ラベル 東北 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 東北 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年12月9日火曜日

岡田与好先生(1925~2014): reflexions II

 12月7日(日)は東京大学経済学部で、岡田与好先生(1925~2014)を偲ぶ会、というつもりで参りましたら、『岡田與好先生を偲ぶ会』という67ページの冊子、と同時に、なんと当日刊行のご遺著『競争と結合 - 資本主義的自由経済をめぐって』(蒼天社出版、2014)もいただきました。刊行記念会でもあったのです。
 1952年、53年のころ(27歳前後)の写真を拝見すると、ほとんど芥川賞でも取りそうな青年文士のような、あるいは、いたづら小僧がそのまま東大の秀才助手になったような雰囲気があって、いいですね。初めて見る写真です。
 山田盛太郎(1952年に)、大塚久雄(1966年に)といった大先生にも学会でしっかり噛みついた、論争的な岡田先生の勢いが、世良晃志郎さんとの友好的交わりをへて、『社会科学の方法』における「営業の自由」論争≒法学批判に繋がるのだということが、この日の皆さんのお話と写真から、よく納得できました。
 当然ながら、参集された方々はイギリス経済史、土地制度史学会、社会科学研究所、経済学部の方々が多いですが、ぼくのように傍系ながら先生から20代(1971~74)にしっかり学び、やがて30代(1980年代)から道を別にした者もいたことは、忘れないでください。
→ http://kondohistorian.blogspot.jp/2014/06/blog-post.html

 毛利健三さんのご挨拶、お嬢さんの最後のお話、また権上康男さんとの会話など、心に残るものがありました。樋口陽一、石井寛治といった方々の明晰な話っぷりは心地よかったけれど、とにかく(山田、大塚、高橋、世良といった大先生は当然として)、安良城盛昭、吉岡昭彦、柴田三千雄、二宮宏之、遅塚忠躬、山之内靖、西川正雄と、みんな向こうに行ってしまわれたんだから、‥‥考えこんでしまいます。
 奥様からは、信じがたい、身に余るお言葉をいただきました。
 つづく。

2013年3月2日土曜日

三宅ディレクター


NHK-BSの予告を見ていたら、昔の名前ばかりか、笑顔も出てきたので驚きました。
【こちらは、むかし1999年9月、オクスフォードからウェルズ大聖堂、グラストンベリに行った小旅行のときのスナップ。14年くらいでは人は変わらないということかな。】

東大西洋史からオクスフォード大学へ、そしてロンドンで活躍とは聞いていましたが。
学生のころ、第2志望として映画関係で仕事ができれば、ということを聞いていましたから、その道に進んでいるわけですね。

母上のご実家は福島県とは承知していましたが、311に海通りでご親戚がたいへんな被害とは‥‥
[BS1]   <以下引用 (c) NHK>
2013年3月8日(金) 午後11:00~午前0:40(100分)
 福島第一原発事故のニュースを海の向こうで知ったロンドン在住のディレクターの三宅響子が、福島県浪江町の親類たちの軌跡を1年半にわたって追った。国際共同制作
  
【後日加筆】 見たあとの感想ですが、三宅さん自身の(進行形の)認識の歩みと、邦子おばさん一家とのこれまでの歴史と現在が交錯するドキュメンタリ作品でした。
Fact とはそれ自身の歴史をもつ;語られたこと、語られかたに左右されるし;そもそも近世英語では feat (なされたこと、事績)である、という ジョン・ルーカス(ルカーチ)を想い起こしながら見ました。

2011年3月24日木曜日

宮城学院・学院長より

わが同期の桜より、近況のメールあり。以下に転載します。
------------------------------------------------------------
 震災見舞いメールをありがとう。それほど大変でもなくなってきたので、返事します。
 仙台市街地の揺れは1978年の地震よりやや大きかったが、さすがに耐震工事がほぼどこも出来ていて、建物倒壊はほとんどなく、死者けが人もわずか。ただ宮城学院でも天井板が落ち、書架・家具が倒れて研究室内はひどかった。
 今回の深刻さは津波。‥‥
 宮城学院でも大学生に死者が、今1人確認。学生生徒の対応はよくやっていると思う。‥‥
------------------------------------------------------------

2011年3月16日水曜日

仙台より(代筆)

東北大学経済学研究科のO先生からは、今朝メールを頂戴いたし
御自宅は「食器一つ割れず」でいらっしゃたとのこと。
研究室は「本のカーペット」とのことでございましたが
そのお片付けも済まれたと伺いました。
やはりガソリンと食料の不足は厳しい状況の御様子でした。