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2018年6月6日水曜日

階級闘争の歴史

 <承前>
 いま立正大学の院生たちと一緒に読んでいるテキストは、Gordon Taylor, A Student's Writing Guide (Cambridge U.P.). この p.10 に挙がっているエピソードを、昨日のラウル・ペック監督は味読すべきだと思いました。

... when I read those words by Karl Marx, 'The history of all hitherto existing society is the history of class struggles', childhood memories made me say 'and that's true!', just as years of reading and observation later were to fill in the details for that proposition and raise doubts about what it leaves out.

 そう、階級闘争は、ことの一面にすぎない。それ以外のことが人類史には一杯ある。読むべきこと、考察すべきことをネグレクトして、問題を単純に絞り上げて「敵」を示した上に、ナイーヴな大衆を扇動したマルクス・エンゲルスは、ほとんど文革の毛沢東と同罪、共和党のトランプと同じかもしれない。

 19世紀前半まではどうか知らないが、少なくとも1848年『共産党宣言』以後の社会主義運動にとって、ブルジョワ社会を倒したあと、どういった社会を創るのか、そして議会や国家、そして正しい者の「前衛党」といったものをどう機能させてゆくのか、こうした問題をきちんと考えることができないまま(棚上げにしたまま)、「批判的批判」に甘んじていた。これは、重大な欠損でした。

 というわけで、映画「マルクス・エンゲルス」は「カール・マルクス生誕200年記念作品」と銘打つには、足りない出来。責任の過半は、監督と制作スタッフの力量不足にあるかと見えます。
 いかに今の世がひどい、ネオリベラルが跳梁跋扈しているからといって、旧態依然たる共産党のプロパガンダでよしとするのは、人民への愚弄だと、ぼくは受けとめます。そう、ぼくはマルクス主義についても、ピューリタニズムについても、修正主義者です。悪しからず!

2018年6月5日火曜日

映画「マルクス・エンゲルス」


 今朝、岩波ホールで映画「マルクス・エンゲルス」を見ました。朝から行列ができて、若いのも退職世代も一杯なのには驚きました。

 フランス語原題は Le jeune Marx (若きマルクス)で、1840年代のケルン、パリ、ブリュッセルにおける妻イェニ(ジェニ)との生活、エンゲルスとの出会いと社会主義者たちとの論争。1848年2月の共産党宣言で終わる映画というので、あまり多くは期待できないな、と思いながら行ったのですが、案の定。
(ほとんどレーニン・スターリンの教科書にも出てきそうな)ドイツのヘーゲル哲学、フランスの労働運動、イギリスの経済学という3つの伝統(資産!)の合体したところに生まれる正しい理論・運動としてのマルクス主義。その生成過程をカール、イェニ、フレッド(エンゲルス)の信頼と友情と協力関係で描くという構えです。
 監督ラウル・ペックさんは1953年、ハイチ生まれとのことですが、ちょっと勉強が足りないのではないかと思わせるほど、図式的な(共産党の)マルクス主義理解です。そもそも若きマルクスの学位論文 -マルクスは19世紀前半の「大学は出たけれど」どころか、オーバードクター=アルバイターのハシリです- からのつながりは一切触れられないし、(『経済学哲学草稿』にも、いや後年の『資本論』の価値論にも現れていた)ヒューマンな人間論、むしろ実存哲学的な考察はオクビにも出てこない。

 映画の最初に森林伐採法・入会権にかかわる場面があるけれど、これもプロイセン政府の暴虐ぶりを表現するエピソードというだけの意味づけ? プルードンとの論争も、(字幕では)「所有」か「財産」か、といった無意味な訳になってしまった。Propriété も Eigentum も、自分自身(proper/eigen)であることと領有する(appropriation)ことにも掛けたキーワードです。
平田清明の『市民社会と社会主義』(岩波書店、1969)を読んでから出直すべきかも。これは、往時のベストセラー、もしや「岩波現代文庫」に入れるべき一つかもしれません。

 この映画で唯一、映画らしい説得力があったのは、ことばの運用です。マルクス、エンゲルス、イェニともに場面に応じて、相手と感情のままにドイツ語、フランス語を用い、ときにチャンポンでも通じた。むしろ19世紀前半はまだ英語がマイナーな言語であったのだとわかる作りです。そしてマルクスは、経済学を勉強するために、必要に応じて、英語を習得してゆく。メアリはアイリッシュ系の英語。

 他党派にたいするマルクス・エンゲルスの容赦のなさは、この後、ますますひどくなり、また48年議会におけるドイツ周辺部を代表して出てくる議員のドイツ語(の発音)にたいするエンゲルスの差別発言たるや、恐るべきものがありました。ぼくは『マルエン全集』で48年前後の赤裸々な表現を見て以来、エンゲルスをこれっぽっちも好きになれない。これほどの証言を全部収録して全訳する「全集刊行委員会」は何を考えていたのだろう‥‥。冷めた心でマル・エンに接しましょう、とか?

 大学院に入ってすぐの柴田ゼミのテキストは、1864年ロンドンの「第1インター」の議事録(英・仏・独語)でした。そこでの少数派=マルクス・エンゲルスの党派的で強引な動きもまた印象的で、柴田先生はどういうつもりでぼくたちにこのテキストを読ませているのだろう(そろそろセクト主義から足を洗うように‥‥とか?)、とにかく愉快でない経験でした。そして権威的マルクス・エンゲルス主義者であることから気持が確実に離れるきっかけにもなりました。『社会運動史』のメンバーへの援護射撃というおつもりだった?
 70年代半ばの柴田先生は19世紀フランス社会主義の歴史に集中しようと考えておられたようで、西川正雄さんと院ゼミを合同で持たれたこともありました。

2018年4月7日土曜日

ルイ14世の死


寒い年度末、暖かく、大谷翔平の活躍であけた新年度。日夜の経過がとても速い!
まだ引っ越しも完了せず、立正大学に段ボール箱が積み残しです。済みません!

そうしたなか、『図説 ルイ14世』(河出書房新社, 2018)の著者・佐々木真さんから映画「ルイ14世の死」の試写会招待をいただき、今日、ようやく日時を合わせることができ、京橋の試写会場に参りました。

アルベルト・セラ監督、ジャン=ピエール・レオ主演、2016年の作品。5月に全国公開とのことです。

1715年夏の終わり、ほんの3週間あまりの病床の「太陽王」を描きます。カメラは(冒頭以外は)寝室から出ることなく、「一般受けはしない」映画かもしれない。
しかし、フランス史ないし近世ヨーロッパに関心のある人、それから近親に長患いの人、老衰した人を抱えている場合、愛する人が日にちをかけて亡くなった場合には、この「陳腐な死」を2時間かけて描く作品は、ジンとくるかと思いました。
ゆったり進行し、マントノン夫人をはじめ、人々は静かに理性的で、謀略らしき臭いもなく、感情的に盛り上がるのは、最後に近く、モーツァルトの「ハ短調ミサ曲」が歌い上げる部分だけ。淡々と、外界の鳥のさえずりが強調された音響世界で、これは、かなり勇気のある作品だと思いました。
(ハリウッド/ボリウッドでは不可能!)

帰宅してあらためて、佐々木さんの『図説 ルイ14世』を見かえしました。
このシリーズ、絵がたっぷりですが、細部にも十分に心遣いした本になっています。
同時に、イギリス史にかかわる部分は、従来の概説・通史がそうだからなのですが、ちょっとだけ問題が残ります。ここでは1点だけ。

p.48 図版キャプションとしてチャールズ2世について
「王政復古後には親カトリック政策を採ったこともあり、ルイ14世とは良好な関係を保った。」
→ これは、むしろ逆です。「親カトリック政策を採った」からではなく、
そもそも「親フランス政策を採った」から親カトリックとなる場合もあったが、本質的にイングランド国教会の立場(via media)です。『イギリス史10講』pp.135-9.
国教会路線のことを親カトリックと攻撃するのは、17世紀ピューリタンから20世紀日本の無教会派プロテスタントまで継承された偏見で、こうした原理主義の史観は、害のみあって益はない。

いずれにしても、「偉大な世紀」の太陽王、「国家とは朕のことなり」のルイ14世はただのフランス王=ナヴァル王だっただけでなく、ヨーロッパ1の君主でした。イギリス王家にとって、(イトコである)彼と同盟していれば安心だが、1688-9年の名誉革命のように彼を敵にまわす選択は、ほとんど生死をわける決断でした。単独ではなく、フランスを追われたユグノー=ディアスポラ、そしてオランダ連邦との同盟関係があったから、(plus 神の加護があったから!)なんとか生き延びた。そして、議会主導の「軍事財政国家」として国債、イングランド銀行、政党政治でもって、延命の「第二次百年戦争」に突入するわけです。

1714-15年のジャコバイト危機について、こうした国際舞台でしっかり論じてみたいですね。ワイン、酒造もこの wine geese の文脈に入ってきます。

2018年3月3日土曜日

ウィンストン・チャーチル

 原題は Darkest Hour. 1940年5月の政治的決断がテーマの映画。
 試写会の案内はすでに暮からいただいていました。しかし、大学の仕事や執筆や公務などで時間は自由にならず、ようやく今週の月曜に身を空けて半蔵門・麹町に駆け付けたところ、なんと「30分前からすでに満員でお断りしています」! 
あとは1日のみ、1時間前には来てください、と。トホホ。

 アカデミー賞候補というので前人気が高まっているとか。
パンフレットには木畑洋一さんが Essay を寄稿していて、「首相としての足場が定まらない時期のチャーチルを、エキセントリックといってよいその人物像を効果的に示しつつ、見事に描き出した」と評しておられます。

2017年11月11日土曜日

人生はシネマティック!


この映画は11日公開。『日本経済新聞』夕刊の映画評でも★★★★という評点が付いていましたが、
朝日.com では、↓のような評。
http://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/Cfettp01711118378.html
(配給元からの情報をそのまま抜粋・編集したような文で、手抜きです。)

ぼくの評価はそれよりは高く、このブログにて、すでに8月10日にコメントしました。
日本公開タイトルは、「人生って映画みたい」というのと「映画制作者の人生」とを重ねているのでしょう。原題の Their Finest Hour & a Half は「最高の1時間半」。戦時映画の所要時間、90分、ということに込めて、
1) ふつうの戦意高揚映画とはちがう、精魂こめた映画のためにわたしたちはこんな苦労をしました、というメッセージ。
2) そうした劇中劇の制作をともにした男女の「最高の瞬間」‥‥だから Hour & a Half は省いて、Their Finest で余韻を残す。
なんといっても戦中なので、人の命は計れない。限られた命と能力のかぎりで、ほとんど同志愛(comradery; フランス語だったら camaraderie)が表出した瞬間、ということでしょうか。この 1) 2) を重ねたタイトルです。
3) でも、もっと理屈っぽく、人の心を動かすための虚構(作為)、「本当らしい演技」、事実と表象、といった作品論議もたたかわせる、ちょっと知的に青いところも、この映画に楽しさを増しています。

2017年8月10日木曜日

『ゼア・ファイネスト』と『グッバイ レーニン』

 今どきの私立大学は真夏でも多忙です。
 そうしたなかでようやく2つの話題の映画をDVDで見ることができました。

¶ 一つは今秋に劇場公開の『ゼア・ファイネスト(Their Finest)』 (キノフィルムズ、公開タイトルは未決)、1940-41年ロンドン空襲下の映画制作者たちの同志的なつながりの物語。
 ダンケルク敗走のあと、ドイツ軍による空襲が始まり、チャーチル言うところの Battle of Britain の士気を維持するために、そしてアメリカの参戦をうながすために情報省映画部もたたかいます。ちょうど連続ドラマ『刑事フォイル』が英仏海峡に面した町での複合的な感情と事件を扱っていた、それと同じ時期のロンドンの街中。ロンドン大学の本部セネットハウスは1937年に完成したばかりでしたが、戦時には情報省が置かれます。この映画ではその白亜の建物がほんの一瞬だけ映し出され、チャーチル首相の肖像写真も含めて、権力のシンボリズムにはあまり触れない。不自由な日常生活、防空壕と化した地下鉄駅などにおいて冗談を交わしながら勤勉に耐える男女を描きます。
 この映画は監督Scherfigも、原作『彼らの最高の1時間半(Their Finest Hour and a Half)』の著者Evansも、脚本Chiappeも女性であることにも現れるように、主人公カトリンの女としての成長が第1のテーマです。30歳前後(?)とみえるジェマ・アータトンの泣き笑いの自立と才能開花の物語。第2のテーマは、映画と時代ということでしょう。戦争直後にリーン『逢いびき』、リード『第三の男』、オリヴィエ『ハムレット』といった名画が連続するための苗床のようにして、戦時プロパガンダ映画があったのかもしれない。そこで映画におけるヒーローとは、物語と真理(truth)、事実(fact)とは、といったことを明示的に口論しながら、映画(のなかの映画制作)は進む。これは表象論の講義に使えると思います。ハリウッドとは違う抑制と節度をまもりながら『彼らの最高のとき』は、困難な時の映画人の連帯を謳いあげます。
 なまじっかの言語論的転回よりも、はるかに具体的で分析的な映画作品が、なんとあのセネットハウス(現ロンドン大学図書館、歴史学研究所)を舞台として想定してつくられたわけで、これは歴史学者への問いかけ(?)というより挑戦(!)かもしれない。

¶ もう一つはすでに2004年公開で知る人ぞ知る『グッバイ レーニン(Good bye Lenin!)』、1989年ベルリンの壁崩壊前から翌年のドイツ統一(西による東の吸収)にいたる東ベルリンの母子の献身的な物語。ここでも、なんと映画(テレビニュース)制作、本当(Wahrheit)とウソがキーワードになります。
 結局どちらの映画も、退っ引きならない情況におけるフィクションの効用、物語(ウソ)を協力して一所懸命に構築するという点で、そして映画中の役者がフィクション・事実・本当といったことを議論するという点で、共通しています。ただし、『ゼア・ファイネスト』では戦争中で人が続けて死ぬのに、全体に与える印象は、静かであまく切ないロマンス。ところが『グッバイ レーニン』のほうは親子の情も少年の成長もあるけれど、なんといっても「東」の瓦解という政治の激動、コカコーラと西側大衆文化と人材の洪水のような流入, etc., etc. 映画中で死ぬのはただ一人、主人公の母に過ぎないが、そしていくつものロマンスも描かれるが、現代史の奔流が観衆の足下を勢いよく削り、ぐらつかせてしまいそうです。
 政治的シンボリズムとして、左手に本をもち、右手で理想の未来を指すレーニン像がヘリコプターで搬送されたり、「フェイクニュース」を演技して、ヴィデオを母にみてもらうとかいった苦労をさんざ繰りかえしたあげく、最後には母自身が虚構を演じていたのだと知らされるというどんでん返しが用意されています。権力政治と、親子の愛情と、近隣の人々のちょっとした協力出演、そしてサッカーのワールドカップといった異なるレベルのイシューが複合して、言うにいわれぬ時代性をかもし出す -- これは明らかに Becker 監督の意図したところでしょう。「怒濤のような西側資本主義難民を受け容れるDDR(ドイツ民主共和国)」といった虚構のテレビ・ナレーションが、泣かせます。
 すばらしい映画ですが、ただし、タイトルが問題。レーニンを社会主義共同体の象徴でなく、権力政治と独裁の象徴としか思っていない者には紛らわしい。この映画のなかの母もじつはそう認識して割り切っていたのし、亡命した夫を愛しつづけ、(二人の子のためにこそ)社会主義優等生を演じていたわけだから、Good-bye, Lenin! よりも、むしろ 映画中にくりかえし出てくる街中のスローガン DDR 40 Jahre がストレートでよいかもしれない。あるいは東ドイツへの幻滅の先に登場する、(飛行船が象徴する)西側資本主義への近々の幻滅をタイトルにしても良かった。たとえば Hello, Capitalism!

¶『グッバイ、レーニン』『ゼア・ファイネスト』、ともに post-truth ⇔ fake news といった現今の対立図式を、もうすこし歴史的にソフィスティケートさせた作品と言えます。どちらも映画中の映画(テレビ)に歴史的なモンタージュを用い、また方法的なメッセージを明示的に論じています。
 見たあとの感覚は異なるに違いないけれど、それぞれ見るに値する作品です。それぞれ別の事情で見るきっかけを与えてくれた方々、ありがとう。

2017年4月30日日曜日

わすれな草 Vergiss mein nicht

 
 昨日の NHK アサイチで紹介された「わすれな草 Vergiss mein nicht」(ドイツ映画、2012年)へ。渋谷・円山町のユーロスペースにて。
 インターネット情報からも、静かに進行するドキュメンタリー映画ということは想像され、そのとおりでした。しかし、個人的には身につまされて、涙また涙。予想外ですが、なんと映画で主演した当事者 Malte Sieveking(監督 David の父)が会場の挨拶に現れました。68-9年の「新左翼」とその後のこと、大学教員としての定年退職、男と女、親と子・孫といったシチュエーション。トークの場面ではぼくは発言できず、終了後の廊下で彼の両手をとって、感動の度合いを伝えました。
 そうしたカタルシスの直後に、喧噪の渋谷(ボードレールの「雑踏で湯浴みする‥‥」)を歩くのは気恥ずかしい。
 今日の妻は理性的で、明るい渋谷の街頭で、「展開が予想できて意外なドラマがない。若者は惹きつけられないかも」と申します。そう、中高年向けの静かな感動映画かな。ぼくのすぐ前の席の男性も感極まっていました。ドイツと、そしてスイスの美しい景色もすばらしい。

2016年10月13日木曜日

『ハムレット』


ご無沙汰しました。学期の始まりと、「東奔西走」とまでは言わないが、いろいろなことが続き、blogに書き込む気になれない、という日夜でした。

昨12日夕には、立正大学の公開講座(品川区共催)で、没後400年 シェイクスピアを視る という企画の一環(第3回)として、
「インテリ王子ハムレット」と「学者王ジェイムズ」
という話をしました(品川区から録画チームが来て無事収録できたようですから、いずれインターネット公開されることになると思われます)。

ロンドンからデンマーク、この間いろいろと撮りためた写真も使いながら、 -当然ながら、ズント海峡、エルシノールのクロンボー城、地の神の像の写真も見ていただきました- 文学研究の作品論とは異なる観点から『ハムレット』を見直し、1600年前後のロンドンの観衆・聴衆・読者がどう受けとめただろうか、論じてみました。一般むけで楽しく、しかしやや論争的なお話としました。
『デンマーク王子ハムレットの悲劇の物語』(1599から上演、刊本は1603~23に数版でます)が、じつに「礫岩のようなヨーロッパ」を地でゆく悲劇的史劇であることを最近に「再発見」したぼくの、エキサイトしたお話でした。
『ハムレット』を翻訳で読んだのは高校生のとき、さらに高校の図書館で研究社の対訳叢書(市河三喜監修)を見つけて、対訳註釈の付いた版で英語を読むよろこびを知りました。
To be or not to be: that is the question. から始まる一種実存哲学的な雰囲気と、言葉、言葉、言葉‥‥の溢れる警句的、寓話的な近世の宇宙を(今おもえば)このとき垣間見たのですね。16・7歳の少年が同年配の乙女にたいしてもつ、不安定な感覚もあいまって Frailty, thy name is woman. とか;時代にたいするカッコをつけたスタンスとして The time is out of joint. とか暗唱して悦に入っていたものです。もっとも
There are more things in heaven and earth, Horatio, than are dreamt of in your philosophy. というのは気取っているが、しかし青い高校生にとっては心底は理解できないままの科白でした。
‥‥のちのち大学院教師となって、ほとんど常識のつもりで『ハムレット』の科白を(日本語で)言ってみても、まるで反応のない院生が過半だと知ったときほどの驚愕(宇宙を共有していない!?)は、ありませんでしたね。それ以後またしばらく経って、『イギリス史10講』でシェイクスピアを引用するときにも、ちょっとだけ考えこみましたよ。結論は、「妥協しない」。著者として現実的に貫きたいことは貫く、というわけで、『イギリス史10講』には、(巻末索引に 37, 111 ページが採られているだけでなく)シェイクスピアに限らず、高校生にも読める英語のセンテンスが重要な論理展開の場面で、いくつか訳なしで書き込まれているわけです。

ところで、そうした「引用文に満ち溢れた」『ハムレット』という作品ですが、なぜかデンマーク宮廷にイングランドだけじゃなく、ノルウェイだかの使節や軍人が出入りしている;ドイツ留学やフランス留学が前提されているのは国際性の現れとしていいかもしれないが、劇の結末は、ノルウェイ王子が登場して、これから立派な葬式を執り行なおう、と宣言して終わる。‥‥これは、いかにも取って付けたというか、変なエンディング、という印象でした。しかし、高校生には手に余る問題で、以来、思考停止していました。

ローレンス・オリヴィエ監督・主演の『ハムレット』が、ぼくの受容原型で、それ以外は余分な粉飾(!?)のような気さえしていました。
こうした50年前(!)から棚上げしていたぼくの疑問と思考停止は、礫岩のようなヨーロッパ、複合君主政という視点をとることによって、眼からウロコが落ちるように氷解するのです! to be continued.

2016年3月18日金曜日

映画とイギリス史 1


『日本歯科医師会雑誌』という歯医者さん専門の月刊雑誌があって、その巻頭のコラムに連載を始めました。
第1回、3月号(pp.4-5)は「マーガレット・サッチャー:鉄の女の涙」、これは日本での映画公開名。メリル・ストリープ主演の原題は The Iron Lady, 2011年でした。
http://www.imdb.com/title/tt1007029/
 だれもが知るかつての公人の晩年に仮託した、認知障害・アルツハイマーの患者をテーマとする映画ですが、これは、歴史と証言(そして映像資料)といった問題がシャープに表現された作品としても優れたものだと考えています。

 今日の歴史学もまた現代的な学問ですが、連載では、歴史学ではどのようなことが問題にされ、歴史学者はどのような議論をしているのか。とくにイギリス史に取材した映画をとりあげて、知る人ぞ知る歴史的な人物や事件がどう扱われているか、すこし理屈っぽい話をしたいと予定しています。
 拙著『イギリス史10講』では、ブリテン諸島に生きた人びとのアイデンティティと秩序のありかたを中心に述べてみました。その際にいくつもの文芸作品や映画に言及しましたが、それは(一部に誤解があるようですが)一般読者へのサービスでも遊びでもなく、むしろ今日の歴史研究における史料と表象といった方法論にかかわると考えたからです。それがどういうことか、これから連載で述べてゆきます。

2015年7月10日金曜日

『物語 イギリスの歴史』

このところ AJC 2012 の会議録 History in British History の出版のために、何人かの助力をえて、火事場の踏ん張りのような日夜を過ごしました。この本は、8月の日英歴史家会議@大阪より前にご覧に入れることができます。

というわけで、近刊のみなさんの本については注意の行き届かないこともあり、君塚直隆『物語 イギリスの歴史』上・下(中公新書、2015年5月)は今ごろようやく拝見しました。上下2巻ともに巻頭の地図は、「近藤和彦編『イギリス史研究入門』(山川出版社、2010年)を基に著者作成」とあります。むしろ『イギリス史10講』(岩波新書、2013年)を基に作成、とか記された方が正直か、と思いました。その他、日本語の出版も多用されているのは率直なのか、先行業績への敬意なのか。どちらにしても悪いことではありません。
でも、著者にはあまり研究史の展開/転回をアピールしようという気はなさそうです。ブリテン諸島の政治社会の複合性とアイデンティティについてなにか論じるとか、ヨーロッパ人や大西洋人やアジア人と混交した社会と歴史を呈示するとかいうことなしに、王様・女王様と政治家(politicians)の逸話をたくさん連ねただけの old-fashioned story なのでしょうか? 「帝国」という語もかなり安直に使用されていませんか? こういうことを続けていると、「だからイギリス史はつまらない」と、とりわけヨーロッパ史や中国史の先生方に揶揄されてしまうのです。昔からのパターンでした。逸話をたくさん連ねるのは良い。それによって読者の文明を見る目が修正され、歴史認識が広がり深まるなら。でも、ただトリビアが蓄積されるだけなら、退屈ですね。
「主要参考映画一覧」というのがあって、『冬のライオン』『ブレイブハート』から『英国王のスピーチ』『日の名残り』まで挙がっているのには、吹き出してしまった。『10講』の副読本だったのかと。ご免。でも『日の名残り』の英語原題名は間違っていますよ(下、p.241)、中公の校正さん! I remind you! ついでに「執事たち」という複数形も butler(使用人頭)は一人なのだから、可笑しい。

この『物語』上下は、著者の歴史観も出版社の志もよくわからない出版です。「きみの志はなんですか」と天上から尋ねる声が聞こえてきそう。

そういう事情もあって、おわりに(p.237)に「この辺で少しだけ単著は休ませていただき、‥‥と念じている」と記されているのでしょうか? そうだとしたらここは静かに、刮目して、君塚さんの次を見守りたいと思います。

2015年2月24日火曜日

『史苑』75巻1号の書評

『史苑』(立教大学)の75巻1号(2015年1月)のPDFが送られてきて、拝見しました。青木 康さんが『イギリス史10講』をたっぷり書評してくださっています(pp.229-235)。
3週間あまり前に『西洋史学』に載った金澤 周作さんの書評は、『10講』を評しつつ彼じしんを語るかのごとく、若さ溢れる文章でした。『史苑』の青木さんの書評も、空気は全然異なるけれども、評者の人柄が巧まずして現れる、明晰な文章です。しかも読者の必要を配慮して(?)註の付された文章で、ありがたく受けとめました。

なお確認になりますが、
I. 『イギリス史10講』は、岩波新書としてはすでに限界を越えそうな分量でした。索引についてコメントしてくださっていますが、その項目は900以上用意したのを最終的に292にしたので、無理が残りました。刊行の1ヶ月前に、(本文が長くなりすぎたので)索引は4ページが限界と申し渡され、岩波書店の一室に2度にわたって缶詰になり、項目を削りました。
最終的な取捨選択基準としては、人名が時系列的に素直に(定石的な位置に)出てくる場合は、エドワード2世もフィリップ2世もヴォルテールもペインもエンゲルスも、アルバート公や E.パウエルさえも割愛するということにしました。研究者名についても、索引に日本人はほとんど登場しません。これでも「索引無しよりは、よほどまし」と自分に言い聞かせながらの苦しい作業でした。通常よりかなりポイントが小さいことにお気づきでしょう。

II. 本文最初のページ(p.3)で「アイデンティティと秩序のありかたに注意しながら、できるだけ具体的なイメージの浮かぶように述べたい」と記しているからには、「イギリスの通史‥‥の変化とそれらを通じての統一性を体現する要素」については、たとえば「王位の正当性の3つの要件」を -①②③という印とともに- p.33~p.274の間に 数度にわたって刻んでみました。これをご指摘のp.142 にも、またヴィクトリア治世の最初と後半(pp.214-15, 217-18)、1936年の王位継承危機(p.274)、そしてサッチャ期の王室と国教会(p.298)にも繰りかえし明記しても良かったかもしれませんが、くどくなるかな、と迷いました。
王を推挙したり承認したりする政治共同体については、中世史で「賢人‥‥すなわち歴史を知る聖俗の有力者」といった言い方から始まり、近世・近代・現代では「議会と教会」(p.158以下)にフォーカスすることになります。

III. 17世紀以降、トーリとホウィグのアイデンティティの核心らしきもの(pp.139, 160, 205-6, 213 . . . )、そして「ピットは‥‥自由主義者である」(p.204)と記述するときには、もちろんフランス史研究者たちと同時に青木さんの顔を思い浮かべていました。ピット、ピール、グラッドストンを同列に扱い、新自由主義者ロイド=ジョージと対照する(pp.257-8)というのは単純化しすぎ、とされるかもしれません。
また19世紀末からの現代的情況への取り組みとして、チェインバレン、ウェブ(ほかの社会主義者たち)、ランドルフ=チャーチル、ロイド=ジョージの交錯(そのなかにアイルランド・スコットランド・ウェールズ・インドなどの Home Rule 問題も組み込まれる)などをもっとしっかり浮き彫りにできればもっと良かったでしょう。そこは示唆に留まったかもしれません。
読者には明快な筋を示し、同時に問題の広がりと深さみたいなものを示唆して、各々考えていただく、というのが執筆の基本方針でした。ODNBや『イギリス史研究入門』のような参照文献は、巻末に明示しています。概してイギリス人歴史家の文章は、思い切りがよく、かつ余韻がのこる。政治も文化もしっかり取り組み、解釈する姿勢を、見ならいたいと思います。

IV. それにしても、ご指摘のとおり「‥‥近年有力となっている研究動向に積極的に向き合って叙述した結果、本書の上述の特徴が生じた」というのは真実です。『10講』のための勉強によって、ようやく「わかった/見えた」という論点が多々あります。「ハムレット」や「ぜめし帝王」や「本国さらさ」や「ワイン」(in vino veritas)では知的に遊ぶことができたし、また『福翁自伝』から『米欧回覧実記』『80日間世界一周』への繋がりは、年来あたためていたアイデアでもあり、pp.226-231で印象的に語れたかな、と思います。ビアトリス・ウェブ(pp.239-243, 278)についても、ケインズ(pp.271-272)についても、もっともっと素材はあるのですが‥‥
とにかく分量との、そして時間との戦いでした。キビキビとストーリを展開し、イメージ豊かに、しかも理屈はしっかり述べるといった、欲ばりの本でした。

ところで今日、再見した映画『イングリッシュ・ペイシャント』で、火傷で死に瀕したラズロ・アルマシ伯(Ralph Fiennes)が言っていました。「きみの読み方は速すぎる。キプリングの書いた速度で読んでくれ。カンマを付けて!」
この恋愛至上主義の映画の隠れたテーマは、20世紀前半のインテリたちの読書癖(ヘロドトス‥‥)と、朗読する習慣ですね。

2014年12月8日月曜日

Downton Abbey

 NHK地上波、日曜夜にいよいよ第二部が再開しました。
「日の名残り」的な、upstairs における貴族の世界と、downstairs における家僕の世界との交錯が、1912年のタイタニック後、いまは大戦中のヨークシャ州を舞台に描かれています。そこに加えて3姉妹の Jane Austen 風の「婚活」と、他の何組かの男女の組み合わせがよりあわされた作り話!

 20世紀初めの貴族と upper middle class との融合や、ロイド=ジョージ内閣のことが、時代のイシューとしてたいへん重要なはずですが、限嗣相続(継承的不動産処分)と貴族的 patronage の問題以外はほとんど出てこないまま。ステレオタイプな保守貴族(と家僕たち)versus 進取の気象でことに臨む中産階級、といった図式をうちだして、21世紀の大衆(直接には英・米の)の好奇心と視聴率をねらう歴史ドラマ。--と厳しい評価もありえます。「わざと」盛りだくさんでドラマチックにした展開も気になるけれど、学生・初学者には、時代の印象的前提として勧められる歴史ドラマですね。ただし、学生にはこの the Great War のさなかにイギリスは志願兵制度から徴兵制度に移行・転換したのだ、ということは分かっただろうか?

 個人的には、昨夜 Lancashire Fusiliers という古めかしい名の歩兵連隊が言及されて、マンチェスタ史としていささか懐かしい気がしました。

2014年1月15日水曜日

『イギリス史10講』 と 映画

 さいわい、良き読者をえて、ご挨拶以上に心のこもった/実質的なお言葉もいただいています。ありがとうございます。
そのなかで、映画についての感想やコメントもいただいていますので、ひとこと。

『イギリス史10講』では(最初の構想から意識して)本筋に関連するかぎりで、できるだけ映画や演劇・文学作品に言及しようと思いました。ただし、これは「一般受けするために」ということではなく、むしろ 『タイタニック』も『インドへの道』も『日の名残り』も『英国王のスピーチ』も、これなしでは話が進まないというべきか、エッセンスのような役割を負っています。図版が飾りでなく本文と同じく重要だ、というのと似ています。
それじゃ、逆に、『ベケット』はないの? シェイクスピアなら『マクベス』でしょう! といったご質問もあり、お答えは苦しい。つまり、この300ページの本が2倍の600ページになってよいなら、作品だけじゃなくて、もっと興味深いエピソードや人物はたくさんあるわけだし、いくらでもさらに充実させることができたでしょう。とにかく岩波新書1冊で、というのは絶対の条件でしたから、その枠内でどういった工夫ができるか、悩ましい問題でした。
その補いになったかどうか、縦組の本文に (p.*) という形で参照ページを挿入したのは、短く、しかし目立つ、効果的なやり方だったな、と思っています。 
増刷が出るときには(p.*)の表示をすこし増やしましょう!
【→7刷ではさらに各講の扉ページ写真にも該当ページを明示しました。】

2013年10月9日水曜日

日航 B 787 と映画

無事、東京の蒸し暑い10月に帰着しました。

ところで往復とも話題の日航の Boeing787 でしたが、座席も快適。ちょっとした作業もできて、行き(成田 → ボストン)は飛行機のなかで約2時間+30分寝ました。
トイレも工夫されて(大きな鏡を2面に張り)清潔、気持ちよい。
これでバッテリ関連のトラブルというのは、かわいそう、という感想です。
JALの食事も、最初の昼食は機内食でこんなに美味しいもの!と驚くほどおいしいものでした。
野菜が生・和え物・加熱と3種類。
機中で、The Great Gatsby も見ました。これは F.C. Fitzgerald 原作(1925)で、DiCaprio 主演とはいっても、あまり楽しめない作品。原作自体の問題かも。

復路(ボストン → 成田)の食事は、期待が大きかっただけに幻滅。ボストン地域のケイタリング業者のセンスのなさ、ということでしょうか?
映画は Une estonienne à Paris. これが和名「クロワサンで朝食を」になるとは!?
いくら反知性的でオブラートにくるむ日本文化とはいえ、これでは見るべきインテリ・学生が見ようとしないではないか。英題 A lady in Paris は事柄の半分だけ伝えています。
一言でいえば、
老境のジャンヌ・モロ(1928年生)の「サンセット大通り」+パリにおけるエスニック・コミュニティの問題 
往路の「ギャツビ」のけたたましく虚しい大騒ぎにくらべて、なんと静かでゆったりとさびしいんだ。どちらも主人公は我が儘ほうだい、とはいえ余韻は後者のほうがはるかによい。老い(と記憶と友情≒許し)がテーマです。
(う~ん、やはり写真は登載できませんね。)

2011年4月10日日曜日

Amazing Grace

 このところ、映画どころじゃないという空気かもしれませんが、「アメイジング・グレイス」は、銀座テアトルにて15日まで、とのことです。
→ http://www.ttcg.jp/theatre_ginza/nowshowing
かなり宗教的な感想を述べているブログもあると知りました。
→ http://blog.goo.ne.jp/mamedeifque/e/efd8991a02e3b0f35a9453a61fba64d4

 ぼくの場合は、小ピットというかなり近代的な statesman なしには説明のつかない歴史だと考えています。ピット → ピール → グラッドストンへとつながる系譜。
ちかごろ論議される、国難に直面した「リーダーシップ」の問題ですね。これに「男の友情」が加わった映画ですから、当然ながら『イギリス史10講』でも引用させていただきます。
 ジャコバン史観に支配された日本の高校教科書では、ピットはまるで保守反動の権化みたいに描かれてきた。めぐりめぐって無能な首相がほぼ1年前後で交替をくりかえすという醜態は、戦後世界史教育のひとつの結果か、という気もします。

2011年3月1日火曜日

英国王のスピーチ/言語能力

 アカデミ賞で沸いていますが、すでに12月25日、試写会の後で感想を述べたとおりです。
http://kondohistorian.blogspot.com/2010/12/kings-speech.html 
その最後に「‥‥アカデミー賞を取っても取らなくても、これは感涙の作品。‥‥ODNB を読んでから、ぜひ見に行きましょう」と記しました。

 BBCにおけるこの開戦スピーチの録音は → こちら

 ハリウッドで受けるためには、ドラマチックに盛りあげることはよいとして、さらに politically correct で、反ドイツ、反ナチス(反・反セミティズム)であることが要件なのか、と思わせる所があります。The King's Speech における Edward VIII とWallas Simpson の親ナチス的言動については、すでに上記で触れましたが、さらに映画におけるチャーチルの扱いを批判する発言が、こちらにありました。 → http://www.slate.com/id/2282194
 Churchill Didn't Say That
 The King's Speech is riddled with gross falsifications of history.
 By Christopher Hitchens

2011年2月17日木曜日

大聖堂 The pillars of the earth

 ケン・フォレットの『大聖堂』The pillars of the earth(現世の支柱) を基にしたテレビ連続ドラマ「大聖堂」が毎週 NHK BSで上映中です。http://www.nhk.or.jp/bs/movie/index.html
ちょっとだけ問題なきにしもあらずですが、しかし西洋史の人が見逃すのはもったいない。今晩 尋ねたら、院生はだれも見てない!?

 『イギリス史研究入門』で言いますと、その年表1135年前後から(p.381~2)、そして系図(p.391)、ヘンリ1世の姫マティルダをMaudと補って、マティルダとスティーヴンのあいだの骨肉の争い、この時期の尖頭アーチ(ゴシック様式)の急速な普及をになった職人集団、そして叙任権闘争といった時代性のもとに、歴史ドラマを楽しんでください。 cf. http://kondo.board.coocan.jp/

2010年12月26日日曜日

Amazing Grace 映画


           図像は Wikimedia Commons →

映画「アメイジング・グレイス」について、「ウィルバーフォースと友人たち」という題で、要旨、下のようなことをしたためました。来春3月5日から一般公開されるときに、頒布パンフレットに載ります。あらかじめ、ほんの一部を抜粋してご覧に入れます。

 テーマは、激動の時代における人の生き方と信仰、友情、政治と正義。主要な登場人物は実在の4人です。

 主人公ウィリアム・ウィルバーフォース(ウィルバーと呼ばれ続ける)1759~1833
 その親友ウィリアム・ピット(24歳で首相) 1759~1806
 ホウィグの怪物政治家、チャールズ・フォックス 1749~1806
 奴隷貿易船の航海士であったジョン・ニュートン 1725~1807

彼らについて歴史的な知識があると、映画のおもしろさは倍増するでしょう。もちろん全員、ODNBに項目があります。
 奴隷たちの亡霊に囲まれつつ、回心したニュートンの作詞した賛美歌が「アメイジング・グレイス」です。
 「すばらしい神の恵み
  私のようなヒトデナシも救ってくださった。
  かつて私は道に迷っていたが、神は見いだしてくださり
  かつて目の見えなかった私だが、今は見える」

 18世紀~19世紀の初め、
   カリブ海の西インド諸島 ⇔ アフリカ ⇔ イギリスなど西ヨーロッパ諸国
のあいだの三角貿易とイギリスの産業革命が表裏一体だったことは、最近の世界史の授業では常識かもしれない。「アメイジング・グレイス」に歌われるような回心と改革の Evangelicalism は、まだ常識ではないでしょう。女性作家ハナ・モアは、英文学関係者には知られていますね、大石さん。
 福音伝道主義者が取り組んだいくつもの課題のうち、奴隷制および奴隷貿易の廃止をめぐって、これを男の友情として描いたのが、映画 Amazing Grace だと言えるでしょう。ケインブリッジにおけるぼくの先生 Boyd Hilton, そして友人 Joanna Innes の研究テーマでもあります。(12月18日イギリス史研究会の) moral economy 論もまた、この転換期をどう理解するかといったことに極まります。
 もっとも良い参考文献は、『イギリス史研究入門』の5章(長い18世紀)、6章(19世紀)、10章(議会)、11章(教会)、12章(帝国)でしょうか。

 時代考証をふまえた映像情報もゆたかで、男女の衣装も、婚活マインドも楽しい。ジェイン・オースティンを連想する人も少なくないでしょう。温泉都市バースにおける社交、議会の本会議場における討論のテンポとウィット、558名いるはずの議員が重要案件の議決にさえあまり出席しないという事実、本会議場の別棟にあったクラブの様子もまた、印象的。
 ピットは享年46歳、首相在任中に過労死。ライヴァル、フォックスも同じ1806年に死にます(56歳)。ところが闘病をくりかえしていたウィルバーのほうは、結局、74歳まで生きながらえます。映画の前半の「結婚は愛と健康をもたらす」という従兄弟ソーントンの言は、伏線として置かれていたのでしょうか。
→ http://www.imdb.com/video/screenplay/vi330694937/

2010年12月25日土曜日

The King's Speech 映画


 今夕、忙中の時間をつくって、試写会に行って参りました。邦題は「英国王のスピーチ」、ご存じジョージ6世(在位1936~52)と先年101歳で亡くなった Elizabeth Queen Mother、そして知られざる Lionel Logue の3人を中心とした、感動の物語です。
 期待せずに行ったのですが、2時間の上映の終わりには、感涙。いくら顔をふいても止まらず、照明の前に長いクレディトのつづいたことに感謝したほどです。左右の男女もすすり上げていました。清らかな涙と、シネマートの外、夜の六本木の雑踏 ‥‥ なんというコントラスト!

 ジョージ5世の長男エドワード(David)は外向的で、女にももてる王太子(ウェールズ公)でしたが、その弟アルバート(Bertie、ヨーク公)はつねに兄と比較され、シャイでどもり、学業成績は68人中68位、病弱、泣き虫。めだつ兄の陰にあって、親にもナニーにさえバカにされていたとのこと。生来の左利きを無理に矯正されたことも、どもりの誘因だったようです。ここまではよく知られています。第1次大戦における海軍士官としての従軍も含めて、ODNBにはしっかり書きこんであります(Colin Matthew 執筆)。これを克服するために妃エリザベスの献身のあったことも、第二次大戦中の(自明の悪ナチスにたいする)国民的な戦意高揚のための行脚も、周知の事実。
 ところが、兄エドワード8世の「世紀の恋」のとばっちりで、もっとも不適格とみられたアルバートがジョージ6世として王位を継承するわけですから、confidenceを欠くアルバート=ジョージの、どもりはますますひどくなる。ここで登場するのがオーストラリア人 Lionel による言語治療 兼 カウンセリングなわけで、王族の親子関係からイギリスの階級関係、そしてすでに自治国のはずのオーストラリアにたいする差別意識までが上手に扱われて、この映画をおもしろくします。ちょっと Pygmalion=My Fair Lady のヒギンズ教授を思わせるところもないではない。
 英国王といっても、ジョージ6世の正式の称号は、king of Great Britain, Ireland and the British dominions beyond the seas, and emperor of India です。複合国家の王+インド皇帝。即位時にすでにアイルランドは独立しているのに!
【それからジョージ王も兄エドワードも Lionelも freemason だった[それのみが3人の共通点だった]という事実は、この映画では[単純化のために?]見逃されます。】
 映画のコリン・ファースの立派な体格のあたえるイメージと違って、国王ジョージは見るからに神経質で、胃腸も弱そうでした。1939年、小柄のかわいらしい王妃エリザベスと一緒の写真は、こちら↓
→ http://www.flickr.com/photos/striderv/2407182783/
 この映画を100%楽しむには、シェイクスピアの favourite quotes が頭に入っていることが必要かもしれません。もう一つ、映画音楽として前半はモーツァルトが使われ、後半の大事なところからベートーヴェンに変わることにも気付かされます。ラジオのことを wireless と呼んでいたこと、日本の玉音放送と違って、ライヴで放送されたことも大前提ですが、とにかく交響曲7番の第2楽章を背景に、どもる国王の大スピーチを聴いて涙しない聴衆は、よほど鈍感な人でしょう。スピーチの終わると同時に、BBCの職員、バキンガム宮殿の職員、ラジオに耳傾けていた市民のあいだで自然に拍手の波が広がることになり、音楽はピアノ協奏曲5番(emperor!)の第2楽章に替わる! 心にくい演出。

 来たる2月26日に一般公開だそうですが、すでに出来上がっているパンフレットに監修者=某大学教授がしたためた小文は、残念ながらフツーの高校生の感想文のレベルです(ウェブの世界の雑文と大差なし)。せめて、スピーチとは「演説」以前に、話すこと、言語能力、話しかたでもあるということくらい、指摘してもバチは当たらないのに。それから、きっとせわしなく視聴なさって、シェイクスピアもベートーヴェンも聞き流したのでしょう。
 
 結論。アカデミー賞を取っても取らなくても、これは感涙の作品。日本版監修者がだれであれ、ODNB を読んでから、ぜひ見に行きましょう。当然ながら、Lionel Logue の項目もあります。
→ http://www.imdb.com/video/screenplay/vi752421145/

2010年5月24日月曜日

Grantchester

 今日(日)は Whitsunday.  28度という予報のとおり、五月晴れ、日本の5月下旬に負けない暑い日となりました。

 自転車で Newnham Croft から川沿いの牧草地に入り、南へ。つまりケム川の川上です。30年前には一家4人で同じコースを自転車で行きましたが、川沿いのたよりない小径は、枯れ草や枯れ枝やトゲのたぐいで一杯で、ついにぼくの自転車のタイヤがパンクし、惨めな気持でとぼとぼ押して帰りました。 今回は西側にきれいに自転車道が舗装されて快適な行程。というより、かなりの人出。そしてみなさん、かなり大胆な露出的装束。今から2カ月ほどが、midsummer なのですから。
 ↑ 写真は、牛と人々のあそぶ牧草地よりケム川を望みます。カヌーがかろうじて見えるでしょうか。【クリックすると拡大します。】


 グランチェスタ村の The Orchard は、20世紀の初め、Bloomsbury group ならぬ(ほとんど人的に重なりますが)Grantchester group の文人の憩う場でした。草光さんの「マイナーポエッツ」(短調の詩人たち)から、J.M. ケインズ、ヴァージニア・ウルフ、E.M. フォースタ‥‥。
あの気むずかしげなヴィトゲンシュタイン先生とラッセル先生が一緒に裸で川遊びをしたとか‥‥。映画「モーリス」の世界。

 短い夏を楽しむイギリス人は平気で陽光のもと昼食を摂りますが、ぼくたちは暑さも紫外線もかなわないので、室内で食べました。こんなぐあい。↓