2013年11月14日木曜日

拝復

Aさん
 お久しぶりです。メールをありがとうございました。

 じつは7月から以降10月まで、校務や学外公務や91歳の母親のことはそこそこに(済みません!)、『イギリス史10講』優先の日夜を過ごしていました。岩波書店は、脱稿から初校、再校、校了にいたる日程表を、それなりに余裕をみて組んでくださったのです(11月でなく12月発売、といった具合に)。しかし、やはり実際には「火事場」とまでは言わないが、ドタバタしています。
 大学入試や中国・アメリカ出張もありましたが、本当に入稿してよい原稿はぎりぎりまで改訂して、最後の最後の部分を出したのは10月14日。長く暑い夏でした。
 すでに2色刷りの初校ゲラも戻し、図表の整頓、カバー関連なども済ませましたが、ホッとするまもなく、今週末には再校ゲラが来るはずです。本文とあとがきで306ページ、巻頭の目次、巻末の索引が加わって、岩波新書としてはたいへん厚いものとなります。
 爽快に書けたうえ図版ともうまくマッチしたと思われる箇所もあり、逆に中途半端で心残りの箇所もあり、複雑な気持です。そうはいっても、もう延ばすわけには行かず(Now, or never!)、思い切りました。足りない所は今後の仕事ですこし構えを変えて取り組んだほうが合理的かもしれません。

 一言でいうと、ぼくは戦後史学、柴田史学、二宮史学から大いに学んできましたが、それを部分的でなく根本的に乗り越えたい。ただ大きな歴史をすりぬけ、スキマ産業に従事して了とするのでなく、代替すべきものをみずから産み、呈示したい、という気持に支えられてきました。あらゆる部分が柴田先生(およびイギリスの実証史学)との対話です。
 Aさんとは『近代世界と民衆運動』(1983)が出版された直後から、その野心に感心しつつも特定箇所について似たような批判的発言を重ねてきましたね。『フランス史10講』(2006)については、むしろ全体の構えに不満がありました。今度の『イギリス史10講』はこの異なる性格をもつ2著にたいする、両面的な対話です。本文最初のページをくって直ぐに(p.4) こう述べます。

  歴史とは現在と過去の対話であり、また将来を見すえた歴史家の語りであるといった
  のは、E・H・カーである。『イギリス史10講』も、今を生きる歴史家が過去の事実
  および研究とくりかえす対話であり、イギリス史を語りなおす試みである。

「過去の事実および研究とくりかえす対話」とは生じっかのものではありません。やはり年末に出るルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)もくりかえし述べるとおり、historia とは「調べること、そのうえでの語り」ですし、research とは何度でも調べなおすことです。こちらがええかげんでは対話できません。
 岩波新書なので(またすでに十二分に厚いので)註はありませんが、分かる人には分かる書き方をしたつもりです。また今年度末の『立正大学大学院紀要・文学研究科』に長い註釈を載せて、論拠を明示し、誤解の余地のないようにします。

 急に寒くなりました。けやきの街路樹がきれいに色づいています。
 12月20日に見ていただきます。どうぞお元気で。

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