10月に立正大学でやりました公開講演の要録がパンフレットになりました。表紙を写真でご覧に入れますが、しゃれたデザインです。立正大学、品川区のどちらからこんなアイデアが湧いてきたのでしょう?
ぼくは例のとおり、悲劇のような史劇として「長い16世紀」のなかに『ハムレット』を読み解きます。
いろいろ読み直してみると、なんとヤン・コット『シェイクスピアはわれらの同時代人』(最初は1961)や、カール・シュミット『ハムレットあるいはヘクバ』(1956)といった先学の直観の後塵を拝した議論に過ぎないのかもしれません。彼らがポーランド人、ドイツ人といった具合に英語国民でないうえに、政治的・精神的な緊張のただなかで発言していたという事実は、重要でしょう。20世紀英・米そして日のインテリがぬるま湯のなかで、『ハムレット』はノンセンス劇だ、実存的危機がテーマだなどとのたまって収まっていたのが、可笑しくなる。
2016年12月31日土曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿