2014年8月19日火曜日

舩橋晴俊くん

 この1週間、北海道にいて、インターネット環境はあまり良くありませんでした。
『北海道新聞』の紙面で15日朝に舩橋くんがくも膜下出血で亡くなったと知り、にわかに信じられません。今日18日が告別式だったとのこと。
 駒場の折原ゼミ以来の友人で、1972年5月、ぼくの結婚祝いの会にも参加してもらいました。東京都副知事を父とする秀才ですが、学問的には20代前半に模索を繰りかえして、経済学部でソ連経済の研究を志すこともあったようです。結局、環境社会学の創始者の一人となり、ぼくと違って(また Weber とも違って)、現実の問題と実際的にとりくむ学者です。
 生まれ育った大磯を愛する人でした。法政大学では学部長など要職をこなしつつ、プロジェクト・チームを運営しておられました。4年前に『世界環境年表』のために会ったのが最後となるなんて、想像もしていませんでした。66歳。原発問題にも取り組んでおられ、志なかば。無念だったでしょう。北海道とはいえ真夏の日射の下で、目眩がしました。しっかりしたことも書けません。

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