しかし、吉田秀和といえば、なんといってもその文章です。1975年から刊行された『吉田秀和全集』(白水社)、そして『朝日新聞』の音楽時評は愛読しました。「British Museum ではどこの馬の骨かわからぬ訪問者にもベートーヴェンの自筆楽譜を触って調べることを許す、その大国の器量」といった文明論。そして、あまりにも平明な楽譜の解釈、あまりにも平明な演奏の批評(コンサート会場で演奏時間を計測している!)には、感銘するというより、こんなに分かって「いいのかしら」と思ったりした。【いま『吉田秀和全集』は段ボール箱に入ったまま出てこないので、記憶だけで認めています。ご容赦。】
学生時代に初めて読んでから、忘れがたい文がいっぱいあるけれど、一つは戦後の日比谷公会堂で、当時の吉田青年がだれかに投げつけるつもりで礫を握りしめてコンサートに行き、演奏を聴いて、もうそんなことはどうでもよくなったという箇所。【このだれか、というのは小林秀雄だろうか? 】
もう一つは1983年、ぼくは帰国して名古屋にいましたが、すでに『全集』を出して圧倒的な影響力をもつこの人が、来日したホロヴィッツの演奏について、「なるほどこの芸術は、かつては無類の名品だったろうが、今は ─ 最も控えめにいっても ─ ひびが入ってる。それも一つや二つのひびではない」という名言を吐いた。‥‥
そうです。ただの骨董品かフェイクを世間が有り難がり続けているなら、(根拠を明らかにしつつ)よく分かるように明言したい。
率直で事にそくした批判を、なぜ人は避けてきたのだろう。そして曖昧な「権威」にたいしても「風評」にたいしても、こんなに脆弱な「国民」。右であれ左であれ、変わらない。
結局、吉田さんはただの音楽評論家やエッセイストだったのではなく、20世紀日本の産んだブルジョワ文明論者の代表の一人、そしてコスモポリタンだった。たとえばショパンの**を好きで堪まらない人が、彼のコンサート批評に不満で「吉田秀和ってそんなに偉いのか」と反発したりすることは一杯あっただろう。それは、文明論者と蓼喰う虫(オタク)の文化衝突だったにすぎない。
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