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2025年4月10日木曜日

Shohei's 'might-have-been'

 『「主権国家」再考』が岩波書店のウェブぺージに載りました。中澤達哉責任編集/歴史学研究会編、岩波書店、4730円。16日刊行とのこと。詳細な目次も、こちらに → https://www.iwanami.co.jp/book/b10132793.html
先にも(3月6日)書きました「‥‥今、トランプ第二期政権は歴史も国際法もなきがごとく、独特の「主権」を主張して世界を驚愕させている。」というぼくのセンテンスは、今となっては、ちょっと弱すぎる表現でした。
 そうした折、なんと大谷翔平(とドジャーズ選手たち)がホワイトハウスに招かれてトランプ大統領と談笑する光景が報道されました。何を話したのか、あまり愉快でない報道写真でした。ここでもし Shohei Ohtani が 
「ぼくは高校しか出てないし、野球のことばかり考えてきましたが、でも高校の公民では貿易収支(balance of trade)と経常収支(balance of current account)の区別は習いました。トランプさんはどうして今さら「貿易収支」みたいな物の取引の赤字なんかにこだわって、国際的なマネーや目に見えない富のやりとりは見ないんですか? 大統領はたしか大学を出て、すごいビジネスで成功なさっているんですよね」
とか、たとえ通訳を通してでも言えたなら、Shohei's Show-time! として、万国で人気が沸騰したに違いないのに。たられば(might-have-been)史観ですが。

2025年4月9日水曜日

相互関税? 報復関税! 

 April Fool の4月1日を避けて2日(水)に発表されたトランプ大統領の Reciprocal Tariff ですが、驚きですね。『朝日』だけでなく『日経』もはっきりと批判・反対の立場を表明。
なんの合理性もなく、ただの18・19世紀的な貿易収支にこだわる「重商主義」、自国(の大衆有権者の歓心)第一の発想、と見えます。こうした近視眼的な行為によって、国際的な信義も友情も失うことを何とも思わないというのが、「大国」の大統領およびその取り巻きの頭脳だとすると、驚くべきことです。(そもそもドナルド・トランプという男の人生で、友情や信義は意味をもつのでしょうか? ディールとカネだけの人生というのは、さびしい。)
ホワイトハウスは相互関税(と日本のメディアは訳していますが、reciprocal tariff とはこの場合、報復関税でしょう)の計算根拠として、こんな数式を公表したようです。
しかし、万国に対して一律の数式を適用しているわけではありません。
LSEのThomas Sampson によれば "The formula is reverse engineered to rationalise charging tariffs on countries with which the US has a trade deficit. There is no economic rationale for doing this and it will cost the global economy dearly." ということです。つまり結論が先で、それに合わせるべく計算式を経済学の理に反して invention したわけです。
さらにオーストラリアのオールバニーズ首相は、単純明快に的確に This is not the act of a friend. と反応しました(ともにBBC情報です https://www.bbc.com/news/articles/c93gq72n7y1o)。

2020年12月26日土曜日

奇蹟が起こったのか?

24日の午前(日本時間)にある編集者に送った我がメールでは、こう書いていました。

"事態は悪い方ばかりに向かい、この年末・年始のイギリスは、  Brexit+Covid → 大破局 を迎えるのかもしれません。(救いがありうるとしたら、EU側から差し伸べられるかもしれない友情の手のみ!) ヨーロッパで団結して事にあたらねばならない時に、「国家主権の亡者」の言いなりで余分な負荷を負ってしまった連合王国。Brexitを撤回しないかぎり、確実に三流国への道をたどるように見えます。"

世を悲観して、なにごとにも消極的で、憂鬱でした。

それがイギリス・ヨーロッパの24日の午後(日本の日付が変わるころ)には、あたかもクリスマスプレゼント(Surprise!)として計ったかのように、イギリス側・EU側ともに合意できる Deal が成立し、ジョンソン首相(UK)フォンデァライエン大統領(EU)が笑顔で記者会見したのです。奇蹟としか言いようがない。【以下、情報は https://www.bbc.com/news/uk-politics の数々のウェブぺージより】 President of the European Commission ですからマスコミは「委員長」と訳していますが、日本語の「委員長」は中間管理職的で、かなり弱い。Von der Leyen の権限は文字どおりEUの首長 =「大統領」です。

カナダ型の自由貿易で合意したとジョンソン首相。フォンデァライエン大統領は It was a long and winding road. ‥‥ It is now time to turn the page and look to the future. とにこやかに公言しました。UK は信頼できるパートナだ、とも。

約定書は 1246ぺージ、付録や註が約800ぺージ! そのうち政府のサイトに公開されているのはその要旨のみ、ということでヌカ喜びはまだ早いのかもしれない。労働党のスターマ党首は、しかし、「最悪の No Deal よりはまし」という理由で、早々と議会の批准に反対しない、と意思表示しました。 逆にスコットランド首相のスタージョンは、そもそもブレクシットはスコットランドの意志に反するのだから反対。むしろ "It's time to chart our own future as an independent, European nation." とヨーロッパ国民としての(イングランドからの)独立、を唱えています。 BBCのデスクも大急ぎの速読をへて、ヨーロッパの Erasmus プロジェクトによる大学生の交換交流からの離脱は既定方針、と憂慮しています。

要するにジョンソン政権には、イギリス ⇔ ヨーロッパの貿易に free trade(無関税取引)の原則を堅持する、ということが譲れない原則で、それ以上に商品の検認、人の交流・雇用については自由でなくなる、つまりEU政府の/UK政府の時どきの干渉により、実質的な制限が加わる、ということらしい。主権と経済優先。移行期間を終えて2021年にヨーロッパ統合から抜けることには変わりない。

BBC より

はたして主権に固執してきたジョンソン首相の勝利なのか? 否。むしろフォンデァライエンの友情のおかげで最悪の事態が避けられたに過ぎないのかも。想い起こすのは、今年1月末のEU議会におけるUK離脱を惜しむ Aulde lang syne の合唱、United in diversity の横幕(→ https://kondohistorian.blogspot.com/2020/02/blog-post.html)、のただなかでジョージ・エリオットの詩を朗読したのは彼女でした。

   "Only in the agony of parting, do we look into the depths of love.  We will always love you, and we will never be far."

今回の声明でも、ビートルズを引用して a long and winding road と語りだしました。彼女がイギリス(あるいは英語文化)に親しみと愛情を持ちつづけていることは明らかで、もし交渉相手のトップが彼女でなくマクロンだったら、こうは展開しなかったでしょう。

はたして最後の最後に、最悪の事態だけは避ける(山積みのイシューには、来年になってから取り組む)というのは、アメリカ合衆国におけるバイデン大統領選出と同じ構図です! 2016年からの4年間、いったい英米両国は、なにをしていたのか。無駄な言説とエネルギーの費消。

新型コロナウィルスの来襲、パンデミックの収まらない脅威によって「主権の亡者」たちも正気を取り戻した、ということであれば、これは「天からもたらされた賜物」かもしれません。そういえば、トランプも、ジョンソンも、マクロンも Covid に罹患しました。

Memento mori! 死を畏れよ! この世には「主権」より大事なことがある。あなどることなく、まじめに考えて行動せよ、と。

2020年6月26日金曜日

川勝 の 勝!

 川勝平太といえば、オクスフォードでもマンチェスタでも聞こえた男でした。ぼくより1歳若いが、小松芳喬先生と日本の社会経済史学会で鍛えられてアジア史をふまえ、イギリスでは Peter Mathias先生(そして Douglas Farnie先生)の薫陶のお蔭で、良い仕事をまとめることができたのです。早稲田大学では British Parliamentary Papers (いわゆるブルーブック)の購入決定に理事会が反対したというので、タンカを切って辞職して、国際日本文化研究センターに移動。そのころすでに環境史には一家言あり、1997年の日英歴史家会議(AJC, 慶応)ではスマウト先生の環境史報告へのコメンテータをつとめました。【じつは川勝とぼくの共著もあります!『世界経済は危機を乗り越えるか:グローバル資本主義からの脱却』(ウェッジ選書*、2001)】
 それからは静岡芸術文化大学(木村尚三郎後任)をへて政治にコミットしたようで、2009年の静岡県知事選挙で、(自民党・民主党の支持者を分裂させながら)当選、以後、2選、3選は圧倒的に勝利しています。

 一方のJR東海の金子慎社長は、といえば東大法卒、国鉄・JRの人事・総務畑で出世してきたかもしれないが、内向きの能吏で、- そもそも歴代首相とやりあい、英語での交渉もでき、皇室との個人的なつきあいもある川勝知事を相手に -、太刀打ちできるタマではない。
 今晩のNHK-TV、7時のニュースでも、川根の水で入れたおいしいお茶を供されて、金子社長が完全に手玉にとられてしまった場面が放映されました【この部分を、9時のニュースでは繰りかえさなかった。NHK幹部の独自の政治的判断≒配慮が介在したと想像されます!】。

 問題は、大井川や南アルプスだけではありません。
 コロナ禍で「リモート仕事」「Zoom会議」の快感を知ってしまった国民が、はたして、東京-名古屋は40分、東京-大阪は67分、といった恐怖のトンネル続きの「利便性」をこれからも支持しつづけるだろうか。ここは、むしろ東京オリンピックの中止、Aegis Ashoreの中止(河野防衛相の英断)、につづいて、never too late to mend! 電磁気によるリニア新幹線計画じたいを中止するという英断が待たれます。東京首都圏への過度の集中、通勤・出張を再考する好機ですよ、金子社長!

* ウェッジ選書とは、すなわち JR東海きもいりの出版でした! なんという皮肉/めぐり合わせ!

2020年6月15日月曜日

コロナ後 と 香港

すでに識者によって予言されているとおり、Covid-19(のパンデミック)のもたらす変化は、過去からの断絶ではなく、すでに始まっていた変化の顕著な促進でしょう。よくは見えなかった兆候が、この危機によって誰にも明らかな時代の転換として現れます。危機、すなわち生死を分けるような分岐点、転換点です。

イギリスを代表する、もしやヨーロッパ一の金融企業(銀行)HSBC が驚くべき発言をしました。BBCの報道によると
HSBC "respects and supports all laws that stabilise Hong Kong's social order," it said in a post on social media in China.
「香港の治安を安定させるあらゆる法律を尊重し支持する」と。
現今の金融資本主義を代表する企業が、中国政府の治安優先、というより習近平の独裁体制=権威的全体主義体制を尊重し支持する、と。これは天地もひっくり返るほどのことですよ。
ちなみに BBC は同じ記事のなかで、日本のノムラ(investment bank Nomura)が香港への関与を再点検する(修正する)と報じて、対照しています。
資本主義は、あるいは18世紀のヒュームやスミス、そしてブラックストンに言わせれば「商業社会」は、自由と所有権(と法の支配)によって成り立つ「文明社会」でした。以後、この自由と所有権と文明の間の比重にはニュアンスはあれど、これを旗印にする自由主義者と、これを否定する(競争と搾取の元凶と考える)社会主義者は、19世紀の前半から対立してきました。
20世紀前半には、ケインズのように、政府の政策によって野放図な資本主義をコントロールしようとする経済学者、そして福祉国家(大きな政府)を唱える「新自由主義者」(ネオリベラルではありません!)が現れ、1970年代まで西側先進国の民主主義を支える政策体系でした。しかし、民主と福祉は、ナチスや、ソ連や中国の共産党独裁とは相容れないと考えられていた。政治家は、イギリス労働党も日本社会党も「政治的判断」によって海外の共産党独裁を許容することはあったけれど。
上の BBC は含蓄をこめてこう言います。
The bank's full name is the Hongkong and Shanghai Banking Corporation and it has its origins in the former British colony.

じつはぼくが1980年にイギリスに渡って直ちに British Council から四半期ごとに給費を振り込む銀行口座は Midland Bank と指定されました(バーミンガム起源の歴史的な銀行です)。これがしかし、80年代半ばに HSBC に吸収されて、以後ぼくの小切手や Bank Card は HSBCのものとなりました。

後年、上海に行ってそこでバンドの威容を誇る建物群のうちでもHSBCが一番であること[そこまでは事前に写真で承知していました]、それが革命後、共産党政権により接収されて上海共産党本部になったことは、感銘深い、共産党側の論理としては理解可能な事実です。
ところで、香港の気のいい若者たちとマンチェスタで交流したのは1990年前後のことでした。Oxford Road をずっと南に下った所の YMCAに泊まっていて、留学生たちと仲良くなったのです。若者たちといっても30歳前後(?)で Manchester Polytechnic(その後 Manchester Metropolitan Universityへと改組改称)に研修で来ていた様子。
中国名とは別に Bob とか John とか自称していました。戦後の日本で「フランク永井」「ジェームズ三木」と言っていたのと似てるなと受けとめました。ぼくがイギリスのしかもマンチェスタの歴史を研究しているというのを珍しがると同時に、香港での現実問題は「汚職」(corruption)だということで、香港政庁の汚職特別委員会ではたらく、明るい正義漢が印象的でした。
まだeメールなどの普及する前だったので、その後、連絡は取れなくなってしまったのが残念です。彼らもすでに60代でしょう。イギリスの植民地支配から自由になったのはいいけれど、中華人民共和国のきびしい統制下に、今どのような日夜を送っているのだろう。たとえ汚職が蔓延していても、自由で、冗談の言える社会のほうが、よほどマシです。
革命独裁政権が、政敵を腐敗している(corrupt)として追放する/粛清するのは、フランス革命中からの常でしたね。

2020年3月10日火曜日

確定申告の期限


毎年、この時期は(春の休業期の原稿執筆に加えて)年度末の諸事と確定申告とが重なり、(去年はブダペシュト行きの直前でもあり)ドタバタすると同時に、なにごとも早めに取りかかればこうならない‥‥、といった反省しきりなのです。今年もあいかわらず、可能なかぎり先延ばしにしていた確定申告。
15日期限、といっても日曜日。どうなるんだ? もはや猶予なし、とすがる思いで、ウェブのお知恵拝借と検索していたら、なんと国税庁(NTA)から、こんなお知らせがあったのですね!
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/shinkoku/kansensho/kigenencho.htm
 「今般、政府の方針を踏まえ、新型コロナウイルス感染症の拡大防止の観点から、申告所得税(及び復興特別所得税)、贈与税及び個人事業者の消費税(及び地方消費税)の申告期限・納付期限について、令和2年4月16日(木)まで延長することといたしました。」 
なんたる朗報!
民間のサイトには、「確定申告会場で相談される方に高齢者が多いために配慮がされたと思います」とか、したためられています! 
 https://manetatsu.com/2020/03/241946/ (マネーの達人)
 https://www.sumoviva.jp/feature/feature_458.html (スモールビズ)

業界で「働く高齢者」とか「ライターさん」とかいう範疇に、ぼくは入っているのでしょうか。でも、単純に期限延長でぬか喜びしてはいけない。来年度の etc, etc.にも影響するのだから、ここは早め早めに、とどのサイトも助言してくださっています。ありがとうございます。

2020年1月2日木曜日

Ghosn's gone!


 大晦日の年賀状作成作業が佳境に入っているときに飛び込んできたのが、Ghosn's gone! という速報。アクション映画かなにかで見たような、あるいはフランス革命の重要局面に似ていなくもない逃亡劇です。(日本の当局もマスコミも、年末年始で、この突発事件にすみやかに対応できないまま!)
 この事件を考えるさいに2つのイシューがあり、混同することはできません。

1.日本の司法における人権無視。
 これはぼくたちが学生のころからまったく変わっていません。日本(や東アジア、また他の中進国で)の刑事訴訟法では(疑わしきは無罪、とは大学の授業でのみ唱えられるお題目で)、逮捕時点から被告・容疑者は有罪を想定されていて、しかも実際の運用で、有罪と自白するまで、執拗な取り調べがつづき、釈放されず、外の人々との接触も制限される。【「証拠隠滅のおそれ」という口実で、じつは非日常の空間に長期間拘束された】本人がよほどの忍耐心と自尊心をもちあわせていないと、「楽になりたいばかりに」、真実とずいぶんズレても「自白」とされる検事の用意した調書(彼の構築したストーリ)の最後に署名捺印して釈放される、ということがどれだけ繰りかえされてきたことか。あいつぐ冤罪事件は、ほとんどこれでしょう。「冤罪」ほどでなくとも、正確には違うのだけれど、もぅ疲れた、もぅ終わりにしたい、というケースがどんなに多いか!
 もと厚労事務次官・村木厚子さんのたたかいを、みなさん覚えているでしょう。
 人権の国フランスで教育されたカルロス・ゴーンおよびその周囲の人々は、これを耐えがたい人権侵害と受けとめて、それには屈しなかった。たいする日本の司法官僚たちは、「法治国家日本」のメンツをかけても、現行刑事訴訟法にもとづく作法と手続を駆使して、「外圧」なにするものぞ、と挑んだのでしょう。
 こうした日本の「近代的」文化にもとづく刑事訴訟法(とその実際)にたいする異議申し立てに、ぼくは賛成です。この点にかぎり、ゴーンおよびその弁護団を支持していました。

2.それと今回の逃亡劇とは、まったく別問題です。
 あのソクラテスにとっても、悪法といえども法は法。手続上はそれにしたがい、有能な弁護士と全面的に協力して戦略戦術をたて、具体的に論駁し、たたかうべきだった。ましてやソクラテスの場合とは違って死罪ではなく、経済犯容疑で時間的猶予はあったのだから、何年かけてもたたかって人権のチャンピオンになることすら可能だった。【随伴的に、日本の刑事訴訟法の改正に向かう道が切り開かれるかもしれなかった!】
 それなのに逃亡しては、しかも妻の進言か手引により、クリスマス音楽会を催して大きな楽器ケースに紛れて(?)家を出たうえ、パスポート偽造か偽名を使って日本を出国し、トルコ経由でベイルートへという茶番! (フランス・パスポートは2通目をもっていた!)Extradition treaty (これぞ今、香港でたたかわれている問題!) のないレバノンで、日産と日本の司法の非を鳴らしつつ、これから一生過ごすおつもりですか?
 下手なアクション映画にありそうな筋立てですが、こうした偽装逃亡劇をやってしまうと、日本の世論も欧米の世論も急転直下、ゴーンの人格・品位を疑い、支持しなくなるでしょう。弁護チームもお手上げです。ご本人のベイルートからのメッセージは、このとおり ↓
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54000320R31C19A2I00000/?n_cid=DSREA001
「わたしは裁き・正義(la justice)から逃れたのではなく、不正・権利侵害(injustice)と政治的迫害から自由になったのだ」という主張ですが、これは通りません。たしかに Wall Street Journal だけは
It would have been better had he cleared his name in court, but then it isn’t clear that he could have received a fair trial.
と仮定法で擁護しています。clear のあとの that は if と読み替えたいところ(https://www.wsj.com/articles/the-carlos-ghosn-experience-11577826902?mod=cx_picks)。辣腕投資家・経営者の味方・WSJ らしい論法で、歴史的に考えない無知の表明です。
 フランスで高等教育をうけたカルロス君のよく知るとおり、革命から2年、1791年6月、ルイ16世が王妃マリ=アントワネットとともに変装して逃亡し、国境近くで阻止されて、パリに召喚され、さんざ嘲られた事件を想い出してほしい。もしやカルロス君は理工系だから、このヴァレンヌ事件なんて知らない、とは言わせない。このときまで立憲君主制(イギリス型の近代)という落とし所が用意されていたフランス革命は、もう止める堰もなく、王なしの共和国、人民主権の革命独裁に突き進むしかなくなったのです。

 この第2点により、ぼくも弁護団も、コングロマリットの普遍君主カルロス・ゴーンを、いささかも擁護できなくなってしまいます。http://kondohistorian.blogspot.com/2018/11/blog-post_23.html
コングロマリットとは『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)pp.14-16 でも喩えた、ヨーロッパの政治的なまとまり、国際複合企業の様態をさす専門用語です。これは礫岩とも「さざれ石」とも訳せますが、ここでは明治天皇の行幸した武蔵の大宮(現さいたま市)の氷川神社にある「さざれ石」を見ていただきます。
 いかに経年変化により「‥‥いわおとなりて、苔のむすまで」にいたっても、本質的にこういった脆い結合体ですから、「一撃」があれば、容易にくだけ散ります。

2019年11月24日日曜日

コートールド家


 コートールド美術館といえば、1980年代末に現在のストランド Somerset House に移転するより前、ブルームズベリの Woburn Square(Senate House および IHR の裏手、 Gordon Square に向かって歩き始めた所)にあって、有名な Warburg Institute と隣接していたころです。81・82年に訪れたときには、両者が一緒の茶色い建物にあって、階段をどんどん登っていった気がします。

 それより前に Courtauld という名を初めて知ったのは、ユグノ由来の繊維業ブルジョワ、その社史を書いた Donald Coleman という繋がりでした。
Courtaulds: An economic and social history. i) The nineteenth century - silk and crape; ii. Rayon; iii. Crisis and change 1940-1965 (OUP, 1969/1980)
 経営史の和田さんから、すでに1979-80年に、ケインブリッジの経済史といえば(今ではポスタンではなく)コールマン先生、といってそのときは2巻本を見せられました。
→ https://www.independent.co.uk/news/people/obituary-professor-d-c-coleman-1600207.html
そもそも Courtaulds ってどう読めばいいんだ? ユグノは高校世界史でやったのより、もっと広く深い難題かも。しかも18世紀末にはユニテリアンになった‥‥。戦後歴史学の小宇宙とは別個に展開している深い世界をほんの少しのぞき込んで、おののくような感覚。同時に、だからこそ留学する意味があるという期待。
https://en.wikipedia.org/wiki/George_Courtauld_(industrialist,_born_1761)
https://en.wikipedia.org/wiki/Samuel_Courtauld_(industrialist)
 そのケインブリッジで社会経済史のセミナーに出てみたら McKendrick, Brewer, Styles などを集めて、ツイードのジャケットが似合い、パイプをくゆらせる理知的な紳士でした。81-82年ころには、Gentlemen and players といった問題を立てながらも、ゼミの報告にたいして「 Social history なんて学問として成り立つのかい」といった発言があり、ぼくのような若造から見ると、保守的なのかリベラルなのか、よくわからなかった。それは、彼の代表作ともされるコートールド社史3巻本における分析と叙述の統一といった点に表れ、かつイギリス学界で高く評価されたのとも不可分の、イギリス経験主義だったのでしょう。 → to be continued.

2019年11月12日火曜日

平田清明著作 解題と目録


 史学会大会から帰宅したら、『平田清明著作 解題と目録』『フランス古典経済学研究』(ともに日本経済評論社)が揃いで待ってくれていました。
どちらも「平田清明記念出版委員会」の尽力でできあがったということですが、知的イニシアティヴは名古屋の平田ゼミの秀才:八木紀一郎、山田鋭夫にあることは明らかです。
 『フランス古典経済学研究』は平田39歳の(未刊行)博士論文。http://www.nikkeihyo.co.jp/books/view/2537
 『平田清明著作 解題と目録』は、刊行著書のくわしい解題と、略年表、著作目録。http://www.nikkeihyo.co.jp/books/view/2538

 こうした形で出版されことになった事情も「まえがき」にしたためられています。
 「門下生のあいだでしばしば浮上した平田清明著作集の構想の実現が、現在の出版事情から困難であったからである。‥‥しかし、図書館の連携システムや文献データベース、古書を含む書籍の流通システムが整備されている現在では、一旦公刊された文献であれば、労を厭いさえしなければ、それを入手ないし閲読することがほとんどの場合可能である。‥‥そう考えると、いま必要なのは、著作自体を再刊することではなく、それへのガイドかもしれない。‥‥それに詳細な著作目録が加わればガイドとしては完璧であろう。‥‥
 そのように考えて、著作集の代わりに著作解題集・著作目録を作成することになった」と。
 まことに、現時点では合理的な判断・方針です。1922年生まれ、1995年に急死された平田さんの『経済科学の創造』『市民社会と社会主義』『経済学と歴史認識』から始まって、すべての単著の概要・書誌・反響・書評が充実しています。また「略年表」とは別に、なんと143ぺージにもわたる「著作目録」があります。見開きで「備考」が詳しい! 「追悼論稿一覧」も2ぺージにおよびます!
 とにかく、ぼくが大学に入学した1966年から『思想』には毎年、数本(!)平田清明の論文が載り、『世界』に載った文章も含めて『市民社会と社会主義』が刊行されたのは1969年10月。東大闘争の収拾局面、ベトナム戦争の泥沼、プラハの春の暗転。こうしたなかで平田『市民社会と社会主義』が出て、ぼくたちが熱烈に読み、話題にしはじめて3ヶ月もしないうちに、日本共産党は大々的に平田攻撃を開始して『前衛』『経済』を湧かせ、労農派も平田の反マルクス主義性をあげつらう、という具合で、鈍感なぼくにも、誰が学ぶに値し、どの雑誌や陣営がクズなのか、よーく見通せることになった。
 そうしたなかで、わが八木紀一郎は驚くべき行動をとりました。東大社会学・福武直先生のもとで「戦前における社会科学の成立:歴史意識と社会的実体」というすばらしい卒業論文(1971年4月提出)を執筆中の八木が、東大でなく名古屋大学の経済学大学院を受けて(当然ながら文句なしに*)合格して、卒業したら名古屋だよ、と。すごい行動力だと思った。
 *じつは受け容れ側の名古屋大学経済学研究科の先生方は、筆記試験も卒業論文も抜群の東大生がどうして名古屋を受験するのか、なにか秘密があるのか、戦々恐々だった、と後年、藤瀬浩司さんから聞きました。平田先生のもとで学びたい、というだけの理由だったのです! ただし、その平田先生は73年に在外研究、78年に京都大学に移籍します。八木もドイツに留学します。

 ぼくも西洋史の大学院に入ったばかりのころ、八木の紹介で、本郷通りのルオー【いまの正門前の小さな店ではなく、菊坂に近い現在のタンギーにあった、奥の深い喫茶店】で平田先生と面談し、わが卒業論文(マンチェスタにおける民衆運動:1756~58年)の要点をお話ししただけでなく、1972年3月には滋賀県大津の三井寺で催された名古屋大学・京都大学合同の経済原論合宿の末席を汚して、経済学批判要綱ヘーゲル法哲学批判などを読み合わせたりしたものです。そこには奈良女の学生もいました。
 マルクス主義者というより、内田義彦に通じる、経済学と人間社会を(言葉にこだわりつつ)根底的に考えなおす人、としてぼくは平田清明に惹きつけられたのでした。

 68-9年からこの『平田清明著作 解題と目録』の刊行にいたるまで、現実に与えられた諸条件のなかで「筋を通す」という生きかたを貫いておられる、「畏友」八木紀一郎に敬意を表します。

2019年9月13日金曜日

Brexit 取り扱い注意!


 イギリス政府に「黄アオジ作戦」と称する「取り扱い注意」official sensitive の行政内部文書があることは8月に部分的なリークによりわかっていたのですが、きのう議会の議決により公開されました。EUから強行離脱した場合にはどうなるか、8月2日付けで各省庁が想定したことを集計した文書です。Reasonable Worst Case というのですが、「合理的に想定できる最悪のケース」です。Operation Yellowhammer というキーワードで検索すれば、どこからでもダウンロードできます。印刷設定によりますが、A4で5ぺージ。

 驚くべき事態が想定されています。
 EU 離脱の日に「UKは完全に「第三国」の地位に陥り」、2国間協定は加盟国のいずれとも結ばれていない。いま公衆も企業も、準備は低水準で、大企業は多少の contingency plans を準備してきたが、中小の企業は相対的に不十分。とりわけ離脱が秋冬なので、(従来もあったように)厳冬、洪水、インフルエンザなどがあると、事態はさらに悪化。
 あまり報道されてこなかったことだと思われますが、国境を越える(cross-border)金融サーヴィスに支障が出るだけでなく、オンラインの個人データの流れも、治安情報のデータの流れも支障をきたすだろう(may ではなく will という単純未来の助動詞を使っています)。イギリス人が EU市民権を失うことにともない、現在享受している権益について、個別に交渉し保持する必要があるが、事態の認識は遅い。
 アイルランドとの間の関税問題は報道されていますが、ジブラルタルについても、近海の漁業権についても問題がある。非合法の(ヤミ)経済の増大、被害をうける人々の「憤りとフラストレーション」が生じるだろう。抗議行動、対抗抗議行動が全国で生じ、かなりの警察力が費やされるかもしれない。秩序の紊乱やコミュニティの緊迫(public disorder and community tensions)もあるかもしれない(こちらの助動詞は may)。
 低所得者は、食料と燃料の価格上昇により特段の悪影響を受ける(disproportionately affected)だろう。大人の社会保障については大きな変化はないだろう。大人の社会保障市場はすでに脆弱だから。‥‥

 驚くべきは、ジョンスン政権が、こうした行政当局から上がってきた「取り扱い注意 行政文書」を読み理解しておりながら、なんの妙案もないまま、強行突破しようとしていることです。EUから抜ける、ということだけが自己目的で、国民生活も、近隣との良き関係も、歴史と未来への展望も考えていないようです。主権(sovereignty)の亡者? あるいは正気を失っている? ナチスが諸悪の根源をユダヤ人としたのと同じように、ジョンスン政権は諸悪の根源をEUだとして、国民とヨーロッパを奈落に落とし込めようとしている。
 【ヒトラー首相が最後に愛人と愛犬とともに自殺したとおり、ジョンスン首相も最後に愛人と愛犬とともに同じ運命をたどるのでしょうか?】

2019年6月30日日曜日

'Moral economy' and E P Thompson


よく分かっている人たちから、こんな反応をいただき、素直に喜んでいます。
'Moral economy' retried in digital archives.
自負と不安との相半ばするぺーパーだったものですから。
みなさんが EPT と呼んでいるのは、もちろん Edward P. Thompson (1924-1993)のことです。

MJB
It was very good to hear from you, and many thanks for sending me your essay on Thompson. Its doubly-interesting to me: I am trying to get funding for a research project on the politics of bread from 1300-1815, part of which is about linguistic shifts, and your material is really helpful; and I am also beginning work on a biography of Christopher Hill, so your thoughts about this intellectual milieu are also very stimulating. I didn’t think it was disrespectful or damaging to EPT at all - I am sure he would have been interested in this material, and keen to use it to think about his case.


PJC
Thank you for your splendid bibliometric investigation into the concept of Moral Economy, which has just reached me. It's a very useful as well as insightful study. I am sure that the late EPT would himself have welcomed it. His conclusions might have differed from yours. (As we all know, he quite enjoyed differing from everybody at some stage or other in his intellectual career).

But I am sure that EPT would be delighted that you have found some key eighteenth-century examples ('I told you so', he would have triumphed) and he would appreciate the care with which you have dissected shades of meaning in the term's application. Well done.

I am currently writing something on styles of digi-research and I intend to quote this essay as a good example of a productive outcome.


JSM
So good to hear from you and to receive the offprint of your essay on EPT and moral economy. As you know I have made fruitful use of word search on EEBO and BBIH to help me understand the emerging historiography of the seventeenth century and I was very excited by Phil Withington's work on the term 'early modern' and keywords within the early modern.

So I needed no persuading that you had a sound idea and I think you used the technique with real flair to get a real deepening of the great breakthrough that 'Making' represented. I like the way you demonstrate the tensions within the 18th/early C19th usage and suspect EPT would have relieved by what you have found! It helps me because I use Scott's sense of moral economy in my own work on the Irish depositions of 1641, seeking to distinguish the moral economy of the eye-witness testimony with the moral economy of the hearsay. I will be better informed in how I use the terms going forward.


2019年3月6日水曜日

『大塚久雄から‥‥』

昨5日(火)は青山学院大学における合評会
大塚久雄から資本主義と共同体を考える』(日本経済評論社)
https://www.freeml.com/kantopeehs/69/latest
に参りました。主催者(政治経済学・経済史学会 関東部会)からはレジュメは30人分とか指示されていましたが、それよりずっと多い人数。団塊の世代以上が半数?

オファをいただいても、率直に言って、あまり気乗りのしない話でしたが、小野塚さんから上手に持ちかけられて
言うべきことを言えばよいか、と参加いたしました。

大塚久雄は(丸山眞男も)両大戦間期に自己形成した、憂国の知識人として並みいる戦間期の学問のうち最高級のものをプロデュースした。【念のため、当日の一人の発言について申します。ナチズムや太平洋戦争に言及したからといって、その賛同者ということにはなりません。たとえば、近藤がアクチュアルな問題としてトランプや習近平に立ち入って言及したら、70年後の一知半解の「若い研究者」が、近藤は心底はその信奉者だったのだ、と解釈するのでしょうか? AIレベルのアホです。】
問題はむしろ、大塚・丸山とは全然ちがう条件を与えられた情況に生きるわれわれとして、どう向きあうか、という問題だろうと思います。

「資本主義と共同体を考える」というより、大塚の資本主義論(過程と型)と共同体論(ゲルマン共同体・ローカル市場圏・民富)の有効性を理解したうえで批判する;要するに20世紀前半の歴史学から学び反芻しつつ、現在の研究水準で超えてゆく、ということではないでしょうか。
よく知らなかった論点を指摘してくださる方もいらしたし、逆に歴史学がいま動いている、ということをあまり意識せずに、ご自分の学生時代の理解のままの枠組で「老人の繰り言」をリフレインする方もいらっしゃるようです。
敬意を失わないよう自戒しつつ参加したつもりですが、いかがでしたでしょうか。
個人的には、これまであまりご縁がなくて十分親しくできていなかった方々のお考えがよく分かり、それは収穫でした。

ぼくの場合は、大塚史学に限定することなく、歴史学の問題として
1) commonweal・respublica にかかわる中世末から(古代から!)の議論、そして革命独裁や帝国秩序へと議論が絞り上げられていった近現代史が問い直されるし - 早くは『深層のヨーロッパ』(山川、1990)における二宮・近藤対談がありました -
2) いささか観念的に(?)称賛されてきた association については、charity や公益法人といった制度的・財政的保証のある社団へと議論をフォーカスしてみてはいかが? - 「チャリティとは慈善か」(年報都市史研究、2007)そして北原敦ほか「フランス革命からファシズムまで」(クリオ、2016)があります -
と思います。
編者の方々、『大塚久雄から‥‥』というタイトルは、もしや大塚の祖述に甘んじるのでなく、大塚を卒業してその先へ、という含意でしたか? 

今後ともよろしく!

2018年11月23日金曜日

コングロマリット(国際複合企業)のゆくえ


ゴーン・ショックと言ったらオヤジ・ギャグめいた響きもありますが、なんと NHK World では
Nissan's Ghosn is gone
といった見出しで報じています!
歴史における礫岩のような政体をテーマとしてきたぼくとして、今回の conglomerate「日産・ルノー・三菱自」の事案、そしてこれからの展開には大いに想像力を刺激されます。
オクスフォード大学の博物館に展示されている礫岩の標本を『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)のカバー表紙に用いましたが、これはポルトガルで採取された岩の断面でした。それで、「ポルトガルから独立したブラジルに生まれ、レバノンで育ったフランス人、カルロス・ゴーンが社長を務める国際複合企業「ルノー=日産」をみる場合にも、示唆的」なんて文をしたためています(p.16)。当時はまだ三菱自は加わっていませんでした。しかも、彼の学歴をみると、パリで Ecole Polytechnique (1974) についで Ecole des Mines de Paris (1978) を修了しているというのが、なんとも礫岩的でおもしろい。

報じられているところでは、
a.個人的な報酬や利権といった法律的な問題とならんで、b.ルノー・日産・三菱自の間の「アライアンス」(連携・関係)のありかたについて(こちらは法的には問題なし)、ルノーおよびフランス政府から現在よりも一体化した経営への転換が示唆されていたとのこと。概念図は、22日深夜の www.nikkei.com によります。 

だとすると、今回の事案は、
a.ただ経営者(会長)としての私利私欲や背任の問題にとどまらず、むしろ b.現在の同君連合的なコングロマリット(礫岩アライアンス)を、ルノーないしフランス政府主導の中央集権(一君万民の単一国家)へと転変させる動きにたいして、日産側から造反した、ということなのではないでしょうか。
b.のほうが日産にとっては、いったい良い日産車をつくって売る、利益を上げるのはフランス国庫およびフランス国民の為なのか、という気持的に重要な問題なのだが、しかしこの論法はグローバルな取締役会でも日本の司法においても、見解の相違(好き嫌いの問題)として片付けられてしまう。より法律的に責任追及しやすい a.を前面にたてて司法にタレコミ、(ゴーン、ケリ以外の2人のフランス人を含む)取締役会に解任を提議して通した、ということでしょう。

あたかも豊かで勤勉なカタルーニャ人が、なんで高慢ちきで口ばっかりのカスティーリャ人と同じ国で一緒にやってゆかねばならんのだ、と異議を申し立てているのと同じ問題ですね。礫岩のようなアライアンスで微妙なバランスをとってきた礫岩君主ゴーンが monarch (ただひとりの君主)として会長職を務めていること自体は、ことがうまく機能しているかぎりだれも問題にしません。しかし、a.ゴーン会長は、日産という企業が製品や品質管理上の瑕疵でマスコミの矢面に立たされているときに我関せずで家族レジャーにいそしんでいた;さらには b.フランス政府ないしルノー側の意向を体現してアライアンス(連邦主義)ならぬ一体化(中央集権)に向かっているようだとすると、これにはクーデタでも司法取引でも可能な手段で抵抗するしかないのですね。

日産はスペインにおけるカタルーニャ、連合王国におけるスコットランド(をいま少し強くした存在)、
ルノーはカスティーリャ、あるいはイングランドのような存在とたとえれば良いでしょうか(三菱自は北アイルランド?)。今秋から、そのルノーがあたかも imperial な意思(支配欲)を内々に表明した or そうした動きを日産の幹部が感知したことで、一挙に事態が動き出した‥‥。不十分な情報ながら、そう推測しました。

2017年9月14日木曜日

南西アイルランド

 帰国してみたら、No sooner had I arrived in Tokyo than . . . というわけで、暑いだ涼しいだと言ってる間もなく、母の看病モードに移行してしまいました。

 それにしても8月のアイルランド紀行で、もう一つ書いておかねばならないのは、南西地方の海港の豊かさでした。
海路でフランスやスペインと往来するのは案外近い。Kinsale の海の料理がおいしいのは、あきらかにその影響でしょう。旧デズモンド家の城は今ではワイン博物館になっていました。コーク市の評判の大聖堂ばかりでなく、コーヴ(Cobh)でも、ヨール(Youghal)でも、立派な教会堂が迎えてくれました。
 18世紀コークがバターの生産と輸出で栄えたとか、Wolfe Tone が手引きしたフランス軍の上陸(の失敗)とか、そういえばどこかで読んだなぁという史実も、その舞台に立って改めてモニュメントとともに見ると、甦ります。
 R. R. Palmer, The Age of the Democratic Revolution, II (Princeton, 1964) pp.271-2 における1796年、バントリ湾の上陸策の不首尾について昔(1979-80年、名古屋でした!)に読んだときには、リアリティのない逸話でした。今回、寒冷前線と虹に迎えられてバントリ湾に降りたち、細身のウルフ・トーン像に挨拶し、また丘を登ってホワイト(Viscount Bantry)の邸宅の庭から旧式の大砲とともに湾を遠望して、
 「強者どもが夢のあと」
という思いを強くしました。パーマによると、トーンはパリで孤独で、バブーフの陰謀については知らされないまま執政政府に全幅の信頼をおいていたのでした。p.250. 

 内陸部と海港との違いは、他でもそうだが、アイルランドの場合にとくに甚だしいということでしょうか? 近世・近代以前にも、トリスタン・イズーの伝説の時代から、このビスケー湾(ブルターニュ)、イギリス海峡(コーンウォル)、聖ジョージ海峡(ウェールズ、アイルランド)の繋がりはきわめて重要でした。中世前半のキリスト教伝来も、ジャコバイトの移動路としても、そしてカトリック避難民が醸造酒・蒸溜酒のノウハウとともに大陸へ逃れる(wild geese ならぬ wine geese の)経路としても、この南西の海の道が決定的でした。キンセールのワイン博物館が雄弁に語っているとおりです。

2016年11月26日土曜日

世界史の奔流


「アダム・スミス以来の普遍性と世界資本主義のチャンピオンだった英米両国があいまって、世界史の潮流を変えそうな大事件」が続きました。これについて黙っていられなくて、『図書』が機会を与えてくださったので、
EUと別れる? イギリスのレファレンダムと憲政の伝統
という文章を寄稿しました(来1月号)。https://www.iwanami.co.jp/tosho/
問題を全面的に分析して論じる余力はないので、1) イギリス史の「アイデンティティと秩序」を長期にわたって叙述した者として、また 2)「戦争と宗派対立の続いた近世ヨーロッパにおける諸国家システム、‥‥複合的な国のかたち」を討論している者として、したためたメモに過ぎません。ケーニヒスバーガやフォーテスキュの名も出しましたが。
時代の奔流、危機感のなかで、新しい思考は生まれる、ということでしょうか。

その直前直後に読んだのは(『ハムレット』関連に加えて)
・Emanuel Todd 『問題は英国ではない、EUなのだ』(文春文庫, 2016) ← 7月3日の記事を含む
・Dani Rodrik, The Globalization Paradox: Democracy and the Future of the World Economy (Norton, 2012)
・Frank Trentmann 『フリートレイド・ネイション:イギリス自由貿易の興亡と消費文化』(NTT出版, 2016) ← 7月付の「日本語版への序文」を含む
・秋田茂ほか『「世界史」の世界史』(ミネルヴァ書房, 2016)
・九鬼周造『「いき」の構造』(岩波文庫, 1979) ← 初版は1931年
でした。

2015年4月18日土曜日

ピケティの仕事

 The History Manifesto (2014)も明示的に The Communist Manifesto (1848)のパロディ、あるいは「虎の威を借りて」登場したマニフェストといった側面がありました。別にこう言ったから The History Manifesto の価値が貶められるとは思いません。若い人に『共産党宣言』って何だ?と喚起する波及効果もあるし‥‥
Thomas Piketty, Le Capital au XXIe siècle (2013; みすず書房 2014)もまた Das Kapital (1867)を21世紀的に横領した命名です。でも、これは非難や否定ではない。
 → http://www.msz.co.jp/book/detail/07876.html


 ピケティの『21世紀の資本論』が力強く目覚ましいのは何故か。けっして一部でいわれているような
・「格差」の深刻さ/不可避性を明らかにした、とか
・日本の将来のための有効な処方箋が示されている、とか
いったことではない。ピケティは社民党や共産党の広告塔ではありませんし、アベノミクスの批判者として登場したのでもありません。
12月~3月くらいの新聞雑誌・テレビにおけるすごいブームが、年度替わりとともに後退したかにも見えますが、これはマスコミの浮気心の証拠ではあれ、ピケティの仕事の限界でも何でもありません。

 むしろ、学問的に彼の方法と議論がすばらしいのは、
1) 短期でなく歴史的に長期の(3世紀にわたる)データを集積し分析することによって、クズネッツの短期分析の誤り(時代に拘束された楽観論)を明らかにし、それまで見えなかった長期変動と法則性を見えるようにしてくれたこと【この点で、マルクス『資本論』における議会刊行物を使った本源的蓄積[原蓄]の長い歴史よりもずっと計量的で説得的な議論を呈示している】;
2) 「国民経済の型」があるとしても、それは50年以上もすれば変わりうることを示し;
3) 1930年代~70年頃までに(万国共通とはいわないが)多くの国で特異な民主的移行期を経験したこと、を説得的に明らかにしているからでしょう。
ぼくなら、経済分析における(久々の)歴史的dimensionの復権、or 歴史学における経済分析の再登場、or もっと端的に歴史学のルネサンスといいたい。

 なお以上に加えて、4) 付随的に、ニューディール期からヴェトナム戦争期までの間に成長し、知的形成をおこなったインテリたち(民主的知識人)の存在被拘束性があばかれ;丸山真男、岡田与好、柴田三千雄、二宮宏之、遅塚忠躬、和田春樹から、ずっと下って、近藤にまでいたる、知と発言が相対化されているのではないでしょうか? 民主主義の歴史化。日本現代史の相対化。そういったすごい仕事だと受けとめました。

 学問は、その政策的な提言・有効性で評価するのでなく、その知的なインパクトで評価したい。

2014年6月25日水曜日

岡田与好先生

 悲報です。岡田与好先生が5月27日に亡くなったと、Yさんから知らされました。旧臘『イギリス史10講』をお送りしても何の反応もなく、覚悟はしておりましたが。1925年のお生まれで、88歳でした。

 1971年7月、留年後に大学院に入ったばかりのぼくは、西洋史では柴田三千雄、成瀬治、経済学研究科では高橋幸八郎、岡田与好と4つの演習をとりました。高橋ゼミについては「美女逸話」以上に、なにひとつ学びませんでしたが、岡田ゼミでは鍛えられました。同期に森、梅津といったICU組、奥田、八林といった秀才組がいたのも良かったけれど、先生からはイギリス経済史よりも、「ゆらぎ/隙のない文章を書く」ということを教えられました。リベラルな西洋史の温暖な空気のなかだけで育った人とは、ちょっと違うトレーニングを受けたと思います。
 かくいうぼくはいい気なもので、修士2年のとき、卒論そのままの「産業革命期の民衆運動(上)」『社会運動史』2号(1973年1月)をご覧に入れたら、「読んでから」とのことで、1・2週間後、社研2階の先生の研究室にうかがいました。
その午後にわが慢心は打ち砕かれ、社研の玄関を出て、冬の日没後の欅並木を仰ぎみて、身体から力が抜けました。なにしろセッションの終わりの先生の言は「なお、道遠し、だな」というのでした。齢25歳、まだ人生の「日は暮れて」いなかったし、この時点で早々と根拠のない自信を打ち砕かれておいて良かったのだ‥‥、と振り返るのはずっと後年のこと。ぼくはしばらく何をしてよいのか、勉強が手に付かなかった。でも、とにかく「産業革命期の民衆運動(下)」『社会運動史』4号(1974年9月)については、全面的に書き改めました。そして社研の助手になりたい、と心底思ったものです。
 それから10年あまり、イギリス留学から帰国したぼくが社会文化史的な論文をドンドン書くようになってからは、先生との距離は広がってしまいました。とりわけ「シャリヴァリ・文化・ホゥガース」『思想』740号(1986年2月)には先生は否定的で、ぼくの側はふたたび自信家に戻っていたので(!)、いつだか本郷の飲み屋「大松」に同行して以後、親しくお話しすることはなくなってしまいました。

 最後にお話しできたのは、2000年3月14日、米川伸一さんをしのぶ会東京国際フォーラムで開かれたあと、新幹線で仙台に帰る吉岡昭彦さんを送りがてら、東京駅の手前の地下の小さな店に入って軽食を摂ったときです。吉岡昭彦・岡田・二宮宏之・渡辺格といった方々の末席をぼくが汚すという陣容でしたが、(ふつうなら会食しないメンツです)楽しく懇談して、最後に岡田先生が「これも米川くんが引き合わせてくれたお陰だな」と言ってくださって散会したのです。
 厳しくもやさしい先生でした。