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2022年11月5日土曜日

大きな問いを取り戻す

 昨夜(金)に「西洋史学の出版の今とこれから」について書いたことで、落ちていた重要な論点は、「大きな問いを取り戻す」という鈴木哲也さん(京都大学学術出版会)の最初の問題提起です。これは2つの理由で、ただちには触れられませんでした。

 第1に、「大きな問いを取り戻す」なんて、当たり前でしょ、ということ。レンガをいくら集めても建物(家屋)にはならない。レンガの集積より以上のことをしなければ家は建たない、というのはE・H・カーもアーノルド・トインビーも言っていたことです。
たとえば、『歴史とは何か 新版』p.18 では「‥‥微に入り細をうがつ専門研究が、ますます小さなことについてますます膨大な知識をもつ歴史家候補生たちによって、巨大な山のように積みあげられ、事実の大海に跡形もなく沈んでいます。」
同じく pp.11, 276 では「大工の棟梁」architect、そのわざ architectonic という語を用いて、学問的構想力の必要を論じていました。
 また、ぼくたちの先生の世代からは、若い院生のゼミ報告のあと、まず最初に「そんな(チャチな)ことをやっていて、どこがおもしろいんだ?」といった対質を受けるケースを、しばしば見てきました。つまり、戦中戦後を知っている学者たちの強い問題意識/意志が若い世代に共有されなくなった1970年前後からの、長い齟齬の時代。その齟齬が、ハードアカデミズムjournal-driven researches という形でバイパスされているとしたら、空虚な時代ですね。

 第2には、そもそも京都大学学術出版会の誕生にかかわる、八木俊樹さんを想い出すからです。京都大学学術出版会の本を手にした人は、なぜこの publisher は「京都大学出版会」でなく、わざわざ「学術」と名乗っているか、ご存知ですか?
 すでに1970年代には京都大学を中心に University Press を立ち上げようという話は動いていて、さまざまの交渉が交錯したようですが、そのなかに(当時まだ社会思想社にいた)八木俊樹さんがいました。そしてこの社会思想社と八木さんは、他ならぬ「社会運動史研究会」にも関与していたので、ぼくたちも東京で、京都で、八木さんの人柄に触れる機会があったわけです。『歴史として、記憶として:「社会運動史」1970~1985』(御茶の水書房、2013)の巻末索引および略年表;そして彼の遺著『逆説の對位法(ディアレクティーク) 八木俊樹全文集』(2003)を参照してください。
 「社会運動史研究会」が1970年代のもろもろの尖鋭性と発達不全の限界を持ちあわせていたことは、『歴史として、記憶として』からも容易にうかがえると思います。そのなかで八木さんは、研究者のチンマリした「小業績」には関心なし、でした。こわい御意見番でした。

2022年11月4日金曜日

西洋史学の出版の今とこれから

 昨3日(木)には、京大の西洋史読書会大会で、シンポジウム「西洋史学の出版の今とこれから」 https://www.bun.kyoto-u.ac.jp/european_history/eh-dokusyokai-new/ があり、Zoomにて視聴しました。多くの関係する方々の十分な協力があってこそ実現したのだろうと想像されますが、すばらしい企画でした。
 個人的経験として、一著者が幸運にも有能な編集者・出版人と知りあって、一緒に仕事する過程でいろいろな助言を得て、学習し、ゆっくり育つということはあったでしょう。【ヴェテラン編集者の場合は、逆方向のヤリトリで学習をくりかえしつつ、逞しく育つのでしょう。】しかし、今回のように4種の出版について、それぞれ編集者=著者間の良き友情もうかがわせつつ、経験と教訓が公共的に語られたのは稀有なことです。若い研究者には未知の世界を垣間見た思いでしょう。
 感動のあまり、一人の胸に収めることあたわず、以下、順不同で感想を述べます。

・佐藤公美さんは(他の問題とともに)何語で書くかという論点を呈示され、これはまじめな外国史研究者の悩んできた問題です。もうすこし(別の機会にでも?)語り合い、深めるべきかと思いました。
 また専門論文は、著書という形でなくとも、専門誌や論集への寄稿という形での publication があるわけで - そのほうが読まれる機会も相対的に多かったりして -、ガチの専門書出版は、助成金なしには難しいですね。とはいえ、佐藤さんの報告は多岐にわたりましたが、「文体」の指摘も含めて、もっとも深く考えられた感動的なものでした。心ゆさぶるものがありました。

・白水社の糟屋さんが、出版サイドの判断として、厚い本だからといって困るとは限らない、むしろ薄くて苦労することもある、とは眼から鱗でした! コスト計算が合理的に成り立ち、内実のともなう本でさえあれば、良心的な出版社は OK してくれるのですね。内実しだいというのは、心強い。

・金澤周作さんも言われたとおり、一般学生(あるいは積極的な高校生)にとって新書は学問(考えること)への良き道案内です。岩波書店の飯田さんの巧みな表現によれば「観光案内」なのですから、ぜひ実力ある執筆者にはまじめに/本気で取り組んでほしいと思います。じつは一般学生や読者だけでなく、他分野の専門家にとっても、岩波新書は最初に頼れる導師、信頼できる博識な「観光ガイド」なのです。
 ただし、たとえば柴田三千雄は中公新書と岩波新書を書いたけれど、二宮宏之は書かなかったというように、向き不向き/ときどきの巡り合わせはあるでしょう。それにまた、新書ばかり量産している方は、あまり近くに居てほしい人ではありません‥‥。
 ポイントはむしろ新書かどうかよりも、低価格の(今日では2000円未満くらい?)、しかも目に止まりやすい出版が、ひろく知的に飢えた若者向けに必要なのだと思います。小山哲・藤原辰史『中学生から知りたいウクライナのこと』の場合は、迅速な公刊という点でも、特別な賞賛と推奨に値する出版でした。

・井上浩一さんと江川温さんのやりとりから展開して、討論されたとおり、翻訳および新書の苦労と成果についても、しっかり踏みこんだ、批判的な書評がぜひ必要というのは、大賛成です。

・最後の松本涼さんがアウトリーチ、「協働」について具体例を紹介してくれました。ぼくにはちょっと別世界の感がありますが、それぞれの世代、それぞれの感性にたいするアプローチは必要でしょうね。ただしぼく自身が関われるのは、せいぜいブログまでです!

 感激のあまりの、妄言多謝です!

2020年2月11日火曜日

川島昭夫さん(1950-2020)

 川島さんが2月2日に亡くなったと、先ほど知らされました。69歳。

 1950年生まれ、あるいは1969年の京都大学入学者には人も知る逸材が多くて、(西洋史にかぎらず)あの人も、この人も、という情況でした、今でもそうです。ぼくが川島さんを意識したのは(誰から聞いたのでしたか)越智武臣先生のもとにすごい逸材がいる、ということでした。17世紀あたりの科学史やものの歴史、近代のantiquarianism といった変なこともやってる自由人!
 たしか父上は『西日本新聞』の記者で、そうした点でも、かつて『朝日新聞』九州本社に勤務した越智先生と話が通じやすかったのでしょうか。広く自由な興味関心のままに、京都の教員生活を楽しまれたのかな。いつだかの年賀状には、俳句をひねることもある、と記されていました。
 20年以上前のなにかの学会で、「こんなアホな報告、聞いていられない」と途中で廊下へ出たら、すでに廊下に退出していた川島さんと目が合って、あはは、となったこともありました。ぼくの「自由の度合い」は川島さんのそれに一歩出遅れている、ということかな。
 いまさらの恨み言をひとつしたためると、『岩波講座 世界歴史』16巻〈主権国家と啓蒙〉に執筆してくれるはずだったのに、どれだけ待っても原稿を出してくれず、1999年夏、ぼくがオクスフォードに滞在して自分の原稿の仕上げにアタフタしているうちに、岩波書店がこれ以上は待てないとのことで(当時はファクスおよび紙媒体の郵便のヤリトリでした)、結局見切り発車となってしまいました。そのときの「月報」には、正誤表のあとに、
 「本巻掲載予定の‥‥「森林と法慣習」(川島昭夫)は、都合により収載できませんでした。読者の皆様に深くお詫び申し上げます」
と記されています。
 その翌年の Anglo-Japanese Conference of Historians (IHR, 28 Sep.2000) ではオブライエン司会で
 British colonial botanic gardens and Edinburgh
という報告をなさいました。Respondent はキャナダインでした。
 谷川・川島・南・金澤(編著)『越境する歴史家たちへ』(ミネルヴァ書房、2019年6月)には寄稿されていません。
 最後にお会いしたのは京大の構内で、あわただしく挨拶しただけでした。川島さんが65歳で定年退職なさった直後ですから、4年前でしたか。ぼくも彼もそれぞれの研究会合に向かう途上で、こんなに急いで別れて良いのだろうか、とそのときも心残りでした。

 ご冥福をお祈りします。

2019年5月16日木曜日

近代社会史研究会(1985-2018)

 ミネルヴァ書房より『越境する歴史家たちへ:近代社会史研究会(1985-2018)からのオマージュ』到着。谷川稔・川島昭夫・南直人・金澤周作の四方による編著ですが、「近社研」という京都の集いの生誕から消滅まで、[序章]谷川稔の語り、[第一部]何十人もの関係者の語り、[第二部]記録篇、という3つのレヴェルを異にした証言が編まれて、独特の世界=小宇宙が再表象されています。
 ぼく自身も書いていて「1986~98年の近社研」との個人的かかわりをしたためていますが(pp.172-175)、別に何人かの方々の証言のなかで一寸言及されていたり、また(川北・谷川論争の翌月なのに、何もなかったかのごとき)ぼく自身の「報告要旨:民衆文化とヘゲモニー」(pp.330-331)が採録されていたり、‥‥そうだったなぁ、という感懐をもよおす出版です。
 近社研の運営にはいっさいかかわることなく、ゲスト・一出席者としてのみ関係したわたくしめなので、漏れ聞いていた諸々と、今回の編集出版のご苦労には頭が下がります。
 歴史学方法論ということでは、記憶と記録の交錯、ひとの記憶や記録と出会い、それが繰りかえされることによる「上書き」、そして「フェイク・ヒストリー」の可能性にまで谷川さんの「あとがき」は言及しています。金澤「あとがき」では「史料編纂‥‥、非常に貴重な体験」と表現されています。たとえば1987年初夏に名古屋で、福井憲彦さんの『新しい歴史学とは何か』の書評会をやって、若原憲和さんとヤリトリがあった事実などは、ぼくは完全に忘れていました!
 この出版の企画を最初に聞いて執筆を依頼されたときには、「いまさら」という気もないではなかったのですが、一書として公刊されてみると、やはり出てよかった、と思います。谷川稔という人、そして色々あっても彼を盛り立ててきた良き友人たちのこと(そして、そうした時代)を理解するよすがにもなります。関係者の皆さん、ありがとう!

2017年1月30日月曜日

公開講座の動画

ご無沙汰しています。

1月は大学関係者にとって1年で一番忙しい月ではないでしょうか? こちらも卒業論文提出にとなう面談や応急措置、その卒論審査・口頭試問、修士論文(2本)の審査、博士論文(1本)の審査、その他の業務の間を縫って、原稿「文明を語る歴史学」を『七隈史学』に送り、原稿「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」を『立正大学・文学部論叢』に提出しました。この土日には京都大学で竹澤先生の「複合国家論の可能性」という思想史のシンポジウムがあり、濃密な「対話」に参加いたしました。

そんなこんなで、いつ登載されたのか知りませんでしたが、品川区のサイトに、10月12日の公開講義の動画が見られるようになっています。前後50分あまり×2 の講演とスクリーンの画像がたっぷり。ちょっと長いかもしれません。
http://www.shina-tv.jp/pickup/index.html?id=983
http://www.shina-tv.jp/pickupindex/index.html?cid=95

論文「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」は、この講演をもとに、EEBO からカール・シュミットから最近の出版まで含めて、まとめて勉強した成果でもあります。3月末~4月初に刊行予定です。

2016年11月26日土曜日

「いき」の哲学


 承前。『「いき」の構造』は今のように岩波文庫にはいるより前、ぼくが学生のときに、岩波書店が旧版のままの再刊を出して、その「いき」な装幀が話題になったので、薄い本なのに、と思いながら(!)初めて読みました。
パリと京都のエスプリ(?)を知る東京人・九鬼周造による英語圏の history of ideas のような才覚が際だちました。極端(ヤボ、下品)を排した、意気・粋・生きかたの解釈学として、全面的に感服します。だがしかし、悲しいかな、両大戦間の知識人として、議論を「民族的特殊性」へと絞りあげ、「いきの核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たのである。」(岩波文庫版、p.107)としてしまう。そうしないと収まらない、時代のなにか強迫的な磁場のようなものがあったのでしょうか。

 にもかかわらず、次のようなコメントがあるかぎり、この本は読まれ続けるべきです。その「序」の第2段落に
「生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。」
とあります。この「哲学」とは、狭義の哲学でもあるけれど、あのハムレットがホレイショに向かって言う
「天と地のあいだには、君の philosophy では思いもつかないことがあるのだよ」
の philosophy であり、また現在の欧米の大学における Ph D(Doctor of Philosophy)というタームに存続している、人文的な学問、学知、のことですね。ですから
「生きた学問は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。」
「生きた歴史学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。」
と、無理なく言い換えることができる。

 岩波書店の岩波文庫アンケートで、九鬼周造のドイツ・フランスにおける「経験を論理的に言表すること」に触れようとして、1冊につきたった90字の文字制限では、言いたいことを分かるように表現するのはむずかしかった。 背景としては、EU問題、ピューリタン史観への批判(中庸の再評価)も『史劇ハムレット』論も含まれていました。

 この2週間の帯状疱疹の苦しみから快復して、さて次の仕事は、立正大学の公開講座「インテリ王子ハムレットと学者王ジェイムズ」の録音起こしの校正に続いて、学問的な註を補い、これを論文『史劇ハムレット』論として仕上げることです。歴史学による文学批評の批判ですよ!

2013年5月6日月曜日

西洋史学会大会@京都大学


 まだまだ先と思っていたら、すでに次の日曜(12日)午後です!

 古谷代表による科研組織の研究プロジェクトにもとづく小シンポジウムですが、ぼくもその一端をになって「問題提起 - 礫岩国家と普遍君主」をやります。右肩の FEATURES をクリックしてください。その趣旨というか、前口上というか、こんなことです、とあらかじめお知らせします。礫岩(れきがん)=conglomerate とは、こんなにカラフルな堆積岩(さざれ石のイワオとなりて‥‥)です。
OUM

 ヨーロッパ近世史からの発言ですが、すこし広い意味合いもねらっています。

 この小シンポジウム全体は、いうまでもなく京都大学の準備委員会と古谷科研のおかげで実現するものですが、この feature ページの文責は近藤にあります。

2013年3月26日火曜日

京都・大阪にて


23(土)は京都大学で、24(日)は千里中央で、それぞれたいへん充実した会合がつづきました。東京よりちょっと寒いと思いましたが、高揚しました。

・京都(土)は近世史研究会。二宮宏之さんの仕事をどう継承し発展させるか、ということで、余所者ながら押しかけて発言してしまいました。中世や近現代、それからあまり関係ないかに見える方々もたくさんいらして、二宮さんの影響力というか啓発力をあらためて再認識しました。

小山さん、佐々木さんの進行の妙もあり、具体的な論点もそうですが、皆さんの誠意と相互の信頼関係が伝わって、すばらしい unforgettable な会合となりました。
二次会、三次会も含めて、* * さんを緊張させ、興奮させたのも、レアな機会でした!!
Ringo, the Beatles という店には初めて行きました。

・千里中央(日)は古谷科研で、ぼくは「礫岩政体(conglomerate polity) と普遍君主(universal monarch)」という問題提起。

じつは科研プロジェクトの3年めの小括でもあり、5月12日の西洋史学会大会小シンポジウムのための準備会でもありますが、ぼく個人としては勤務先の必要もあって、荒削りの覚書をすでに『立正史学』113号(2013年5月刊)に書きました。

土曜の討論と連続する部分を集団的に反芻しつつ、さらにわれわれ的に先を見すえて、近世的秩序について議論できて、たいへん効果的でした。教会(君主の司祭性)や概念史の重要性、同時代的競合、世界史的広がり‥‥、The world is not enough.

皆さまには、請うご期待、としか今は言えませんが、まもなく/やがてホームページを開設するとのことで、パブリックな討論もできるかと思います。

念のために申しますが、ときにドラスティックな批判・飛躍とみえるときもあるかもしれない学問も、継承的にしか発展しない。マンタリテやソシアビリテや社団的編成や etc. の時代は終わって、いまや礫岩政体論の時代だ、といった(新商品の)販拡キャンペーンではけっしてありません。

ヨーロッパ近世史の資産を継承しつつ、フランス中心主義を相対化し、もうすこし広いパースペクティヴ、もうすこし(focusを深く)長い時間軸で〈秩序問題〉を再考したいのです。そうすることによって二宮さんの知的洗練もあたらしい意味をもつでしょう。

三間堂という店も悪くなかった!

2013年3月16日土曜日

二宮史学の不思議


 3月23日(土)に京都大学で開かれるコロクにも、5月12日(日)の西洋史学会大会シンポジウムにもかかわりますが、関連して、二宮宏之(1932~2006)さんのお仕事について、「礫岩政体と普遍君主:覚書」(『立正史学』 2013年5月刊で二言したためました。その最後の段をちょっと抜粋させてください。

【前略】
A. 「フランス絶対王政の統治構造」およびこれと不可分の「社団的編成と「公共善」の理念」が一揃いになって、フランス社会史および国制史の研究蓄積を知悉した二宮による近世王国の社団的編成と理念的統合の議論であり、これがまた、「六角形のフランス」というフランス史の人びとを拘束し続けた枠組への批判にもつながるものであったことは、いまさら言うまでもないでしょう。編著『深層のヨーロッパ』(山川出版社、1990)もその一つです。

B. しかし、1990年代以降になると、こうした多様で複合的で可塑性の政治社会や政治文化にはあまり論及することなく、からだとこころ、地域/家族の(顔のみえる)共同体に沈潜されたようにみえます。たしかに『マルク・ブロックを読む』(岩波書店、2005)では アルザス人、フランス人、共和主義者としてのブロックの重層的アイデンティティが語られていますが、エトノスの複合性をふまえたうえでの res publica 論やホッブズ的秩序問題、あるいは思想史・概念史(history of ideas)にかかわる議論は棚上げされたかにみえます。その理由については、宿痾のことがあるから軽々には憶測できませんが、それにしても、晩年の二宮の文化史的な内向の磁力が、追随する若手研究者におよぼす抑制的影響力をわたしは懸念しています。

 二宮は今でもすばらしい。その文章は人を魅惑します。だが、「六角形の枠組」をこえなければならないとくりかえされながらも、2000年代の内省的二宮は、六角形をこえて内外に浸透した秩序問題、そして概念史、世界史へと研究を広げようとする者にたいする抑止力でもありました。あたかも高橋幸八郎(1912~82)の理論的かつ個人的な魅力/呪縛が、1960年代・70年代の二宮と遅塚忠躬の自由な飛翔を抑止したのと似ているかもしれない。

 二宮はまた、G.ルフェーヴルの「革命的群衆」論文が集合心性の研究への橋渡しとしていかに枢要だったかを強調しますが、なぜか同じルフェーヴルの「複合革命」論には言及しません。柴田とも遅塚とも違って、二宮は革命の情況性にも国際的条件にも言及しないといった不思議が、わたしたちの前に残されています。 【中略】

 ‥‥根本的なところで、二宮宏之と E.P.トムスン(1924~93)には共通点があります。わたしは両者を批判的に継承したい。『二宮宏之著作集』第2巻「解説」(岩波書店、2011)にも書いたとおり、偉大な先達のたおれたあと、未完の課題を引き継いで前へ進もうというのが、わたしの立場です。
(C) 近藤和彦
 

2012年12月27日木曜日

いったい何やってんだ

Oさん、
今いったい何やってんだ!? と不審に思われているかもしれません。

1) 日英歴史家会議(AJC)の事後処理と proceedings 編集刊行、

2) 70年代現象としての社会運動史(『社会運動史』と戦後歴史学)、

3) 本国サラサはどこから来たか(本国更紗とイギリス資本主義)
  → 1月の科研合宿報告 → 『立正史学』)、

4) 礫岩国家と普遍君主(the world is not enough)
  → 日本西洋史学会大会の小シンポジウム(2013年5月12日@京都大学)、

5) その他、校務のたぐい、

というわけで、まるで schizo、同一性障害そのものではないか、と。

いえ、じつは、立正の講義もふくめて すべて 『イギリス史10講』(岩波新書)と関連し、その裏付けだったり、その執筆中に自己展開し始めたテーマだったり。

『10講』とは、即、柴田・二宮・遅塚史学から学びつつ、そこから脱皮する過程でもありました。一方の「従属論」(世界システム論)、他方の「修正主義」(contingency論) から学び、自分の道を探しあてる長い道のりでした。

1997年夏の企画会議から16年くらいかかっても、しごく当然と言いたいところ。なぜって、「最高のワイン」論ですので‥‥

2011年5月10日火曜日

柴田三千雄 先生

つつしんでお知らせいたします。

柴田三千雄先生(東京大学 名誉教授、フェリス女学院大学 名誉教授)は、
5月5日に肺炎のため亡くなりました。

1926年10月、京都・伏見のお生まれですから、享年84歳でした。
すでに近親者による密葬は済みました(ご遺族の意向を第一に考えて、広報は控えました)。

著書に『バブーフの陰謀』『近代世界と民衆運動』『フランス史10講』など。
他に旧『岩波講座 世界歴史』『世界史への問い』(いずれも岩波書店)の編集執筆、
そして高校の教科書『世界の歴史』『新世界史』『現代の世界史』(いずれも山川出版社)があります。
フランス共和国の学術文化功労勲章 Officier des palmes académiques を受勲。紫綬褒章も。

「しのぶ会」が 7月14日午後6時に東京大学・山上会館で予定されています。

2010年11月7日日曜日

‥‥京都やあらへん



 11月2日に京都の史学研究会でお話をする機会を与えられ、ついでにぼくの懐かしい原風景(の一部)を再確認してきました。2日、3日と快晴でしたし、北山もよーく見えた。百万遍から烏丸御池・烏丸丸太町あたりまでを徒歩で往復して、京のまちなかをゆったり見ることができたのも(予定になかった)収穫でした。
 9歳まで、阪急 桂 駅からのぼった月見ヶ丘の北窓から、なんとなしにいつも稜線を眺めていました。まわりは建て込んでなかったので、西山・北山・東山と遮るものなく見えました。
 「桂ゆうたら 京都やあらへん」
ゆうこと言やはった先生にも来ていただいて、「伝説」と「記憶」の創造・捏造について、木屋町のお店でしばらく再審することもできました。ありがとうございます。
 3日の読書会に出席するのも初めてでしたが、たくさんの懐かしいお顔に挨拶できて良かった。

 そこでも話題になった『イギリス史研究入門』については、こちらで対話が継続中です。お時間があったら、たっぷり10月26日の分まで遡ってご覧ください。

2010年10月15日金曜日

史学研究会(11月2日@京都大学)



 案内のポスターをいただきました。ありがとうございます。
 「モラル・エコノミー論を歴史的に再考する
という題で話をいたします。右上肩の FEATURES(ページ)に案内状を転載させていただきました。

 このブログでは、これまで以下のようなエントリで一寸づつですが関連ある発言をしてきました。

モラル・エコノミー(労働党の今日)↓
http://kondohistorian.blogspot.com/2010/09/blog-post_28.html
悲報(EPTの研究助手の死)↓
http://kondohistorian.blogspot.com/2010/10/blog-post_12.html
ウォーリク大学 現代史史料センター
http://kondohistorian.blogspot.com/2010/09/sent-to-coventry.html
ジョン・ウォルタ
http://kondohistorian.blogspot.com/2010/06/john-bron.html
ずっと前、2007年のインタヴューも関連します ↓ 
http://www.cengage.jp/ecco/2007/05/post-1.html
つまりディジタル史料論でもあり ↑
また、わが『民のモラル』(1993)の再考 ↓ という意味もあります。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~kondo/statet0402.htm
どうぞよろしく。