2019年3月6日水曜日

『大塚久雄から‥‥』

昨5日(火)は青山学院大学における合評会
大塚久雄から資本主義と共同体を考える』(日本経済評論社)
https://www.freeml.com/kantopeehs/69/latest
に参りました。主催者(政治経済学・経済史学会 関東部会)からはレジュメは30人分とか指示されていましたが、それよりずっと多い人数。団塊の世代以上が半数?

オファをいただいても、率直に言って、あまり気乗りのしない話でしたが、小野塚さんから上手に持ちかけられて
言うべきことを言えばよいか、と参加いたしました。

大塚久雄は(丸山眞男も)両大戦間期に自己形成した、憂国の知識人として並みいる戦間期の学問のうち最高級のものをプロデュースした。【念のため、当日の一人の発言について申します。ナチズムや太平洋戦争に言及したからといって、その賛同者ということにはなりません。たとえば、近藤がアクチュアルな問題としてトランプや習近平に立ち入って言及したら、70年後の一知半解の「若い研究者」が、近藤は心底はその信奉者だったのだ、と解釈するのでしょうか? AIレベルのアホです。】
問題はむしろ、大塚・丸山とは全然ちがう条件を与えられた情況に生きるわれわれとして、どう向きあうか、という問題だろうと思います。

「資本主義と共同体を考える」というより、大塚の資本主義論(過程と型)と共同体論(ゲルマン共同体・ローカル市場圏・民富)の有効性を理解したうえで批判する;要するに20世紀前半の歴史学から学び反芻しつつ、現在の研究水準で超えてゆく、ということではないでしょうか。
よく知らなかった論点を指摘してくださる方もいらしたし、逆に歴史学がいま動いている、ということをあまり意識せずに、ご自分の学生時代の理解のままの枠組で「老人の繰り言」をリフレインする方もいらっしゃるようです。
敬意を失わないよう自戒しつつ参加したつもりですが、いかがでしたでしょうか。
個人的には、これまであまりご縁がなくて十分親しくできていなかった方々のお考えがよく分かり、それは収穫でした。

ぼくの場合は、大塚史学に限定することなく、歴史学の問題として
1) commonweal・respublica にかかわる中世末から(古代から!)の議論、そして革命独裁や帝国秩序へと議論が絞り上げられていった近現代史が問い直されるし - 早くは『深層のヨーロッパ』(山川、1990)における二宮・近藤対談がありました -
2) いささか観念的に(?)称賛されてきた association については、charity や公益法人といった制度的・財政的保証のある社団へと議論をフォーカスしてみてはいかが? - 「チャリティとは慈善か」(年報都市史研究、2007)そして北原敦ほか「フランス革命からファシズムまで」(クリオ、2016)があります -
と思います。
編者の方々、『大塚久雄から‥‥』というタイトルは、もしや大塚の祖述に甘んじるのでなく、大塚を卒業してその先へ、という含意でしたか? 

今後ともよろしく!

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