ラベル 17世紀 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 17世紀 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年9月15日日曜日

グレンコウの宿恨

はるばるスコットランドのハイランドも西海岸、コウの大渓谷(Glencoe)に参りました。
すごく険しく、ものすごく広大で、これは写真でなく実際に来てみないとその迫力はわからない。と言いながらここは写真でご覧に入れるしかありません。
訪ねあてたのは、マクドナルド氏族の末裔が19世紀末に建てた1692年の虐殺の顕彰碑。
これより前に Campbell, Duke of Argyll家の居城 Inveraray にも参りました。別の大渓谷(glen)を抜けて、潮の満ち干のいちじるしい深い入り江(loch)に面した立派な居城です。
対立したジャコバイトとホウィグと両方に挨拶したわけです。
そもそもこんなにも大渓谷で隔てられた各氏族、交際・連絡は険しい陸路よりも、リアス式に奥まで切り込んだ Loch の水路によるところが大きかったろうと、十分に想像できました。それだけ陸路をたどるのは大変でした・・・ その夕刻、太陽を背にして走るうちに、虹の根本に遭遇したのでした。 
ついでにスコットランドの loch とは湖だけでなく、海の入江についてもいうのだと認識しました。ドイツ語の See も海と湖と両方を指しますね。日本の古語でも「うみ」は琵琶湖だったり、瀬戸内海や日本海だったり・・・

2020年1月18日土曜日

生と死


 いただく寒中見舞いではじめて知己の死を知ることも少なくありません。厳粛な気持になります。
 まだお元気であっても「"生涯の残余"を通過中」というある方は、ぼくより13歳年長でしょうか、「死に逝く者にも矜恃があるとして、それはいつまで保てるものか」「もう少し勉強してみよう」と記しておられます。
 こんなポストカードに印字されていました。
 Anthony Sedley 1649 Prisoner
 セドリはレヴェラーの一人ということですが、不覚にも知らず、ODNB を引いても項目がありません。ウェブのなかで検索すると、オクスフォードの Burford Church 教区教会の関連で、1649年のレヴェラー指導者の処刑にかかわる逸話と写真がいくつかあるのでした。(「なんにも知らないんだなぁ」とまた言われそう。)

2019年9月27日金曜日

主権は議会にあり、それを制限する内閣の決定は違法にして無効

 9月5日、13日にも書きましたとおり、迷走し、自由民主主義および社会民主主義の祖国というイメージを裏切りつづけるイギリスですが、現地24日の最高裁の判決(11名の判事全員一致)は、久方ぶりの快哉でした。
 この判決文は、全文24ぺージのPDFとして容易にダウンロードできます。
https://www.supremecourt.uk/cases/uksc-2019-0192.html Judgment(PDF)
 
 こう書くと「またデハのカミが」と揶揄されそうですが、それにしても最高裁判決が、このように知的で明晰だというのは、羨ましいかぎり。大学院の授業で教材として熟読したいくらいです。
 判決文の出だしに、1段落使って、重要なことだが、そもそも問題になっているのは Brexit の内実ではなく、ジョンスン首相が8月末に女王にたいして議会を prorogue するよう助言(進言)して10月14日までそのように定めたことが、法にかなっているかどうかである。このようなイシューは空前絶後であり、再発はありそうもない、one off (1回きり)である、と確認しています(p.3)。
 以下の論理がすばらしい。
 そもそも議会の会期の定義から始まります。Prorogation とは「会期延長」や「停会」ではなく、議会の活動停止であって、その間は議場での討議だけでなく、委員会で証言をとることもできないし、内閣に対して書面で質問することもできない。政府は法的権限内で権力行使できる(p.3)。
 Prorogation を決めるのは議会の権限でなく、君主(王権)の特権である。が、議会主権ということに随伴して、prorogue する権限は法によって制限される。というわけで、挙がっている先行法は 1362年法(エドワード3世)、1640年法、1664年法、1688年法(権利の章典)、スコットランド1689年法(権利の要求)、1694年法‥‥(p.17)
【法の年度の数え方が、われわれ歴史家と違って、法律実務家の慣行に従い、議会会期の始まった時点の西暦年で記されています。歴史的に[われわれの世界では]、権利の章典は1689年、権利の要求は1690年なのに‥‥】
 それにしても最高裁の判事さんたちも The 17th century was a period of turmoil over the relationship between the Stuart kings and Parliament, which culminated in civil war. という認識を共有しているのは嬉しいですね。The later 18th century was another troubled period in our political history . . . .(p.12) といった判決文を読み進むのは、心地よい。イギリス史をやってて良かった!と思える瞬間です。

 判決文の後半では、議会主権(Parliamentary sovereignty)という語が、何度繰りかえされているでしょう。きわめつけは、ブラウン-ウィルキンスン卿の判例からの引用で、 the constitutional history of this country is the history of the prerogative powers of the Crown being made subject to the overriding powers of the democratically elected legislature as the sovereign body (p.16). というのです。いささかホウィグ史観的だけれど、とにかく行政権力による議会主権の制限は違法であり、無効であり、ただちに取り消されなければならない、という力強い結論に導かれます。
 ここでは「議会絶対主義」という語こそ用いられないけれど、現在の民主主義の本当の問題は、まさしく
    議会主権 ⇔ ポピュリズム 
    議会制民主主義 ⇔ 人民投票型衆愚政治
というところにあるのではないか、と考えさせる、知的な判決。
 英国の最高裁が全員一致で、迅速に、こうした明快な判決を出したこと、そしてそれを誰にも読みやすい形で(全文とサマリーと)公表したことは、すばらしい。『イギリス史10講』の最後(p.302)を久方ぶりに読みなおすことができます。日本の司法もこうあってほしい。

2019年2月6日水曜日

パブリック(デジタル)ヒストリ

セミナー案内を転載します。

3月上旬に、ジェーン・オーマイヤ氏(Prof. Jane Ohlmeyer, Trinity College Dublin)、
アン・ヒューズ氏(Prof. Ann Hughes, Keele University) のお二人が
アイルランド、イギリスから同時来日し、3回のセミナーが京都大学と東洋大学で開催されます。

東洋大学では、両氏をお迎えし、
・3/9(土)に、社会史再考(パブリック/デジタル・ヒストリ、およびジェンダー・ヒストリ)

・3/10(日)に、革命史再考(五王国戦争および大衆出版と公共圏)

をテーマとした公開セミナーを開催いたします。
9日には、日本近代史の三谷博先生にもご登壇いただき、近藤和彦先生に司会をお願いします。
詳しくはポスターをご覧ください。

セミナーは事前登録不要ですが、3/9の懇親会参加をご希望の方は、
会場手配の都合上、<3/4までに>下記までご一報ください。
 東洋大学 人間科学総合研究所 渡辺・後藤 ihs @ toyo.jp <スペースは詰めてください>

さらに、一足先の3/4(金)には、京都大学でも「関西イギリス史研究会」の
例会にて、上記のセミナー報告の一部をお話しいただきます。

多くのみなさまのご参加を、心よりお待ちしております。
関心のありそうな方が周囲にいらっしゃいましたら、ぜひ本案内をご転送ください。

2018年12月1日土曜日

レパントの戦い

Mさん、
『近世ヨーロッパ』(山川出版社)について、早速にご関心をもっていただいてありがとうございます。
ご指摘のとおり、表紙には「レパントの戦い」の屏風絵を用いました。10年ほど前に Biombo (屏風)という展覧会がサントリー美術館であり、見てビックリしたものです。同時に展示されていたカール5世やフランソワ1世(かもしれない)武将の群像も含め、それ以来、いつかどこかで利用したいと考えていた材料です。

ヨーロッパ(ろうまの王)軍とオスマン帝国(とるこ)軍の戦闘を、1600年前後の日本で屏風絵として製作していたという事実がまず興味を惹きます。また戦国から徳川最初期の日本において、屏風絵という美術品がもっとも価値ある贈り物、輸出品だった、ということも、あまり広くは知られていない。家康のブレーン以心崇伝の『異国日記』を読んで気付かされることです。1613年、イギリス東インド会社のセーリスにたいして「日本国 源家康」が「イカラタイラ国主」への御朱印状とともに(おみやげとして)もたせたのは「押金屏風 五双」でした【『ヨーロッパ史講義』p.103】。

世界史リブレットですから(本文はたったの88ぺージです)、あまり立ち入って詳しく書き込めないのですが、
1) 近世という時代それじたいを問題として呈示し、
2) 各国史の叙述、とりわけフランス史中心史観を相対化し、
(副次的に、帝国礼賛史観にももの申し、)
3) またヨーロッパ史とアジア史・日本史との関係性(の大転換)を明示する、
(そうしてはじめてポンパドゥールのインド更紗画、そして産業革命が理解可能となる!)

というのが、本書に自ら課したミッションでした。

本体価格たったの729円で、近年の研究動向をふまえた政治社会史・(躍動する)国制史・文明史の成果を簡便に示す。しかも、引用されている歴史家は、ランケ『ロマンス系諸国民とゲルマン系諸国民の歴史』に始まり、ホブズボーム『革命の時代』で締める、というのも、ちょっとだけ、おもしろいでしょ!

2018年11月18日日曜日

絶対王政? アンシァン・レジーム? 近世という時代の主権国家

 『史学雑誌』10号で山﨑耕一さんの仲松優子『アンシァン・レジーム期フランスの権力秩序』(有志舎、2017)にたいする書評を読みましたが、最後の近くに(p.98)「いわゆる「コップの水が半分なくなったか、半分残っているか」の論争に近いように思われる」という名言がありました。これでちょっと重たい書評文が明るく締まりました。
その直前直後に入江幸二『スウェーデン絶対王政研究』(知泉書館、2005)を読んでいて、こちらはカール12世の即位儀礼(1697年)の特異性を明らかにしていておもしろい。しかし13年前のお仕事ということもあって(?)「主権」の主張が即「絶対主義」に結びついてしまう趣き。p.14における「絶対王政(絶対主義)」の定義も、いわば「君主政をとる近世主権国家」の特徴を述べているに過ぎないような気がします。
 かくも山田盛太郎の『日本資本主義分析』における absolutism/absolutisme/Absolutismus/天皇制絶対主義[という語が使えないので、様々の形容を用いる]の範式=のろいが、そうと自覚しない若い世代にも、戦後民主教育によって血肉化しているのです! コミンテルン・日本共産党とともに(隠れ)二段階革命戦略をとる方々ならともかく、そうでない立場から自由に、歴史的に考えようとする人なら、「絶対主義」「絶対王政」のいずれの語も、自己欺瞞か目潰しの効果があると意識したほうが良い。
 とか思いながら『史学雑誌』の巻末・出版広告を眺めていたら、なんと、一番最後の左下に、近世ヨーロッパの広告があるではないですか。96頁、本体729円とのこと。ただし、ぺージはどこからどこまで数えるのか、ぼくの見たところ92ぺージというのが正しいような気がします。宣伝文句も3行ばかり見えますが、これはぼくがしたためた文のほぼ半分の短縮形。元来は(縦書きで)こうでした。
 ≪表紙の絵は一五七一年、レパントにおけるスペインなど連合軍(左)とオスマン帝国海軍(右)との戦いを、想像により描いた日本の屏風絵である。裏表紙の肖像画は一七六四年、インド更紗を着たフランス貴婦人を描く。十六世紀から十八世紀の間に、ヨーロッパの政治・経済・文化は、そしてアジアに対する関係はどう変わったのか。ルネサンスと大航海の時代から、戦争と交流と学習を重ね、啓蒙と産業革命にいたる近世の三〇〇年を、ヨーロッパだけでなく世界史の変貌として見てゆこう。
 というわけで『近世ヨーロッパ』は写真のような装丁です。まもなくお目にかかります。

2018年10月14日日曜日

『近世ヨーロッパ』

土曜日に山川出版社の山岸さんに『近世ヨーロッパ』の再校ゲラ戻し、図版初校戻しを渡して、この世界史リブレットについて基本的にぼくの仕事はほとんど片付きました。今の時点の奥付には11月20日刊行*とあります。【*念校にてこれは、11月30日刊行、となりました。 → 実際の製品、カバー写真については こちら。】

専門書ではないので、想定読者は高卒~大学に入学したばかりの一般学生から専門外の先生方です。ですから、序の「近世ヨーロッパという問題」は、高校世界史の筋書、またテレビ番組の語りから説きおこし、「中世と近代の合間に埋没していた16~18世紀という時代が問題なのだ」と提起します。「1500年前後の貧しく貪欲なヨーロッパ人は荒波を越えて大航海に乗り出したのだ」がその理由は、何だったのか。「アジアとヨーロッパの関係は1800年までに(本書が対象とする期間に)大変貌をとげた」、どのように? なぜ?

想い起こすに、2000年前後の二宮さんは個人的な場で、当時勢いのあったアジア中心史観に不満を洩らし、「いろいろ言っても結局、ヨーロッパ人がアジアに出かけたので、アジア人がヨーロッパに来たのではない」と呟かれました。社会史・文化史・「‥‥的転回」の旗手も、やはり戦後史学(あるいはフランス人のヨーロッパ史)の軛(くびき)というか轍(わだち)というか、大きな枠組のなかで考えておられた。ぼくの二宮さんにたいする違和感の始まりは、1) フランス人的なドイツ的・イギリス的なものへの(軽い)偏見でしたが、続いて、2) 日本もアジアも遅れているという「感覚」でした。

『近世ヨーロッパ』は、こうした二宮史学(が前提にしていたもの)を十分に評価した上での批判、そしてフランス史(およびフランス中心主義)の再評価と相対化の試みです。
もう二つ加えるとすれば、α.ピュアな人々(ピューリタン、原理主義者、革命家)の相対化、中道(via media)と jus politicum を説いた「ポリティーク派」、徳と国家理性を論じた人文主義者たちの再評価ですし、またβ.じつは近世史の戦争と迷走の結果的な知恵としてとなえられる、議会政治の再評価、です。

だからこそ、ヨーロッパ近世史の転換期(含みのある変化のあった)17世紀を危機=岐路として描きました。よく言われる「30年戦争」「ウェストファリア条約」もそうですが、さらに決定的なのは、1685年のナント王令廃止 → ユグノー・ディアスポラ → 九年戦争 → 名誉革命(戦争)という経過ではないでしょうか? これはオランダ・フランス・イングランドの間の競合と同盟にもかかわり、p.56~p.68まで使って、本文は全88ぺージですので、かなり力を入れて書いています。
「イギリスは‥‥世紀転換期の産業革命に一人勝ちすることになる」(p.86)とか、「近代の西欧人は、もはや遠慮がちにアジア経済の隙間でうごめくのでなく、政治・経済・軍事・文明における世界の覇者としてふるまう。その先頭にはイギリス人が立っていた」(p.88)といった締めのセンテンスに説得力をもたせるには、17世紀の経済危機ばかりでなく政治危機をもどのように対策し、教訓化し、合理化したのか。「絶対主義」的な特権システムなのか、議会主権的な公論・合意システムなのか。この点を明らかにしておく必要がありました。

たしかに20代のぼくが読んだら、これは驚くべき中道主義、議会主義史観で、唾棄すべし、とでも呟いたかもしれない。それはしかし、青く、なにも歴史を知らない、観念論(イデオロギー)で世界をとらえていた、ナイーヴな正義観の表明でしかなかったでしょう。We live and learn.

2018年8月27日月曜日

<帝国>と世界史


(ちょっと日にちが空きましたが)『日経』郷原記者の「アジアから見た新しい世界史 -「帝国」支配の変遷に着目」の続きです。第1の論点について異論はありません。特別に新規の説ではなく、多くの読者に読まれる新聞の文化欄8段組記事ということに意味があります。

 第2の論点、帝国となると、そう簡単ではありません。郷原記者は平川新『戦国日本と大航海時代』(中公新書)を引用しつつ、16~17世紀に「日本は西欧から帝国とみなされるようになった」「太閤秀吉や大御所家康は西欧人の書簡で「皇帝」、諸大名は「王」とされた」と紹介します。
 それぞれ empire, emperor, king にあたる西洋語が使われていたのは事実ですが、そもそも中近世の empire を帝国、emperor を皇帝と訳して済むのか、という問題があります。近藤(編)の『ヨーロッパ史講義』(山川出版社、2015)pp.93-105 でも言っていることですが、emperor はローマの imperator 以来の軍の最高司令官のことで、近世日本では征夷大将軍や大君(ないし政治・軍事の最高支配者)を指します。京のミカドというのはありえない。
 また empire はラテン語 imperium に由来する、最高司令官の指令のおよぶ範囲(版図)、あるいはその威光(主権)を指していました。だから吉村忠典も早くから指摘していたとおり、帝政以前の共和政ローマにも imperium (Roman empire の広大な版図)は存在したのです。『古代ローマ帝国の研究』(岩波書店、2003)および『古代ローマ帝国』(岩波新書、1997)。
 たしかに近現代史では emperor は皇帝、 empire は帝国と訳すことになっていますが、その場合でも emperor は武威で権力を手にした人、というニュアンスは消えないので、神か教会のような超越的な存在による正当化が必要です。中国の皇帝が天命により「徳」の政治をおこなったように。
 1868年以後の日本では将軍から大政を奉還されたミカド、戊辰の内戦に勝利した薩長の官軍にかつがれた天皇に Emperor という欧語をあてましたが、これはフランスの帝政をみて、また71年以降はドイツのカイザーをみて「かっこいい」と受けとめたからでしょう。ただし、武威で権力(統帥権)を手にしただけでは御一新のレジームを正当化するには不十分なので、神国の天子様という「祭天の古俗」に拠り所をもとめ、89年の憲法でも神聖不可侵としました。そうした神道の本質をザハリッヒに指摘した久米邦武を許さないほど、明治のレジームは危うく、合理的・分析的な学問をハリネズミのように恐れたのですね。

2018年3月14日水曜日

長崎にて

 長崎に参りました。
 世の中の転変からはちょっと距離を保って、歴史的な主権について討論し、新しい知識を得て、また「うまかもん」に感激する2日間。先週9・10・11日の東京における John と Michael のセミナーから連続していますので、疲労感とともに、満足感も。
 着いた日のランチは「長大」食堂でちゃんぽん、夜は五島列島の料理尽くし、今日昼は「一人前」の茶碗蒸し、今夕は波止場で中華料理。
 残念ながらぼくの場合は観光するヒマはゼロです。

2018年3月2日金曜日

3月の研究集会

2月はアッと言うまに逃げ去り、すでに3月です!
ぼくにとって最後の大学勤めなのですが、同時に学問的にもたいへん有意義な催しが続きます。

すでにずいぶん前から準備されていましたが、この3月にイギリスからジョン・モリル(ケンブリッジ大学名誉教授)と一緒にマイケル・ブラディック(シェフィールド大学教授)が来日して、連続セミナーが開催されるのです。東京では、3月9日(金)に東京大学、10日(土)・11日(日)に東洋大学です。それぞれのオーガナイザからの案内を以下に転載します。

この3つのセミナーは事前登録不要ですが、【2】【3】の懇親会参加をご希望の方は、会場手配の都合上、下記までご一報ください、とのことです。
 東洋大学人間科学総合研究所(渡辺) [a]は半角@に換えてください。
ご関心のありそうな方に本案内を転送してよいとのことです。

------------------------------------------------------------
J・モリル/M・ブラディック氏 来日セミナー

【1】 3/9(金)18:30~20:30
東京大学(本郷)小島ホール1階 第2セミナー室
  Prof. John Morrill (with Prof. Michael Braddick), "How to spend a lifetime living with early modern Reformations and Revolutions"
https://politicaleconomyseminar.wordpress.com/ (近日更新予定)
※ポリティカル・エコノミー研究会(PoETS)主催、井上記念助成研究所プロジェクト「グローバル時代の歴史学」共催

【2】3/10(土)13:30~18:00
東洋大学(白山)10号館A301教室
<「民」と革命--17世紀イギリス史再考・2>
  Prof. John Morrill, "The Peoples' Revolution: Civil Wars within and between three kingdoms and four peoples 1638-1660"
  Prof. Michael Braddick, "The people in the English Revolution"
  コメント:山本浩司(東京大学), "The English Revolution and the politics of stereotyping"
※科研基盤A(大阪大学)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」主催、井上記念助成研究所プロジェクト「グローバル時代の歴史学」共催

【3】3/11(日)11:00~16:00(13:00~14:00は昼食・懇親会)
東洋大学(白山)10号館3階A301教室
<社会史再考・2>
 Prof. John Morrill, "Revisionism and the New Social History"
 Prof. Michael Braddick, "Politics, language and social relations in early modern England"
 コメント:辻本諭(岐阜大学)
※井上記念助成研究所プロジェクト「グローバル時代の歴史学」主催

更新情報は、以下のサイトに随時掲示します。
 https://www.toyo.ac.jp/site/ihs/
 https://www.facebook.com/toyo.ihs/
------------------------------------------------------------

2017年10月18日水曜日

ジョン・ウォルタ夫妻

ご無沙汰です。
9月1日夜から、老いたる母の闘病につきあって、心の余裕のない7週間目です。
「老老介護」でおたがいに疲労困憊!とはなりたくない、というときに、ケアマネージャさんが有能で助かっています。

そうした折、今月末よりケインブリッジからジョン・ウォルタ夫妻が来日して、ぼくの知性を再活性化してくれます。
(肖像権を考慮して、右側をトリミングしました。ぼくはなぜかすごい日焼け。)
ジョンは、C・ヒルの影響下に17世紀史を始め、社会史、民衆文化、とりわけ暴力の問題を正面から議論してきた人です。エセックス大学まで自転車で通勤したこともある! 日本人で留学生としてお世話になった方が何人もいるのではないでしょうか。
近世民衆史および政治社会の歴史家で、もっとも重要な人のひとり。J・モリルの親友でもあります。
ブロン夫人はアイリッシュ・ディアスポラおよびジェンダー研究。

東京でのジョンの予定は、次のとおり:
【主催者からは事前登録不要だが、懇親会参加希望の方は ihs@toyo.jp にご一報ください、とのこと。
 この@マークは半角に変えてください。】
・10月28日(土)午後2時、東洋大6号館2階にて
Crowds & popular politics in the English Revolution: Recovering agency.
(コメント:那須敬) ⇔ なぜかブロン夫人のセミナーと同階隣室にてぶつかる?

・10月29日(日)午後1時、東洋大10号館3階にて
The new social history & discovering political culture in early modern England.
(斎藤修、高橋基泰、ギヨーム・カレ氏を迎えて、ケインブリッジ学派についての大討論会になるかも)
→ 詳細は、こちらのサイトから https://www.toyo.ac.jp/site/ihs/334083.html

・11月7日(火)午後6時30分、東大経済(小島ホール2階)にて
 Reflections on my career as a historian

2017年2月11日土曜日

『みすず』656号

今晩、寒天に満月が冴え渡っていることにお気づきでしょうか?

どの大学でも一番慌ただしい時候で、空に月のあることさえ忘れるくらいでしょう。ぼくのほうも、暮れから正月にアタフタしながら2つの論文原稿を出し、学年末のあいつぐ校務と学外公務を凌いできました。今日、大学院入試を終えました。
ひとの原稿や書類を読み、コメントしたり、評点を付けたりする仕事については、女学校か短大くらいまでしか想像できない老母には、何度説明しても分かってもらえません。授業や試験が終わったなら、「すこしは暇じゃろう」と、毎年同じように繰りかえす会話ですが、授業や試験が終わってからこそが大事な季節なのですよ!

そうした間隙を縫ってしたため送った短文の一つを、『みすず』656号(1・2月合併号)に載せてもらっています。例の「2016年読書アンケート」です。2016年がシェイクスピア没後400年でもあり、ぼくの場合は、昔とった杵柄で、年の後半にいくつも読みました。今年挙げた本は、以下のとおりです(ここではごく簡略表記します)。

1 高橋康也・河合祥一郎編注『ハムレット』大修館シェイクスピア双書
(関連して、むかしの研究社詳注シェイクスピア双書、そして河合祥一郎訳『ハムレット』にも)
2 W.J.Craig (ed.), The Complete Works of William Shakespeare
3 Thompson & Taylor (eds), Hamlet: The Arden Shakespeare Third Series
4 Taylor, et al. (eds), The New Oxford Shakespeare: The Complete Works - Modern Critical Edition
5 草光俊雄『歴史の工房』

内容は、そちらを見てね。というより、これは拙稿「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」の個人的書誌エピソードのようなものです。拙稿のほうは、インタネットの認証制限サイトもフルに活用させてもらって仕上げました。

「読書アンケート」の寄稿者の大半は60歳以上とみえますが、ほんの少しながら、若い寄稿者も増えているんですね。

2016年10月14日金曜日

悲劇的な史劇 or 悲劇の形をとった史劇


【承前】 そもそも『ハムレット』の正規の題は The tragical history of Hamlet, Prince of Denmark です。高貴のプリンスは、ルターのヴィッテンベルク大学をちゃんと卒業したのか留年中なのか、むしろNIETなのか、よくわからない状態で実家のエルシノール城に戻ったのです。
あたかも実存哲学的な科白と筋を展開しつつ、1600年前後の〈諸国家システム〉における王位継承のあやうさと王殺し、母子の関係のアクチュアリティを埋め込むことによって、『ハムレット』は多義的で近世的な作品として呈示されています。おそらくシェイクスピアは相当の自負心をもって、ロンドンの観衆・聴衆・読者にむけて、ヨーロッパ事情と寓意に満ちた作品を見せつけました。それは「悲劇の物語(history)」でもあり、「悲劇の形をとった史劇(history)」でもあり、歴史的な悲劇でもある。

複合君主政のイギリスはステュアート家による代替わり(1603)の直前直後でした。しかもジェイムズの母は「淫乱のメアリ」! 父(夫)殺しに積極的に関与していました。 ロンドンの観衆は、複合君主政(しかも選挙王制)の「デンマーク・ノルウェイ王国」における王位継承の悲劇を人ごとでなく受けとめたでしょう。「淫乱の母」とその一人王子も含めてハムレット家は劇の終わるまでに全滅し、その宰相ポローニアス家も死に絶える。いったい王位はどうなるのか。
ハムレット王子が息絶える前の最後の言葉は、1) 学友ホレイショにむけて、見たこと my story をしっかり伝えてくれ、2) election があればノルウェイ王子フォーティンブラスが勝つだろう、he has my dying voice、と言って死ぬのです。父王フォーティンブラスと父王ハムレットのあいだの古き意趣がここで想起され、1524/36年~1660年のあいだ、選挙王制をとる「デンマーク・ノルウェイ」の複合君主政がここで機能し始めます。
劇末にてフォーティンブラスが盛大に葬式を執り行うのは、王位継承を受けての喜びの、公的行事なのでした。

そもそも父ハムレットが死んでその一人王子ハムレットが王位を継承しなかったのは、臣民の賛同が得られないから[人望がないから]、ということが含意されています。(まだ学生だから、ではありません。事実、メアリはほとんど生後まもなく1542年に、ジェイムズは1歳に満たずして1567年に王位を継承したのですから。)

12日夕の公開講演は、この間、ケインブリッジのワークショップから、福岡大学の七隈史学会も、映画論も含めて、スキッツォ的に拡散しがちなわが関心事が、近世的・礫岩的に連結した瞬間でした! いらしてくださった皆さん、ありがとう。 いらっしゃらなかった皆さん、いずれ録画配信、あるいは書き物で。

2016年10月13日木曜日

『ハムレット』


ご無沙汰しました。学期の始まりと、「東奔西走」とまでは言わないが、いろいろなことが続き、blogに書き込む気になれない、という日夜でした。

昨12日夕には、立正大学の公開講座(品川区共催)で、没後400年 シェイクスピアを視る という企画の一環(第3回)として、
「インテリ王子ハムレット」と「学者王ジェイムズ」
という話をしました(品川区から録画チームが来て無事収録できたようですから、いずれインターネット公開されることになると思われます)。

ロンドンからデンマーク、この間いろいろと撮りためた写真も使いながら、 -当然ながら、ズント海峡、エルシノールのクロンボー城、地の神の像の写真も見ていただきました- 文学研究の作品論とは異なる観点から『ハムレット』を見直し、1600年前後のロンドンの観衆・聴衆・読者がどう受けとめただろうか、論じてみました。一般むけで楽しく、しかしやや論争的なお話としました。
『デンマーク王子ハムレットの悲劇の物語』(1599から上演、刊本は1603~23に数版でます)が、じつに「礫岩のようなヨーロッパ」を地でゆく悲劇的史劇であることを最近に「再発見」したぼくの、エキサイトしたお話でした。
『ハムレット』を翻訳で読んだのは高校生のとき、さらに高校の図書館で研究社の対訳叢書(市河三喜監修)を見つけて、対訳註釈の付いた版で英語を読むよろこびを知りました。
To be or not to be: that is the question. から始まる一種実存哲学的な雰囲気と、言葉、言葉、言葉‥‥の溢れる警句的、寓話的な近世の宇宙を(今おもえば)このとき垣間見たのですね。16・7歳の少年が同年配の乙女にたいしてもつ、不安定な感覚もあいまって Frailty, thy name is woman. とか;時代にたいするカッコをつけたスタンスとして The time is out of joint. とか暗唱して悦に入っていたものです。もっとも
There are more things in heaven and earth, Horatio, than are dreamt of in your philosophy. というのは気取っているが、しかし青い高校生にとっては心底は理解できないままの科白でした。
‥‥のちのち大学院教師となって、ほとんど常識のつもりで『ハムレット』の科白を(日本語で)言ってみても、まるで反応のない院生が過半だと知ったときほどの驚愕(宇宙を共有していない!?)は、ありませんでしたね。それ以後またしばらく経って、『イギリス史10講』でシェイクスピアを引用するときにも、ちょっとだけ考えこみましたよ。結論は、「妥協しない」。著者として現実的に貫きたいことは貫く、というわけで、『イギリス史10講』には、(巻末索引に 37, 111 ページが採られているだけでなく)シェイクスピアに限らず、高校生にも読める英語のセンテンスが重要な論理展開の場面で、いくつか訳なしで書き込まれているわけです。

ところで、そうした「引用文に満ち溢れた」『ハムレット』という作品ですが、なぜかデンマーク宮廷にイングランドだけじゃなく、ノルウェイだかの使節や軍人が出入りしている;ドイツ留学やフランス留学が前提されているのは国際性の現れとしていいかもしれないが、劇の結末は、ノルウェイ王子が登場して、これから立派な葬式を執り行なおう、と宣言して終わる。‥‥これは、いかにも取って付けたというか、変なエンディング、という印象でした。しかし、高校生には手に余る問題で、以来、思考停止していました。

ローレンス・オリヴィエ監督・主演の『ハムレット』が、ぼくの受容原型で、それ以外は余分な粉飾(!?)のような気さえしていました。
こうした50年前(!)から棚上げしていたぼくの疑問と思考停止は、礫岩のようなヨーロッパ、複合君主政という視点をとることによって、眼からウロコが落ちるように氷解するのです! to be continued.

2016年9月14日水曜日

ヒトゴロシにもイロイロある


シェイクスピアの生まれはエリザベス1世の治政、1564年。ジェイムズ王への代替わり時には39歳で、創作力の頂点。亡くなるのは徳川家康と同じ1616年。ということは「真田丸」の同時代人でもあり、おもしろい話はたくさんあります。
立正大学文学部の公開講座ですが、ご案内申しあげます。
http://letters.ris.ac.jp/aboutus/koukaikouza/idkqs4000000293w.html
詳しくは↓
http://letters.ris.ac.jp/aboutus/koukaikouza/idkqs4000000293w-att/28kokaikoza.pdf
申し込み期日は厳密に考える必要があるのかどうか? むしろ数百人の湛山講堂が満杯であふれるといった事態を避けるためでしょう。

2016年6月22日水曜日

古谷・近藤 (編) 『礫岩のようなヨーロッパ』 (山川出版社)


お待たせしています。6年間の共同研究の成果(途中経過報告)ですが、ようやく索引の校正を終えて、責了です。
目次は、こうなっています(簡略表記)。

序章 礫岩のような近世ヨーロッパの秩序問題        近藤 和彦

第Ⅰ部 政治共同体と王の統治
1章 複合国家・代表議会・アメリカ革命 H. G. Koenigsberger(後藤はる美訳)
2章 複合君主政のヨーロッパ      J. H. Elliott(内村俊太訳)
3章 礫岩のような国家        Harald Gustafsson(古谷大輔訳)

第Ⅱ部 礫岩のような近世国家
4章 ハプスブルク君主政の礫岩のような編成と集塊の理論 中澤達哉
5章 バルト海帝国の集塊と地域の変容           古谷大輔
6章 ヨーロッパのなかの礫岩              後藤はる美
7章 複合国家のメインテナンス             小山 哲
8章 スペイン継承戦争にみる複合君主政         中本 香

序章につづき、翻訳3本、論文5本の力作揃い。
吉岡・成瀬(編)『近代国家形成の諸問題』(木鐸社、1979)以来の研究史的なパラダイムの、今日的な刷新であり、また最近の岡本(編)『宗主権の世界史』(名古屋大学出版会、2014)や池田・草野(編)『国制史は躍動する』(刀水書房、2015)の向こうを張る出版です。これでお終いではなく、これからも続く共同研究です。
11ページ・2段組の索引を( → で示した参照項目も)しっかり利用して、ご精読ください。7月中旬に、山川出版社から本体定価3800円にて刊行予定です。

2016年3月8日火曜日

Sir Keith Thomas

サー・キース・トマス(元British Academy会長) が
3月17日に東京到着、23日に京都へ移動、その間に
19日(土)に日本学士院@上野で公開講演という予定でいらっしゃいます。
学士院では What did it mean in early modern England to be 'civilized'?
という講演です。
http://www.japan-acad.go.jp/japanese/news/2016/012001.html
無料ですが、事前予約が必要です。

2015年11月15日日曜日

イギリス近世・近代史と議会制統治

収穫の秋、ということでしょうか。ぴたり関連する出版が続きます。

青木康(編)『イギリス近世・近代史と議会制統治』(吉田書店、2015
http://www.yoshidapublishing.com/booksdetail/pg670.html
10名の科研プロジェクトによる、16世紀から19世紀半ばまでのイギリス史の「詳細で実証的な個別研究」の論文集です。
  第Ⅰ部 代表制議会
  第Ⅱ部 海洋帝国の議会
  第Ⅲ部 議会制統治の外縁部
に分けて計11の章がありますが、序、第2章「18世紀イングランド西部の下院議員」、第4章「ブリッジウォータの都市自治体と1780年総選挙」が編者青木さんの執筆。

 「序」のあと、まずは最後の Jonathan Barry の「コメント」に惹きつけられて読みました。
これは日本の読者むけに有益な動向サーヴェイであるばかりでなく、そもそも1832年以前の議会・政治・統治というものをどう捉えるべきか(とくに pp.305-11)、重要な指摘を明晰に呈示している論文ですね。またイギリスの特異性・近代性だけにとらわれることなく、広くヨーロッパの「複合諸王国(composite monarchies)とその連邦的構成」のうちの一つとして認識すべきであるというパラグラフには、註(2)として、ケーニヒスバーガ、エリオット、そしてラッセル、ヘイトンが挙がっています。共著『礫岩のようなヨーロッパ』を準備しているところなので、いちいち肯きながら読みました。
ただし訳文は、センテンスの息が長すぎて、ときに苦しくなる箇所もないではない。英語と日本語は構文が違うので、すこし短めに複数のセンテンスに分けて接続を確認しつつ訳して下さると、短気な読者にもわかりやすくなったろうと思われます。
またバリーの最後の一文(p.311)は、わたしたち「異なる政治体制のもとで暮らしイギリスの経験を冷静に見ることができる」日本人歴史家の問題意識を評価しつつ、この出版をことほぐ賛辞かと思われます。訳文ではそれがちょっと曖昧。

巻末の「人名索引」は歴史的人物に限定されていますが、13ページにわたり入念にできあがっています。

というわけで、あいつぐ有益な出版ですが、先の『国制史は躍動する』にくらべると、タイトルが実直すぎて、メッセージ性がちょっと不足します。「議会制統治」というのがキーワードでしょう。困ったときには英語にしてみて再考するというのが、むかしから青木さんのお知恵だったと思いますが、今回の英語タイトルは、いかに?

2015年11月14日土曜日

国制史は躍動するか?

昨夜、いろんな校務を終えて、さぁわが第1章「礫岩のような近世ヨーロッパの秩序問題」に復帰、いよいよこれを脱稿して送信するぞ、と意気込んで帰宅したところ、青天の霹靂!

池田嘉郎・草野佳矢子(編)『国制史は躍動する:ヨーロッパとロシアの対話』(刀水書房, 2015
という本が待っていました。
編者をふくむ9名の共著ですが、池田さんが
  序 論 「国制史の魅力-ヨーロッパとロシア」
  第1章「ソヴィエト・ロシアの国制史家 石井規衛」
  第7章「ロシア革命における共和制の探求」
  そして「あとがき」、つまり計4箇所も執筆している。
独壇場とはいわないが、池田的博学とリーダーシップあってこその論文集です。
ブルンナー、成瀬治、鳥山成人、渓内譲、和田春樹といった研究史の大きな流れのなかに、国制史家=石井規衛の仕事が位置づけられて、読者は目を覚まされる。
しかも中近世史では、渋谷聡、根本聡、中堀博司、そして
ロシア史では田中良英、青島陽子、巽由樹子、草野佳矢子、松戸清裕といった皆さんの章がある!

いまこちらで準備している共著『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社, 2016)は、けっして『国制史は躍動する』に負けない論文集ですが、それにしても、ぼくの担当する第1章にかぎって、研究史的になにか対応が必要かと思い、急ぎ読みました。

『国制史は躍動する』について各論より前に、ただちに思いつく研究史的な瑕疵は、ブルンナーや国際歴史学会議にも関連して、
1.世良晃志郎と堀米庸三の間であった「法制史」「一般史」論争に言及がないこと。でも、これはごくマイナーな瑕疵。
2.「国家と社会の区分が可能となる以前のヨーロッパにおける文明の内部構造の総体」「国家と社会の対置が成立しない秩序の総体」(pp.6, 13) を問うことには大賛成で、「友軍」といった感覚をもちます。しかし、それを狭く「国制史」に収斂させてよいのか。
むしろ、これはヴェーバーもパーソンズもハーバマスも問うていた根本問題ではないのか。ブルンナーが第二次大戦後に「社会=構造史」といった用語を使った理由は、なにもナチス的な臭いの残る Verfassungsgeschichte を回避するだけでなく、彼自身の成長を反映した、ある広さ・構造性を意識していたのではないのか、といった疑問をもちます。
ぼく自身は、これを「ホッブズ的秩序問題」、そして18世紀啓蒙の政治社会(political society)という概念から学び、解決しているつもりです(たとえば『イギリス史10講』p.133)。今後とも丸山眞男的な国家と社会の区分とはちがう地点、また市民社会欠如論ではない発想で、議論を進めたいと考えています。【→ 次の発言】
3.「ある社会の歴史的個性を総体として捉えるという国制史の視角には、‥‥同時にまた類型をも提示するという、二面性がある」(p.19)という文は、それだけ読むと悪くはないかもしれないが、しかし比較社会経済史の人々なら笑い出してしまうでしょう。大塚久雄・高橋幸八郎・遅塚忠躬といった先生たちは、まさしく
「ある社会の歴史的個性(specificum: なぜかラテン語)を総体として捉える社会経済史は、また同時に類型(Typen: なぜかドイツ語・複数)を提示することによって、比較を可能にする」
と考え、営々とそのような学問を構築していたからです。せっかく序論 pp.3-4 で「社会全体の仕組みを捉えん」とする志において社会経済史と共通すると示唆していたのだから、ここも注意深く書いてほしかった。

それにしても、本書が共著出版として立派なものであることに異論はありません。
岡本隆司(編)『宗主権の世界史:東西アジアの近代と翻訳概念』(名古屋大学出版会, 2014)と併読すると、なおさら価値が高まるでしょう。

 不意をつかれて慌てましたが、一晩たって、共著『礫岩のようなヨーロッパ』はこのままでも問題ない、しっかり公刊することが大事、と思えてきました!
 妄言多謝。

2015年10月20日火曜日

クレオパトラの鼻

 パスカル『パンセ』の3巻本。塩川徹也さんの新訳により、岩波文庫から刊行中

 上巻には「人間は一本の葦にすぎない。‥‥しかし、それは考える葦(roseau pensant)だ」【断章200番:p.257】がありましたが、今月刊の中巻には、いよいよ例のクレオパトラの鼻の想定があります。「もしクレオパトラの鼻がいま少し低かったら‥‥」という有名な断章ですが、前々から2つほど疑問でした。
1) 原文は Le nez de Cléopâtre, s'il eût été plus court, toute la face de la terre aurait changé.
なのになぜ、普通の日本語訳では「もし」から説きおこすんだろう。そういえばルイ14世の科白とされる L'état, c'est moi.
についても「朕は国家なり」と語順を前後して訳す習慣ですが、なぜ? ささやかながらぼく自身が言及するときは「国家とは、朕のことなり」と訳してきました。
2) もう一つの疑問は、フランス語の plus court とは英語の shorter に当たりますが、これを「いま少し低い」と訳すのか。ちょっと(日本人のコンプレックスの反映した?)意訳だな、という感想でした。

 で、期待をこめて塩川訳『パンセ』断章413番を捜すと(そもそも恋愛論ですね):
 人間のむなしさを十分に知りたければ、恋愛の原因と結果を考察するだけでよい。その原因は「私には分からない何か」なのに、その結果は恐るべきものだ。この「私には分からない何か」‥‥が、あまねく大地を、王公を、軍隊を、全世界を揺り動かす。
クレオパトラの鼻。もしそれがもう少し小ぶりだったら、地球の表情は一変していたことだろう
。【中巻、pp.43-44】

 上の 1) について言えば、語順をフランス語の出てくるまま順当に「クレオパトラの鼻」マルと、まず言い切ってしまう。じつは似た断章がすでに出ていました【上巻、p.238】。
 人間のむなしさを示すには、恋愛の原因と結果がどんなものであるかを考察するのにまさるものはない。なぜなら恋愛によって全世界が変化するからだ。クレオパトラの鼻。

この断章を丁寧に補って、クレオパトラの鼻を例に想定しての推論だとしっかり確認したうえで、もしそれがもう少し‥‥だったら、という非現実の仮定による counterfactual な議論に進むのですね。 ということは、同様に「国家と言えば、それは朕のことなり」という訳でよろしい、という免許をいただいたような気分!

 そこで 2) について見ると、「もう少し小ぶりだったら」ですか! ギリシア鼻か、ラテン鼻か、高いか低いか、長いか短いか、といったよく分からない論議をするよりは、court というフランス語には英語の short と同じく、「なにかが足りない」「不十分だ」という意味もあるので、そちらに寄せて「小ぶり」と言ってみたわけですね。
 そもそもパスカル先生は、「私には分からない何か」が、あまねく大地を、‥‥全世界を揺り動かすと言ったうえで、パラフレーズして「私には分からないエジプト女王の顔の真ん中の魅力」が大地を、カエサルを、ローマを、世界史を揺り動かした[ここまでは過去の事実]。もし、その女王の顔の真ん中の魅力になにか足りないものがあったなら[counterfactual]、カエサルもローマも揺るがず、プトレマイオス朝の運命も違っていただろうし、地球の全表情(toute la face de la terre)は一変していたでしょう、と言い切るわけです。
 すごいですね。【地中海の覇権のゆくえくらいで、「地球の全表情」なんて言わないでよ、とアジア人なら言いたくなります!】