2016年1月19日火曜日

二宮宏之 『マルク・ブロックを読む』

 岩波書店より、二宮宏之『マルク・ブロックを読む』(岩波現代文庫、2016)が到来。

岩波セミナーブックス〉の刊行が2005年3月末でした。亡くなったのは翌06年3月。それから早10年です。歳月人を待たず。
 今回の林田さんの解説を読みつつ、佐藤彰一さんの書評文(『史学雑誌』2006年6号)におけるブロック評価、とりわけフランス・エリートの評価の違いを思い起こしたことでした。それぞれがフランスで個人的に接されたエリートの気質の違いなどもどこかに反映しているかもしれないが、「歴史記述が物語り行為だということは、自らの構築した歴史を矜持と責任をもって語ることである」。
 二宮さんの、これはかなり真剣なメッセージです。

 ぼく自身が著者にあてて書いた2005年の私信の控えが出てきました。その前半だけでもご覧に入れましょう。

 ------------------------------------------------------------
 二宮宏之さん
 やや天候不順ですが、お元気のことでしょう。

 『マルク・ブロックを読む』を頂いてからずいぶんたってしまいました。この本は4月にイギリスから帰国したら机上に待っていてくれたもので、それ以来、部分的に順不同に読むということを繰りかえし、何人かの友人とは感想を語りあっていましたが、新学年の校務やいくつかの決定などにかかわっていて落ち着かず、今日ようやく机に向かって、最初から最後まで少々の参考図書も参照しつつ読了しました。感動しました。僭越ながら二宮さんのこれまでに刊行された3冊の日本語単著のうち、一番緊密に構成されているばかりでなく、もっとも人の心をうつ作品ではないでしょうか。

 岩波セミナーという性格もあるのでしょうが、二宮さんの読みと語りの方法は繰りかえし明示され、曖昧なところがありません。マルク・ブロックの作品の意味と仕組みを読み解くことと、時代のなかに人そのものを読むこととが不可分に進行し、しかも第一講は「ぼく」ないし高橋幸八郎を初めとする日本側の文脈で始まり、第五講は彼の遺書の意味するところを(その字をも)読むことで結ばれます。もしかすると、二宮さんにとってこの遺書のメッセージを読みとることこそが本書の究極の課題だったのかもしれない、とうかがわせる構成です。ブロックを聖人君子や英雄として奉るのでなく、しかし20世紀前半の最良の歴史家の誠実な生と知的な遺産をその時代のなかでとらえ、提示したのは二宮さんですから、フランス・共和主義・普遍(の問題性)をわれわれに遺贈された問題としてしっかり受けとめることによってこの書を閉じる。これすなわち、読者にそれぞれの「『マルク・ブロックを読む』を読む」という課題を委譲していることは明白です。

 久々に静かで純粋な高揚をおぼえる読書をしました。ありがとうございます。

 なおまた、グーベールの形容するブロックの語りかた、眼差し、そして207-206ページ*の写真の字体、‥‥なにか「これは知ってるぞ」という気にさせられましたよ。ぼくが本郷に進学して受けた堀米庸三さんの演習が(英訳)Feudal Society をテキストとしていたこと、大学院で高橋幸八郎さんが『市民革命の構造』と『資本論』をわれわれたった3人の院生に読ませたこと、だけがその理由ではありません。 

 <以下18行は技術的な質疑ですし、文庫版で解決している場合もあるので、中略

  2005年6月1日 近藤 和彦
 ------------------------------------------------------------

 * これは岩波セミナーブックスのページ。岩波現代文庫では pp.231-230.

0 件のコメント: