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2021年7月4日日曜日

〈ドイツ史の特別の道〉?

 今日(3日)は早稲田のWINE シンポジウムで「帝政期ドイツの国民形成・国家形成・ナショナリズム」が催されました。1871年のドイツ帝国成立から150年、ということで、要するに現時点で、ドイツ近現代史の何がどう問題か、という討論会でした。 https://www.waseda.jp/inst/cro/news/2021/05/06/5771/
  報告は西山さん、小原さん、
  コメントは篠原さん、森田さんでした。
https://mobile.twitter.com/winewaseda/status/1398826161564647427

 いくつも大事な論点が指摘されましたが、ぼく個人としては、
1) deutscher Sonderweg の訳として「特有の道」ではなく「特別の道」「特殊な道」とすべしということ(おそらくドイツ史研究者にとっては既に前々からの合意点)とともに、
2) ドイツ国民史の枠内だけで考えるのでなく、外との関係、またビスマルクをカヴール、ルイ・ナポレオン、ディズレーリ、(さらには伊藤博文、大久保利通‥‥)のような同時代人との連続性で捉えるべき、という小原さんには十分に賛成できます。西山さんの場合は、おそらく似たことを contingency という語で表現されていました。

 じつはイギリス史でもかつてイングランド(人)の特殊性(peculiarities of the English)といった議論がされたまま、あまり発展しませんでした。 ぼくの場合は、ペリ・アンダスンの近現代史のとらえ方に関連して、こう言ったことがあります。
「その論理はこうである。西欧(≒フランス)史の理念型が想定され、その理念型に照らして自国史に欠けているもの/遅れている要素をさがす。日本やドイツにおける「特有の道」論にも似た、自国史批判の急進版劣等複合(コンプレックス)である。グラムシのヘゲモニー論を用いて、独自の世界観をもたず貴族の価値観に拝跪する俗物ブルジョワ、そして利益還元にしか関心のない組合労働者が批判される。
なぜこうなったのか。それは、イギリスの17世紀以降、近現代史を通じて「本当の市民革命」がなかったからだという。あたかも日本近代史についての大塚久雄、丸山眞男の口吻さえ想わせるほどである。」『イギリス史10講』pp.289-290.[ただし13刷にて、すこし修文改良]

アンダスンも、大塚も丸山も、あくまで国内の諸要素(の編成)に絞って議論し、同時代の外との関係を有機的に議論しようとはしなかったのです。国内の市民社会の充実、民主主義の成熟を一番に考えていたから!? そのためにこそ、同時代を広くみるしかないのに。30年代の講座派の成果(山田盛太郎の「過程と構造」!)に絡め取られた日本の歴史学と社会科学、ヨーロッパの場合は学問の雄=歴史学における系譜的発想の拘束性。

 1970年代からぼくたちは、こうした祖父の世代の成果=殻=拘束衣からゆっくりと脱皮し、ようやく発見の学、分析の学としての歴史学を参加観察し、また具体的に担ってきたのだろうか。
Public history ないし森田コメントにかかわって指摘されたとおり、新しいメディアの出現・蔓延にたいしては、ぼくたちの積極的参加・関与、同時にすでにある史資料をしっかり読み、既存のテクノロジを最大限に活用するというのが、参加者たちのコンセンサスでしょうか。先の歴史学研究会の「デジタル史料とパブリック・ヒストリー」はアイルランドにおけるうまく機能している企画の紹介でした。↓
https://kondohistorian.blogspot.com/2021/06/blog-post_22.html

 今日の早稲田のシンポジウムはドイツ近現代史やナショナリズム研究を共通の場として、司会の中澤さんも含めて、ほとんど同じ世代の気心も知れた研究者たちだったから(?)、議論が噛みあい、補強しあうシンポジウムとなりました。

2019年9月13日金曜日

Contingency は「偶然」ではない


 「取り扱い注意!」の行政文書のつづきです。
 歴史家としては、ここで contingency というキーワードが使われていることにも注目します。これまで修正派(revisionist)がよく使う語として(必然史観の反対の)「偶然性」といった訳語とともに紹介されてきましたが、それでは不適訳です。偶然どころか、複数の要因が複合して生じる、情況しだいの非常事態
 良い辞書には contingency plan=非常事態の防災計画、
contingency reserves=危険準備金、
contingency theory=(経営学における)普遍一般理論でなく、経営環境に特化した情況適応理論*、 そして
contingency fee=成功報酬! つまり必然ではないが、努力の成果にかかる報酬、
といった説明があります。
 (*いま「私の履歴書」を執筆しておられる野中郁次郎さんの博論も、この関係だったのですね。今日の『日経』)

 修正主義を語る歴史家の皆さんも、再考してください。

2018年8月22日水曜日

世界史と帝国


 このところ『日経』の記事にあらわれた現代史および今日的な情況について発言を繰り返していますが、じつはその動機/促進要因は、8月11日(土)の文化欄、
アジアから見た新しい世界史 -「帝国」支配の変遷に着目」にありました。
 これは郷原信之さんの久しぶりの署名記事で、2つほど大事な論点(の混乱)があって、そのことを明らかにするのは簡単ではない、一つの論文が必要なくらい、と思ったのです。しばらく対応できないでいるうちに、次々に周辺的な、簡単にコメントできる問題が続いたので、そちらに対応してうち過ごしていた、というわけです。

 帝国や世界史といったテーマで、長い研究史をふまえた話題の出版物が続いていますが、これはじつは郷原さんの東大大学院における研究関心でもあった。彼が修士を終える2001年春までに『岩波講座 世界歴史』は完結し、イスラーム圏をはじめとする「東洋史」の勢いもあたりを払うほどのものとなり、加えてイギリス史における「帝国史」研究グループもミネルヴァ書房の5巻本の企画を進めていたころでしょう。
【それまで関西の人たちの愛用していた「大英帝国」という語が - 木畑さんの語「英帝国」を経て - 中立的な「ブリテン帝国」ないし「イギリス帝国」に替わるのも、これ以後です。まだまだ大英帝国が大日本帝国と同様に右翼の用語だということを知らないナイーヴな人たちばかりでした。スポーツ大会の開会式で、右腕をまっすぐ伸ばして宣誓するスタイルがヒトラー・ユーゲントの作法だと知らないまま、指摘されて「別にそんな邪悪な意図があったわけじゃありません」と釈明するのと同じ。歴史的に無知な公共の言動は罪です。】

 郷原さんの論点の第1は、西欧中心史観ではない世界史、ということで、岡本隆司羽田正といった方々の著作によりながら、いまや学界のコンセンサスと思われることが確認されます。西ヨーロッパがグローバルな勢いをもつのは、15・16世紀の貧弱なヨーロッパの冒険商人が、豊かなアジア(インド)の通商に交ぜてもらうことを求めて大航海に乗り出してから、かつ(偶然が重なって)アステカおよびインカの文明(帝国?)を簡単に滅ぼしてしまってからです。アジアに対して傍若無人・蛮行は通用せず、その豊かな経済と文化に遅参者として交ぜてもらうしかなかった。その結果は、対アジア貿易の赤字の累積です。なんとかせねばならない。
 18世紀からいろんなことが重なって、ユーラシアの東西関係は激変し、なぜかオスマンもムガルも清も、ヨーロッパ人に対する関係が弱腰になる。イギリス・フランスの植民地戦争がグローバルに展開するのも同じ18世紀です。戦争と啓蒙と産業革命の18世紀の結果として、近代西欧はわたしたちの知る近代ヨーロッパとなった。1800年の前と後とで世界史の姿はまるで違います。そして、これは今日の歴史学のコモンセンスで、『日経』の記事がその点を、別の筋から確認したことには意味があります。
【念のため、古代ギリシアをオリエント文明の辺境として捉えるのは今に始まったことではなく、『西洋世界の歴史』(山川出版社、1999)pp.4, 8 などにもすでに明記されています。大航海の動機や産業革命の始まりを合理的に説明するには、西欧中心史観では不可能、ということは、拙著『イギリス史10講』(岩波新書、2013)でも、今秋に出る『近世ヨーロッパ史』(山川リブレット、2018)でも繰り返しています。】

ただし、第2の論点、帝国となると、そう簡単ではない。そもそも empire を帝国と訳してよいのか、という問題から始まります。

2017年8月20日日曜日

Irish revelation!

 アイルランドの南西に旅行してダブリン大学に帰って来ました。これこそ「啓示」というのでしょうか? 現場に立ってこその感覚があります。1995年以来、22年間もこの地を踏んでないのでした。

 神の子羊たちに行く手をさえぎられて車を止めた所に、にわかに隠れていたゲリラの狙撃が始まりそうな山間。

 
マイクル・コリンズ(1890-1922:『イギリス史10講』p.263)の英雄視と、内戦の事実の看過。IRAに待ち伏せ暗殺されたことは、記念碑には記さない約束なのでしょうか。