2019年7月17日水曜日
折原先生とヴェーバー
レイシストではないかと抗議する記者に向かって、例のトランプ大統領が "Silence!" と繰りかえす場面がNHKテレビでも放映されました。
"Shut up!" ほど下品ではない(!)とはいえ、公人が公共の場で使う言葉ではありません。せいぜい "Please be quiet." かあるいは "No. I'm not following you./I don't agree with you." までが許容範囲かな。
ぼくがしばらく沈黙していたのは、トランプに威嚇されたからではなく、この数週間、公私のさまざまなことが続いて、その対応に追われていただけのことです。
さて、13日(土)には東洋大学にて折原先生を囲む会合があり、三部編成でたっぷり4時間話し合い、その後も懇親会が続きましたが、半ば同窓会に近い感じもありました。残念ながらもうこの世にいない人も。
なお、出席者・発言者の年次というか世代の違いが第一部と第二部という形で顕在化するような気配がちょっとみえたので、第三部のおわりに挙手して、次のようなことを言おうとしました(即興でうまく言えなかったので、ここで補います)。
折原先生はヴェーバー『宗教社会学論集』第I巻(1920)の序言、最初の段落、とりわけその
der Sohn der modernen europäischen Kulturwelt
という表現の意味について、1968-9年以後でなく以前から慎重に解読してくださっていました。ぼくの仮訳ですと、
「近代ヨーロッパの文化世界の子が、普遍史[世界史]的な諸問題をあつかうにあたって、次のように問いかけるのは不可避にしてまた正当であろう:すなわち、いかなる事情の連鎖によってまさしく西洋という地において、ここにおいてのみ - 少なくともわたしたちがそう表象したがるように wie wenigstens wir uns gern vorstellen - 普遍的な意味と有効性をもつ方向に発展する文化現象が出現することになったのか、という問いかけである。」GAzRS, I, S.1.
1段落1センテンス、息の長い緊密なヴェーバーの文体です。これはときにヴェーバーによる近代ヨーロッパ、その普遍性の全面的な正当視、むしろその信仰告白と受けとめられることもありました。しかし、
「近代ヨーロッパの文化世界の子(der Sohn)」というからには、父と息子の単純でない関係(継承・反抗・独立)が暗示されています(ここまでは13日第二部の三苫さんも指摘)。さらに「少なくともわたしたちがそう表象したがるように」といった挿入句には、はるかに自己意識的なニュアンスに富む比較文明史的なマニフェストが込められている、と読みとれます。第一次世界大戦が終わり、(インフルエンザで急死する前の)56歳、脂の乗りきった著者が大冊論集3巻本の劈頭にかかげる序言の、最初の段落です。
この挿入句は、ヴェーバーが近代ヨーロッパ文化世界の普遍性を自明の前提とはしていないばかりか、その(中近世からの)歴史的形成をみようとしている証、と理解することができるのではないか。ヴェーバーをみる際にも、折原先生をみる際にも、第一部と第二部に通じる、連続性にこそ注目したい、と考えて、発言しました。
(早くは『岩波講座 世界歴史』第16巻(1999)の「近世ヨーロッパ」pp.3-4 でわずかながら論じました。)
会合を準備してくださったみなさんにお礼を込めて。
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