2012年12月21日金曜日

桜井由躬雄さん


 今夕、本郷の集まりに参加して、飛びこんできたのは桜井さんが急死なさった報。驚きました。つい11月1日(木)には、「文化交流研究懇談会」で並んですわっていたのですから。「一時調子悪かったんだが、いや今は元気だ、飛び回っている」とのこと。全然変わらない、という印象を受けたばかりだったので。

 由躬雄さんの記憶の最初は、1968-9年のある夜です。こちらは法文2号館1階、西洋史の研究室に寝泊まりしていたのだが、廊下の向こうの東洋史からずいぶん距離があるのに一人の声が大きくて、いつまでもうるさい、眠れない。翌日聞くと、院生(人文闘争委)の桜井という人の声だというので、認識しました。昼間も声が大きかった。西洋史では岡本さんと同学年でしょうか。いやその一つ上か。白にオレンジのテープを貼ったヘルメットをかぶっておられました。
 ぼくは3学年下で、学部の3年生でした。

 ずうっと後になって、桜井さんが京都の東南アジア研究センターで活躍しておられると耳にしました。さらに後になって東大文学部の助教授に迎えられましたが、ある夜、図書館の脇でたいへんな美女と腕を組んで歩いておられるのを目撃してしまったときは、困りました。しかも悪びれることなく、近づいてこられて「女房です」とおっしゃったので、驚愕しました(ご免なさい)。

 そのころ丸ノ内線の電車内で、ぼくは遅塚さんと一緒にいたのだが、桜井さんが近づいてきて、「先生とぼくの名前、躬の字が同じです」と。遅塚さんも上機嫌で「そうですなぁ」と、楽しそうな話が始まった。ひとと知り合うきっかけを作るのがお上手だと思いました。

 さらにいろんなことがありましたが、それは全部飛ばして‥‥、何年もたった春の夜、赤門脇・経済学部棟の一番上の階に確保なさった広い桜井「主任教授室」で、岸本さん、石井さん、吉澤さんと一緒に「東大最後の夜」を遅くまで過ごしました。結局、その夜は、みんな帰りの電車は無くなって、徒歩で帰れる方々はいいけれど、遠い人は本郷の各部屋に泊まったり、ぼくの場合は大枚をはたいてタクシーで帰宅しましたね。
 すでに5年半前の3月末でしたか。なんと速く時はすぎるのか!

 ご冥福を祈ります。

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