3月、イギリスから帰国した直前直後、衝撃の報はポッリーニ死去というニュースでした。
NHKの日曜夜の番組では、先週には初来日時のブラームス・ピアノ協奏曲1番(N響)、今週は30代の録画の断片いくつかに吉田秀和のコメントを加えて、最後に、なんと2019年ミュンヘンの演奏会における最後のピアノソナタを放送しました!
先に「ボクの音楽武者修行」(1・2)にも書いたとおり、わが音楽人生は何も自慢できることのない、恥じらいで一杯のものです。演奏会にもさほど熱心に通っているわけではない。
それがしかし、1994年の10月には幸運が重なり、テムズ南岸の Queen Elizabeth Hall におけるポッリーニ演奏会に行きました。曲目は、ベートーヴェンの最後のソナタ3つ。
10代には「悲愴」とか「熱情」とか「ワルトシュタイン」といった渾名のついた曲に惹きつけられていたけれど、年齢とともにそうした「若い」曲よりは、もっと成熟して、かつ知的に構成された曲を好んで聴くようになっていました。最後のピアノソナタ3曲は、晩年の弦楽四重奏曲の場合と似てなくもなく、ベートーヴェンの知的構成力と幻想的な心情(ロマン派の前衛!)が十分に表現されて、聴く人の心を揺さぶり、慰める。
(人生を70年+やっていると、こうした経験に恵まれているわが人生は、幸運に満たされている、と静かに想いいたります。)
この夜の演奏会より前にぼくはポッリーニの「後期ピアノソナタ集」(1975年~77年に録音)のCDを持っていて、ロンドンにも携行していたのでした。
録音から17年を経て、52歳のポッリーニがどういった演奏をするのか。その夜の演奏会は、満場の期待を静かに十分な感動に変えたと思います。すでに30番(op.109)、31番(op.110)の後の休憩時間に洩れ聞こえてきた他の聴衆の反応もそうだったし、最後の32番(op.111)は、着席するやただちに力強いMaestosoが始まり、それまで穏やかに感傷的になっていた気持を揺さぶって、ハ短調(運命!)の最後のソナタ(といっても形式的にかなり自由な大曲)の宇宙にわたしたち聴衆を浸したのでした。
満場の拍手に促されるように、憑かれたように、ぼくは舞台脇から楽屋へと向かい、マウリツィオ・ポッリーニにつたない英語で感動を伝え、握手しました。
公演のあと楽屋まで押しかける、あるいはせいぜい廊下でご本人に挨拶する、といったことはあまりできないぼくですが、このときは何故か自然に突き動かされるようにそうしたのでした。
じつはその半年後、1995年の初夏、今度はアルフレート・ブレンデルがやはりテムズ南岸の Queen Elizabeth Hall で、同一のプログラムで演奏しました。やはり知的なピアニストで 1970年~75年の録音CDを持っているぼくとしては、大きな期待をもって出かけたのですが、なぜでしょう。長い日照に邪魔されて(?)、会場もぼくも集中できず、やや散漫な印象に終わってしまった夜でした。むしろメンデルスゾーン的な「夏至の夜の夢」でした。
先の吉田秀和さんの評によると、ポッリーニは知的な構成力が勝ちすぎて、たとえばシューベルトの幻想的なソナタを弾くときには(吉田さんの求める)即興性・幻想性に不満が残る、ということらしい。そこには知性と感性の二律背反が前提されているかに見えますが、どうでしょう。少なくともベートーヴェンにあっては、両者は背反しない、理知と感情が矛盾なく合わさって表現されるのではないか。ポッリーニこそ、その点で最適の演奏者=表現者なのではないか、と思います。
2024年4月17日水曜日
2020年9月15日火曜日
戸田三三冬『‥‥アナキズムの可能性』
戸田三三冬さんという存在感のある女性の、ドシッと重い遺稿集。カバー折り返しの写真も「みさと」さんの面影をよく伝えています。
本のメインタイトルは『平和学と歴史学』(三元社)とあり、これだけではおとなしい印象ですが、副題のほうに意味があり、じつはすごい大冊で600ぺージになんなんとし、巻末の索引は夫・三宅立さんによる周到なもので16ぺージにおよびます。アナキズム、アナーキー、インタナショナル、社会主義、愛郷心・愛国心(patriotismo)、くに・故郷・祖国(paese)といった語を手引に、ぺージを前に後にくって読み返す価値があります。
戸田三三冬さん(1933-2018)は、略歴からみても、
卒業論文(1960)で「ドイツ11月革命におけるレーテ」
修士論文(1963)で「第一次大戦中における中欧再編問題」
フルブライト奨学金でアメリカ・ボストン留学、ヨーロッパ旅行
アナキスト・マラテスタの著作に遭遇して、日本アナキストクラブに参加
三宅立さんと結婚
イタリア政府給費留学生としてナポリ留学
各大学で非常勤講師を重ねつつ、1990-2004年に文教大学教授
日本平和学会のシンポジウム「人間・エコロジー・平和」を企画・司会
マラテスタ研究センター主宰
といった具合に、三面六臂の活躍でした。
戸田さんはぼくよりずっと年長で、親しくお話しする機会は多くなかったし、会合でぼくが発言しても「坊や、いいこと言うわね」程度にあしらわれたように記憶します。それにしても本書に集められた論考も授業の記録も、人柄と語り口をしのぶ良きよすがとなっていて、懐かしいものです。たとえば、巻末の長い「解題」にも紹介されているとおり、
[長いヤリトリのあと]
司会:「‥‥ストップしないと(戸田先生の話は)止まらないから」
戸田:「一つ言わせて! 私の平和学の根底にはアナキズムと仏教があります」
司会:「それはみんなわかっている」
会場と戸田:「ハッハハ」(p.528)
じつはいま「ジャコバン研究史から見えてくるもの」という拙稿、すでに去年に執筆したものですが、ただいま再考中でして、
「彼[マラテスタ]にとっては社会主義者、アナキスト、インタナショナリストは、常に同義である」(p. 363)
といった戸田さんの文章に「再会する」ことにより、わが身体にいつしか刻みこまれたマルクス主義的≒近代主義的偏向(!?)をあらためて反省します。
イタリア人アナキスト・マラテスタは在ロンドン、1881-1919年。イギリス史の基本的レファレンスである Oxford Dictionary of National Biography にも当然のように Errico Malatesta が(クロポトキンなどとともに)立項されています。ロンドンの亡命者コミュニティというのは、すでに1840年代から呉越同舟で、おもしろい。なんと1905年、08年にはあのレーニンもマラテスタたちの居るロンドンに滞在しました! 顔を合わせてしまったら、どうする/したんでしょう?
2019年9月5日木曜日
迷走する英国に将来はあるのか
8月末に書きましたとおり、ひたすら引き籠もりの夏ですが、イギリス議会のことは危機感とともに見ています。ジョンスン首相の議会 suspension (延期・一時権限停止)案というのは17世紀のチャールズ1世以来の暴挙、すわ革命か、といった策です。
9月3日の官邸前記者会見で訴えたのは、1. Police, 2. Hospital, 3. Schoolへの予算配分だけ、これであとは‘no IFs, no BUTs’の Brexit へ突入するというのですから、無手勝流もいいところです。内政というより保守党支持者を繋ぎ止めるための政策だけで、あとはどうしようというのでしょうか。これが英国首相の演説とはにわかに信じられません。
現地4日(水)の庶民院では
1) 野党提案の「No-deal Brexit を阻止する法案」可決。
2) これに対抗して首相から解散・総選挙提案、これは圧倒的に否決。
与党保守党から党議違反の21議員が造反し、除名。
ソースは https://www.bbc.com/news/uk-politics-49580180
https://www.bbc.com/news/uk-politics-49584907
では、これで野党筆頭の労働党が優位に立ったかというと、残念ながら党首ジェレミ・コービンはただの旧左翼です。1980・90年代にサッチャ・メイジャ政権が長く続いた根拠にはときの労働党の無為無策がありました。今回も - 2010年以来の長期保守党連立政権です - 似ていると思います。ブレア・ブラウンの新労働党政権(1997-2010)が去ってから、労働党は New Labour でなく Old Labour に戻っちゃったのですね。
たしかに2016年以来のキャメロン・メイ・ジョンスンのリーダーシップには愚かで党利党略に走ったところがありました。でも、その愚策のままに許したのは野党第一党の労働党です。
英国(美しくひいでた国)と表記されて、明治以来の日本人の多くから一目置かれてきたイギリス、連合王国。
歴史と金融と高等教育で生きながらえてきた老大国は、2016年のレファレンダムから以降の混乱を抜け出さないかぎり、人材もカネも流出して、尊敬も注目もされない、ただ歴史をほこるだけの老国になってしまうでしょう。
歴史的な老国といっても、イタリアの場合は、風光明媚で、北から南まで魅力が尽きない、男女とも魅力的、なんといっても(どこへ行っても)食べたり飲んだりに楽しみがある。
イギリスは、太陽が不足して、なにしろ食べたり飲んだりに楽しみがない!
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