2017年8月23日水曜日

記念像のアイルランド

 ロンドンにて、まだ Irish impact を反芻しています。
 Trinity College 前の College Green は車と人の雑踏がばかりでなく、現在工事中の標識がたくさんあって、きれいな写真になりませんが、黒くみえる立像にご注目。
 こちらの右から大学に向かって Grattan, 大学正門から街に向かって Goldsmith, Burke と18世紀後半(啓蒙・自由主義)の人物(だけ)が立ち並びます。
 当然ながら、現代アイルランド共和国はこのままを許容するわけにゆきませんので、カメラの右後ろには Tone grave, Thomas Davis と19世紀のラディカルたちが構えていますし、さらに北側のオコネル通りには、もちろんオコネルの巨大な像から GPO(1916年3月完成、4月に占拠、襲撃)まで、19世紀・20世紀のシンボリズムがあふれます。
 数が多いだけなら、ロンドン・ウェストミンスタにも「偉人」の立像がたくさん居並びますが、ダブリンでは(土地がコンパクトということもあって?)College Green に18世紀後半の自由主義者(でイングランドにも受容された3人)、
その先に少し遠ざかって19世紀前半の志半ばでたおれた2人、
さらに方向は北に転じて、ローマカトリック Pro-Cathedral に近い大通りにオコネル、19世紀の十分影響力を行使した活動家たちが居並ぶ、という明快な配置です。これは topology と chronology が重なって意味をもちます。ある段階で、だれか mastermind(個人? 集団?)がいてこそ実現した場所的色づけ(臭いづけ)なのではないかと、想像したくなります。

2017年8月22日火曜日

風のアイルランド


 アイルランド探訪のなかでも、いくつか重要な側面があり、まずは ancient Ireland とされてきたもの(invented traditionかもしれない)の最たるスポットを訪ねました。順不同です。

¶「タラの丘」は太古の王(high kings)の居所だったと伝えられる丘。古墳から遠からぬ所に、シャムロックを手にもつ聖パトリックの立像も据えられ、シンボリズムは十分ですが、近代史ではオコネルの1843年「百万人集会」の場にもなりました。
『風と共に去りぬ』でもタラはアメリカ南部の Irish American の心の支えで、この映画のライトモチーフになっています。最後の場面ではスカーレットの Tomorrow is another day が「明日は明日の風が吹く」と訳されて、名訳か迷訳か、ひとしきり議論されましたが、現場に立ってみて、そうか、この強風のことなのだ、と妙に納得しました。
緑、緑、緑のただなか、たえまなく吹きつける風に、全身で耐えている4人の写真です。

¶ カシェルの岩山はマンスタ王の居城だったのが、1101年に教会領となり、修道院文化の繁栄の中心でした。1647年にクロムウェル軍の包囲攻撃で廃虚となり、1749年には屋根が除去されて、荒廃が進んだようです。大聖堂わきの十字架を撮りましたが、ここでも身の危険を感じるほどの強風。
誰かさんのようにこの廃虚で「運命の人とのめぐりあい」はなかったけれど、しかし、アイルランド史、ブリテン諸島史、ヨーロッパ史のことを再考しました。

 Gone with the Wind も、The Wind that shakes the barley も、the wind をキーワードとしていたのでした。これが分かってなければ、アイルランド史は(アメリカ史も!)理解できないということか。

2017年8月20日日曜日

Irish revelation!

 アイルランドの南西に旅行してダブリン大学に帰って来ました。これこそ「啓示」というのでしょうか? 現場に立ってこその感覚があります。1995年以来、22年間もこの地を踏んでないのでした。

 神の子羊たちに行く手をさえぎられて車を止めた所に、にわかに隠れていたゲリラの狙撃が始まりそうな山間。

 
マイクル・コリンズ(1890-1922:『イギリス史10講』p.263)の英雄視と、内戦の事実の看過。IRAに待ち伏せ暗殺されたことは、記念碑には記さない約束なのでしょうか。

2017年8月10日木曜日

『ゼア・ファイネスト』と『グッバイ レーニン』

 今どきの私立大学は真夏でも多忙です。
 そうしたなかでようやく2つの話題の映画をDVDで見ることができました。

¶ 一つは今秋に劇場公開の『ゼア・ファイネスト(Their Finest)』 (キノフィルムズ、公開タイトルは未決)、1940-41年ロンドン空襲下の映画制作者たちの同志的なつながりの物語。
 ダンケルク敗走のあと、ドイツ軍による空襲が始まり、チャーチル言うところの Battle of Britain の士気を維持するために、そしてアメリカの参戦をうながすために情報省映画部もたたかいます。ちょうど連続ドラマ『刑事フォイル』が英仏海峡に面した町での複合的な感情と事件を扱っていた、それと同じ時期のロンドンの街中。ロンドン大学の本部セネットハウスは1937年に完成したばかりでしたが、戦時には情報省が置かれます。この映画ではその白亜の建物がほんの一瞬だけ映し出され、チャーチル首相の肖像写真も含めて、権力のシンボリズムにはあまり触れない。不自由な日常生活、防空壕と化した地下鉄駅などにおいて冗談を交わしながら勤勉に耐える男女を描きます。
 この映画は監督Scherfigも、原作『彼らの最高の1時間半(Their Finest Hour and a Half)』の著者Evansも、脚本Chiappeも女性であることにも現れるように、主人公カトリンの女としての成長が第1のテーマです。30歳前後(?)とみえるジェマ・アータトンの泣き笑いの自立と才能開花の物語。第2のテーマは、映画と時代ということでしょう。戦争直後にリーン『逢いびき』、リード『第三の男』、オリヴィエ『ハムレット』といった名画が連続するための苗床のようにして、戦時プロパガンダ映画があったのかもしれない。そこで映画におけるヒーローとは、物語と真理(truth)、事実(fact)とは、といったことを明示的に口論しながら、映画(のなかの映画制作)は進む。これは表象論の講義に使えると思います。ハリウッドとは違う抑制と節度をまもりながら『彼らの最高のとき』は、困難な時の映画人の連帯を謳いあげます。
 なまじっかの言語論的転回よりも、はるかに具体的で分析的な映画作品が、なんとあのセネットハウス(現ロンドン大学図書館、歴史学研究所)を舞台として想定してつくられたわけで、これは歴史学者への問いかけ(?)というより挑戦(!)かもしれない。

¶ もう一つはすでに2004年公開で知る人ぞ知る『グッバイ レーニン(Good bye Lenin!)』、1989年ベルリンの壁崩壊前から翌年のドイツ統一(西による東の吸収)にいたる東ベルリンの母子の献身的な物語。ここでも、なんと映画(テレビニュース)制作、本当(Wahrheit)とウソがキーワードになります。
 結局どちらの映画も、退っ引きならない情況におけるフィクションの効用、物語(ウソ)を協力して一所懸命に構築するという点で、そして映画中の役者がフィクション・事実・本当といったことを議論するという点で、共通しています。ただし、『ゼア・ファイネスト』では戦争中で人が続けて死ぬのに、全体に与える印象は、静かであまく切ないロマンス。ところが『グッバイ レーニン』のほうは親子の情も少年の成長もあるけれど、なんといっても「東」の瓦解という政治の激動、コカコーラと西側大衆文化と人材の洪水のような流入, etc., etc. 映画中で死ぬのはただ一人、主人公の母に過ぎないが、そしていくつものロマンスも描かれるが、現代史の奔流が観衆の足下を勢いよく削り、ぐらつかせてしまいそうです。
 政治的シンボリズムとして、左手に本をもち、右手で理想の未来を指すレーニン像がヘリコプターで搬送されたり、「フェイクニュース」を演技して、ヴィデオを母にみてもらうとかいった苦労をさんざ繰りかえしたあげく、最後には母自身が虚構を演じていたのだと知らされるというどんでん返しが用意されています。権力政治と、親子の愛情と、近隣の人々のちょっとした協力出演、そしてサッカーのワールドカップといった異なるレベルのイシューが複合して、言うにいわれぬ時代性をかもし出す -- これは明らかに Becker 監督の意図したところでしょう。「怒濤のような西側資本主義難民を受け容れるDDR(ドイツ民主共和国)」といった虚構のテレビ・ナレーションが、泣かせます。
 すばらしい映画ですが、ただし、タイトルが問題。レーニンを社会主義共同体の象徴でなく、権力政治と独裁の象徴としか思っていない者には紛らわしい。この映画のなかの母もじつはそう認識して割り切っていたのし、亡命した夫を愛しつづけ、(二人の子のためにこそ)社会主義優等生を演じていたわけだから、Good-bye, Lenin! よりも、むしろ 映画中にくりかえし出てくる街中のスローガン DDR 40 Jahre がストレートでよいかもしれない。あるいは東ドイツへの幻滅の先に登場する、(飛行船が象徴する)西側資本主義への近々の幻滅をタイトルにしても良かった。たとえば Hello, Capitalism!

¶『グッバイ、レーニン』『ゼア・ファイネスト』、ともに post-truth ⇔ fake news といった現今の対立図式を、もうすこし歴史的にソフィスティケートさせた作品と言えます。どちらも映画中の映画(テレビ)に歴史的なモンタージュを用い、また方法的なメッセージを明示的に論じています。
 見たあとの感覚は異なるに違いないけれど、それぞれ見るに値する作品です。それぞれ別の事情で見るきっかけを与えてくれた方々、ありがとう。

2017年8月9日水曜日

暗愚の真夏

 この間、まる1ヶ月も発言なしで過ごしました。
 日本の真夏に体調全開というインテリはあまりいないと思われますが、大学の繁忙が一息ついたかと、今月3日(木)に古い本(大河内‥‥社会政策学‥‥)を置く場所を移動したさいに(ここに入居して以来の)14年間のホコリや黴の胞子などを吸い込んだのでしょうか。喉の具合が悪い、などと言っていたら、2・3日のうちに完璧に風邪の症状となってしまいました。おかげで7日の書評会にはマスクをしていった次第。夕刻には台風ゆえの驟雨にやられて全身ずぶぬれとあいなりました。雨宿りの店で3時間余り懇談するうちに、なんとか元気回復。
 池田嘉郎『ロシア革命:破局の8か月』(岩波新書、1月刊)
ですが、すばらしい。叙述力について言う人が多く、それは否定しないけれど、本書の意義はなにより、1917年ロシアの立憲自由主義者たち(カデット)の努力と挫折、大ロシアの民衆世界に入り込むどころか対峙してしまった近代文明派のエリートたちの無力を描きだしたところにある。その挫折・無力 → 破局があってこそ、ボリシェヴィキ・レーニンの断乎たる無理押し(「泥んこのなかで天衣無縫に遊ぶ幼児」p.97?)、なぜか自信満々の意志と行動力が功を奏するわけだ。じつに説得的です。
 他派の欺瞞と不決断を排して正しい道をひた走る「(ボ)史観」、せいぜい乱暴なスターリンを憂慮していたレーニン、といった味付けの1967年(ロシア革命50周年)に育ったぼくたちの世代には、ナロードニキやトロツキーといったオールタナティヴはあっても、立憲自由主義という選択肢は、100%、想定外でした!
 民衆の暗愚、とは高村光太郎を連想させる用語で、すこし留保を置きたいけれど、それにしても自由主義文明派の無力、文明開化の破局、ボリシェヴィキの強力な介入(ジャコバン主義的な「領導」)を説明するには分かりやすい。