2015年9月15日火曜日

おもろい大阪

 ぼくの父母は結婚してすぐに大阪・住吉区に住み、1945年3月の大阪大空襲に遭難してたいへんな思いをしました。松山に戻ったあと、1954年からは父が大阪梅田に通勤するにあたって、阪急・桂駅の近くに新居を構えた、といったことがありますから、ぼくは東京・関東しか知らない人びととは違う感覚をもっています。
それにしても、このところ大阪に行く機会がふえて、阪大・中之島センターに行くには環状線・福島駅から歩ける;中之島・川の手がおもしろいし、東洋陶磁美術館はすばらしい;そこから鉾流橋を渡って裁判所の裏手にまわると、古美術店やフランス料理店などの連なる一瞬、ここはどこだったかと迷うような街路が出現して、楽しいですね。
でも駅のエスカレータで、うっかり左手に立つ自分が目立つのを認識すると、こうした写真をおもろいと考えるのと相通じるものがありそう。
中之島の市役所で、こんなコーナーを見つけました。カワいいね。ぼくが東京で住んでいる深川から日本橋にかけても川の手です。近世までの大都市は、水運の便がなければ成り立たないとは、このブログでも先に書き付けましたかね。

堂島に米市場ができ、商売人の市民社会が形成される1730年は、なぜか時代的にロンドンで a polite and commercial people が語られるのと同時代です。
でも、こういう「面白い」大阪土産の命名はよそではしないと思うんですが。

2015年9月7日月曜日

Windows 10 へのアプグレード

土曜の夜のことでしたが、「案ずるより産むは易し」。
(予約だけは以前に済ませていましたが)何もトラブルなしで、開始して1時間(?)。じつは他のことをしながらの作業でしたので、画面をつねに見ていたわけではなく、それ以前に終了していたのかもしれません。
「数回 再起動します」
というメッセージが途中にあり、実際、何度も再起動していたようですが、Windows XP におけるように再起動のたびにpwを入力する手間はなく、機械的=自動的に「最後の処理をしています」まで進行しました。

心配していたのは、これまですでに蓄積していたソフトおよびデータ(ファイル)の保存と再構築‥‥というOS変更に付随する手間でした。そのために『日経 PC21』10月号〈Windows 10 アップグレード完全ガイド〉も買い込み、外部メディアも用意して臨んだのに、そうした支障や作業はありませんでした。拍子抜け。一番最後に「簡単起動」でのみ、pw入力が求められましたが。そして、心配していた「一太郎2011創」や「秀丸エディタ」といった旧ソフトウェア【今ではアプリと言うんですか?】も生きていて正常に使えました!
OS の変更(移行=引越)というより、あたかも同じOSのなかの「大事な更新サーヴィス」のような感じです。

遡って、先週までの現状を申しますと、わが3台のPC(自宅、Office、SSDノート)は、2014年春の XPの更新サーヴィス停止いらい、Microsoft Security Essentials 更新プログラムで生き延びていた、勤続6年ないし7年のヴェテランです。
大学の部屋にあるお仕着せの Windows 7、そして個人保有の機動的に持ち歩くべきウルトラブック(Windows 8.1)とぼくは相性悪く、必要に迫られないと使わないという不便きわまりない現状でした。
じつは12年前から居住する自宅の有線LAN 環境が良いので、無線のルータさえ去年まで入れずに過ごしていました! 去年秋のスウェーデン・デンマーク・ロンドンで借用した iPad 初体験、そして暮れのスマホ(Xperia)導入がなかったら、まだ wireless に転向していないかもしれない。
もっぱら思考し執筆し推敲するときは、インタネットに接続していなくても stand-alone で仕事できる(そのほうがメールも見ずに集中できる)という考え方だったのです。

今回アプグレードした Windows10 の画面は、ほとんど XPのそれに近く、物書き/考える人には懐かしいものです。ようやく、これにて XP はお役ご免。とはいえ、そのハードディスクは危機対応記憶装置として、そして時折は気分を変えての文章作成機(ワープロ専用機?)としてまだまだ働いてもらいます。
今週からの現有デヴァイスは、XPのままの物が3台、アプグレードしたWindows 10 が2台、スマホ(Xperia)が1台、となります。

2015年9月4日金曜日

鶴島博和 『バイユーの綴織を読む』


待望の『バイユーの綴織を読む - 中世のイングランドと環海峡世界』(山川出版社)
を手にしました。
綴織(つづれおり)の写真はすべてカラーで、関係史料をていねいに訳出しつつ対照するという編集。
ぼくの『イギリス史10講』pp.35-40あたりで書いたことに比べれば、当然ながら、はるかに叙述の細部にも、研究史的にいろいろな配慮が行きとどいていて、すばらしい。モチーフは、ただ「ギヨーム公がハロルド簒奪王を追討することの正当性」だけでなく、むしろ「ハロルド王の悲劇」をうたいあげた物語なのかもしれない。鶴島さんは、ハロルドの死についても、制作過程についても、よくわかる説明を加えています。

詳細な索引もついて、332+ページで 4600円という信じられない定価! 山川出版社としても「売れる」という確信を得たわけですね。
著者が「出版企画をもちこんだのは、30年近く前のこと」という豪傑ぶりですが、「日本語で書こう」(p.331)と方向転換するまでが大変なんだな。ぼくも肩をたたかれたような気がします。

謝辞には「神経的多動性症候群」と書き付けておられますが、
こういった作品を産んだのなら、それも悪くはないじゃないですか! 
若手のうちでも、成川くん、内川くんが少しはお手伝いできたとしたら嬉しいかぎりです。