2024年2月2日金曜日
みすず『読書アンケート2023』
→ https://magazine.msz.co.jp/backnumber/
【お知らせ】月刊雑誌『みすず』新年の号に恒例の特集として掲載してまいりました「読書アンケート」は、本年から書籍『読書アンケート2023』として2月16日に刊行予定です。全国の書店を通してご注文になれます。
ということです。例年のことになりましたが、ぼくも執筆しています。
1.M・ウェーバー『支配について』 I、II 野口雅弘訳(岩波文庫、2023-24)
2.嘉戸一将『法の近代 権力と暴力をわかつもの』(岩波新書、2023)
3. E. Posada-Carbo, J. Innes & M. Philp, Re-imagining Democracy in Latin America and the Caribbean, 1780-1870 (Oxford U P, 2023)
4.R・ダーントン『検閲官のお仕事』 上村敏郎ほか訳(みすず書房、2023)
5.大澤真幸『私の先生』(青土社、2023)
についてしたためました。
じつは原稿を送ってから、「そうだ、この本も逃してはいけない重要なお仕事だったのに」と気付きました。その本については、また別途、きちんと論じなくては。
2021年6月13日日曜日
集団接種に参りました(その2)
【万一の副反応の可能性を考えると、同一日に接種を受けるのは望ましくない、という専門家の助言に従ったのですが、見ていると夫婦で同時に接種を受ける組も少なくなく、ぼくのような判断は少数派かと思われます。そもそもワクチン接種といってもTV報道ではすごく長い注射針を肩に射し込んで、それだけでも恐怖でしたが、やってみると蚊に刺されたよりも軽い刺激で、拍子抜けでした。6時間以上もたって夜に軽い倦怠感のような、ぼんやりした感覚がありましたが、これがワクチン接種のせいか、そもそも暑さのせいか、分かりませんでした。接種した左肩は、今日2日目に軽く痛くなりました。腫れや違和感はありません。】
こうしたワクチン接種がせめて1ヵ月早めの日程で進んでいれば良かったけれど、今のスケジュールでは(65歳以上の希望者のワクチン接種がようやく7月末に完了!? 64歳以下の接種はそれより先!)、そもそも東京オリンピック・パラリンピックの強行は、ほとんどカミカゼ特攻隊的な無理難題ですよ。
今となってみれば、パンデミックのなか東京オリパラをあくまで実行するのは、何のためでもない、①菅政権の延命と、②国際利権法人IOCの強欲のため以外に、どんな目的があるというのでしょうか。医師や免疫学者の進言をないがしろに、みずからの権力と利権に執着するという点で、菅とバッハは共通しています。
JOCや東京都とすれば、開催決定権はIOCに握られ、こちらから中止・延期を申し出れば、即契約違反で、天文学的な賠償金を請求される。それが怖いから、言い出せないのでしょう。
であれば、発想を変えて、逆にこちらから積極的に、人類平和と親善、世界の健康と公共性を根拠に、それを損なおうとするIOCのバッハ会長(Baron Von Ripper-off)を法的に訴える、また国際世論にアピールする、ということを、いま損得経費の仮想計算も含めて、少なくとも思考実験的にやっておく必要があります。
日本側の合理的判断、決意、そして英語の交渉力が問われています!
<『日経』https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE063CK0W1A500C2000000/
<Washington Post https://www.washingtonpost.com/sports/2021/05/05/japan-ioc-olympic-contract/
https://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/japan-olympics-pandemic-vaccines/2021/06/10/
2021年1月23日土曜日
罰金と過料のちがい?
いま22日の閣議決定をへて国会に上程されようとしている「特別措置法改正案」のなかの用語ですが、時短要請について知事が命令したことに違反した場合に「50万円以下の過料」; 「感染症法改正案」の場合は、感染者の入院拒否や病院からの逃亡にたいして「懲役1年以下または100万円以下の罰金」; という規定があります。
現在のあくまで個人主義的な自発性にもとづく自粛、行政側からすれば「協力のお願い」では効果がうすい、というので、現政権はおそるおそる罰則規定を加えるわけです。それにしても「過料」と「罰金」はどうちがうんだ? それに「過料」って「科料」のまちがいでは? というので辞書を引き、ウェブで調べてみました。
「罰金」は刑法に定められているとおり、犯罪の処罰のうち死刑、懲役、禁固などの下位にある制裁の一つ。1万円以上。裁判所の判決できまるわけで、有罪になればもちろん「前科」として記録にのこる。その後の人生で、原則、公務員にはなれない。
「科料」も刑法で定められた刑罰だけれど「軽微な犯罪に科する財産刑」で1万円未満。「とがりょう」とも読むらしい。
「過料」は刑法上の刑罰ではないとのこと。「江戸時代から過失の償いに出させた金銭」に由来するもので、現行法でも軽い禁止に違反した場合にしはらう「秩序罰」、「あやまちりょう」とも読むらしい。
つまり、感染者が病院への入院を拒んだり、勝手に逃亡したりした場合は刑事罰として罰金/懲役を科される。休業や営業短縮などの命令に反した場合は、秩序罰として過料(罰金より軽い、あやまちりょう)にとどめる‥‥という差をつけるのですね。
ところでぼくは今のようなパンデミックの情況下には、強制力をともなう非常措置をとることに反対ではありません。ただし、せいぜい秩序罰だし、期限を明示し、始まりも終了も国会で決める、という条件で。
歴史的にローマの共和政でも、フランス革命の革命政府でも非常事態には dictator(独裁者)の執政が有期で(6ヵ月/1ヵ月)定められました。元老院や国民公会など議会が承認し決定することが条件です。カエサルが元老院で殺されたのは、有期のはずの独裁者なのに、彼の場合は「終身の独裁者」となったからでした。<小池和子『カエサル』(岩波新書、2020)
ロベスピエールたち山岳派の革命独裁(dictature)の場合は個人独裁ではありませんが、やはり(はじめは)期限をいちいち更新していました。なんといっても「徳と恐怖」の革命政府(非憲法体制)ですから、いささか疑問や異論を唱えただけで「反革命」と認定されればギロチン(断頭台)に上るわけです。1794年の3月からは、あのダントンさえ逮捕、処刑され、いつまで続くかわからぬ大恐怖のさなか、疑心暗鬼になった革命家たちが7月にクーデタを企て、ロベスピエールやサンジュストを国民公会で逮捕し革命独裁を終わらせました。
いずれの場合も、元老院や国民公会が舞台になったこと、議会主権が肝要です。
ところで、平和な日本ではギロチンでも暗殺でもなく、せいぜい「100万円以下の罰金」か「過料」でことは済みそうですが、それにしても 「罰金は、罪状や金額に関わらず、原則として現金一括払いで、納付した罰金は確定申告の控除対象とはなりません。」とのことです。 ご注意を! <https://www.keijihiroba.com/punishment/labor-seekers.html
2020年11月15日日曜日
天皇像の歴史
「特集 天皇像の歴史を考える」 pp.76-84 で、ぼくはコメンテータにすぎませんが、「王の二つのボディ」論、また両大戦間の学問を継承しつつ、 A. 君主制の正当性根拠 B. 日本の君主の欧語訳について の2論点に絞って議論を整理してみました。
じつは中高生のころから、大学に入ってもなおさら、いったい「日本国」って君主国なの?共和国なの?何なの? という謎に眩惑されましたが、だれもまともに答えてくれませんでした。いったい自分たちの生きる政治社会の編成原理は何なのか、中高でならういくつかの「国制」で定義することを避けたあげく、あたかも「人民共和国」の上に「封建遺制」の天皇が推戴されているかのようなイメージ。「日本国」という語で、タブー/思考停止が隠蔽されています!
この問題に歴史研究者として、ようやく答えることができるようになりました。E. カントーロヴィツや R. R. パーマや尾高朝雄『国民主権と天皇制』(講談社学術文庫)およびその巻末解説(石川健治)を再読し反芻することによって、ようやく確信に近づいた気がします。
拙稿の pp.77, 83n で繰りかえしますとおり、イギリス(連合王国)、カナダ連邦、オーストラリア連邦とならんで、日本国は立憲君主制の、議会制民主主義国です。君主制と民主主義は矛盾せず結合しています。ケルゼン先生にいたっては、アメリカ合衆国もまた大統領という選挙君主を推戴する monarchy で立憲君主国となります。君主(王公、皇帝、教皇、大統領)の継承・相続のちがい - a.血統(世襲・種姓)か、b.選挙(群臣のえらみ、推挙)か - は本質的な差異ではなく、相補的であり、実態は a, b 両極の間のスペクトラムのどこかに位置する。継承と承認のルール、儀礼が歴史的に造作され、伝統として受け継がれてきましたが、ときの必要と紛糾により、変容します。
『史学雑誌』の註(pp.83-84)にあげた諸文献からも、いくつもの研究会合からも、示唆を受けてきました。途中で思案しながらも、 「主権なる概念の歴史性について」『歴史学研究』No.989 (2019) および 「ジャコバン研究史から見えてくるもの」『ジャコバンと王のいる共和政』(共著・近刊) に書いたことが、自分でも促進的な効果があったと思います。研究会合やメールで助言をくださったり、迷走に付き合ってくださった皆さん、ありがとう!
2020年10月7日水曜日
日本学術会議 - 日本学士院
5日のこのブログで言及した署名キャンぺーンを始めた日本史の二人は、「左翼」とは言い難い、個人主義的な、学者として誠実な人たちです。そこに意味があると思います。
今晩のニュースで思わず快哉の声をあげたのは、またもや静岡県知事、イギリス学界では Heita Kawakatsu として知られる川勝の記者会見です(オブライエン先生もファーニ先生も[ドイツ的に]ハイタ・カワカツと発音していました!)。川勝もまた(学生時代はいざ知らず)左翼とは言い難い。むしろ彼を右寄りと受けとめている人も多いでしょう。
その川勝知事が今日、静岡県の記者会見で日本学術会議の人事に触れて、
「‥‥「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した。『学問立国』である日本に泥を塗った行為。一刻も早く改められたい」と強く反発した。 川勝知事は早大の元教授(比較経済史)で、知事になる前は静岡文化芸術大の学長も務めた、いわゆる「学者知事」だ。 川勝知事は6人が任命されなかったことを「極めておかしなこと」とし、文部科学相や副総理が任命拒否を止めなかったことも「残念で、見識が問われる」とした。」ということです(朝日新聞 online、7日夕:https://digital.asahi.com/articles/ASNB761QMNB7UTPB00D.html)。
そうなんですよ。菅首相が苦学して「法の精神」も、「現代政治の思想と行動」も身につける間もなく卒業してしまい、しかし経験的に世の中の機微だけは修得して権力に近づいた、小役人の頂点として内閣官房長官に納まるまでは幸運のわざ、と諒解できます。しかし総理大臣、すなわち statesman もどきの政治家として役を演じきるには、どうしても近くに賢いブレーンが必要不可欠です。(あの驕慢なエゴイスト・トランプがこれまでなんとか演技できてきたのも、献身的な側近 brains のおかげでしょう。)
川勝知事の記者会見で「文部科学相や副総理が任命拒否を止めなかったことも「残念で、見識が問われる」とした」というのも、問題は同類です。菅義偉という男のまわりには、権力の亡者ばかりがたむろして、忖度し追随しないと怖いことになる、という冷たい空気が漂っているのでしょうか?【ただし、ここで制度的に厳密なことを言い立てると、日本学術会議は文科省ではなく内閣府(← 総理府)の機関で、これを総理大臣が所轄しているので、文科相には発言権限がない! 文科省が管轄する(名称が似ていないではない)国家公務員団体は「日本[むかしの帝国]学士院」です。】
ここで、日本学術会議よりもう一つ格上の賢者の集まり、「日本学士院」が - ただの御老体の終身年金受給者集団ではないという証に - どのような見識を示すのか、注視したいと思います。
2020年5月21日木曜日
自粛ポリス
世間では「自粛ポリス」とかいった攻撃的な、しかしチマチマした民衆的〈制裁〉が見られるらしく、悲しい。
近現代の国家(≒福祉国家)では暴力・強制力は国家が独占する(リンチを許さない)という原理で動いていますが、そうなるより以前の国家社会では - そもそも警察はなかったし - 自力救済で問題を解決するか、逆に軍隊の強制に反対するしかなかった。やむにやまれず、たいていは1個人の単独行動より、共同体としての直接行動・示威行動でした。騒擾・一揆・リンチ・シャリヴァリ、そして直訴がくりかえされたわけです。
そうしたさいに、ただ何かに異議を申し立てての抗議や反乱というより、むしろ「官」が行きとどかない/職務怠慢であるのに代わって、自ら正しい(とされている)ことを執行する -〈正義の代執行〉あるいは〈制裁の儀礼〉といった行動様式が、日本でもヨーロッパでもアメリカでも見られました。そのことの意味を
拙著『民のモラル ホーガースと18世紀イギリス』〈ちくま学芸文庫〉で考えました。
そのときは文明人にとっての「異文化」、その意味を考えるというスタンスで、これは〈いじめ〉問題の捉えなおしにもつながると考えていたのです。コロナ禍のような、想定外の緊迫・恐怖が続くと、これまでマグマのように鎮静していた民衆的・共同体的な〈騒ぎとモラル〉の文化が噴出してくるのですね。
そこまではよく分かります。でも、今日見られる「自粛ポリス」は、たいてい権力をカサに着た、チマチマして匿名の〈いじめ〉、あるいは脅しのようで、目の覚めるような未来への構想・〈夢〉は示してくれない。もっと前向きに開けた直接行動・デモンストレーションがあると、楽しいのにね。
むかし、「国大協自主規制路線 反対!」とか言っていたのを想い出します。
2020年2月22日土曜日
水際作戦からパンデミックへ
いま中国、日本だけでなく、韓国、その他においても「市中感染」の段階に進んでしまった新型コロナウィルス(WHO の正式名称は COVID-19)ですが、これについてぼくは疫学もその歴史も知りませんから、特別なことは指摘できない。また不安やパニックを煽ったりしたくありません【当面、12日から個人的には花粉症で苦しみ始めました!】。ただ二つほどのことは言えます。
¶1.NHKテレビにもしばしば登場される賀来 満夫 教授(東北医科薬科大)がすでに2月前半には指摘なさっていたとおり、政府も医療チームもできること分かっていることはやっている、ただしこれは SARS や MERS と違って「はじめに劇症が出ない感染症だから、やっかいだ」ということです。つまり COVID-19のキャリアでありながら(とくに若くて元気な人は)ほとんど軽症で、肺炎の症状は出ない。だから普通の生活を送りながらウィルスを拡散しているかもしれない。糖尿病や循環器に疾患をもつ人、そして高齢者が罹患すると重症化してニュースになるが、その周囲にもっと多くの(軽症の)感染者がウィルスを拡げてゆく可能性を警戒すべきだ、とおっしゃっていました。事態はそのとおりに展開しています。【3月6日加筆:同じく東北大学の押谷 仁 教授が、大学のぺージでよく分かるように説明してくださっています。 → https://www.med.tohoku.ac.jp/feature/pages/topics_217.html】
WHO はもう少し早めに、この病気の世界的な拡がりの脅威を警告すべきでした。そうすることによって、各国政府に早めで真剣な取組をうながすことになったでしょう。
¶2.もう一つの問題は、横浜港に停泊している Diamond Princess 号の国際法的な位置と船長の指揮権です。(日本政府は、船内の感染者数を日本国内の症例とは別にカウントしています!)
・外国籍の船が、感染症とともに、3700人もの多国籍・多言語の人々を乗せて寄港してしまった場合(しかも、入国手続は全員未履行)に、どうすべきかというノウハウはなかった。だから日本政府は毅然たる/明快な方針を立てなかったということでしょうか。官僚主義的で、どこか真剣さが足りないような気がしました。
・それにしても、船のなかのとりわけ緊急の問題は、船長(とそのスタッフ)に権限・リーダーシップがあるはずですが、今回の事態からはそれがさっぱり見えてこない。乗客にたいするコミュニケーション、乗員従業員にたいする指示・指導‥‥大きな問題を残しました。
グロティウスから大沼保昭、金澤周作にいたる賢者も即答できない、歴史的で急を要する事態が発生したわけです。そうした認識が1月の時点では(だれにも?)不足していた。
「水際作戦」とか quarantine (昔は40日!今は14日)といった、近世・近代的な対策では、スペイン風邪(WWI 直後のインフルエンザ pandemic)以後の現代的感染症 - しかも、はじめは劇症でなくソフトに始まる新型感染症 - には対処できない。これに英語発信の立ち後れという「日本的」問題も加わって(Ghosn 事案の場合と同じ)、この2020年は疫病史だけでなく、世界史に刻みこまれる年になりそうです。
‥‥これによって、付随的に、2020年真夏のオリンピック強行という愚行が、なんとか延期・修正されるかな?
2020年1月2日木曜日
Ghosn's gone!
大晦日の年賀状作成作業が佳境に入っているときに飛び込んできたのが、Ghosn's gone! という速報。アクション映画かなにかで見たような、あるいはフランス革命の重要局面に似ていなくもない逃亡劇です。(日本の当局もマスコミも、年末年始で、この突発事件にすみやかに対応できないまま!)
この事件を考えるさいに2つのイシューがあり、混同することはできません。
1.日本の司法における人権無視。
これはぼくたちが学生のころからまったく変わっていません。日本(や東アジア、また他の中進国で)の刑事訴訟法では(疑わしきは無罪、とは大学の授業でのみ唱えられるお題目で)、逮捕時点から被告・容疑者は有罪を想定されていて、しかも実際の運用で、有罪と自白するまで、執拗な取り調べがつづき、釈放されず、外の人々との接触も制限される。【「証拠隠滅のおそれ」という口実で、じつは非日常の空間に長期間拘束された】本人がよほどの忍耐心と自尊心をもちあわせていないと、「楽になりたいばかりに」、真実とずいぶんズレても「自白」とされる検事の用意した調書(彼の構築したストーリ)の最後に署名捺印して釈放される、ということがどれだけ繰りかえされてきたことか。あいつぐ冤罪事件は、ほとんどこれでしょう。「冤罪」ほどでなくとも、正確には違うのだけれど、もぅ疲れた、もぅ終わりにしたい、というケースがどんなに多いか!
もと厚労事務次官・村木厚子さんのたたかいを、みなさん覚えているでしょう。
人権の国フランスで教育されたカルロス・ゴーンおよびその周囲の人々は、これを耐えがたい人権侵害と受けとめて、それには屈しなかった。たいする日本の司法官僚たちは、「法治国家日本」のメンツをかけても、現行刑事訴訟法にもとづく作法と手続を駆使して、「外圧」なにするものぞ、と挑んだのでしょう。
こうした日本の「近代的」文化にもとづく刑事訴訟法(とその実際)にたいする異議申し立てに、ぼくは賛成です。この点にかぎり、ゴーンおよびその弁護団を支持していました。
2.それと今回の逃亡劇とは、まったく別問題です。
あのソクラテスにとっても、悪法といえども法は法。手続上はそれにしたがい、有能な弁護士と全面的に協力して戦略戦術をたて、具体的に論駁し、たたかうべきだった。ましてやソクラテスの場合とは違って死罪ではなく、経済犯容疑で時間的猶予はあったのだから、何年かけてもたたかって人権のチャンピオンになることすら可能だった。【随伴的に、日本の刑事訴訟法の改正に向かう道が切り開かれるかもしれなかった!】
それなのに逃亡しては、しかも妻の進言か手引により、クリスマス音楽会を催して大きな楽器ケースに紛れて(?)家を出たうえ、パスポート偽造か偽名を使って日本を出国し、トルコ経由でベイルートへという茶番! (フランス・パスポートは2通目をもっていた!)Extradition treaty (これぞ今、香港でたたかわれている問題!) のないレバノンで、日産と日本の司法の非を鳴らしつつ、これから一生過ごすおつもりですか?
下手なアクション映画にありそうな筋立てですが、こうした偽装逃亡劇をやってしまうと、日本の世論も欧米の世論も急転直下、ゴーンの人格・品位を疑い、支持しなくなるでしょう。弁護チームもお手上げです。ご本人のベイルートからのメッセージは、このとおり ↓
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54000320R31C19A2I00000/?n_cid=DSREA001
「わたしは裁き・正義(la justice)から逃れたのではなく、不正・権利侵害(injustice)と政治的迫害から自由になったのだ」という主張ですが、これは通りません。たしかに Wall Street Journal だけは
It would have been better had he cleared his name in court, but then it isn’t clear that he could have received a fair trial.
と仮定法で擁護しています。clear のあとの that は if と読み替えたいところ(https://www.wsj.com/articles/the-carlos-ghosn-experience-11577826902?mod=cx_picks)。辣腕投資家・経営者の味方・WSJ らしい論法で、歴史的に考えない無知の表明です。
フランスで高等教育をうけたカルロス君のよく知るとおり、革命から2年、1791年6月、ルイ16世が王妃マリ=アントワネットとともに変装して逃亡し、国境近くで阻止されて、パリに召喚され、さんざ嘲られた事件を想い出してほしい。もしやカルロス君は理工系だから、このヴァレンヌ事件なんて知らない、とは言わせない。このときまで立憲君主制(イギリス型の近代)という落とし所が用意されていたフランス革命は、もう止める堰もなく、王なしの共和国、人民主権の革命独裁に突き進むしかなくなったのです。
この第2点により、ぼくも弁護団も、コングロマリットの普遍君主カルロス・ゴーンを、いささかも擁護できなくなってしまいます。http://kondohistorian.blogspot.com/2018/11/blog-post_23.html
コングロマリットとは『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)pp.14-16 でも喩えた、ヨーロッパの政治的なまとまり、国際複合企業の様態をさす専門用語です。これは礫岩とも「さざれ石」とも訳せますが、ここでは明治天皇の行幸した武蔵の大宮(現さいたま市)の氷川神社にある「さざれ石」を見ていただきます。 いかに経年変化により「‥‥いわおとなりて、苔のむすまで」にいたっても、本質的にこういった脆い結合体ですから、「一撃」があれば、容易にくだけ散ります。
2019年9月27日金曜日
主権は議会にあり、それを制限する内閣の決定は違法にして無効
この判決文は、全文24ぺージのPDFとして容易にダウンロードできます。
← https://www.supremecourt.uk/cases/uksc-2019-0192.html Judgment(PDF)
こう書くと「またデハのカミが」と揶揄されそうですが、それにしても最高裁判決が、このように知的で明晰だというのは、羨ましいかぎり。大学院の授業で教材として熟読したいくらいです。
判決文の出だしに、1段落使って、重要なことだが、そもそも問題になっているのは Brexit の内実ではなく、ジョンスン首相が8月末に女王にたいして議会を prorogue するよう助言(進言)して10月14日までそのように定めたことが、法にかなっているかどうかである。このようなイシューは空前絶後であり、再発はありそうもない、one off (1回きり)である、と確認しています(p.3)。
以下の論理がすばらしい。
そもそも議会の会期の定義から始まります。Prorogation とは「会期延長」や「停会」ではなく、議会の活動停止であって、その間は議場での討議だけでなく、委員会で証言をとることもできないし、内閣に対して書面で質問することもできない。政府は法的権限内で権力行使できる(p.3)。
Prorogation を決めるのは議会の権限でなく、君主(王権)の特権である。が、議会主権ということに随伴して、prorogue する権限は法によって制限される。というわけで、挙がっている先行法は 1362年法(エドワード3世)、1640年法、1664年法、1688年法(権利の章典)、スコットランド1689年法(権利の要求)、1694年法‥‥(p.17)
【法の年度の数え方が、われわれ歴史家と違って、法律実務家の慣行に従い、議会会期の始まった時点の西暦年で記されています。歴史的に[われわれの世界では]、権利の章典は1689年、権利の要求は1690年なのに‥‥】
それにしても最高裁の判事さんたちも The 17th century was a period of turmoil over the relationship between the Stuart kings and Parliament, which culminated in civil war. という認識を共有しているのは嬉しいですね。The later 18th century was another troubled period in our political history . . . .(p.12) といった判決文を読み進むのは、心地よい。イギリス史をやってて良かった!と思える瞬間です。
判決文の後半では、議会主権(Parliamentary sovereignty)という語が、何度繰りかえされているでしょう。きわめつけは、ブラウン-ウィルキンスン卿の判例からの引用で、 the constitutional history of this country is the history of the prerogative powers of the Crown being made subject to the overriding powers of the democratically elected legislature as the sovereign body (p.16). というのです。いささかホウィグ史観的だけれど、とにかく行政権力による議会主権の制限は違法であり、無効であり、ただちに取り消されなければならない、という力強い結論に導かれます。
ここでは「議会絶対主義」という語こそ用いられないけれど、現在の民主主義の本当の問題は、まさしく
議会主権 ⇔ ポピュリズム
議会制民主主義 ⇔ 人民投票型衆愚政治
というところにあるのではないか、と考えさせる、知的な判決。
英国の最高裁が全員一致で、迅速に、こうした明快な判決を出したこと、そしてそれを誰にも読みやすい形で(全文とサマリーと)公表したことは、すばらしい。『イギリス史10講』の最後(p.302)を久方ぶりに読みなおすことができます。日本の司法もこうあってほしい。
2019年9月24日火曜日
脅迫メール!
ビットコインで(50時間以内に)$730を払い込まないと、ぼくの見た恥ずかしいサイトや写真や etc. を知友全員にバラまくぞ、というのです。
でもこりゃ下手なコドモの脅迫だな、と判断して無視し、また皆さんに告知します。
理由の1:発信時刻がすでに問題。↓
Date:25 Sep 2019 05:29:16 +1100
これでハッカーの(中継地の)時刻が日本列島のぼくのアカウントとは異なる、太平洋のどこか(日本から時差2時間の所)、ということがバレちゃった!
理由の2:英語力に問題多し。
¶まず
Subject:Security Alert. Your accounts was hacked by criminal group.
・中1レヴェルですが、もし主語が accounts なら be動詞は were でしょう。
でも、この場合なぜ複数にしなくちゃならんのか、理由はないから、正しい主語は単数で Your account; そして時制を過去にすると「今と関係ない過去の出来事」になっちゃうから、正しい動詞は現在形で is とするか、あるいは現在完了で has been かどちらかでなくちゃなりません。
by criminal group もナチュラルでない。単数形なら a という冠詞が必要。無理にでも The Criminal EX とかいう固有名詞にしてもよかったね!
¶つづいて、本文の書き出しですが
As you may have noticed, I sent you an email from your account.
・ここでも時制が問題で、ワンセンテンスのなかでは時制を一致(照合)させなくちゃいけないわけで、I sent you という過去形はありえない。I send you か I'm sending you かどちらかでしょう。
¶そしてちょっと複雑になると、構文が混乱しちゃう。
This means that I have full access to your device. . . .[中略]
This means that I can see everything on your screen, turn on the camera and microphone, but you do not know about it.
・この turn on the camera and microphone が、どう that I can see に繋がっているのか、全然不明ですね。I can see you turn on . . . なら成りたつけど。
最後の , but you do not know about it の部分も、大学生以上ならもう少し気の利いた句にできたでしょう。
つまり「犯行グループ」の英語力は、非ネイティヴないし英語国なら高校中退レヴェルで(自分と同じ程度の)不良ユーザを相手に引っかけようと企んだ、と想像されます。払込金額が730ドル(7-8万円!)というのも、あながち無理ではない実行可能な額、というので設定したのでしょうか?
理由の3:脅迫されているぼくのアダルトサイト閲覧とかそれに類似した事実はなく、こちらに暴かれて困る事実はないので、ここは強気に出ます。【クリントン大統領のホワイトハウス・スキャンダルが話題になった Windows 開闢期[1990年代!]にその関係を数度にわたって閲覧したことはありますが‥‥】
ぼくと似たメールアカウント(とくに @nifty)をお持ちの方々、同じような脅迫メールが来たら、どうぞ慌てず騒がず、だまって無視し、削除してください。
なお
If I find that you have shared this message with someone else, the video will be immediately distributed.
というのが脅迫の最後のセンテンスです(ここでも英語として正しくは anyone else でしょう!)。今後どんなヴィデオが拡散するのか、笑って期待してください!
2019年9月17日火曜日
後ろを見つめながら未来へ
暑さをなんとか凌いだところで、ちょっと振り返りますが、
・5月19日(静岡大学)の西洋史学会大会・小シンポジウムは、ぼくにとっては3月18日のブダペシュトのつづきで、フランス革命におけるジャコバン独裁の研究、他国のジャコバン現象の研究、共和政と民主主義の歴史といったことを考えることができて良かったのですが、文章にしないとなかなか定着しませんね。パーマの『民主革命の時代』の学問的な前提にあった両大戦間の corporatist の研究からなにを学ぶかという点で、二宮史学を相対化できたのも、思わぬ成果でした。
・5月26日(立教大学)の歴史学研究会大会・合同部会は、主権国家再考 Par 2 ということで、昨年(Part 1、早稲田大学)のつづきでした。すでに『歴史学研究』976号(2018)に昨年の合同部会における研究発表・コメントと討論要旨が載っていて、「‥‥公共的で批判的な学問/科学の要件」『イギリス史10講』p.165 が満たされています! 今年の大会増刊号のために「主権なる概念の歴史性について」という小文を書いて、すでに初校ゲラも戻しました。秋の終わり頃には公になっているでしょう。それにしてもぼくは、皆川卓氏と岡本隆司氏の引き立て役にすぎません。
この間、合衆国のトランプ、連合王国のジョンスンばかりではない、中華人民共和国の習近平、大韓民国のムンジェイン、日本国の安倍晋三、等々の政治家たちはみな「主権の亡者」のごとく、マスコミもまた国家主権の強迫観念を客観視できないようです。
・今秋の11月9日(東京大学)ですが、史学会大会シンポジウムでは〈天皇像の歴史〉という共通論題で日本史3名の研究報告があり、なぜかコメンテータは近藤です。
すでに準備会などで討論していますが、ぼくとしては第1に、君主の位の正当性根拠(3つの要件)*といったことから、「万世一系」を正当性のなによりの根拠としているらしい日本の天皇という制度の独自性を際立たせたいと思います。第2には、江戸時代から明治時代への転換において、いかにして欧語 emperor の指す権力が征夷大将軍(imperator)から天皇(総帥権をもつ皇帝)へと変わるのか、維新の政治家たちの判断(決断)理由を問います。エンペラーという語がカッコイイというのもあったでしょう。19世紀半ばという時代性を際立たせたいと思います。
なお大日本帝国憲法について、その絶対性ばかり指摘されがちですが、じつはその第4条に「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬し、此ノ憲法ノ条規ニヨリ之ヲ行フ」とあるように、モンテスキュにならって、君主制は即、法の支配の下にあると明記していました。だから美濃部「天皇機関説」こそ正しい解釈だったのですね。
それをファシストたちが崩していったときから日本帝国は法治国家でなくなり、いわゆる「天皇制絶対主義」という解釈の余地が生じてきます。安丸良夫、丸山眞男の見識を再評価したいと思います。他方で、講座派およびその優等生・大塚久雄は、ここの転換のデリカシーを受け容れない、硬い解釈を採っています。
* 君主位の正当性の3要件とは、『イギリス史10講』を貫く理屈のひとつの柱でした。p.33 から p.274まで。
2019年2月16日土曜日
朕ハ国家ナリ
沖縄・琉球のような所にこそ歴史のエッセンスが現れる。
明治天皇のこのような銅像が、琉球処分後の沖縄県「波上宮」には置かれています。波上宮(なみのうえぐう)は官幣小社として格付けされたのでした。
「国家」と大書した左に、やや小さく「睦仁」とみえます。
L'État, c'est moi. 「国家トハ、朕ノコトナリ」と訳すのが、もっとも原意にかなっていると思われます。cf.『近世ヨーロッパ』p.61.
大日本帝国憲法 第4条では「天皇は国の元首にして統治権を総覧し この憲法の条規により これを行う」[現代表記]として、元首であり統治権のトップである天皇が、「憲法の条規により」その権限を行使するわけだから、国のかたちとしては独裁ではなく 立憲君主制ですね。かつて「天皇制絶対主義」というコミンテルンの表現もありましたが、これは絶対主義の近年の研究を予知した(絶対主義の非絶対性!)先見の明ある表現だったの?
法に拘束される君主制、これこそモンテスキュ(法の精神)の考えた君主政体(monarchie)です。睦仁陛下の考えた「国家」もまた、法と結合し、名誉というバネをもつ政体だったのですかね? 『法の精神』を再読しつつ、考え込みます。
2017年2月18日土曜日
大学もチャリティ
The University of Edinburgh is a charitable body, registered in Scotland, with registration number SC005336.
金澤周作さんや伊東剛史さんのお仕事にもよく現れているとおり、海難救援団体も動物園も博物館も子どものためのNPOも、チャリティなのです。慈愛にみちた救貧法人もそうだし、エリートの学校法人も「コミュニティの益となる目的」のために設立・運用されている基金や社団であれば、チャリティです。慈愛にみちているかどうかよりも、信託法のもとにあるファンドにもとづく任意活動であることこそ、要件です。ファンドを賢明に運用して、事業資金を黒字で確保することも、理事会の責務として想定されています。日本でいえば、サントリー文化財団ばかりでなく、日本学術振興会(JSPS)も、国家公務員共済(KKR)も、英米法の範疇ではチャリティと定義されるでしょう。cf.『イギリス史10講』p.220
最初に書いたことにもどれば、エディンバラ大学がチャリティ団体だ(日本の「国立大学法人」ですかね?)という点だけでなく、もう1点、イングランドとスコットランドは別の法体系で動いている、という連合王国の事実もここで確認されます。「無君・一法・万民」のフランス共和国とちがって、「一君・二法・三国民」のイギリス連合王国です。
EU(ヨーロッパ連合)のメンバーであることと、連邦主義とがあいまって、現代のイギリスの経済と大学ビジネスを繁栄させてきたわけですが、さて、EUから抜けてしまうと、どうなるか。
2016年9月4日日曜日
PRC って?
すでに3週間前のことですが、北ウェールズ・(ス)ランディドノーの宿にあった小さなシャンプーをいただきました。ロンドンの安宿での浴室備え付けは兼用ボディシャンプーだったので、そちらを使用しました。
ウェールズなのに Falkirk Scotland の企業の製品なんだ、などと感心していたのだが、小さな文字のどこかに Chine とか見えたような気がして、改めてしっかり読むと(全体で高さ5センチあるかないか。じつに目を凝らさないと読めない)下から4行目右に Fabriqué en Chine とあるではないか!えっ? でも英語でそうとは記されてない。英仏2語表記だが、その左には Made in the PRC とあり。
PRC = People's Republic of China のことと判明するまで、眼をパチパチしました。オリンピックでも国連でも、こんな表記をしていますかね?
こういう微妙な使い分け(ダブルスタンダード)を国際戦略的に推進する国と、Cool Japan! なんて一人で悦に入っているナイーヴな国と、今日の states-system のなかで対等にやっていけるかな? グロティウス先生、そして大沼先生から学ぶべきことは多い、とあらためて思い入ります。
2016年8月8日月曜日
天皇陛下の2つのボディ
象徴天皇の誠意があきらかな、よく練られたお話で、政治理論的・歴史的には、近現代の君主の「2つのボディ」が明白に現れていました。第1の心と体をもつご当人の気持、そして第2に「国政にたいする権能をもたない」象徴としての法人格。その2つの間のずれが糊塗できないところまできたということでしょう。
行政およびマスコミの討論はこれからでしょうが、もしカントロヴィツの「2つのボディ」論を理解しないまま近現代天皇について発言するとしたら、それは愚かなナンセンスです。行政もマスコミも賢明になりましょう。歴史学も人文学も、物理学や生物学とおなじく、実学の極みです。その成果を軽んじると、ニワトリや魚群の行動と区別のつかない、条件反射になってしまいます。
2016年2月1日月曜日
『みすず』645号
いまや年中行事です。暮から正月の忙しい折に書くのも大変なのだが、しかし2月に入るとただちに皆さんの文章を読めるのが楽しく、有益。「面白くて、為になる」という昔の講談社みたいな企画です。まだの人は、ぜひ!
ぼくのがビリに近いところ(pp.96-97)にあるのは、おそらく原稿の到着順、追い込みでページを制作しているからでしょう。そのぼくより後に、阪上孝さん、キャロル・グラックさん、斉藤修さん、野谷文昭さん、沼野充義さん、鎌田慧さん、といった面々が続いているということは、つまりぼくよりさらに遅かったの? 豪傑揃いです。
いや、とにかく丸山眞男の父、幹治の「人柄」(p.11)とか、「京城学派」(p.13)、「偉大なる韓民族」の「精気」(p.49)とか、初めて知りました。そしてキャロル・グラック(pp.100-102)、いつもながら冴えている!
今年のぼくは、
・パスカル『パンセ』
・ヴェーバー『宗教社会学論選』
・村上淳一『<法>の歴史』
・Kagan & Parker (ed.), Spain, Europe and the Atlantic World; Andrade & Reger (ed.), The Limits of Empire
・岡本隆司(編)『宗主権の世界史』
を挙げてコメントしました。
【なお昨年度の拙文は、右上の FEATURES: 『みすず』No.634 にアプロードしました。ご笑覧ください。】
新刊でなくとも、2015年に読んで感銘を受けた本であれば古典でも、日本語に限定することなく、という編集部の方針が、執筆者には自由をあたえ、読者には多様な本の世界を広げて見せてくれて、うれしい。それから、原稿の到着順だからと想像されますが、最初の30名(?)ほどは、律儀でまた時間に余裕のあるらしい方々が多い。まだまだ元気ですよ、すくなくとも短文を書き、想い出をしたためる力は残っていますよ、という近況報告集のような役割も、この企画は担っているのかな。
2010年6月1日火曜日
Did you know?

イギリスの司法の末端は、ヴェーバのいう名望家支配の典型=治安判事がしきる四季法廷でになわれ、重罪事犯になると、中央から巡回してくる高裁判事のもとで行われる Assizes が一種、州共同体の祭事のように機能した、と自分でも書いていました(『民のモラル』;『伝統都市』第4巻)。高裁はあっても最高裁はない、or 貴族院の law lords が決裁する、という理解です。
貴族院は立法府でありながら司法の最高機関でもあり、(アメリカの議会と違って)国家元首が出席するか、欠席の場合も玉杖が Crown in parliament を代表具現する。
日本やアメリカの、三権分立を厳しく設定した憲法になじんでいると、イギリスの司法と立法の「癒着」は際だちます。法曹のなかでも barrister は弁護士だったり判事だったり、そもそもみんな Inns of court のメンバー。いったいこれでよいのか! と感じていました。
わが友人の妻は去年まで barrister だったのですが、今年から判事殿です。日本では弁護士と裁判官の人事交流は稀ではないでしょうか。それに日本の判事(判事補)さんは、3年ごとに任地を転勤して(地域インタレストに左右されない裁判をおこなうためだそうです)、たいへんな生活を送っておられますが、イギリスではローカルな勤務が認められ、自宅家族の居住地からあまり遠くない裁判所に通勤する例が多いようです。
そうした現状に「革新」の大ナタがふられることになったのは、EU人権裁判所からの意向でした。2005年の国制改革法により、2009年10月に貴族院から The Supreme Court of the UK が独立して、12人の判事が構成する司法の最高機関=最高裁が確立したのです。
ようやく形式的にも三権分立となったわけです。しかも最高裁の場所はウェストミンスタ、議会と修道院の対面、かつての Middlesex Guildhall、すなわち財務省のはす向かい。司法・立法・行政、そして教会が Parliament Square を囲むことになりました。
ご存じでした? ぼくはほんの数日前に知りました。(あいかわらずスコットランドは刑事裁判の最上級審だけは自国内に堅持するようですね!)