2023年11月12日日曜日
NZD ナタリ・デイヴィス ありがとう!
Natalie Zemon Davis, Historian of the Marginalized, Dies at 94
とありました。生まれは1928年です。
息子=音楽家のアーロンに看取られてトロントの自宅で10月21日に亡くなったとのことです。学生時代から一緒だった夫チャンは、去年に亡くなっていました。
落ち着いてウェブのぺージを見直すと、プリンストンもトロント大学も、バークリもミシガン大学も、オクスフォードの歴史学部も、それぞれ縁のあった所は、みなオビチュアリや懐古の記事を載せないわけにゆかない気持になっているのですね。Google ですべてヒットします。
ぼくは1995年1月にヨークで開催された社会史学会の朝食の場で遭遇して、楽しく放談することができたようすを『UP』に書きました。その縁で、97年5月、6月に彼女を日本に招聘するときにも、実務的なことも含めて、いろいろお手伝いしました。このとき、立命館、東大、北大(西洋史学会大会)でデイヴィスに接した方々は、みな強い印象 - inspiration そのもの - を受けたでしょう。
『iichiko』という雑誌に、二宮さん福井さんと一緒のインタヴューを載せることができましたが、その夜はなんとシャルチエも合流して、英語仏語チャンポンの談笑とあいなりました! 97年にはすでに69歳だったナタリは夕食時に、アルコールはいけない、脳細胞に悪い効果がある、とキッパリおっしゃって、こちら日本人学者たちを絶句させたものです。
【ちなみに『歴史とは何か』のときにやはり69歳だったE・H・カーは、アルコールを忌避したわけではないが、パブのような所には無縁の人でした。酔うことが楽しいとは思わなかったのでしょう。】
その後のデイヴィスはさらに文化史、ジェンダー史、ユダヤ人・先住民史の関わり(braided history)へと切り込んでゆき、ぼくたちをほとんど置いてきぼりにしそうな勢いでした。
「贋者のリメイク-マルタン・ゲールからサマーズビへ、そしてその先」 「16世紀フランスにおける贈与と賄賂」ともに拙訳『思想』880号(1997年10月) はよく読むと、その片鱗/予兆がうかがえます。 ぼくの「デイヴィス(ナタリ)」『20世紀の歴史家たち(3)』(刀水書房、1999)はいささか息切れしていたかもしれない。
70歳代、80歳代もまた知的に創造的に生きた、カッコいいNZD.
なんとオバマ大統領は、2013年、彼女に National Humanities Medalを授与していたんだね。これもカッコいい大統領!< https://www.nytimes.com/2023/10/23/books/natalie-zemon-davis-dead.html> こちらに写真があります。
音楽家(piano, percussion)のアーロンは来日のたびに連絡してくれたので、会うことができました。
2023年10月31日火曜日
『図書』11月号休載 → 最終回は「E・H・カーと女性たち」
第1回(2022年9月号)<https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074>にも記しましたとおり、三面六臂どころか、90歳まで執筆を続けたE・H・カー(1892-1982)ですが、その謎をすこしでも解き明かすために、20世紀のエリート群像の生きざまのなかで人物カーを脱特権化=相対化してみるという目論見でした。見開き6ぺージ(約6000字弱)の essay(試論)とはいえ、毎回、読むべきもの/確認すべきことが多くて、大変でした。肖像写真の選定にも苦労しました。しかし、それに見合う新しい発見/気付きもあり、充実した連載でした。
元来は12回連載ということで始まりましたが、途中で15回に延伸できるかとの打診があり、やや充実させることができました。とはいえ、9月のアイルランド・イングランド旅行は(その準備段階も含めて)強烈で、連載原稿を仕上げることはできず、11月号は休載。12月号で第15回=最終回「E・H・カーと女性たち」をご覧に入れるということにさせてください。写真も含めて、それなりに印象的な最終回(有終の美!)とさせていただきます。(すでに最終回のゲラ校正も戻して、執筆者としての仕事は済んでいます。)
ご愛読の方々、そして感想や声援を寄せて下さったみなさん、ありがとうございました。
2023年10月21日土曜日
巨人の足跡‥‥想像力はふくらむ
いずれしっかり具体化しますが、印象の強烈度からしても、ベルファストから北上して北端の海岸にある Giant's Causeway (巨人の土手道/踏み固めた道)こそ、圧倒的で、写真で見ていたのとは迫力が違い、それこそ百聞は一見にしかず、でした。
地質学的には、何百万年(何千万年?)前の火山/マグマ活動の結果が今、柱状節理(columnar jointing)として残っている所です。北大西洋の海嶺から東へと地殻が変動するうちに、吹き出したマグマが地表で冷却し、また雨水の浸食を受けて、6角形の柱のようにヒビが入り、それが壮大な絶壁の風景としてアイルランドの北端に連なっているわけです。
NHKの「ぶらタモリ」では紀伊半島南端の大火山跡の柱状節理を訪ねたことがありました。予算さえつけば、タモリさんも本当はここに来てみたいでしょうね。スケールが違います。
先史のアイルランド人(Scots)は、ほんの30kmほどの海峡を渡ってブリテン島の北端に移住したので、今はそちらがスコットランドと呼ばれています。古代人の想像力の世界では、この6角形の節理の連なりこそ、アイルランド島からブリテン島に渡った巨人の通路=足跡、というわけです。
Amphitheatre(半円形の劇場・盆地)という渾名の付いている湾の入口まで歩いて、向こうを見上げると、断崖絶壁の上に豆粒より小さく、上半身裸の男が(あまりのスケールに怖いので!)座り込んで、北の海を眺望しているのが見えました。同じ写真の上右の細部を拡大してご覧に入れます。
『イギリス史10講』p.31 このあたりは中世前半のキリスト教の重要地点でもあり、ヴァイキングの常用航路帯(sea-lane)でもあり、17世紀には逆にスコットランドからプロテスタントのアルスタ移民が渡った海峡です。ウィリアム3世の足跡も。フランス軍の上陸作戦も。またロマン主義の時代には、メンデルスゾーンの「スコットランド旅行」もかくや、と想像力をかき立てられます。18世紀の亜麻産業からグラスゴー、マンチェスタの産業革命へ、そして20世紀にはベルファストの造船・タイタニック‥‥ぼくが若かったら(40歳以前だったら!)この地域/海域に焦点を合わせて壮大な歴史を書けたかも‥‥
2023年9月30日土曜日
バーミンガム大学にて
バーミンガムは1982年以来です。New Street駅の近く、Town Hall(ヘレニズム様式!)やミュージアムのまわりは新しい建物が増えたとはいえ、基本は40年前と同じ。丘あり沢ありで起伏の多い街に、運河が行き渡っているのが印象的。全国的な運河網のハブだ、という歌いこみで、歩くにも飲食するにも楽しい環境を整備しています。
今回の目的は大学図書館の Special Collection 所管の Papers of E H Carr です。New St.駅から University Stationへの鉄路も、他ならぬウスタ運河に沿って建設されています。産業革命の運輸は鉄道ではなく、運河だったという事実をみなさん、忘れがちです。18世紀後半から運河建設・改良は進み、鉄道建設は1825年/30年から始まる、というのは厳然たる事実です。ウェジウッドの陶磁器を鉄道でガタゴト運ぶわけにはゆきません。運河網を利用してリヴァプールにもロンドンにも、またその先の海外にも安全確実に運送できたのです。『イギリス史10講』pp.189-191.
で、その運河脇の University駅に着くと、ホームで迎えてくれたのは、このジョーゼフ・チェインバレン。「エネルギーと人間的磁力」にあふれた美男、あの富裕ブルジョワのお嬢さんビアトリス・ポタの胸を焦がした「一言でいうと最高級の男性」です。バーミンガム市長、選挙権が拡大する時代の自由党の「将来の首相」。『イギリス史10講』pp.239-240.しかしベアトリスと別れ、1886年にグラッドストン首相と対立して自由党を割って出たチェインバレンは、civic pride のバーミンガム大学の初代総長にも就いていたんですね。市中でも大学内でもチェインバレンの存在感は大きい。
広い空が広がるバーミンガム大学のキャンパスは、なぜか名古屋大学のキャンパスを連想させるところがあります。名大より広く、緑も多く、モニュメントも多いけれど。
その北寄りの Muirhead Tower(ULとは別の新建築)に Cadbury Research Libraryと称する特別コレクション、手稿、稀覯本の部門があり、前週にインターネット予約をしたうえで参りました。最初の手続、確認を済ませたうえでアーキヴィストに導かれ、おごそかにドアの中に入ると、すでに予約した手稿の箱3つが待っていました。
そこでは、こんな鉛筆書きのメモ(Last chapter / Utopia / Meaning of History)やタイプの私信控え etc., etc.を(座する間もトイレに行く間もなく)立ったまま、次から次に読み、写真に撮り、ということでした。各紙片に番号は付いていないし、また(私信や新聞雑誌の切抜きを除くと)日付もないので、取り急ぎのサーヴェイでは、全体的にきちんとした印象はむずかしい。それにしても、『歴史とは何か』第2版(M1986, P1987)における R W Davies の「E・H・カー文書より」(新版 pp.265-311)はかなりデイヴィス自身の問題意識に沿った引用・まとめであり、それとは違うまとめ方も十分にありうると思われます。たとえば、新版 pp.288-295では、70年代のカーの社会史・文化史への関心は十分に反映していませんでした!
2023年9月20日水曜日
往路と帰路
Mapを見つめていましたら、イスタンブル、アンカラあたりの上空に達し、これは大丈夫かも、というので、睡魔に身を任せることにしました。数時間後に目覚めてみると、なんと飛行機は北京・天津・大連あたりを飛んでいます。
結局は、西ヨーロッパからイスタンブル経由で、東へ東へと向かうというのは「一帯一路」というイメージでしょうか。イギリスでも中国人のプレゼンスは色濃かった!
最後は、房総半島からぐるっと回って、東京の北から山手線に沿って、新宿・渋谷・大崎の真上を飛んで羽田に着陸しました。
蒸し暑い! でも想像したほどひどくはない。
というわけで、また日本時間の生活に復帰しました。
2023年9月17日日曜日
怖かった! → 反省
通りにこんな掲示板が続いていました。一連の関係するメッセージですが、手前の板には queer generation、3枚目の板には Queer Joyという語が明記されています。
そのあとBLへ。ほんの数時間滞在して、出ようかと思ったら出口近くにて Magna Carta特別展。簡潔で良いト書きとともに、要領の良い史料展示、そして専門的なコメントを中世史家だけでなく、近現代史家もヴィデオでやっています。リンダ・コリ先生、ジャスティン・チャンピオン先生にも久方ぶりに対面したような気になりました! 土曜なので、5時閉館。
といった具合で、夕方は観光客より生活者のたむろする所へ。South Kensington-Gloucester Road あたりをうろつき、イタリアンで軽い夕食とワイン2杯。上機嫌で地下鉄に乗りました。自分では酔っていたつもりはないのだが、空いた夜の電車で男4人、女2人の若者の着衣とふるまいに引きつけられ、彼らが降りるところを撮影しました。(顔は写らないようにしたが、一種の隠し撮りではあった。)
それをただちに咎められ、大柄の4人+2人に攻囲され、追及され、カメラを取り上げられ、destroy it とか‥‥。ぼくとしてはカメラそのものより、この2週間の記録が台無しになるのを恐れ、中身の保全第一に考えました。
このお兄さんたちにまずは謝り、I'm sorry では軽いので、I apologize. いろんなことを叫ぶ彼らのスピードに付いてゆきつつ、どうするか、なにができるか‥‥ぼくは station staff と何度も繰り返し(そのうちに口の中がカラカラになり)、若者たちもstaff だ、policeだと口にするようになった。
改札の中年女性、そして中年の男性が中立的に落ち着いて対処してくれて、ぼくのカメラの該当画像1枚をdeleteしたうえ、他の画像もざっと確認して(なんだかよくわからぬ文書や、町並ばかり‥‥)、若者計6名はぼくを威嚇しつつ消えていった。そもそも警官とは接したくない人びとでしょう。
Station staffは怪我をしなくて幸運だったと慰めてくれつつ、車内の撮影はいけません、ときっぱり明言。たしかに観光客に興味本位で撮られちゃ、愉快ではない。
ぼくが一種の文化人類学者気取りでカメラを向けたのに怒って、‥‥最後はカメラの操作画面をのぞきこみつつ、Chinese や Kantoneseじゃなく英語にしろ、とか叫ぶ気持は分からないではない。怖かったと同時に、済まなかったという気です。I apologize again.
(40年以上前にケインブリッジで同時に留学していたイスラエル人の文化人類学者夫妻が東京に来て、街頭でも地下鉄内でも人びとの様子を無遠慮にパチパチ撮りはじめたので、ぼくが不愉快になったのを今、思い出しました。動物園の珍獣か、原住民をみるまなざし‥‥。)
みなさんも、旅先ではどうぞ慎重に。
2023年9月16日土曜日
変わったもの、変わらぬもの
バーミンガム大学ではカー文書を、ケインブリッジではアクトン文書を読んだというより、紙片や手帳やらをつぎつぎに閲覧してパチパチ写真を撮りまくりました。いろんなことが見えてくる!
オクスフォードのO先生はお元気で熱烈歓迎してくださいましたが、良い(revealing and moving)お話も聴き出せて、ものすごい収穫でした。こちらは日本人側4人の合力の成果です。いずれ活字にしたいものです。
ダブリンでもC先生、ケインブリッジではWさん、オクスフォードでO先生に再会したわけですが、それぞれ複合状況(contingency)の結果として親しくなれた人格者たち、わが人生を豊かにしてくれた方々です!
イギリス(とくにロンドン)の街並は、そして人びとは、4年前に比べてずいぶん変わったともいえるけれど、本質は変わってない。ただしEUからの逃避・脱落は、これからボディーブロウとして効いてくるでしょう。
2023年9月4日月曜日
フライトの不思議
東京から(シベリア・スカンディナヴィア経由で)ロンドンまでの直行便の飛行時間はかつて11時間(ロンドンから東京に向かう場合は偏西風に乗るので、もっと短かい)。それが戦争の影響で今では14時間半とのこと。
日本は戦争当事国ではないとしても、ウクライナ支持を明確にしている「敵性国」なわけだから、ロシア国家として、領空内の日本の民間機の航行の安全は保証しないのでしょう。どのように飛ぶのか、大いに関心がありました。
で、飛行中、(仮眠以外は)窓の外と、座席画面のFlight Mapを注視していました。
羽田を発って、千葉の幕張から霞ヶ浦を越えて、茨城の海岸から太平洋をずっと北上。以前のように日本海には向かわないのですね。それどころか、Flight Mapによると、千島列島の東を北上している! カムチャツカ半島の東側。
そこから、Flight Mapの表示は、信じがたい「奇行」を描きます↓
しばらくして、Mapは合理的な表示に戻り、アンカレッジから北極海へ↓
北極海からグリーンランドへ、そしてアイスランド上空(いつどのようにレイキャヴィクを通過したのかわかりませんでした)から荒々しい奇景を遠望して、なんとスコットランドへ。↓
要するに、昔のアンカレッジ航路を再利用して(ただしノンストップで)、ユーラシア大陸に触れることなく、カナダ・北大西洋を経由してブリテン諸島に到達する、という航路なのでした。ただし、ランカシャ・マンチェスタ・Midlandsは白いちぎれ雲が多く、いい写真は撮れませんでした。LHRには西から着陸。
2023年8月20日日曜日
大手町駅 B7 出入口
①丸の内(正面)側に出るには、改札を出てすぐに「JR東京駅」という指示のとおりに、エスカレータに乗って、その先を歩けば、迷う余地もなく、にぎやかなOazoの地下通路を通って、いつのまにか東京駅丸の内北口付近の雑踏にまぎれこむ、という構造です。これは地下通路も地上通路もあって、ほぼ同じ方角に移動する、一番利用者が多い経路でしょう。
逆に東京駅から東西線に向かう場合は、丸の内北口から丸善Oazoをめざして、それを右手に見ながら「東西線」という指示のとおりに歩けばいいのです(地上でも地下でも基本的に同じです)。
②八重洲口に出るには、大手町駅の改札を出て東西線の電車路の上を(すなわち永代通りの下を)日本橋方向=東にやや歩き、B8b あたりから右折して、あまり人出のない、さびしい昔ながらの「連絡通路」を歩いて、やがて八重洲地下街に到達する、という構造です。
逆方向ですと、東京駅で新幹線を降りて、八重洲口から東西線まで歩く、という人が辿りがちの、あまり楽しくない経路です。
③むしろ新しく - といっても10年以上前に - できた「東京駅日本橋口」にゆくには、大手町駅の改札を出て東西線の電車路の上(すなわち永代通りの下)を日本橋方向=東に向かい、B7 という出口から地上に出ます。そこは超モダンな空間で、新幹線【JR東海、JR東日本とも】の改札口、長距離バスの発着を利用する人びとが多いのですが、天井/空が高いので、混雑感・圧迫感はなく、ぼくとしては気に入っています。時間帯によっては、ツアー団体客や修学旅行客の集合場所として利用されています。
じつは今朝早くに、必要があって、この③の経路を使って東京駅に往復したのですが、ただいま大規模な再開発工事中で、さらに数年後にはすごい空間になるのだなと見上げました。「東京駅日本橋口」から北を見て左側にたつ高いビルが「サピア・タワー」という名の大きな建築で、知識産業が入居しています。何年も前にブレーン企業のセミナーに呼ばれてここの上階で話をしたことがありました。関西の私立大学の東京教室もあります。
このサピア・タワーは朝7時に開館で、それより前の早朝には館内のエスカレータが使えない。したがって東京駅を利用する大きな荷物の旅行客は、永代通りの長いB7階段をエッチラオッチラ利用せざるをえず、これは辛いな、と思わせるところでした。
今朝の帰路に階段で気付いたのは、この写真のとおりの掲示です。
そうか、利用者からの要望が続き、いよいよ、B7の「改良工事」に取りかかるわけですね。とはいえ今年の9月11日~2028年3月とは(5年間!)かなり長い! 近接するB6もB8aも改良工事で閉鎖中、ということは、この近辺の再開発が大規模だということを示しています。同時に、工事閉鎖中の不便もまた大きく、とりわけ東西線の早朝・深夜利用者には影響は少なくありません。
2023年8月14日月曜日
近刊予告
『思想』No.1193(2023年9月)に 翻訳のスタイル (全4ぺージ)③
が掲載されます。【後者は『思想』7月号「E・H・カーと『歴史とは何か』」特集号における上村論稿に触発されてしたためた小文で、そこで呈示された疑問や指摘に答えています。個人間の論争ではありません。一般的な意味を求めて、多くの第三者読者に向けて発した、論文/翻訳のスタイルについてのコメントです。ぼくもかつては清水幾太郎『論文の書き方』(岩波新書、1959)の愛読者で、卒業論文の執筆時に大いに参照しました。】
どちらも早ければ8月末には公刊とのことで、編集サイドの厚意とすみやかな作業のお陰です。ありがとうございます。
お読みになる順序としては、先にも少し書きましたとおり、
『歴史学研究』9月号〈批判と反省〉①に最初の目を通していただき、
その次に「思想の言葉:いま『歴史とは何か』を読み直す」『思想』7月号②を、
そして、『思想』9月号の「翻訳のスタイル」③
という順で読んでいただくと、一番ナチュラルで良いかな、と思います。
②は、早くから岩波書店のウェブ「たねをまく」 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7306 にて公開されていますが、やはり順序として①が最初に読めるようにみずから努力すべきだったと、段取りの悪さを反省しています。
2023年8月13日日曜日
OEDの新画面
特定の単語にヒットしたあとは、
Factsheet Meaning & use Etymology Pronunciation Frequency Compounds & derived words
とかいったぺージのどれを見ればよいのか。旧来の、ほとんど紙媒体の辞典のフォントを大きくしたままの画面では、何故いけないのでしょう。
一つの単語につき、語源の発音も、多様な意味・用法も用例も、頻度も、大きな画面(A4に印刷した場合、1ぺージに収まらず、10ぺージを越えることもザラ)に一覧できれば、必要に応じて、そちらにフォーカスすればよい。この一覧性こそ、知的な思考には必要不可欠です。
特定の目的で特定の結論を求める、効用本位の(utilitarian)- いわゆる字引としての - 利用でなく、ぼくは OEDを思考をうながし(thought-provoking)、インスピレーション豊か(inspiring)なデータベースとして何十年と利用してきました(昔は大判の辞書をコピー機のある部屋まで運んで、200%くらいに拡大プリントしたうえで、読み、書き込んだりしたものです)。
近年のなにか小賢しい利用を優先した「改悪」のような気がします。
いちおうの緊急対策として、
Meaning & use のウェブぺージを開いて、Show all quotations にチェックを入れて読んでゆく/Copy & paste して(色分けなど加えて)自分の.docとする
というのと、Etymologyのぺージを開く、というのを併用する(どちらも自分の.docとして、合体し保存)といった策を講じています。皆さんは、どうしていますか?
2023年7月25日火曜日
『思想』・『歴史学研究』・『図書』
先にも書きましたとおり『思想』7月号は「カーと『歴史とは何か』」をめぐる充実した特集号でしたが、8月号はなんと <特集 見田宗介/真木悠介> なのですね!
見田さんは駒場のまぶしいほどの先生でしたし、その後も社会学の学生たちを実存レヴェルで揺さぶっていた先生です。60年代には父親=見田石介がだれしも知るマルクス主義の学者で、父といかに距離を保つか、どこに自分のアイデンティティがあるか、を考え続けていたのでしょう。8月号、未見ですが、楽しみにしています。 http://kondohistorian.blogspot.com/2022/04/19372022.html でも私見をしたためました。
そうこうするうちに昨朝『歴史学研究』のための初校を終えました。9月号(No. 1039)で、
〈批判と反省〉『歴史とは何か 新版』(岩波書店, 2022)を訳出して
というタイトルです。じつは昨年8月に書き始めてすでに9月には8割方できあがっていました。どう締めるかで迷っているうちに、『図書』の連載で月々の〆切に(心理的に)追われるようになって、しばらく冬眠・春眠していた原稿です。 4月から中学の同期会とか、高校の同期生のやっている「千葉県生涯大学校」の講演とかに出かけて、旧友たちと懇談して気持も整いました。無理なく「締める」ことができたと思います。
というわけで、本当の順番は、この『歴史学研究』9月号が先で、『思想』7月号は後なのです。「思想の言葉」をご覧になって、ちょっと飛躍があると受けとめた方々には、申し訳ありません。9月に『歴史学研究』をご覧になっていただくと、無理なく接続するかと愚考します。いずれにしても、『歴史学研究』編集長とスタッフにはたいへんご心配をかけました。
なお『図書』の連載はまだまだ続きます。
第11回(7月号)ウェジウッド「女史」。 これは自分では良く書けたのかどうか分からないところが残ります。
第12回(8月号)はマクミラン社の兄弟。 こちらは自画自賛ながら、調べて書いた成果が実感できます。カーの出版についても、マクミラン社およびマクミラン首相についても、「そうだったのか!」と納得していただけるのではないでしょうか。連載のうちでも会心の回の一つです。この2回連続して、セクシュアリティが通奏低音になります。
熱心に読んでくださる読者、とくに現役の方々からいただく反応はなによりのご褒美です。ありがとうございます。
2023年6月30日金曜日
カルガモ母子と『思想』7月号
ご覧のとおり浅い池なので、お母さんの脚は床に着いて、ほとんど歩いています。
先日到来した『思想』第1191号(7月号)は、特集として出色の号かもしれません。
カーその人、著書『歴史とは何か』とその日本における/中国における受容、20世紀史におけるカーの所説の意味(の転換)、そして清水幾太郎訳(1962)と近藤の新版(2022)をめぐって、等々、なかなかの壮観です。各論考から大いに学べます。
なおまた、「思想の言葉」についてはウェブの「たねをまく」に公開していただいて、早々と感想を寄せてくれる方もあり、有難いことです(縦組の文章を横組に開示しているので、漢数字がやや煩わしいですが)。 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7306
ただし、最後の数行前に、脱落があります。
二〇世紀を生きた自由主義者社会主義的かもしれないが「一皮むけば七五%はリベラル」の知識人の告白でもあった。
↓
二〇世紀を生きた自由主義者--社会主義的かもしれないが「一皮むけば七五%はリベラル」の知識人--の告白でもあった。
とダーシを2箇所補ってください。たった今、再見しましたら、直っています。担当者の方、有難うございました!
ただし同じ号のなかで唯一、「カー『歴史とは何か』と〈言語論的転回〉以後の歴史学--近藤和彦の新訳をめぐって--」に限って、大きな違和感があります。清水旧訳を名訳とするかどうかは、拙文でも述べた「年長の先生方」の懇談(p.2)を想起して「あの年長の先生方のお仲間」を相手にしているのか、と認識を改めました。その旺盛なお仕事を何十年も前から読み、学んで、遠くから尊敬し羨望してきた方の文章なので、かなり困惑しています。
「もう一工夫欲しかった」「誤訳ではないか」「疑問点」「‥‥するべきではなかったか」と指摘されている箇所は、ほとんど誤解と無理解によるものと思われます。いずれザハリッヒに学問的にコメントしたいと考えています。ただ今、身辺が多事多端ですので。
2023年6月4日日曜日
『図書』という月刊誌
6月号(第10回)では「A・J・P・テイラとトレヴァ=ローパ」という、ちょっと問題的な20世紀の歴史家二人について立ち入っています。それは、第1にE・H・カーが『歴史とは何か』で彼らの言を効果的に引用しているからですが、また第2に20世紀のオクスフォードの学者たちの小宇宙を - スノッブのようにあがめ憧れるのでなく - 具体的にイメージングしておくことも必要、と考えたからでした。次(7月号)の「ウェジウッド「女史」」へとつながります。
同じ6月号には、桜井英治さん、大石和欣さん、池田嘉郎さんといった面々も書いていらして、前からの「日本書物史ノート」「東京美術学校物語 西洋と日本の出会いと葛藤」といった連載とあいまって、なかなかの読み物です。
さらには、今号から「西洋社会を学ぶ意味」というタイトルで、前田健太郎さんの「政治学を読み、日本を知る」という連載も始まったのに気付きました。これからが期待されます。しかも、この記事はウェブで読めるのですね。 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7252
そういえば、ぼくの連載「『歴史とは何か』の人びと」の第1回目(昨年9月号)も、ウェブに公開されているのでした。 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074
便利です。 岩波書店の英断だと思います。
2023年6月3日土曜日
〈リフォーム〉ほどではないけれど
いくら間遠とはいえ、このところブログ登載が月一どころか、5月は無、となってしまいました。ただただ日夜のこと & 原稿〆切に追われて(!)というわけではなく、それなりの進展はあります。
じつは現在の集合住宅に入居して、この春でちょうど20年。同居人の構成も変化したうえ、いろいろなモノが貯まり堆積して、自宅がまるで考古学遺跡のようになってしまいそう、と心配してくれた娘の提言で(準備のメールとZoom会議をへて)、4月から夏まで数次に分けて、部屋の使いかたを多少とも転換中です。
×まずは大きく重すぎて邪魔、処分さえ困難だった「大電動椅子」と古いソファ
×多数のプラ=ケースに収納されていた古着、過去の遺物
これらを整理/破棄処分しました。そして、これからの生活のために前を向いて、
・誰の物、家族のコモンズ・常用といったゾーンを明確化し、
・開かずのスペースになってしまっていた北側ベランダへの出入りができるように、
・各部屋の用途を再考し、老後の介護のためにも寝室と「納戸」とを交換しました。
こうしたことを実現するためには、じつは本人たちだけの手には余り、複数の屈強の男性が必要でした。娘がそうした「ゴミ屋さん」(!)という名の業者を捜しあて、日時を決めて動いてくれたので、なんとかなったのでした。久方ぶりに床のフローリングがしっかり見えるのは、感動的です!
(とはいえ、ぼくの書斎、図書・ファイルにかかわることについては、さすがの娘も関与を諦め/謝絶し、お父さんが自分で考えてやって、と引導を渡されました!)
5月の連休の後、3人で収納ラック一式を組み立てて、新しく 納戸スペース を構築して、すっきりしました。
なおさらに「大仕事」なのは、台所スペース です。(先週に訪問した千葉高校時代の友人の邸宅では、全体がすばらしいのですが、とりわけ外光もたっぷり入る広いキッチンには感激しました!)いまや言葉で納得してもなかなか動き出せない我々老夫婦にとって、子世代に背中を押してもらって、業者との相談会に向かい、ようやく実現に向かいます。
2023年4月30日日曜日
April
とはいえ、ただただ天候と日夜のことに追われて、というわけではなく、それなりの成果はあるのですが、そのことはまた後日に。
じつは4月の前半にはいろいろありましたが、23日(日)夜から妻が腰が痛いと言いだし、翌日からは声が出ず、咳が続き、発熱しました。すわ、コロナの初期症状?と警戒しましたが、そうではなく「ひどい風邪」ということらしく、水分たっぷり、睡眠もたっぷり、小食ながら栄養バランスには留意、という方針で凌ぎました。
ほぼ24時間遅れでぼくもまた同じ症状で、身体の節々も痛く、咳で苦しみましたが、連続してたっぷり睡眠したのは効果的だったと思われます。この週末から、短時間ながら住宅の周囲を歩いています。かろうじて『図書』連載の6月号分(A J P テイラとトレヴァ=ローパ)の初校を終えていたのは、不幸中の幸いでした。
名古屋の学会大会のための新幹線および宿の予約も、ようやく済ませましたよ!
2023年3月31日金曜日
ハナカイドウ
花便りとともに、四季の移ろいは早い。昨日は母の一周忌でした。写真はご近所のハナカイドウ(海棠)。
要介護の家族と生活し、またオンライン会議や『図書』の連載のことなど考えていると、2月・3月もあっという間に過ぎました。
「『歴史とは何か』の人びと」という連載列伝は、毎回それなりに気を入れて書けています。わがままな著者に合わせて、いろいろと工面してくださる編集スタッフのお陰です。ときに思ってもいなかった方が読んでくださっていると知れると、とても嬉しいです。
3月号は「フランス革命史とG・ルフェーヴル」
4月号は「バーリンとドイチャ、論敵と友人」‥‥ここまで既刊。
5月号は「『パースト&プレズント』の歴史家たち」
を書きました。
時代と政治と学問だけでなく、親との関係、夫婦のこと、老いの生き様など、さらに書き込むべきことがらは多い。列伝ですので、書きすすむに連れて、互いの同時代的な関係が浮き彫りになってくるのは愉快です。まずは骨組をしっかり書いておかないといけません。
2023年2月4日土曜日
『みすず』誌
2日ほど前に『みすず』no.722 (1・2月合併号) が到着。恒例の「読書アンケート特集」です。これは百数十名の執筆者の読書嗜好とともにその個性、そして現況がうかがえる企画で、毎年楽しみにしています。今世紀に入ってからは書き手に加えていただいたので、年末年始の慌ただしい折とはいえ、何をどう書くか、何日か悩むのも楽しい。
今号の場合は pp.98-99 に
・R. J. エヴァンズ『歴史学の擁護』〈ちくま学芸文庫, 2022〉
・David Caute, Isaac and Isaiah: The Covert Punishment of a Cold War Heretic (Yale U.P., 2013)
・G. ルフェーヴル『1789年 - フランス革命序論』(岩波文庫, 1998)
・Oxford Dictionary of National Biography (Online, 2004- )
・S. トッド『蛇と梯子 - イギリスの社会的流動性神話』 (みすず書房, 2022)
の5つをめぐって、ちょっとしたためました。すべて E. H. カーおよび『歴史とは何か 新版』、そして『図書』の連載(『歴史とは何か』の人びと)に、なんらかの側面で関係することばかりです。
同じ『みすず』では、川口喬一さんという英文学者が、『歴史とは何か』拙訳および T.イーグルトンにおける(笑)をめぐって鋭く指摘しておられます。『新版』の訳文および挿入の[笑]について、ここまで的確に受けとめ、評してくださった方は、他になかったような気がします。
「‥‥訳者がおそらく多く意を注いだのは、オックスブリッジでの講演者独特のポッシュ・アクセント(あえて言えば息づかい)の翻訳であったろうと思われる。‥‥当然のことながら(笑)のタイミングは難しい。笑いはしばしば講演者と聴衆との共犯関係、前提の共有によって成立するからだ。カーの立論もまた聴衆との知の共犯関係を前提にして展開されている。共感と逸脱のスリル。」pp.8-9.
そして段をかえて、イーグルトンの講演をめぐって続きます。「‥‥アメリカではしばしば観客を爆笑(笑)させているのに、エディンバラでは、間を置いて待ってもイーグルトンの期待した(笑)が起こらず、講演者が「つまんねぇ客だ」と呟く場面も見える。‥‥この場合、文化の場における共犯関係がすれ違っているのだ。」p.9. 以上の引用文では( )もママ。
川口さんは、1932年生まれとのこと。だとすると二宮、遅塚と同い年で、今、(誕生日前なら)90歳ということでしょうか? 上に引用したより前の段では、鹿島さんの『神田神保町書肆街考』をめぐって、川口さんが北海道から東京に進学してより、池袋・茗荷谷・本郷・神保町をむすぶ都電を愛用して通ったという神保町書肆街のこと、そして戦後の洋書事情が語られています。p.8. この都電は、ぼくが大学に入学したときにはまだありましたが、本郷に進学した68年には無くなっていました。
ところで、この知的で愉快な月刊誌『みすず』が8月で休刊とのこと!? 驚きです。残念です。ただし、この「読書アンケート号は、なんらかの形で継続する予定です」とのこと。p.109. 恒例の楽しみです。どんな形でも継続してほしい!
2023年1月29日日曜日
年末年始のこと:2
27日の帰途、すでに日没直後でした。運河にかかる橋は軽く太鼓橋になっていて、視線の先、南西の空には明るい三日月! 穏やかな気持で、あぁこのところ月を見上げるということもなかった、そもそも新月前後だったから‥‥、と想いがたゆたう時に、
いきなり後方からドヤしてきたのが、自転車に乗った中年男でした。「橋の真ん中でうろうろすんじゃない」。そしてぼくの顔を見て、さらに絡んできた!
そもそもぼくは(一休さんではないので、橋の真ん中ではなく)橋のアーチの頂点だが右端の、歩道の中ほどを歩いたり止まったりしていたわけだから、自転車の男のほうが遠慮しながら走行すべきなのですよ! でもこの類のアラフォーと口論しても何もいいことはないので、どう遣り過ごすかを第一に考えて対処し、結局、どつくのをやめた彼が次の信号で左折するところまで、しっかり目視しました(以後、再会しないように)。
このアラフォー君も、きっとなにか彼なりの問題と課題をかかえて、心に余裕がなかったのでしょう。夕焼け空や「冬の大三角」などを見上げて想いをただよわせると、すこし気分も変わるでしょうにね。
2023年1月28日土曜日
年末年始のこと:1
月刊『図書』の連載「『歴史とは何か』の人びと」* はアタフタしながらも、なんとか続けています。毎回、たっぷり勉強して(積ん読だけだった本もすみやかに読破して)新しい発見もあり、「楽しくて為になる」連載です。
* 9月:トリニティ学寮のE・H・カー → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074
10月:謎のアクトン。11月:ホウィグ史家トレヴェリアン。12月:アイデンティティを渇望したネイミア。1月:トインビーと国際問題研究所。2月:R・H・トーニと社会経済史。3月:フランス革命史とルフェーヴル。‥‥
ところが、旧臘19日に2月号(トーニと社会経済史)の原稿を仕上げ、ホッとしたとたんに、翌20日未明に事故発生。
トイレにゆこうとした妻が体の向きを変えようとして、尻もちをつきうめきました。段差も障害物もないのですが、布団がはみ出ていたかもしれません。痛がっていましたが、すごい転倒というわけでもなく(事が深刻とは想像もしなかった)、明るくなるまで待ってもらい、タクシーで、なじみのカイロプラティークに行きました。しかし、これは外科に診てもらわねばならないということで、救急車に頼りました。
【救急車はあまり待たずに来て車内に収容されましたが、時節柄、空いている病院を探し当てて車が動き始めるまで、3人の隊員が電話をしまくって、82分もかかりました! 病院まで、別に渋滞していたわけではないが、28分。計110分。医療逼迫の現実を身をもって認識しました。】結局、かなり遠い、初めての病院に到着。検査の結果、股関節の大腿骨頸部骨折でした。
70歳以上の(ときには還暦以後の)女性によくある大怪我ということで、そういえば、6月に△さん、前年に◇先生と、先例を指折り数えることができます! 「段差のない所で、何につまずいたということでなく、ふわっと転んだ。強い打撲というわけでもないのに骨折した」といった話を他人事として聞いたばかりでした。
医師には、骨折部分に金属ボルトを入れる手術が必要、術後のリハビリを含めて3週間の入院、と告げられました。
ただちに入院手続をとって、想い出したのは、2010年にケインブリッジで知り合ったX夫人からうかがった話です。- 彼女は交通事故で入院し、手術は成功しても半身不随になると予告されたので、それなら、と入院中に医師・看護師が見ていない時にできるだけ四肢を動かし(最初はベッド内で、後には起き出して)、この自発的運動によって、みごとに今のとおり完全恢復した、とおっしゃるのでした。このエピソードを想い出して、二人で話題にしました。
















