2020年3月29日日曜日
『論点・西洋史学』 ミネルヴァ書房
鬱陶しいニュースが続きます。世界史に残るパンデミックの展開を同時代人として経験するとは、想像もしていませんでした。
そうした空気を一掃するような、金澤周作監修『論点・西洋史学』が到来。高さ26cmで xi+321+6 pp. のソフト装ですが、ずっしり重い大冊。https://www.minervashobo.co.jp/book/b505245.html
ミネルヴァ書房の最初は「よくわかる教科書」といったオファーにたいして、むしろ金澤さんのほうから逆提案して「「論点」だけで構成された西洋史本」を実現させたということです。編者でなく監修者ということらしいですが、とにかくそのイニシアティヴ/リーダーシップが明白で、「はじめに」も「おわりに」も気持が入って、力強い。
「おわりに」に引用されているチェスタトンによれば、望遠鏡派は「大きな物を研究して小さな世界に住み」、顕微鏡派は「小さな物を研究して大きな世界に住む」。そこで金澤さんの名言によれば、西洋史学は、どちらでもなく、「ちょうどよい論争的な多義性を持っている」(p.303)。はたまた「本書は決して、歴史の解釈には正解も優劣もない、といったようなシニカルで相対主義的な態度を推奨するものではない‥‥。むしろ、‥‥歴史ならではの、複数性と矛盾しない「真実」ににじりよっていく姿勢を善きものとして大切にします。本書で登場する競技場(アリーナ)の参加者はほとんど全員、真摯に歴史の真実を追究する求道者です。」(iii)と言い切る。
そうした点からも、「はじめに」に続く「準備体操1 歴史学の基本」「準備体操2 史料と歴史家の偏見,言葉の力と歪み」を読んでも、学生よりまず誰より、この書を選ぶ教員たちを惹きつけるでしょう!
5人の編者たちとの会議が楽しかっただろうことは容易に想像できますが、123名もの担当執筆者とのヤリトリ・意思疎通はさぞや大変だったでしょう。
そこで本体の項目を個別的に見ると、じつは不満を覚える項目もないではありません(担当者の実力不足か、たまたま多忙すぎたか)。しかし、落ち着いて前後の項目をひっくり返し、相互参照しながら読むと、なにが問題なのかが浮き彫りにされてくる、という構造になっています。そうした点でも、積極的な学生たちには取り組み甲斐のある(active learning! の)教材と言えそうです。
たとえば、歴史記述起源論から中世史・近世史における国家論、そして19世紀の諸国民史から「帝国論」まですべて通読したうえで、「凸凹先生の項目は、少しくすんでいませんか」「△○先生って、短くてもシャープに表現できるすごい方ですね」とか議論するような学生が(院生が?)現れたら、すばらしい。
カバーデザインも、論点のある絵(1529年の表象)で、これだけでも1時限たっぷり討論できますね。
執筆者の半分くらい(?)はよく知っている方、半分くらいは知らない方々ですが、読んでいてぼくも元気になります。
ありがとうございました。
2018年8月28日火曜日
ことばの歴史性
話はあちこち逸れましたが、16・17世紀にもどって、もし大航海時代の冒険商人たちが(日本列島でなく)現代のアメリカ合衆国に遭遇したなら、軍の最高司令官=大統領のことは emperorと呼び、合衆国の国のかたちについては邦 state を50個も束ねる empire だと形容したでしょう。だからといって、今日の政治学者も歴史学者も、大統領は「皇帝」だ、合衆国は「帝国」だと呼ぶわけにはゆきません(そう言いたくなる折々はあっても!)。
むしろ現代のアメリカ合衆国は連邦制の imperium「主権国家」で、大統領は imposterならぬ imperator「国家元首」で、議会や司法の掣肘をうける存在でしょう。上記の平川『戦国日本と大航海時代』の引用部分について確認するなら、大航海時代のポルトガル人やイエズス会士は、日本列島を統一途上の imperium「主権国家」、秀吉や家康を(フェリーペ2世やジェイムズ1世のような)imperator「強大な君主」「主権者」と認めた、というのに他なりません。
16世紀末と19世紀末は異なる時代です。300年の歴史をはさんで、近世・近代のヨーロッパの政治用語は 1648年のウェストファリア体制、1815年のウィーン体制の〈諸国家システム〉を前提にしたものに転じ、用法が異なります。同時に単語としての継続性も残る。歴史研究者なら、言葉の継承と、その意味の転変とのデリケートなバランスを捉えないとなりませんね。
ユーラシア史の大きな展開。これを十分に把握するためには、アジアだけでなくヨーロッパ史の新しい展開も看過できない、ということです。西洋史も、2・30年前に高校世界史で習ったのとは違うのですよ!
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