2017年4月25日火曜日
愛国主義・民族主義・国民主義・国家主義 (または超訳)
日本のマスコミ関係者も進歩的な論者も、戦後ずうっと棚上げにしてきた言葉があります。Nation および nationalism, patriot および patriotism です。この二つは全然ちがう。
そのことがはっきり露呈したのが、今回のフランス大統領選挙で、第1ラウンドの結果をうけてマクロン候補がおこなった勝利演説の日本語訳です。その混乱・ゴマカシ。分かりやすいように、フランス語をBBCの英訳で引用するとこうです。
. . . I will become your president. I want to become the president of all the people of France - the president of the patriots in the face of the threat from the nationalists.
夜10時のNHK-BSでは、これをナショナリスト=民族主義者としたうえで、(パトリオットを愛国主義者と訳すと分からなくなってしまうので飛ばし)「わたしは民族主義者の脅威に対抗して、全国民の大統領になりたい」と超訳したのです。できの悪い学生が、一番大事なポイントを飛ばして訳す、あのやりかた!
英和辞典も、仏和辞典も、独和辞典も(あまり深く考えずに)編者が思いついた単語を列挙して了とする編集方針をとっているかぎり、役立たずです。 Nationalism は国家主義だったり、民族主義だったり、Scottish National Party は「スコットランド民族党」! いったい「スコットランド民族」というのは存在するんですか、と聞きたくなる。
Nation は歴史的につくられた政治用語です。生まれと信条をともにすると表象された「国民」nationを第1に考える運動が nationalism です。「ドイツ民族」とか「日本民族」とかが本質的に存在すると信じる人たちにとっては「民族」=「国民」なのでしょう。そうした場合はユダヤ人とか在日集団とかがジャマな夾雑物で、排除すべき存在となる。
これにたいして、patriot は愛国者でも憂国派でもなく、OEDの名言によれば、「敵に対抗して、自由と権利を支持し守る人」。初出は1577年、ハプスブルク朝に抵抗したオランダ独立派について用いたのが始めのようです。ぼくたちがよく知っているのは、アメリカ独立戦争でイギリス支配に抵抗した「自由の戦士」で、OEDは1773年のフランクリンを引用しています。
このところ機会あるごとに北原さんが言明なさるとおり、patria自体は、国家や土地と関係なく、(現存在しないかもしれない)理想郷のことだというのは、OEDの語源説明でギリシア語における patria がポリスの市民でなく、バルバロイについて用いられたというのと符合します。
ようするにマクロン候補は、右からの民族本質論・「他民族」排除の立場の人々に対抗して、「自由と権利を支持し守る人」「自由の戦士」の大統領になるというレトリックを用いて、左派および自由主義者、そして全人民に決選投票での支持を訴えたのです。NHKの超訳のような、ぼんやりした「全国民の大統領」というアピールだけでは弱い。むしろ左派(メランション、アモン)にも、中道にもネオリベラルにも訴求する、曖昧だが「良いことば」(歴史的な用例でも good patriot, true patriot, etc.として出てくる!)を政治的に借用し、横領したわけです。
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