2012年6月5日火曜日

「‥‥歴史学」と「‥‥時代」

2日(外語大)、3日(東洋大)と続けて、研究会というべきかコローキアムというべきか、意義深い催しがありました。すなわち、「二宮宏之と歴史学」と「『社会運動史』の時代」。発言者の半分以上が重なっていた。
 2日のぼくの発言については、事後に賛成の意を表してくれた方もありましたが、二人から「話が長い」とか「ポイントは何だったんだ」とか難じられました。そもそも司会を困らせてしまいました。たしかに口頭でレジメ無しで語るときには、聞き手のことも考えて simple & clear でなくちゃいけません。反省します。
 で、要点は2つ。第1は、二宮宏之は一人だったのではない、同時代の交友のなかで考え発言していたということ。
 第2は、当日も引用しましたが、ジョルジュ・ルフェーヴルの言。
「‥‥[みずから探求することなく]他の研究者の成果を借用して仮説をたてる。それじたいが悪いわけではない。だが、歴史家はそれだけで終わるわけにはゆかない。‥‥歴史家は質問表をつくり、史料調査から始めて、史料の指し示すところを組み立てる。ドッブとスウィージは問題を定式化した。さあ、いまや歴史家の領域で仕事をしよう。」
 この文を朗読して着席すれば、必要十分だったのかな。もちろん史料なるものの問題性も論じないとしたら阿呆です。

 反省して翌3日の会合は、5分未満の発言で済ませましたよ。

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