2016年9月20日火曜日

七隈(ななくま)史学会大会


 ちょっと大きく構えすぎのタイトルかも知れませんが、ポスターのような講演をすることになりました。
絵として、よく知られている16世紀後半の Europeana Regina のうち、女王の表情が優しく、また後の「国民国家」への行方がまだあまり(太い文字で)明示されていない1570年ころのヴァージョンを選びました。本当は『ヨーロッパ史講義』(1588年?)でも、こちらを使いたかったくらいです。

 日本人の世界認識および歴史認識を振りかえると、幕末・明治には福澤諭吉のような啓蒙的な文明論が、日清・日露以降にはドイツ歴史学派経済学/国家学が、そして戦間期、コミンテルンを後ろ盾とするマルクス主義史学が決定的な枠組を提供しました。人類史の普遍的な歩みのなかに自分たちの歩みも位置づけられるというパースペクティヴの発見。モダンであることもマルクス主義も、若者に、知的な世界の拡がりを感得させ,喜びをもたらしました。
 わたし自身、大塚久雄、高橋幸八郎の愛弟子たちに育てられ、「戦後の学問」の後半局面のなかで呼吸し、そこから全体を把握し構成する志を学び、留学と世界史の転換のなかで脱皮してきました。知のグローバルな展開も目撃してきました。いま文明史を見すえた歴史学を探るにあたって、「近世」の捉えなおしが決定的と思われます。

2016年9月14日水曜日

ヒトゴロシにもイロイロある


シェイクスピアの生まれはエリザベス1世の治政、1564年。ジェイムズ王への代替わり時には39歳で、創作力の頂点。亡くなるのは徳川家康と同じ1616年。ということは「真田丸」の同時代人でもあり、おもしろい話はたくさんあります。
立正大学文学部の公開講座ですが、ご案内申しあげます。
http://letters.ris.ac.jp/aboutus/koukaikouza/idkqs4000000293w.html
詳しくは↓
http://letters.ris.ac.jp/aboutus/koukaikouza/idkqs4000000293w-att/28kokaikoza.pdf
申し込み期日は厳密に考える必要があるのかどうか? むしろ数百人の湛山講堂が満杯であふれるといった事態を避けるためでしょう。

2016年9月9日金曜日

Commentarii


 以前から不思議だったのは、このブログの閲覧者のうち MS Office のインストールや使用法、認証のトラブルにかかわる発言にアクセスする方が非常に多いことでした。なにかソフト(今ではアプリ、ですか?) Office の不正利用のためのノウハウ・ページと誤解してアクセスなさっているのか、それにしても(合衆国、中国、ロシアも含めて)閲覧者数が多すぎるな、と。
 ほんの数日前に、忽然と気付いたのですが、ぼくのブログの名が「オフィスにて」となっていて、どんなスレッドであれ、これは省略されない。検索エンジンでもその結果は、たとえば 「オフィスにて 成瀬治先生」といった表示になるわけです。これは不覚でした。

 (じつはオフィスに行かずに書いているケースも増えていますから)この際、トップの名称を変えてみます。全体の表題を「無」にするという選択は blogger にて許されないようですから、スポーツの「実況中継」ほどにリアルタイムではありませんが、研究教育だの、思考の道具だのにともなう時宜的な commentaries だということで、カエサル的な!?(あるいはぼくたちの学生時代の『判例コンメンタリー』的な!?)名称でちょっとやってみましょう。これにより、アクセス数は健全化するでしょう。

2016年9月4日日曜日

PRC って?


 すでに3週間前のことですが、北ウェールズ・(ス)ランディドノーの宿にあった小さなシャンプーをいただきました。ロンドンの安宿での浴室備え付けは兼用ボディシャンプーだったので、そちらを使用しました。
 ウェールズなのに Falkirk Scotland の企業の製品なんだ、などと感心していたのだが、小さな文字のどこかに Chine とか見えたような気がして、改めてしっかり読むと(全体で高さ5センチあるかないか。じつに目を凝らさないと読めない)下から4行目右に Fabriqué en Chine とあるではないか!えっ? でも英語でそうとは記されてない。英仏2語表記だが、その左には Made in the PRC とあり。
 PRC = People's Republic of China のことと判明するまで、眼をパチパチしました。オリンピックでも国連でも、こんな表記をしていますかね?
 こういう微妙な使い分け(ダブルスタンダード)を国際戦略的に推進する国と、Cool Japan! なんて一人で悦に入っているナイーヴな国と、今日の states-system のなかで対等にやっていけるかな? グロティウス先生、そして大沼先生から学ぶべきことは多い、とあらためて思い入ります。