2018年4月24日火曜日

坂本龍一くんの父、坂本一亀


 今晩のNHK「ファミリー ヒストリー」には感涙しました。中国東北から生還した父上にとっては「余生」、としての戦後をどう生きたか。生前はまともに話すことはおろか、正視することもできなかったという息子、龍一が、仕事人間、「人を愛することも、愛されることも下手だった父」を追悼する、ということ自体がドラマティックな結びでした。ご本人も「やばいですね‥‥」と涙を拭いていました。

 とはいえ、ぼくの場合は、龍一くんよりもそのご両親、辣腕の父=一亀さんと美しい母=敬子さんの物語として(語られぬ部分にも)感極まるものがありました。ぼくは龍一くんが芸大に入学する前の夏、富士山麓の坂本家の別荘で数日間、一緒に生活していたのですよ。
1969年ですから、坂本くんは新宿高校(AFSの留学から帰ってきたばかり)の3年生、ぼくは東大の無期限ストライキ中。その前もその後も、生きる道の重ならないぼくと坂本くんが、なぜその夏に一緒に寝泊まりしていたかというと、68・9年という情況だったから、そして新宿高校3年生のK子さん、その姉のM子さんがそこにいたからです。M子さんは、ぼくとも、後年結婚する光明くんとも、中学・高校が一緒でした。ブログに書くより「小説」の材料になりそうなことが、その夏の富士山麓を舞台に、次々と展開しました。

 河出書房の黄金時代を支えた辣腕編集者として名の通った坂本一亀さん(1921-2002)は、三島由紀夫や野間宏や水上勉や丸谷才一もそうだけれど、それより、ぼくたちの世代にとっては高橋和巳(1931-71)の担当編集者として知られていて、どんな小さな逸話でも聞きたかった。そうした父上のこと、母上のこと、高校のこと、なぜかそのとき(お盆休みなので?)テレビでやっていたジェイムズ・ディーンの「エデンの東」、日の出の赤富士、「富士には月見草が似あう」という太宰の台詞‥‥。

 49年前の真夏を想い出し、また今は亡きご両親夫妻の老後の穏やかな様子を写真で見ることができて、この番組には心洗われました。【誤字を訂正し、ほんの少し言葉を補いました。指摘してくださった方、ありがとう!】

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