2024年11月17日日曜日

山の上ホテルの記憶

 駿河台の「山の上ホテル」(英語では Hill Top Hotel)を明治大学が取得した、という新聞記事を読みました。16日の『日経』よりも、15日の『読売』のほうが1937年創建という史実、もともと明治大学の施設であったのが、1945年、GHQに接収され、占領終了後、独立して民間ホテルになり、場所柄から、文人がしばしば「館詰め」されるホテルに転じた、ということも明記して要をえた記事でした。テレビドラマ「火宅の人」では、ロケーションに使われました。
 1960年代に、学生のぼくにとっては、御茶の水駅から明大ブントの大きな立看群をすりぬけて、駿河台下・神保町の古書店街に下るその前に、右手にのぼる坂道があって、その奥に見える独特の洋館、不思議な、縁のない建物でしかなかった。
 初めてその建物に入ったのは、正確にいつだったか覚えていません。でも、1987年にある出版社の編集部長と取締役が、(まだ名古屋にいた)ぼくを招いて企画にオルグしようとしたときの現場が、このホテルのロビーだったことは、そのときのお二人の表情までふくめて確かに覚えています。文人のホテルということは、そのころまでに認識していて、まさかここで将来、館詰めにされるんじゃないだろうな、と半分マジメに思ったものです。
【幸か不幸か、流行作家ではないので、その後にも、他の旅館もふくめて「館詰め」の上げ膳下げ膳で原稿執筆したとかいった経験は、ありません。あるのは、大学の自分の研究室で、原稿についてのヤリトリの後、編集者が「わたしは他の仕事を片づけながら待ちますから」と言って鞄からなにか書類を持ちだして、ぼくに背を向けて仕事を始め、数時間すわりこんでしまった。ぼくは机のパソコンに向かって文章をひねり出すほかなかった‥‥といった程度の経験です。】
 次に覚えているのは、1989年9月の「フランス革命200年」の研究集会の折です。(組織責任者の遅塚さんが、ランチは「山の上」の中華、と指定なさって)柴田、二宮、樋口、ヴォヴェル、ルーカス、ハントといった先生方と一緒に、本郷からタクシーに分乗して、Hill Top 1階の中華料理に行って着席したのですが、遅塚さんは実務関連かなにかで到着がかなり遅れました。まぁよい、先に注文、乾杯だと柴田さんの音頭で、英仏チャンポンの談笑が始まったのですが、壁の大きな水墨画に添えられた漢詩には何が表現されているのか、とたしかリン・ハントから質問されて、日本人全員で四苦八苦、冷や汗をかいたのです。しばらくしてようやく遅塚さんが到着。白文を読む遅塚さんにとっては何でもない漢詩で、一挙に解決‥‥、といったこともありました。
 この経験から後は、なんとなく気取った二次会には最適な場所、ということで、ワインを飲むためだけに数人で「山の上」のバーに行く、といったことも90年代にはありましたね。2000年をこえると、そうした luxury は縁遠くなったような気がします。他にもいろんな場所ができたから、ということもあるかな。
 1937年創建の建物が、2024年にもとの明治大学に戻って改装、再利用されるというのは、めでたいことです。機会があれば、再訪してみますか?

2024年11月16日土曜日

アメリカの、民主主義の、これから

5日(日本時間6日)の合衆国選挙の結果。なんとトランプの復活だけでなく、上院も下院も共和党が勝利! いったいマスコミの「大接戦」という予報は何だったんだ、というほどの最悪の結果です。これから4年間のトランプ専制が始まります。言葉を失います。
  (斜線がかかっている州で、2020年:民主から、2024年:共和へと振れました。)
合衆国の東北端と西海岸のリベラル州において民主党やジャーナリストの主導したPC(politically correct)なidentity / diversity politics は、全米的には通用せず、かえって庶民からは高学歴エリートの空理空論として反発された、ということでしょうか。完敗です。かつての大統領選挙でも民主党リベラル候補のアル・ゴア、ヒラリ・クリントンは続けて保守的なおじさん路線のブッシュやトランプに敗北しました。今回は輪をかけてリベラルで理想主義的な黒人女性エリートのカマラ・ハリスが完敗。これをアメリカ民主主義はどう総括するのでしょうか。
一昔前、ビル・クリントンやバラク・オバマの再選が続いたころには、「アメリカ共和党がWASPの党であるかぎり将来はない、多民族・多文化にどう対応するのか、根本的な転換が必要だ」といった論調が垣間見えました。ところが、今回の選挙ではむしろ反対に、白人でもプロテスタントでもない黒人やヒスパニックの労働者も含めて、トランプ的な即効に期待する人びとが多かったのです。リベラルな黒人女性エリートが理性的に正論=寛容を説くのを嫌う、愚かな男たちも(出身のいかんにかかわらず)少なくなかったでしょう。
たちが悪いのは、トランプ政権を支えるのは、けっして貧しい庶民の代表でも味方でもなく、大衆を操作して、自由放任(やりたい放題)をねらう金もうけ主義の大卒エリートたちだという事実です。ヴェーバーが『プロテスタントの倫理と資本主義の精神』の最後で憂いた「精神なき専門家、心なき享楽人‥‥」の天国が到来します‥‥。
これが合衆国だけのローカルな政治であれば、放っとけばよい。しかし、現代の国際政治のなかで(経済社会も含めて)、エリートが大衆の排外主義と攻撃性をあおると、とんでもない展開が待っている、というのは20世紀の歴史が何度も、どこでも明らかにしていることです。共和党のなかの相対的に賢明な人びとのバランス力に期待するしかないのでしょうか。
さらには、アメリカ合衆国だけではありません。他の「民主主義国」についても同じような危うさが感じられます。

2024年11月4日月曜日

アメリカの民主主義

いよいよ5日(日本時間では6日に投開票)に迫ったアメリカ合衆国大統領選挙です。民主党・共和党、それぞれ盤石の支持基盤が40%以上(47%以上?)あって、浮動票や若年層を把握しようと最後の追い込みです。
とはいえ全国的な支持率調査は、それだけでは misleading 過ちをもたらします。United States の連邦主義は明白に大統領選挙人団(electoral college)の制度に生きています。どんなにカリフォーニア州やニューヨーク州で Kamala Harrisが圧倒的に勝っても選挙人の上限は決まっていて、「激戦州」で僅差の敗北が重なれば、結局は彼女は負け、Donald Trumpの勝利となります。これは変な制度ではなく、建国のとき以来の連邦国家ゆえの原理原則です。
現実的な問題は、それよりも、たとえばトランプは嫌い、でもハリス=民主党はイスラエルに甘い、環境=温暖化問題にも甘い、だからハリスを支持するわけにゆかない‥‥といった若者がいて、批判の意思表示として 棄権する、あるいは無効票を投じるといった傾向です。
3億人を越える大国で100%の理想的な政治はそう簡単には実現しません。選択肢が2つならベターなほう/悪くないほうを選ぶしかない。世の中が安定して、おだやかに成長している時代であれば、棄権・無効票によって異議を申したてるのも意味ある行為です。しかし今はたいへん緊迫した情況で、こうした折には「最悪」を避けることを第一に考えるべきでしょう。
トランプは歴史的に A.ヒトラーJ.マッカーシ上院議員に肩をならべる存在です。敵を作り、これを攻撃し、あおることによって自らの権力を維持する。荒廃の時代を世界史に刻みのこす。こんなヤツに権力を執らせてはならない。
あの連中(Them)われわれ(Us)の対立を際だたせ、口をきわめてThemを攻撃し、敵の陰謀をとなえ、Usの正しさ、愛国心、力強さをうたいあげる。迷い・ブレ・まちがいを許さない。ロベスピエールとの違いは、経済的自由放任(やりたい放題)の立場で、また反教養主義である点でしょうか。徳のかわりに男らしさを強調していますね。
今は、政治的に賢明な決断をする秋です。世界が、文明が、この選挙に注目し凝視しています。アメリカ合衆国の民主主義が試されています。