回は国民投票と訳して、マスコミ関係者は良心の呵責といわないまでも、小さな疑問くらいは感じないのですか?
第2に、人はソントクだけで判断し、動くわけではありません。いまの日本列島でいえば沖縄の人たちが感じている「憤り」とスコットランド人が覚えた感情は似ているでしょう。
今回のレファレンダムにあたって離脱派は、生活上の疑問・不満をあおって「憤怒」にまで高めようとしている。その明日は、内向きで分裂したイギリス(連合王国)です。ものつくりやサーヴィスよりも金もうけに執心する人びと。人類史・文明の来し方行く末を考えることより、直接的で感性的な小宇宙での充実がまさっているようです。

連合王国の新聞の論調ですが、その全国5大紙はちょうど日本の全国5大紙と類似しています。
     The Times読売新聞   Leave(保守本流), NATO堅持
   The Guardian* ~ 朝日新聞   Remain=「投票に行く、残留する」
The Financial Times日本経済新聞   Remain=世界資本主義の立場
  The Independent毎日新聞   唯一不明(?), 中立主義
The Daily Telegraph産経新聞   Leave(右翼)

* その日曜紙は The Observer で international, liberal and open Britainを主唱。
 この点は、たとえば1997年の「ゼノフォビアよ、さよなら」から一貫します。 cf.『文明の表象 英国』pp.218-9.

なぜか今のアメリカ合衆国の反知性主義キャンペーンに似てきたとすると、憂慮すべきことです。主権回復といった奇麗事、経済社会の問題を移民に絞りあげて人心を煽るのは、右翼の常套手段です。イギリスの有権者は不幸なコックス議員の殺害事件を機会に、落ち着いて知性を働かせるべきでしょう。もしブリュッセル官僚に問題があるなら、ヨーロッパ議会選挙にしっかり取り組むべきです。EUにおいても、立法が行政より上に立っているのだから。

というわけで、ぼくは民主主義、知性主義、ヨーロッパ文明、複合社会、そして反民族主義の立場から、EU堅持のうえでの改革派です。
Splendid Isolation とはパクス=ブリタニカの時代の自由主義外交の結果でしかない。イギリス人は「礫岩のようなヨーロッパ」のなかの一員であり、隣人と仲良くしないわけにゆきません。
イギリス(連合王国)がEUから抜けるなら、当然のように他の国々も続いて抜けようとするでしょうし、また連合王国からはスコットランド、ウェールズ、北アイルランドの独立運動が勢いづくでしょう。地域ナショナリズムの時代が賢明な時代とは、ぼくには思えません。The wise vote is for remain. ガーディアン紙も述べています。

2016年6月17日金曜日

Ichiro Suzuki

 イチロー(鈴木一朗)の大記録達成、おめでとう。

「天才が努力を重ねると恐ろしいことになる」とは、野村克也の評らしいのですが、納得。しかも、B型というのだから、なおさらうれしい。
 なにより、苦しいとき、世間から冷笑されるときにこそ、コンスタントな努力によって難関を克服してきたという事実、考える野球選手ということが、尊敬に値します。
当然ながら、用具を大切にあつかい、情緒が安定している人なのですね。

 このところ色々と課題山積で(多方面からの注視も意識せざるをえず)ブログ発言が減っていますが、理由のある reticence ですので、ご心配なく。

2016年5月24日火曜日

一橋大学のキャンパスにて

22日(日)は、午前の日本西洋史学会大会会場にてゆっくりお話しできないまま、午後は急ぎ、東京駅から中央特快にて国分寺乗り換えで国立へ。
初夏の眩しい日差しの中、見知った顔を認めながら兼松講堂へ参りました。
安丸さんのお別れの会。急ぎ参じてよかったです。

 <写真は一橋大学社会学部のページより拝借>

第一部は安丸さんがどんな学者だったか(こちらはたいていの参列者は知っている)、そしてどんなに良き教師だったかもよくわかるお話がつづき、涙が止まりませんでした。大軒さんという元朝日新聞の方がバッハの無伴奏チェロ第2番の「サラバンド」を演奏してくださったのも、場に相応しい演出でした。
第二部はマーキュリホールに移動して、多摩丘陵を眺めながら、立食の会。卒業生の皆さんの賑わいで、次第にちょっとわたしたちは部外者、という空気になりかけましたが、最後のご夫人の「セビリヤの理髪師」発言が、全員を大いに幸せにしてくれました。お茶も立てていただき、ありがとうございます。
懇談中には、出版界の方々からやや暗い声を耳にしましたが、しかし『現代思想』では安丸良夫特集号を編むとのこと。ぼくも書かせていただきますが、全部を読むことを楽しみにしています。

なおまた、北原 敦さんの「フランス革命からファシズムまで: 二宮・柴田・グラムシとの対話」が『クリオ』の最新30号に出ているのを見ました。pp.1-38. 元気になります。 →『クリオ』の連絡先は東大西洋史学研究室です。

2016年5月20日金曜日

安丸良夫先生 お別れの会

21日(土)、22日(日)は日本西洋史学会大会@慶応大学です。
ぼくは木畑さん、鈴木さんの講演も含めて両日とも参りますが、22日にかぎって、午前の研究報告が終わったら(午後に興味深い小シンポジウムがあることは承知していますが)一橋大学に急行します。

日曜の午後2時から兼松講堂で、安丸良夫さんとお別れする会があるのです
→ http://www.soc.hit-u.ac.jp/info/pub/index.cgi?id=419
ぼくにとって安丸さんは1975年以来の特別の方です。
→ http://kondohistorian.blogspot.jp/2016/04/19342016.html
日本の歴史学にとっても重要な役割を果たされました。やはりこちらを優先させていただきます。いかなる意味で、どのように特別なのか、いずれ一筆、書きましょう。

2016年5月17日火曜日

日産ゴーンと 礫岩のような複合企業

 今朝の『日本経済新聞』電子版によると、
「日産、1000万台クラブへ。仏ルノーやロシアのアフトワズなどとアライアンス(提携)を駆使し、競争力を高めてきたゴーン氏。三菱自動車を事実上、傘下に組み入れ、提携戦略は新たな局面に入る。ゴーン流 連 邦 経 営 に死角はないのか。」
http://mx4.nikkei.com/?4_--_48696_--_962477_--_2
 合同や吸収合併でなく、アライアンスとか連邦経営といった語がふだんから国際企業の経営について使われているのか。知りませんでしたが、しかし、今回の三菱自動車の不正事件から急転直下、ゴーン日産の積極的な出資と提携によって、コングロマリット (conglomerate: 国際複合企業)であることをさらに推進するという戦略は、さらに鮮明になりました。
 6月に刊行される編著『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)はあくまでヨーロッパ近世史の共著です。
〈近世ヨーロッパの「国のかたち」が歴史学を動かす〉
というキャッチの論文集で、公共善と秩序を、絶対主義と帝国を問題にしますが、その序章「礫岩のような近世ヨーロッパの秩序問題」p.16では、Oxford University Museum におけるポルトガル出自の礫岩標本 =カラー写真をカバーに用います= を掲げたうえで、こう書きました。
図1の標本は「‥‥1580年前後のイベリア半島の礫岩状態を考える場合にも、あるいはポルトガルから独立したブラジルに生まれ、レバノンで育ったフランス人、カルロス・ゴーンが社長を務める国際複合企業「ルノー=日産」を見る場合にも示唆的」だと。
 J. H. エリオットにならって、ぼくだけでなく本書の共著者はみんな、法的に対等な合同(連邦)と従属的な合同(併合)という2つの型、を区別して討論しています。もし連邦経営という語が、今日の経営学でふつうに用いられる語なのだとしたら、それにも言及すべきだったかな。
 上の引用文を書いた12月には、三菱自動車がこんなことになって、それに乗じて日産がアグレッシヴに Unus non sufficit orbis という世界戦略を鮮明にするとは予想もしていなかったのですが。かくして礫岩、コングロマリット、国際複合企業は現代的なキーワードでもあります。山川出版社さん、初版部数について、定価について、(ゴーンに倣えとまでは申しませんが)いま少し積極的に出ても良いんじゃないでしょうか?

2016年5月10日火曜日

立夏

 5日が立夏ということで、たしかに荒天のあと、夏のような日になりました。

 ところで「夏」と「冬」の違いは、日本では暑いか寒いか、夜中や朝に起きた場合に上に羽織るものが必要か、床に足が直についたときに「冷たっ」と思うか、心地いいと思うか、といった点に現れます。
 イギリスを含む北ヨーロッパでは、たしかに寒暖の差もないではないけれど、暑い日が少ないので、なによりも日の長さに季節の変化が現れます。夕方、図書館や文書館を出たときに真っ暗か、まだ明るいか。Summer time という語に実感がこもりますね。
植物も小鳥たちも、温度だけでなく明るい時間の長さに反応して生き、成長しているわけです。

2016年4月26日火曜日

English Historical Review

 OUPなどグローバルな専門誌を刊行している出版社と、日本の学術誌を刊行している学会との根本的な姿勢の違いの一つは、
ディジタル化ないしウェブ世界への積極性 ⇔ 鎖国(攘夷?)、
ということに現れています。
 英語市場(何十億人)と日本語市場(1億人)の差もあるのですが、それにしても攘夷鎖国派の反応は、たとえば
「オンラインにしてしまったら『史学雑誌』が売れなくなってしまいます」
というもので、その牢固たる姿勢には、史学会評議員であるわたくしメとしても、何ともしようがありません。「オンライン・データベースに載せるのは、雑誌の刊行後せいぜい2年経ってから」といった具合です。
その間に欧米ではすでに一昔まえから、ジャーナルが紙として刊行される半年くらい前にオンライン公開されること(Advance Access/Early Online) が普通になっています。たとえば『史学雑誌』115-5(2006)歴史理論、『同』116-5(2007)総説で論及。

 たとえば先週に、こんな好論文が Oxford Journals の刊行前(Advance Access)ページに載りました。EHRの契約を済ませている大学図書館からはアクセスできますし、会員でなくても、著者から案内があれば、URLを(尻切れトンボにせず)丁寧にクリックするとゲストとしてアクセスし、ダウンロードもできるようです。
Full Text: http://ehr.oxfordjournals.org/cgi/content/full/cew077
PDF: http://ehr.oxfordjournals.org/cgi/reprint/cew077
'To Vote or not to Vote: Charity Voting and the Other Side of Subscriber Democracy in Victorian England' by Shusaku Kanazawa
The English Historical Review 2016; doi: 10.1093/ehr/cew077
【ウェブで Extract まではどこの誰にも読めますが、全文を読むための正確なURLについては、ご免なさい、著者・金澤さんに尋ねてください。】

2016年4月16日土曜日

熊本の震災

こちらが悠長なことをしたためている間に、熊本地方で14日夜から地震が連続し、今日もたいへんな惨状を呈していることを知り、何とも言葉がありません。
熊本大学には2010年11月に鶴島さん、高田さん、秋田さんの尽力で日韓英国史コンファレンス(KJC)が実現した折に参りました。宿に遅塚忠躬さんが亡くなったとの一報が届き、慌てたことを想い出します。
熊本は路面電車が便利な都市だと印象づけられましたが、今回の地震ではどうなのでしょう。お城の石垣が崩れているのをTVで見ました。市内の高層ホテルの客が小学校に避難したとの報道もあります。
どうか鶴島さんはじめ皆さまに大禍が及ばなかったことを祈ります。

2016年4月9日土曜日

年々歳々花相似たり

 ちょうど年度替わり、学事に前後する花便りで、落ち着きませんでしたね。
 今年は開花宣言の後、寒い日が続いたので、ようやく今週が盛りでした。雨に見舞われても風さえなければ、なんとか持ちます。
老母宅のすぐ近所、ぼくの小学3年以来の原風景のような公園の桜並木も、街とともにすでに成熟を過ぎて老いてきました。花曇りの月曜の午後で、あまり人出もないけれど、それなりの哀感のともなう染井吉野です(すでに樹齢60を過ぎています)。

 今夕(土)は本郷・赤門脇の八重桜を拝みました。何年か前まですこし色調のちがう花をつける2本が重なるように満開になると素晴らしい迫力があったけれど、数年前にピンク系の1本がダメになって、今はすこし淋しい色の1本だけです。

2016年4月5日火曜日

安丸良夫さん(1934-2016)

 新聞を見て驚きました。安丸さんが亡くなったとのこと。
 一昨年の喜安朗さんをかこむ『転成する歴史家たちの軌跡』(せりか書房)をめぐる研究会@東洋大でも、呼吸器の手術にもかかわらず積極的に発言なさり、後に続く者を激励する風がありました。今回は交通事故に遭われ、治療の甲斐なく、とのことです。喪失感はこの上ありません。

 安丸さんとのお付き合いは長く、東大の助手のとき(1975)、西洋史の学生たちと読書会を続けていましたが、出たばかりの『日本の近代化と民衆思想』(青木書店、1974)を読んで感銘して、もしや著者に来てもらってお話を聞けるだろうか、となりました。面識も何もないのに、ぼくが一橋大学御中 安丸良夫先生あてで伺いの手紙を書いてみたら、簡単に快諾のご返事が来て、うれしかった。
本郷の西洋史の奥の(今では談話室と呼んでいる)部屋でインタヴュー的な討論の会が実現しました(お礼は無しでした!)。その折の学部生は小林・皆川・石橋・西浜といった連中で、その後みんな高校教師になりました。その読書会は続いて、なんと Richard Cobb, The Police and the People に読み進んだのです!
 77年には岩波書店で開かれた「社会史の会」でご一緒しました。そこでぼくが調子こいて、すべて独創的な歴史家の血液型はBであるか、Bの因子が入っている。それが証拠に柴田三千雄、阿部謹也、二宮宏之、石井進、安丸良夫、‥‥がB型で(近藤も末席を汚していて)、ほかに ダレソレ がAB型だ、などと述べて、A型の遅塚忠躬さんから戯れが過ぎると叱られました【その後、遅塚さんは Annales 誌の血液型論文のコピーを送ってくださり、しっかり研究史をふまえて議論するよう、ご注意をいただきました!】。
その前後に早稲田の文学部で開かれた歴研の部会(?)は日本史主体でしたが、なぜかぼくも呼ばれて「安丸の西洋史版」みたいな扱いを受けているのが嬉しかった(まだ20代の最後で、名古屋まで通勤しました)。
 『民のモラル』(1993)が出た直後に外語大で催された合評会みたいな尋問の会みたいな所にも、安丸さんは山之内さんや二宮さんとご一緒に出席なさっていました。だものですから、『イギリス史10講』(2013)をお贈りした後、日をおかずにいただいたお手紙を読んで、嬉しいと同時にすこし考えこみました。

 「‥‥高度に洗練された知的な叙述に、細部へのこだわりと大きな展望が結びついて、すっかり感心してしまいました。短い表現にも多くの省察がふまえられていて、御苦心のあとを偲ぶことができたように思います。
‥‥近藤さん御自身としては『民のモラル』あたりまでに比べて大変身のようにも思われ、そのことの意味はぼくたちへの大きな問いかけなのでしょう。9.11、3.11などのあとで、歴史研究の新しい方向を模索しようとするとき、玉著の意義を反芻することができるかと思いました。‥‥」

 こういった感想はぼくの学生時代を知らない方々には少なくないのかもしれません。駒場における学問の最初はマルクスとヴェーバー(世良晃志郎訳)でしたから、本郷に進学して、堀米先生や成瀬先生の国制史・国家構造史はすんなりと頭に入りました。民衆史はむしろその後、柴田先生の影響で、ジャコバン権力と相対するサンキュロットという位置づけで加わった新展開です。70年代には世界的な研究史展開と同期して、そちら(民衆の生活・文化・運動)のほうが exciting で面白くなりました。安丸さんのお仕事のうち、百姓の世界、出口なおの宇宙についても具体的にぼくの視界を広げていただき、感謝していますが、むしろその後の『近代天皇像の形成』や〈日本近代思想大系〉などのほうが「これからの方向」を示しているような気がしてインパクトがありました。

 まだまだこれからこちらの書き物をご覧に入れて、お話もできると期していましたのに、残念ですし、無念です。
 ご冥福を祈ります。

2016年3月30日水曜日

Orbis

 驚きました。美白化粧品の広告ですが、従来の Orbis(地球、世界、範囲)に満足せず、
「大人の美白は、もっと欲張りでいい」と。


 礫岩のようなヨーロッパの秩序を統治すべき普遍君主のレトリック, Orbis non sufficit,「地球は満たされず」「世界は不足なり」「もっとほしい」を知ってのキャッチ・コピーでしょうか? 当方は不明にして ORBIS というブランドがあることも知らなかった!
インスピレーションは近世君主のフェリーペ2世か、ジェイムズ1世か、ジョージ1世か、それとも現代の 007 の The world is not enough?
駅のエスカレータを上りつつ、この知的な?広告に惹きつけられ、階段をまた下りて撮影しました。

 編著『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)の刊行は、いよいよあと2カ月ほどです。

2016年3月28日月曜日

大学の先生

 老いたる母の質問によれば、「大学の授業も入試も終わって、春休みなら十分に時間があるじゃろうに」。いえ、じつは大学の先生は今ごろ一番忙しくしているのです。
 年度末の会議や決算や送別会は当然としても、じつは大学の中だけで仕事しているわけではないので、学外の仕事にかかわる会議や決算や催しもあります。さらに何ヶ月も前から他大学の先生方との研究会や(海外から招いた)特別な研究者を囲むセミナーが設定されていて、しかもその間を縫って、期限オーバーの原稿を執筆したり、校正刷りを真っ赤にしたり、ひとの原稿を読んで意見を言ったりします。直近の仕事ばかりでなく中長期の計画や着想を練るといったことに頭脳が向かっていると、‥‥お墓参りも親孝行も滞りがちです。
 済みません、母上!

 かく言うぼくたちも、学生のころ、自分の先生が(授業以外の場面で)どんな毎日・毎週を営んでいたのか、さっぱり知らなかった。別世界でした。
 もしや今日の議員たち、役人たちにとっても、大学の先生の知的生活は、未知との遭遇なのかな。 議員も役人も、大卒とはいえ、在学中はせいぜいゼミやコンパで先生と言葉を交わしただけだったりして。
 大学の先生って、高校の先生より休みが多くて、わがまま;要するに贅沢な怠け者;だから Faculty Development などで絞りあげる必要がある、とでも議員も役人も思いこんでいるんでしょうか。絞れば、たしかに、優秀な先生方はすみやかに授業も論文も報告書もこなしますが、しかし長期的には疲弊して、役人(あるいは独立行政法人)むけの報告書しか書けなくなりますよ。「すみやかに報告する」だけでなく、「調べて、考えて、書く」ことこそ学問の大前提です。
 日本の学問を枯渇させるには、大学の先生を忙しくさせる(考える時間を無くさせる)のが一番! 文系も理系もおなじです。

2016年3月18日金曜日

映画とイギリス史 1


『日本歯科医師会雑誌』という歯医者さん専門の月刊雑誌があって、その巻頭のコラムに連載を始めました。
第1回、3月号(pp.4-5)は「マーガレット・サッチャー:鉄の女の涙」、これは日本での映画公開名。メリル・ストリープ主演の原題は The Iron Lady, 2011年でした。
http://www.imdb.com/title/tt1007029/
 だれもが知るかつての公人の晩年に仮託した、認知障害・アルツハイマーの患者をテーマとする映画ですが、これは、歴史と証言(そして映像資料)といった問題がシャープに表現された作品としても優れたものだと考えています。

 今日の歴史学もまた現代的な学問ですが、連載では、歴史学ではどのようなことが問題にされ、歴史学者はどのような議論をしているのか。とくにイギリス史に取材した映画をとりあげて、知る人ぞ知る歴史的な人物や事件がどう扱われているか、すこし理屈っぽい話をしたいと予定しています。
 拙著『イギリス史10講』では、ブリテン諸島に生きた人びとのアイデンティティと秩序のありかたを中心に述べてみました。その際にいくつもの文芸作品や映画に言及しましたが、それは(一部に誤解があるようですが)一般読者へのサービスでも遊びでもなく、むしろ今日の歴史研究における史料と表象といった方法論にかかわると考えたからです。それがどういうことか、これから連載で述べてゆきます。

2016年3月16日水曜日

Interview with Sir Keith Thomas

このたび日本学士院の招待でサー・キース・トマス(元 British Academy会長)が来日し、
19日(土)に日本学士院で公開講演をなさるという予定については、すでに記しました。
http://www.japan-acad.go.jp/japanese/news/2016/012001.html

 これとは別に小規模で、もうすこし率直な対話のできる会合を計画しました。
 21日(祝)2:30開場、3:00~5:30、そのあと交歓のためのドリンク
 東京大学文学部・教授会談話室(法文2号館のアーケードから入って大きな階段を中2階へ)にて、
 近藤の司会によるインタヴュー集会とします【残念ながら通訳はありません】。

 ご自分(1933年生まれ)の知的生涯と、歴史学・文化諸学・マルクス主義・修正主義・現今の人文学へのかかわりについて、お話していただきます。
今も元気な学者で、歴史学界、そしてOUPをはじめとする出版界に大きな影響を及ぼしてきた人です。
Past & Present 誌の編集委員会に長くおられ、またPeter Burke を育てた先生でもあります!

2016年3月8日火曜日

Sir Keith Thomas

サー・キース・トマス(元British Academy会長) が
3月17日に東京到着、23日に京都へ移動、その間に
19日(土)に日本学士院@上野で公開講演という予定でいらっしゃいます。
学士院では What did it mean in early modern England to be 'civilized'?
という講演です。
http://www.japan-acad.go.jp/japanese/news/2016/012001.html
無料ですが、事前予約が必要です。

2016年2月14日日曜日

『新しく学ぶ 西洋の歴史』

新しく学ぶ 西洋の歴史 - アジアから考える』(ミネルヴァ書房)が到来。
 執筆者を見て驚きました。計100名を越えています。
「モンゴル時代」より後、日本・アジアから展望した同時代の世界史ということで、村井章介さんも、松井洋子さんも、三谷博さんもいます!
そして皆々さんの執筆分担は各章の「序論」であれ、「総論」であれ、節であれ、ただの2ページ(表裏1枚)。なんだい、と思いながらそれぞれの部分を読んでみると、しかし、各トピックが簡単明瞭に浮き彫りにされて、案外に悪くない。

 問題は、それぞれの部分をどなたが執筆したのか、ただちには分からないことです。執筆分担者を知りたいんなら、巻末の細かい字の執筆者紹介から該当の章節を捜しあてればよい、という方式らしいが、これはいささか難行です。
 むしろ目次や各部分タイトルの下部に執筆者名を挿入するという方式なら、テクニカルに簡単なはずです。しばしば教科書的出版物には章節執筆者名をないがしろにする傾向がありますが、これはそもそも執筆者を軽視しているし、学生にたいする教育上も良くない。
 E・H・カーも『歴史とは何か』で言っているでしょう。「歴史を研究する前に、歴史家を研究すべきなのです。」「事実とは‥‥広大な大洋を泳ぎ回っている魚のようなもので、歴史家がなにを捕らえるかは‥‥海のどの辺で漁をするのか、どんな漁具を使うのか、どんな魚を捕まえようとしているのかによるのです。」(岩波新書 pp.27-29)

 というわけで、「責任編集者」は版元にたいして一踏ん張り、「責任」を果たすべきでしたね。(南塚さん、どうお考えですか?)

2016年2月1日月曜日

『みすず』645号

 「読書アンケート特集」が、到着。
 いまや年中行事です。暮から正月の忙しい折に書くのも大変なのだが、しかし2月に入るとただちに皆さんの文章を読めるのが楽しく、有益。「面白くて、為になる」という昔の講談社みたいな企画です。まだの人は、ぜひ!
 ぼくのがビリに近いところ(pp.96-97)にあるのは、おそらく原稿の到着順、追い込みでページを制作しているからでしょう。そのぼくより後に、阪上孝さん、キャロル・グラックさん、斉藤修さん、野谷文昭さん、沼野充義さん、鎌田慧さん、といった面々が続いているということは、つまりぼくよりさらに遅かったの? 豪傑揃いです。
 いや、とにかく丸山眞男の父、幹治の「人柄」(p.11)とか、「京城学派」(p.13)、「偉大なる韓民族」の「精気」(p.49)とか、初めて知りました。そしてキャロル・グラック(pp.100-102)、いつもながら冴えている!
 今年のぼくは、
 ・パスカル『パンセ』
 ・ヴェーバー『宗教社会学論選』
 ・村上淳一『<法>の歴史』
 ・Kagan & Parker (ed.), Spain, Europe and the Atlantic World; Andrade & Reger (ed.), The Limits of Empire
 ・岡本隆司(編)『宗主権の世界史』
を挙げてコメントしました。
【なお昨年度の拙文は、右上の FEATURES: 『みすず』No.634 にアプロードしました。ご笑覧ください。】
 新刊でなくとも、2015年に読んで感銘を受けた本であれば古典でも、日本語に限定することなく、という編集部の方針が、執筆者には自由をあたえ、読者には多様な本の世界を広げて見せてくれて、うれしい。それから、原稿の到着順だからと想像されますが、最初の30名(?)ほどは、律儀でまた時間に余裕のあるらしい方々が多い。まだまだ元気ですよ、すくなくとも短文を書き、想い出をしたためる力は残っていますよ、という近況報告集のような役割も、この企画は担っているのかな。

2016年1月23日土曜日

樺山弘盛さん(アメリカ文学)

 訃報が立正大学の事務長から参りました。
 樺山さんは闘病が長く、心配しておりましたが、今日22日に亡くなったとのことです。ご家族も悲しみにくれておられることでしょう。

 4年前に立正大学文学部に赴任したところ、とても似た雰囲気のアメリカ文学の先生がいらっしゃるので、もしや、と伺ったら、そのとおり「有名な樺山先生」の遠いご親戚とのこと。鹿児島生まれで、体形もお顔も、にこやかな表情も、そっくり。学内の委員などでたいへん忙しくしておられて、気の毒なほどでした。
あまり学問的なお話をする機会もないまま、昨年度の夏に倒れられて、それ以来、病院生活が続きました。残念です。
 つつしんでお悼みを申しあげます。

2016年1月19日火曜日

二宮宏之 『マルク・ブロックを読む』

 岩波書店より、二宮宏之『マルク・ブロックを読む』(岩波現代文庫、2016)が到来。

岩波セミナーブックス〉の刊行が2005年3月末でした。亡くなったのは翌06年3月。それから早10年です。歳月人を待たず。
 今回の林田さんの解説を読みつつ、佐藤彰一さんの書評文(『史学雑誌』2006年6号)におけるブロック評価、とりわけフランス・エリートの評価の違いを思い起こしたことでした。それぞれがフランスで個人的に接されたエリートの気質の違いなどもどこかに反映しているかもしれないが、「歴史記述が物語り行為だということは、自らの構築した歴史を矜持と責任をもって語ることである」。
 二宮さんの、これはかなり真剣なメッセージです。

 ぼく自身が著者にあてて書いた2005年の私信の控えが出てきました。その前半だけでもご覧に入れましょう。

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 二宮宏之さん
 やや天候不順ですが、お元気のことでしょう。

 『マルク・ブロックを読む』を頂いてからずいぶんたってしまいました。この本は4月にイギリスから帰国したら机上に待っていてくれたもので、それ以来、部分的に順不同に読むということを繰りかえし、何人かの友人とは感想を語りあっていましたが、新学年の校務やいくつかの決定などにかかわっていて落ち着かず、今日ようやく机に向かって、最初から最後まで少々の参考図書も参照しつつ読了しました。感動しました。僭越ながら二宮さんのこれまでに刊行された3冊の日本語単著のうち、一番緊密に構成されているばかりでなく、もっとも人の心をうつ作品ではないでしょうか。

 岩波セミナーという性格もあるのでしょうが、二宮さんの読みと語りの方法は繰りかえし明示され、曖昧なところがありません。マルク・ブロックの作品の意味と仕組みを読み解くことと、時代のなかに人そのものを読むこととが不可分に進行し、しかも第一講は「ぼく」ないし高橋幸八郎を初めとする日本側の文脈で始まり、第五講は彼の遺書の意味するところを(その字をも)読むことで結ばれます。もしかすると、二宮さんにとってこの遺書のメッセージを読みとることこそが本書の究極の課題だったのかもしれない、とうかがわせる構成です。ブロックを聖人君子や英雄として奉るのでなく、しかし20世紀前半の最良の歴史家の誠実な生と知的な遺産をその時代のなかでとらえ、提示したのは二宮さんですから、フランス・共和主義・普遍(の問題性)をわれわれに遺贈された問題としてしっかり受けとめることによってこの書を閉じる。これすなわち、読者にそれぞれの「『マルク・ブロックを読む』を読む」という課題を委譲していることは明白です。

 久々に静かで純粋な高揚をおぼえる読書をしました。ありがとうございます。

 なおまた、グーベールの形容するブロックの語りかた、眼差し、そして207-206ページ*の写真の字体、‥‥なにか「これは知ってるぞ」という気にさせられましたよ。ぼくが本郷に進学して受けた堀米庸三さんの演習が(英訳)Feudal Society をテキストとしていたこと、大学院で高橋幸八郎さんが『市民革命の構造』と『資本論』をわれわれたった3人の院生に読ませたこと、だけがその理由ではありません。 

 <以下18行は技術的な質疑ですし、文庫版で解決している場合もあるので、中略

  2005年6月1日 近藤 和彦
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 * これは岩波セミナーブックスのページ。岩波現代文庫では pp.231-230.

2016年1月4日月曜日

謹 賀 申 年

 
 年の始まりをいかがお迎えでしょうか。

 今年度の卒論演習では多めの21名を見守っています(1月9日が提出〆切、29日が口頭試問です)。授業以外で各方面にご心配をかけていますが、昨年は
  2月に編著『イギリス史研究入門』の第3刷(細部がたくさん更新されています!)、
  5月に編著『ヨーロッパ史講義』、
  8月に編著 History in British History: Proceedings of the 7th AJC, 2012
を刊行することができました。それぞれ強力な支援チームのお陰です。他にも同時にいくつも楽しい仕事に取り組んで、礫岩のような日々!
 11月には 頸椎症性神経根症 で苦しみ悶えましたが、よき鍼灸師に巡りあい、通い続けて、なんとか過ごしております。
 暮れには句をひねる人の気持が分かったような気になりました!

  極り月 老いたる母の爪を切る

 皆さま、ご健勝にお過ごしください。

 2016年正月    近藤 和彦