ラベル オランダ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル オランダ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年11月3日日曜日

南アフリカ、強かったね


 日本が10月20日に 3対26 で圧倒的に負けた相手ですが、11月2日、エディ・ジョーンズHCのイングランドは、ラシ・エラスムス(!)HCの南アフリカ(Springboks)にやはり実力で圧倒されてしまった。トライなしで 12対32.
 その点をBBCは飾ることなく、
   South Africa broke English hearts with a ruthless display of power rugby
   to seize their third Rugby World Cup in devastating fashion.
という見出しで伝えています。これまた、なんという力強い、簡にして要をえた英語なんだ!

(C)BBC 

 そして、写真の真ん中、黒人主将 Siya Kolisi のドラマも語りあげます。
その語りにおいては、1899-1902年の不義の闘い・南アフリカ戦争の意趣返し、といったことは、品がなくなるので口にせずに、エラスムス的[≒オランダ起源のコスモポリタンの]多様性の文化が、南アフリカ共和国の将来を示す、というストーリです。
 これはマルチ=エスニックな日本チームについて報じられているのと、方向性は同じです。美しくない過去の克服について、南アでは政府イニシアティヴでポジティヴに取り組んでいる;日本ではそれがどこまで意識的に追求されているか、という違いはありますが。

2019年4月5日金曜日

ブダペシュトの市場にて

建築学的にブダペシュトはおもしろいと言い始めたら、都市史学会の面々は黙っちゃいないでしょう。

社会史的におもしろいのは、この中央市場です。タイル張りで1897年竣工。なかは2階建て。その活況が楽しい。それから隣接の Corvinus University (経済大学)はかつてポランニ先生がイギリスへ移る前にいた所と知ると、親しみが沸いてくる。すぐ脇が「自由橋」です。

ところで撮ってきた写真を眺めていて、ランチを摂った中央市場のテーブルに、白いビニールの掛けものがありました。
なんとこれを拡大してみると(真ん中やや上の部分)、こんなことが記してある。
サッチャ首相、ブッシュ大統領、ダイアナ妃は、さもありなんという方々だが、Emperor of Japan って今上陛下のこと? 
美智子皇后もこの活気ある空間に立たれたのか! グーラシュを召し上がったのだろうか?
そこで検索してみると、宮内庁のサイトに「平成14年7月16日(火)」ハンガリー大統領主催の晩餐会@国会議事堂(!)で述べられた「お言葉」が載っています。つまり2002年。そこでは、
1770年に来日し,長崎のオランダ商館に滞在したイェルキ・アンドラーシュから、
翌年,ハンガリー生まれの冒険家であったベニョフスキー・モーリツの来航に言及したうえで、
「オーストリア・ハンガリー帝国が成立した1867年は,私の曾祖父明治天皇がその父孝明天皇を継いだ年であり,二百年以上続いた徳川将軍を長とする幕府が廃された年でもあります。我が国が,諸外国との交流を深め,国の独立を守り,近代化を進めるための非常な努力を始めた時でありました。オーストリア・ハンガリー帝国と我が国との間に国交が開かれたのは,その翌々年になります。‥‥」そして
「ハンガリー語と日本語が共にウラル・アルタイ語族に属しているということから,20世紀初頭,語学研究のため,ハンガリーに滞在した白鳥庫吉のような東洋史学者‥‥」といったことまでディナースピーチは及んだのでした。引用は、http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h14e-easterneurope.html#HUNGARY より。わが不明を恥じます。

2009年8月11日火曜日

平戸 (Firando) にて





 先週に訪れた九州というのは、平戸と福岡でした。
平戸は初めて。その先の生月島は存在さえ知らなかった(イキツキ=息つく島!だそうです)。 行ってよかった。近世捕鯨の拠点。絶壁の灯台から東シナ海を望みました。

 このあたりは入江が深く、また365日、風が吹いていて、帆船にとっては好条件だったのでしょう。ザビエルも1550年に来て布教しています。今の平戸港だけでなく、その南にすこし行った千里が浜には1624年、鄭成功(国姓爺)の生まれた浜があって、その記念碑のあるホテル蘭風に泊まりました。このあたりには中国人や南蛮人の逸話の伝わる所が少なくない。もちろん、かくれ切支丹をめぐる話には事欠きません。地元の高校の歴史の先生が案内役兼運転手として大活躍してくださいました。

 アダムズとヨーステンの豊後漂着は1600年ですが、英国商館は1613年に設立(というより中国商人の家屋を間借り)、石造りの和蘭商館は1639年に建設。日英関係は1600年から説きおこすのが普通ですが、日蘭関係は1609年からというのが普通ですね。今年は日蘭400年の記念すべき年で、3階建ての立派な商館を記録にもとづいて再建工事中です。
 最初の和蘭商館は、破風に Anno Domini 1639 なんて刻印しちゃったから、幕府の怒りに触れて、取り壊し、1641年、長崎出島に移転するほかなし、という運命でした。
〈つづく〉