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2020年8月2日日曜日

さみだれを集めて‥‥


先週のことですが、NHKニュースで河川工学の先生が
さみだれを集めて早し 最上川
と朗じて、このさみだれとは梅雨の長雨のことで、流域が広く、盆地と狭い急流のくりかえす最上川は増水して怖いくらいの勢いで流れているんですね‥‥と解説しているのを聞いて、忘れていた高校の古文の教材を想い出しました。

さみだれを集めて早し 最上川 (芭蕉、c.1689年)
さみだれや 大河を前に家二軒 (蕪村、c.1744年)

 明治になってこの二句を比べ論じた正岡子規の説のとおり、芭蕉の句には動と静のバランスを描いて落ち着いた絵が見える。しかし、蕪村の句は、増水した大河に飲み込まれそうな陋屋2軒に注目したことによって、危機的な迫力が生じる。蕪村に分がある、というのでした。
 しかしですよ、子規先生! 
第1に、そもそも蕪村は尊敬する芭蕉の歩いた道を数十年後にたどり歩き、芭蕉の句を想いながら自分の句を詠んだわけで、後から来た者としての優位性があって当然です。ないなら、凡庸ということ。
第2に、句人・詩人なら、完成した句だけでなく、
さみだれを集めて涼し 最上川
とするかどうか迷い再考した芭蕉の、そのプロセスにこそ興味関心をひかれるでしょう。蕪村はそうしたことも反芻しながらおくの細道を再訪し、自らを教育し直したわけです。
 さらに言えば、第3に正岡子規(1867-1902)もまた近代日本の文芸のありかを求めて先人芭蕉、蕪村、明治のマスコミ、漱石との交遊、‥‥を通じて自らの行く道を探し求めていたのでしょう。そのなかでの蕪村の再発見だとすると、高校古文での模範解答は、論じる主体なしの芭蕉・蕪村比較論にとどまって、高校生にとっては「はぁそうですか」程度の、リアリティに乏しいものでした。教える教員の力量ももろに出ちゃったかな。

 たとえれば、ハイドンの交響曲とベートーヴェンの交響曲を比べて、ベートーヴェンのほうがダイナミックに古典派を完成しているだけでなく、ロマン派の宇宙をすでに築きはじめていると言うのは、客観的かもしれないが、おこがましい。ハイドンが楽員たちと愉快に試みつつ完成した形式を踏襲しながら、前衛音楽家として実験を重ねるベートーヴェン。啓蒙の時代を完成したハイドンにたいして敬意は失うことなく、しかし十分な自負心をもって新しい時代を切り開いてゆく。(John Eliot Gardiner なら)révolutionnaire et romantique ですね。

 両者を論評しつつ自らの道を追求したシューマン(1810-56)が、上の子規にあたるのかな。優劣を評定するだけの進化論や、それぞれにそれぞれの価値を認めるといった相対主義ではつまらない。自らの営為と関係してはじめて比較研究(先行研究)は意味をもつ、と言いたい。

2018年10月24日水曜日

両論併記? 文章の明晰さ

(承前)
 大庭さんおよび折原ゼミということで、トレルチの名が出ました。また、かつて戦後史学で大いに議論された「ルネサンスか宗教改革か」といった問題についても一言。

 ちなみに『岩波講座 世界歴史』16巻(1999)p.16 でぼくは、
‥‥「ハイデルベルク大学の神学教授トレルチはこういう。「‥‥ルネサンスは結局、生成しつつある絶対主義と抱き合うにいたり、この絶対主義国家の理論の建設をたすけ、その王権と宮廷の後光となる。ルネサンスはまた再建されたカトリック教会と抱き合い、総じて反宗教改革の文化としてはじめて、その世界史的影響はあらゆるものに浸透するにいたる。」 
要するに[トレルチによれば]「ルネサンスは社会学的には完全に非生産的なのである。」ルネサンスの目標とした人間は、‥‥、プロテスタンティズムが育成した職業人と専門人の正反対であった、と力強い。」
としたためました。同時にその20行ほどあとでは、
「‥‥[じつは]「反宗教改革」も「絶対主義」も近世的現象そのものだととらえなおすなら、トレルチの見解は党派的にさえみえる。非ヨーロッパとの関係を含めて時代の構造を考えるなら、なおさらである。」(p.17)と記しています。

 刊行後まもなく、これを読んだある人が、近藤は両論併記しているだけでどっちつかずだ、自分の見解はどこにあるのかと批評してくれたのには驚きました。自分のレトリックは通じない、とようやく自覚したのです。このとき1999年のぼくにとって、トレルチはプロイセン的・ハイデルベルク的な反カトリックのイデオロークであることは[折原ゼミでも東大西洋史でも知られていたとおり]読者にも共有されているはずで、その(福音主義的)偏見をこれだけ自己満足的に語っているのがおもしろくて、引用したのですが‥‥。こんなにもはっきり呈示された≒力強い偏見、と。
 しかし、99%の学生がウェーバーもトレルチも(もしかしたら岩波文庫も)読んでいない時代に、気取ってレトリックを弄してもナンセンス。むしろ素直な学生たちにもストレートにわかる文章を、という心構えは、ただの読者サーヴィスというのではない。より積極的に自分自身の思考を simple & clear に表現する、結局なにを言いたいのか、自他ともに誤解なく明らかにするために必要な心構えなのだ、と自覚したのは、まだしばらく後のことでした。
 そもそも近代の契機は「ルネサンスか宗教改革か」といった問題設定じたいに、無理があったのです。

 センテンスをできるだけ短く、論を明晰に、といったことは、欧文をいわゆる「逐語訳」≒後ろから「正確に」訳して満足するのでなく、むしろ可能なかぎり構文の順に -著者の頭に語・フレーズが浮かんだ順に- 訳すという心がけに通じます。欧語 → 日本語という翻訳だけでなく、日本語 → 欧語という翻訳、そして(ぼくの場合は)英語での発言、討論の経験を重ねるにつれて、これは実際的な知恵でもあり、枢要な姿勢にもなります。
 こうした、ことば(と文法)への繊細な感覚は、大庭さんからも、また後に続く尊敬に値するあらゆる学者からも学んだことでした。

2018年8月18日土曜日

堪え/がたきを堪え 忍びがたきを忍び


 「平成最後の夏(上)」のつづきです。『日経』の同じぺージに「終戦の詔書」の原本の写真があります。記者は詔書の日付が8月14日だということの確認のつもりで添えたのかもしれませんが、この写真はそれ以上に雄弁で、「玉音放送」を朗読した昭和天皇の「間」の悪さというか、演説の下手さかげんの根拠のようなことがようやく見えてきました。

 大きな字で清書してあるのはよいけれど、(昔の正しい国語らしく)句読点がまったくないばかりか、なにより行の切れ目と意味の切れ目が一致しない。
【以下、写真のとおり詔書を転写するにあたって、行の切れ目に/を補います。それから文の終わりに、原文にはないが「。」を補います。カナに濁点もありません。こんな原稿を手にして、なめらかに、リズミカルに朗読せよ、というのが無理というもの。】

【前略】  ‥‥爾臣民ノ衷情モ朕 善/
ク之ヲ知ル。然レトモ 朕ハ時運ノ趨ク所 堪へ/
難キヲ堪へ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ為ニ/
太平ヲ開カムト欲ス。/
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ 忠良ナル爾 臣/
民ノ赤誠ニ信倚シ 常ニ爾臣民ト共ニ在リ。/  【後略】

(わたしたちの感覚では)まるで清書した役人が意地悪だったのかとさえ憶測されるほど、パンクチュエーションもブレスも無視した原稿です。
 玉音放送のあの有名な「然レトモ 朕ハ時運ノおもむク所 堪へ[ここに1秒弱の空白]
がたキヲ堪へ 忍ヒがたキヲ忍ヒ‥‥[このあたりは順調に朗読]」
の読み上げで、音楽的にも文学的にもナンセンスな「間」が入ったのは、ご本人のせいではなく、じつは大書された原稿の行末から次の行頭へと縦に眼が移動する(Gに反する動きゆえの)物理的な「間」なのでした!
 詔書はマス目の原稿用紙ではないのだから、気の利く臣下だったら、(句読点の代わりに)数ミリの空白や文字の大小を上手に巧みにまじえて、行末で重要語のハラキリ、クビキリが生じないように清書できたでしょうに。【今日の NHKのアナウンサー原稿も大きな縦書きですが、句読点は明示し、なるべくハラキリ、クビキリの生じないように工夫しているでしょう。】
 陛下、まことにご苦労なさったのですね!

それにしても「爾(なんじ)臣民」のくりかえしが多い。上の6行だけで3回も!
 ポツダム3国(連合軍)の意向ににじり寄りつつ、「‥‥國體(こくたい)ヲ護持シ得テ 忠良ナル爾 臣民ノ赤誠ニ信倚シ」、天皇制を維持してよいというかすかな保証をなんらかの筋からえて嬉しい。なんじ人民も蜂起や軍事クーデタを企てることなく、「赤誠」の志を示してくれるなら、共にやってゆこうと祈念していたわけですね。

2018年4月23日月曜日

「られりろる」の入力

 先にも記した「られりろる」の入力というのは、こういう問題です。
一太郎ユーザは「ロンドン」とか「リスト」とかを入力する場合に、既成(デフォールト)モードでは rondonn とか risuto などと入力します。この(わざわざ L と R を間違って入力しなくちゃならない)ことで、不愉快極まる思いをしていませんか? 中学以来の L と R の区別、これがようやく苦労なくできるようになったあなたには、耐えがたい/屈辱的な感覚ですね。これを解決するには、
一太郎画面のテンプレートから
「ツール」 → 「オプション」 → 「入力モード設定」
とクリックして進むと、「ATOKプロパティ」という画面になります。
この画面で → 「キー・ローマ字・色」というタグをクリックすると
→ 「ATOK ローマ字カスタマイズ」
というぺージに入ります。ここで「設定一覧」をドンドン下へ行って、
下の写真の該当部分の「ローマ字」・「かな」の対応関係を変えればよいのです。
一太郎で悪さをしているのは L です。半死の L を本来の仕事をすべく、生き返らせましょう。
デフォールトの「設定一覧」で定められた
(la, le, li, lo, lu) → 小文字の(ぁ, ぇ, ぃ, ぉ, ぅ)
をば、
(la, le, li, lo, lu) → 通常の(ら, れ, り, ろ, る)
へと設定し直せば、すべて解決。
さらに、(lya, lye, lyi, lyo, lyu) → (ゃ, ぇ, ぃ, ょ, ゅ)をば、
(lya, lye, lyi, lyo, lyu) → (りゃ, りぇ, りぃ, りょ, りゅ)
へと設定すれば、明快になります。
かな小文字には l でなく x を添える方式がすでに設定されているので、問題は派生しません。

こうした結果、豊かで爽快な一太郎の沃野が拡がります。普通の単語登録に加えて、たとえば

 lo → ロンドン
 lago → ラテン語
 list → リスト
 ris → 立正大学

さらには『』(二重カギ)を出す煩わしさを解決し、また「し」 → 「史」への変換を一発で決めるために、
 riss → 『立正史学』
 s → 史

漢字変換・日本語作文で「一対一」対応の変換が効くというのは、爽やかで気持いいですよ!
もっと調子に乗って、「短縮読み」で
 141 → 東京都品川区大崎4-2-16
 iokou → 『イギリス史10講』
 iwanami → (岩波書店、)  この()と「、」のあるなしが書誌を記すとき、全然ちがってきます!
 kk → 近藤 和彦       わざと半角空けています!
 uk → 連合王国
 usa → アメリカ合衆国
 8c → 18世紀
 wp → ワープロ       
といった(それ以上、もっとすごい)快速のアクロバットもできます!

なお辞書登録にあたって、ワープロやメール、ローマといった、音引(ー)のためにブラインドタッチの両手の位置を浮遊させるのは、可能なかぎり避ける、というキーボード入力の鉄則も考慮しています。

こうして鍛えあげたATOKを使いこなすと、それ以外の日本語変換がバカみたいに見えてきます。振り返ると、ワープロ専用機「文豪」から、、ATOK、そして秀丸エディタの世界へと導いてくださったのは、1990年代の安成さん(と佐々木さん)でした。ご恩は忘れません。ありがとうございました。

2018年4月22日日曜日

Internet Explorer ではこのぺージは表示できません

 花も新緑もとてもテンポが早くて、味わう暇もない!

 31日に立正大学から French leave でも filer à l'anglaise でもなく、日本的に挨拶して辞去し、荷も撤収したのが11日(水)、大学院の最初の授業の日でした。そこまでは遅めながら何とか進んでいたのですが、じつは、その翌12日の午後に、なんと2009年からずっと付き合ってくれていた富士通の FMV D5270 ですが、その Internet Explorer がついに働かなくなったのです。
富士通の名誉のためにいえば、その本体は9年物で、老体ながらも、なお堅実に仕事をしています。東大生協で購入した2009年初から、比較的安くて問題のないデスクトップ・マシーンでした。 写真の右端、こんな環境で駆使していました。 

 PCに通じた方なら、たとえ IE がダメでも他のブラウザがあるではないか、とお思いでしょう。問題はそんなことではなく、Google Chrome については既に数ヶ月どころか1年以上前から作動しません。おそらく根本は OS なのです。購入したとき、本来は Windows Vista だったのですが、XP に慣れ親しんでいたし、そちらにダウングレイドして使うのが、当時の多くのハードユーザの嗜好で、ぼくもそうしました。
 では先年、MS がXPの更新を止めてからどうしていたのか?
慎重に手動で Microsoft Security Essentials の更新を続け、他のPC(いずれも Windows 10 です)と併用していました。そんな危ないことを‥‥という方が多いでしょうが、じつは(目を付けられていないかぎり)大丈夫。日本語のメールで正確な文章が必要なときには、こちらのXPで;大事な用件で間違いなくインターネット・アクセスしなくてはならない折には Windows 10 の端末で、といった二本立てでした。
それだけ FMV は BenQ の大きなモニタ、Sanwa のスリムで白いキーボードと相性がよく、なにより年季をかけて鍛え上げた一太郎および秀丸(いずれもATOKで動きます)が軽快に反応してくれました。もしや一太郎(ATOK)と相性が悪いのかもしれない? Windows 10 では、文章の作成中に苛つくこともありました。

 といった最近年の経過をへて、ついにインターネット接続を完全に拒否されたのが12日(木)。一日置いて再び試みても、事態は変わらず。
  Internet Explorer ではこのぺージは表示できません
というメッセージがでて止まります。
 とはいえ、これは想定内のことですから、Windows 10 のマシーンは2台(Surface Pro も含めれば、計3台)待機していました。

 早速に解決しなくてはならなかったのが、一太郎・秀丸(ATOK)と 10 のマシーンとの相性問題。これはそれぞれ最新の「一太郎 2018」および「秀丸 ver.8.79」に更新してみたら、あっけなく解決。例の「られりろる」の入力方式を修正したうえで、辞書を日夜きたえるという課題は残りますが、これは淡々と進めるしかありません。既存の「一太郎 創2011」からは自動的に資産継承してくれるようです。

 といったことで、また家庭の事情も加わり、この数日間、インフラ整備にテマヒマとられました。結局のところ、9年勤続の FMV D5270 は栄誉の現役退任ということで、これからは、オフラインの作文と HDDのデータ倉庫がお仕事ということになります。

2017年10月5日木曜日

Kazuo Ishiguro

The Guardian
Thursday 5 October 2017 14.23 BST

The English author Kazuo Ishiguro has been named winner of the 2017 Nobel prize in literature, praised by the Swedish Academy for his “novels of great emotional force”, which it said had “uncovered the abyss beneath our illusory sense of connection with the world”.

日本国籍のあるなしということより、「英語で書く作家」ということでしょうか。
訳すのではなく、最初から英語で考え書く。たしかにそのほうが、ある真理、普遍的なこと、饒舌なレトリックで誤魔化せないことを表現できるような気がする。ぼくたちも日本語で討論していて煮詰まってしまったときに、「それじゃ、英語でどう言うか考えてみよう」というのは一つの賢明な手段ですね。
それから、イシグロは、ある種の知的な観点(方法、構成、洗練された文体 ‥‥ )をしっかり出してくれる。それが嬉しい。『イギリス史10講』では『日の名残り』に2カ所で論及しました。

With names including Margaret Atwood, Ngugi Wa Thiong’o and Haruki Murakami leading the odds at the bookmakers, Ishiguro was a surprise choice. But his blue-chip literary credentials return the award to more familiar territory after last year’s controversial selection of the singer-songwriter Bob Dylan. The author of novels including The Remains of the Day and Never Let Me Go, Ishiguro’s writing, said the Academy, is “marked by a carefully restrained mode of expression, independent of whatever events are taking place”.

2017年6月6日火曜日

ザビエル? シャボン玉? ぜめし帝王?

 本日の『朝日新聞』オンライン版に
「聖ザビエル」じゃないの? 神父も困惑、君の名は
という記事があります。引用されている東京書籍の『中学社会』でザビエルのあたりを執筆したのは、じつはぼくですし、編集委員会の討議をへて(高校向けとは別に)「ザビエル」という表記でゆこうと合意したわけですので、このブログでも一言。
 アメリカの都市 San Francisco の由緒でもある、イエズス会の修道士 Francisco de Yasu y Javier (1506-52) の名を教科書でどうカタカナ表記するか、という問題と、元来どう発音されていたか、という問題は、二つの別問題です。
『朝日』の記事を書いた棚橋という記者の取材力、そしてデスクの知識にも問題がないではない。

 まず、 表記に “ が付いているかどうかと、歴史的に清音だったか濁音だったか、とは一対一対応しません。「さひえる」と書いて、サヒエルと発音したかどうか。むしろ『日葡辞書』(1603-4年刊)のローマ字表記などから推定されるのだが、「さしすせそ」は sha shi shu she sho ないしは ja ji ju je jo とも発音していたらしい。これは近代日本の九州から瀬戸内方面の老人たちの発音からも十分に想定できる。全然と書いて「じぇんじぇん」と発音しているし、「ゼネラル石油」とは General 石油。だから「せめし帝王」とは King James のことです。逆に savon は「シャボン玉」になります!
 歴史的に「しびえる」「ジヤヒエル」「娑毘惠婁」といった表記があることからも、16世紀の西日本にはシャビエル/ジャビエルといった発音が伝わった(それがさまざまに表記された)ということらしい。
 バスク生まれだからバスク発音シャヴィエルで表記すべし、というのは一見 politically correct で正しそうだが、それは適切とは言いがたい。フランシスコはバスク貴族の出だが、パリで勉学し、1534年にロヨラたちとイエズス会を創設し、ヴェネチアで叙任され、ローマでイエズス会士として勤務し、ポルトガル王の命で1541年にゴアに派遣されて以後マラッカ、モルッカ、ついで1549年に鹿児島に上陸し2年間、西日本で宣教するわけです。バスク人としてのアイデンティティがイエズス会士ないしクリスチャンとしてのアイデンティティより優ったか? これははっきりと否でしょう。16世紀の東アジアにおける共通語が(漢語および)ポルトガル語だったということも考慮すると、バスク発音に固執することは無意味です。なおまたフランシスコ自身が現地の言語と慣習を尊重して伝道した(典礼問題の祖!)ということも忘れたくない。

 ∴発音についての結論は、ポルトガル語なまりのラテン語で、それが現地で受けとめられた音が正しい、とすべきでしょう。

 もう一つ、中学教科書、高校教科書でどう表記するかという問題です。大学の学者がむやみに専門知識をふりかざして「正確な事実」を教科書に織り込もうとする近年の風潮を、ぼくは憂いています。歴史とりわけ外国史嫌いを増やしているだけではありませんか? 教科書や大学入試で細かく正確な事項の暗記を強いるのには反対! 

 ∴教科書表記についての結論は、中学でも高校でもザビエルないしサビエルがよい、と思います。ただし高校では Xavier という不思議な綴りも一緒に教えたい。中国人・日本人については漢字表記を教えているのですから、高校生には欧語にも慣れてほしい(試験に出題する必要はありません。優秀な学生に欧語表記に慣れてもらうことがポイントです。後のち -30代、40代の生活で- かならず役に立ちます)。

 念のため。先生方! 研究史を呈示して「中学・高校ではこう習ったね。でも今の研究水準では、こう考えたほうが良さそうなんだよ」といった講義は、無事(歴史嫌いにならずに)大学に入ってきた学生むけに語るまで取っておきましょう。

2017年4月25日火曜日

愛国主義・民族主義・国民主義・国家主義 (または超訳)


 日本のマスコミ関係者も進歩的な論者も、戦後ずうっと棚上げにしてきた言葉があります。Nation および nationalism, patriot および patriotism です。この二つは全然ちがう。

 そのことがはっきり露呈したのが、今回のフランス大統領選挙で、第1ラウンドの結果をうけてマクロン候補がおこなった勝利演説の日本語訳です。その混乱・ゴマカシ。分かりやすいように、フランス語をBBCの英訳で引用するとこうです。
. . . I will become your president. I want to become the president of all the people of France - the president of the patriots in the face of the threat from the nationalists.

 夜10時のNHK-BSでは、これをナショナリスト=民族主義者としたうえで、(パトリオットを愛国主義者と訳すと分からなくなってしまうので飛ばし)「わたしは民族主義者の脅威に対抗して、全国民の大統領になりたい」と超訳したのです。できの悪い学生が、一番大事なポイントを飛ばして訳す、あのやりかた!
英和辞典も、仏和辞典も、独和辞典も(あまり深く考えずに)編者が思いついた単語を列挙して了とする編集方針をとっているかぎり、役立たずです。 Nationalism は国家主義だったり、民族主義だったり、Scottish National Party は「スコットランド民族党」! いったい「スコットランド民族」というのは存在するんですか、と聞きたくなる。
Nation は歴史的につくられた政治用語です。生まれと信条をともにすると表象された「国民」nationを第1に考える運動が nationalism です。「ドイツ民族」とか「日本民族」とかが本質的に存在すると信じる人たちにとっては「民族」=「国民」なのでしょう。そうした場合はユダヤ人とか在日集団とかがジャマな夾雑物で、排除すべき存在となる。

 これにたいして、patriot は愛国者でも憂国派でもなく、OEDの名言によれば、「敵に対抗して、自由と権利を支持し守る人」。初出は1577年、ハプスブルク朝に抵抗したオランダ独立派について用いたのが始めのようです。ぼくたちがよく知っているのは、アメリカ独立戦争でイギリス支配に抵抗した「自由の戦士」で、OEDは1773年のフランクリンを引用しています。
 このところ機会あるごとに北原さんが言明なさるとおり、patria自体は、国家や土地と関係なく、(現存在しないかもしれない)理想郷のことだというのは、OEDの語源説明でギリシア語における patria がポリスの市民でなく、バルバロイについて用いられたというのと符合します。

 ようするにマクロン候補は、右からの民族本質論・「他民族」排除の立場の人々に対抗して、「自由と権利を支持し守る人」「自由の戦士」の大統領になるというレトリックを用いて、左派および自由主義者、そして全人民に決選投票での支持を訴えたのです。NHKの超訳のような、ぼんやりした「全国民の大統領」というアピールだけでは弱い。むしろ左派(メランション、アモン)にも、中道にもネオリベラルにも訴求する、曖昧だが「良いことば」(歴史的な用例でも good patriot, true patriot, etc.として出てくる!)を政治的に借用し、横領したわけです。

2016年8月5日金曜日

校正おそるべし

 『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)につき、ただちに何人もの方々が感想や印象を書き送ってくださっているところです。有り難うございます。8月17~18日には、ケインブリッジにて、ちょっとしたワークショップを催し、ヨーロッパ・英国側の方々と討論してみます。

 本の仕上がりについて厳しい目を注いでくださる読者には感謝しつつ、「校正おそるべし」との感を深くしています。
同時に、日本エディタースクールの代表、吉田公彦さんのことを想い起こしました。
 1970年代に『社会運動史』という同人誌を編集刊行していましたが、
その4号までの仕上がりをみて(フランス現代史家吉田八重子さんの夫君として)座視していられないという御気持になったのでしょう。
吉田さんは、ぼくと相良匡俊さんを含む数人のシロート院生・助手をある日曜に呼んで、エディタースクール(市ヶ谷のお堀を望む古い建物にありました)の2階の教室で、校正、版面制作について、みっちり教えてくださいました。
要は『校正必携』(日本エディタースクール出版部)の考え方、心構えの基本でした。

・植字工(オペレータ)は著者の秘書ではないのだから、こちらの癖も専門も知らない。だれにも分かる明快な指示をしなくてはいけない。
・たくさん訂正、指示を出してもよい。ただし、訂正や、(打ち消し線、)は正確にドコからドコまでか、( )や ’、’を含むのか含まないのか、欧字の場合はTなのかtなのか、曖昧さを残してはいけない。
・誤解の余地が少しでもあるなら、赤字とは別に、余白に黒鉛筆で(このようにと)しあがり例を記す。横文字・アクサン・ルビの場合は必須。
・校正記号は、『校正必携』の規則に従う。

【・版面の作り方、透明な定規でタテヨコ0.1mmまで計測する、といったことまで教えていただいたので、後々、出版社のプロの方々とは、話が通じやすかった! そのころまともな出版社の編集者は、日本エディタースクールの夜間講座などに通って修了証を取得していました。】

 この半日トレーニング(速習コース)のお陰で、以後ぼくの校正は(3色くらいを使用したうえ)鉛筆の指示も加えて、明快なので、シロート眼には「多様性」「複合性」がめだつかもしれませんが、どの出版社・担当者からも、不評だったことはありません。
 いまやオペレータがコンピュータ制作する時代には、大昔の話かもしれません。

2015年11月15日日曜日

イギリス近世・近代史と議会制統治

収穫の秋、ということでしょうか。ぴたり関連する出版が続きます。

青木康(編)『イギリス近世・近代史と議会制統治』(吉田書店、2015
http://www.yoshidapublishing.com/booksdetail/pg670.html
10名の科研プロジェクトによる、16世紀から19世紀半ばまでのイギリス史の「詳細で実証的な個別研究」の論文集です。
  第Ⅰ部 代表制議会
  第Ⅱ部 海洋帝国の議会
  第Ⅲ部 議会制統治の外縁部
に分けて計11の章がありますが、序、第2章「18世紀イングランド西部の下院議員」、第4章「ブリッジウォータの都市自治体と1780年総選挙」が編者青木さんの執筆。

 「序」のあと、まずは最後の Jonathan Barry の「コメント」に惹きつけられて読みました。
これは日本の読者むけに有益な動向サーヴェイであるばかりでなく、そもそも1832年以前の議会・政治・統治というものをどう捉えるべきか(とくに pp.305-11)、重要な指摘を明晰に呈示している論文ですね。またイギリスの特異性・近代性だけにとらわれることなく、広くヨーロッパの「複合諸王国(composite monarchies)とその連邦的構成」のうちの一つとして認識すべきであるというパラグラフには、註(2)として、ケーニヒスバーガ、エリオット、そしてラッセル、ヘイトンが挙がっています。共著『礫岩のようなヨーロッパ』を準備しているところなので、いちいち肯きながら読みました。
ただし訳文は、センテンスの息が長すぎて、ときに苦しくなる箇所もないではない。英語と日本語は構文が違うので、すこし短めに複数のセンテンスに分けて接続を確認しつつ訳して下さると、短気な読者にもわかりやすくなったろうと思われます。
またバリーの最後の一文(p.311)は、わたしたち「異なる政治体制のもとで暮らしイギリスの経験を冷静に見ることができる」日本人歴史家の問題意識を評価しつつ、この出版をことほぐ賛辞かと思われます。訳文ではそれがちょっと曖昧。

巻末の「人名索引」は歴史的人物に限定されていますが、13ページにわたり入念にできあがっています。

というわけで、あいつぐ有益な出版ですが、先の『国制史は躍動する』にくらべると、タイトルが実直すぎて、メッセージ性がちょっと不足します。「議会制統治」というのがキーワードでしょう。困ったときには英語にしてみて再考するというのが、むかしから青木さんのお知恵だったと思いますが、今回の英語タイトルは、いかに?

2012年6月19日火曜日

吉田秀和さん



 なんと98歳! この人のハスキーな声は土曜のラジオ NHK FM「名曲のたのしみ」でごく最近まで聴いていました。ラフマニノフのアメリカ経験でした。5月末に亡くなっても、録音済のものをまだ放送するとのこと。

 しかし、吉田秀和といえば、なんといってもその文章です。1975年から刊行された『吉田秀和全集』(白水社)、そして『朝日新聞』の音楽時評は愛読しました。「British Museum ではどこの馬の骨かわからぬ訪問者にもベートーヴェンの自筆楽譜を触って調べることを許す、その大国の器量」といった文明論。そして、あまりにも平明な楽譜の解釈、あまりにも平明な演奏の批評(コンサート会場で演奏時間を計測している!)には、感銘するというより、こんなに分かって「いいのかしら」と思ったりした。【いま『吉田秀和全集』は段ボール箱に入ったまま出てこないので、記憶だけで認めています。ご容赦。】

 学生時代に初めて読んでから、忘れがたい文がいっぱいあるけれど、一つは戦後の日比谷公会堂で、当時の吉田青年がだれかに投げつけるつもりで礫を握りしめてコンサートに行き、演奏を聴いて、もうそんなことはどうでもよくなったという箇所。【このだれか、というのは小林秀雄だろうか? 】

 もう一つは1983年、ぼくは帰国して名古屋にいましたが、すでに『全集』を出して圧倒的な影響力をもつこの人が、来日したホロヴィッツの演奏について、「なるほどこの芸術は、かつては無類の名品だったろうが、今は ─ 最も控えめにいっても ─ ひびが入ってる。それも一つや二つのひびではない」という名言を吐いた。‥‥

 そうです。ただの骨董品かフェイクを世間が有り難がり続けているなら、(根拠を明らかにしつつ)よく分かるように明言したい。

 率直で事にそくした批判を、なぜ人は避けてきたのだろう。そして曖昧な「権威」にたいしても「風評」にたいしても、こんなに脆弱な「国民」。右であれ左であれ、変わらない。

 結局、吉田さんはただの音楽評論家やエッセイストだったのではなく、20世紀日本の産んだブルジョワ文明論者の代表の一人、そしてコスモポリタンだった。たとえばショパンの**を好きで堪まらない人が、彼のコンサート批評に不満で「吉田秀和ってそんなに偉いのか」と反発したりすることは一杯あっただろう。それは、文明論者と蓼喰う虫(オタク)の文化衝突だったにすぎない。

2011年12月16日金曜日

岩波新書

今年度は立正大学の2年生演習で、内田義彦『社会認識の歩み』と、柳父章『翻訳語成立事情』を読んでいます。ついでに東大の3・4年生の演習では、カー『歴史とは何か』とその Evans/third edition (2001) を読んでいます。
ずいぶん前の岩波新書ですが、学生の買ってきた版をみると、
  『社会認識の歩み』が初版いらい40年間で51刷;
  『翻訳語成立事情』が 29年間で34刷;
  『歴史とは何か』が 49年間で79刷!

それぞれすごいロング・セラーですね。
今となっては、いささか問題点なきにしもあらずとはいえ、出版されたときのインパクトを考えれば(imagine the past)すばらしい本だったことは明らかです。新しい古典というに値する新書。

 ただし、内田義彦にして、「断片を読む」、結節点、結節点‥‥、そして「個体発生は系統発生を繰りかえす」、と大事なことを印象的、効果的に言いながら、でも、あれっと思うほど、権威主義的で定向進化的な話の枠組が見え透きます。これは今のわれわれからすると驚くほど。
大塚のような近代主義者でなく、むしろ近代そのものを問題意識化していた内田にしてこうなのだ、と昭和の知識人たちの存在被拘束性に、思いいたります。

 柳父章の新書は、具体的なのがおもしろい。
部分的に同じような議論もしながら、これを『文明の表象 英国』(1998)で引用しなかったのはなぜか? その理由は今となっては定かでありません。80年代に名古屋で読んでいたのに(前谷くんと一緒に、加藤周一的なフレームで)、そして「近代」とか「舶来の言葉」とか、いくらでも使える部分があるのに、why not?
単純に、そのとき忘れていたんでしょう。『近代の超克』論について、また漱石が「今代」という当て字を使っている点の指摘などでも、ぼくのほうに利がある部分もあります。

 こうした昭和の学者たちに比べて、オクスブリッジのソシアビリテに寄りかかりすぎとはいえ(イギリスの知識人にはこれ以外の frame of reference はなかった)、E. H. カーは毫も古くなっていない。70年代の内田よりも新しい。どうしてでしょう。
 19世紀的近代とはちがう「現代」を考えるにあたって、ソ連の歴史はパスできない。それはカーの強みですが、しかし彼はアジアのことをじつは分かっていない。Yet,「‥‥それでも地球は動く」と進歩主義的な楽観で締めくくっています。He remembers the future.
 究極的には「底が浅くない」経験主義の強み、といえるでしょうか。考え書くのは自分一人なのだが、しかし、それは孤立した個人の営みではない、という文化。

【なお岩波新書については、しばらく前にこんなことをしたためました。
→ http://岩波新書・加藤周一

2011年11月13日日曜日

Robertson -- Hirschman -- Pocock

St Catherine's の関連で、なんということなくケインブリッジ・歴史学部のウェブページを見ていたら、金曜の講義リストに目が止まった。
12:00
Part I, Papers:
  3: Carpenter et al: Survey Room 5
  10: Pooley: British Social History 1700-1914 Room 6
  20: Robertson: Vico, Mandeville, Hume and Montesquieu Room 3

Part II, Special Subject Papers:
  3: Robertson: Vico, Mandeville, Hume and Montesquieu Room 3
とあった。いいなぁ、ロバートスンの講義。ぼくも居たら聴きに行くでしょう。
 ‥‥ヴィーコ、マンドヴィル、ヒューム、モンテスキュって、じつに Albert O. Hirschman, The passions and the interests (1977) のたてた問題。 Pocock, The Machiavellian moment (1975) に世評はとられちゃったけど、モンテスキュ的契機から情念と利害関心を論じていました。ぼくはこれを名古屋時代に南山大学の図書を借りだしてコピーしたのでした! (和田さんの知恵だったのかどうか失念しました。)

 でも冷静に考えると、こうしたロバートスン、ハーシュマンの知の系譜は、マキャヴェッリ、ホッブズを加えて、じつは 内田義彦『社会認識の歩み』(岩波新書、1971)の営みでもありました。あぁ、日本語がせめてドイツ語くらいの国際性があれば‥‥ぼくたちも、もう少し気概をもって仕事をできたのに‥‥。
 21年前のケインブリッジ歴史学部ではキャナダイン、アウスウェイト、ゴールディの講義を聴き、集中講義にはラングフォードやポーコックが見えました。翌年に一種の時間講師としてのコリ、クラーク、イニスの初講義を聴いた折にしたためたのが「剣橋放談」( in『イギリス史研究』No.33, 1982).ぼくの鬱屈みたいなものが、そのまま現れています。

2011年2月26日土曜日

2月は如月

 2月は逃げる月というけれど、何もなしに逃げるのではなく、1年のうち一番忙しくたくさんのことを成し遂げて、あっという間に4週間が過ぎる、という了解でいました。
 今年の2月は、そうです、例年より諸課題が集中する、ということは前から分かっていました。例年の大学院口述試験(M、D)および判定と、卒業論文口述が三大行事。これに文学部のシノプシスおよび成績入力が期日限定のオンライン入力です【想像したとおり、期日は数日延期となりました。こんなに教員が多いのに、首尾よく完了する人ばかりじゃない!】。これに加えて学外のやや重い公務、教科書の日程、招聘予定研究者とのやりとりの不首尾、『二宮宏之著作集』II関連、また身辺の諸々の行事と決定事項‥‥、そして昨日の『クリオ』インタヴューというわけで、やりがいのある仕事ばかり。もちろん東大入試の後始末も、ただちに始まります。
 日英歴史家会議(AJC)や『イギリス史研究入門』2刷りのための作業さえ、滞りがちになりました。

 昨日の『クリオ』インタヴューにかぎって言えば、(2.5度目ということでもあり)3時間あまりもあれば十二分だろうと思っていたら、案外に1994年(第1回AJC とロンドン大学)くらいから先は、慌ただしく駆け足になっちゃいました。晩の会食は新しい会場で、ゆったり楽しめて良かったかな。ただし、はからずも13人の晩餐になりました!

 ところで、『二宮宏之著作集』関連ですが、「月報」2 はご覧のとおり。4月刊です。ぜひ読んでください。ぼくの「解説」は、二宮さんの「豊穣の四〇代」を軸に「力のこもった」というべきか、「力みすぎ」というべきか、とにかく一所懸命に書きました。これが22/23日に*完了していたので、24日のインタヴューは心安く臨めた、というわけです。ぼくは、究極的に教師(授業のパフォーマー)ではなく、物書き(兼)対話者なんだという自己意識を30代からもっていました。2月4日、授業アンケートに厳しいコメントを記してくれた匿名の1学生さん、ご免ね。
 *なぜ完了日が2日にわたったかというと、岩波書店が一太郎を使わないからです。ワードでは行端処理が崩れてしまう;rtfではルビが飛んでしまう;txtではルビもアクサンも消えてしまう‥‥。やりとりを繰りかえしたあと、結局、PDFで完成態はこうなるのだと見てもらうしかありませんでした。でもね、日本の責任ある出版社なら、一太郎で作業ができるようにしておいてほしいな。本当の日本語は ATOK で作文し、日本語の表示・印刷は一太郎で、というのが、ほとんど自明の真理です。