2024年9月15日日曜日
グレンコウの宿恨
すごく険しく、ものすごく広大で、これは写真でなく実際に来てみないとその迫力はわからない。と言いながらここは写真でご覧に入れるしかありません。
訪ねあてたのは、マクドナルド氏族の末裔が19世紀末に建てた1692年の虐殺の顕彰碑。
これより前に Campbell, Duke of Argyll家の居城 Inveraray にも参りました。別の大渓谷(glen)を抜けて、潮の満ち干のいちじるしい深い入り江(loch)に面した立派な居城です。
対立したジャコバイトとホウィグと両方に挨拶したわけです。
そもそもこんなにも大渓谷で隔てられた各氏族、交際・連絡は険しい陸路よりも、リアス式に奥まで切り込んだ Loch の水路によるところが大きかったろうと、十分に想像できました。それだけ陸路をたどるのは大変でした・・・ その夕刻、太陽を背にして走るうちに、虹の根本に遭遇したのでした。
ついでにスコットランドの loch とは湖だけでなく、海の入江についてもいうのだと認識しました。ドイツ語の See も海と湖と両方を指しますね。日本の古語でも「うみ」は琵琶湖だったり、瀬戸内海や日本海だったり・・・
2022年6月16日木曜日
王のいる共和政 ジャコバン再考 詳しい目次
編者名や本のタイトルだけなら、他の広告でも見られますが、
かなり詳しい目次 → https://www.iwanami.co.jp/book/b606557.html
そして何より、
立ち読み(試し読み) → https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0615440.pdf
のコーナーがあるというのは、すばらしい! どうぞ、ご一瞥を。
2022年3月10日木曜日
一代の奇傑 ホーガース
アダム・スミス文庫100年の記念事業です。↓
東アジアへの西欧の知の伝播の研究
2022年3月11日(金)13:30-16:00 なぜか、大震災の日です!
【開催方法と申し込み】Zoom によるオンライン開催
参加希望の方は 2022年3月10日までに以下の URLよりお申し込みください。前日までに接続先をメールでお知らせします。
https://u-tokyo-ac-jp.zoom.us/meeting/register/tZYuf-6pqT0rH9NhqqRu2JEAdR7ZEaU6x89v
プログラム
13:30-13:40 開会挨拶・趣旨説明:野原慎司(東京大学准教授)
13:40-14:40 報告1:東田 雅博(金沢大学名誉教授)
「東アジアの文化の西欧への衝撃と受容――シノワズリーとジャポニスム――」
14:40-14:55 休憩
14:55-15:55 報告 2:近藤 和彦(東京大学名誉教授)
「一代の奇傑ホーガース」
【各報告には質疑応答の時間を含みます】
15:55-16:00 閉会挨拶:石原俊時(東京大学教授)
ウクライナでも香港・台湾でも、人が(言論でたたかう自由も、ボンヤリする自由も含めて)平静に暮らせますように。
今書いている文章で、E・H・カーによるカーライル『フランス革命』の引用が印象的です。
「[恐怖政治とは]従来、公正な裁きの行なわれていた地においては恐ろしいことだが、
公正な裁きの行なわれたことのない地においては、異常というほどでもない。」
なんというリアリスト!
2022年2月10日木曜日
羽生結弦の悔し涙
「どんなに努力しても報われない努力ってあるんだな」
と。たしかに人生の一つの真実かも知れないし、とりわけ勝負の世界ではそうなのでしょう。ただ、「塞翁が馬」という格言もあります。彼のまだまだ長い人生においては、この北京こそ、わが人生[の地平]が広がる画期だったと言えるようになるかもしれない。
めげることなく、しっかり生きてほしいと思います。
かく言うぼくも立派な人生を歩んでいるわけではありませんが、70歳を越えると、人の恩をしみじみ感じる機会も少なくありません。
大河内一男(1905-1984)の収集したホーガース版画コレクションがあって、それが東大経済の図書館に寄贈されたとは前々から聞いていました。先月、それを初めてゆっくり拝見しました。幸か不幸か、東京の Covid 感染者が1日900人台(全国で数千人台)に留まった最後の日でした! 翌日から急に東京は2000人を突破、全国は1万人を突破したのでした。
思っていたより良い状態の版画で、紙質も含めて、写真や刊本で見るのとはリアリティが違いました。18世紀の庶民たちはこれを見ながら、このオランダ商人はダレのことだ、この職人はあいつにソックリ、この牧師は笑わせる‥‥と口々に思ったことを言いながら、興じたのです。
「わたしの絵は、わたしの舞台であり、男女はわたしの俳優で、一定の動きや表情によって黙劇を演じるのです」
というホーガースの自信作。「疑いもなく卑猥」な「一代の奇傑ホーガース」について、3月に語る機会をいただきました。色々の方々の口添えがあってのことらしく、ありがたいことです。
文化も経済も政治も転変する18世紀のイギリスは、大河内一男の『社会政策』上下巻(有斐閣)の重要な舞台ですが、当時の日本の学者にはイメージを結びがたい時代でもあったようです。大塚久雄や他のピューリタン史家たちと異なる時代像を求めてレズリ・スティーヴンに頼ったこともあるとか。 ぼくたちには、どうしても「1968年の東大総長」という事実が先に立ってしまうけれど、その前の学者としての大河内に、ホーガースの版画はどんなインスピレーションを与えたのでしょう。
アダム・スミス文庫100年の記念事業です。↓下記のとおり。
東アジアへの西欧の知の伝播の研究
2022年3月11日(金)13:30-16:00
【開催方法と申し込み】Zoom によるオンライン開催
参加希望の方は 2022年3月10日までに以下の URLよりお申し込みください。前日までに接続先をメールでお知らせします。
https://u-tokyo-ac-jp.zoom.us/meeting/register/tZYuf-6pqT0rH9NhqqRu2JEAdR7ZEaU6x89v
プログラム
13:30-13:40 開会挨拶・趣旨説明:野原慎司(東京大学准教授)
13:40-14:40 報告1:東田 雅博(金沢大学名誉教授)
「東アジアの文化の西欧への衝撃と受容――シノワズリーとジャポニスム――」
14:40-14:55 休憩
14:55-15:55 報告 2:近藤 和彦(東京大学名誉教授)
「一代の奇傑ホーガース」
【各報告には質疑応答の時間を含みます】
15:55-16:00 閉会挨拶:石原俊時(東京大学教授)
2021年11月21日日曜日
ジャコバンと共和政(12月11日)
逆に、この流れに乗りきれなかった方々は、こうした関係性から(意図せずも)排除されてしまうわけで、以前から云々されていた IT divide はますます進行するのでしょうか。
昨日(土)午後は、12月に予定されている早稲田の WIAS 公開シンポジウム「ジャコバンと共和政」のための準備会があり、十分な緊迫感をともなう研究会となりました。 初めての方とお話する場合も、対面なら1メートル~ときには数メートル以上の距離を保っての会話ですが、ウェブ会議ですと数十センチのところに据えたスクリーンで向かいあうわけで、(自分の)髪やシワなども含めて、クロースアップのTVを見るような感覚です。 自室の文献などをただちに参照できるのも便利。 ところで、「ジャコバンと共和政」というタイトルのシンポジウムに、よくも大きな顔をして出てこれるな、という声もあるかもしれません。
じつはぼくの指導教官は柴田三千雄さんですから、「ジャコバンとサンキュロット」という問題も「複合革命」という論点もしっかり刻まれています。Richard Cobb を読んでから E・P・トムスンに向かった、というのは日本人では(英米人でも?)珍しい経路でしょう。コッブの人柄については、柴田さんから60年代前半にパリでソブールのもと付き合った逸話など聞いていました。ずっと後年になって、オクスフォードの歴史学部の廊下で歴代教授の肖像として比較的小さなペン画に対面しました。 → その後任がコリン・ルーカスでした。
どこかでも申しましたとおり、1950年代のおわりに、コッブ、トムスン、そしてウェールズの Gwyn Williams の3人はフランス革命期の各地のサンキュロット(patriot radicals)を発掘する研究をそれぞれ出し揃えて比較するのもいいよね、と話合い、その一つの結果が『イングランド労働者階級の形成』という名の radical republican 形成史だったのです。
もう一つの共和政/respublica 論については、成瀬治さんの国制史(そしてハーバマス!)を経路として、時間的にはやや遅れましたが、ナチュラルにぼくの中に入ってきました。
その12月11日の WIAS催しの案内はこちらです。↓
https://www.waseda.jp/inst/wias/news/2021/10/29/8504/
ポスターは https://bit.ly/3bHG3cr
無料ですが、予約登録が必要です。 ただし、【グローバル・ヒストリー研究の新たな視角】とかいった謳い文句は、ぼくの与り知らぬものです。
2021年11月8日月曜日
史学会大会 11月13-14日
東京大学(本郷)‥‥法文2号館一番大教室 にて
公開シンポジウム「世界主義の諸様相 - コスモポリタニズム・アジア主義・国際主義」
と予告されていました。13日(土)1時から勝田俊輔さんの司会・趣旨説明につづき、
川出良枝「普遍君主政の超克-18世紀ヨーロッパ」
中島岳志「アジア主義‥‥」
長縄宣博「静かなラディカリズム-20世紀ロシア」
後藤春美「‥‥国際連盟」
翌14日の部会については法文1号館113教室。
というわけで、久しぶりに本郷へと、期待していました。
ただしちょっとだけ心配で、念のためとウェブぺージを見て、びっくり ↓
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http://www.shigakukai.or.jp/annual_meeting/schedule/
開催方法は、ウェブ会議システム(Zoom)によるオンライン参加のみの実施となりました。事前登録が必要となりますので、こちらより参加申し込み・参加費のお支払いをお願いいたします。締め切りは11月4日(木)です。 PEATIXの利用方法はこちらをご参照ください。本システムでのお申し込みができない場合は、shigakukai.taikai■gmail.com(■を@に変えてください)へご連絡ください。
昨年度は臨時的措置として参加費を無料といたしましたが、本年度は例年通り参加費(2日間共通)をいただきます。一般1,000円、学生500円。会員・非会員の別はございません。
お申し込み・お支払いいただいた方には、大会前にプログラムを郵送いたします。また報告レジュメ、ZoomのURLは11月11日(木)頃ご連絡いたします。
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Zoom開催で、しかもすでに締め切りを過ぎている!
だれもが史学会のウェブぺージをいつも見ているわけではないでしょう!
それでも、とにかく13日のシンポジウムだけでも視聴したいので、Peatixなるぺージへ初めて入って手続を進めてみたら、締め切りは超過しているはずなのに、予約完了。その確認メールまで到来しました。
この事態は放置しておいてはいけないのでは、と考えて、司会・趣旨説明者と史学会事務にメールで連絡してみました。 すみやかに反応があり、
≪‥‥混乱をまねきましたことをお詫び申し上げます。
他に期限後の申し込み希望の方もいらっしゃいましたので、サイトからの申し込みは
11日(木)17時までということを明記いたしました。≫
ということです。[ただし、どこに明記されたのかは不詳。]
→ http://www.shigakukai.or.jp/
ご関心の皆様も、どうぞご覧になってください。
2021年10月23日土曜日
EPTウィルス感染者の集い
昨22日(金)夜、Zoom にて Culture & Class: Rethinking E P Thompson という「公開講演会」があり、なんと2日前にその事実を知らされたばかりか、ウェビナだがコメントせよ、顔出し・声出しのパネルに加われとの連絡がありました。 これまでの経緯を理解しないままですが、あらかじめ4名の報告者とタイトルだけは知らされたので、ほんの少し心の準備をし、バイリンガルの興味深い会合に出てみました。
ぼくの発言の趣旨です:
§ 松村高夫さんには、ぼくが「民衆運動・生活・意識 - イギリス社会運動史から」『思想』630号(1976年12月)という一文を書いて、生意気なので、1977年の初めに、「松村ゼミに来て話をせよ、稽古をつけてやる」というお声掛かりで三田に参りました。29歳でした。それ以来、留学の心がけから始まり、日英歴史家会議も含めて、お世話になりっぱなしです。
というわけで、松村さんにはぼくの学者人生がスタートしたばかりの頃、ゴードンさんにはぼくの学者人生の終盤に - しかしウェブの online情報を使ってどんな分析ができるかという新しい展望の見え方を示す機会をあたえていただきました。どちらも E P Thompson にかかわる報告でした。
§ E・P・トムスンを今、どう受けとめるか。
トムスンの人柄+文章のもつ inspiration, 感染力は強い。
Thompson, The Making of the English Working Class の初版は1963年ですが、ペンギン版が出たのは1968年。たいていの人はこちらを読んだと思われます。(市橋さんのテーマ)60年代のヴェトナム反戦、ビートルズ、そして68-69年には世界中の大学が沸き立つなかで、英語を読める人は Covid-19 ならぬ EPT-68 に接触感染して、実効再生産力(effective reproduction number)が高いので、パンデミックになってしまった。アメリカでもインドでもドイツでも日本でも、このパネルにいらっしゃる方々は全員 EPTウィルスの感染者、とくに重症患者ではないでしょうか。もっぱら「抗体」を保持している方も少なくありません!
70年代のトムスンは Moral economy を初めとする18世紀イングランド社会史の議論を加えましたが、これによって、以前のホウィグ史観的な発達史とも、ネイミア的な停滞・構造観とも違う、磁場(field of force)論が加わり、魅力が増しました。
ときにトムスンは2階級論で新興middle class の成長を見逃していた、といった類の批判がありますが、これは「階級実体」にとらわれた staticな議論です。階級は2つか、3つか、7つかという問題ではなく、むしろ「関係」で時代の社会構造を考える重要な視角をトムスンは呈示したのです。(情況・contingency とも言い換えられますし、彼のいう shared experience という考えかたは、発展性があります。)
§ ただし、問題といえば、トムスンがフランス革命の外在的影響でなく、freeborn Englishman といった歴史的な要素の起源探し、イングランド国内の発達史に「物語り」を限ったことでしょうか。(まだ未刊の共著『ジャコバンと共和政治』に「研究史から見えてくるもの」という拙稿を寄せましたが、ここでトムスンと色川大吉、丸山眞男を比しながら批判してみました。)
一つはフランス革命の前と後のフランス社会の連続性を論じたA・トクヴィル、ロシア革命の前と後のロシア官僚制の連続性を指摘したE・H・カーのような視野;もう一つはもう少し大きな同時代的な構造(?)、広域システム(?)への問題意識‥‥ といった点で、E・P・トムスンには〈未完成交響曲〉といった感が残ります。
松村さんはこうしたトムスンの特徴=個性を、詩的歴史家と表現されました。ぼくも詩人=歴史家と呼んだことがあります。少しでも接触した若い者を「何かある」と惹きつけ、歴史的思考にみちびく、ということがなければ、そもそも始まらない‥‥といった観点からは、(英語を読みさえすれば)E・P・トムスンの感染力はすごいのだから、だからこそピータ・バークは「歴史に残る歴史家」としてトムスンの名を挙げたのでしょう。
ただし、イングランドの男たちの、ある独特の文化の起源をさぐるだけに終始したなら、今になってみれば、an inspiring historian というのに留まるのではないでしょうか。 サッチャ時代の反核運動がなかったら、詩人=知識人としての評価もどうだったか。
ぼく個人としては、18世紀啓蒙のコスモポリタンな展開にネガティヴで、英仏蘇の競争的交流についてはほとんど拒絶するようなトムスンの姿勢には落胆しました。サッチャ時代が終わって、Customs in Common への意気込みを Wick Episcopi で語ってくれたエドワード(とドラシ)には感謝しつつも、ぼくは別の道を歩むしかないと悟りました。
『民のモラル』(1993年11月刊)の扉裏に、8月28日に亡くなったEPTへの献辞を刻みながらも、また『思想』832号に追悼文をしたためつつも、「モラル・エコノミー」論にたいしてぼくの「腰が引けている」のは、そうした事情がありました。
2021年8月22日日曜日
ホーガース版画
『Hogarth・資本主義・民主主義:強欲と勤勉の18世紀イギリス(仮)』
という企画がしばらく前に立ちあがり、今月から連続研究会が、この時勢ですのでZoomにて公開開催されます。今年度後半にぼくも『民のモラル』の著者として登壇します。
案内文を貼り付けます。
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蒸し暑い日々が続いておりますが、お変わりありませんでしょうか。
さて、研究会の第1回目を、8月23日(月)に開催することになりましたのでご案内いたします。ご都合がつくようでしたらご参加いただければ、ありがたく存じます。
◎近世ヨーロッパの文化と東アジア研究会
「東アジアへの西欧の知の伝播の研究」2021年度第1回公開研究会
・開催日時:2021年8月23日(月)13:30~16:00 オンライン(Zoom)による開催
・要参加登録
https://u-tokyo-ac-jp.zoom.us/meeting/register/tZEtde6ppjouHd1sgIBl2AhWZO8mELhUa-8W
・タイムテーブル
13:30-13:40 総合司会・開会挨拶:野原慎司(東京大学准教授)
13:40-14:40 報告1:小野塚知二(東京大学教授)
「美、風刺、「封建的自由」:ホガースと近世日本の形象表現のずれ」(仮題)
14:40-14:55 休憩
14:55-15:55 報告2:有江大介(横浜国立大学名誉教授)
「西欧社会経済思想の19世紀後半東アジアへの波及:明六社知識人と厳復たちの翻訳」(仮題)
※各報告には質疑応答の時間を含みます
15:55-16:00 閉会挨拶:石原俊時(東京大学教授)
2021年6月3日木曜日
散歩の風景
→ https://kondohistorian.blogspot.com/2020/08/blog-post_31.html
また伊能忠敬(彼もまた18世紀人!)の「始めの一歩」像を拝んだりもします。
こういった水鳥の姿になごむことも。(写真の右寄りに)異種の2羽があまりヒトを気にせず休息しているのか、餌を狙っているのか。鳥の動きがあまりないので、最初は姿を見つけて喜んでいた大人も子どもも、やがて飽きて次のなにかのために歩き出す、というのも可笑しい。
2019年11月24日日曜日
コートールド家
コートールド美術館といえば、1980年代末に現在のストランド Somerset House に移転するより前、ブルームズベリの Woburn Square(Senate House および IHR の裏手、 Gordon Square に向かって歩き始めた所)にあって、有名な Warburg Institute と隣接していたころです。81・82年に訪れたときには、両者が一緒の茶色い建物にあって、階段をどんどん登っていった気がします。
それより前に Courtauld という名を初めて知ったのは、ユグノ由来の繊維業ブルジョワ、その社史を書いた Donald Coleman という繋がりでした。
Courtaulds: An economic and social history. i) The nineteenth century - silk and crape; ii. Rayon; iii. Crisis and change 1940-1965 (OUP, 1969/1980)
経営史の和田さんから、すでに1979-80年に、ケインブリッジの経済史といえば(今ではポスタンではなく)コールマン先生、といってそのときは2巻本を見せられました。
→ https://www.independent.co.uk/news/people/obituary-professor-d-c-coleman-1600207.html
そもそも Courtaulds ってどう読めばいいんだ? ユグノは高校世界史でやったのより、もっと広く深い難題かも。しかも18世紀末にはユニテリアンになった‥‥。戦後歴史学の小宇宙とは別個に展開している深い世界をほんの少しのぞき込んで、おののくような感覚。同時に、だからこそ留学する意味があるという期待。
https://en.wikipedia.org/wiki/George_Courtauld_(industrialist,_born_1761)
https://en.wikipedia.org/wiki/Samuel_Courtauld_(industrialist)
そのケインブリッジで社会経済史のセミナーに出てみたら McKendrick, Brewer, Styles などを集めて、ツイードのジャケットが似合い、パイプをくゆらせる理知的な紳士でした。81-82年ころには、Gentlemen and players といった問題を立てながらも、ゼミの報告にたいして「 Social history なんて学問として成り立つのかい」といった発言があり、ぼくのような若造から見ると、保守的なのかリベラルなのか、よくわからなかった。それは、彼の代表作ともされるコートールド社史3巻本における分析と叙述の統一といった点に表れ、かつイギリス学界で高く評価されたのとも不可分の、イギリス経験主義だったのでしょう。 → to be continued.
2019年11月12日火曜日
平田清明著作 解題と目録
史学会大会から帰宅したら、『平田清明著作 解題と目録』『フランス古典経済学研究』(ともに日本経済評論社)が揃いで待ってくれていました。
どちらも「平田清明記念出版委員会」の尽力でできあがったということですが、知的イニシアティヴは名古屋の平田ゼミの秀才:八木紀一郎、山田鋭夫にあることは明らかです。
『フランス古典経済学研究』は平田39歳の(未刊行)博士論文。http://www.nikkeihyo.co.jp/books/view/2537
『平田清明著作 解題と目録』は、刊行著書のくわしい解題と、略年表、著作目録。http://www.nikkeihyo.co.jp/books/view/2538
こうした形で出版されことになった事情も「まえがき」にしたためられています。
「門下生のあいだでしばしば浮上した平田清明著作集の構想の実現が、現在の出版事情から困難であったからである。‥‥しかし、図書館の連携システムや文献データベース、古書を含む書籍の流通システムが整備されている現在では、一旦公刊された文献であれば、労を厭いさえしなければ、それを入手ないし閲読することがほとんどの場合可能である。‥‥そう考えると、いま必要なのは、著作自体を再刊することではなく、それへのガイドかもしれない。‥‥それに詳細な著作目録が加わればガイドとしては完璧であろう。‥‥
そのように考えて、著作集の代わりに著作解題集・著作目録を作成することになった」と。
まことに、現時点では合理的な判断・方針です。1922年生まれ、1995年に急死された平田さんの『経済科学の創造』『市民社会と社会主義』『経済学と歴史認識』から始まって、すべての単著の概要・書誌・反響・書評が充実しています。また「略年表」とは別に、なんと143ぺージにもわたる「著作目録」があります。見開きで「備考」が詳しい! 「追悼論稿一覧」も2ぺージにおよびます!
とにかく、ぼくが大学に入学した1966年から『思想』には毎年、数本(!)平田清明の論文が載り、『世界』に載った文章も含めて『市民社会と社会主義』が刊行されたのは1969年10月。東大闘争の収拾局面、ベトナム戦争の泥沼、プラハの春の暗転。こうしたなかで平田『市民社会と社会主義』が出て、ぼくたちが熱烈に読み、話題にしはじめて3ヶ月もしないうちに、日本共産党は大々的に平田攻撃を開始して『前衛』『経済』を湧かせ、労農派も平田の反マルクス主義性をあげつらう、という具合で、鈍感なぼくにも、誰が学ぶに値し、どの雑誌や陣営がクズなのか、よーく見通せることになった。
そうしたなかで、わが八木紀一郎は驚くべき行動をとりました。東大社会学・福武直先生のもとで「戦前における社会科学の成立:歴史意識と社会的実体」というすばらしい卒業論文(1971年4月提出)を執筆中の八木が、東大でなく名古屋大学の経済学大学院を受けて(当然ながら文句なしに*)合格して、卒業したら名古屋だよ、と。すごい行動力だと思った。
*じつは受け容れ側の名古屋大学経済学研究科の先生方は、筆記試験も卒業論文も抜群の東大生がどうして名古屋を受験するのか、なにか秘密があるのか、戦々恐々だった、と後年、藤瀬浩司さんから聞きました。平田先生のもとで学びたい、というだけの理由だったのです! ただし、その平田先生は73年に在外研究、78年に京都大学に移籍します。八木もドイツに留学します。
ぼくも西洋史の大学院に入ったばかりのころ、八木の紹介で、本郷通りのルオー【いまの正門前の小さな店ではなく、菊坂に近い現在のタンギーにあった、奥の深い喫茶店】で平田先生と面談し、わが卒業論文(マンチェスタにおける民衆運動:1756~58年)の要点をお話ししただけでなく、1972年3月には滋賀県大津の三井寺で催された名古屋大学・京都大学合同の経済原論合宿の末席を汚して、経済学批判要綱やヘーゲル法哲学批判などを読み合わせたりしたものです。そこには奈良女の学生もいました。
マルクス主義者というより、内田義彦に通じる、経済学と人間社会を(言葉にこだわりつつ)根底的に考えなおす人、としてぼくは平田清明に惹きつけられたのでした。
68-9年からこの『平田清明著作 解題と目録』の刊行にいたるまで、現実に与えられた諸条件のなかで「筋を通す」という生きかたを貫いておられる、「畏友」八木紀一郎に敬意を表します。
2019年10月25日金曜日
ノートルダム大聖堂 と 時代
10月19日(土)にはパリ・ノートルダム大聖堂の炎上 → 再建・修復をめぐってのシンポジウムが上智大学であり(司会・問題提起は坂野さん)、問題は単純ではないということが具体的に示されて有意義でした。http://suth.jp/event/20191019/ 「つくられた伝統」という観点からも。ただし、多くの報告者が建築の歴史を語るときに、フランス王国ないし共和国の枠組が自明のように前提されて、「美(うま)し国」のなかで歴史も文明も完結するかのごとく、縦の系譜がたどられて、ちょっと待ってくださいという気にもさせられました。
その点で、最後の松嶌さんの報告は、ケルンやシュトラースブルク、さらにはコヴェントリにも議論を拡げていました。「ゴシック様式」の起源がイル=ド=フランスだったらしいというのはいいとして、建築様式をはじめとする技能は(そもそも中世には薄弱な)国境を越えて遍歴する職人集団によって伝えられたし、そうでなくともアイデアやノウハウは真似られ、流行し、継承され、いずれ改変される。近現代においても技術やアートは、たやすくネーションや国境を越えて伝播しますよね。
また都市史の観点からも考えさせられる指摘があり、大聖堂とその周囲の街並みとの交わりについて、中島さんの図版に、18世紀前半までパリ・ノートルダム大聖堂のすぐ近くまで町家が建て込んでいたことが示されました。その後のクリアランスはパリやフランス諸都市に限らず、およそ啓蒙ヨーロッパに共通の改良(improvement)運動として展開するのが、おもしろい。イギリスでは18世紀が(道路や広場の)改良委員会の時代です。ロンドンの聖ポール大聖堂も、ケインブリッジのキングズ学寮チャペルも、周囲に(今あるような)公共空間ができるのは18世紀です。有名どころとしては、キャンタベリの大聖堂が「街並み改良」としては立ち遅れて、その結果、今日にいたっても建て込んで、ちょっと離れた位置から大聖堂全体の美しい写真を撮ることができませんね。観光絵ハガキでは、したがって、航空写真を使うのがふつうです!
18世紀が啓蒙だけでなく、新古典主義とバロック・ロココ、あるいは加藤さんの論じられた「良き趣味」の拡がりという点からも、画期なのだ;ドイツでコゼレクたちの論じてきた Sattelzeit がここにも認められる、と思いました。このシンポジウムでは、ヴィクトル・ユゴーやル=デュクの中世趣味的な「修復」の観点を強調することによって、19世紀の中世=ロマン主義の時代性、それに先行した the age of enlightenment の普遍性みたいなことが浮き彫りにされたのかもしれません。
音楽演奏では、ブリュッヘンたちの Orchestra of the eighteenth century,
専従指揮者のいない Orchestra of the age of enlightenment,
そして J E ガードナ(Gardiner)の Orchestre révolutionnaire et romantique
が競合し共存した時代をへて、今はまたすこし変貌しているかに見えますが。
2019年9月27日金曜日
主権は議会にあり、それを制限する内閣の決定は違法にして無効
この判決文は、全文24ぺージのPDFとして容易にダウンロードできます。
← https://www.supremecourt.uk/cases/uksc-2019-0192.html Judgment(PDF)
こう書くと「またデハのカミが」と揶揄されそうですが、それにしても最高裁判決が、このように知的で明晰だというのは、羨ましいかぎり。大学院の授業で教材として熟読したいくらいです。
判決文の出だしに、1段落使って、重要なことだが、そもそも問題になっているのは Brexit の内実ではなく、ジョンスン首相が8月末に女王にたいして議会を prorogue するよう助言(進言)して10月14日までそのように定めたことが、法にかなっているかどうかである。このようなイシューは空前絶後であり、再発はありそうもない、one off (1回きり)である、と確認しています(p.3)。
以下の論理がすばらしい。
そもそも議会の会期の定義から始まります。Prorogation とは「会期延長」や「停会」ではなく、議会の活動停止であって、その間は議場での討議だけでなく、委員会で証言をとることもできないし、内閣に対して書面で質問することもできない。政府は法的権限内で権力行使できる(p.3)。
Prorogation を決めるのは議会の権限でなく、君主(王権)の特権である。が、議会主権ということに随伴して、prorogue する権限は法によって制限される。というわけで、挙がっている先行法は 1362年法(エドワード3世)、1640年法、1664年法、1688年法(権利の章典)、スコットランド1689年法(権利の要求)、1694年法‥‥(p.17)
【法の年度の数え方が、われわれ歴史家と違って、法律実務家の慣行に従い、議会会期の始まった時点の西暦年で記されています。歴史的に[われわれの世界では]、権利の章典は1689年、権利の要求は1690年なのに‥‥】
それにしても最高裁の判事さんたちも The 17th century was a period of turmoil over the relationship between the Stuart kings and Parliament, which culminated in civil war. という認識を共有しているのは嬉しいですね。The later 18th century was another troubled period in our political history . . . .(p.12) といった判決文を読み進むのは、心地よい。イギリス史をやってて良かった!と思える瞬間です。
判決文の後半では、議会主権(Parliamentary sovereignty)という語が、何度繰りかえされているでしょう。きわめつけは、ブラウン-ウィルキンスン卿の判例からの引用で、 the constitutional history of this country is the history of the prerogative powers of the Crown being made subject to the overriding powers of the democratically elected legislature as the sovereign body (p.16). というのです。いささかホウィグ史観的だけれど、とにかく行政権力による議会主権の制限は違法であり、無効であり、ただちに取り消されなければならない、という力強い結論に導かれます。
ここでは「議会絶対主義」という語こそ用いられないけれど、現在の民主主義の本当の問題は、まさしく
議会主権 ⇔ ポピュリズム
議会制民主主義 ⇔ 人民投票型衆愚政治
というところにあるのではないか、と考えさせる、知的な判決。
英国の最高裁が全員一致で、迅速に、こうした明快な判決を出したこと、そしてそれを誰にも読みやすい形で(全文とサマリーと)公表したことは、すばらしい。『イギリス史10講』の最後(p.302)を久方ぶりに読みなおすことができます。日本の司法もこうあってほしい。
2019年6月30日日曜日
'Moral economy' and E P Thompson
よく分かっている人たちから、こんな反応をいただき、素直に喜んでいます。
'Moral economy' retried in digital archives.
自負と不安との相半ばするぺーパーだったものですから。
みなさんが EPT と呼んでいるのは、もちろん Edward P. Thompson (1924-1993)のことです。
〈MJB〉
It was very good to hear from you, and many thanks for sending me your essay on Thompson. Its doubly-interesting to me: I am trying to get funding for a research project on the politics of bread from 1300-1815, part of which is about linguistic shifts, and your material is really helpful; and I am also beginning work on a biography of Christopher Hill, so your thoughts about this intellectual milieu are also very stimulating. I didn’t think it was disrespectful or damaging to EPT at all - I am sure he would have been interested in this material, and keen to use it to think about his case.
〈PJC〉
Thank you for your splendid bibliometric investigation into the concept of Moral Economy, which has just reached me. It's a very useful as well as insightful study. I am sure that the late EPT would himself have welcomed it. His conclusions might have differed from yours. (As we all know, he quite enjoyed differing from everybody at some stage or other in his intellectual career).
But I am sure that EPT would be delighted that you have found some key eighteenth-century examples ('I told you so', he would have triumphed) and he would appreciate the care with which you have dissected shades of meaning in the term's application. Well done.
I am currently writing something on styles of digi-research and I intend to quote this essay as a good example of a productive outcome.
〈JSM〉
So good to hear from you and to receive the offprint of your essay on EPT and moral economy. As you know I have made fruitful use of word search on EEBO and BBIH to help me understand the emerging historiography of the seventeenth century and I was very excited by Phil Withington's work on the term 'early modern' and keywords within the early modern.
So I needed no persuading that you had a sound idea and I think you used the technique with real flair to get a real deepening of the great breakthrough that 'Making' represented. I like the way you demonstrate the tensions within the 18th/early C19th usage and suspect EPT would have relieved by what you have found! It helps me because I use Scott's sense of moral economy in my own work on the Irish depositions of 1641, seeking to distinguish the moral economy of the eye-witness testimony with the moral economy of the hearsay. I will be better informed in how I use the terms going forward.
2019年5月20日月曜日
ジャコバン シンポジウム
終了後にある先生から、チーム内の考え方の不一致というより多様性を指摘されました。それは認めますが、そうした点はネガティヴよりはポジティヴに受けとめてほしいと思いました。なにより
1) シンポジウムとして、各報告間とコメント間にたしかな共振・呼応関係があり、
2) (18世紀やモンテスキュはもちろん)いくつか重要で大きな論点が開示され、それを我々も出席者も持ち帰っていま再考=熟慮中という事実に、発展的な可能性をみるべきではないでしょうか。
たとえばですが[古代からの継続・近世史のイシューについては、すでにいろんな方々が問うておられますので、近代以降を展望しますと]、
・厳密な「ジャコバン主義」は歴史家の概念として、(1793-4年の)山岳派・ロベスピエール(そしてバブーフも?)の言説・思想から抽出した理念型として、考え用いるべきでしょう。
・理念型としての「ジャコバン主義」においては18世紀から革命へと(近代的)断絶がみられますが、広汎な向う岸の「ジャコバン現象」においては res publica も君主政も19世紀へと連続しえた。しかも、こうした異質の両者が1790年代には共振する情況・関係がありました。
・19世紀にはイギリスが、ジャコバン主義的近代もウィーン体制も拒絶しつつ、経験主義的な改良を重ねて Pax Britannica の世界秩序を築きあげる。その国のかたちは君主政・貴族政・民主政の混合政体で、しかも自由放任です。
・こうしたイギリス型近代に対抗すべきフランス型近代は、清明な合理主義による統制をめざすとみえてもストレートには行きません。体制転換(革命やクー)を繰りかえしつつ、パリコミューンを鎮圧した第三共和政で、ようやく1789年/93年的なフランス革命が国是とされます。フランス史における contemporain=近現代=革命体制の遡及的措定ですね。
・上海租界地などで今も19世紀半ば以降のイギリス型近代とフランス型近代の競争的な共存を目撃し再確認できますが、共通の敵/市場に対峙する列強=英仏の協力関係、それを補完するようにナショナルな様式を顕示した建築やデザイン -
こうした議論もいくらでも展開できるでしょう。
ぼく個人としては
『長い18世紀のイギリス その政治社会』に結実したシンポジウム(2001年@都立大)、
『礫岩のようなヨーロッパ』に結実したシンポジウム(2013年@京都大)
を想い出しつつ、前を向いています。
2019年4月11日木曜日
向う岸のジャコバン
そのウェブサイトのどこを探しても、各小シンポジウムの趣旨説明と「目次」は見えますが、各報告の要旨は載っていません。昨12月末〆切で、準備委員会の定める厳密な書式設定で提出しました物はどうなっちゃったのでしょう? 例年の大会サイトでは各報告の要旨も掲載されて、どんなシンポジウムになるか、事前からよく想像できるようになっていました。
中澤達哉さんの組織した小シンポジウム6「革命・自由・共和政を読み替える-向こう岸のジャコバン」は、このとおりです。
「革命・自由・共和政を読み替える ― 向う岸のジャコバン ― 」
近藤 和彦 ジャコバン研究史から見えてくるもの
古谷 大輔 混合政体の更新と「ジャコバンの王国」― スウェーデン王国における「革命」の経験 ―
小山 哲 ポーランドでひとはどのようにしてジャコバンになるのか ― ユゼフ・パヴリコフスキの場合 ―
中澤 達哉 ハンガリー・ジャコバンの「王のいる共和政」思想の生成と展開 ―「中東欧圏」という共和主義のもうひとつの水脈 ―
池田 嘉郎 革命ロシアからジャコバンと共和政を振り返る
コメント 高澤紀恵・正木慶介・小原 淳
(企画:中澤達哉)
このうち近藤の発表要旨について、右上の Features で紹介します。
2019年4月5日金曜日
ブダペシュトの市場にて
社会史的におもしろいのは、この中央市場です。タイル張りで1897年竣工。なかは2階建て。その活況が楽しい。それから隣接の Corvinus University (経済大学)はかつてポランニ先生がイギリスへ移る前にいた所と知ると、親しみが沸いてくる。すぐ脇が「自由橋」です。
ところで撮ってきた写真を眺めていて、ランチを摂った中央市場のテーブルに、白いビニールの掛けものがありました。
なんとこれを拡大してみると(真ん中やや上の部分)、こんなことが記してある。
サッチャ首相、ブッシュ大統領、ダイアナ妃は、さもありなんという方々だが、Emperor of Japan って今上陛下のこと?
美智子皇后もこの活気ある空間に立たれたのか! グーラシュを召し上がったのだろうか? そこで検索してみると、宮内庁のサイトに「平成14年7月16日(火)」ハンガリー大統領主催の晩餐会@国会議事堂(!)で述べられた「お言葉」が載っています。つまり2002年。そこでは、
1770年に来日し,長崎のオランダ商館に滞在したイェルキ・アンドラーシュから、
翌年,ハンガリー生まれの冒険家であったベニョフスキー・モーリツの来航に言及したうえで、
「オーストリア・ハンガリー帝国が成立した1867年は,私の曾祖父明治天皇がその父孝明天皇を継いだ年であり,二百年以上続いた徳川将軍を長とする幕府が廃された年でもあります。我が国が,諸外国との交流を深め,国の独立を守り,近代化を進めるための非常な努力を始めた時でありました。オーストリア・ハンガリー帝国と我が国との間に国交が開かれたのは,その翌々年になります。‥‥」そして
「ハンガリー語と日本語が共にウラル・アルタイ語族に属しているということから,20世紀初頭,語学研究のため,ハンガリーに滞在した白鳥庫吉のような東洋史学者‥‥」といったことまでディナースピーチは及んだのでした。引用は、http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h14e-easterneurope.html#HUNGARY より。わが不明を恥じます。
2019年2月3日日曜日
『みすず』読書アンケート
2日(土)は大阪にて研究会。会として充実していたけれど、わが頭脳は前夜からの睡眠不足で、条件反射より以上の意味ある発言はなかなか困難。睡眠にはふだん気をつけていますが、前1日に到来したお二方からの信書とメールの内容に励起されて、即答しつつ、時間の経過を忘れてしまいました。
研究会にはお一人の重要メンバーがインフルエンザで欠席。今年は1919年、第一次大戦の終戦にともない「スペイン風邪」と恐れられたインフルエンザが猛威をふった年からちょうど百年。マクス・ヴェーバーも翌1920年、56歳で命を落としました。アラフィフ、アラ還の皆さんはとくにご自愛ください!
本日落手した『みすず』678号には、例年どおり(140名の)「読書アンケート」が載っています。昨年から 1968-9年ないし東大闘争関連の出版がたくさんあったのに、それらへの言及はほとんどないのに驚きました。執筆者の世代ということなのでしょうか? いまさら言及の価値なしということ?
ぼくが挙げたのは(pp.69-70)、
小杉亮子『東大闘争の語り』、
和田英二『東大闘争 50年目のメモランダム』、
折原浩『東大闘争総括』、[ここまで3冊はこのブログでも論及しました]
そしてイギリスの友人イニスたちが編集した Re-Imagining Democracy in the Age of Revolutions: America, France, Britain, Ireland 1750-1850 (OUP, 2014);
Re-Imagining Democracy in the Mediterranean 1780-1860 (OUP, 2018)
という2巻本の共同研究です。
5冊に限定されていますから、これ以外は割愛するほかありませんでした。むしろ
山﨑耕一『フランス革命 「共和国」の誕生』(刀水書房、2018)
三浦信孝・福井憲彦(編著)『フランス革命と明治維新』(白水社、2018)
E.メンドサ(立石博高訳)『カタルーニャでいま起きていること』(明石書店、2018)
といった良書を挙げるべきだったでしょうか。
とりわけ、近年のフランス革命史で一冊だけ挙げるなら山﨑『フランス革命』です。長年の研究教育をふまえ、「正統」か「正当」かといったレベルも含めて、ことばの意味を反芻しながら書き進められる。同じ patriot が1789年の前後で「愛国派」と「革命派」に訳し分けられるといった苦しい方便も、正直に告白なさる。研究史の展開を十分に踏まえておられるのは言うまでもなく、たいへん好感のもてる執筆姿勢です。
最近のぼくなら、これに R. R. Palmer, Twelve Who Ruled: The Year of Terror in the French Revolution (Princeton U. P., 1941; Princeton Classics paperback, 2017) を加えたい。同じ著者の The Age of the Democratic Revolution がダイナミックな国制史だとすると、こちらはダイナミックな革命家列伝。第一章の題はなんと Twelve terrorists to be: 将来のテロリスト12名! ロベスピエールたち公安委員会の採りえた「狭い道」を描いて、国制的前提/思想的な資産と、革命情況の進展、友情と決断を浮き彫りにする。ご免なさい、ぼくは遅塚『歴史の劇薬』より、ずっとパーマのほうに共感できます。
『フランス革命と明治維新』は、タイトルからすると、あの高橋幸八郎的な問題意識なのか、と身構えさせるが、大丈夫、日仏会館の催しで P.セルナ、三谷博、渡辺浩といった論客が、それぞれ言いたいこと/言わねばならぬことをポジティヴに述べたスピーチが収録されています。
『カタルーニャでいま起きていること』はきれいごとでは済まない、ナショナリズムの現状。立石学長さん、多忙ななかで良い仕事をなさいますね。
2019年1月31日木曜日
パーマ『民主革命の時代』旧版・新版いずれも
〈承前〉 というわけで、新版(2014)に不都合や瑕疵はあるとはいえ、しかし、ヤル気のある学生たちに手に入りやすい形と値段で、この20世紀の古典が再版されたのは、悪いことではない。
礫岩のような国家とか、躍動する国制史とか、言ってきた者にとっての価値は無限です。このパーマの書物には conglomerate state とか composite monarchy といった用語こそないけれど、なんと
「ウィーンのハプスブルク君主政とは、一種の巨大持ち株会社のようなもの(a kind of vast holding company)で、その下であまたの従属的な社団の構造が生命を維持していた」(旧版 I: 103; 2014版では p.78)
といった文が次から次に出てきます。いったいアンシァン・レジームの絶対主義とか社団的編成とか唱えていた論者は、これを見過ごしていたのでしょうか? それとも、そもそも NATO 史観のアメリカ人の本など相手にしない、という姿勢だったのでしょうか? こういった「方法的ナショナリズム」こそ、パーマが反対したものでした。「比較国制史の試み」(p.3)なのだけれど、各国史を束ねて終わりではなく、
The book attempts to deal with Western Civilization as a whole, at a critical moment in its history(p.6)
と宣言します。さらに第2巻の序では
I have tried to avoid a country-to-country treatment, and to set forth . . . on the wider stage of Western Civilization (2014版では p.376)
と念を入れています。
ヨーロッパおよびアメリカの monarchy and republicanism, aristocracy and an emerging democracy が本書のテーマだと言うんですから、「主権概念の批判的再構築」のグループにも、「向こう岸のジャコバン」のグループにも、およそ歴史学的に政治社会と取り組もうという方々には例外なく必読文献(再読文献)ではないでしょうか。国制史は躍動するとか、well-ordered state とか、ホッブズ的秩序問題とか語っていた人、そして18世紀「啓蒙」に取り組んできた識者にむかっては、あらためて言うも愚か、かな。
2019年1月30日水曜日
R. R. パーマ『民主革命の時代』第2版(2014)
〈承前〉 というわけで、今回、書き込みの一杯ある手元の Princeton U.P., 1959-64 のぺーパーバック2巻本と対照しつつ、アーミテジのお弟子さんであるWくんの進言にすなおに従い、Princeton Classics edition, 2014 の1巻本を購入して再読することにしました。旧2巻本には40年以上も自分のカバーをかけて大事に扱ってはきましたが、汗とほこりと経年変化で、いささか脆くなっています。新1巻本はソフトカバーだけれど材質(acid-free paper)に工夫があり、丈夫で触感も悪くない。
R. R. Palmer (1909-2002) ご本人は亡くなって久しいので、この第2版の出版全体について学識ある責任者はだれだったのでしょう。アーミテジは「前言」を執筆して彼の仕事を歴史のなかに位置づけていますし、また息子 Stanley Palmer もテキサス大学の歴史学教授だとのことですが、はたして、内実的な編集を supervise したのはだれか、ということは明確ではありません。扉のうら、(c) 2014 の奥付ぺージに This book includes the complete text of the work originally published in two volumes .... と記されていますが、じつは以下のような特徴ないし問題があります。
まずは物理的な特徴から。
① 旧版は I(The Challenge) 9 + 534 pp.
II(The Struggle) 9 + 584 pp.
新版はこれを1巻に合体して 22 + 853 pp. に収めています。
単純に比較してぺージ数で 1,136ぺージ → 875ぺージ、つまり77%に減量。
本文・註ともに省略せず100%生かすために、その分、各ぺージの版面は圧縮されていて、
旧版は1ぺージに40行、概算で約428 words,
新版は1ぺージに45行、概算で約652 words.
旧版でも1ぺージにほぼA4・1枚分より詰めた感じの(充実した!)仕上がりだったのに、その1.5倍以上に詰まった版面で、字のポイントも小さい。
しかも旧版では各章の始まりは改丁して贅沢に1枚の紙の表裏をつかい、余白の美が読者をほっとさせてくれていたのに、新版はさすが章の始まりこそ「改頁」としていますが(改丁ではない)、余白はできるだけ詰めようという方針らしく、中高年の読者にはつらい仕上がりです。一巻本で900ぺージ未満に、という出版社側のコスト圧縮への強い意志のようなものを感じます。
さらには、(旧版と対照しつつ)読み始めてから気付くことですが、
② 旧版にあった段落の区切りを無視して、2つの段落を合体して1つにするといったこと(これは暴挙!)が無断でおこなわれています。cf.新版の pp.14, 19, 26, etc.
古典的なテクストがたいへん長い場合、モダンな版では段落を分けるといったことがしばしば慣行としておこなわれているのは承知していますし、それは意味の無いことではないと思います。が、この Princeton Classics でおこなわれているのは、その逆です。
③ 旧版ではフランス語のアクサン、ドイツ語のウムラウトをはじめとする語の修飾が丁寧になされていたのに、新版ではこれらを、ときに(!)無視する、という中途半端な方針。しかも、OCRで読み込んだ結果でしょうか(?)、like a girl, ... like a child とすべきところが life a girl, ... life a child となっちゃって意味不明(p.42)といった瑕疵もあります。こうしたことは、いかに globalization=Americanization=digitization の時代とはいえ、立派な出版社ならやっちゃいけないことですよね。
④ 索引について。新版は2つの巻の合体により、索引も合体されて便利になったばかりでなく、じつは旧版になかったいくつかの項目 absolutism, British Parliament, などが独立して、使いやすさが改善したと思われます。
ただし constituted bodies, corporatist school, intermediate bodies, patriot, patria (patrie), prescription (自然権の反対), virtue, well-ordered state といったパーマのキーワードは、残念ながら索引として立項されていない。また sovereign/sovereignty という項目はあるけれど、人民主権でない意味で使われた箇所については採用しない、といった瑕疵があります。
旧版において原著者が立項しなかったのだから‥‥という言い訳はあるかもしれないし、索引は読者が自分で必要に応じて補えばよろしい、といった考え方もないではないけれど、20世紀の「古典」を今のアカデミズムのなかで生かすためには、やはり著者のキーワードについては立項したい。
それから、新版の索引には信じがたい過ちも新たに生じています。たとえば、プロイセン王国のフリードリヒ2世(大王)は当然ながら立項されて、英語表記で Frederick the Great なのですが、これがなんと、Frederick William II [king of Prussia] と合体されてしまった。編集者さん(あるいはアルバイトの院生さん)、Frederick II [king of Prussia] という項目が必要なのですよ! 旧版の索引ではそこは間違いなく独立していましたから、一知半解の索引アルバイターがやっちゃったのかな?