品川区公式チャンネル 「しながわネットTV」というサイトに、すでに今月初めから搭載されて、インターネット配信されているとのことです。
こちらからアクセスしてください ↓ ↓
http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/hp/menu000030400/hpg000030327.htm
近藤和彦:「インテリ王子ハムレット」と「学者王ジェイムズ」
これと同じコンテンツが youtube でも見られるということです。
前半 → (56分)
後半 → (42分)
なお、近藤の顔と声を見聞きしたくない方には、文章化したテクストだけを読めるようになっています。PDFで前半9ページ、後半7ページ。ダウンロードもできるはずですが、ただし、こちらには写真など図像は載っていません。
前編 pdf
後編 pdf
前から申しておりますとおり、これを学問的に再構成して根拠も明記した論文としては
「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」を『文学部論叢』のために書きましたので、こちらをご覧ください(3・4月に公刊)。
2017年2月13日月曜日
2017年2月11日土曜日
『みすず』656号
今晩、寒天に満月が冴え渡っていることにお気づきでしょうか?
どの大学でも一番慌ただしい時候で、空に月のあることさえ忘れるくらいでしょう。ぼくのほうも、暮れから正月にアタフタしながら2つの論文原稿を出し、学年末のあいつぐ校務と学外公務を凌いできました。今日、大学院入試を終えました。
ひとの原稿や書類を読み、コメントしたり、評点を付けたりする仕事については、女学校か短大くらいまでしか想像できない老母には、何度説明しても分かってもらえません。授業や試験が終わったなら、「すこしは暇じゃろう」と、毎年同じように繰りかえす会話ですが、授業や試験が終わってからこそが大事な季節なのですよ!
そうした間隙を縫ってしたため送った短文の一つを、『みすず』656号(1・2月合併号)に載せてもらっています。例の「2016年読書アンケート」です。2016年がシェイクスピア没後400年でもあり、ぼくの場合は、昔とった杵柄で、年の後半にいくつも読みました。今年挙げた本は、以下のとおりです(ここではごく簡略表記します)。
1 高橋康也・河合祥一郎編注『ハムレット』大修館シェイクスピア双書
(関連して、むかしの研究社詳注シェイクスピア双書、そして河合祥一郎訳『ハムレット』にも)
2 W.J.Craig (ed.), The Complete Works of William Shakespeare
3 Thompson & Taylor (eds), Hamlet: The Arden Shakespeare Third Series
4 Taylor, et al. (eds), The New Oxford Shakespeare: The Complete Works - Modern Critical Edition
5 草光俊雄『歴史の工房』
内容は、そちらを見てね。というより、これは拙稿「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」の個人的書誌エピソードのようなものです。拙稿のほうは、インタネットの認証制限サイトもフルに活用させてもらって仕上げました。
「読書アンケート」の寄稿者の大半は60歳以上とみえますが、ほんの少しながら、若い寄稿者も増えているんですね。
どの大学でも一番慌ただしい時候で、空に月のあることさえ忘れるくらいでしょう。ぼくのほうも、暮れから正月にアタフタしながら2つの論文原稿を出し、学年末のあいつぐ校務と学外公務を凌いできました。今日、大学院入試を終えました。
ひとの原稿や書類を読み、コメントしたり、評点を付けたりする仕事については、女学校か短大くらいまでしか想像できない老母には、何度説明しても分かってもらえません。授業や試験が終わったなら、「すこしは暇じゃろう」と、毎年同じように繰りかえす会話ですが、授業や試験が終わってからこそが大事な季節なのですよ!
そうした間隙を縫ってしたため送った短文の一つを、『みすず』656号(1・2月合併号)に載せてもらっています。例の「2016年読書アンケート」です。2016年がシェイクスピア没後400年でもあり、ぼくの場合は、昔とった杵柄で、年の後半にいくつも読みました。今年挙げた本は、以下のとおりです(ここではごく簡略表記します)。
1 高橋康也・河合祥一郎編注『ハムレット』大修館シェイクスピア双書
(関連して、むかしの研究社詳注シェイクスピア双書、そして河合祥一郎訳『ハムレット』にも)
2 W.J.Craig (ed.), The Complete Works of William Shakespeare
3 Thompson & Taylor (eds), Hamlet: The Arden Shakespeare Third Series
4 Taylor, et al. (eds), The New Oxford Shakespeare: The Complete Works - Modern Critical Edition
5 草光俊雄『歴史の工房』
内容は、そちらを見てね。というより、これは拙稿「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」の個人的書誌エピソードのようなものです。拙稿のほうは、インタネットの認証制限サイトもフルに活用させてもらって仕上げました。
「読書アンケート」の寄稿者の大半は60歳以上とみえますが、ほんの少しながら、若い寄稿者も増えているんですね。
2017年1月30日月曜日
公開講座の動画
ご無沙汰しています。
1月は大学関係者にとって1年で一番忙しい月ではないでしょうか? こちらも卒業論文提出にとなう面談や応急措置、その卒論審査・口頭試問、修士論文(2本)の審査、博士論文(1本)の審査、その他の業務の間を縫って、原稿「文明を語る歴史学」を『七隈史学』に送り、原稿「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」を『立正大学・文学部論叢』に提出しました。この土日には京都大学で竹澤先生の「複合国家論の可能性」という思想史のシンポジウムがあり、濃密な「対話」に参加いたしました。
そんなこんなで、いつ登載されたのか知りませんでしたが、品川区のサイトに、10月12日の公開講義の動画が見られるようになっています。前後50分あまり×2 の講演とスクリーンの画像がたっぷり。ちょっと長いかもしれません。
http://www.shina-tv.jp/pickup/index.html?id=983
http://www.shina-tv.jp/pickupindex/index.html?cid=95
論文「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」は、この講演をもとに、EEBO からカール・シュミットから最近の出版まで含めて、まとめて勉強した成果でもあります。3月末~4月初に刊行予定です。
1月は大学関係者にとって1年で一番忙しい月ではないでしょうか? こちらも卒業論文提出にとなう面談や応急措置、その卒論審査・口頭試問、修士論文(2本)の審査、博士論文(1本)の審査、その他の業務の間を縫って、原稿「文明を語る歴史学」を『七隈史学』に送り、原稿「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」を『立正大学・文学部論叢』に提出しました。この土日には京都大学で竹澤先生の「複合国家論の可能性」という思想史のシンポジウムがあり、濃密な「対話」に参加いたしました。
そんなこんなで、いつ登載されたのか知りませんでしたが、品川区のサイトに、10月12日の公開講義の動画が見られるようになっています。前後50分あまり×2 の講演とスクリーンの画像がたっぷり。ちょっと長いかもしれません。
http://www.shina-tv.jp/pickup/index.html?id=983
http://www.shina-tv.jp/pickupindex/index.html?cid=95
論文「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」は、この講演をもとに、EEBO からカール・シュミットから最近の出版まで含めて、まとめて勉強した成果でもあります。3月末~4月初に刊行予定です。
2016年12月31日土曜日
シェイクスピアの歴史意識
10月に立正大学でやりました公開講演の要録がパンフレットになりました。表紙を写真でご覧に入れますが、しゃれたデザインです。立正大学、品川区のどちらからこんなアイデアが湧いてきたのでしょう?
ぼくは例のとおり、悲劇のような史劇として「長い16世紀」のなかに『ハムレット』を読み解きます。
いろいろ読み直してみると、なんとヤン・コット『シェイクスピアはわれらの同時代人』(最初は1961)や、カール・シュミット『ハムレットあるいはヘクバ』(1956)といった先学の直観の後塵を拝した議論に過ぎないのかもしれません。彼らがポーランド人、ドイツ人といった具合に英語国民でないうえに、政治的・精神的な緊張のただなかで発言していたという事実は、重要でしょう。20世紀英・米そして日のインテリがぬるま湯のなかで、『ハムレット』はノンセンス劇だ、実存的危機がテーマだなどとのたまって収まっていたのが、可笑しくなる。
ぼくは例のとおり、悲劇のような史劇として「長い16世紀」のなかに『ハムレット』を読み解きます。
いろいろ読み直してみると、なんとヤン・コット『シェイクスピアはわれらの同時代人』(最初は1961)や、カール・シュミット『ハムレットあるいはヘクバ』(1956)といった先学の直観の後塵を拝した議論に過ぎないのかもしれません。彼らがポーランド人、ドイツ人といった具合に英語国民でないうえに、政治的・精神的な緊張のただなかで発言していたという事実は、重要でしょう。20世紀英・米そして日のインテリがぬるま湯のなかで、『ハムレット』はノンセンス劇だ、実存的危機がテーマだなどとのたまって収まっていたのが、可笑しくなる。
2016年12月19日月曜日
中之島センター & ダイビル
(承前)
17日の会は、大阪・中之島における『礫岩のようなヨーロッパ』をめぐる、ヨーロッパ中近世史の方々による合評会でした。執筆者も6名が出席し、企画者・司会のリードのおかげで、効率的に集中的に討論することができました。
中世から近世への移行の契機(?)をめぐって考えに違いのある場合も含めて、基本的な共通理解は確認できました。せっかくいらした並み居る論客も、時間の制約のもとでは自由に発言なさったわけではなく、その点は残念でした。同じく中之島のダイビル3階でも討論は継続。
自宅に着いてみると岩波書店から『図書』1月号が到来していました。http://www.iwanami.co.jp/magazine/
「EUと別れる? イギリスのレファレンダムと憲政の伝統」pp.7-11
という拙文を寄稿しましたが、最後に『礫岩のようなヨーロッパ』におけるケーニヒスバーガの「議会絶対主義」という語にも注意を喚起したものです。
6月23日のレファレンダムの結果は(当初のショックから落ち着いてみると)ただ右翼のデマゴギーの産物というだけではとらえきれず、複合的ですが、イギリス人にとって金科玉条の議会主権にたいするEUの侵犯、というキャンペーン言説がかなり効果的だったから、という一面もあります。その点で、トランプ旋風のアメリカ合衆国とはすこし違う。
ちなみに、フォーテスキュの dominium politicum et regale はイギリスの場合、
「議会と王権(という2つの別の機構)による主権の分有」
と理解してよいでしょうか? 否です。
イギリス憲政の理解では politicum et regale は King in Parliament (議会のなかの王、王とともにある議会)として現象します。
近代には、行政は責任内閣制;司法も貴族院の司法議員 law lords が最高位(つまり最高裁は議会(貴族院)の中にあった)。要するに、日本・合衆国・フランスのような三権分立でなく、三権がすべて議会のなかにある、そうした議会主権=「議会絶対主義」。
【EUから、司法の立法府からの独立を申し渡されて、2009年に独立しました】。
つまり dominium politicum et regale は、 politicum et regale が形容詞であることにも現れているように、2つの実体・機構による主権(権力)の分有をさすとは限らず、むしろ、mixed constitution をはじめとする歴史的な統治構造の分析概念として(のみ)有用なのかも、と未整理ながら、考えこみました。
【なお直江真一氏による「政治権力と王権による支配」(『法政研究』67, pp.545, 547註3)というのは、完全に混乱した誤訳です。http://ci.nii.ac.jp/naid/110006261848】
ついでに16世紀末イギリスの作品『悲劇の形をとった史劇、デンマーク王子ハムレット』についても進展があります。いずれ、また後日に。
17日の会は、大阪・中之島における『礫岩のようなヨーロッパ』をめぐる、ヨーロッパ中近世史の方々による合評会でした。執筆者も6名が出席し、企画者・司会のリードのおかげで、効率的に集中的に討論することができました。
中世から近世への移行の契機(?)をめぐって考えに違いのある場合も含めて、基本的な共通理解は確認できました。せっかくいらした並み居る論客も、時間の制約のもとでは自由に発言なさったわけではなく、その点は残念でした。同じく中之島のダイビル3階でも討論は継続。
自宅に着いてみると岩波書店から『図書』1月号が到来していました。http://www.iwanami.co.jp/magazine/
「EUと別れる? イギリスのレファレンダムと憲政の伝統」pp.7-11
という拙文を寄稿しましたが、最後に『礫岩のようなヨーロッパ』におけるケーニヒスバーガの「議会絶対主義」という語にも注意を喚起したものです。
6月23日のレファレンダムの結果は(当初のショックから落ち着いてみると)ただ右翼のデマゴギーの産物というだけではとらえきれず、複合的ですが、イギリス人にとって金科玉条の議会主権にたいするEUの侵犯、というキャンペーン言説がかなり効果的だったから、という一面もあります。その点で、トランプ旋風のアメリカ合衆国とはすこし違う。
ちなみに、フォーテスキュの dominium politicum et regale はイギリスの場合、
「議会と王権(という2つの別の機構)による主権の分有」
と理解してよいでしょうか? 否です。
イギリス憲政の理解では politicum et regale は King in Parliament (議会のなかの王、王とともにある議会)として現象します。
近代には、行政は責任内閣制;司法も貴族院の司法議員 law lords が最高位(つまり最高裁は議会(貴族院)の中にあった)。要するに、日本・合衆国・フランスのような三権分立でなく、三権がすべて議会のなかにある、そうした議会主権=「議会絶対主義」。
【EUから、司法の立法府からの独立を申し渡されて、2009年に独立しました】。
つまり dominium politicum et regale は、 politicum et regale が形容詞であることにも現れているように、2つの実体・機構による主権(権力)の分有をさすとは限らず、むしろ、mixed constitution をはじめとする歴史的な統治構造の分析概念として(のみ)有用なのかも、と未整理ながら、考えこみました。
【なお直江真一氏による「政治権力と王権による支配」(『法政研究』67, pp.545, 547註3)というのは、完全に混乱した誤訳です。http://ci.nii.ac.jp/naid/110006261848】
ついでに16世紀末イギリスの作品『悲劇の形をとった史劇、デンマーク王子ハムレット』についても進展があります。いずれ、また後日に。
2016年11月26日土曜日
「いき」の哲学
承前。『「いき」の構造』は今のように岩波文庫にはいるより前、ぼくが学生のときに、岩波書店が旧版のままの再刊を出して、その「いき」な装幀が話題になったので、薄い本なのに、と思いながら(!)初めて読みました。
パリと京都のエスプリ(?)を知る東京人・九鬼周造による英語圏の history of ideas のような才覚が際だちました。極端(ヤボ、下品)を排した、意気・粋・生きかたの解釈学として、全面的に感服します。だがしかし、悲しいかな、両大戦間の知識人として、議論を「民族的特殊性」へと絞りあげ、「いきの核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たのである。」(岩波文庫版、p.107)としてしまう。そうしないと収まらない、時代のなにか強迫的な磁場のようなものがあったのでしょうか。
にもかかわらず、次のようなコメントがあるかぎり、この本は読まれ続けるべきです。その「序」の第2段落に
「生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。」
とあります。この「哲学」とは、狭義の哲学でもあるけれど、あのハムレットがホレイショに向かって言う
「天と地のあいだには、君の philosophy では思いもつかないことがあるのだよ」
の philosophy であり、また現在の欧米の大学における Ph D(Doctor of Philosophy)というタームに存続している、人文的な学問、学知、のことですね。ですから
「生きた学問は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。」
「生きた歴史学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。」
と、無理なく言い換えることができる。
岩波書店の岩波文庫アンケートで、九鬼周造のドイツ・フランスにおける「経験を論理的に言表すること」に触れようとして、1冊につきたった90字の文字制限では、言いたいことを分かるように表現するのはむずかしかった。 背景としては、EU問題、ピューリタン史観への批判(中庸の再評価)も『史劇ハムレット』論も含まれていました。
この2週間の帯状疱疹の苦しみから快復して、さて次の仕事は、立正大学の公開講座「インテリ王子ハムレットと学者王ジェイムズ」の録音起こしの校正に続いて、学問的な註を補い、これを論文『史劇ハムレット』論として仕上げることです。歴史学による文学批評の批判ですよ!
2016年10月14日金曜日
悲劇的な史劇 or 悲劇の形をとった史劇
【承前】 そもそも『ハムレット』の正規の題は The tragical history of Hamlet, Prince of Denmark です。高貴のプリンスは、ルターのヴィッテンベルク大学をちゃんと卒業したのか留年中なのか、むしろNIETなのか、よくわからない状態で実家のエルシノール城に戻ったのです。
あたかも実存哲学的な科白と筋を展開しつつ、1600年前後の〈諸国家システム〉における王位継承のあやうさと王殺し、母子の関係のアクチュアリティを埋め込むことによって、『ハムレット』は多義的で近世的な作品として呈示されています。おそらくシェイクスピアは相当の自負心をもって、ロンドンの観衆・聴衆・読者にむけて、ヨーロッパ事情と寓意に満ちた作品を見せつけました。それは「悲劇の物語(history)」でもあり、「悲劇の形をとった史劇(history)」でもあり、歴史的な悲劇でもある。
複合君主政のイギリスはステュアート家による代替わり(1603)の直前直後でした。しかもジェイムズの母は「淫乱のメアリ」! 父(夫)殺しに積極的に関与していました。 ロンドンの観衆は、複合君主政(しかも選挙王制)の「デンマーク・ノルウェイ王国」における王位継承の悲劇を人ごとでなく受けとめたでしょう。「淫乱の母」とその一人王子も含めてハムレット家は劇の終わるまでに全滅し、その宰相ポローニアス家も死に絶える。いったい王位はどうなるのか。
ハムレット王子が息絶える前の最後の言葉は、1) 学友ホレイショにむけて、見たこと my story をしっかり伝えてくれ、2) election があればノルウェイ王子フォーティンブラスが勝つだろう、he has my dying voice、と言って死ぬのです。父王フォーティンブラスと父王ハムレットのあいだの古き意趣がここで想起され、1524/36年~1660年のあいだ、選挙王制をとる「デンマーク・ノルウェイ」の複合君主政がここで機能し始めます。
劇末にてフォーティンブラスが盛大に葬式を執り行うのは、王位継承を受けての喜びの、公的行事なのでした。
そもそも父ハムレットが死んでその一人王子ハムレットが王位を継承しなかったのは、臣民の賛同が得られないから[人望がないから]、ということが含意されています。(まだ学生だから、ではありません。事実、メアリはほとんど生後まもなく1542年に、ジェイムズは1歳に満たずして1567年に王位を継承したのですから。)
12日夕の公開講演は、この間、ケインブリッジのワークショップから、福岡大学の七隈史学会も、映画論も含めて、スキッツォ的に拡散しがちなわが関心事が、近世的・礫岩的に連結した瞬間でした! いらしてくださった皆さん、ありがとう。 いらっしゃらなかった皆さん、いずれ録画配信、あるいは書き物で。
2016年10月13日木曜日
『ハムレット』
ご無沙汰しました。学期の始まりと、「東奔西走」とまでは言わないが、いろいろなことが続き、blogに書き込む気になれない、という日夜でした。
昨12日夕には、立正大学の公開講座(品川区共催)で、没後400年 シェイクスピアを視る という企画の一環(第3回)として、
「インテリ王子ハムレット」と「学者王ジェイムズ」
という話をしました(品川区から録画チームが来て無事収録できたようですから、いずれインターネット公開されることになると思われます)。
ロンドンからデンマーク、この間いろいろと撮りためた写真も使いながら、 -当然ながら、ズント海峡、エルシノールのクロンボー城、地の神の像の写真も見ていただきました- 文学研究の作品論とは異なる観点から『ハムレット』を見直し、1600年前後のロンドンの観衆・聴衆・読者がどう受けとめただろうか、論じてみました。一般むけで楽しく、しかしやや論争的なお話としました。
『デンマーク王子ハムレットの悲劇の物語』(1599から上演、刊本は1603~23に数版でます)が、じつに「礫岩のようなヨーロッパ」を地でゆく悲劇的史劇であることを最近に「再発見」したぼくの、エキサイトしたお話でした。
『ハムレット』を翻訳で読んだのは高校生のとき、さらに高校の図書館で研究社の対訳叢書(市河三喜監修)を見つけて、対訳註釈の付いた版で英語を読むよろこびを知りました。
To be or not to be: that is the question. から始まる一種実存哲学的な雰囲気と、言葉、言葉、言葉‥‥の溢れる警句的、寓話的な近世の宇宙を(今おもえば)このとき垣間見たのですね。16・7歳の少年が同年配の乙女にたいしてもつ、不安定な感覚もあいまって Frailty, thy name is woman. とか;時代にたいするカッコをつけたスタンスとして The time is out of joint. とか暗唱して悦に入っていたものです。もっとも
There are more things in heaven and earth, Horatio, than are dreamt of in your philosophy. というのは気取っているが、しかし青い高校生にとっては心底は理解できないままの科白でした。
‥‥のちのち大学院教師となって、ほとんど常識のつもりで『ハムレット』の科白を(日本語で)言ってみても、まるで反応のない院生が過半だと知ったときほどの驚愕(宇宙を共有していない!?)は、ありませんでしたね。それ以後またしばらく経って、『イギリス史10講』でシェイクスピアを引用するときにも、ちょっとだけ考えこみましたよ。結論は、「妥協しない」。著者として現実的に貫きたいことは貫く、というわけで、『イギリス史10講』には、(巻末索引に 37, 111 ページが採られているだけでなく)シェイクスピアに限らず、高校生にも読める英語のセンテンスが重要な論理展開の場面で、いくつか訳なしで書き込まれているわけです。
ところで、そうした「引用文に満ち溢れた」『ハムレット』という作品ですが、なぜかデンマーク宮廷にイングランドだけじゃなく、ノルウェイだかの使節や軍人が出入りしている;ドイツ留学やフランス留学が前提されているのは国際性の現れとしていいかもしれないが、劇の結末は、ノルウェイ王子が登場して、これから立派な葬式を執り行なおう、と宣言して終わる。‥‥これは、いかにも取って付けたというか、変なエンディング、という印象でした。しかし、高校生には手に余る問題で、以来、思考停止していました。
ローレンス・オリヴィエ監督・主演の『ハムレット』が、ぼくの受容原型で、それ以外は余分な粉飾(!?)のような気さえしていました。
こうした50年前(!)から棚上げしていたぼくの疑問と思考停止は、礫岩のようなヨーロッパ、複合君主政という視点をとることによって、眼からウロコが落ちるように氷解するのです! to be continued.
2016年9月14日水曜日
ヒトゴロシにもイロイロある
シェイクスピアの生まれはエリザベス1世の治政、1564年。ジェイムズ王への代替わり時には39歳で、創作力の頂点。亡くなるのは徳川家康と同じ1616年。ということは「真田丸」の同時代人でもあり、おもしろい話はたくさんあります。
立正大学文学部の公開講座ですが、ご案内申しあげます。
http://letters.ris.ac.jp/aboutus/koukaikouza/idkqs4000000293w.html
詳しくは↓
http://letters.ris.ac.jp/aboutus/koukaikouza/idkqs4000000293w-att/28kokaikoza.pdf
申し込み期日は厳密に考える必要があるのかどうか? むしろ数百人の湛山講堂が満杯であふれるといった事態を避けるためでしょう。
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